邪馬台国畿内説 Part721
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現期段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。(◆2,4〜6)
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。
前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1630467493/l50
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。
2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当する。畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入していく時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大する。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階に入る。
絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纒向以外にありえない。 >>890
>陵墓築造の一定規律の大根源が、山稜に築かれた「冢」であって、
カルトさんはいつでもこういう「自分勝手に決めたルール」が
「絶対に正しい」って言うんだよねw
4世紀から6世紀の300年間の、その一定規律に従って作られた
山稜に作られた「冢」たる大王墓を3つくらい挙げてくれるかな?
できるものならなww >>886
>生き埋めにするのは「埋葬」とは言いませんww
埋めるのなら埋葬だろうが、アホ。
>その根拠は御所市の伝承
>>892の画像に神武と書いてるだろうが、見えないのか。 >>894
出入口ありという伝承なのだから
神武天皇が洞窟の出口を塞いだ大きな岩など伝承されていない
立小便よっちゃんのホラ話 >>894
>これで奴婢埋葬痕跡が証明された。
どこが?
>>892に示されている話と、お前の与太話は無関係だろうが
>>892の画像の話は、ナガスネヒコの話まで混ざっていて(長脛族)
それはそれで、うーんってところもあるが、どこにも「奴婢」も「埋葬」
「王族」も「卑弥呼」も「殉葬」も一切出てこないw
おまえが「蜘蛛」の二文字だけで作り上げた妄想は、この世界と一切
何の関係も持たないんだよ >>901
それは山草園の人に直接聞いたよ。
一年356日、朝昼晩パソコンの前におらず、少しは外に出れや、こどおじ。 >>884
>>追放されたスサノオ以外、みんな同じ場所。
>で、蜘蛛窟の中にみんな一緒に葬られてるのか?ww
>同じ場所って、どこだよ?wwwwwwwww
隣りの径百余歩の塚だよ。
ところで逃げ回っているけど、2世紀前半の其国の男王の単独墓はどこ? >>900
>埋めるのなら埋葬だろうが、アホ。
まあ、左側スロープ君には何も期待していないけれど、
とりあえずは日本語で読み書きしてるんだから「葬」の字が
何を意味しているかくらいは分かるだろ
裏山のがけが崩れて生き埋めになって亡くなった人を、
がけ崩れで埋葬されたって言うのか?
そもそも、お前の設定では
「>画像の蜘蛛窟、そこに土蜘蛛が埋められた。
>いや洞窟の入り口に岩を置いて出られなくされた。
>岩を置いたのは神武軍だ。」
なんだろ?
岩で入り口をふさいだだけで、埋めてすらいない
埋めてもいないし葬ってもいないのに、埋葬痕跡だというのは
デタラメもいいとこ
蜘蛛の二文字だけの妄想なんてそんなものだなw >>903
山草園の人に直接聞いたという立小便犯罪者よっちゃんのホラ話 >>905
>裏山のがけが崩れて生き埋めになって亡くなった人を、
がけ崩れで埋葬されたって言うのか?
自然現象で埋められた人と、わざと埋められた人なら意味が違うな。
基本的な日本語も理解できないようだな。
ところで箸墓の奴婢埋葬痕跡は? >>900
>>>892の画像に神武と書いてるだろうが、見えないのか。
つまりこれは、神武紀とは無関係な話ってことだな
森村氏の私文書には、証拠能力はない
まあ、私有地に地主さんが何を書いた札を置いても何も問題はないけどさ >>897
>ハイ、また逃げた。
本当に、相手の見分けがつかないんだからww
全1病は追跡妄想の一類型って誰かが書いてくれてたけど、
本当に心療内科が必要だと思うぞww >>883
>大仙古墳も低いところだが、大仙古墳被葬者の大王も下人なのか?
高天原の神々に比べたら下人。
神殺しの末裔だね。 >>897
で、その被差別部落の数はいくつなの?
いくつ以上あったら圧倒的なんだ?
基準は?
閾値で示してくれるとありがたいが? >>882
>それに、神武軍が生き埋めにして殺しただけで、
>どうして卑弥呼の殉葬になるの?
