【阿波国古代研究所】倭は阿波説をぶった切る!
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邪馬台国阿波説なんて言うはハハハッと笑って見過ごせそうなものですが
『阿波古事記』や『阿波国風土記』などで検索すると
阿波国こそが倭国そのものであり
【邪馬台国から持統天皇までの出来事は全て阿波で起こった事】
であると、とんでもない電波を飛ばす阿波国古代研究所なる団体があります。
また、別の某個人ブログでは地名や伝承の捏造も行っています。看過できません。
倭は阿波、阿波は倭を繰り返し、全く無意味な主張を続けるのです。
国譲り、乙巳の変、壬申の乱・・・これら全てが阿波で起こったと言うのです!
信じられますか?飛鳥の蘇我入鹿公の首塚もわざわざ阿波から移転したのでしょうか?
誰が何の為に?奈良・大阪の巨大古墳群に関しては阿波の分家が王家より巨大な墓を作るという明らかに矛盾した内容ですが、これらには全く答えようともせず、倭は阿波、阿波は倭を繰り返すのです。
前スレ【阿波国風土記】奇説・倭は阿波説をぶった切る!
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1635557710/
では、彼らの主張を見ていきましょう。
阿波国風土記自体は現存しませんので、萬葉集註釋いわゆる「仙覚抄」の引用からです。 >>457
>葛城円の記事も追加しているだろうが!
なんのこっちゃ? @阿波 >>461
古え小治田宮天皇の御宇、聖徳太子当山の対岸気延庄、上宮にて詔りし、
「当域南北に枕し、東に向いて開く正に浄瑠璃境の域也。
前尾の峰を救世山と称し、邦国の守護を祈願せん」と、秦河勝に命じ、
以乃山馬峰に醫王善逝薬師如来を作らしめ、救世山峯薬師を開山す。
後々仏教を志す者必ずこの霊地を巡礼す。弘法大師峯薬師に修法、真言密教を興す。
嵯峨天皇の信を得、当山を真言密教三密修験の根本道場とし、
救世山大乗院遍照寺を建立併せて、東の峰に金剛光寺を建立、
峯薬師を中心に遍照金剛の霊地となす。
超訳
推古時代に聖徳太子が像を送って救世山峯薬師を開山したよ。
それからずっと後だけど仏教の聖地になったよ。
空海が峯薬師に、真言密教を持って来たよ。
嵯峨天皇から信頼されてこの山を真言密教三密修験の根本道場として
救世山大乗院遍照寺を建てたよ。東の峰に金剛光寺も建てたよ。
峯薬師を中心に遍照金剛の霊地になったよ。
法谷寺は関係なし。法谷寺は細川頼春(南北朝時代の武将)が、
創建当初「香華院」という名称で建立した。
研究してる人なら読めばわかるはずなんだが?
だから悪意があると言ってるのですが。 >>457
>理由は○ワオトコと違い、リンク先の人が正直に記述している「近年言い出した」である。
「明治二十二年建立された奈良県橿原神宮とはわけが違う古社」
「いずれにせよ、この鈴川山の樫原大明神は古えより奉祀されていたのには間違いありません。」とも書いている。
だから、「明治政府が橿原神宮を作ったのをいい事に元社に仕立て上げたと言う事でしょう。」は単なるイチャモン。 @阿波 >>459
>この部分は阿波説から引用だぞ。
お前が書いたんだろうがよ。 なに言ってんだ? @阿波 >>467
樫原大明神は事代主だった。
だが、ウリナラって神武にした。樫原と橿原は違うのでは?
