邪馬台国は出雲に滅ぼされた
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魏志倭人伝が書かれた時点では邪馬台国=出雲だったのでは。 >>62
中臣鎌足は、中臣馬飼の養子に入った人で、元々は鹿島地方の国造に近い豪族
両親ともに神八井耳の子孫
不比等は中臣家の血を引いてない 中臣鎌足の出自や経歴も不比等が偽造した。
日本書紀や古事記に書かれていることは嘘だらけ 架空の天皇を捏造し、架空の神武東征を作り上げた。
実在した邪馬台国の存在は抹消 確かにそうなんでしょうね
行間を読むことを拒否した場合は 申し訳御座いません。保存のための転写です。
>>991
>不彌國の次に来るのは斯馬國だよ
奴国、不彌國、斯馬國・・・奴国
周旋5000里なんだ
これも間違い。
周旋5000里は、「參問倭地,絕在海中洲島之上,或絕或連」と書かれているように、
倭地の陸路部分の参問地の記載里数合計であり、
400余×2+302=2+500+100+(4000余ー1000余)=5000余(里)、
とぴったり計算が合うから。
つまり、對海國と一大國は二辺の海岸沿いを陸行している事になり、
奴國へは、伊都國からの移動の文言がないから移動しておらず、側副傍線國説明になっている、
という事とも一致している。 >>69
いや周旋五千里ってのは
対馬国から女王国まで4000里
その東千里にまた国ありこれも倭種だから倭地に含まれる
合計して五千里 魏志倭人伝の著者はもちろん真面目に書いているんでしょうけど所詮は又聞きですから・・。 邪馬台国は日本の歴史から抹殺された。
それは勝ち残って日本書紀や古事記を編纂した連中に都合が悪い存在だったから 邪馬台国や卑弥呼を歴史から消したと思ってたら、中国の史書に邪馬台国と卑弥呼が載っていたのが悪者の誤算 >>71
又聞きかどうかは知らんが
少なくとも陳寿の頭の中では辻褄あってるよ 台与が卑弥呼の宗女だったかどうかが問題。
豊といえば豊受大神、神功皇后、推古天皇、聖徳太子等いずれも出雲系の人物。 このスレは振り出しに戻りました
しかし13才の女の子がいきなり玉座に座らされて大変だったろうと・・ 13歳♀は子作りもできる立派な大人
50年くらいたてば婆さんになる 出雲大社は八世紀初頭、記紀神話に基づき創建された
つまり出雲神話と言われてるものは大和朝廷が制作したもので、弱小国だった出雲側もそれを積極的に受け入れ自己の権威を高めようとし、朝廷の意向を受けて出雲大社が創建されたということだ
だから「強大な勢力を持った出雲が大和に滅ぼされ神話を乗っ取られた」という説は全く成り立たない
出雲は初めから忠実に大和朝廷の神話をを補完する存在だったに過ぎない
勿論出雲神話(正確には出雲が舞台となってる神話)と弥生時代の遺跡も何の関係もない 加羅の王子が崇神天皇に会うために帰化したとき、長門国の王が「自分以外他に王はいないから、他の所に行ってはいけない」と言ったのは示唆的かも(倒語)
日本書紀に、北九州のことは最初はほぼスルーだから、逆に何かあったように見える。 邪馬台国=ヤマト国。
出雲国譲りがあったのは、約2000年前ぐらいでは?