>卑弥呼、まだ生きてるよね?
だから中国風の殉葬ではないが、中国側が奴婢の死で中国的脳内変換をしたのであろうと上で答えた。
ところで箸墓の奴婢埋葬痕跡は? >>875
>応神即位390年というのは、「日本書紀紀年二運繰上げ説ではそうなる」ってだけで
>確定でも何でもないんだぞ?
金石文まで否定するな猿。 >>872
>じゃあ、行燈山古墳「3世紀後半」-4世紀前半頃でいいんだな?ww
318年じゃないとやだーって、いうのが左側スロープ君の言い分だったのに
行灯山は布留1式の4世紀初頭から前半。
何言ってるんだ猿。 >>891
>つまり、「日本列島に住んでいた人全員」を指しているということだねww
後にも先にも、全国各地に今もって忌部の地名を残しているのは「忌部一族(阿波勢力)」 だけ。
「忌部一族(阿波勢力)」は、海部(あまべ)とともに日本各地に進出して、
麻、穀を植え、農業、養蚕、織物、製紙、建築、芸能などを伝えた、
日本唯一無二の「祭祀族、海民族、産業・文化技術集団」なのである。 @阿波 >>895
>神武なんぞ大王でも何でもない。
だとしたら、その配偶者は后でも何でもないな?
なのに、ヒメ「后」なのは、この時点で矛盾だな
>系図左端にいるのがスサノオ直系の大物主。
>これが当時のオオキミ。
だというなら、ヒメ(踏鞴五十鈴)媛はオオキミではないし、女王でもないことになる
これも矛盾
それとも奇日方とヒメ后で、ヒメヒコ統治だったとか言い出すのかい?ww
この系図でヒメ(踏鞴五十鈴)媛が卑弥呼なら、政務を助けた男弟は誰になるんだ?
それも全部、奇日方におっかぶせるのか?
>その大物主の最後の阿田賀田須命が崇神に殺された。
大物主なら、奈良盆地南西部の三輪山付近に居なきゃいけないと思うんだが、
それがどうして葛城の高天にいるんだ?
これも矛盾
阿田賀田須命が殺されるまでオオキミだったなら、その子孫である大田田根子を
わざわざ探さなきゃいけなかったのはどうして?
王族の所在が分からないって、おかしいと思わないの? >>913
脳内変換してるのが神社境内立小便猿よっちゃん 文献と擦り合わせて今城塚を継体墓とする。
これは理解できる。
ならば同じく文献と擦り合わせて行灯山を崇神とするのが普通。
なぜなら「山辺道上」「山邊道勾岡上」は渋谷向山と行灯山の二つしかなく、
被葬者たる大王は景行と崇神の2人しかいないのなら、崇神は古い方の墓となるからだ。
>>1のドアホはそれを認めると、崇神から数十年前のトヨがトヨ津媛しかいないので葛城説を認めざるを得なくなるから、
必死で抵抗してるのだ、惨めな奴wwww >>904
>隣りの径百余歩の塚だよ。
何と何が、どのように隣なんだ?
具体的に、論理的に、文章を読む人に通じるように書けよww
お前が言うにはこの何の人為的改変もない自然地形の尾根が径150メートルの塚なんだろ?
https://i.imgur.com/cxunquy.jpg
で、この尾根上に蜘蛛塚の標柱があるんだが、どことどこが隣なんだ?ww >>917
>ヒメ(踏鞴五十鈴)媛はオオキミではないし、女王でもないことになる
これも矛盾
お兄さんが大王、スサノオノ曾孫。
ところが男が立つと色々揉めるので臨時的に妹が女王に立った。
>阿田賀田須命が殺されるまでオオキミだったなら、その子孫である大田田根子を
わざわざ探さなきゃいけなかったのはどうして?