一方では、倭と和が違うと大騒ぎしてるじゃないか。
お前、かなりめんどうだな。 >>466
>法谷寺は関係なし。
「法谷寺は関係なし」でも、同所の「救世山峰薬師縁起」で十分。 @阿波 >>470
そう言うのを阿波以外の日本では曲解・捏造って言うんだ。 >>469
>樫原大明神は事代主だった。
百歩譲って、仮にそうであったとしても、「事代主」を祀る
「明治二十二年建立された奈良県橿原神宮とはわけが違う古社」
「いずれにせよ、この鈴川山の樫原大明神は古えより奉祀されていたのには間違いありません。」 となる訳だ。 @阿波 >>468
俺は捏造民族アワワ人と違って捏造はしない。
https://sites.google.com/site/awakokufudoki/home/awa-koku-zoku-fudoki-nitsuite/2_awakoku_fudoki_towa
Cは、阿波の郷土史家が、阿波が日本の本つ国であるという根拠として多用する一節です。
各国風土記のうち、天地初発より記された風土記は阿波国風土記のみ、という主張の根拠のひとつとなっています。
しかもその内容は、
「天」より「降り下りたる大きなる山」が阿波の「元山」で、
「ソノ山ノクダケテ」、「大和國に降り着きたる」、のが「天の香具山」
だというのです。
これをもって「大和国」は「阿波の分国」と解釈します。
但し、研究者によっては異論もあります。大和国成立の時代は、風土記が記された時代よりも後なので、
本来の【原文には「大和国」ではなく「倭国」と記されていたはずだ】というのです。
これはもっともな指摘で、平成の現在でも混同されていますが、その混同は千年も前からのことと考えられ、
【写本の際に書き換えられた可能性】は非常に高いと言えるでしょう。
「大和国」は、仙覚律師の解釈で書き変えられた可能性があります。 >>471
>そう言うのを阿波以外の日本では曲解・捏造って言うんだ。
まあ、「阿波」以外では、思いも及ばんからな。 わははははは @阿波 >>473
>本来の【原文には「大和国」ではなく「倭国」と記されていたはずだ】というのです。
>「大和国」は、仙覚律師の解釈で書き変えられた可能性があります。
主観の丸出し。 単なるイチャモン。 @阿波 四国は九州畿内の1%すら掘ってない
九州畿内は四国の100倍の根拠を示さないとフェアではない >>475
だから俺じゃないっての!
リンク先の阿波論者に言え。まじで大丈夫か?
5ちゃんなんかせずに病院へ行くべきだ。 まあ、大ケツ臭の「阿電波」位しか、思いもつかない熱象ダンボからな。
わははははは @太国 阿電波ゴリよ
紀違いに阿 波物 わははははは @太国 >>474
>まあ、「阿波」以外では、思いも及ばんからな。
歴史を捏造し歪曲するなど、かの民族か阿波人くらいしか
思いも及ばないだろうね。全面肯定させていただくよ。 >>477
本当に阿波論者のリンクか? それを見る限り、阿波論者とは思えんが? @阿波 >>480
>歴史を捏造し歪曲するなど、かの民族か阿波人くらいしか思いも及ばないだろうね。
かの民族はどうか知らんが、「阿波」だけにあって、自分とこに何も無いからといって、
すぐに「阿波」を捏造とか歪曲とか言うのは、止めろ! @阿波 >>456
>富士山 旧名 那羅山
>富士南麓道路 旧名 不破道
静岡はそれだけか?
・大津宮は?
・菟田(うだ)は?
・鈴鹿は?
・桑名は?
・安八麿(あちはま)は?
・尾張は?
・倭京は?
・美濃は?
・高安城(たかやすのき)は?
・吉野宮は?
「阿波」だけにあって、自分とこに何も無いからといって、
すぐに「阿波」を捏造とか歪曲とか言うのは、止めろ! @阿波 >>457
>印などは王宮にあってしかるべし。神社にある時点でおかしい。
元々、神社だと思ってるのか? 冷静になれ。
「阿波」だけにあって、自分とこに何も無いからといって、
すぐに「阿波」を捏造とか歪曲とか言うのは、止めろ! @阿波 >>332
意見ぷりーずとか言ってたガキ!