紀元前1世紀から紀元後1世紀ぐらいにかけて。
卑弥呼の置いた紀元後3世紀よりも、ずっと前に出雲気に譲りが起こった。 いや奈良時代の直前でしょ
三輪大社が奈良時代まで存続していることや
大物主が「日本國の三諸山に住みたい」と直接話法で語っていることからも。
(日本国の名称はAD640年以降) 卑弥呼の正体は、ヤマトトトヒモモソ姫命。
崇神天皇の父方の大叔母である。
孝霊天皇の皇女にもあたる。 >>81
そうだね
反日出雲マンセーパヨクは弥生時代から繁栄を極めた出雲の歴史が大和によって消された抹殺されたと叫ぶが、弥生時代最先進国だった北九州が日本神話でスルーされてる方が不思然なんだよな
要は弥生時代の痕跡は日本神話に少ないってことなんだがその時点で反日出雲マンセーパヨクの主張が出鱈目ということがよくわかる
奴等にできる事と言えば金印はねつ造ダーって言って北九州にマウント取るコトくらいw
だから出雲が大和と張り合うくらい強かった時代なんてどこにも存在しないっての
大和朝廷によってたまたま神話の舞台に選ばれた場所、それ以上でもそれ以下でも無い
それ以上のことを日本神話から読み取ろうとするのは空想でしかない 出雲の国譲りは酷い話
しつこく侵略を受けた結果、事代主(たぶん最後の大国主)は船から身を投げて死んだ
しかし大和政権は常に祟りを恐れていた 出雲は、北九州の鉄の独占に風穴を開ける反対勢力の最初の首領だったろう
草薙剣を高天原に献上したように、鉄を日本各地に少量ずつ流した
ヤマト建国にはむしろ出雲も関わっていただろう
立地として、瀬戸内や東海、関東とも連絡が取りやすく、攻められにくいのが大和 出雲大社は出雲の祟りを鎮めるための施設。
菅原道真の祟りを鎮めるために太宰府天満宮や北野天満宮をつくったのと同じ
出雲は大和王権により不本意に侵略占領された >>84
>卑弥呼の正体は、ヤマトトトヒモモソ姫命。
時代が違う。
実際には4世紀前半の崇神と同時代か、ほんの少し上の世代。
箸墓を卑弥呼(=モモソ媛)墓としたのであろうが殉葬痕跡もなし。
また箸墓被葬者は4世紀前後の埋葬。
箸墓は卑弥呼の墓ではない。
>>1
>魏志倭人伝が書かれた時点では邪馬台国=出雲だったのでは。
大和にあった出雲系王権こそが邪馬台国。
I崇神(310年頃 318年没)
H開化
G孝元
F孝霊
トヨ津媛 E孝安 D孝昭
トヨ津媛 (250年頃) C懿徳
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 B安寧
ヒメ(踏鞴 五十鈴)后 A綏靖
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 (200年頃) @神武
踏鞴は出雲の象徴。
ただし卑弥呼の時代に蹈鞴製鉄はないので後世に付けられたのであろう。
なぜ踏鞴や五十鈴付けたのかと言えば、
付けなければ卑弥呼だとばれてしまうからだ。
ばれてしまえば、
神武をBC660年などど時代を大きくずらしてまで卑弥呼を隠した意味がなくなる。 檀石槐連盟(鮮卑)から分派した北魏と邪馬臺国連合(倭)から分派した日本は魂で繋がった兄弟 神功皇后の三韓征伐で魏志のことが言及されてるのは、一応知ってっるよ(ちょっと関係してるけどね)程度なんじゃないか
時代的に合わないことは重々知ってて書いてるだろう。
201年にはまだ百済や新羅はないこと、楽浪郡・帯方郡が支配してて軍を送るなんてありえないこと、史書を色々読んでる8世紀の人達は知っているはず。
あえて書いた意味がなぞだが。 250年に魏が侵攻してきたからその時代は半島南部は魏が征服したはずなんやがな
魏が撤退だのしたそのあとから日本が兵を送ってるんだからよ
その時代なんだよ百済だの新羅の王家が現れるのはな 神功皇后は、120年足すのがいい。
帯方郡の崩壊が313年だから、治安が乱れて出て行かざるをなくなったんだろう。
畿内勢が半島に軍を送った最初かな。 日本人(特に左翼系知識人)は出雲系神話を安易に史実と結びつけたがる傾向があるがもっと慎重であるべきだ
そのような読み方が許されるなら天皇家のルーツは日向で隼人と同族だったという説も受け入れるべきだということになる
神武の東征は史実では無いと顔を真っ赤にしながら叫ぶのに出雲神話からは安易に史実を読み取ろうとする(出雲の異質で強大な王権が大和に不当に抹殺された云々)のは反日史観によるダブスタでしかない 隼人と同根というのはわざと書いてるでしょ、蝦夷だって憎めない存在で
かつ、色んな混血もわざと書いている
