【阿波国古代研究所】倭は阿波説をぶった切る!2
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
邪馬台国阿波説なんて言うはハハハッと笑って見過ごせそうなものですが
『阿波古事記』や『阿波国風土記』などで検索すると阿波国こそが倭国であり
【邪馬台国から持統天皇までの出来事は全て阿波で起こった事】
であると、とんでもない電波を飛ばす阿波国古代研究所なる団体があります。
また、別の個人ブログでは【地名や伝承の捏造】も行っています。看過できません。
阿波説の出してくる資料は全て捏造ネタです。
825年 空海 「磯輪上乃秀真国之阿波国也」
これもやはり阿波説ブロガーたちの捏造だった。 ↓ハテナはアルファベットに
https://awa-otoko.ハテナblog.com/entry/2015/05/16/182951
https://阿波古代史.xyz/category1/entry10.html
太龍寺縁起には正しくは、こう書かれている。
『天神七代之内六世、面足尊煌根尊降居坐磯輪上、秀真国是也』
そして、本州、そして四国の紹介となり 『三云、大宜都比売、是阿波国也』
神世七代の第6代の神、【面足尊、と妹の惶根尊=秀真国】 【大宜都比売=阿波国】
捏造糞民族、国賊、朝敵阿波人。皇国から消えてなくなってほしい。
はずかしくないの?本当に、良心が傷まないの?馬鹿なの?死ぬの?
バレてもバレてもおかまいなし、倭は阿波、阿波は倭を繰り返し、全く無意味な主張を続けるのです。国譲り、乙巳の変、壬申の乱・・・これら全てが阿波で起こったと言うのです!
信じられますか?飛鳥の蘇我入鹿公の首塚もわざわざ阿波から移転したのでしょうか?
誰が何の為に?奈良・大阪の巨大古墳群に関しては阿波の分家が王家より巨大な墓を作るという明らかに矛盾した内容ですが、これらには全く答えようともせず、倭は阿波、阿波は倭を繰り返すのです。
執拗にスレ流しをする奴がいるのでまたやります。
前スレ【阿波国古代研究所】倭は阿波説をぶった切る!
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1636244926/
では、彼らの主張を見ていきましょう。
阿波国風土記自体は現存しませんので、萬葉集註釋いわゆる「仙覚抄」の引用からです。 〜〜〜電波発信〜〜〜
天皇の稱號(しょうごう)が書いてある (萬葉集註釋 卷第一)
阿波國風土記ニモ
或ハ 大倭志紀彌豆垣宮大八島國所知天皇 朝庭云、
或ハ 難波高津宮大八島國所知天皇 云、
或ハ 檜前伊富利野乃宮大八島國所知天皇 云。
崇神天皇、仁徳天皇、宣化天皇 の称号です。
通説では天皇家や建国の歴史とは何の関わりもないはずの阿波国、その地誌で、何故、天皇の称号について書かれるのでしょうか?
役人が天皇に献上する書です。上記の天皇が阿波に関係なければ、
書けるわけがありません。書く理由がありません。
〜〜〜電波終了〜〜〜
そんな事は他の風土記にも普通に書いています。
所謂『常陸の国風土記』には、或は云ふ。巻向日代宮大八洲照臨天皇の世、
或は云ふ。石村玉穂宮大八洲処馭天皇の世と、或は云ふ。難波長柄豊前大朝八洲憮馭天皇の世。
「仙覚抄」が引用し「○○風土記によると△△宮天皇の御世だったか、いやいや□□宮天皇の御世だったかな」 と書いているだけなのです。
さも、阿波に王権があり追号したかのような記述ですね。
和風諡号ならともかくこれ宮号なので名付けとかないのですけど・・・
書けるわけがありません。書く理由がありません。(抱腹絶倒!) 〜〜〜電波発信〜〜〜
阿波の郷土史家が、阿波が日本の本つ国であるという根拠として多用する一節です。
各国風土記のうち、天地初発より記された風土記は阿波国風土記のみ、という主張の根拠のひとつとなっています。
しかもその内容は、
そらより降り下りたる山のおおきなるは、阿波国に降り下りたるを、
天のもと山と云い、その山のくだけて、大和国に降り着きたるを天香具山
というとなん申。
これをもって「大和国」は「阿波の分国」と解釈します。
〜〜〜電波終了〜〜〜
似たような記事が伊予国風土記にあります。
天山と名づくる由は、倭に天加具山あり。
天より天降りし時、二つに分かれて、片端は倭の国に天降り
片端はこの土に天降りき。因りて天山と謂ふ、本なり。
ちょっと内容が違います。
おおきな山が落下 割れる 阿波=元山 大和国=天香具山
天加具山が落下 割れる 伊予=天山 倭の国=天加具山
(元山はアマノリト山とも言うらしい)
これは同じ伝承と言うことらしいのですが、伊予国の記述では倭の国が本家ですね。
銅鐸の分布や伊勢津彦の伝承などを考えても神武東遷をよしとしない一派が
四国や伊勢に逃れたのはわかります。
おそらく香具山周辺から移住してきた事を伝承しているのでしょう。
それに阿波国の方ですが大和国成立の時代は、風土記が記された時代よりも後なので、
【後世に偽装】したか、【写本を間違えたか】のどちらかですが
本来の原文には「大和国」ではなく「倭国」と記されていたはずだと言う事です。
はい、ここで【阿波が倭でない】事がわかりました。 ・・・まぁ証明する必要もないのですが(笑)
阿波と伊予の記述の違いですが写本を間違えたなどと曖昧な内容からして
伊予国風土記に軍配です。これは「倭は阿波、阿波は倭」の証拠になりません。
むしろ香具山が倭のものである事がはっきりわかるのです。 ◆移住者について
======前スレより要約======
眉輪王の仇討事件に際して葛城 円(かつらぎのつぶら)の一派が雄略天皇の追撃を逃れ
阿波に逃げ込んだのではないかとの情報があります。
後述の葛城神社が麓にある天円山(あまがつぶやま)には、地元の民衆を苦しめていた大猿を播磨の猟師が退治したという大猿伝説が残っているそうです。
地元では有名な話のようですが、この山と葛城円の名の一致は特筆に値すると思います。
雄略天皇が出した討伐隊が伝承されているのかも知れません。
後述する葛城の一言主神の没落に一致します。
==貴重な情報ありがとうございました== 〜〜〜電波発信〜〜〜
徳島市国府町府中の式内社 「大御和神社」は神社拝殿上に「文武天皇(七〇二年)の御宇、
この閤宮(こうのみや)より、国璽の印と国庫の鍵を差し出した」と記されている。
これは取りも直さず、文武天皇(七〇二年)の御宇に、倭国(阿波)から奈良大和へ遷都したことを表す。
(国璽の印とは国家の表章として押す宮印で、帝都が阿波にあったことを証明するもの)
〜〜〜電波終了〜〜〜
【阿波国が正式に倭国に降り阿波の国璽の印と国庫の鍵を差し出した】
「持ち出した」ではなく「差し出した」です。
差し出したには譲渡、あるいは提出させられたという意味が込められているように思います。
先ほども少し述べましたが神武東遷にあたり、反対派が「倭」を離れています。
その一派が国璽の印を持ち逃げし、放置されていた物を文武天皇に返却したとも考えられます。まったくもって「倭は阿波、阿波は倭」の証拠になりません。 〜〜〜電波発信〜〜〜
◆倭国が阿波から奈良へ遷都した理由◆
白村江の戦いで大敗したため、しぶしぶ山に囲まれた奈良へ遷都(避難疎開)した。
〜〜〜電波終了〜〜〜
文武天皇が遷都とする阿波説ですが、
そのころは統一新羅が唐と対立を始めて倭にはせめてこないと確信していました。
しかも、天智8年(669年)に遣唐使を送っています。
計画段階で遷都不要の判断ができたはずですが。
『日本書紀』の天武天皇5年(676年)に天武天皇が「新城(にいき)」の選定に着手し、
その後も「京師」に巡行したという記述がある。
天武天皇の死後に一旦頓挫した造営工事は、持統天皇4年(690年)を境に再開され・・・
>天智天皇が唐に詫び外交を取りながら、一方で遷都(避難疎開)の準備に取り掛かった。
ここへ来てやっと【阿波が王都としてふさわしくない場所】だったとわかったと言うのです。
古代皇族を捏造民族阿波人の知能と一緒にしないで欲しい。
神武天皇は最初から出発地点から東にある奈良を目指していました。
「東に美き地あり、青山四周れり、天磐船に乗りて飛び降る者有り、云々、是饒速日と謂うか。この地こそわが天業を恢弘すべきところとおもう」 〜〜〜電波発信〜〜〜
菊の十六紋を神紋とする「神武天皇を祀る樫原神社」
阿波忌部族の勢力圏となる吉野川南岸部をすべて見下ろす地に建つのが
「橿原神宮」の元社と囁かれる阿波市土成町樫原の「樫原神社」であり、
祭神を神武天皇の元名・「神倭伊波礼毘古命」とし、菊の十六紋を神紋とする。
https://sueyasumas.exblog.jp/9839297/
〜〜〜電波終了〜〜〜
リンク先のページの方は正直に
>祭神神倭伊波礼比古(かむやまといわれひこ)といわれていますが、【どうも近世にいわれ出した】ように考えられ、元来は式内社事代主神社が山上にあったとの説もあります。
と、書かれています。これには【阿波人のウリナラ気質】が見てとれます。
明治政府が橿原神宮を作ったのをいい事に元社に仕立て上げたと言う事でしょう。
カシハラ、カシワラ、カジワラなどはめずらしい名ではありません。
菊の十六紋を付けているところが逆に怪しさプンプンです。
(菊の十六紋の採用は13世紀ごろと言われています。)
国内版ウリナラ。本家ウリナラは自生しないソメイヨシノをウリナラ起源としたり
秒でバレる嘘を、息を吐くように言います。
阿波人がこのようなウリナラ気質では祭神や神社伝承など全くあてになりません。
元名・「神倭伊波礼毘古命」って意味がよくわからないのですが
磐余彦は奈良に到着してからの名前なのですけどね。もちろん「神日本」は記紀の後付けです。
狭野神社 宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田
主祭神 神武天皇 【幼名:狭野尊】
由緒 社伝によれば、第5代孝昭天皇の御代、
神武天皇の御生誕の霊跡に創建されたのが創祀です。
御生誕伝承が宮崎県にあるのです。神武天皇の幼名は狭野です。 〜〜〜電波発信〜〜〜
神武天皇を祭った延喜式神社は阿波市の樫原神社のみ
阿波市で生まれて徳島市で死んだ。
神武天皇像が最初にできたのが徳島
最初に建てるのは生まれた場所か、死んだ場所か、都があった場所
九州に神武がいたなら九州討伐なんか行くわけないわな。
〜〜〜電波終了〜〜〜
>神武天皇を祭った延喜式神社は阿波市の樫原神社のみ
えーっと、あの、えぇ???
>阿波市で生まれて徳島市で死んだ。
いや、宮崎県西諸県郡高原町の狭野神社でご生誕です。
>最初に建てるのは生まれた場所か、死んだ場所か、都があった場所
いいえ、それは建てる人が決めることです。
明治28年 (1895) 日清戦争戦勝記念として、出軍者が神武天皇像を建立した。
【乃木将軍云々は後世の作り話のようです。】
https://www.jsce.or.jp/library/open/proc/maglist2/00897/2010/pdf/B73D.pdf
>九州に神武がいたなら九州討伐なんか行くわけないわな
神武東遷は九州完全征圧後ではありません。邪馬台国は本拠の北九州から東海岸部を征圧していたのです。東遷は西日本最大の平地の奈良を目指したものです。また、反乱分子がどこに現れるかなどわかりません。 〜〜〜電波発信〜〜〜
阿波には長野の諏訪大社の元宮である元諏訪社がある。。
倭は阿波である証拠と言えよう。
〜〜〜電波終了〜〜〜
元諏訪社の伝承について
佐古山に分祀された多祁御奈刀弥神社
【由緒】 この社の中世以前のことについては殆ど知られていないが、藩制時代には藩から厚い信仰を受けたが、
三代藩主(蜂須賀)光隆公が疱疹にかかられた際、この社が奇瑞を著し、一段と信仰が厚くなった。そこで参拝の為、
鮎喰川(あくいがわ)を渡る不便を解消する手段として、この社の分霊を市内の佐古山に勧請された。
その後、この分霊社が市民から深い信仰を得たことは、徳島県人の新しい認識である。
これを読むと、徳島市の佐古山に分祀された多祁御奈刀弥神社が、“諏訪神社”として大いに賑わったことがわかります。
その一方で、「諏訪」の文字がない本社の多祁御奈刀弥神社は、その現状に憂いを持ったのは想像に難くありません。
写真は社前にある社号標で、「元諏訪社」と書いています。佐古山諏訪神社の本社としてこの四文字を加えたのを
後の世に、事もあろうか諏訪大社の“元宮”などと、ずうずうしいにも程があります。
捏造民族アワワ人、恐るべしです。
徳島に建御名方神を祀る神社があるのは、
大彦命を祖とする皇別氏族、高志国造の阿閇氏が阿波に移り住んだためである。
https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipO5wsyv0LeoihWuQQS4unX5W9sJskAb6gxQ5Xt0=s1600-w800
https://yatsu-genjin.jp/suwataisya/suwasya2/pic5/motosuwasya.jpg 〜〜〜電波発信〜〜〜
神武天皇陵=徳島市丈六町秋葉神社(畝傍山の北東)
天の香具山=日の峯山(籠山かごやま) 海が間近の小松島市
畝傍山=徳島市南部(渋野町・勝浦町・丈六町・多家良町・八多町・飯谷町)一帯の山塊
耳成山=中津峰山 徳島市と勝浦町との境界地
橿原の宮=徳島市丈六町辺り
〜〜〜電波終了〜〜〜
神武天皇陵=徳島市丈六町秋葉神社(畝傍山の北東)<根拠なし妄想
天の香具山=倭のコピー
畝傍山=倭のコピー
耳成山=倭のコピー
橿原の宮=徳島市丈六町辺り<根拠なし妄想
これは倭の大神神社と筑紫の三輪町の大己貴神社周辺の地図です。
大己貴神社は古来、「大神様(おんがさま)」と呼ばれ、大神(おおが)氏が関わっているようです。神功皇后の熊襲平定と三韓征伐の伝承地で仲哀天皇9年の創建と伝えられている。 奈良の大神神社(元社)から勧請されたものです。(大己貴と言う時点で説明の必要もないが)
この地名の一致を見ればわかりますが移住者が出ると似たようなものに似たよう名前を付けるようです。
阿波はその狭い四国に再現された「ハコニワ倭国」なのです。
この痕跡をして倭国とは・・・「倭は阿波、阿波は倭」の証拠になりません。
阿波=倭ではなく【箱庭倭国】 亜倭です。亜は似ている偽物の意味。
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/fa/8bb155e98cf905ea32b65ac219bdcbb9.jpg
追記、日の峯山=籠山 これは捏造のようです。 〜〜〜電波発信〜〜〜
(舒明)天皇登香具山望國之時御製歌
天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙り立ち立つ
海原は かまめ立ち立つ
海の無い奈良にカモメはいません
〜〜〜電波終了〜〜〜
国名の邪馬台(やまと)国の名が行政区の大和の国になったからややこしいですね。
千葉県千葉市って感じでしょうか。
山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍
海原波 加萬目立多都 怜■(りっしんべん+可)國曽 蜻嶋 八間跡能國者
大和にはたくさんの山があるが、特に良い天の香具山に登って、国を見渡せば、
国の原には煙があちこちで立ち上っているし、
海には、鴎が飛び交っている。本当に良い国だ、【蜻蛉島の日本(やまと)の国】は。
【蜻蛉島って言うのは日本列島を指している】のです。四国ではありませんね。
仮にも天皇が聖山に登って国見をして「海は遠いから見えな〜い」と歌う訳がないですね。
加えて、考古学的にも大阪湾はもっともっと広かったと言う事で実際に見えていた可能性もあるそうです。
「倭は阿波、阿波は倭」の証拠になりません。むしろ、香具山が四国ではない事がはっきりとわかる歌なのです。 〜〜〜電波発信〜〜〜
国生みで造られなかった出雲
古事記には,イザナギとイザナミがオノコロ島から水蛭子(ひるこ)と淡島を生んだ後,
1.淡道(あわじ)の穂(ほ)の狭別島(さわけしま)(淡路島)
2.伊予二名島(四国)粟国,讃岐国,伊予国,土佐国
3.隠伎の三子島
4.筑紫島(九州)筑紫国,豊国,肥国,熊曾国
5.伊伎島(壱岐島)
6.津島(対馬島)
7.佐渡島
8.大倭豊秋津島(畿内)
先に大八島(おおやしま)を作ったと書かれ,古代の日本(やまと)の勢力範囲を示している。しかし,國造りの後に古事記の舞台となる出雲は作ったと書かれていないのである。
にもかかわらず,その出雲を書かれてもいない島根県にあてはめ,その読み間違えたままの古事記解釈が現在も伝え続けられ出雲は島根県のことと思い込んでいる。
しかし,地図を見ればわかるように,古代の日本(やまと)の勢力範囲の中に中国地方は含まれていない。
故に,國造りの後に書かれる出雲は,現在の島根県でないことは明らかである。
http://park17.wakwak.com/~happyend/kojiki/awa/img/awa08.gif
〜〜〜電波終了〜〜〜
ご説明の必要もありませんかね・・・このサイトをさらっと読んだのですがあまりにひどい内容で・・・中でも断トツのものを選びました。
>8.大倭豊秋津島(畿内)
大倭なのに畿内なのですねw 畿内は島なのですか?倭は阿波ではないのですか?
なぜ四国を比定しないのです? わははははは
変な曲解をするので7.佐渡島が不自然に離れていますね。
大倭豊秋津島(本州)とすれば何も問題がおこりませんね。もちろん出雲も含むのです。
自由と言えば自由なのですがこのような内容を公開して恥ずかしくないのでしょうか? 〜〜〜電波発信〜〜〜
「阿波」は、奈良・京都・玄界灘と比べて、まさに「非時香果」実る「常世の国」。
田道間守が天皇の命により「非時香菓(ときじくのかくのみ)」すなわちタチバナ(橘)を求めに常世国に派遣された。
その常世の国(とこよのくに)とは、天皇家の故郷「阿波」を指していると考えざるを得ない。
〜〜〜電波終了〜〜〜
田道間守は第11代・垂仁天皇に仕えた忠臣です。
阿波にいるはずの垂仁天皇がどうして田道間守を阿波に派遣するのでしょう?
まったく主張の意味がわかりません。
むしろ王都は阿波ではないと宣言しているように思えます。
倭は阿波、阿波は倭ではない証拠と言えるでしょう・・・w
田道間守を「但馬国の国守」として垂仁天皇より後世(文武天皇以降)の出来事と言い逃れをしますがその時代の阿波は未開の国だったのでしょうか?
