〜〜〜電波発信〜〜〜
「延喜式神名帳」の、大和国山辺郡条には、「大和坐大国魂神社」とある。大和国の「大和」である。
「延喜式神名帳」の、阿波国美馬郡条には、「倭大國玉神大国敷神社二座」とある。阿波国なのに「倭」である。
これは、「倭」が大和国や筑紫国などではなく、阿波国であったことの証左に他ならない。
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大国魂神は、倭(やまと)成す大物主と謳われた大物主の別名と思われ、あえてヤマトと言う必要性はないのでしょう。大和坐倭大国魂神社では、くどいような気がします。
阿波の方ですが倭大國玉神大国敷神社【二座】とあります。
これは、「阿波の地主神である大国敷」と「大物主の別名である大国魂」のニ座の神社です。
名前が似ているため混淆しないよう倭大國玉と明記しているだけです。
「大國玉神は阿波の神ではありませんよ。倭の神ですよ。」と、言う事です。
倭、大和、日本、遅くとも8世紀には全部ヤマトと読まれていたはずですがこれが証拠になりますでしょうか?「橿原」と「樫原」の違いはどうでもいいのですよね?
大国敷神社の案内板が設置されたようですがウリナラ臭がしますね。
組織ぐるみで何かをたくらんでいるようです。
「倭は阿波、阿波は倭」の証拠になりません。むしろ、倭が阿波ではない事がはっきりとわかる神社名なのです。