>伊は東四国の意味
これは捏造じゃないだろうな?ほんとに、どいつもこいつも!! >>469
>樫原大明神は事代主だった。
百歩譲って、仮にそうであったとしても、「事代主」を祀る
「明治二十二年建立された奈良県橿原神宮とはわけが違う古社」
「いずれにせよ、この鈴川山の樫原大明神は古えより奉祀されていたのには間違いありません。」 となる訳だ。 @阿波 >>484
では、遷都後にできた新しい神社だな。
支離滅裂なんだよ。この捏造民族アワワ人。 >>483
阿波は亜倭なんだから当たり前だと何回説明したらいいのかね? >>487
>では、遷都後にできた新しい神社だな。
そりゃそうさ。 元は、国璽を保管する建物があったんだろうな。
遷都後に「大己貴神」を祀り、「大御和神社」としたんだろう。
もっとも、奈良の大神神社はその分社だ。 @阿波 >>489
>そりゃそうさ。 元は、国璽を保管する建物があったんだろうな。
ついでに言っとくと、この、「大御和神社」の在る所は、
「矢野遺跡」「観音寺・敷遺跡」など倭国(阿波)王権の政務中枢地に在る。 @阿波 >>483
お前の主張は
・大津宮 現・島田市立「大津」小学校
・鈴鹿 現・浜松市の鉄工所「鈴覚」
・桑名 現・静岡市(有)桑名屋酒店
・尾張 静岡県浜松市中区尾張町
・倭京 現・静岡市の和食 鷹匠 和京
・美濃 ミノ静岡(印刷材料店・閉業)
・高安城 現・静岡県伊東市 たかやす医院
これと同じレベルwwwwwww
各施設や店の名は神代からの伝承された名前です。
地元の人が捏造する理由はありませんwwwwww >>489
>元は、国璽を保管する建物があったんだろうな。
>>475で、お前が言ったこと、そのまま返すわ。
主観の丸出し。 >>491
>これと同じレベル
静岡って、「壬申の乱」の舞台だったっけ? わははははは @阿波 >>492
>元は、国璽を保管する建物があったんだろうな。
文武天皇云々記載の拝殿上の額や、「鍵の立合」紋がある神社が他にあれば、「主観の丸出し」かも知れんな。 わははははは @阿波
https://tokushimagoshuin.com/tokushima-oomiwajinjya-goshuin @阿波さんは、自分が立てた説明では、無く、人の説をなぞっているだけなのに、
なんでそこまで上から目線なんですか?
やり込め無いと、死んじゃう病気なんですか? >>495
>なんでそこまで上から目線なんですか?
上から目線と見るのは、君の主観。 君の主観はいらん。
「阿波」を捏造だ、歪曲だという輩を撃退しているだけ。
自分の説だろうと人の説だろうと、真実の「阿波」であれば支持するまでのこと。 @阿波 本家「阿波国古代研究所」等が逃げに徹しているのに
コピペ野郎が頑張ってもな。忠犬と言えばそうなんだろうが
きっと本家さんはご迷惑されていると思いますよ。 阿波って、「壬申の乱」の舞台だったっけ? あわわわわわ >>496
《救世山峰薬師縁起 超訳》
推古時代に聖徳太子が像を送って救世山峯薬師を開山したよ。
それからずっと後だけど仏教の聖地になったよ。
空海が峯薬師に、真言密教を持って来たよ。
嵯峨天皇から信頼されてこの山を真言密教三密修験の根本道場として
救世山大乗院遍照寺を建てたよ。東の峰に金剛光寺も建てたよ。
峯薬師を中心に遍照金剛の霊地になったよ。
法谷寺は関係なし。法谷寺は細川頼春(南北朝時代の武将)が、
創建当初「香華院」という名称で建立した。
研究してる人なら読めばわかるはずなんだが?