少し前まで王都だったはずですけど?支離滅裂で意味不明。 〜〜〜超絶電波発信〜〜〜
阿波町の長峰一帯は、「饒速日命」の支配地であったとみられる。
「阿波」には「にぎはやひ」の「はやひ」が変化して「林(はやし)郷、郷司(はらし、ごうし)」谷となった伝承が残る。
そして、周辺には「饒速日命」に因んだという古代からの「林」が西林・東林として今もなお残っている。
また「饒速日命」は「古事記」の神武東征条で、伊那佐の山の歌のあと、神武のもとに天降ってきて天津瑞(みしるし)を献ったとある。
郷司谷のすぐ下流(東)に伊沢(旧 伊那佐和(いなさわ))、伊沢谷川(伊那佐和谷川)があり、その上流が歌の中の「伊那佐の山」にあたると伝わる。
さらに神武天皇が即位後の国見で「昔、饒速日命がこの国に降ったとき、そらみつやまとの国と名付けたと曰う」とあるが、
郷司谷のすぐ上流(西)が「そら地方、みつ地方のやまと」にあたる美馬郡なのである。
【根拠】
「本郡林村郷司谷に宮居せる神ありて、河畔に梅林をつくり給ひ、自ら慰みておはせ事ありき其後 開化天皇の御宇、伊香色雄命来りて同村日吉谷に宮居し給ひし頃、梅林を東西に分ちしと伝ふ。」(阿波郡誌)
物部氏、蘇我氏、葛城氏等、朝廷の伴として仕えた倭の有力豪族の祖は、
「伊迦賀色許売命(いかがしこめ)」・「伊迦賀色許男命(いかがしこを)」の姉弟である。
「新撰姓氏録」には「伊迦賀色許男命」は「饒速日命(にぎはやひ)」の六世孫とあり、
イカガシ姉弟の祖神は「饒速日命(にぎはやひ)」となる。
〜〜〜超絶電波終了〜〜〜
これのどこが「にぎはやひ」から「はやひ(し)」なのでしょう?
どこに名前が転じたと書いてあるのですか?
本郡林村郷司谷に宮居せる神が伊香色雄命の祖だとどこに書いているのですか?
この神が作った梅林を伊香色雄命が東西に分けたと書いているだけです。
【実はこれ、阿波説、捏造ブログからのコピペです】
伊沢谷川(伊那佐和谷川)←このような事実はありません。捏造です。
そら地方、みつ地方 ←このような事実はありません。捏造です。
西林(にしはやし)=にぎはやひw このような嘘を軽々しく信じる人がいるのです。
このような悪質サイトは絶滅させる必要があります。 〜〜〜電波発信〜〜〜
【壬申の乱】の舞台は 「阿波」だった。
大友皇子軍の淡海の大津宮=阿波吉野川下流域北岸の鳴門市大津町木津
大海人皇子軍の吉野宮=吉野川上流域北岸の三好郡三野町加茂宮
これが天武天皇紀の戦闘記事である、本来の壬申の乱の舞台なのである。
天武天皇紀に記される地名が、今も阿波吉野川北岸の地名にはっきり残っている。
・大津宮:鳴門市撫養町木津、鳴門市大津町木津野
・菟田(うだ):板野郡土成町鵜田尾(うのたお)
・鈴鹿:板野郡土成町樫原を流れる鈴川(すずかわ)
・桑名:板野郡土成町と阿波市市場町の境 九王野(山)
・安八麿(あちはま):阿波市市場町粟島(あわしま)
・尾張:阿波市市場町尾開(おばり)
・倭京:阿波市市場町奈良坂(若宮皇太神宮)
・不破道:阿波市市場町大門から讃岐に通じる奈良街道
・乃楽山(ならやま):阿波市市場町奈良街道沿い城王山(旧名 奈良山)
・美濃:三好郡三野町
・高安城(たかやすのき):美馬市脇町の大滝山
・吉野宮:三好郡三野町加茂野宮
〜〜〜電波終了〜〜〜
全て根拠のない妄想です。言葉遊びです。特にひどいのをご説明。
・乃楽山(ならやま):阿波市市場町奈良街道沿い城王山(旧名 奈良山)
城王山=旧名 奈良山。このような事実はありません。
そもそも『奈良街道』を何だと思っているのでしょうかw 信じられない捏造です。
無知にも程があります。電波サイトのコピーでしょうか? 〜〜〜電波発信〜〜〜
古代飛鳥 小松島市は、古代飛鳥の京(みやこ)であった。
【飛鳥の地は小松島市一帯】
小松島市嶋ノ宮神社南方の大林町は「あすか」と呼ばれていた。 江戸時代まで「飛鳥神社」が鎮座していた。
舒明天皇―飛鳥岡本宮(小松島市千代ヶ原)
天の香久山―小松島市日峯山・籠山(かごやま)
斉明天皇―後飛鳥岡本宮(小松島市千代ヶ原)
天智天皇―後飛鳥岡本宮(小松島市千代ヶ原)
→近江(飛鳥嶋の宮:小松島市嶋ノ宮神社南方の大林町)に遷都
天武天皇―飛鳥嶋の宮(小松島市嶋ノ宮神社南方の大林町)→飛鳥浄御原
持統天皇(飛鳥浄御原)→阿波藤原宮(麻植郡鴨島) ただし、奈良藤原京は文武天皇御宇に奈良遷都
〜〜〜電波終了〜〜〜
またです。全て根拠のない妄想です。
小松島市嶋ノ宮神社南方の大林町は「あすか」と呼ばれていた。=捏造です。
アスカなどと言う重要な地名は簡単に消えてしまうようなものではありません。
アスカの地名を小松島市大林に変更した奴は処刑すべきです。(そんな人はいません)
江戸時代まで「飛鳥神社」が鎮座していたらしいですがどこへ行かれましたか?
日峯山が籠山と呼ばれた事実もありません。
延喜式内社に着目した四国沿岸部における神社の配置と津波災害リスクに関する一考察
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejsp/72/2/72_I_123/_pdf
小松島の平野部は殆ど危険地帯。
小松島市、徳島市の沿岸部においても、ほとんどの式内社が津波浸水域からはずれている。
(中略)小松島市付近では、想定浸水域を縁取るように式内社が鎮座していることがわかる。 〜〜〜電波発信〜〜〜
「大宜都比売(阿波の神)=天石門別八倉比賣=天照大御神」
〜〜〜電波終了〜〜〜
【天石門別八倉比賣神社】
社名から考えて、天石門別神と八倉比売命の二座を祀るはずだが、何故か延喜式でも一座とされ、 現在も八倉比売命のみを祀っている。
ただし、参道沿いの箭執神社で天石門別神(櫛岩窓命・豊岩窓命) を祀っているので、これでいいのかもしれません。
主祭神は当然ながら八倉比売命のはずなのだが、境内の案内板には大日孁女命と書かれている。
両者は同一神ということなのだろうか?いや、天照大神を八倉比売命という別名で祀っている神社は見当たらないので、どう考えても本来は地元神で伝承が失われた女神だろう。
天石門別神の近親者と考えざるを得ない。天石門別神は天孫・瓊瓊杵尊に従って天降るのだから八倉比売を天照とするのは、完全に間違いである。
【天石門の名から岩戸神話と結び付けて大日孁女(天照大神)としたのは間違いない】
八倉比売≠大日孁女命(天照)
【上一宮大粟神社】(徳島県名西郡神山町に鎮座)
大宜都比売神を祀るこの神社ではこの八倉比売が配祀されている。
この配祀神を主祭神と同体とし、ウリナラしたものである。阿波人ならやるだろうね。 〜〜〜電波発信〜〜〜
「延喜式神名帳」の、大和国山辺郡条には、「大和坐大国魂神社」とある。大和国の「大和」である。
「延喜式神名帳」の、阿波国美馬郡条には、「倭大國玉神大国敷神社二座」とある。阿波国なのに「倭」である。
これは、「倭」が大和国や筑紫国などではなく、阿波国であったことの証左に他ならない。
〜〜〜電波終了〜〜〜
大国魂神は、倭(やまと)成す大物主と謳われた大物主の別名と思われ、あえてヤマトと言う必要性はないのでしょう。大和坐倭大国魂神社では、くどいような気がします。
阿波の方ですが倭大國玉神大国敷神社【二座】とあります。
これは、「阿波の地主神である大国敷」と「大物主の別名である大国魂」のニ座の神社です。
名前が似ているため混淆しないよう倭大國玉と明記しているだけです。
「大國玉神は阿波の神ではありませんよ。倭の神ですよ。」と、言う事です。
倭、大和、日本、遅くとも8世紀には全部ヤマトと読まれていたはずですがこれが証拠になりますでしょうか?「橿原」と「樫原」の違いはどうでもいいのですよね?
大国敷神社の案内板が設置されたようですがウリナラ臭がしますね。
組織ぐるみで何かをたくらんでいるようです。
「倭は阿波、阿波は倭」の証拠になりません。むしろ、倭が阿波ではない事がはっきりとわかる神社名なのです。 〜〜〜電波発信〜〜〜
「五月庚寅遣使者奉弊干四所伊勢。大倭。住吉。紀伊大神。告以新宮。」
五月庚寅の日、使者を派遣して伊勢国。大倭国。摂津国。紀伊国の四か国の国魂乃神に弊を奉り、藤原の新宮処が完成したことを告げた
藤原京は畿内(大倭)ではないな。10崇神〜41持統まで阿波王朝
〜〜〜電波終了〜〜〜
まったく主張の意味がわかりません。
藤原京の完成を【近畿4国の国魂乃神に報告した記事です】
地鎮祭的な報告なのでしょう。
阿波の国魂乃神には陸で繋がってないので報告されていませんね。
>畿内(大倭)
持統以前も畿内は大倭と呼ばれていたのですねw
倭は阿波、阿波は倭でない証拠とさせていただきます。 〜〜〜電波発信〜〜〜
熊野の土豪・高倉下が一振の剣を神武天皇に奉ると、天皇は失神から目覚めた。
この熊野とは、阿波市土成町高尾字熊之庄の熊野権現(熊野神社)
「熊野神社」
神武東征(阿波市→鳴門市)に関わる神社で、熊野の戦いの旧跡に祀られた神社
https://sueyasumas.exblog.jp/9791934/
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。
〜〜〜電波終了〜〜〜
勧請ですね。権現・・・仏教の影響ありですが。
布都御魂は奈良県天理市の石上神宮に鎮座されているのですけど?
これも阿波からの移転ですか?もうね、本当に。はぁ・・・。
>神武東征(阿波市→鳴門市)
約40km わははははは 阿波猿の大冒険ではないのですよ。 〜〜〜電波発信〜〜〜
本来、「淡海」とは「阿波海」のこと。
そもそも通説とされる滋賀県の「大津」は平安遷都の際に「大津」の地名が誕生している。
よって天智天皇の時代には滋賀県(近江)に「大津」の地名は存在しおらず、現在の通説では不都合が生じてしまう。
〜〜〜電波終了〜〜〜
滋賀県大津市、地名の由来。
667年に天智天皇がこの地に遷都し「志賀大津の宮」と称され、その後「古津」に。
794年に天智天皇を仰慕して「大津」と改称。【都市データパック2011年版・東洋経済新報社】
不都合は生じません。
地名の由来が宮名なのです。宮名の由来が地名なのではありません。
藤原氏の傀儡である天智天皇は白村江の戦いと言う国益に反する決断をしかつ、敗北するという大失態を犯し豪族からも人気がありません。
天武系天皇から大津宮周辺の地名を小津(古津)にされたのではないだろうか?
その後天武系皇子たちが暗殺され皇統が途絶えた結果、暗殺大好き天智系桓武天皇により大津に改称したのが794年の事となるのです。 〜〜〜電波発信〜〜〜
天智天皇は阿波の鳴門一帯を政治の拠点としていたのである。
「天智天皇鳴門市北灘に鎮座する葛城神社の隠された祭神が天智天皇である」
〜〜〜電波終了〜〜〜
葛城神社と言えば一般的に「葛城の一言主神」ですね。
しかし、薩摩の葛城神社は天智天皇が祭神なのです。「葛城皇子」の葛城ですね。
阿波に葛城神社があるから何だと言うのでしょうか?
隠された祭神と言いますが【誰が何のために隠したのでしょう?】隠す理由がありません。
朝廷からの圧力があったとでも言うのでしょうか?たしかに大物主に関しては大己貴への祭神名の書替命令があったような事は伺えます。
しかし、阿波説によると古事記は当たり前のように阿波の事について記載しているとしているのです。加えて言えば、この神社は葛城の一言主を祭神としています。一言主は四国と縁があります。(後述)
当たり前のように、葛城神社なのです。隠されているのではなく【元から祀られていない】のです。阿州北灘葛城大明神縁起に「天智天皇九州の地に遠征したまふ時、この大神随従ましまして阿州の地に渡らせたまひ」と天智の名が見えた事を良い事にウリナラしたものであると断言できます。これは天智が畿内→阿波→九州へ行った記事です。「阿州の地に渡らせたまひ」は海を越えて阿州(阿波)に来たと言う意味です。
「近江」=「阿波海」と言う、いじきたない言葉遊びがうまく行った事から
この神社をウリナラしたものであるのは間違いありません。樫原神社と同じですね。 〜〜〜電波発信〜〜〜
鯨魚取り 淡海の海を 沖放けて 漕ぎ来る船 辺付きて 漕ぎ来る船
沖つ櫂 いたくな撥ねそ 辺つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の 夫の 思ふ鳥立つ
この歌はの「淡海」は近江ではない阿波海だ!鯨魚などいないだろう。
〜〜〜電波終了〜〜〜
通説どおりの解釈でOK!というのも味気ないので新説を。
倭姫王、いかにも偽名くさいの天智皇后であるが父親は古人大兄皇子とされている。
さて、蘇我入鹿暗殺と百済の役(白村江)の敗北と言う大罪を犯した葛城皇子(天智)は唐からの討伐軍を恐れて、阿波を経由で九州(那の津)に遠征。(阿州北灘葛城大明神縁起、一言主と共に葛城一族の支援を要請したものと推測)
北九州の防備を固めて後、天智自身はやや安全な山口県へ移動。
==以下要約転載==
https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12535580554.html
鯨魚や千鳥がいる淡海とは、山口県長門市の青海島【おうみしま】
琵琶湖付近に自生していない橘(タチバナ、なつみかん)も青海島には原種が自生している。
山口県長門市は市町村合併で出来たもので、つい最近まで【大津郡】と呼ばれていた。
青海島あたりでは近代まで捕鯨がさかんであったらしい。
===転載終了===
行宮としてしばらく滞在し、行宮の地名にちなんでのちに滋賀へ遷都したのではないだろうか?これらは推測の域を出ないが
『青海』の海を・・・OK
『近江』の海を・・・OK
『阿波』海の海を・・・ん、これは無い。
【 阿波の海を 沖放けて と、詠むべきです】
場所の特定は難しいですが阿波だけは絶対にありません!! 〜〜〜電波発信〜〜〜
「丹」も「橘」もあるのは四国だけ邪馬台国は四国に決まっている。
動かぬ、倭国(阿波)の決定的証拠:「其山有丹」=「若杉山辰砂採掘遺跡」
〜〜〜電波終了〜〜〜
火山列島の日本では辰砂はめずらしい物ではありません。
引用可能な文献に記載された辰砂の産地リストです。書ききれないほどあります。リンク先を参照下さい。年号は文献記載年。
698年 伊予, 伊勢, 日向, 豊後
1805年 然別鉱山(北海道, しかりべつ, ユーヤンベツ鉱山, Au)
1886年 溝部鉱山(大分, 草本鉱山, 小屋川鉱山)
1892年 水井鉱山(徳島, すいい, 由岐鉱山ゆき)
1894年 屏風岩(奈良, 曽爾)
https://trekgeo.net/m/e/cinnabar1.htm
畿内説が主流だったころ、ホケノ山古墳に阿波朱が副葬されていた。
畿内説の至宝の△の起源と思われる画紋帯神獣鏡が、阿波経由である可能性が高く
前方後円墳の萌芽である円墳も阿波発である可能性が高い。
ということから、阿波のほうが文化的に上位だったのでは、と思われた。
また、阿波で水銀朱採掘遺跡である若杉山遺跡が見つかったことから、
「其山有丹」の倭国が阿波だったのでは、という可能性が浮上した。
だが、「其山有丹」も直前の「出真珠青玉」との対比によって、丹を産出していては失格であり、
【山に丹が有るけれども中国朱を使っているからわざわざ採掘していない】
が正解であることが明らかとなり、阿波は北部九州倭国から遠く離れた出先機関に過ぎなかった、ということが明らかになった。 タチバナ(橘、学名:Citrus tachibana)は、ミカン科ミカン属の常緑小高木で柑橘類の一種である。
別名はヤマトタチバナ、ニッポンタチバナ。
日本に古くから野生していた日本固有のカンキツである。
本州の和歌山県、三重県、山口県、四国地方、九州地方の海岸に近い山地に
まれに自生する。近縁種にはコウライタチバナ(C. nipponokoreana)があり、
萩市と韓国の済州島にのみ自生する(萩市に自生しているものは絶滅危惧IA類に指定され、
国の天然記念物となっている)。
静岡県沼津市戸田地区に、国内北限の自生地が存在する。
この橘。五十猛が九州から和歌山・三重に運んだのではないでしょうか?
大粟姫がその後、四国に持ち込んだと思われる。 〜〜〜電波発信〜〜〜
『日本書紀』や伊佐爾波神社(愛媛県松山市)の社伝、伊予国風土記逸文などによると、
厩戸皇子(聖徳太子)だけでなく、景行天皇・仲哀天皇・神功皇后・舒明天皇・斉明天皇(皇極天皇) ・中大兄皇子(後の天智天皇)・大海人王子(後の天武天皇)
など多くの皇族方が病気療養のため四国の道後温泉に行幸、来湯している。
それは取りも直さず、道後温泉が倭国王都(阿波)と同じ四国に在り、湯治場として近かったからに他ならない。
〜〜〜電波終了〜〜〜
日本で初めて正式な歴史書として編纂された『日本書紀』には、
特に7世紀前半から中頃にかけて、天皇や皇族が「伊豫温湯」や「紀温湯(きのゆ)」
(現在の白浜温泉)などへ出かけたという記事がしばしば出てきます。
温泉への行幸は一般的な行幸と異なり長期間にわたって行われたため、
現地に滞在して湯治を行う目的だったとされています。
斉明天皇4(658)年、斉明天皇や中大兄皇子が「紀温湯」へ温泉行幸をする間、
有間皇子は天皇らの留守を預かっていた蘇我赤兄(あかえ)に唆されて謀反を企てました。
奈良から和歌山や四国くらい行きますよ。阿波説は考えがミクロすぎます。
3〜7世紀の人間をどう考えているのでしょうか?
