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【祿壽應穩】伊勢早雲庵宗瑞 part02【針積玉碎】

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0001日本@名無史さん
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2021/09/10(金) 22:52:59.35
伊勢盛時 (康正二[1456]〜永正十六[1519])
仮名:新九郎 入道名:早雲庵宗瑞
戦国時代の武将、政治家。京都出身。
後の小田原北條五代の始祖。
幕府中央実務官僚であったが幕命を帯びて駿河下向、今川氏の内訌に軍事介入して鎮定。
一旦帰京したが伊豆堀越公方の内紛に際して再下向、幕府、今川氏、扇谷上杉氏等の指示と支援を受けて伊豆國に侵攻。
ここまでの経緯と功績により今川家重臣となる。
以後数年の伊豆制圧戦を経て事実上の伊豆國主、戦国大名の立場を確立する。
但しこの間も今川家の軍事指揮官としての活動は継続。
関東の情勢を受けて扇谷との同盟のもと相模國西郡を制圧。
後に扇谷及びその配下三浦氏と諸権益の対立を生じて開戦、長期にわたる戦争の結果相模國全域及び武蔵國の一部を支配するに至る。
最晩年には上総真里谷武田氏からの支援要請を容れて房総にも侵攻。

伊豆侵攻後から室町型秩序を排して領国直轄統治の展開に努め、相模國進出後は検地等を通じて公正、合理的な税制の確立に尽力。
更に相模國完全制圧と前後して関東一円を襲った壊滅的飢饉状況の中、村の賦役の法的根拠を全て所謂「虎ノ印判」状のみとする制度改革を実施。
これは諸々の中間搾取を排除して飢饉下に在る村の負担を軽減するものであり、村から大名権力体への直接訴訟制度「目安制」の創出と併せて後世の北條善政伝説の核事実となったと考えられる。

箱根湯本、金湯山早雲寺に永眠。
戒名:早雲寺殿天岳宗瑞公大禅定門
0002日本@名無史さん
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2021/09/10(金) 22:54:14.33
【祿壽應穩】
祿(財産)と壽(生命)は應[まさ]に穩やかなるべし
(「虎ノ印判」文言)

【針積玉碎】
伊勢早雲は針をも藏に可積程の蓄仕仁に候つる雖然武者邊につかふ事は玉をも碎きつべふ見へたる仁にて候由宗長物語候事
(「朝倉宗滴話記」より)
0004日本@名無史さん
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2021/09/11(土) 02:36:32.37
伊勢宗瑞と自然災害との関わりに注目している。

所謂「百姓憐愍」伝説の元ネタとなったであろう行政改革が壊滅的飢饉への対応から始まったのと同様、
伊豆制圧戦争の決着は明応七年大地震(M8.2〜M8.4)及びこれに因る大津波、更にその三日後に襲来した大型台風と、
小田原城奪取は明応九年相模湾地震と、
それぞれ分かち難く結合している。
むしろ自然の不可抗的脅威あってこその伊勢宗瑞、とさえ見える。

明確な史料は残っていないものの、
阪神淡路大震災、中越地震、東日本大震災等が現代科学技術文明にさえ激烈なインパクトを与えた事実に鑑みれば
中世社会にとって上記の災害が激烈な衝撃だったことは想像に難くない。

気候変動と地殻変動の中世に在った「戦国大名」をこういう視座から眺め始めると思考のパラダイムが根本から覆っていく。
ありがちな講談的人物論中心の英雄史観には我々素人もそろそろ訣別する時が来ている。
0006日本@名無史さん
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2021/09/13(月) 21:14:13.18
伊豆って幕末でも九万石くらいだよね?
武蔵は百万石以上はあったろう
そう考えると伊豆から出るしかないよね
0007日本@名無史さん
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2021/09/13(月) 22:08:06.11
>>6
それなのに、なのか、だからこそ、なのか、
何故か伊豆が関東の、日本の導火線になった歴史事例が幾つもあるのは面白い。

もっとも伊勢宗瑞の小田原事案は扇谷から「伊豆で貸した分を返せや」と要求されたってのが真相に近いようだが。
0008日本@名無史さん
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2021/09/14(火) 20:04:05.55
伊豆一国で幕末時点で八万石ちょいだろ
しかも畑や漁業からの年貢も含んで
天城辺りを中心として幕末御用林が多いのは後北条氏時代からの遺制かもな
0009日本@名無史さん
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2021/09/14(火) 21:20:46.84
天城と云えば山葵。
山葵と云えば奥多摩。
両方とも北條直轄領でもあり徳川直轄領でもあり。
しかし山葵の栽培は江戸時代から。
徳川将軍家は賞味できたろうが北條屋形は間に合わなかったか。
残念。
0010日本@名無史さん
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2021/09/14(火) 21:21:56.11
>>8
北條は伊豆の林業に関してもまた例によって詳し過ぎる行政文書が残ってるな。
農林漁商工業、みんなその調子だから狸が北條の民政を丸呑みするわけだ。
新制度を拵えるよりうんと楽だし確実だもんなあ。
0011日本@名無史さん
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2021/09/15(水) 06:01:24.38
>>10
後北条が山奉行を置いて支配した天城一帯の御林→幕府の御林→現在の国有林と今も続いている
0012日本@名無史さん
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2021/09/16(木) 00:46:45.53
北條の被官・給人に対する軍役賦課はもちろん貫高に応じて定められていたわけだが、
平山優の研究から読み解くと貫高に対して単純な比例関係にあるんじゃなくて正偏向の非線形(高禄の者ほど重い)、即ち累進式になってたようだ。

これ、ひょっとして、小泉改革以後の日本国の税制より「民主的」なんじゃねえか…。
0013日本@名無史さん
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2021/09/16(木) 08:40:24.48
>>12
宮城美作守などの軍役を見ると、貫高に比べ明らかに多いよな
特に馬上と弓鉄砲が多い
0014日本@名無史さん
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2021/09/16(木) 20:08:41.45
伊豆って不思議な国だな
遠流の地とされた伊豆から、流人の頼朝が旗挙げし北条氏をはじめ河津、曽我、宇佐美、土肥、伊東、工藤、加藤らは全国に所領を得た
伊豆から関東、やがては全国に・・の歴史
0015日本@名無史さん
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2021/09/16(木) 20:35:38.13
>>7
いや尾張や三河のほうが多いいよ。

近代史の人材輩出は薩摩、長州だけどな。
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