だから悪意があると言ってるのですが。
阿波説はともかく
【この指摘を黙殺するキモ面ブロガーは曲解・捏造ではないかい?】 〇自分の説だろうと人の説だろうと、熱象の「阿電波」であれば支持するまでのこと。 @阿電波 >>499
「この指摘」って法谷寺は関係なしってことかい? @阿波 >>499
「救世山峯薬師 別当法谷寺」ってどういう意味や?
天平12年(740年)に行基が登山し法谷寺と十二坊を開いたという説など、あるらしいな。 @阿波 >>501
そう、法谷寺は南北朝時代に作られた可能性の方が高いって事。
そして法隆寺の夢殿本尊は嘉承元年(一一〇六)に確認されている事。
もちろん、こちらが真実とは限らない。
しかし、一考の価値はあるはずだ。でも奴は即消したよ。
反論があれば君のようにそれを書くべきだ。
自説に都合のよい情報だけ取り出してwikiまでいじくり公開するなど
歴史を研究してる者の態度じゃない。そうは思わないかい? >>498
>阿波って、「壬申の乱」の舞台だったっけ?
う〜ん、「阿波」に古地名が揃って残っているところからして、「阿波」が舞台だったんだろうな。 @阿波 >>485 伊予の二名島
予は西四国
伊は東四国
倭国はイコク う〜ん、「阿電波」に古地名が揃って残っていることにして、
「阿電波」が舞台だったんだとオレの豆脳内が熱象したいんだ。 @阿電波 天津久米命、神武東征の大久米命・・クメクメクメ
徳島の石井から久米は広まっていったんだろう 島根の出雲を治めるために、なんで九州に降臨する必要があるんだってな >>502
天平12年(740年)に行基建立説でも、法隆寺の元社はなしじゃない?
そう言うところさ。書いてないブログサイトの方が多い。
ましてや、推古天皇の時代だと下手したら法隆寺より古いだろうとか。
社僧には、別当、検校、勾当、専当、御殿司、入寺僧、執行など、いろいろな役職がありました。
別当は、他に本職があり兼ねて別にその任に当たる、の意味でらしい。
最初は兼務の長官を意味しましたが、後に専任の長官の名称となりました。 >>508
神武東征の際に活躍した「大久米命(おおくめのみこと)」が
黥面だったことが古事記に記載されている。
「大久米命」は神武東征に随行した久米一族の祖神にあたる。
久米一族については、徳島県石井町の久米勝夫氏による、
全国の久米氏を調査した資料「久米一族の調査研究」によれば、
昭和55年現在、全国の久米姓は5461戸。
一般的に言われる久米氏の本拠地は大和国久米(奈良県橿原市)であるはずだが、
奈良県に在する久米姓はわずか43戸(当時)、
一方、徳島県は540戸もあり、徳島県内では徳島市と石井町に集中している。
さらに言えば、矢野遺跡や観音寺遺跡などのある国府町の気延山付近を「気延の庄」、
気延山を挟んだ北を「久米の庄」と呼んだそうである。
まさに、全国の久米姓の本拠地は徳島県石井町近辺なのである。 @阿波 クジラといえば南海ですよ。畿内や北九州ではありません >>510
「法隆寺」の本社が、「救世山峯薬師」であるなどとは、どんな史書を見ても載ってる
はずもございません。
ただ、由緒にはご覧のように「堂々と」書かれております。