オオタタネコは阿田賀田須命の子孫ではない、遠い昔に別れた傍系だアホ。 こいつ、葛城が気になって気になって仕方ない様だwww
箸墓説がいかにアホかという事にやっと気づいたようだ。
自分でわざわざ高天まで見に行ったようだしなw
俺は箸墓なんて見に行かないよ、あれはイカガノシコオの墓だから。 >>903
>それは山草園の人に直接聞いたよ。
ということは、その山草園の人の話と、>>892の画像の話(森村氏?)は
別の話で、一緒にしてはいけないってことだな
そして、神武紀の話も御所市史の話も別の話だ
共通しているのは、普通名詞の土蜘蛛だけww
つまり、何の根拠にもなっていないってことだ >>920
そんな小さい図では説明できません。
やりなおせ、こどおじ。 >>923
>そして、神武紀の話も御所市史の話も別の話だ
御所市の話は何も関係ない、否定の材料としておまえが勝手に持ち出してきた物。
>共通しているのは、普通名詞の土蜘蛛だけww
つまり奴婢ですね、残念。
箸墓の奴婢埋葬痕跡は?
35回もトンズラしてて恥ずかしくないの? >>911
>高天原の神々に比べたら下人。
>神殺しの末裔だね。
このように、結局根っこは反日九州説と同じなんだよな
皇統に対する尊崇の念が皆無だし、日本の神々に対する畏れの気持ちもないから
神社の境内で放尿しようと思いつける訳だ >>917
>大物主なら、奈良盆地南西部の三輪山付近に居なきゃいけないと思うんだが、
>それがどうして葛城の高天にいるんだ?
大物主は誰と結婚したんだ、ボケ。
モモソヒメだろ。
当時は通い婚、だからアタガタスは三輪山まで行った。
まぁもともと三輪山も鴨族=王族の所有ではあったのだろうが。 >>908
>自然現象で埋められた人と、わざと埋められた人なら意味が違うな。
わざと殺すために埋めることを葬るとか埋葬とは言わないんだよ、日本語では
ちょっと義務教育までしか日本の正規教育を受けていない人には難しかったかな?
左側スロープ君の言うことは「日本語では」意味が通らない
左側スロープ君語でしか、意味を為さないんだよ
お前の言っていることは、そういうレベルの戯言なんだよ
日本語を使う日本人には通じないw >>926
>皇統に対する尊崇の念が皆無だし
神武軍というのは和歌山で名草媛の体を八つ裂きにしてる連中だからね。
ベトナム戦争での韓国軍と変わらない。 箸墓の奴婢埋葬痕跡は?
36回もトンズラしてて恥ずかしくないの? こいつ(>>1)、葛城が気になって気になって仕方ない様だwww
箸墓説がいかにアホかという事にやっと気づいたようだ。
自分でわざわざ高天まで見に行ったようだしなw >>908
>わざと埋められた人なら
そもそも、お前の設定では
「>画像の蜘蛛窟、そこに土蜘蛛が埋められた。
>いや洞窟の入り口に岩を置いて出られなくされた。
>岩を置いたのは神武軍だ。」
なんだろ?
岩で入り口をふさいだだけで、埋めてすらいない >>913
>中国側が奴婢の死で
奴婢じゃないと何度言えば分かるんだ?
土蜘蛛が奴婢になるルートはないし
先に土蜘蛛が死んでいるなら、どんな中国人でも殉葬とは考えない >>934
埋めたようなもんだ、日本でこのような痕跡があるのはここしかない。
他にそのような場所があれば遠慮なく言えよね、ないだろうけど。
ないのならここに決まりだ。 土蜘蛛たちは皆南側の出口から出てきて平和にくらしました。 >>927
>大物主は誰と結婚したんだ、ボケ。
>モモソヒメだろ。
>当時は通い婚、だからアタガタスは三輪山まで行った。
だとすると、その大物主が三輪山に祀られているのはどうしてなんだ?
どうして、通い先の近くに祀られるんだ?
これだと、通っていく先のモモソヒメの方が上位者ってことになるぞ?
祭祀を仕切っているのが三輪山の勢力なんだから
つまり、大物主アタガタスがオオキミっていうのはデタラメってことだな >>936
>奴婢じゃないと何度言えば分かるんだ?
葛城の差別問題は、福岡のような移配俘囚や姫路から連れてこられた革工人でない以上、
大和先住民の国栖や土蜘蛛と言われた人たちがルーツである以外に考えられない。
森村さんもそれを言ってるだろ、おまえ読んでないのか。 >>931
これの意味が理解できないのかな? 左側スロープ君には
「わざと殺すために埋めることを葬るとか埋葬とは言わないんだよ、日本語では」 >>932
で、その被差別部落の数はいくつなの?
いくつ以上あったら圧倒的なんだ?
基準は?
閾値で示してくれるとありがたいが? 奈良に3世紀くらいの洞窟遺跡なんかないだろ
葛城の洞窟にこもって修行したのは鴨族の役行者(役小角)
699年に伊豆大島に流罪となった >>939
>だとすると、その大物主が三輪山に祀られているのはどうしてなんだ?
どうして、通い先の近くに祀られるんだ?
三輪山で殺されたからだろうがボケ。
場所は血原→茅原、だから狭井神社が大物主の荒魂を祀ってるのだ。
普通に大往生の人物に何で荒魂が発祥するんだ?
>これだと、通っていく先のモモソヒメの方が上位者ってことになるぞ?
祭祀を仕切っているのが三輪山の勢力なんだから
なんでやねん、やった側が、やられた側の怨霊が恐くて「崇める」という事だ。
日本の古神道の本質だ。 >>943
7世紀に洞窟があったのに、3世紀にはないという理屈はない。 >>942
数なんか知らん、御所におまえが言った、
糾弾されても仕方ない言い方の「よっちゃん」が多いのは事実だ。 >>914
>金石文まで否定するな猿。
お前の挙げた金石文は5世紀代の雄略天皇の頃のもの
そこから、記紀や三国史記の記述に従って遡ってるだけで
応神天皇即位の頃の金石文なんて出てないぞ
そういう論理がないから、お前はバカだって言うんだよ
左側スロープ君ww で、箸墓の奴婢埋葬痕跡については37回目のトンズラをしている>>1君です。
さすがはこどおじwww >>944
>やった側が、やられた側の怨霊が恐くて「崇める」という事だ。
それなら、相手の本拠地あとに祀るだろ?
どうして自分の本拠地に祀るんだ?ってこと
アタガタスは大物主ではないし、モモソヒメのところにも通ってないってことだよ 畿内説ってさー
漢文の読みでき無いな
中国の学者にも馬鹿にされてるんじゃねーの >>950
>それなら、相手の本拠地あとに祀るだろ?
>どうして自分の本拠地に祀るんだ?ってこと
相手の本拠地に祀るだろってなんで?
山陰で出雲振根が殺された場所も出雲大社の荒垣だろうが。 >>946
>数なんか知らん、御所におまえが言った、
数も知らんのに圧倒的ww
本当に、いい加減
論証に値することを何一つやっていないしできないのが左側スロープ君ww >>951
つまり握り飯の高天彦屋前の自然斜面の蜘蛛窟は願望伝承
岩で塞いだというのが立小便猿よっちゃんのホラ話 >>947
>お前の挙げた金石文は5世紀代の雄略天皇の頃のもの
そこから、記紀や三国史記の記述に従って遡ってるだけで
応神天皇即位の頃の金石文なんて出てないぞ
武寧王の死亡年に日本書記も三国史記も編纂されてませんが? >>954
御所市はいわゆる被差別部落の数がやたら多いのは有名だが。
住井すゑの「橋のない川」の舞台にもなったし。
何言ってるの?
よっちゃんと言ったおまえは糾弾されてしかるべきなので通報しようかとも思う。 >>955
箸墓には奴婢埋葬痕跡がないから泣いてるんだね、惨めだねw 穢れた汚いこのスレを浄化しますね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の墓が高天原にあった。
高天原最有力地・奈良県御所市高天の日本最古の神社・高天彦神社の境内に、
径百余歩(約150m)の塚があり、魏志倭人伝の記述通り奴婢が埋葬されている。
埋葬された奴婢とは土蜘蛛である。
(画像)
https://userimg.teacup.com/userimg/9218.teacup.com/easiatoron/img/bbs/0000111.jpg
https://9218.teacup.com/easiatoron/img/bbs/0000111_2M.jpg
卑弥呼(Bei mei hu)とは比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi mai hou〉、つまりヒメ后である。
I崇神(310年頃 318年没)
H開化
G孝元
F孝霊
トヨ津媛 E孝安 D孝昭
トヨ津媛 (250年頃) C懿徳
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 B安寧
ヒメ(踏鞴 五十鈴)后 A綏
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 (200年頃) @神武
ヒメ(踏鞴五十鈴)后もトヨ津媛も鴨族。
鴨の語源はカミ。
鴨族の聖地が高天原。
ヒメ(踏鞴五十鈴)后もトヨ津媛も高天原の神々であった。 >>933
>自分でわざわざ高天まで見に行ったようだしなw
それ、ブログの画像だよ?
本当なら、左側スロープ君、お前がブログで書いてる人もいるって言ったんだから
お前が出してこなきゃいけない画像だぞww
そして、画像を貼ってくれた>>892と俺は別人で、二人とも>>1ではない
それすら読み取れない左側スロープ君が、古代史の中身を読み取れるはずもないんだよなw >>929
>神武軍というのは和歌山で名草媛の体を八つ裂きにしてる連中だからね。
>ベトナム戦争での韓国軍と変わらない
反日気質の人が日本の古代史に触るのは、やめてほしいよなぁ
九州説もそうなんだけどさ
まあ、世間に受け入れられない社会布適合者が行きつく先が
カルト説だってことなんだろうけど >>899
>4世紀から6世紀の300年間の、その一定規律に従って作られた
>山稜に作られた「冢」たる大王墓を3つくらい挙げてくれるかな?
遠慮すんな。 神代の代からいけ。
「伊邪那美命」 比定 高越神社(神陵:高越山山頂)
「天照大神」 比定 天石門別矢倉比売神社(神陵)
「天日鷲命」 比定 忌部神社
「天孫三代の后:豊玉比売」 比定 城山東麓(神陵跡)
「神武の参謀:速吸の宇豆比古」 比定 宇志比古神社(神陵遥拝地:西山谷二号墳)
「第十代崇神帝の母:伊迦賀色許売命」 比定 伊加加志神社
などなど。 まだ要るか? わははははは @阿波 I崇神(310年頃 318年没)
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トヨ津媛 E孝安 D孝昭
トヨ津媛 (250年頃) C懿徳
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 B安寧
ヒメ(踏鞴 五十鈴)后 A綏靖
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 (200年頃) @神武
崇神318年没はほぼ定説なんだけど、それを認めるとトヨはトヨ津媛しかいなくなるため、
>>1は必死になって反論してます。
その>>1が言うには卑弥呼はモモソヒメであり、崇神の40歳年上の姉だそうです(スーパー大爆笑 www) >>961
>ベトナム戦争での韓国軍と変わらない
その神武軍の長が、尊い神々の女王であるヒメ后とどうして夫婦になれるんだろうね?
不思議だねぇ?
武力で圧迫でもされたの?ww >>961
>反日気質の人が日本の古代史に触るのは、やめてほしいよなぁ
>九州説もそうなんだけどさ
神武軍が名草媛を八つ裂きにしたのは事実だ、
発言者の気質がどうこう、思想がどうこうなど関係ない、ふざけるなおまえ。 >>944
記紀の話?
倭人伝と関係無い事はお互いにスレ違いと思うよ >>945
>7世紀に洞窟があったのに、3世紀にはないという理屈はない。
その理屈だと、21世紀に洞窟を掘れば、洞窟の存在は事実になって
21世紀に洞窟があったのに、3世紀にはないという理屈はないって言えるんだがww >>960
おまえ見に行ったじゃないか。
ごまかすな。 >>944
>なんでやねん
ヒント、将門塚はどこにあるでしょう? >>967
すまんが7世紀の朝廷も高天原の洞窟のことを書いてるが。
屁理屈ばかり言ってて情けないね、おまえ。 >>962
>「伊邪那美命」 比定 高越神社(神陵:高越山山頂)
それ全部、「所在が分かる大王墓だと論証された、近世の天皇陵」じゃないねww
それに「4世紀から6世紀の300年間」にあたるものが一つもない
やり直し!w
泡は、威勢がいいだけで、結局は無能w I崇神(310年頃 318年没)
H開化
G孝元
F孝霊
トヨ津媛 E孝安 D孝昭
トヨ津媛 (250年頃) C懿徳
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 B安寧
ヒメ(踏鞴 五十鈴)后 A綏靖
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 (200年頃) @神武
崇神318年没はほぼ定説なんだけど、それを認めるとトヨはトヨ津媛しかいなくなるため、
>>1は必死になって反論してます。
その>>1が言うには卑弥呼はモモソヒメであり、崇神の40歳年上の姉だそうです(スーパー大爆笑 www) >>968
>おまえ見に行ったじゃないか。
「グルコミ 蜘蛛窟」でググると出てくるぞ
グーグル画像検索でも出てくるぞ
「訪問:2020/6/11(木)」だそうだ
あと、同様の画像が、こっちにもある
https://アメブロ.jp/tepu2mamachan/entry-12013946704.html >>941
>葛城の差別問題は、福岡のような移配俘囚や姫路から連れてこられた革工人でない以上、
>大和先住民の国栖や土蜘蛛と言われた人たちがルーツである以外に考えられない。
あんまり左側スロープ君が差別差別というから、調べたよ
葛城の差別問題は、動物の死体を使う産業従事者がその元のようだ
「革工人でない以上」ではなく、革工人と同様の背景の人々なのだそうだ
「大和先住民の国栖や土蜘蛛と言われた人たちがルーツ」なんてことは、考える必要がない
『膠の文化』森田恒之
https://blhrri.org/old/info/book_guide/kiyou/ronbun/kiyou_0154-04.pdf
「生産地は世間が「(被差別)部落」と呼んできた特定地域にほぼ限定され、和膠生産は部落産業の主要なものの一つと考えられている」
「奈良県御所市で製墨用の膠を生産していたS氏の工場である。
中略
水平社の創立者の一人阪本清一郎氏もS氏と同じ地域で墨用の膠を生産していた。」
また一つ、左側スロープ君の論拠の根本が否定されたねww >>970
>すまんが7世紀の朝廷も高天原の洞窟のことを書いてるが。
どこに書いてある?
天の岩戸のことなら、何でもかんでもごちゃごちゃにするのは止めろとしか
半島の人の弁当の食べ方じゃないんだからw
天の岩戸と蜘蛛窟を同列視するなら、
卑弥呼が天照大神で土蜘蛛ってことになるぞ
デタラメ度が極点ていうのはこういうところww >>976
>天の岩戸のことなら、何でもかんでもごちゃごちゃにするのは止めろとしか
ごちゃごちゃも何も天岩戸は洞窟だが。
>卑弥呼が天照大神で土蜘蛛ってことになるぞ
神話をそのまますべて事実だとしてる馬鹿はいない。
卑弥呼を隠すのが目的なので、神武の時代・洞窟・土蜘蛛の関係を避けた。 >>975
膠の話を出してだから何?
俺が言ったのは、福岡の差別問題の成り立ちの一つが、
江戸時代に黒田藩が姫路の革工人を連れて来たと判明してるが、
御所の場合はその様な他地域から連れてこられたなどととは判明していないという意味。
ならば太古から御所にいたと仮定せざるを得ない。
奈良には仁賢天皇の頃に新羅から来た革工人の話があるが、
あれは御所ではない。
つまり御所の差別問題は、はっきりしたルーツがないうえに、
国栖や土蜘蛛の本拠であるから、彼らがルーツであろうという事だ。
分ったかね、アホ君。
と同様の背景の人々 >>974
おまえわざわざ見に行ってただろ、嘘を言うな。
気になって仕方なかったからだろ。 I崇神(310年頃 318年没)
H開化
G孝元
F孝霊
トヨ津媛 E孝安 D孝昭
トヨ津媛 (250年頃) C懿徳
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 B安寧
ヒメ(踏鞴 五十鈴)后 A綏靖
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 (200年頃) @神武
崇神318年没はほぼ定説なんだけど、それを認めるとトヨはトヨ津媛しかいなくなるため、
>>1は必死になって反論してます。
その>>1が言うには卑弥呼はモモソヒメであり、崇神の40歳年上の姉だそうです(スーパー大爆笑 www) >>971
>それ全部、「所在が分かる大王墓だと論証された、近世の天皇陵」じゃないねww
あほ! 当たり前だろうがよ。
だから、所在が分かる、大王墓だと論証されたのは、奈良遷都後の文武天皇以下歴代天皇陵 だと何度言えばw @阿波、
>それに「4世紀から6世紀の300年間」にあたるものが一つもない
ほらよ。
「埴安比売の御子:建埴安王」 比定 羽浦神社に合祀 元鎮座地は能路山(古墳跡)
「日本武尊」 比定 白鳥神社(神陵跡)
「日本武尊の妃:建比売か」 比定 建比売神社
「景行帝の妃:美波迦斯姫か」 比定 津峰神社
「事代主命」 比定 阿波市事代主神社
「推古天皇」 比定 岡上神社(神陵跡)
「皇極天皇」 比定 速雨神社(雨乞神事) @阿波 文献と擦り合わせて今城塚を継体墓とする。
これは理解できる。
ならば同じく文献と擦り合わせて行灯山を崇神とするのが普通。
なぜなら「山辺道上」「山邊道勾岡上」は渋谷向山と行灯山の二つしかなく、
被葬者たる大王は景行と崇神の2人しかいないのなら、崇神は古い方の墓となるからだ。
>>1のドアホはそれを認めると、崇神から数十年前のトヨがトヨ津媛しかいないので葛城説を認めざるを得なくなるから、
必死で抵抗してるのだ、惨めな奴wwww 魏志に熊、鹿、日本狼らしき
記禄がない。
日本狼とかどの位いたのか? >>978
膠の生産は岩崎村(柏原)だから
何も無い高天彦神社前の洞窟(未確認)は関係ないじゃねえか 新スレ立てました。
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1631259627/l50
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
注意*本スレが終了してから書き込んでください。
なお、書き込みは
邪馬台国畿内説に関係が有って
根拠のある内容をお願いします。
畿内説以外の独自説を単独で開陳することはご遠慮ください。
本スレ終了以前の書き込みは荒らし行為と看做させて頂きます。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ >>971
所在が分かる大王墓だと論証された、近世の天皇陵で、
平地のくそ最悪最底辺地ズボズボ沼地に盛り土した古墳など一切存在しない。
よって、平地のくそ最悪最底辺地ズボズボ沼地に盛り土した「前方後円墳」は、大王の陵墓では有り得ない。 @阿波 >比定された地域で出土された鉄鏃が乏しい
碌な鍛冶炉遺構もないくせに、「鉄鏃が乏しい」だと? 間抜けなこと言う前に、顔でも洗ってこい、カス! @阿波 >>944
祥という文字はめでたいことの兆しという意味
そのケースで「発祥」を使うのは間違い >>982
>だから、所在が分かる、大王墓だと論証されたのは、奈良遷都後の文武天皇以下歴代天皇陵 だと何度言えばw @阿波、
それ、古墳じゃないよな 記紀編纂した奴らは
三国志呼んで「ん? 邪馬台国? 卑弥呼? 女王国?」と思って
神功皇后のところでチラ載せしてる程度にとどめてる
が、明らかに、わかってないことは事実だな
「邪馬台国はヤマト王権のこととして、九州の方の話? 女の王?」
で無理やりピースを埋めてる
手元にある記録からは
欠史八代の実績はともかく、系譜からも読み取れなかった
少なくとも畿内で起こった話ではない
と解釈してる >>983
>文献と擦り合わせて今城塚を継体墓とする。
>これは理解できる。
>ならば同じく文献と擦り合わせて行灯山を崇神とするのが普通。
まあ通説だから、これまで放置していたけれど、江戸時代の山陵志の治定の時点から、そこまで根拠がある訳ではない
崇神陵は古事記では山邊道勾之岡上、日本書紀では山邊道上
で、問題なのは、山の辺の道が渋谷向山古墳、行燈山古墳の両方よりも山側を通っていること
この両墳のどちらかにすると、どちらであっても山野辺の道の下になる
で、山野辺の道の上にあって古墳時代最初期の大古墳というと、該当は一つだけになって、それが西殿塚古墳になる
箸墓と西殿塚古墳を、卑弥呼と崇神のヒメヒコの陵墓とする人は、在野の人では案外多い
https://i.imgur.com/0ucVA65.jpg
大王墓の造営順も
1 箸墓古墳
2 西殿塚古墳
3 外山茶臼山古墳
4 メスリ山古墳
5 行燈山古墳
6 渋谷向山古墳
だしね >>990
>それ、古墳じゃないよな
その通り! 平地のくそ最悪最底辺地ズボズボ沼地に盛り土した「前方後円墳」じゃない。 @阿波 もう一つ、西殿塚古墳が崇神陵であるという傍証があって、
それが継体天皇皇后の手白香皇女の墓の記録
記紀には手白香皇女の墓の記事はないのだけど、
延喜式 卷第廿一 諸陵寮に
衾田墓。【手白香皇女。在大和國山邊郡,兆域東西二町,南北二町。無守戶,令山邊道匂岡上陵戶兼守。】
とある
現在は、この手白香皇后陵に西殿塚古墳が当てられ、宮内庁治定では
手白香皇女衾田陵とされているけれど、これは3世紀の墓で6世紀の
手白香皇后陵としては古すぎる
実は、大倭古墳群の中の比較的大きな古墳の中で唯一6世紀造営なのが
西山塚古墳で考古学的にはこれが手白香皇后の真陵だと考えられている
西山塚古墳は、西殿塚古墳のすぐ近くにある
https://i.imgur.com/QttO5XK.jpg
先の諸陵寮衾田墓の記述に
「無守戶,令山邊道匂岡上陵戶兼守
守戸なし、山邊道匂岡上陵の陵戸に兼守せしむ」とあるが、
山邊道匂岡上陵=崇神陵が行燈山古墳では西山塚古墳から遠すぎて
陵戸は兼守できない
山邊道匂岡上陵が西殿塚古墳なら、この記述には何の無理もないことになる
ということで、崇神陵は西殿塚古墳を推す人が結構多いんだよ
そして、崇神陵が西殿塚古墳なら、崇神の崩年は確実に3世紀内になる
左側スロープ君、残念でしたw >>995
まあ行燈山も布留1中期ということで3世紀に入る可能性発狂アリ >>978
>つまり御所の差別問題は、はっきりしたルーツがないうえに、
>国栖や土蜘蛛の本拠であるから、彼らがルーツであろうという事だ。
差別問題は、江戸時代くらいからなんだよ
もともとそんなに淵源が古くない
今ではもう差別用語化して使えない江戸時代の差別の対象は
「穢れが多い」という呼称だった
前にも出た、死穢だよ
革工人もそうだけれど動物の死体を扱う職は穢れ扱いで差別の対象だった訳だ
で、その動物の死体産業を誰が担うかというところで、江戸時代にはもう国栖も土蜘蛛もいない
江戸時代の動物の死体産業と、歴史時代に入る前の伝承を結びつけるのが頭が悪すぎッて話
天の岩戸と、蜘蛛窟を、高天原にある洞窟だからと同列に並べるのも、頭の配線のおかしい人ならではの同一視なのだろう >>990
>それ、古墳じゃないよな
その通り! 平地のくそ最悪最底辺地ズボズボ沼地に盛り土した「前方後円墳」じゃない。 @阿波 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。