黥面の女性とも結婚するが、後に罪人や特殊な部に黥面をするというのも意味深だが 神武東征は、諸国の連合を作るまでの過程で、最後に畿内で内紛があった程度だろう イザナギ、イザナミの長男なのに不具の子であったために海に流されたヒルコ
怨念を抱きながら海に沈んでいった事代主
鯛を抱えてニコニコしている恵比寿神は最強の祟り神だったんですね 邪馬台国は滅びていない。
邪馬台国の後継者である継体天皇がヤマト地方勢力を征服し統一した 出雲は、「狗奴国」(長国)。
「邪馬臺国」は、粟国。
「魏志倭人伝」時代の倭国は、せいぜい「邪馬臺国」+「狗奴国」+讃岐+南部淡路島 程度だろう。 @阿波 伊都国の王は代々邪馬台国に属してたんだから九州も含んでる
てか邪馬台国はヤマト国でかなり広域な連合国家だろう 「邪馬臺国」は、大河「吉野川」流域に展開する集落国群。
「狗奴国」は、黒潮太平洋岸に展開する集落国群。 @阿波 >>104
継体天皇は邪馬台国の後継では断じてないです 伊都国に王が居て狗奴国に王が居てそれ以外にも王は居るだろう
それら王たちが選ぶのが邪馬台国の王 >>109
「邪馬臺国」の王を共立したのは、大河「吉野川」流域に展開する集落国群。 @阿波 >>109
その共立された「卑彌呼」が統治する鮎喰川下流域集落群(女王国)が、「邪馬臺国」の事実上の首都。 @阿波 >>110
そんなんじゃ九州まで勢力を延ばせない
伊都国をおさえなきゃいけないのにどうするんだよ >>112
伊都国は、倭国(阿波)王権による出先機関(出入国管理局)。 @阿波 >>113
そんなんじゃ他の九州勢力に倒されるだろ >>114
九州は、「倭人(阿波勢力)」の筑紫忌部によって統治されている。 @阿波 >>116
お前が忌部一族を知らないだけ。 @阿波 >>109
公式な倭王は卑弥呼ただ一人
狗奴国の王は卑弥呼に対抗して王を自称している
卑弥呼と別に伊都国に独立した王が居たら卑弥呼に対する反逆だ
伊都国に居た王こそ倭王卑弥呼なんだ
だから伊都国の王名が特に記されていないんだ。 >>106
広域な連合国家の王都が伊都国なんだ
「世有王」は魏の世に伊都国に倭王卑弥呼が居たっていみなんだよ。 >>118
>卑弥呼と別に伊都国に独立した王が居たら卑弥呼に対する反逆だ
伊都国の王とは、「卑彌呼」から任命された筑紫忌部の長。 @阿波 >>119
>広域な連合国家
「卑彌呼」の時代に、広域な連合国家など有り得ない。 過大妄想。 @阿波 近畿
「昭和19年3月、ジャンクで日本に帰った山手元枝氏の経験によると、20日夜半、舟山島を櫓で漕ぎ出したジャンクが、舟山島沖合で潮に乗ると同時に帆をあげると、一路、東に向かって走り出し、翌日昼ごろ五島列島を横切り、日暮れに唐津港に投錨したという。わずか20時間ほどで東シナ海を横断できる。秋から冬の間に出た船は、舟山群島沖を南下する寒流と西北風によって黒潮に乗り、九州南端の野間岬とか紀州南端の潮岬などにつく」。(『四川と長江文明』古賀登・東方書店) (参考)
不彌國から南へ筑紫川を使い南下、さらに西方向かえ有明海へ
西に出て五島列島、海流で半島を通らず魏、晋に帰る航路もあったんでは?
魏志倭人伝では帰りのことは詳しく記載がないので、有明航路は使用せず
来た道を戻ったと推測、投馬国、邪馬壹國の日数等の経路を伊都国できいたのであろう。
舟山島 浙江省 会稽東治の東
5世紀頃の古墳に熊本県不知火町桂原古墳玄室線刻画
ジャンク構造 帆船に見える? 近畿
まあ、東なら九州も本州、四国も含む。
自郡至女王國萬二千餘里に方角の記載はない。
自女王國以北〜ずらずらと国名、範囲だな。
邪馬壹國,女王之所都≠自郡至女王國萬二千餘里 >>121
交易してるだろ
繋がりがないなんて考え難い
伊都国に出先機関だけ置く方が有り得ない >>123
それをどう解釈するかで俺は陳寿は邪馬台国を集落と勘違いしてると思ってる >>124
>交易してるだろ
交易していたのは、倭国(阿波)だけ。 @阿波 土器とか出てるだろうが
関東東北まで交易の痕跡があるのに何言ってんだ? >>127
>関東東北まで交易の痕跡があるのに
その交易の痕跡ってなんだ? @阿波 古代日本では、満州、朝鮮南部、北九州、山陰地方、北陸地方、出羽 までの環日本海地帯が先進地域だった。
瀬戸内海は山猿の巣 縄文時代から交易の痕跡がある
土器があるし金属も流通してるだろ
それより出先機関とかマジで言ってんのか? >>109
「邪馬臺国」の王を共立したのは、大河「吉野川」流域に展開する集落国群。 @阿波 >>109
その共立された「卑彌呼」が統治する鮎喰川下流域集落群(女王国)が、「邪馬臺国」の事実上の首都。 @阿波 >>118
女王国に従属する伊都国王は非倭人だから