な〜んにもない所にこんな由緒があるはずもございません。
だってよ。 @阿波 >>508
神武は東征ではなく東遷です。>>24-25
徳島経由なので大久米命が合流したんでしょう。
数は多くないでしょうが長髄彦等の反対派対策ですね。 >>513
「阿波」にだけあったら、すぐ捏造だ!、歪曲だ! とくる。 やれやれ。 @阿波 >>514
>徳島経由なので
どこからだ? @阿波 >>513
「堂々と」「救世山峯薬師縁起」が書いてるんですよ。
法谷寺の由緒ではありません。印象操作です。
私は、それを捏造と呼びます。 >>517
法谷寺=救世山峯薬師じゃないの? @阿波 >>517
そうとう、オトコマエさんと揉めたようだな。 わははははは @阿波 >>509
九州に居たからでしょう。スレ主の記紀解釈はこうです。
出雲国よりスサノオの北九州遠征。邪馬台国の卑弥呼と和睦、現地妻に。
(神話に言う、「弟が昇ってくる……。あの様子ではきっと善い心でここに来るわけではなさそうね。」)もちろん兄弟ではないが。
スサノオの死後、親魏倭王の称号が出雲国と邪馬台国の地位を逆転させた。
出雲はスサノオと卑弥呼の子、天穂日によって平和裏に治められた。
(神話の通りそのまま)
一方、大市姫とスサノオの子、大物主こと大年は奈良・飛鳥へ進出、力をつける。
(神話「私は大和国の三諸山に住みたいと思っている」)
日本国と邪馬台国を神武東遷で合併させたのが、八咫烏こと賀茂建角身=忌部。
神武天皇は九州から徳島経由で奈良・大和入り。
(神話「東に美き地あり、青山四周れり、天磐船に乗りて飛び降る者有り、云々、是饒速日と謂うか。この地こそわが天業を恢弘すべきところとおもう」)
饒速日=虚空見日本国の命名者(紀による)
神武天皇は卑弥呼とスサノオの末。神武皇后は大物主の娘。(角身の外孫でもある)
ここで、スサノオの血が合流する。
嵯峨天皇の「素尊は則ち皇国の本主なり」とはこのような事。
阿波忌部の先導でヤマト王権が成立する。 阿波忌部は忌部氏の中でも阿波に残留した一族で、いわば阿波留守番部隊、
本体は大和他畿内や、本州各地に進出し、中央政府で重要な役割を果たしたものや、
地方に土着し、新しい地方権力を行使したものなど、さまざまに分化していった。
各地に広がる過程で、一族としての結束や一体感が徐々に失われ、
新興の中臣の後塵を拝することになっていった・・・。
阿波忌部は部民として、職能団体として生き残った。
こんな感じじゃないかな。 「天皇家」も「蘇我氏」も「物部氏」も「中臣氏」も「葛城氏」も「大伴氏」も、平安時代の『新撰姓氏録』編纂以前は全部、「忌部一族(阿波勢力)」。
忌部氏(斎部)は、物部氏の衰退(丁未の乱)後、残党が「忌部氏」を名乗った可能性が高い。 @阿波 >>522
概ねその通りだと思う。
だが古代に「天皇家」ってのは存在しないと思う。
万世一系は記紀の皇国史観による捏造だと思う。
「蘇我氏」「物部氏」「葛城氏」「大伴氏」などの有力豪族の中で
その時に最強の氏族が天皇に娘を輿入れさせて後に言う「外戚政治」を行っていたと思う。
最終的には藤原氏に独占されるわけだが。
天皇家と呼べるのはこの頃からじゃないかな?
