なんで昔の人天皇をかみだとおもってたんや?
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後醍醐天皇とか島流しされてんのやから普通神とは思わんやろ しかし、確認可能な明治天皇以降の天皇陛下達は、親子であっても顔が全然似てないように写ルンですけど、どういった理由がありますかね?
皇族の血に民間の血が入ると、そうなっちゃうのかな?
それと、現人神否定は、どう思います? >>52
明治天皇の顔写真って本当に見たか?
これ↓とか嘘だからな
https://i.imgur.com/8cWveGK.jpg
イタリア人画家に描かせた肖像画を更に写真に撮って、肖像写真に見せかけただけ
当然かなり美化入ってる キヨソネは多少誇張した風に描く、癖なのか依頼者の頼みなのかは不明
目元なんかそうなんでね、と思うと西郷のあの目も誇張してるかもしれん、参考にした弟は確かにああいう風だが
あと斉彬もふっくらと描いているが写真見るとぼやけてはいるがキリッとしたあご 天皇に白髪はいるが禿はいない。また天皇に金髪と茶髪もいないようだな。 絵や写真撮るには天皇でも少しはおめかしはしよう。
だから見目はいささかよくなってておかしくない。
ただ日本人が画いたならひいきで誇張が多かろうが、第三者的外人が画いたと
なるとひいき誇張はそんなになかろう。
この世は力の世界で力の強いものが勝つのが現実だ。
とくに中国人はそういう力の世界を信念にしていると思う。
だから現中国は力づくで現状変更をしようとやって来るのは、力の強いものが
この世を支配するという強力な思い込みからだ。
だが創造主はそれを知ってて特に動物の世界を弱肉強食で放置のままに
感じるが、天帝は真は美が好きなのだ。次には特性ある個体が好むのだ。
要するに珍品を天は好む。また中国人は不潔が多いと思うが、天帝は清潔好きだ。
明治天皇は2000〜3000年に一度の天帝の創造した生命体たる人間であって、
禿だとか毛沢東的人物では天皇にはなれない。
明治天皇はそういう特性の魂であって、あの肖像はめかしてはいるだろうが
噓は少ないぜ。
天皇は萬世一系なのである。 これが自国の日本人なら天皇を誇張することはある。
先代旧事本紀大成経の天皇の容姿の記述を見るに、えらく超大柄でありえ
ないほど誇張して記載されてると思った。だから確かに天皇への噓がある。
中国女帝の某絵を博物館で見たことがあるが、女帝のみ2,3回り巨大に画いて
誇張してたのがある。中国人も自国の皇帝女帝を誇張するのはやはりあると
見て確かだ。
明治天皇は身長確か167cmだったか、情報を知ったことがあるが、いまなら写真
とかでウソはバレるし、可能性はこのへんの時代じゃあ少ない。
今上天皇も160cmというから誇張はない。雅子さんまのほうが少し高いの
だろう。外人の人間の肖像画を多々見て来たが、明治天皇のような感じの
外人の画いた肖像画などでいままでああいう感じのを見たことがない。
ということは、明治天皇の肖像画はめかしはろうがウソとはいえない。
億の人間集まってもああいう容姿はいたためしがない。
これは殆ど本ものと観ていい。あれはウソではないよ。
天皇は一般人と格が違うのだ。 昔は神仏とか極楽浄土とかを信じていたんだから、神に近い人間がいても不思議ではない
「神仏に祈る」ことが重要視されていたから、祈ることができる人は尊敬された 天皇のことを周囲が神だと思ってたわけではなく
天武天皇辺りが「自分は神だ!」と自称したんだけどな
周囲は人間じゃないかと思っていたが
なぜか明治時代になってから再び神になった(戦後人間宣言)
>>61
天皇は祭祀を行う人(僧侶や神官)であって
天皇がお祭りしている天照大神とは別だからな 「大君は神にし坐せば」という和歌もあったし、廷臣が天皇の神性を寿ぐことはあったのでは?
もちろん、天皇は人間の肉体を持っているので、人間であることは周囲の人たちはわかって
いたが、祭祀・儀式・文学などによって、神のような雰囲気は作られていたと思われる 遠くの彼女よりも近くのオンナじゃないがね、あ〜そういう感じな方々(天子)が居てなレベル
でも自分らは基本地元の氏神様なんだよねと
遠くのビル・ゲイツやジェフ・ベゾフよりも地元の社長なw 天皇を神だと思ってるのは今の人だけ
昔の日本人は天皇なんて知らなかった
新聞もテレビもラジオもない時代に
天皇なんて知りようがない
そもそも天皇が日本に来て
日本の原住民固有の文字と言葉と文化を消滅させられた
天皇を近くで天皇を知りうる日本人がいたとして、
そこからその情報が伝わるのは、せいぜい4km んなこと無い、少なくとも江戸期には一般に浸透していたけどな、天子様だけれど >要するに珍品を天は好む
漢書王莽伝
「元始5年(A.D.5年)、東夷の王國珍を奉ず」
東夷の王 >要するに珍品を天は好む
漢書王莽伝
「元始5年(A.D.5年)、東夷の王 國珍を奉ず」
東夷の王とは神武である。そしてA.D.57年金印の側面に「常根津日子命」の名
があることから、双方の年代に不合理はみられない。
命は安寧の皇子だから、年代が整合している。 三国志東夷伝倭人の条通称魏志倭人伝の記述によれば
3世紀の倭人は顔中体中真っ赤な入れ墨だらけ
ところが日本書紀・古事記では入れ墨族は
「天孫族」とやらにひたすら殺戮されていくウホウホ蛮族扱い
「天孫族」と入れ墨族のハーフのイワレヒコが
入れ墨族の小邑を配下にしたという記述はあるが
イワレヒコの配下の入れ墨族もやっぱり他の入れ墨族を殺戮していく 九州の国生みでは四面全部に『別』の字をつけて半島大陸と別もの
だとはっきり古事記に記述がある。
筑紫國 白日別
豐國 豐日別
肥國 建日向日豐久士比泥別
熊曾國 建日別
日本は大陸半島とは『別』ものの国なのだ。
神国日本は全世界の別格の国である。
黄金の国神国日本と半島の世界第参位の人参民族とは同等ではない。
半島は参位の銅メダル国家であって、黄金の国ジパングの金メダル国家
とは完全に別ものなのだ。それゆえ神国日本は萬邦無比の國體を誇るのである。
半島は銅級国家だからあのブスの銅像を各地に設置して銅だと
自認してるのさ。w
金メダル国家がこの神州であるからして、天意は日本に邪馬1国の
世界第1位の国家を置いてるのである。
したがって太古の日本人が半島から来たのではない。こちらの神国日本が半島の
ご本家だ。ご本家だから日本の国号に『本』の字がつくのだ。
神武はハーフではない。日猶同祖論も成立しない。 そもそも天皇が、この列島の者なら
百済由来の厳格な身分制度なんか持ち込まないわけだが
武士は農民=日本人を強姦しようが首を切り落とそうが自由だった
(「農民を理由なく切るな」としたのは徳川だ)
そこまでの身分差は、同じ日本人とは到底考えられないわけで 「平家物語」とか「太平記」が芸能や教育を通じて流布していたので、皇室の存在を
知る機会はあった。また、自分の家が「源氏」「平氏」などと称して家柄を誇るのは、
皇室の流れを引くものだからだ。
近代以前は誰も皇室の存在を知らなかったというのは間違い。 日本書紀とか古事記って一般人が安く手に入れることができたのか?
寺子屋とかで読んでいたの? 寺子屋の教材に使われていたのは太平記
百人一首が使われることもあった 天皇系列は中国北部を拠点にしていた張系列
張系列は天神(太陽神)を崇拝した道教(太平道など)の開祖
即ち中国神話の創造者であり、日本神話のモデルでもある
神道の起源は天道であり、道教の一種とも言える 四世紀辺りの道教が「扶桑大帝東王公の天皇は東方僻地の島に住む太陽王」と崇めたから。その前は神仙思想つくった山東半島が天皇を崇めてた。 三国志東夷伝倭人の条通称魏志倭人伝の記述によれば
3世紀の倭人は顔中体中真っ赤な入れ墨だらけ
ところが日本書紀・古事記では入れ墨族は
「天孫族」とやらにひたすら殺戮されていくウホウホ蛮族扱い
「天孫族」と入れ墨族のハーフのイワレヒコが
入れ墨族の小邑を配下にしたという記述はあるが
イワレヒコの配下の入れ墨族もやっぱり他の入れ墨族を殺戮していく 九州の国生みでは四面全部に『別』の字をつけて半島大陸と別もの
だとはっきり古事記に記述がある。
筑紫國 白日別
豐國 豐日別
肥國 建日向日豐久士比泥別
熊曾國 建日別
日本は大陸半島とは『別』ものの国なのだ。
神国日本は全世界の別格の国である。
黄金の国神国日本と半島の世界第参位の人参民族とは同等ではない。
半島は参位の銅メダル国家であって、黄金の国ジパングの金メダル国家
とは完全に別ものなのだ。それゆえ神国日本は萬邦無比の國體を誇るのである。
半島は銅級国家だからあのブスの銅像を各地に設置して銅だと
自認してるのさ。w
金メダル国家がこの神州であるからして、天意は日本に邪馬1国の
世界第1位の国家を置いてるのである。
したがって太古の日本人が半島から来たのではない。こちらの神国日本が半島の
ご本家だ。ご本家だから日本の国号に『本』の字がつくのだ。
半島人は銅、土台人というときは4位以下の上位3名を載せるその下の表彰台。
黄金は天皇で黄銅と黄金とは別の近族。ハーフは天皇にはなれない。
タトーは外国行きの人民。だから五輪でも醜怪なタトーは外国勢ばかり。
外国の『外』はタトーのタとト。
天皇は萬世一系である。そして全世界の統帥権は大元帥陛下にある。 それが顕宗天皇・仁賢天皇のお話じゃないのか。
とんでもない仇だけど墓は壊せないっていう。 日本神話読んでて気付いたんだけど
天孫降臨で九州に降りた後、東に勢力拡大してくってどう考えても朝鮮半島から来た侵略者だよな?