半島へ行き来している一族もいるのですよ?
神武東征が40kmですものねw 赤ちゃん猿の大冒険でちゅか? 〜〜〜これは電波ではないが〜〜〜
大嘗祭の三種の御膳は徳島産
なぜか地元畿内の山の幸は食べません
魚介は若狭や伊勢の新鮮なのを食べればいいのに、遠く離れた阿波の古い魚介を食べる
一番大事なハレの儀式でね。そこまで徳島産に拘る理由ってなーに
〜〜〜その理由をお答えします〜〜〜
日本サッカー協会のシンボル、ヤタガラスはご存じですよね?
神武天皇の東征を先導したとされ【勝利の象徴とされる八咫烏】ですが
この烏は賀茂建角身命の別名なのです。
東征後に神武天皇が皇后に迎えたのは大物主の娘なのですが、母は賀茂建角身の娘なのです。(神武皇后の母と、祖父である角身は共に賀茂御祖神社の祭神です。)
もうおわかりでしょうが神武東征とされるのは記紀の皇国史観に基づいた伝承の書替であり、実際は大物主の娘婿になるために八咫烏こと賀茂建角身に呼ばれて来たのです。姫のおじいちゃんに連れられて播磨国風土記に見える伊和大神=大物主と少彦名が平定済みの地を安全にやって来たのです。長髄彦の抵抗と言うトラブルがあったものの戦闘征圧目的ではなく九州の邪馬台国と奈良の虚空見日本国の合併に伴う首都移転(東遷)だったのです。
余談ですが、神武天皇と皇后は共にスサノオの末であり、その血が合流するのです。
嵯峨天皇が、「素尊(すさのおのみこと)は則ち皇国の本主なり,故に日本の総社と崇め給いしなり」と「津島神社」に「日本総社」の号を奉られたのはこのような理由によるものと思われます。
>神武東征(阿波市→鳴門市)
実は、約40kmよりも「東征」としている部分が わははははは なのです。
それとも【八咫烏は日本国の売国奴】だったとでも言うのでしょうか? さて、平田篤胤が指摘するように、天岩戸の伝説のお酉様こと忌部の祖、天日鷲が八咫烏こと賀茂建角身と同体なら、阿波は神武天皇に大きく関わっています。
おそらく真ルートは、神武天皇生誕の宮崎→(いったん本国、北九州へ行ったか?)→速吸門→阿波→淡路→和歌山→奈良
記紀は神武天皇が勇ましく東征したとしたので【東遷の事実を隠すため阿波国風土記が封印された】のでしょう。 おそらく抵抗勢力の説得に時間を要し、かなりの長期間阿波に滞在されたものと思われます。神武天皇と阿波のつながりは、これです。
したがって阿波(忌部)が「邪馬台国」と饒速日命が命名した「虚空見日本国」の合併を主導したとも言えます。
大嘗祭の担当をするのはこう言う経緯からなのです。
重要な役割をした阿波ですが、倭国も邪馬台国も阿波ではないのです。
天日鷲は高皇産霊尊こと高木神の裔神。
賀茂氏も高皇産霊尊または神魂命(かみむすび)の神裔とされている。
おそらくタカムスビとカミムスビは同一で本来の神道の最高神と推測されます。記紀からも高皇産霊神が大日霊女=偽アマテラスより上位の存在である事が伺えます。
阿波は偉大な存在だった。これは確実に言えるのです。
一説に少彦名は天日鷲の別名であるらしいので、大物主と国作りに
西日本を駆けずりまわったのでしょう。 〜〜〜これは電波ではないかな〜〜〜
畿内古墳の構造(葺石・竪穴式石室など)や副葬品(水銀朱・勾玉・鉄器など)を見れば、
一発で「忌部一族(阿波勢力)」のお墓と判る
〜〜〜でも理由をお答えします〜〜〜
先程の説明と重複します。茂建角身は神武皇后の祖父。
三島、賀茂、忌部一族は、畿内に進出しているからです。
『名東郡一宮村一宮大明神』によると、大宜都比売命は別名を大粟姫命と云い、
元は伊予国大三島に鎮座していた。
大阪府高槻市の「三島鴨神社」(古代賀茂社領)
祭神は大山祇神と事代主で、「三島大社」と同じだが、
ここの大山祇神は朝鮮半島の百濟から渡来してきた【渡りの神】とされ、
ここから伊予・『大三島』の「大山祇神社」へ遷座した(『伊予国風土記・逸文』)
大阪府高槻市の三島鴨神社は、三島溝咋耳(賀茂建角身)命の父神が大山祇神としているらしい。
阿波忌部(三島・賀茂一族)は当時としての先進技術も持った百済系であるようです。
伊予国風土記はどこかのものと違って正直ですね。
個人的には百済ではなく高霊加羅を推したいです。加羅諸国では最強の国が大加羅を名乗るようです。最終的に大加羅になった国です。
伽倻山の山神に対する信仰があったようです。
はい、もちろん『高』皇産『霊』尊からの妄想です。
ですが、古代人と言うのはさほど異民族に寛容であるとは思えないのです。
同じ倭人の国から来たのではないでしょうか? (参考)賀茂氏の没落
先に登場した一言主神は、事代主(大物主)の別名、またはその裔神と考えられています。
どちらにしても、賀茂氏が奉じる神であるのは間違いないのですが
時代が下るにつれての没落ぶり眼につきます。これは賀茂氏の没落を意味しているのです。
『古事記』(712年)の下つ巻
雄略天皇が葛城山へ鹿狩りをしに行ったとき、紅紐の付いた青摺の衣を着た、
天皇一行と全く同じ恰好の一行が向かいの尾根を歩いているのを見附けた。
雄略天皇が名を問うと「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」と答えた。
【天皇は恐れ入り】、弓や矢のほか、官吏たちの着ている衣服を脱がさせて一言主神に差し上げた。
『続日本紀』(797年)の巻25では、高鴨神(一言主神)が天皇と獲物を争ったため、
【天皇の怒りに触れて土佐国に流された】、と書かれている。
『日本霊異記』(822年)では、一語主(一言主)は役行者(これも賀茂氏の一族)に【使役される神にまで地位が低下】しており、役行者が伊豆国に流されたのは、
不満を持った一言主が朝廷に讒言したためである。 ◆阿波人のウリナラ気質について
このような経緯を確認すれば、阿波(忌部)は大王と同格であったと思われます。
しかしながら、阿波は倭(王都)ではない。時代が下るにつれて取り残され、ただの田舎になっていく阿波。内容は失われつつもかつての栄光が伝承され自負するに反して忘れ去られていく阿波。こうしたジレンマがごく一部の阿波人にウリナラ気質を生じさせているのでしょう。(※注意!ほとんどの健全な徳島県人の方には関係のない話です。)
倭=阿波説は存在する文献に沿った照合や説明を行っているぶん邪馬台国畿内説なんかよりはかなりマシとは言えますが、阿波忌部は高皇産霊尊の神裔なのです。曲解し無茶な歴史をねつ造しないでその事に胸を張ってはいかがでしょうか。
阿波が邪馬台(やまと)と日本(ひのもと)の間を取り持ったのですから。
「道は阿波より始まる」はこの意味では正しいのです。
小さくとも捏造と言うのは看過できません。
国際社会では、かつての皇国が犯してもいない罪を犯したように認知されてしまっています。
全て、捏造から始まっているのです。
少なくとも、@阿波氏、他数名は気持ち悪い面をアバターとした捏造ブログの内容を
真実と信用し内容も理解せず悪びれずにコピペして宣伝しているではありませんか。
乃楽山(ならやま)=城王山(旧名 奈良山)
西林(にしはやし)=にぎはやひ
その他、神社の祭神のすり替え、捏造。
この数名が百名、千名と増えて行った時にそれは真実に置き換わる可能性があるのです。
阿波国古代研究所の方が捏造を始めないとは言い切れない。
今のうちに先行して、阿波説をつぶしておく必要性があると思います。
邪馬台国阿波説くらいならいいのですが持統朝はよくばりすぎです。
阿波国古代研究所の方、見ているならで出てきて下さい。 メールは送らているはずですが。 阿波古事記 批判
http://kamnavi.jp/uga/awakojiki.htm
日本史のブラックホール・四国
http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/black.htm
より抜粋
世の中には、ほとんどまったく誤りだ と思える自説を強く信じて、他説を論難攻撃してやまないタイプの人が相当数存在しているということである。その説は、どのような説得によっても、訂正されることがない。( 中略)
自説は“仮説”ではなく、いかなる方法をもっても死守すべき“絶対の真実”なの である。そして、ひとたび自説の立場に立てば、自説にとって、いかに不自然な事実も、 眼にはいらなくなる。
みずからが、ゆがみ、逆立ちしている可能性もあるのであるが、 みずからは、絶対にゆがんだり逆立ちしていないと、頭からきめてかかるのであるから 、他の説はみなゆがみ、さかだちしていることになる」 以上テンプレ。前スレが終わってからお願いします。
もうネタもないでしょうがまったりどうぞ。 スレタイトルに「2」とありますが、実際には3スレ目・・・少なくともそれ以上・・・だと思います。 まともな阿波の人に聞きたい。
多祁御奈刀弥神社は本当に古来より「たけみなとみじんじゃ」なのでしょうか?
祭神の名が欠落するのはどうも納得できないです。
多祁御奈刀 弥
タケミナカタ イヤではないでしょうか?
弥はいよいよ、行き渡る、ますますの意です。
八坂神社は、弥栄(いやさか)から来ているのはご存知と思いますが、、、
地元で詳しい方はいらっしゃいませんでしょうか? >>35
さすが「阿波」。 盛り上がるねぇ。 よかよか。 @阿波 「知能の低い一行書き」と「阿波国古代研究所のバイト」による
無駄な書き込みが多いです。内容の濃い書き込みを希望します。 >>38
>内容の濃い書き込みを希望します。
そりゃ、無理だわ。 「阿波」以外には、なんもないんだからww わははははは @阿波 >>36
多祁御奈刀弥神社は延喜式の式内社の多祁御奈刀祢神社に比定されてますのが、それより昔のことを調べるのはかなり困難かと。 >「知能の低い一行書き」
江戸時代の卑弥呼論争も知らない無学男だから、一行が多いわけだね。ww 松下見林や新井白石、本居宣長に対抗して、「阿波」の人たちは捏造に走ったのだという。
阿波人、あっぱれなり! わははははは @阿波 〇松下見林や新井白石、本居宣長をITで俄か勉強して、「無学」のオレは
学あるように装ったのだとバレた。
阿波ゴリ、あっバレなり! わははははは @阿電波 >>40
そうですよね。残念ですが。
しかし、現地の阿波人や当の宮司は不思議に思わないのでしょうか?
祭神名は正しく伝わっているのに神社名が違うなんて。
多祁御奈刀弥、私ならタケミナカタ・イヤかヤ以外に読めないのですが。
タケミナトミとは何かと。
ん、多祁御奈刀「祢」神社が正しいのですか?
では、タケミナカタ・ミタマヤ神社ではありませんか?
どちらにしても誤伝だとしか思えないのです。
不思議に思わない阿波人ってやっぱり、、、
(まともな人も少なからず居るのは理解していますが。)
水銀と大麻の影響が強いのではないかと、、、。
@阿波やアワオトコを見ていると思いたくなってしまうのです。 やはり、読みどころか神社名すら誤伝しているのでは?
これが諏訪大社の元社などと、ヘソでマグマが噴火しますわw
阿波人はやはり恐るべしかな。 タケミナカタの名前は名方(なかた)郡の郡名の由来とも言われますし、
(郡名が先?神様の名前が先??)
色々ややこしそうでは有りますね。 >>45
それにしても、お前んとこは煙も立たんな。 なんでや? まぁ、当たり前かww わははははは @阿波 >>45
>阿波人はやはり恐るべしかな。
いや、松下見林や新井白石、本居宣長を向こうに回して、捏造に走ったのだというんだから、
阿波人、あっぱれなり! わははははは @阿波 >>45
阿波人は、「阿波」国内あっちこっちで、江戸幕府御用学者を敵に回して、捏造を働いてたらしいな。
それもすごいことだ。 阿波人、あっぱれ! @阿波 >>45
それに引き換え、お前んとこはヘタレじゃのう。 もっとも捏造するネタが無けりゃなんも出来んわな。 わははははは @阿波 〇松下見林や新井白石、本居宣長をITで俄か勉強して、「無学」の落士号のオレは
学あるように装ったのだとバレた。
阿波ゴリ、あっバレなり! わははははは @阿電波 >>47-50
流石にここまで捏造が見破れると認めざるを得ないかw
捏造する必要がないんだよ。記紀が都は奈良だと言ってるのだから。
確かに阿波は東遷時には国の合併を主導する立場であった、
江戸時代から歴史を捏造する小賢しさがあったと。
ある意味ではすごい。
でも、都ではなかった。結論が、出たようだな。
倭は阿波ではない。倭は倭であり、阿波は阿波である。 橘
木偏に矛に商いの下側か
どういう意味だろう?
神、 >>52
>記紀が都は奈良だと言ってるのだから。
捏造に走った「阿波」のような集落遺跡群が無い、ジメジメ湿地帯の奈良盆地が王都だよな。 よかったな。 わははははは @阿波 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
珍説・奇説
『倭は阿波説』のぶった切り!完了
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
阿波国古代研究所や捏造ブロガー達と同じで
ダンマリ決め込んでこっそり活動する気だろうな。
他スレで阿波説が目障りになったらここを活用して下さい。 で、阿波国古代研究所のバイトがスレ流し開始。
パターンすぎるw つってもさ、
俺の自由意志で書いているわけでもないからさ、
悪側の人、
もしくは悪側コンピューターが俺に書かせているわけよ
なんか理由有るんじゃないの?
神、 こら、スレ主! いったいこのザマはなんだ!
いつ、阿波説はぶった切られるんだ? しゃんとしろ! わははははは @阿波 〇松下見林や新井白石、本居宣長をITで俄か勉強して、「無学」の落士号のオレは
学あるように装ったのだとバレた。
阿波ゴリ、あっバレたり! わあっぱっぱはははは @阿電波 「阿波は鉄器鍛冶王国」
阿波は、遺跡発掘が少ない発掘後進県にも関わらず、
阿波一国だけで現在、阿波各地10か所もの弥生時代鉄器鍛冶炉遺構が出土している。
「加茂東原遺跡」・「拝原東遺跡」・「光勝院寺内遺跡」・「矢野遺跡」・「名東遺跡」
・「庄、蔵元遺跡」・「高川原遺跡」・「鮎喰遺跡」・「加茂宮ノ前遺跡」・「芝遺跡」
このように阿波は、他地域に見られない最高・最新の文化水準を誇り、まさに「邪馬臺国」に相応しいと言える。 @阿波 ふさわしくない。
阿波は邪馬1国の場でなく2名島で 1≠2 にして女王国の地ではない。
最高も本当かどうか眉つば。 天皇の稱號(しょうごう)が書いてある (萬葉集註釋 卷第一)
阿波國風土記ニモ
或ハ 大倭志紀彌豆垣宮大八島國所知天皇 朝庭云、
或ハ 難波高津宮大八島國所知天皇 云、
或ハ 檜前伊富利野乃宮大八島國所知天皇 云。
崇神天皇、仁徳天皇、宣化天皇 の称号です。
通説では天皇家や建国の歴史とは何の関わりもないはずの阿波国、その地誌で、何故、天皇の称号について書かれるのでしょうか?
役人が天皇に献上する書です。上記の天皇が阿波に関係なければ、
書けるわけがありません。書く理由がありません。 @阿波 うちら、すめらみことさんとはツーカーです、
アピールなんじゃないてしょうか? 各国風土記のうち、天地初発より記された風土記は阿波国風土記のみ。
そらより降り下りたる山のおおきなるは、阿波国に降り下りたるを、
天のもと山と云い、その山のくだけて、大和国に降り着きたるを天香具山
というとなん申。
これをもって「大和国」は「阿波の分国」と解釈します。 @阿波 徳島市国府町府中の式内社 「大御和神社」は神社拝殿上に「文武天皇(七〇二年)の御宇、
この閤宮(こうのみや)より、国璽の印と国庫の鍵を差し出した」と記されている。
これは取りも直さず、文武天皇(七〇二年)の御宇に、倭国(阿波)から奈良大和へ遷都したことを表す。
(国璽の印とは国家の表章として押す宮印で、帝都が阿波にあったことを証明するもの) @阿波 ◆倭国が阿波から奈良へ遷都した理由◆
白村江の戦いで大敗したため、しぶしぶ山に囲まれた奈良へ遷都(避難疎開)した。 @阿波 >>72
多すぎて困っているから、少し分けようか? わははははは @阿波 求人
https://jp.stanby.com/jobs/6b07ba9cb747b27fa5c2117b6022c987e416844903dc9e95d82287f21a5a8a28?preview
研究員(期限付)
公益財団法人 徳島県埋蔵文化財センター
徳島県板野郡板野町犬伏字平山86番2 板野駅
給与
月給19.7万円
勤務時間
就業時間 就業時間1 8時30分〜17時15分 時間外労働時間 あり 月平均時間外労働時間 10時間 36協定における特別条項 なし 休憩時間 60分
・・・大卒で期限付きでこの給料か・・・。
好きで無ければやっていけないわな。 >>75
好きだったら、「阿波」ほど面白いところはないだろうがな。 @阿波 阿波はメジャー感が不足してるからね。
J1に上がっても一年で降格って感じ、(J1に行けるだけでもたいしたもんではあるけど。)
ずっとJ1でたまに優勝を争う感じまでは行けない。 予算がビッグクラブの100分の1だもん
その割には頑張ってると思う >>79
誰かが言ってる遺跡発掘率みたいだな。 わははははは @阿波 阿波さん、
国府を置くのに絶妙な地勢だと思います。 絶対否定の後、
絶対肯定で、良さそうだ。
無門関。
最重要書籍の一つ。
というより、
最重要書籍なんじゃないかな・・・ 蒙古襲来勝利の基は、
神風ではなく、
禅悟!!!
凄すぎワロタ!!