中国と違い天皇に姓がない理由だとも思ってるんだが。違うかな? 九州の国生みでは四面全部に『別』の字をつけて半島大陸と別もの
だとはっきり古事記に記述がある。
筑紫國 白日別
豐國 豐日別
肥國 建日向日豐久士比泥別
熊曾國 建日別
日本は大陸半島とは『別』ものの国なのだ。
神国日本は全世界の別格の国である。
黄金の国神国日本と半島の世界第参位の人参民族とは同等ではない。
半島は参位の銅メダル国家であって、黄金の国ジパングの金メダル国家
とは完全に別ものなのだ。それゆえ神国日本は萬邦無比の國體を誇るのである。
半島は銅級国家だからあのブスの銅像を各地に設置して銅だと
自認してるのさ。w
金メダル国家がこの神州であるからして、天意は日本に邪馬1国の
世界第1位の国家を置いてるのである。
したがって太古の日本人が半島から来たのではない。こちらの神国日本が半島の
ご本家だ。ご本家だから日本の国号に『本』の字がつくのだ。
半島人は銅、土台人というときは4位以下の上位3名を載せるその下の表彰台。
黄金は天皇で黄銅と黄金とは別の近族。ハーフも半島人も天皇にはなれない。
タトーは外国行きの人民。だから五輪でも醜怪なタトーは外国勢ばかり。
外国の『外』はタトーのタとト。
天皇は萬世一系である。そして全世界の統帥権は大元帥陛下にある。 〇そうとう盲象オトコさんに俺の豆脳が成りきったようだな。わははははは @阿電波 天皇家は奈良時代からだね
四国に居たのは大王
中国に対抗する為、大王を天皇に格上げし、皇国ストーリーを作った。それが記紀 奈良時代よりはもっと古いぜ。
四国は神武東征の途中に寄った場所で、そこから畿内を目指したのだ。
漢字が向こうのものだから借用しただろうが、コチラのが格上だから当然
天皇名で丁度いい。ストーリーはオマエの考えたいかれた結論であって、
神国日本にオマエの結論は便ツボに入れてOK。
そして全世界の統帥権は上御一人(神御一任)にある。うんと泣け。 それなら阿波から壮大な北征ストーリーにすれば良かっただけ。
記紀を完全な創作とするのは説得力ないね。 「阿波説では古事記は完全に阿波の事について書いてある」
と、している筈だが?新説か?
内容を聞かせて欲しい。阿波説は一枚岩と聞いていたが、、、 >>529
阿波説では「記紀」も「魏志倭人伝」も完全に阿波の事について書いてある。 @阿波 >>529
「記紀」も「魏志倭人伝」も完全に阿波の事について書いてある。
そして、九州説や畿内説のような漠然とした広範囲ではなく、「邪馬臺国」阿波で一致している。 @阿波 〇九州畿内のように王朝ができる広領域ではなく、狭域で 邪馬1国≠2名島
で一致しない。 @阿電波 では>>526は何だ?逃げたか?
意味不明な主張だけして論ぜぬとは。何しに来たんだ。
論ぜないならもう来なくていいぞ。 @阿波氏、「邪馬臺国」阿波で一致しているのはいいが
キモ面ブログのコピペだけはやめた方がいいと思うよ。
あいつは阿波説の面汚しだぜ。強制はできないけど。
俺はあんたには、ほんの少し感謝してるんだ。
賀茂建角身が神武皇后の外祖父とわかってから>>520のような
解釈をしていたけど、古代天皇にまとわりつく賀茂、葛城がずっと何者かよくわからなかったんだ。
直接的には平田篤胤の天日鷲=賀茂建角身説だけどそうか!阿波忌部だったのかーーー!!と。
タカムスビの神裔なら納得だーーーー!!
天照は、太陽神で女神で主神とか世界例的にあり得ない。
困ったら隠れるような雑魚。持統天皇の化身として太陽神格を持たされた訳だが
神話でも高木神の方が偉くね?とな。
最後のピースが埋まった感じがしたんだよ。
もちろん、阿波説や天照≠卑弥呼の人には到底受け入れられない内容だが、
自分としては、得心できた感じがしたんだ。そんだけだ。
もちろん自説が正しいって言うんじゃないんだぜ。 板野町の大寺字高樹は住所の由来が諸説あって不明なのだが、高木神が実は由来なのでは?
とも考えたが、なぜかその地に鎮座していた神社は「大鳥神社」だったのよね・・・。
(明治の合祀令で亀山神社に合祀され、今は跡地に地神塔が残るのみ。) 意味不明の文句を言ってた野郎が、不明のものを書きこんでいる。
人のこといえるか、さっさと消えろ。 祭神は大鳥連祖神ですか?
大鳥ってそのまま鷲(おおとり)だと思ってしまいますが。
天日鷲と無関係とは思えないのですがね。
日鷲は高木神の裔神だし。 >>535
地元の方ですか?
こう言う話はネットでは得難いので楽しいです。 太国の人は歴史のロマンを解さないんでしょう。
何でもかんでも否定すれば良いってものではない。
ともあれ、意味が分からんと言われたので、もう一度。
徳島県板野郡板野町大寺字高樹という地名があります。
「高樹」の地名の由来は諸説あって、決定的な説は無い。
ひょっとして地名の由来は高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、高木神では無いかと
私は推測してみましたが、
かつて高樹地区の鎮守の神社は、(中臣)大鳥神社で、祭神は日本武尊と大鳥連祖神としています。
阿波忌部氏の拠点の至近にある地に、忌部氏のライバルである中臣を祀る神社が存在するのは不思議なことです。
高樹の地に、高木神社がもしあれば、すんなり納得の結果なのですが、現実は全く別の自体だったのです。
以上です。 テメエの不明はOKだ、コチラの不明は文句をつけるんだとさ。
〜ふざけた野郎だ。
オマエはもう二度と来ないでいい。 >>534
>直接的には平田篤胤の天日鷲=賀茂建角身説だけどそうか!阿波忌部だったのかーーー!!と。
いずれにせよ、記紀は「阿波」の出来事なんだよ。
徳島県神社誌を信じれば、「京都、上賀茂神社」の創建より、「阿波國三好郡加茂村 鴨神社」の創立が古い
阿波國加茂に鎮座する「鴨神社」が京都「上賀茂神社」、
阿波國加茂野宮に鎮座する「下加茂神社」が京都「下鴨神社」の元宮であろう。
「事代主の神孫、鴨王是也」 鴨族の王の祀られている所(阿波国三好郡加茂村)がいわゆる本家、本元となる。
京都上賀茂神社の祭神は賀茂氏の祖神である「賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)」。
その京都上賀茂神社は「賀茂から別れた」つまり賀茂族(鴨族)の分家の意味である。 @阿波 >>339
>阿波忌部氏の拠点の至近にある地に、忌部氏のライバルである中臣を祀る神社が存在するのは不思議なことです。
忌部氏(物部氏)の拠点は麻植だよ。 板野とは、結構離れている。 @阿波 個人的にですよ。確証はないですけどね。
中臣氏は自出不明な後の藤原氏に名を乗っ取られたんだとか思ってます。
藤原氏の百済王子説って捨てがたいんですよね。
系図が怪しいって言うか。あー電波出してしまったw >>542
板野郡東部の阿讃山麓は萩原墳墓群や愛宕山古墳など、鳴門板野古墳群の存在
大麻比古神社の存在などから、忌部氏とも非常にかかわりが深い地域ですよ。 >>544
>忌部氏とも非常にかかわりが深い地域ですよ。
忌部氏というよりも、忌部氏・中臣氏も含めての「忌部一族(阿波勢力)」だから。 @阿波 539と544は私の書き込みです。
ブラウザがコテハン覚えてくれないみたいで(;'∀')
失礼しました。 >>545
後に分かれて違う名乗りの部族を、片方の名前で呼ぶのは非常に紛らわしいんですが、
@阿波さんの説をうまく説明する場合、
「忌部一族(阿波勢力)」だといつまでたってもうまく伝わらないと思いますが・・・。
なんかいいアイディア無いですか? >>544
>忌部氏とも非常にかかわりが深い地域ですよ。
忌部氏というよりも、忌部氏・中臣氏も含めての「忌部一族(阿波勢力)」だから。
個別に氏族名で繋がりを考えると、混乱する。 もとはすべて「忌部一族(阿波勢力)」 @阿波 >>541
違うなぁ、別雷神は、雷神の子の意味。
賀茂別雷命に関しては以下のような伝承がある。
『山城国風土記』に賀茂建角身命(賀茂御祖神社「通称、下鴨神社」の祭神)の娘の玉依姫(同じく賀茂御祖神社の祭神)
が石川の瀬見の小川(賀茂川)で遊んでいたところ、
川上から丹塗矢が流れてきた。それを持ち帰って寝の近くに置いたところ玉依姫は懐妊し、男の子が生まれた。
丹塗矢の正体は乙訓神社の火雷神であったという。これが賀茂別雷命である。
全く似たような話を思い出さないか?そうだ、神武皇后の誕生の話だよ。
結論から言うと賀茂別雷神は神武皇后の兄さ。
籠神社の極秘伝で「火明」の別名とされている。
もうわかるだろ?饒速日だよ。
旧事本記の天日方奇日方こと鴨王さ。迦毛之大御神。
雷神は大物主だよ。 >>547
倭人=「忌部一族(阿波勢力)」としています。 @阿波 山城国の風土記に書いてあるんだ。
もう、諦めろ。賀茂氏は神武よりとっくの前に畿内に進出している。
饒速日は大物主の子、であり賀茂建角身の外孫なんだぜ。 >>547
これから、倭人(阿波勢力)とするよ。 これでどうかな? @阿波 >>552
忌部一族の呼び方としては、そのほうがだいぶスッキリしますが、
朝鮮半島南部にも倭人が居たという事なので、また別の問題が発生するかも・・・。 そろそろお縄だろよ?
山城国風土記に賀茂氏と饒速日の伝承。
全てが阿波国内ではあり得ないのです。
てかよー播磨国風土記の話した時も指摘したはずだけど
なんか有耶無耶になったが、阿波説は無理なの!! >>549
『山城国風土記』に「丹塗矢」の話? それ「阿波」だろ? @阿波 「板野に」さんはどのような説でいらっしゃる?
阿波説あり得ますか?今の話もふまえて。 >>554
>朝鮮半島南部にも倭人が居たという事なので、また別の問題が発生するかも・・・。
心配ご無用。 そっちは、任那(みまな)忌部だから。 @阿波 >>556
こらこら、丹に反応しない!丹塗矢は雷神と男根の象徴だから。
丹なんて列島何処でも出るんだよ!! >>559
こらこら、男根の象徴は石棒だ。 丹は「阿波」しか採っていないんだから、 ごねるな。 @阿波 >>557
邪馬台国阿波説は説としては面白いのですが、
私としては、より時代をさかのぼった、
「高天原阿波説」を推進したいかな。
飛鳥の宮が阿波にあったなんていう与太話は論外だと思います。
阿波の地で前方後円墳が作られなくなった5世紀には、
阿波の地からは主力の勢力は他の地域に移ったか、
衰退がはじまったと考えます。 うーむ、自分に不利な証拠は見ないか。畿内説と同じだねぇ、、、。
やっぱ時間の無駄かな。
ま、@阿波氏を更生させるのが目的ではないが。 阿波ゴリは学がなく大学も出てない男で、丹は列島どこでも出てるが、
こいつは大学を出てねえ。w
さらに学の無いことは阿波ゴリがどう反論するかをゴリ夢中であってwwww
ゴリはしようがないからほとんど一行二行と空威張りの歩打ちで論が出来ない。
記紀の学もなく、阿電波は出出出の紀太郎の盲象幽霊デンパ説を
各所に放出している。ppp >>561
>飛鳥の宮が阿波にあったなんていう与太話は論外だと思います。
そうですよね。あーよかった。
>「高天原阿波説」を推進したいかな。
より時代を?記紀には書かれてない時代ですか?
阿波の高木神の主導で北九州と奈良を合併させるのは賛成ですが。
これ以前の事はわかりません。別天津神ですか?
今日はもう寝ますが、またお聞かせください。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています