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徳島市国府町府中の式内社 「大御和神社」は神社拝殿上に「文武天皇(七〇二年)の御宇、
この閤宮(こうのみや)より、国璽の印と国庫の鍵を差し出した」と記されている。
これは取りも直さず、文武天皇(七〇二年)の御宇に、倭国(阿波)から奈良大和へ遷都したことを表す。
(国璽の印とは国家の表章として押す宮印で、帝都が阿波にあったことを証明するもの)
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【阿波国が正式に倭国に降り阿波の国璽の印と国庫の鍵を差し出した】

「持ち出した」ではなく「差し出した」です。
差し出したには譲渡、あるいは提出させられたという意味が込められているように思います。
先ほども少し述べましたが神武東遷にあたり、反対派が「倭」を離れています。
その一派が国璽の印を持ち逃げし、放置されていた物を文武天皇に返却したとも考えられます。まったくもって「倭は阿波、阿波は倭」の証拠になりません。