無学祖元。
この名前は、様々に解釈できるだろうが、
まあいいやww 天真。
こいつも禅語するのか・・・
禅宗。
神道。
どっちが上なんだろうか? 山に籠もる修行僧は、
仁。及び、博愛。
つまり、
仁愛を、していない。
これで、論破できたんじゃないかな。
神禅。
コレでいいと思う。
神禅に、仁愛も、当然含まれるだろう。
人格神。 左利きであっても、
右から入るんだな
俺はコレが分からなかった。 >>88
内容が電波すぎて出版できないのなら幸福の〇〇の本なんかは出版不可能ですわ。
・・・あれ?そういえばあの人も阿波出身か? 菊の十六紋を神紋とする「神武天皇を祀る樫原神社」
阿波忌部族の勢力圏となる吉野川南岸部をすべて見下ろす地に建つのが
「橿原神宮」の元社と囁かれる阿波市土成町樫原の「樫原神社」であり、
祭神を神武天皇の元名・「神倭伊波礼毘古命」とし、菊の十六紋を神紋とする。 @阿波
https://sueyasumas.exblog.jp/9839297/ 古くから紋章として多く使用された花は蓮華(ハス)で、飛鳥寺を始め飛鳥時代の各地の遺跡から様々なデザインの蓮華文軒丸瓦の出土がある。
観賞用のキクは奈良時代に中国大陸より伝えられた。高潔な美しさが君子に似ているとされ、梅、竹、蘭と共に四君子とされた。
文学上は、『万葉集』には詠まれておらず、『古今和歌集』、『源氏物語』などから登場する。
平安時代には、陰暦9月を菊月と呼び、9月9日を「重陽の節句」「菊の節句」とし、菊花酒を飲む「菊花の宴」「菊花の杯」で邪気を払い、長命を祈った。菊文様も吉祥文様として、好んで装束に用いられた。
鎌倉時代には、後鳥羽上皇がことのほか菊を好み、自らの印として愛用した。その後、後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇が自らの印として継承し、慣例のうちに菊花紋、ことに32弁の八重菊紋である十六葉八重表菊が皇室の紋として定着した。
江戸時代には幕府により厳しく使用が制限された葵紋とは対照的に、菊花紋の使用は自由とされたため一般庶民にも浸透し、菊花の図案を用いた和菓子や仏具などの飾り金具が作られるなど各地に広まった。 長野県諏訪市にある「諏訪大社」は光仁帝の宝亀10年(779年)に
阿波國名方郡「多祁御奈刀弥神社 御祭神 建御名方命」から移遷された、と社伝にあるそうだ。
その頃、現在の長野県にある諏訪大社は「南方刀美(みなとみ)神社」と言われており、
阿波からご祭神が移されてきたことが伝えられている。
社伝記ニ、代光仁(こうにん)帝(第四十九天皇・709〜782)ノ御宇、宝亀(ほうき)十年(779)
信濃國諏訪郡 南方刀美神社名神大、阿波国名方郡諏訪大明神ヲ、移遷シ奉ルとあり・・・」
と記されている。 @阿波
https://awanonoraneko.hatenadiary.com/entry/55289922 伊波礼毘古命は阿波礼毘古命ではない。
イハは岩で堅牢、アハは泡沫ですぐ消失。 >鎌倉時代には、後鳥羽上皇がことのほか菊を好み、自らの印として愛用した。その後、後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇が自らの印として継承し、慣例のうちに菊花紋、ことに32弁の八重菊紋である十六葉八重表菊が皇室の紋として定着した。
だとよ、菊の神紋は決定打にはなり得ない、他の証拠を見つけましょう。 初代神武天皇陵=徳島市丈六町秋葉神社(畝傍山の北東)
畝傍山=津の峰山(阿南市)
耳成山=中津峰山 徳島市と勝浦町との境界地
天の香具山=日の峯山(籠山かごやま) 海が間近の小松島市
橿原の宮=徳島市丈六町辺り
こういう地理的事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 「阿波」は、奈良・京都・玄界灘と比べて、まさに「非時香果」実る「常世の国」。
田道間守が天皇の命により「非時香菓(ときじくのかくのみ)」すなわちタチバナ(橘)を求めに常世国に派遣された。
その常世の国(とこよのくに)とは、天皇家の故郷「阿波」を指していると考えざるを得ない。 @阿波 阿波町の長峰一帯は、「饒速日命」の支配地であったとみられる。
「阿波」には「にぎはやひ」の「はやひ」が変化して「林(はやし)郷、郷司(はらし、ごうし)」谷となった伝承が残る。
そして、周辺には「饒速日命」に因んだという古代からの「林」が西林・東林として今もなお残っている。
また「饒速日命」は「古事記」の神武東征条で、伊那佐の山の歌のあと、
神武のもとに天降ってきて天津瑞(みしるし)を献ったとある。
郷司谷のすぐ下流(東)に伊沢(旧 伊那佐和(いなさわ))、伊沢谷川(伊那佐和谷川)があり、
その上流が歌の中の「伊那佐の山」にあたると伝わる。
さらに神武天皇が即位後の国見で「昔、饒速日命がこの国に降ったとき、そらみつやまとの国と名付けたと曰う」とあるが、
郷司谷のすぐ上流(西)が「そら地方、みつ地方のやまと」にあたる美馬郡なのである。
【根拠】
「本郡林村郷司谷に宮居せる神ありて、河畔に梅林をつくり給ひ、自ら慰みておはせ事ありき其後 開化天皇の御宇、
伊香色雄命来りて同村日吉谷に宮居し給ひし頃、梅林を東西に分ちしと伝ふ。」(阿波郡誌)
物部氏、蘇我氏、葛城氏等、朝廷の伴として仕えた倭の有力豪族の祖は、
「伊迦賀色許売命(いかがしこめ)」・「伊迦賀色許男命(いかがしこを)」の姉弟である。
「新撰姓氏録」には「伊迦賀色許男命」は「饒速日命(にぎはやひ)」の六世孫とあり、
イカガシ姉弟の祖神は「饒速日命(にぎはやひ)」となる。 @阿波 諏訪大社の名称については、南方刀美神社(みなかたとみじんじゃ)、
建御名方寓命神社(たけみなかたとみのみことじんじゃ)、
諏方南宮上下社、諏訪神社、諏訪上下社とも呼ばれ、
或いはまた諏方南宮上下法性大明神(すわなんぐうじょうげはっしょうだいみょうじん)とも称えられ、
その起源は遠く古代にさかのぼることが歴史上の文書等により明らかであります。
南方 刀美(みなかたとみ)
阿波人はアホだから神社名すらまともに読めない。 【壬申の乱】の舞台は 「阿波」だった。 @阿波
大友皇子軍の淡海の大津宮=阿波吉野川下流域北岸の鳴門市大津町木津
大海人皇子軍の吉野宮=吉野川上流域北岸の三好郡三野町加茂宮
これが天武天皇紀の戦闘記事である、本来の壬申の乱の舞台なのである。
天武天皇紀に記される地名が、今も阿波吉野川北岸の地名にはっきり残っている。
・大津宮:鳴門市撫養町木津、鳴門市大津町木津野
・菟田(うだ):板野郡土成町鵜田尾(うのたお)
・鈴鹿:板野郡土成町樫原を流れる鈴川(すずかわ)
・桑名:板野郡土成町と阿波市市場町の境 九王野(山)
・安八麿(あちはま):阿波市市場町粟島(あわしま)
・尾張:阿波市市場町尾開(おばり)
・倭京:阿波市市場町奈良坂(若宮皇太神宮)
・不破道:阿波市市場町大門から讃岐に通じる奈良街道
・乃楽山(ならやま):阿波市市場町奈良街道沿い城王山(旧名 奈良山)
・美濃:三好郡三野町
・高安城(たかやすのき):美馬市脇町の大滝山
・吉野宮:三好郡三野町加茂野宮 >>101
久米村=石井町なら畝傍山は眉山になる
神武から4代までは阿波で死んだ
5代孝昭は掖(わき)上博多山上陵
ミマツヒコから考えて掖は脇(わき)町のことだろう
9代開化天皇は春日率川坂上陵
鮎喰川沿いにある春日町のことか?
10代崇神(ミマキイリヒコ)がミマから畿内に入った
11代垂仁はイクメイリヒコだから阿波生まれだろう
12代景行が宮崎を日向と名付けた
伊弉諾の時代の日向はやはり東四国
九州から神武の先祖が四国へやってきて
9代まで阿波に滞在したということか
阿波を捨てたのは4世紀にあったとされる地震かね 古代飛鳥 小松島市は、古代飛鳥の京(みやこ)であった。
【飛鳥の地は小松島市一帯】
小松島市嶋ノ宮神社南方の大林町は「あすか」と呼ばれていた。 江戸時代まで「飛鳥神社」が鎮座していた。
舒明天皇―飛鳥岡本宮(小松島市千代ヶ原)
天の香久山―小松島市日峯山・籠山(かごやま)
斉明天皇―後飛鳥岡本宮(小松島市千代ヶ原)
天智天皇―後飛鳥岡本宮(小松島市千代ヶ原)
→近江(飛鳥嶋の宮:小松島市嶋ノ宮神社南方の大林町)に遷都
天武天皇―飛鳥嶋の宮(小松島市嶋ノ宮神社南方の大林町)→飛鳥浄御原
持統天皇(飛鳥浄御原)→阿波藤原宮(麻植郡鴨島) ただし、奈良藤原京は文武天皇御宇に奈良遷都 @阿波 橘氏
家紋花橘
華橘
シンプルな図柄なんだよ。花橘。 天照大神伝説の地は徳島市国府町「天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)」。
御祭神は大日孁女命(おおひるめむちのみこと)こと天照大神。
また、大宜都比売命(おおげつひめのみこと)が祀られているのが
徳島の神山町にある上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)。
大宜都比売命の別名を天石門別八倉比売命(あまのいわとわけやくらひめのみこと)と言われている。
※「大宜都比売命」=「天石門別八倉比売命」=「大日孁女命」=「天照大神」 @阿波
正一位、延喜式に記録された式内名神大社
「天石門別八倉比賣神社」:徳島県徳島市国府町西矢野 矢野神山
御祭神:大日孁女命(おおひるめむちのみこと)こと天照大神。
https://sueyasumas.exblog.jp/9415763/
http://www.genbu.net/data/awa2/yakurahime_title.htm >>107
>12代景行が宮崎を日向と名付けた
12代景行が日向と名付けた所は、宮崎でない。 宮崎を日向国と名付けたのは、好字令以降の宮崎人。 @阿波 「延喜式神名帳」の、大和国山辺郡条には、「大和坐大国魂神社」とある。大和国の「大和」である。
「延喜式神名帳」の、阿波国美馬郡条には、「倭大國玉神大国敷神社二座」とある。阿波国なのに「倭」である。
これは、「倭」が大和国や筑紫国などではなく、阿波国であったことの証左に他ならない。 @阿波 熊野の土豪・高倉下が一振の剣を神武天皇に奉ると、天皇は失神から目覚めた。
この熊野とは、阿波市土成町高尾字熊之庄の熊野権現(熊野神社)
「熊野神社」
神武東征(阿波市→鳴門市)に関わる神社で、熊野の戦いの旧跡に祀られた神社
https://sueyasumas.exblog.jp/9791934/
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 >>107
持統天皇まで阿波じゃなかったのかwwwwwwwwwwwwww
阿波説は全て捏造なのは証明済み。根拠のない寝言は寝て言うんだねw >>115
「阿波」以外にないんだから、仕方がない。 @阿波 遷都は天災がきっかけ
九州は火山噴火で、火山のない四国へ
四国は地震津波(4世紀or7世紀)で畿内へ遷都 >>107
>九州から神武の先祖が四国へやってきて
味方のフリして阿波説をぶった切ってるじゃんwwww
あんたの言ってる事は八割方が正解w
神武天皇が一時滞在して畿内に入ったんだ。 >>117
それ完全に妄想な。
せめて、九代までは阿波という事にしておいてと言うお願いか?
これ以上はお許しをってか?却下だねw
めっちゃ笑えるwwwwww 阿波の歴史を語るとき、粟国に併合されて名前がほぼ後世に残ってない「長国」の存在を忘れるなよな。
ちょいちょい忘れて、すべて阿波国の歴史として語っちゃってる奴がいるんだが。
国造の時代はきっちり分かれていたんだけどな。 阿波さん、
シバの女王と、
ペルシャ、
波斯家は、
なにか関係ありますか?
斯波氏って居ますよね。
戦国大名に。 パラダイムが変わるのは災害と戦争
科学がない当時は災害は戦争以上に怖い
ミマキイリヒコをどう考えるかによって変わる
キを城と考えるなら白鳳地震の持統遷都 >>120
>「長国」の存在を忘れるなよな。
「長国」=「狗奴国」は邪馬台国に勝るとも劣らない超強大国。 その国力の源泉が、「辰砂鉱山」と「温暖な海の恵み」と「海洋航行技術」。 @阿波 こいつら御間都比古神社の祭神を孝昭天皇とか言ってるイカレだぜ。
そんなの知ってる訳ないじゃん。阿波論者はアホですよ。 >>124
ちょいちょい忘れて、すべて阿波国の歴史として語っちゃってる奴
君の事だ。 >>125
徳島県佐那河内村 「御間都比古神社」 祭神 「御間都比古色止命」
御祭神は「御間都比古色止命」(みまつひこいろとのみこと)で「御間都比古色止命」とは、
和風諡号が「観松彦香殖稲尊」とあるように孝昭天皇(こうしょうてんのう)のことです。
『先代旧事本紀』(国造本紀)には
「長国造志賀高穴穂朝御世以観松彦伊呂止命九世孫諱背足尼定賜国造」
とあり「観松彦伊呂止命」つまり「孝昭天皇」の九世孫にあたる「韓背足尼」
(からせのすくね)が長国の国造(くにのみやつこ)になったとあるそうです。 @阿波
http://goutara.blogspot.com/2011/09/blog-post_17.html >>126
粟國+長國=阿波國。 長国も阿波だからな。 無茶、言うな。 @阿波 ね、アホでしょ?
証拠に捏造サイトを出してくるんですよ。 >>130
だって、「阿波」しか無いんだから仕方ない。 @阿波 >>125
>こいつら御間都比古神社の祭神を孝昭天皇とか言ってるイカレだぜ。
>そんなの知ってる訳ないじゃん。
孝昭天皇は、「阿波」の人なんだから、阿波人がよく知ってて当たり前。 @阿波 孝昭天皇は「畿内」の人なんだから、阿電波が補欠の時のみに天皇の尻の座る大ケツ
人民で当たり前。 @阿電波 阿波國風土記ニモ
或ハ 大倭志紀彌豆垣宮大八島國所知天皇 朝庭云、
或ハ 難波高津宮大八島國所知天皇 云、
或ハ 檜前伊富利野乃宮大八島國所知天皇 云。
崇神天皇、仁徳天皇、宣化天皇 の称号です。
崇神天皇も仁徳天皇も宣化天皇も、、「阿波」の人なんだから、阿波人がよく知ってて当たり前。 @阿波 〇崇神天皇も仁徳天皇も宣化天皇も、「畿内」の人なんだから、阿波人がその
補欠時の大ケツになって当たり前。 @阿波 本来、「淡海」とは「阿波海」のこと。
そもそも通説とされる滋賀県の「大津」は平安遷都の際に「大津」の地名が誕生している。
よって天智天皇の時代には滋賀県(近江)に「大津」の地名は存在しおらず、現在の通説では不都合が生じてしまう。 @阿波 「山背を山城と改め新京を平安京と名付ける、また近江の古津を大津と称する」とあり、
天智天皇が六六七年に、淡海の大津宮を拓いた当時、滋賀県大津は存在していませんから。
近江=「淡海」とされていますが、これは後世の解釈によって踏襲されているだけ。 @阿波 「天智天皇 淡海の大津宮」とは「淡海には、鯨魚(いさな)を漁る舟が見え、時には沖の波が荒れ、
多くの島々と湊(泊)があった古津神浦である鳴門市撫養町の木津金比羅宮なのである。
以前に紹介した鳴門市北灘に鎮座する葛城神社の隠された祭神が天智天皇であるように、
天智天皇は阿波の鳴門一帯を政治の拠点としていたのである。 @阿波 「万葉集(巻二ー 一五三)の大后の御歌では
鯨魚(いさな)取り 近江(淡海)の海を 沖放(さ)けて 漕ぎ来る舟 辺(へ)付きて 漕ぎ来る舟
沖つ櫂(かい) いたくなはねそ 辺つ櫂 いたくなはねそ 若草の 夫(つま)の 思ふ鳥立つ
ここで歌われている「いさな」とは鯨の古称。鯨が滋賀県大津に隣接する琵琶湖に生息しているのだろうか。
ここの「近江(淡海)」とは紀伊水道の「淡海(阿波海)」なのである。 @阿波 「丹」も「橘」もあるのは四国だけ。 邪馬台国は四国に決まっている。
動かぬ、倭国(阿波)の決定的証拠:「其山有丹」=「若杉山辰砂採掘遺跡」 @阿波 『日本書紀』や伊佐爾波神社(愛媛県松山市)の社伝、伊予国風土記逸文などによると、
厩戸皇子(聖徳太子)だけでなく、景行天皇・仲哀天皇・神功皇后・舒明天皇・斉明天皇(皇極天皇)
・中大兄皇子(後の天智天皇)・大海人王子(後の天武天皇)
など多くの皇族方が病気療養のため四国の道後温泉に行幸、来湯している。
それは取りも直さず、道後温泉が倭国王都(阿波)と同じ四国に在り、湯治場として近かったからに他ならない。 @阿波 畿内古墳の構造(葺石・竪穴式石室など)や副葬品(水銀朱・勾玉・鉄器など)を見れば、
一発で「倭人(阿波勢力)」のお墓と判る。 @阿波 阿電波ゴリよ
いやあ、ウソも付くようになったねえ。丹はどこでも出てるだろうが。
https://trekgeo.net/m/e/cinnabar1.htm >>146
近くて命がけの渡海を取るか、わずかに遠くても、命をかけずに済む陸路を取るか。
大王の健康・安全を守る、側近の立場で考えてみよう。 @阿波 まさか!二人のミマツヒコは同一人物なのか!!
あ〜これやばいです。以前から考えていた妄想が出てくる。
ミマツヒコは天八現津彦本人かその子、あるいは孫とされている。
天八現津彦は一般的に長髄彦と考えれている。
ならば、やはり、【神武天皇は暗殺されていた】かも知れない。
さんざん阿波の妄想を読まされたんだから読んでくれ。
神武天皇
┣━━━━綏靖天皇
賀茂建角身━勢夜陀多良比売┓ ┏━媛蹈鞴五十鈴媛
┣━┫
素戔嗚━━大物主神━┛ ┗━天火明櫛玉饒速日
(事代主)━┓ ┣━━━━宇摩志麻遅
┃ ┏三炊屋媛
┣━━━┫
沼河比売┛ ┗長髄彦
大物主=事代主=布都御魂=武甕槌=大歳神
天火明櫛玉饒速日=賀茂別雷神=鴨王(天日方奇日方)
=迦毛之大御神(阿遅鉏高日子根)=布留御魂
媛蹈鞴五十鈴媛(伊須気余理比売)=下照姫=御歳神
長髄彦=天八現津彦=建御名方=天津甕星
三炊屋媛=瀬織津姫=厳之御魂
で、先日話した「大国主の出雲譲り」:「大物主の日本譲り」
大国主・事代主親子 : 大物主
建御名方 : 長髄彦
阿遅鉏高日子根 : 饒速日
下照姫 : 媛蹈鞴五十鈴
天若日子 : 【神武天皇】 >>147
忌部一族は航海技術も達者で朝鮮半島まで我が庭のように航海していたんでしょう?
阿波〜白浜なんかちょちょいのちょいなんで無いの??? ずれた!
神武天皇
┣━━━━綏靖天皇
賀茂建角身━勢夜陀多良比売┓ ┏━媛蹈鞴五十鈴媛
┣━┫
素戔嗚━━大物主神━┛ ┗━天火明櫛玉饒速日
(事代主)━┓ ┣━━━━宇摩志麻遅
┃ ┏三炊屋媛
┣━━━┫
沼河比売┛ ┗長髄彦 >>149
大王が命がけで朝鮮半島へ行っていたと思っているのか?
大王の健康・安全を守る、側近の立場で考えてみよう。 @阿波 >>149
>阿波〜白浜なんかちょちょいのちょいなんで無いの???
今の時代ならな。 もうちょっと時代感覚を身に着けよう。 @阿波 高速道路がつながった今でさえ、徳島から道後温泉はかなり遠いんですが・・・。
ちょっと対岸へわたる程度の海路が命がけって、忌部一族の能力を見くびりすぎでしょう。 >>149
今の時代でさえ、天気の急変で遭難沈没するんだから、大王がそんなリスクを取らんよ。 @阿波 >>153
>高速道路がつながった今でさえ、徳島から道後温泉はかなり遠いんですが・・・。
現に行ってるんですが・・・。 @阿波 >>155
道後温泉に、万難を排して行く価値が有ったんでしょう。
決して「近いから」が理由では無いと考えます。 >>153 板野に居たの
で、「邪馬臺国」はどこなんだ? @阿波 >>158
なんか胡散臭くなったな。 それって、もやっとしたものか? @阿波 @阿波さんと決定的な違いは、エリアの広さね。
阿波だけでは残念だが狭すぎる。 >>159
なんかおもしろくなってきたぞ。 その沿岸国同盟の盟主国(女王国)はどこだ? @阿波 >>162
やっぱりな。 もやっとした妄想を言ってるだけかw つまらん奴。
別に苦労なんかせんでも、鮎喰川下流域の集落群が盟主国(女王国)だ。
遺跡が証明してくれる簡単な話。 わははははは @阿波 1跡が証明してくれない二名話。 わははははは @阿電波 今日の徳島新聞朝刊(鳴潮)に、「邪馬台国はやはり奈良でしょう、という立場ながら云々」とある。
「ながら」に続いて、佐那河内村の大川原高原からの眺望を紹介して、ここが神話の起こりかのような感想をも述べている。
事程左様に、「阿波」に深く関係する人でも、もやっとした妄想から抜け出せていない現状がある。 @阿波 >>182
それが正常な人の意見。
トンデモ妄想は一般人には迷惑です。 妄想は楽しいからOK
ただし、論が必要。
ただ言うのはつまらないし、捏造の上に妄想とかもってのほか。 >>183 板野に居たの
>トンデモ妄想は一般人には迷惑です。
自戒だな。 @阿波
その沿岸国同盟の盟主国(女王国)はどこだ?
>それが分かれば苦労せんってw >>184
>ただし、論が必要。
ただの論は、妄想の羅列。
論より、証拠! @阿波 古事記の中にはさらっと山上生活から平野での生活の変化が示唆されているが、
その話は、忌部一族の言い伝えがベースとされている可能性が有る。
レキシが歌う「狩りから稲作へ」をほうふつとさせる場面であるが、
阿波の歴史に置き換えると、神山から鮎喰へ、「ソラから平地へ」である。 「ソラから平地へ」は決して阿波だけの話ではなく、
同様の移動が日本列島各地で起きたで有ろうことは、容易に想像できる。 >>188
>同様の移動が日本列島各地で起きたで有ろうことは、容易に想像できる。
想像より、証拠! 想像・妄想だけなら、だれでも出来る。 @阿波 〇想像より、証拠! 俺のは想像・妄想だけだから松沢病院へ行ける。 @阿電波 >>192
太国 ◆ZgyHKik.H2さん、松沢病院は東京ローカルで全国的に通用しませんってw
なんか気に入られているみたいですが。 >>193
すでに阿電波も松沢病院を覚えたようだから、かまわんよ。w
ならアーカム・アサイラムにするか?ww アサイラムの意味わかるよな?
ジョーカー崇拝らしい京王線だったか、あのHなんかここに入所がいいな。w
バットマン アーカム・アサイラム ps4 ps3だったな。訂正。
ps4だと「バットマン リターン・トゥ・アーカム」収納だった。 雄大なる吉野川を見るたびに
古代に文明があってもおかしくないと感じるね
一度徳島に来てごらん、でかさにビビるよ 「板野に居たの」は、阿波人だったけれど、それを意地でも肯定できないひねくれ者・阿波の裏切り者。 @阿波 @阿波の証拠って、千葉には東京ディズニーシーがあるから千葉は東京です。
ぐらい意味がなくて証拠になってない。 >>203
あのへんは阿波でなく安房のほう。
阿電波にこの前、盲象飛躍ダンボでネズミー・ランドに落下だと警告したのさ。w 斐伊川のうねりを見るたびにヤマタノオロチを感じるね。
スサノオが治水を行って(退治して)上流の大東鉱山で剣を作ったんだろうね。
天叢雲剣が当時の他の剣よりも硬かったのは一因に、
モリブデンが含まれているためとの説がある。
一度島根に行ってごらん、阿波にスサノオがいたなんて幻想が吹き飛ぶから。 >>205
>一度島根に行ってごらん
「其山有丹」が無いところへ行ってもねぇww まっ、出雲忌部の痕跡めぐりはいいかもね。 @阿波 >>206
「其山有丹」は阿波説が邪馬台国の証拠としているものじゃないのか?
間違ってるけど。スサノオ伝説とどう関係があるんだろう。意味がわからないな。 >>207
>スサノオ伝説とどう関係があるんだろう。
「其山有丹」は「魏志倭人伝」に関係するが、スサノオ伝説は「魏志倭人伝」と関係したっけ? わははははは @阿波 >>200
でかさにビビるばかりじゃなくて、この両岸に特異な集落遺跡が、川上から川下までずらっと並んで存在するんだよね。
圧巻である。 @阿波 >>210
吉野川はでかい。両岸に特異な集落遺跡がありおおよそ一般的な民衆の住むような土地ではなく
何らかの技術集団の集まりと推測される。だから、持統朝までの王都は阿波ではない。
ただの古代自慢ならスレチなのですけどね。 雄大な吉野川の河口部は、江戸時代に水運のために掘った水路が度重なる洪水や氾濫で広がってしまい、
結果、放水路の役割を果たすことになったという、人為と自然の複合的な産物です。
元の本流は旧吉野川や今切川、正法寺川、前川や別宮川などが織りなす三角洲地帯で、
今見るような大河では無かったようです。 >>212
>両岸に特異な集落遺跡がありおおよそ一般的な民衆の住むような土地ではなく
えらい飛躍した決め付けだな。 わははははは @阿波 >>223
根拠が捏造の阿波説に言う資格なし。>>47-50 『和名抄(わみょうしょう)』(平安時代)によれば、香川県(讃岐)の水田面積は18,647ヘクタール、
対して徳島県(阿波)のそれは3,414ヘクタール(このうち 那賀(なか)郡の水田が半分以上を占めていたと思われる)。
ちなみに香川県の面積は約1,883平方キロメートル、徳島県は約4,146平方キロメートル。
阿波は、讃岐の2倍以上の広さでありながら、水田面積は5分の1以下しかなかったことになります。
https://www.maff.go.jp/chushi/kj/yoshino/3/1.html 〇俺はいつもえらい飛躍ダンボした盲象決め付けだな。わははははは @阿電波 阿波(あわ)一国を与えられた 蜂須賀(はちすか)氏は、入国早々、阿波の検地にとりかかりました。
さぞかし驚いたことでしょう。わずか数千haという水田の少なさ。さらに、名に負う吉野川の暴れぶり。
江戸初期1659年から幕末1868年までの200年間、この川の洪水は約100回。2年に1度という計算になります。
おそらくまだ当時、吉野川の下流平野はおびただしい数の派流が流れる一大氾濫原だったのでしょう。
左図は寛永(かんえい)15年(1639)の絵図の写しといわれていますが、現在の吉野川とは著しく様子が異なっています。
確かに水田が少ないのもうなずけます。この大氾濫原が2年に1度の割で洪水に襲われるとしたら、農民はたまったものじゃありません。
特にこの地は台風の通り道ですから、半年かけて育てた稲が収穫できるかどうかは、博打のようなものです。
https://www.maff.go.jp/chushi/kj/yoshino/3/3.html >>224
これも捏造なんだろ? わははははは
↓
「阿波は鉄器鍛冶王国」
阿波は、遺跡発掘が少ない発掘後進県にも関わらず、
阿波一国だけで現在、阿波各地10か所もの弥生時代鉄器鍛冶炉遺構が出土している。
「加茂東原遺跡」・「拝原東遺跡」・「光勝院寺内遺跡」・「矢野遺跡」・「名東遺跡」
・「庄、蔵元遺跡」・「高川原遺跡」・「鮎喰遺跡」・「加茂宮ノ前遺跡」・「芝遺跡」
このように阿波は、他地域に見られない最高・最新の文化水準を誇り、まさに「邪馬臺国」に相応しいと言える。 @阿波 >>228
「阿波は鉄器鍛冶王国」
阿波は、遺跡発掘が少ない発掘後進県にも関わらず、
阿波一国だけで現在、阿波各地10か所もの弥生時代鉄器鍛冶炉遺構が出土している。
「加茂東原遺跡」・「拝原東遺跡」・「光勝院寺内遺跡」・「矢野遺跡」・「名東遺跡」
・「庄、蔵元遺跡」・「高川原遺跡」・「鮎喰遺跡」・「加茂宮ノ前遺跡」・「芝遺跡」
このように阿波は、他地域に見られない最高・最新の文化水準を誇り、
まさに「渡りの神の末裔、ヤマト王権を支えた一族(賀茂・葛城)」に相応しいと言える。 >>223
飛躍した話ではなかったようだぜ。>>225 >>227 >>225
平安時代の水田面積なんか出してきて、なにが言いたいんだ? とちくるったのか? 阿波のはじかれ者よ。 >>227
江戸時代の吉野川河口がどうかしたのか? どのみち、その辺は弥生時代は海なんじゃないのか? @阿波 阿波のはじかれ者 ⇒ 捏造などはせずに正常な判断ができる者 >>235
これも捏造なんだろ? わははははは
↓
「阿波は鉄器鍛冶王国」 >>234
吉野川の話が出ていましたので参考になればと思い紹介させていただきました。
本題は、
>『和名抄(わみょうしょう)』(平安時代)によれば、香川県(讃岐)の水田面積は18,647ヘクタール、
>対して徳島県(阿波)のそれは3,414ヘクタール(このうち 那賀(なか)郡の水田が半分以上を占めていたと思われる)。
>ちなみに香川県の面積は約1,883平方キロメートル、徳島県は約4,146平方キロメートル。
>阿波は、讃岐の2倍以上の広さでありながら、水田面積は5分の1以下しかなかったことになります。
の方です、なんとなく、わかってはいたつもりでしたが、データで見るとかなりショッキングだったり・・・。 >>237
平安時代の水田面積なんか出してきて、なにが言いたいんだ? とちくるったのか? 阿波のはじかれ者よ。
「卑彌呼」の時代は、大洪水の時代で、灌漑稲作は土砂に埋まって壊滅だから。 水田面積をどうたらこうたら言っても無意味。 @阿波 このへんに、阿波の発展が阻害された原因が隠れているように思います。
『拾芥抄(しょうがいしょう)』(鎌倉時代)、『節用集(せつようしゅう)』(室町時代)によれば、
阿波国(あわのくに)の水田は5,245haと記されており、平安期と比べると2,000haほど増加しています。
しかし開発の大半は南の穀倉地帯・那賀(なか)郡であったと思われます。にわかには信じられないのですが、
資料上、この徳島平野には中世の頃でさえ2〜3,000haほどしかなかったことになります。
https://www.maff.go.jp/chushi/kj/yoshino/3/2.html 平野が少ないので畿内をはじめ各地に移動したんだろ
遷都の決断は地震だろね
災害は戦争より怖い。対処しようがないからな。呪われた土地に感じるだろ
奈良時代は天然痘流行だけで遷都した。怖すぎるからな 単純に言うと、コメが作れないから、人口も増えず、競争力を失い、発展から取り残されたのではないかということです。
灌漑稲作が普及する以前の、陸稲や畑作中心の時代は、他所と比べても、十分な競争力が有りました。 >>239
>このへんに、阿波の発展が阻害された原因が隠れているように思います。
「卑彌呼」の時代は、大洪水の時代で、灌漑稲作は土砂に埋まって壊滅だから。 水田面積をどうたらこうたら言っても無意味。 @阿波 239と240は私です。
ブラウザが名前を憶えてくれなくて、申し訳ありません。 >>240
遷都の決断は白村江の敗戦だ。
地震など、慣れたもんだ。 @阿波 >>244
それは地震のメカニズムがわかった今の考え
当時は人よりも怖い天災
4世紀or7世紀どっちかの地震だろね >>245
天災は地震だけじゃない。 地震で奈良まで遷都はしない! @阿波 国立歴史民俗博物館研究報告 第203 集 2016 年12 月
水害にかかわる環境と
初期農耕社会集落動態
https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&ved=2ahUKEwjlv9Kdw5z0AhUJKqYKHQRGD9QQFnoECAMQAQ&url=https%3A%2F%2Frekihaku.repo.nii.ac.jp%2F%3Faction%3Drepository_uri%26item_id%3D2323%26file_id%3D22%26file_no%3D1&usg=AOvVaw1a9DOXqBY-0xlgtsUM9Mtl
より
同時に,三角州堆積地帯における流水・増水による土砂堆積による地形改変は,人的活動地点を
大きく変えなければならないほどの規模ではないことがわかる。つまり,数百m 範囲の中で,水田
もしくは居住活動などを行うことのできる地点は移動繰り返せば,その地に活動した人間集団は継
続的にその領域で生業・集落形成を続けることが可能なのである。わかりやすく言えば,弥生時代
の中で池島・福万寺遺跡を形成していた集団は,水害を理由としてこの遺跡の範囲内から完全に立
ち去って他の場所に居住地や水田を構える必要はなかったということになる。
このことからも,居住地は移動するが,大規模なテリトリーの移動は不要なことがわかる。上記
河内湖南岸遺跡群での筆者の分析や,大庭氏による亀井遺跡周辺での弥生集落・水田展開の分析の
結果は,池島・福万寺遺跡で観察されるような遺跡形成環境およびに起因することがわかる。と同
時に,中・長規模の居住集団がそれぞれに隣接した水田経営を行うことを基本とする土地利用形態
を基本とする日本列島の平野部初期農耕社会においては,水害による領域放棄は起こりにくかった
ことが想定できる。
このように考えると,低湿地で,ある集団の居住域と生産域(特に水田)が,壊滅的に打撃を受
け,領域の放棄や一つの人間集団の壊滅といった現象がおこることはあるのかという疑問が生じて
くる。日本列島における初期農耕社会は,水害の影響を大きく受けないような構造の上に成立して
いると考えておくのが良いのではないか。 四国は地震と津波のWパンチで壊滅した
明日、明後日、来週・・またやってくるかと思うと、もうとてもでないが住めないって
どこか安全な場所へ行くのは当然 >>248
>どこか安全な場所へ行くのは当然
わざわざ奈良盆地へ行く理由はなんや? @阿波 以下の論を信じるとすれば、古代の吉野川流域は、人口の増加・集落の発展を望めない立地だったという、
残念な結論が導き出されます。
>中・長規模の居住集団がそれぞれに隣接した水田経営を行うことを基本とする土地利用形態
>を基本とする日本列島の平野部初期農耕社会においては,水害による領域放棄は起こりにくかった
>ことが想定できる でかさにビビるばかりじゃなくて、この両岸に特異な集落遺跡が、川上から川下までずらっと並んで存在するんだよね。
圧巻である。 @阿波 >>246
>天災は地震だけじゃない。地震で奈良まで遷都はしない!
何で阿波に王都があったていで話をしてるんだ?それはあり得ないだろ?
阿波の技術集団が逃げた先は奈良とは限らん。
阿波に残ったカスはかなり記憶力がないと見える。
神社の名前すら正しく伝えられないものな。 >>162
やっぱりな。 もやっとした妄想を言ってるだけかw つまらん奴。
別に苦労なんかせんでも、鮎喰川下流域の集落群が盟主国(女王国)だ。
遺跡が証明してくれる簡単な話。 わははははは @阿波 >>256
有り得ない。地名ネタはほぼ捏造だし記紀と整合性が全くない。
根拠がまるでない。遺跡はあっても証拠にはならない。
それは、忌部一族のもので王族のものではない。遺跡は名を語らない。
見ないふりして、あり得ない論にしがみつくのは畿内説に連中同じだね。 >>257
で、九州に一体なにがあるんだ? わははははは @阿波 九州にあるのは、妄想とねたみだけ。 わははははは @阿波 >>258
記紀との整合性がある。
祇園山古墳、平原遺跡、三雲南小路遺跡、板付遺跡
野方遺跡、須玖岡本遺跡、今宿五郎江・大塚遺跡
吉野ヶ里遺跡、千塔山遺跡、七ヶ瀬遺跡、里田原遺跡、
富の原遺跡、寄神貝塚 1数が証明してくれる尾補欠が2名話。 わははははは @阿電波 阿波にあるのは、盲象と末座の大ケツだけ。 わははははは @阿電波 もう、捏造はバレているのだから無駄な話はやめよう。
それより捏造を始めた阿波人が何を思っていたかだ。
伊豆毛の国の伯母御の宗女、御年十三ならせます、こくちは壱字とおたしなむ
何で伊豆毛の国なんだ?邪馬台国をそのように理解していたのか?
ヤマト国ではなくヤマイ国と思っていたのか?
その、ヤマイ国をなぜ阿波に関連付けしようとしたのか?
この議題の方が面白いだろう? 阿波さんにシンプルな質問。
なぜ男王国じゃなくて、女王国なの? >>263
九州にあるのは、妄想とねたみだけ。 わははははは @阿波 〇阿波にあるのは、盲象と末座の大ケツだけ。 わははははは @阿電波
↓
〇阿波にあるのは、盲象と松沢の病ケツだけ。 わははははは @阿電波 >>264
なるほど、鋭い!
@阿波よ、質問来てるぞ。「なぜ男王国じゃなくて、女王国なの?」
だ、そうだ。
スレ主、@阿波、太国氏、バイト、
以外のありがたき書き込みだ、早くお答えしてくれ。 >>269
>なぜ男王国じゃなくて、女王国なの?
なにがだ? @阿波 ちなみに日本中の残っている記録で女王の記録が存在するのは皇室だけです。
(最も、他の王朝、地方王朝の記録は残ってないと思われますが。) 女神は四国だけ
素直に解釈すれば四国が女王国
簡単な話 徳島は女社長の割合が日本一
卑弥呼の末裔だからか阿波女はやたらリーダーシップがある
そして女がリーダーになっても足を引っ張らない風土
男尊女卑の九州では無理 阿波は遺跡を全然ほってないし、宮跡には寺や神社が建ってるし
人が住んでたりする >>277
遺跡の上に人が住んでたり、お寺や神社が建っていたりって、
日本ではごく普通です。
阿波にって限定するような物では有りません。 >>162
やっぱりな。 もやっとした妄想を言ってるだけかw つまらん奴。
別に苦労なんかせんでも、鮎喰川下流域の集落群が盟主国(女王国)だ。
遺跡が証明してくれる簡単な話。 わははははは @阿波 >>278
「阿波」に限定。
「其山有丹」=「若杉山辰砂採掘遺跡」 @阿波 〇阿波にあるのは、盲象と末座の大ケツだけ。 わははははは @阿電波
↓
〇阿波にあるのは、盲象と松沢の病ケツだけ。 わははははは @阿電波 丹=朱→侏 阿波は侏儒國じゃないか。天日鷲=少彦名
丹は赤土説もあるし、ぜんぜん限定じゃない。
「出真珠青玉」青玉って翡翠かサファイアやろ?阿波で出るんか?
それにこの文章が女王国を指してるのか倭地の全体をさしてるのか
はっきりしないように思えるが。
「倭地は温暖にして、冬夏生菜を食す〜
って言うか捏造の阿波説はもう終わったのに何言ってる?
阿波には鉱山がある。認められる事実はそれだけ。
三輪山も、不破道も何も無い。
阿波説から捏造を差し引いたら鉱山と遺跡が残ったって事。 「弥生人にとって、阿波はまさにパラダイス」
南四国は、温暖な黒潮流れる太平洋に面し、漁労・航海術が発達、内陸は高温多雨による森林資源に恵まれ、
一方、希少価値の高い鉱物にも恵まれている。
また、吉野川を始めとする、いくつもの大河が流れ、大河流域には、広範に肥沃な土壌の恵みを与えている。
南四国に大国「邪馬臺国」・「狗奴国」・「投馬国」が興るのも当然と言えば当然。 @阿波 奈良大和へ遷都した大和朝廷は、故郷「阿波」を「常世の国」と崇め懐かしんだ。 @阿波 阿波がパラダイスなら、忌部一族は畿内や房総へ進出する必要はなかったでしょう。
現実から目をそむけてはダメですよ。 >>286
人間の本能だな。 わははははは @阿波 >>286
お前が必死に否定しても、「弥生人にとって、阿波はまさにパラダイス」 。 わははははは @阿波 高千穂は天降(あまくだ)った所だから、少なくとも宮崎県高千穂のような高い山地ではなく、麓・平地である。
そして、豊かに稲や稗などが稔るところを指す。
高天原=四国山地(神山・木屋平村)
高千穂=大河吉野川中流域(美馬市・阿波市一帯) @阿波 縄文人のとってはまさに阿波はパラダイスだったのかもしれないが、
稲作に不適な阿波(粟)は、もはやパラダイスとは言えない。
近隣の讃岐や、畿内、遠く離れた房総への大冒険と、脱阿波の強い動機の根源は何だったんだろうね。 天孫降臨を、弥生時代に起きた出来事ととらえるから、物事を見誤るんだよ。
天孫降臨の神話が示唆しているのは、縄文文化から弥生文化への移行だと考えると、
すんなりと理解できる。 「弥生時代終了までイネに替わり、アワ・キビ・ヒエなどが主流」 @阿波
弥生時代前期末から中期初頭(2400年〜2300年ほど前)にかけて、
西日本一帯で発生した大洪水により、灌漑水田稲作は壊滅である。
この洪水被害は大規模かつ広域的なもので、
京都盆地や奈良盆地、岡山平野、博多平野、濃尾平野など広く西日本一帯で確認されている。
その大洪水により、阿波においては弥生時代中期初頭には各集落が小規模化し、
一部で「大柿遺跡」の棚田がみられるが、
縄文的な生業と地域社会へ回帰するような様相をみせる。
弥生時代前期中葉に大規模化した灌漑水田稲作経営は、災害の影響もあって一段落したものと考えられている。
土器の植物種実圧痕観察(レプリカ法)により、弥生時代終了までイネに替わり、
アワ・キビ・ヒエなどが主流であったようだ。
徳島大学大学院 准教授(当時) 中村 豊氏 >>290
古今東西、人間の本能だな。 わははははは @阿波 >>291
>天孫降臨を、弥生時代に起きた出来事ととらえるから、物事を見誤るんだよ。
天孫降臨を、弥生時代に起きた出来事と限定しているのは、お前! わははははは @阿波 >>292
その説、すでにちょっと古い説ですよ、しっかりしてください。 〇俺が必死に宣電しても、「落士号の俺にとって、阿波はまさに大ケツ屁媛」 。
わははははは @阿電波 247のリンクにはこうあります。
三角州堆積地帯における流水・増水による土砂堆積による地形改変は,人的活動地点を
大きく変えなければならないほどの規模ではないことがわかる。つまり,数百m 範囲の中で,水田
もしくは居住活動などを行うことのできる地点は移動繰り返せば,その地に活動した人間集団は継
続的にその領域で生業・集落形成を続けることが可能なのである。わかりやすく言えば,弥生時代
の中で池島・福万寺遺跡を形成していた集団は,水害を理由としてこの遺跡の範囲内から完全に立
ち去って他の場所に居住地や水田を構える必要はなかったということになる。
このことからも,居住地は移動するが,大規模なテリトリーの移動は不要なことがわかる。上 >>298
お前が必死に「阿波」を貶めようとしようが、考古学が許さん! @阿波
土器の植物種実圧痕観察(レプリカ法)により、弥生時代終了までイネに替わり、
アワ・キビ・ヒエなどが主流であったようだ。
徳島大学大学院 准教授(当時) 中村 豊氏 「板野に居たの」は、後ろ足で砂をかけて出て行った「阿波」の裏切り者。 @阿波 〇オレが必死に「阿波」に卑弥呼の里としようが、考古学が許さん! @阿電波 >>300
中村 豊氏の講演資料しかない。 文句あるなら、お前が調べろ、カス! 後ろ足で砂をかけて出て行った「阿波」の裏切り者。 @阿波
>>289
それは高天原(神の国)から来た事にしたから山の上に降臨としただけです。
卑弥呼=天照説では意味のない解釈です。
ただの神話です。日本書紀は歴史書でありますが、明らかな神話である部分もあります。
北九州の本拠から宮崎方面を統合した時の話でしょう。
統合は「勝速日」とよばれる天忍穂耳の事績かも知れませんが。 丹が動きまくる証拠(赤土説、ほぼどこでも取れる)な上に
青玉は何かわかりませんって言うのか?
阿波説では青玉をどう解釈しているんだ? 阿波説−捏造 = 鉱山+遺跡 こういう事だろ。もう、遺跡自慢はいいって。
『日本の歴史はお米を巡る覇権争い』
古墳時代には、豪族たちが自国の水田や収穫したお米を守るため、
そして他国の土地(要は水田をつくるための場所)やお米を奪うために争いを繰り広げていた。
大和朝廷が成立して、ひとまず日本がひとつになってからも、リーダーの権力を示す端的な指標は、
どれだけの水田とお米を確保しているか。国の成立を促したのもお米なら、争いの火種になったのもお米。
お米の量こそが、権力の証だったんだね。
平安、鎌倉、室町、戦国、江戸と日本のそれぞれの時代を通じて、
日本の権力闘争は煎じ詰めてしまうと、どうやってより多くのお米を確保するか、という戦いだった。
たとえば、武士の権力の大きさを示していた「石高(こくだか)」は、米の生産量に基づいた単位だからね。
武将が家来に褒賞を出すときも、領主が農民に年貢を納めさせるときも、基準になったのは、石高だったんだ。
ところで、1石ってどのくらいの米の量か、想像できる? 尺貫法によると、1石=1000合なんだって。
大人が1日3回の食事で消費する米が3合程度だとして、1石は大人1人がおよそ1年で消費する米の量と見なされていたそうだよ。
米のないとこに王権などw 神武天皇も奈良を目指したわけだ。 >>307
バカが一行でよ。(神の国)は見えずか?
天上=邪馬台国なので山の上へ降臨云々は解釈の意味がないと言ってるんだ。 阿波では緑泥片岩が出るのか、うーむ。
中国人のいい加減な記述で無限に解釈できるな・・・。 >>309一書曰くで参考に上げられた別書の記載が表示されてるだけ >>306
青玉とは徳島県南部から産出する青い角岩(チャート)のことである。
管玉:緑色凝灰岩 @阿波 魏国の遺物が当然のように阿波からは見つかってないから全ては妄想 丹も青玉も正式な物質名が特定されない限り
どこにでもある物になってしまうって事だな。
完全な証拠にはならんな。
邪馬台国論争の決着がつかない訳だ。
あいつらが邪馬台国に来た記念石碑でも残していけばよかったのに。 >>314魏と国交があり金印を授与されたのが邪馬台国 「黒谷川郡頭遺跡の調査成果について」 @阿波
遺跡名
黒谷川郡頭遺跡(くろだにがわこうずいせき)
所在地
板野郡板野町大寺字山田畑
主な成果
弥生時代前期(前4〜前3世紀)と後期〜終末期(2世紀〜3世紀)、奈良時代〜平安時代(8世紀〜10世紀)の集落跡を確認した。
弥生時代後期〜終末期の集落跡では、竪穴住居 12 軒や区画溝などを確認した。
黒谷川郡頭遺跡で、これまでに見つかった弥生時代後期〜終末期の竪穴住居は30棟を上回る。
これは県内の同時期の中でも最大クラスの規模である。
今回の調査で発見された竪穴住居で最も大きいものは、長径9.1メートルの規模をもち、平面形態が六角形となる特徴がある。
黒谷川郡頭遺跡 平面形態が六角形の竪穴住居
出土品は土器・石器など十万点を超える。出土品の中には蛇紋岩製の勾玉や水銀朱を精製するのに用いる石臼や石杵が含まれる。
竪穴住居の構造上の特徴(平面形が多角形、炉が「|○」の配置をとる)は、播磨地域に多く見られるものと共通しており、
同地域との濃密な交流を窺わせるとともに、阿波地域において対外交渉の窓口として機能した集落であることが追認された。
https://www.pref.tokushima.lg.jp/rekishiru/news/5023802 後ろ足で砂をかけて出て行った「阿波」の裏切り者「板野に居たの」が居たところだ。 わははははは @阿波 だ・か・ら、遺跡自慢はもういいって。阿波は、副都市のような所だから。
米がなければ王都じゃないって。
>播磨地域に多く見られるものと共通
やはり、阿波に「お引きこもり」は無理ですな。 >>318
精一杯の負け惜しみ。 わははははは @阿波 >>320
遺跡が目の上のたん瘤。 精一杯の負け惜しみ。 わははははは @阿波 魏国の遺物が存在しないならそこは邪馬台国とは証明されない 〇背位二番屁の俺の負け惜しみ。 わははははは @阿電波 〇1位が目の上のたん瘤。
背位二番の大ホケツがオラの負け惜しみ。 わははははは @阿電波 邪馬台国の東の国の遺跡さ。遺跡は名を語らない。
畿内説と同じだよ。たん瘤でも何でもない。
三角縁神獣鏡の分布
http://inoues.net/mystery/3kakubuchi2.gif
神武東遷に一致する出土傾向。 >>326
>三角縁神獣鏡の分布
腰を折るようだが、「三角縁神獣鏡」はどうでも良いから、画文帯神獣鏡か斜縁二神二獣鏡の分布を示してくれ。 わははははは @阿波 >>328
何で?おそらく国産と思われる三角縁神獣鏡の分布を示したんだが? >>330
国産の分布を示してどうなる?
それより、魏から下賜された画文帯神獣鏡か斜縁二神二獣鏡の分布を示してくれ。 わははははは @阿波 >>334
そんなことより、
魏から下賜された画文帯神獣鏡か斜縁二神二獣鏡の分布を示してくれ。 わははははは @阿波 >>331
ややこしい時にまぎらわしい物を出して悪かった。
俺は、神武東遷だと言ってる。魏は関係ない。
国産で鏡を作る事ができる集団が北九州から奈良へ移転したのだろうと。 あほスレ主よ、いつになったら阿波説をぶった切れるんだ? ズルズルいつまで掛かるんだ?
と、挑発してみる。 わははははは @阿波 鏡作坐天照御魂神社 祭神:天照国照彦火明命
これが言いたかっただけw >>337
それは捏造を認めた時点で済んでるから。 >>336
>国産で鏡を作る事ができる集団が北九州から奈良へ移転したのだろうと。
どえらい距離を移動したもんだなww 奈良盆地のどこが気に入ったのか、お前に聞きたい。 @阿波 >>338
>鏡作坐天照御魂神社
「大和坐大国魂神社」 「村屋坐弥冨都比売神社」 「高市御県坐鴨事代主神」など
奈良の神社は、「坐」が付く神社だらけ。
「坐」が付く神社は、どこかから勧請された神社。
当然、「阿波」からだろう。
片や「阿波」には、一つもそんな「坐」が付く勧請された神社など存在しない。
まあ、当たり前といえば当たり前なんだが。 わははははは @阿波 ここだけの話、鮎喰川で翡翠が取れる。高値で売れてる。
関西から宝石商がお忍びで来てるよ >>341
流石にここまで捏造が見破れると認めざるを得ないかw >>47-50
>>343
火明命が奈良県田原本町で死んだわけでもなし、当たりまえじゃん。
奈良の人は正直なんだろ。阿波と違って。
奈良の人は、タケミナトミとかいう恥ずかしい名前の神社
を諏訪大社の元社とか言わないw >>317
黒谷川郡頭遺跡は国府の港(国府津)でもあり、工房集落でも有り、
後の郡衙でもある複合遺跡なのよね。(郡頭と書いてこうずと読むのはこのためか?こおりのあたま、かしらという意味えでもあるが。))
既に掘ってしまって後の祭りだったので、精密な調査はされなかったが、
鎌倉時代の集落跡が存在していたことが分かっている。(鎌倉時代の住居跡の話は現地説明会で聞いた事で、ネット上ではソース確認できません、悪しからず)
何度も洪水で集落が壊滅しても、その場に住人がすぐ帰ってきたという顕著な例でもある。 >>340
お米の量こそが、権力の証だったんだ。
日本の権力闘争は、どうやってより多くのお米を確保するか、という戦いだった。
たとえば、武士の権力の大きさを示していた「石高(こくだか)」は、
米の生産量に基づいた単位だからね。
米の取れない、@粟よ。 泡のような捏造説。亜倭(倭の偽物) あわわわわわ >>303
中村 豊氏の講演資料の現物はは無いの?
有るから引用してるんでしょう? 下記の講演は、もう終わっちゃってるが、中村氏は准教授から教授へ昇進してますね。
「徳島の石棒」
講 師:中村 豊 氏
(徳島大学総合科学部教授)
日 時:令和3年10月30日(土) 14時から16時まで
定 員:40名(要事前申込) 9月15日より申込受付 >>348
>火明命が奈良県田原本町で死んだわけでもなし、当たりまえじゃん。
その通り! もちろん、「阿波」で亡くなった。 @阿波 令和3年度特別企画展「石棒って何だ!?」
今回の企画展のテーマは「石棒」。タイトルは今回の企画が立ち上がる直前の学芸員の心の声です。
縄文時代の祭祀具として知られる石棒。東日本にたくさんあるイメージですが、実は徳島でもたくさん見つかっています。四国では断トツの数です。
そんな徳島の石棒を集められるだけ集めてみました。集められなかった石棒も写真パネルにて紹介しています。
石棒祭祀はどのようなものが考えられるのか、どうして徳島に石棒が多いのか、ちょっとわかってくると、ちょっと面白くなってきた石棒の展示。是非ご覧ください。
なんか面白そうな企画展ですね。 >>349
元徳島県埋蔵文化財センター専務理事 菅原康夫氏
「黒谷川郡頭遺跡」は、「東阿波型土器(弥生時代後期」」の土器編年の標識遺跡。
だってね。 @阿波 >>350
>お米の量こそが、権力の証だったんだ。
弥生時代の奈良盆地の水田跡を見てみろ! 土砂に埋まって、見る影もない有様だから。 米どころじゃないことを理解しろ。 @阿波 >>354
この石棒研究も、中村 豊 氏だ。 @阿波 他説の追随を許さない、「阿波」の圧倒的遺跡群。
旧説(畿内説や九州説)の御用学者やミーハー相手のマスコミが「阿波」に跪くのは、時間の問題。 @阿波 あほスレ主よ、いつになったら阿波説をぶった切れるんだ? ズルズルいつまで掛かるんだ?
と、挑発してみる。 わははははは @阿波 >>359
「阿波」に跪くなんて傲慢すぎて恥ずかしいです、やめてください。
またハンドル入れ損ねましたが、
349・351・352・354は私です。
・・・個人的には自分は弥生より縄文が好きなのかもw >>356
中西遺跡だって「災害後、再び水田の復興を図ったことが分かる」となってるし。
負け惜しみはいいってw 米が無ければ奈良に来い。
奈良県立橿原考古学研究所は11日、約2500年前の弥生時代前期に県内最古級の環濠(かんごう)集落が
営まれた慈明寺遺跡(橿原市四条町)の発掘調査で、
【新たに弥生前期の水田と墓地の遺構が見つかったと発表した。】
水田なんか、いくらでも出てくるんだろうけど。阿波じゃあるまいし。
>>363
>縄文が好きなのかもw
縄文の方が目がぱっちり。これなら私も縄文派ですねw >>355
黒谷川郡頭遺跡は河川拡張工事でたまたま見つかった遺跡なのですが、
当時、埋蔵文化財包蔵地に指定されていなかったこと、
昭和初期に開削された放水路の拡張工事で有った事などから、
何の事前調査も無く、工事が始まっています。
鎌倉時代の遺物は、開削開始初期からポツポツ出ていたようなのですが、
重要な文化遺産とは認識されず、そのまま工事が進められてしまい、
平安時代の地面の層を掘り始めたころに、さすがにこれはヤバイといいことになり、
工事が中断、本格的な発掘調査が行われる運びとなりました。
この遺跡の発見以降、県の開発工事では、遺跡指定の有るなしにかかわらず、必ず事前に試掘調査を行うようになったようです。 『日本書紀』によれば、日本武尊が東征で捕虜にした蝦夷を初めは伊勢神宮に献じたが、
昼夜の別なく騒いで神宮にも無礼を働くので、倭姫命によって朝廷に差し出され、
次にこれを三諸山(三輪山)の山麓に住まわせたところ、今度は大神神社に無礼を働き里人を脅かすので、
「畿内に住むべからず」との景行天皇の命で、
播磨・讃岐・伊予・安芸・【阿波】の五ヵ国に送られたのがその祖であるとの起源を伝えている。
ここら辺が捏造気質の起源かな?どうりで阿波に三輪山が無いわけだ。 >>364
>中西遺跡だって「災害後、再び水田の復興を図ったことが分かる」となってるし。
復興を図って、すぐまた土砂かぶり。 わははははは @阿波 慈明寺遺跡は土砂を被った記録はない。
壬申の乱は阿波とか言っといて>>367
の記事とは無視する訳?阿波説論者の脳は溶けてるのか? >>367の捏造がどうかしたのか? 日本武尊の時代に、伊勢神宮があったんだってな。 わははははは @阿波 捏造民族アワワ人どもよ!
三輪山に向かい、
「私ども阿波人は、今から後、子々孫々に至るまで、清き明き心をもって捏造しません。
もし誓いに背いたなら、天地の諸神と天皇の霊に私どもの種族は絶滅されるでしょう」と誓え。 記紀に学の無い阿波ゴリは崇神の代に成ったのも知らんかった落第キング。ww >>369よ、捏造すんなよ!
日本武尊の時代に、播磨・讃岐・伊予・安芸・【阿波】の地名があったんだってな。 わははははは @阿波 日本武尊が四国征伐してないのは同じ領地だったから。
やはり崇神が畿内遷都したんだろう 「忌部一族 各豪族の本貫地」 @阿波
三輪氏=徳島市国府町「大御和神社」周辺地域
葛城氏=鳴門市北灘町「葛城神社」周辺地域
賀茂氏=旧美馬郡三加茂町「鴨神社」周辺地域
物部氏=旧麻植郡山崎「忌部神社」周辺地域
中臣氏=板野郡板野町周辺地域
蘇我氏=石井町「曽我氏神社古墳群」周辺地域 そういや崇神の時、疫病が流行ってたな。
疫病遷都かな 上で米うんぬん言ってるが、阿波はオオゲツヒメよ。食の神ね。 阿波国一宮の「天石門別八倉比売神社」の論社の1つ「上一ノ宮大粟神社」の御祀神は「オオゲツヒメ」という神様だが、
「オオゲツヒメ=御食津神=豊受大神]
豊受大神というと伊勢神宮の外宮の神様だが、じつは外宮の神官「度会氏」は「忌部氏」の末裔。
元々は内宮、外宮とも、神官は忌部氏だった。
大宜都比売神(オオゲツヒメ)は、『古事記』に云う阿波国の国神となる女神であり、
日本の養蚕・五穀の起源神、日本の偉大なる食物の女神、かつ日本最古の農業神である。
また、焼畑農業神、稲作・畑作農業神としての顔をもつ。
『古事記』にあるオオゲツヒメの死は、死と再生という自然循環思想を表す。
穀物名を国名とするのも、農業神が国神となるのも、日本で阿波国のみである。 @阿波 伊勢神宮で天皇皇后両陛下の「親謁の儀」がまず外宮で執り行われ、翌日に内宮で執り行われる。
やはり、外宮が優先か。
「神道五部書」の『豊受皇太神御鎮座本記』の内容を「国史大系」の第七巻から見てみると
「天村雲命伊勢大神主上祖也。神皇産霊神六世之孫也。阿波國麻植郡座忌部神社、天村雲神社、二座是也」とある。
阿波國に座す二社(忌部神社、天村雲神社)が皇祖皇統の正統なる末裔であると記している。
阿波忌部が伊勢神宮(少なくとも外宮の)の正統なる祭祀者であり、
伊勢神宮は阿波忌部の上祖(天日鷲命)を祀っているのである。 @阿波 >>378
食の神でも大粟姫なんだよ。米じゃないんだよね。残念。
味噌も糞も一緒にしてはいかん。
>>379
オオゲツヒメ=御食津神=豊受大神
これは習合。同一視であって同一ではない。
マハカーラ(大黒天)と大国主は、本来は全く別起源。 一方、隣の讃岐国(さぬきのくに)は古事記にも「飯依比古(いいよりひこ)」の名が記されているように、古くから米の産地でした。
讃岐一之宮といわれる田村神社もその名が示すとおり水田との関わりが深く水神様を祀ってあります。
『和名抄(わみょうしょう)』(平安時代)によれば、香川県(讃岐)の水田面積は18,647ヘクタール、対して徳島県(阿波)のそれは3,414ヘクタール(このうち 那賀(なか)郡の水田が半分以上を占めていたと思われる)。
ちなみに香川県の面積は約1,883平方キロメートル、徳島県は約4,146平方キロメートル。阿波は、讃岐の2倍以上の広さでありながら、水田面積は5分の1以下しかなかったことになります。
後にこの両国の農業のつい近年まで続く地形的宿命のようなものが、すでに神話の時代から予感されていたのでしょうか。
https://www.maff.go.jp/chushi/kj/yoshino/3/1.html
讃岐は雨が少ないから小麦の栽培が盛んになって、うどんが名産になったとされているのに、
阿波より讃岐のほうが米が採れるという・・・。
阿波にとっては、ちょっと悲しいお話 >>375
阿波説ぶった切りの新阿波説君じゃないか。
阿波は大和朝廷の側近中の側近の本拠だからね。
征伐はないかな。神武東遷の安全ルートだからなぁ。>>27-28 http://tono202.livedoor.blog/archives/7142474.html
阿波の美馬,三好地方で「米牛」と呼ばれる借耕牛の習慣は,江戸中期から始まったようです。
農耕用の牛は一年中、働き場所があるわけではありません。春秋の二李,(田植期と収穫期)のみが出番です。
そこで、美馬・三好両郡の山分で水田に乏しいソラの農家が,自分の家の役牛を農耕用として讃岐の農家へ貸します。
そのお礼に、おいしい「讃岐米」の俵を背に積んで帰ってきました。今回は借耕牛について見ていくことにします。 >>373
彼、ちょくちょく公然の史実にツッコミ言いますよね?
自信満々なので一瞬、こっちの記憶がおかしくなったかと錯覚します。
「江戸時代に邪馬台国論があったのか?」とか、
あれ、あったはずだけど俺がおかしいの?って思ってしまう。 >>374
あっただろう。阿波国ではないぞ。阿波国は突然、アワと呼ばれるようになったのか?
以前から粟と呼ばれていたに決まっている。何か不自然か? >>386
>「江戸時代に邪馬台国論があったのか?」とか、
江戸時代に、今のような「邪馬臺国」ブームがあったのか? 一握りの幕府御用学者の論争じゃないぞ!
今の時代のように、江戸時代の庶民がわいわいやる「邪馬臺国」ブームがあったというのか?
アホはよく考えてからものを言え! ドアホが! @阿波 >>387
>あっただろう。
どあほ! 日本武尊の時代に、「諸国郡郷名著好字令」があるか! お前は眼噛んで死んどけ! @阿波 日本書紀が「粟」を「阿波」と書いただけじゃないか。
いちいち説明しないといけないのかな。理解力が低すぎる。アホすぎる。 なんでここに来る奴はアホばかりなんだ? どいつもこいつも。 @阿波 >>392
アホはよく考えてからものを言え! ドアホが! @阿波 「阿波」に即刻撃退されるのは、お前だ。 わははははは @阿波 ププッw
太国氏を素人呼ばわりしたあげく捏造が暴かれて無知まで晒してw @阿波さんと太国さんは、このスレッド常駐の感じ悪いコテのツートップなんで、争いは、どこか他でやってくださいませ。 >>397
オマエも意味不明だとか日本語もできねえふりをしてて、何で阿電波に肩
を持つのか? オマエも阿電波あたりの住民だろ。オマエこそ消えろ。>< >>398
すいません、落ち着いて、分かりやすい、誰にでも通じる日本語でお願いしますm(__)m >>399
いいか、ああいうデンパは毒をもって毒を制すが奴を屈服させるいい手段だ。
なにもこちらも本来某土地の悪口なんかいいたくはねえ。
だが丁寧語じゃあ阿電波に舐められるぞ。
多角にフック、アッパー以外の毎回のジャブを多発してこいつの国賊的
主張を折伏するなのだ。
だからオマエも標準語もいいが、こいつにはそういう手でコテンコテンに
奴の弱点を攻めて奴の論をたたきのめせ。 わははははは お前ら寄ってたかって、そのザマかよww いったい何時阿波説をぶった切れるんだ? わははははは @阿波 〇わははははは おらの脳って低くって、無学なのかよww いったい何時
おらは尾おケツ痔切れが治るんだ? わははははは @阿電波 >>400
私は、@阿波さんを擁護する気は全く無く、阿波人がみんな@阿波さんのようなトンデモでは無い事を皆さんに分かってもらいたいだけで、
誰かを屈服させようとか、跪かせようとか、大それた事は一切考えておりません 不快な書き込みに不快な書き込みで返すっていうのは、どうなんでしょうね?
単に、同レベルで遊んでいるようにしか見えませんが。 >>403 スレ題をオマエのよく見えねえ視力でよく見てみろ。
ここのスレは阿電波をぶった切る趣旨だ。考えてないなら用済みだ。消えろ。 阿波さんへ
オオゲツヒメたる、豊受大神の、
使役神である、稲荷狐が、
はぐれて凶悪化してるっていうのは、
何か深い意味ありますか?
稲荷狐というのは、
全社はぐれているのですか?
それとも、
一部? あと、
ナザレのヨセフの、
神社は、どこですか?
それに、イエス・キリスト。
いまいちまだ解明されていないことが多いですね。 太国さん、ぶった切る対象は、@阿波さん個人ではなく、阿波古代研究所の説に代表される阿波説な筈です。
スレには阿波説よりのコテは@阿波さんしか出てきていませんがw
目的と、手段は見失なわないでいただきたいと思います。 >>403
オマエは遠まわしに阿電波に息をつける援助をしているのだ。
毒をもって毒を制するのがどうかというなら、コロナのワクチンだって
そういうもののはずだ。
本ものの毒じゃあ傷害あるいは致死に至るからできねえが、
ちょっとで許容された弱毒は使い物になる。
スレにオマエは用済み。消えていい。 ありゃ?
ヨセフは、この神社かあ
・・・
なんかわかってきたぞ? >>409
太国 ◆ZgyHKik.H2 さんが頑張らなくても、良識ある皆さんには、
何が正しいか、何が間違ってるか、十分伝わっていると思います。 私には、太国さんは単に、同レベルで遊んでいるようにしか見えません。 >>409
そうだとしても、阿電波はやはり阿電波説だといってるから、阿電波はオマエの
いうような除外人物ではねえ。
だからオマエは阿電波を遠回しに擁護してるのだ。
だから阿電波が同士討ちに見えてオマエが奴の味方だとなり、奴はホッと息を
ついてるのだ。
さっさと消えろ。 板野、オマエは結局阿電波の味方野郎だ。
さっさと消えろ。 すいませんが太国さんのご希望には添え無いと思います。 添えねえなら、オマエのやり方で阿電波を論でたたけ。
オマエは結局阿電波の味方で今回のオメエの書き込みは奴の擁護の目的だ。
つまりオマエは奴と同類の地元だろう。
阿電波とコチラの双方批判してるようで、そうではなく、阿電波の名はコチラ
にいいたいカモフラージュで使っており、不公平じゃねえように奴の名を
載せてくらましており、核心はコチラに向けるための卑怯な手をオメエは
使ってるのさ。だから研究所とか出して阿電波にコチラの矛先がいかねえよう、
そんな団体を出してくらましてるのがオメエのキタネエ手なのさ。
即出て行け。 ごめんね、おちついて、ご自分の書き込みは一回見直して書き込んだ方が良いですよ、マジで。 各々方
板野卑怯野郎は阿電波説をたたき切るのが目的ではなく、裏切り者の
阿電波の味方をするのが隠れた目的だ。注意しろ。 ごめんね、おちついて、ご自分の書き込みは一回見直して書き込んだ方が良いですよ、マジで。(再 名無しのヘタレスレ主はなにしてんだ? びくびくロムってるのか? わははははは @阿波 板野卑怯ゴリ助よ、誰かさんが言ってたが、オマエは阿電波ではないのか?
オマエの要求はスレの趣旨から絶対受けねえ。即去れ。 阿保のスレ主は名無しのヘタレだし、太国は子供の喧嘩しかよう言わんし、板野は阿波の裏切り者だし、
どいつもこいつも、相手にならん。 一体、いつのなったら阿波説をぶった切れる事やらwww わははははは @阿波 〇名ありのヘタレ阿電波のおらに応援がいたんだ?
びくびくしねえでいいな? わははははは @阿電波 〇阿電波のオレは名有りのヘタレだし、太国とは負け喧嘩で勝てねえし、
板野は阿電波おらのこっそり味方だし、
どいつもこいつもにも、息つきになる。
一体、またも阿電波説をぶった切られて苦虫を飲むなあwww わははははは @阿電波 弓野千鶴子名義のものは、
中国政府の回し者というのはガセで、
ただの魔女の可能性
ただの笠間稲荷の可能性
未だ判明せず このスレの目的は阿波説の捏造を暴き世間に周知する事です。
最早、テンプレだけでも十分ですが阿波論者もたくさんいた方が良いです。
(最近、阿波説ぶった切りの新阿波説の人も来てますがw)
で、アホな書き込みもこれを見る人が真偽を判断する材料と思っています。
あ、でももう400超えてる。バイトも来てるし。早い、早いよ。
そこそこ、ほどほどにお願いします。
本当は、阿波国古代研究所に御降臨願いたいのです。
現地でお近くの方、お声がけをできればお願いしたいです。 @スレ主 >>437 名無しと言われて慌てて名乗るスレ主
>このスレの目的は阿波説の捏造を暴き世間に周知する事です。
ところが、「阿波」に反対にボコられて、却って「阿波」の真実を世間に広く知らしめるという、思わぬ展開となってしまった。 わははははは @阿波 >>437 名無しと言われて慌てて名乗るスレ主
>あ、でももう400超えてる。バイトも来てるし。早い、早いよ。
いかにアホどもが、「阿波」を意識し恐れているか、よく分る。 @阿波 とっくに捏造がバレてるし本物の@阿波は氏んでるしな >>440
そんな幼児の喧嘩口上しか言えんのか! 情けないぞ! 名無しのスレ主よ。 @阿波 >>442
「阿波」への反論一切出来ず。 そんな幼児の喧嘩口上しか言えんのか! 情けないぞ! 名無しのスレ主よ。 @阿波 掲示板では一方が負けを認めない限りこの手の堂々巡りは果てしなく続くものですが、
@阿波さんが、負けを認めるとも思えずw
阿波人は、人の言葉に従う事を嫌がる人が多く、なにか議論してるな〜と思ったら、
本質的には同じことを、「自分が正しい!」「いやこっちが正しい!」と譲らず、中身の無い議論が続く・・・なんて事が多々あります。
まあ、お互い適当なところで満足して自分が仕事した気になるので、言いたいだけ言わせてから収拾を図るのですが、
まあ、巻き込まれた人はいい迷惑だと思います。(お互いが、自分の意見が通ったと思わせてまとめるテクニックが必要w)
それで、@阿波さんなんですが、他人の説を信じて紹介している「だけ」にもかかわらず、
何故か上から目線で偉そう、わざと他人が不快に思うような書き込みをする・・・などホント困ったちゃんだと思います。
@阿波さんが阿波古代研究所を代表して書き込んでいると誤解されたら、阿波古代研究所さんも迷惑でしょうね。
さすがに、そう誤解する方はいない、少ないとは思いますが。 阿波人でも信じてないからコミックを出せなかったんだが >>445
コミックが出せてないのは、「面白くないから」だと想像します。 >>444
お前のええかっこしいがむかつく。 どっちつかずの風見鶏が! だから太国からも嫌われるんだ。 @阿波 >>446「邪馬台国阿波説」のタイトルが出オチ過ぎるからか 太国さんや@阿波さんから好かれようとは全く思っておりませんのでお構いなく。 〇いかにオラが、「太国」を意識し恐れているか、よく分る。 @阿電波 で、どうやって阿波説をぶった切るんだ? 幼児の喧嘩口上では何時まで経ってもぶった切れんぞ! わははははは @阿波 どっちつかずとかじゃなく明らかに@阿波はバカなくせに背伸びしてるとディスってるなw >>452
論じろ! そんな幼児の喧嘩口上では何時まで経ってもぶった切れんぞ! わははははは @阿波 >>441 >>443
440 442 俺じゃないよ @スレ主
てか、論議するネタがないからじゃない?荒れるの。 コチラも阿電波が背伸びしてるなと想ってたな。ww
学もねえし江戸時代の女王国論争も阿電波は知らねえと低劣な語と空威張りと威勢
を持ち駒にし、こうねえとやっていけねえので、こういう低級語を阿電波は多発
するわけ。
その威勢をゴキブリ・ゴリに踏む粒すには、こちらもさらなる威勢をヤクザ語を
多発して阿電波をけん制調教してるのだ。
それを板野という支離滅裂野郎が阿電波のこっそり擁護を企んでて、一見双方公平
のようなみせかけをしてるが、実は遠回しに阿電波に肩を持ってコチラに文句を
つけてくるトンだ野郎が板野というトゥー・フェイスだ。
ところがこういう板野ゴリ助を気持ち悪いと持ってるらしいこの阿電波も、どっち
つかずの偽装野郎〜板野ゴリ助を煙ったく思っている。板野ゴリ助もとことん
いじめてやるのが阿電波もコチラも同意見だろ。 >>456
どこかで見る事ができるのでしょうか?その古い絵。 痛いのゴリ助よ
オメエの豆脳デンパの高圧が痛いのか。w 板板イタタタ・・・とうんと泣け。 >>460
どうもです!「まんが日本史」とか、「火の鳥」を思い出した。
思ったよりちゃんとしているんだな。たしかに古すぎるがw
コミックにする理由は、歴史に興味がない層にも伝えたいからだろうけど、
この絵では無理ではないでしょうか?何を狙っての事だろう? 何も狙えないのが明白なので2年前の秋に出す予定がポシャりました >>464
論じろ! そんな幼児の喧嘩口上では何時まで経ってもぶった切れんぞ! わははははは @阿波 >>465
それが例のコミックの原稿?だよ。 島勝さんの構えだ。 それにしても延びたな。 いつ発刊になるのやら。 @阿波 竹宮恵子と言いたいところだが、意表をついて「山上たつひこ」が良い。 関東忌部の神津島に軽石漂着。 「倭人(阿波勢力)」もこの黒潮に乗って関東へ進出したことだろう。 @阿波 それにしても今の黒潮の蛇行、えげつないな。 @阿波 神津島、あの狭い島に明神大社が二社有るとは・・・。
土佐より上、阿波並では無いか。 >>338
>鏡作坐天照御魂神社
「大和坐大国魂神社」 「村屋坐弥冨都比売神社」 「高市御県坐鴨事代主神」など
奈良の神社は、「坐」が付く神社だらけ。
「坐」が付く神社は、どこかから勧請された神社。
当然、「阿波」からだろう。
片や「阿波」には、一つもそんな「坐」が付く勧請された神社など存在しない。
まあ、当たり前といえば当たり前なんだが。 わははははは @阿波 なんだこのザマは。 阿波説の投稿ばかりじゃないか!