https://i.imgur.com/JJq8GAE.jpg 昔ってどの段階だよ
だいたいネットが一般的になる前の日本も大して変わらんかったぞ
ゆとり以後は知らんだろうが 昔の人は天皇なんて知らなかった
日本人が天皇を知ったのは明治から 平家物語や太平記に接していた人は天皇の存在を知っていた
地方の名門武士が天皇の子孫である(自称含む)ことも知っていた そういう人が人口の何%いたんだよ?って話だわな
実際に明治維新のときには下のような告諭を出さないと「天子さま」がなんだかわからかったというのが実情で
此日本ト云ウ御国ニハ、天照皇太神宮様カラ御継ギ遊バサレタ所ノ天子サマト云ウガゴザッテ、是ガ昔カラチットモ変ワッタコトノ無イ此日本国ノ御主人様ジャ。所ガ七八百年モ昔カラ乱世ガ続イテ……北条ジャ、足利ジャト云ウ人ガ出テ来テ、此日本中ヲヤクタイニ(益体)シタガ、終(しまい)ニハ天子サマ御支配遊バサレタ所ヲ皆奪イテ己ガ物ニシタデアルナレドモ、天子サマト云モノハ、色々御難渋遊バサレナガラ、今日マデ御血統ガ絶ズ、ドコマデモ違イ無キ御事ジャ。何ト恐レ入ッタ事ジャナイカ(原文のまま) 武士や富農のような教育を受けることのできる階層は皇室や朝廷の存在を知っていたでしょう
庶民でも芸能を通じて皇室を知る機会はありました
義務教育がなかった時代にこれだけ普及していれば御の字です 87の文は九州鎮撫総督の諭書(慶応4年)だと思うが、こういう告諭は、天皇の存在を全く知らない人
だけを対象とするのではなく、ある程度知っている人に対しても、改めて天皇の由来・価値を
教宣し、「だから、天子様の新政府に従わなければならないのだぞ」という宣布になっている。
むしろ、ある程度天皇の存在が知られていたからこそ天皇について教宣することに効果があった
と考えたほうがよい。 昔から天皇の存在は知られてましたよ
何のための神社ですか?
神社の機能を使い全国津々浦々の社を使い祭りや集会などで指示や情報を
伝えていました。
神祇官の下に1級2級の神社がぶら下がっています。
最近の教科書には神祇官の下が書いてありませんね(笑) >>90
江戸時代は一般農民は神社の事なんて詳しく知らなかっただろ。
一般農民は識字率もそんなに高くなかったんだし。
当時はあくまで神仏習合と寺請制度の時代だから、地元の坊さんに
指示されるままに神社を維持してただけ。 「佛さまも神さまもどちらもありがたいものだから、大事にしないとバチ当たるで」くらいの観念はあったんだろう。
ただ経文を読める知識人と、無文字時代以来の信仰を共同体の記憶として保持してきた文盲階級では、神仏習合への捉え方も違っていたかもしれない。
読書人にとっては「仏の教えを受け入れたなら土着の神々も崇敬してもいい」
文盲階級にとっては「土着の神々が受け入れなさるくらいだから、ホトケってのはさぞ神徳のある神様なんだろうな」
あと、今の我々が知る神社の祭神とか縁起って、江戸時代に国学イデオロギー重視ででっち上げたものも多いしな。
国学者「御祭神は山の神で女神?なら木花咲耶姫尊じゃな」てな具合で。 全国津々浦々にあるのは大麻販売所
それで儲けた人が次々に大麻販売所を建てていった
大麻販売所の前には玉砂利が敷いてあって
そこでラリった男女が乱交をする
しかし戦後になって覚せい剤で儲けたい政府筋の者が大麻を禁止したので
大麻販売所は店の前に箱を置いて、大麻はないけど金だけ箱に入れろや
と言う神社に変身
そもそも祈るだけの神社を金を出して全国に建てるバカはいない >>92
完全な文盲の人もいただろうが、寺子屋も普及しており、ある程度の読み書きのできる庶民層もいた
語り物や芝居などの芸能に親しむ人もいた
その中で皇室や貴族の存在を知る人もいたと思われる
庶民のすべてが文盲ではなく、階層に分かれていて、教養のある人もいたのが近代に入る前の
日本社会の特徴では? >>1
後醍醐天皇?高校日本史授業を居眠りしていた輩か?
何故こんな歴史観に無知蒙昧な輩が学問板に
出入りして且つスレ立てしているんだよ?
天皇を「現人神」と言い出したのは近代明治時代以後だよ 社長や会長に近い認識やろ、だが下っ端からすればそういう人らよりも直属の上司のが恐れ多いw
というのが事実 >>96
奈良朝貴族柿本人麻呂が詠んだ一連の「大君は神にし坐せば・・・」
和歌で賛美された大君=天武天皇のことか?
これは廷臣貴族の空想であって当時の民衆一般の思いではない。
その証左に神代の大王を除き神社の御祭神に祀られた人代天皇は
近代の明治天皇まで存在しない。 さっき松岡修造が高速道路をハンドルだけ持って走ってた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています