>>899
崇神 磯城瑞籬宮
垂仁 纒向珠城宮
景行 纒向日代宮
成務 志賀高穴穂宮
仲哀 穴門豊浦宮・筑紫橿日宮
応神 軽島豊明宮

この最初の三代までは纏向の王と見てよい

それ以降になると、王都集落は建設されず、オオキミのいるところが宮処ということになる

妻問、通い婚で母の家で皇子が育ち、そのまま、そこが王宮になる場合もありうる

>>911
飛鳥の居館配置では、蘇我氏の邸宅が飛鳥の入口を押さえ、その後ろの天皇の宮処を守る配置になっているところまでは、発掘で明らかになってるよ