王名が書いてないんだよ 九州を抑え込んでないと出先機関なんて置ける訳ねえじゃん 九州で邪馬台国連合に参加してるのはほぼ筑前、豊前だな >>134
>九州を抑え込んでないと出先機関なんて置ける訳ねえじゃん
九州は、「倭人(阿波勢力)」の筑紫忌部によって統治されている。 @阿波 >>137
「邪馬臺国」の王を共立したのは、大河「吉野川」流域に展開する集落国群。
その共立された「卑彌呼」が統治する鮎喰川下流域集落群(女王国)が、「邪馬臺国」の事実上の首都。 @阿波 >>137
「邪馬臺国」は、大河「吉野川」流域に展開する集落国群。
「狗奴国」は、黒潮太平洋岸に展開する集落国群。 @阿波 阿波がどんなのを想像してるのかわかんないなあ
伊都国をおさえるって事は大陸との窓口をおさえるって事だし
利益がなきゃ九州勢力が許すわけねえじゃん >>140
>利益がなきゃ九州勢力が許すわけねえじゃん
古墳の築造技術(葺石・竪穴式石室など)や副葬品(水銀朱・勾玉・鉄器など)を目の当たりにして、
関東の土民も、朝鮮半島の土民も、九州の土民も、畿内の土民も、
「倭人(阿波勢力)」の超先進文化の移入を喜び受け入れ、尊敬し、「倭人(阿波勢力)」を王と仰いだことだろう。 @阿波 >>141
近畿
九州古墳等に使われる
水銀朱 データ数は少ないが
成分みると中国産だよ。
阿波、宇陀等は出ていない。
今後、こういう方面でも調査があればな。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/117/5/117_5_948/_pdf 鉄器は半島、勾玉は出雲
半島由来の積石塚は九州には無いからな 近畿
九州でも水銀が出るとしたら
うきは市〜日田市、耳納(美濃)山地
宮崎 高千穂
遺跡はないけど。 >>142
九州の「前方後円墳」の朱は、「若杉山辰砂採掘遺跡」産の筈。 @阿波 >>143
鉄器も勾玉も積石塚も「阿波」。 @阿波 北部九州が鉄器、勾玉を秘境阿波から仕入れるということはない >>147
>北部九州が鉄器、勾玉を秘境阿波から仕入れるということはない
仕入れない。 筑紫忌部が進出し、持ち込んだ。 @阿波 阿波人が北部九州に進出したなら積石塚がないとおかしい 輸入辰砂とされてる+δS-34値は北部九州沿岸から北陸の墓に使用されてるが
北海道産水銀朱は縄文時代に出雲まで流通しているので
北部九州の青銅器が北方経由であることや吉武高木のヒスイを考慮すると
北海道産の可能性もある >>151
九州の「前方後円墳」の朱は、「若杉山辰砂採掘遺跡」産の筈。 @阿波 >>152
産地比較を三重県丹生鉱山産,奈良県大和水銀鉱
山産,徳島県水井鉱山産,および比較対象に北海
道イトムカ鉱山産で行ったところ,As 含量は丹
生鉱山産が他の 3 鉱山より有意に高く,Mn と
Fe 含量は大和水銀鉱山産が,Ba,Ca,Co,Cr,
Sr 含量は水井鉱山産が他の鉱山産より有意に高
い値を示した。
北海道産は出てこない。
北海道産の可能性はないよ。 >>152
>日本海側は、宇陀(奈良)、丹生(三重)だよ。
弥生時代に採掘していたのは、「若杉山辰砂採掘遺跡」だけ。 @阿波 >>152 154
日本海沿岸の輸入辰砂とされてる辰砂はδS-34値が本邦産のマイナス値とは違って
プラス値を示すから中国陝西省産、貴州省産の可能性といわれている
丹生、大和、水井は−δS-34値
北海道はイトムカも−δS-34値、幌加内、ユーヤンベツ、様似、明治などが+δS-34値
岐阜徳山も+δS-34値 >>156
あきらめろ。
As ,Mn Fe,Ba,Ca,Co,Cr,Sr
に特性を見ている。
−δS-34値は日本特有なもん。 >>157
As ,Mn Fe,Ba,Ca,Co,Cr,Srは、
日本海沿岸の墓から出る中国産の可能性の辰砂ではなくて
丹生鉱山,大和水銀鉱山,水井鉱山,北海道イトムカ鉱山の辰砂の微量元素の比較をしただけ
中国貴州省産朱は各種微量元素をほとんど含んでいなかった >>160
あきらめろ
As 含量は丹、生鉱山産が他の 3 鉱山より有意に高く
Mn とFe 含量は大和水銀鉱山産
Ba,Ca,Co,Cr,Sr 含量は水井鉱山産が他の鉱山産より有意に高
い値を示した。
つまり、その地域の特性だよ。 >>160
北海道特性のもん
探してこい。
お前は
「歯舞群島に邪馬台国がある可能性ある」
となんらかわらん 出雲は、九州から立ち退きを迫られた伊都国
神在り月は魏志倭人伝の常治伊都國の比喩 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています