>>692
古田第1書での紹介では、
翻、能く歩行す。日に二百里なる可し。(呉志十二、裴松之之所引呉書)
とあり、
長里では87km位であり、これは全く無理であり、
短里では15km余り位であり、可能。
しかし、これは、呉志でも短里が使われていた事の証拠になるし、
5世紀の裴松之も、3世紀には短里が使われていた事を証言した事になるね。

はい、「短里はなかった」とする大和説学者らが、また敗北しました。