こんなんでいつ、阿波説をぶった切るつもりだ? 名無しのヘタレスレ主よ、さっさとぶった切らんかい! スレタイが泣くぞ! @阿波 「名東銅鐸」
名東銅鐸は、弥生集落の一角から出土したもので、扁平鈕式という型式に分類されます。
高さ39.3a、重さは877.8cしかありません。
裾内部に突帯が一つあり、音を鳴らすための機能は備わっているのですが、使用した形跡はみられません。
「見る銅鐸」だったのでしょうか。
鮎喰川流域では「聞く銅鐸」も「見る銅鐸」も出土しています。
「阿波」における銅鐸のまつりが変化する様相を観察できる地域として注目されます。 @阿波 >>459
こっちのCM中の絵だったらアリじゃないかな。
内容はバカバカしかったので最後まで見てない。
邪馬台国はヤマタイでなくヤマト国など江戸時代から言われていたじゃないか。
自慢げに話してる先生っぽいのがまじでキモい。見るに耐えない。 だって切るものが無いんだから仕方ないじゃないか。
どうせよと?阿波国古代研究所でも呼んで来いよ。 >>480
切る術がないんだろうがよ。 ヘタレ。 いつまで「阿波」の宣伝をやるつもりなんだ? わははははは @阿波 銅鐸の出土数もさることながら、 銅鐸の出土遺跡の多さに驚かされる。
まさに、倭国(阿波)は、銅鐸王国。 @阿波 【記紀はなぜ銅鐸を語らないのか?まずはそこからだ。】
阿波は忌部なのだから神社や祭器はあって当たり前。
だから、何だって?ずっと同じ事言ってる。何が楽しいのか?
阿波には祭器はあるが王権はない。 >>483
>阿波には祭器はあるが王権はない。
九州や畿内は、祭器も王権もない。 碌な集落遺跡や鍛冶炉遺構遺跡がない田舎だから。 わははははは @阿波 >>483
九州や畿内にあるのは、妄想だけ。 @阿波 【郷土愛は恐ろしい】
九州説の奴にも旧三輪町の神功皇后が作ったと言う伝説がある大己貴神社や
磯上物部神社が奈良の大神神社や石上神宮の元社っぽい事を言ってる奴がいた。
神武東征で移動したらしい。
神武天皇は大物主の娘を貰って国を継承したのも知らんらしい。
大物主は九州を征圧してから奈良を制圧し
東征してきた神武に国を譲ったと言う事になる。すごいお人好しだねぇ。
郷土愛、ウリナラ。ダメだこりゃって思った。
ウリナラ、ウリナラ、ウリナラ!お前らチョソか! 矢野銅鐸の正式名称は鰭と呼ばれる縁の部分を太い線で飾る「突線袈裟襷文(とっせんけさだすきもん)銅鐸」で、
銅鐸の中でも最新型式。国内でも最大級。弥生時代後期に作られたとみられている。 @阿波 「徳島県出土の同范銅鐸」
川島銅鐸(吉野川市) − 加茂岩倉遺跡銅鐸(島根県雲南市)
伝脇町銅鐸(美馬市) − 荒神谷遺跡銅鐸(島根県出雲市)
安都真1号銅鐸(徳島市) − 種松山銅鐸(岡山県倉敷市)
伝榎瀬銅鐸(徳島市) − 山町銅鐸(奈良県奈良市)
倭国(阿波)から各地へ拡がっていった銅鐸たち。 @阿波 >>489
黒曜石の関連というよりも、黒曜石を採りに行った関東忌部の関連だ。 明神大社二座で「倭人(阿波勢力)」を祀っているんだから。
お前はなんでもかんでも、「阿波」を貶めようとする「阿波」の裏切り者だ。 相当「阿波」に恨みがあると見える。 かわいそうな奴。 @阿波 >>490
忌部一族は、縄文時代には既に関東に進出していたという事でよろしいか? 神武東征40kmでそれはないな〜。
いくらなんでも矛盾する。 >>491
ぼちぼち進出していたんだろうな。 @阿波 >>492
>いくらなんでも矛盾する。
お前の頭がか? わははははは @阿波 ここにみなさんが書き込むと、
阿波さんレスも伸びるんだよww 「徳島県出土の同范銅鐸」
川島銅鐸(吉野川市) − 加茂岩倉遺跡銅鐸(島根県雲南市)
伝脇町銅鐸(美馬市) − 荒神谷遺跡銅鐸(島根県出雲市)
安都真1号銅鐸(徳島市) − 種松山銅鐸(岡山県倉敷市)
伝榎瀬銅鐸(徳島市) − 山町銅鐸(奈良県奈良市)
倭国(阿波)から各地へ拡がっていった銅鐸たち。 @阿波 >>495
「阿波」の広報に大変重宝しているよ。 わははははは @阿波 阿波から西日本各地に文化発信が始まったのは、卑弥呼の時代より遥か昔の縄文時代晩期末から弥生時代前期初頭である。
「石棒」
石棒は縄文時代を代表する石器である。実用品ではなく儀礼に用いられたと考えられている。
縄文晩期末から弥生時代前期初頭に、島根県・愛媛県・高知県から東は京都府・滋賀県・奈良県・和歌山県
にいたるまでの今までになく広い範囲で泥質片岩製の石棒が出土する。
この石材はすべて銀色を呈する泥質片岩製であり、石棒の素材産出地で、製作遺跡でもある徳島市三谷遺跡が、
その一大製作遺跡であると考えられている。 @阿波 「柱状片刃石斧」
弥生時代前期から中期のはじめにかけて、緑色片岩製柱状片刃石斧が、大阪湾から東部瀬戸内沿岸地域に流通する。
弥生中期後半、青色片岩製の柱状片刃石斧が近畿〜東部瀬戸内地域一帯に多量に流通する。
この青色片岩は、三波川帯でも、とくに眉山と高越山において、特徴的かつ大量に産出することが知られている。
この生産・使用を始めたのは、弥生中期前葉・中葉の吉野川中流北岸の河岸段丘上に住む人々である。
阿波市日吉谷遺跡、同桜ノ岡遺跡、同赤坂V遺跡などで未製品が出土している。
弥生中期後葉にいたって、これらは下流域の徳島市南庄遺跡でも生産されるようになる。
南庄遺跡での生産が活発化して以降、藍閃石―塩基性片岩製の柱状片刃石斧は、広域に流通することが知られている。
東かがわ市池の奥遺跡、同成重遺跡、善通寺市旧練兵場遺跡、和泉市池上曽根遺跡などに多量にもたらされており、
これらの遺跡を起点に、さらに流通していったものと考えられよう。
現時点で確認できた分布範囲は、奈良(磯城郡田原本町唐古・鍵遺跡)・大阪(茨木市東奈良遺跡、岸和田市畑遺跡、同下池田遺跡、
東大阪市巨魔遺跡など)・和歌山(和歌山市太田黒田遺跡、みなべ町青蓮谷遺跡など) ・兵庫(神戸市玉津中遺跡、同伯母野山遺跡、
姫路市丁・柳ケ瀬遺跡、同大山神社遺跡、三田市奈カリ予遺跡、同有鼻遺跡など)・岡山(赤盤市用木山遺跡など)・香川(三豊市紫雲出山遺跡)におよぶ。
愛媛県でも、点々と見かけることがある。沿岸部だけでなく、内陸部の奈良、兵庫県の三田盆地などにも流通する。 @阿波 >>483
>阿波には祭器はあるが王権はない。
九州や畿内は、祭器も王権もない。 碌な集落遺跡や鍛冶炉遺構遺跡がない田舎だから。 わははははは @阿波 縄文時代に関東まで進出する技術を持ちながら、神武東征は40km・・・。
もうちょっとマシな説を考えようよ >>502
だからお前には、いまだに女王国がどこかが分らんボンクラなのだ。 わははははは @阿波 >>502
碌な集落遺跡や鍛冶炉遺構遺跡がないド田舎に長髄彦が居て、神武天皇が東征したと信じるアホ達。 @阿波 縄文時代にはるばる海を渡って700km彼方の関東に進出する能力が有りながら、
神武東征が40kmはさすがにおかしいよ、
神武東征は縄文早期の話・・・とかにせにゃ説明がつかん。 >>506
>神武東征が40kmはさすがにおかしいよ、
神武の時代は、阿波国内勢力の鎮撫平定時期。
だからお前には、いまだに女王国がどこかが分らんボンクラなのだ。 わははははは @阿波 >>506
>縄文時代にはるばる海を渡って700km彼方の関東に進出する能力が有りながら
神武天皇のように、征伐に行った訳じゃない。 新天地を求めて船出したまで。 @阿波 >>506
>縄文時代にはるばる海を渡って700km彼方の関東に進出する能力が有りながら
神武天皇のように、征伐に行った訳じゃない。 新天地を求めて船出したまで。 @阿波
長髄彦のような勢力が居るならともかく、文化水準の低い、とても相手にならない相手では、「倭人(阿波勢力)」相手に戦闘にすらならない。 @阿波 古墳の築造技術(葺石・竪穴式石室など)や副葬品(水銀朱・勾玉・鉄器など)を目の当たりにして、
関東の土民も、朝鮮半島の土民も、九州の土民も、畿内の土民も、
倭国(阿波)の超先進文化の移入を喜び受け入れ、尊敬し、「忌部一族」を王と仰いだことだろう。 @阿波 若杉山の水銀朱は縄文時代から掘っていたんだったっけ??? 丹生鉱山
縄文時代から丹生鉱山とその近辺で辰砂の採掘が行われていた。丹生鉱山に隣接する池ノ谷・新徒寺・天白遺跡からは、粉砕した辰砂を利用した縄文土器が発掘されており、辰砂原石や辰砂の粉砕用に利用したと見られる石臼も発見されている。さらに、40か所以上に及ぶ採取坑跡が付近から発見されており、辰砂の色彩を利用した土器製造と辰砂の採掘・加工が行われていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E7%94%9F%E9%89%B1%E5%B1%B1 石棒
石棒は縄文時代中期に中部地方の山岳地帯中心に始まった祭祀の道具と考えられています。石棒を用いた祭祀は縄文
時代後期になると関東地方に広まり、後期の終わり頃には西日本へも広まるようになります。
徳島県内では縄文時代晩期から弥生時代の初頭にかけての遺跡から出土しており、徳島市南佐古六番町に所在する三
谷遺跡の貝塚からは最終盤の縄文土器や遠賀川式と呼ばれる出現期の弥生土器とともに数多くの石棒が出土しています。
個人的な考察
縄文時代は、東日本から西日本へ文化が伝搬しているような気配も有る。 阿波さんへ
感性と感情と感覚とありますが、
さすがに感情は何かわかるのですが、
感性と感覚の違いがわかりません。
つまり、英語でいうと、
sensibleと、senseですが、
厳密に感性と感覚のちがいってあるんですかね?
結局、どちらも御魂ってことですか?
良ければ教えてもらえませんか? 紀州、和歌山って、
畿内最南端国ですが、
あんな位置でも非常に軍事的に重要なんですね。
面白ろすぎる日本列島。 >>513 板野に居たの
>若杉山の水銀朱は縄文時代から掘っていたんだったっけ???
縄文時代の遠距離交易 令和2年12月6日(日)
翡翠・琥珀・辰砂
明治大学黒曜石研究センター特任教授 粟島 義明
縄文時代の評価を巡っては、ここ10年程のあいだに新たな発掘調査による発見、
並びに資料の分析手法の開拓を得た成果を背景として大きく見直されつつある状況にあると言えよう。
とりわけ後者関わる研究としてはレプリカ法等による植物考古学の進展や放射性炭素年代の精緻化、
同位体比よる食生態の復元など、考古学を取り巻く研究環境は以前では考えられない程に多様・多角的となっている。
言うまでもなく縄文時代研究は東日本地域を中心に展開しているが、
これは遺跡数の多さとそれに比例した研究者層の厚さに由来するものであり、
これが弥生時代研究や古墳時代研究になると東日本と西日本の関係性は見事に逆転するようである。
徳島県若杉山周辺で辰砂が産出することは古くから知られていたようである。
これは西日本地域の弥生時代の墳墓や前期古墳では、石室内部に大量の辰砂が副葬されていることが戦前からも知られており、
その供給地として若杉山が認識されていた。
2017年から実施された「加茂宮ノ前遺跡」 に於ける縄文時代文化層の調査によって、
縄文時代後期段階から若杉山の辰砂が原産地下の遺跡である「加茂宮ノ前遺跡」 で集積・加工されていたことが判明したのであった。
現在判明しているその概要は、辰砂原石を南西に直線で3q程離れた若杉山で入手し、
それを那賀川右岸の河岸段丘上に形成された「加茂宮ノ前遺跡」 へと持ち込み、
ここで辰砂原石を石杵や石臼を用いて砕いて精製し赤色顔料としての水銀朱のみを入手していたことが明らかになったのである。 @阿波 みなさんは、仕事もあるでしょうし、休憩、睡眠を取るでしょうが、
私は好奇心の塊で、また、孤独感からコンタクトを取りたくて取りたくて、
仕方ないものですから、
いくら書いてもいくら書いても疲れません。 >>539
了解、縄文時代は、水井鉱床の辰砂を大規模な「採掘」ではなく、「採取」していたのかな?
大規模な採掘技術は、長野県の星糞峠黒曜石採掘遺跡等に見られるように、縄文時代から既に培われていたと考えられるから、
東から西への文化の伝播が行われた可能性も考慮しなくちゃね。 Youtubeの 邪馬台国は阿波だった! (ラジオ放送の同録動画)
結局全部見ましたw
東阿波ケーブルテレビ 代表取締役 樫原敏之さんの手法はかなり面白いと思いました。
https://youtu.be/1LInRvD7mhM
阿波古事記研究会会長の立石量彦さんも、まだ良心が残っているなあという感想。
しかし、地方のコミュニティFMとはいえ、番組に系列局でもないケーブルテレビ会社の社長が出演とか、
かなりオープンな番組作りには感心w >>553
それはお疲れさまです。
おお!これはと言う内容はありましたか? 阿波国古代研究所のお二方は、かなり逝っちゃっていて、こらアカンわ〜ってところかなw
まあ、こっぱずかしくて聞くに堪えない、ああいう人をラジオにだしちゃアカンだろ、って感じ。 やっぱりですか?論破するネタでもあるかと思い少しだけ
聞きましたが、聞くに堪えなくて途中で止めました。
最後まで変わらずですか。本当にお疲れさまです。貴重なお時間を・・・ 神武は英雄に仕立てるため、話を盛ってる
実際はショボいと思われる。東征40kmでも不思議でない 神武東征40kmと言いますが、
粟国大乱の痕跡は、一切発見されいてませんから、それを証明するのは現状では不可能でしょう。 邪馬台国は阿波だった!のラジオ番組ですが、
十分な発言時間も与えられていない上に、
「阿波にもう決まっていますが何か?」的な発言が放送されるのは、
(真面目に聞いている人がいるとすれば)聞くに堪えない内容でしょうね。
私には、初めから真面目に論ずるつもりは無い、
ふざけたおちゃらけ番組だと感じられました。 >>557
>実際はショボいと思われる。東征40kmでも不思議でない
その通り! 神武東征に過大な夢を見過ぎ。 しかし、当時としては、この「阿波」国内での遠征がいかに困難な戦闘だったことを示している。
神武天皇行軍ルート
気延の庄→神山→木屋平→穴吹→岩津→板野→鳴門。 @阿波 >>560
木屋平や穴吹を攻めてる隙に気延の庄を制圧されそうな行軍ルートですね。 >>561
吉野川南岸地域の木屋平や穴吹は神武勢力だ。 要らぬ心配すんな。
そんなことより、女王国を見つけてからモノ申せ。 10年早いぞ、後足で砂をかける裏切り者よ。 @阿波 >>561
「阿波」の足を引っ張ることに血眼を上げるだけのお前は、もやっとした妄想しか持ち合わせのない愚図だ。 @阿波 >>557
>実際はショボいと思われる。東征40kmでも不思議でない
実際はご東遷です。皇后のおじいちゃん(八咫烏)に連れられてやって来た。
>>27-28 >>563
>「阿波」の足を引っ張る
常識的な判断や正しい事を言っている = 阿波の足を引っ張る
なぜ?それは阿波説が捏造だから! >>562
気延の庄から板野で直線で5キロ・そこから鳴門で15km
行軍ルート20kmに短縮可能ですねw >>567
お前も、もやっとした妄想しか持ち合わせのない愚図だ。 @阿波 暇だったので、気延の庄→神山→木屋平→穴吹→岩津→板野→鳴門(池谷駅辺り)の距離を計算してみました。
古代の山道は、比較的直線的に進む事を考慮しても、
何と、100km近くに迫る大行軍となり、1日平均20kmすすむとして、5日もかかる事がわかりました。
敵を欺く為とはいえ、3日間は、無駄な行軍をする事になります。 >>569 板野に居たの
>敵を欺く為とはいえ、
なんで敵を欺く事が無駄なんだ? 馬鹿か? @阿波 >>569 板野に居たの
お前のイチャモンは、どれもピント外ればかりだな。 ちょっとは性根を入れて掛かって来い! カス! @阿波 >>561
吉野川南岸地域の木屋平や穴吹は神武勢力だ。 要らぬ心配すんな。
そんなことより、女王国を見つけてからモノ申せ。 10年早いぞ、後足で砂をかける裏切り者よ。 @阿波 〇「阿波」大ケツの尻をぬぐうことに血眼を上げるだけのオレは、プ〜ンと
もやっとした糞臭しか持ち合わせのない愚図だ。 @阿電波 行軍ルート上の粟勢力(今の阿波市付近)の動向が不明な点も、詰めが甘いかな。
粟勢力も味方なら、そこまで大回りする必要は無い筈だしね。 >>574 板野に居たの
>粟勢力も味方なら
なんや、その粟勢力って造語は?
粟国=「邪馬臺国」は、大河吉野川流域・鮎喰川流域一帯。 @阿波 >>575
板野・鳴門勢力が居たのであれば、
当然、阿波(粟)勢力もいるはずでしょう、
今の阿波郡辺りに居た勢力は、吉野川南岸勢力と、
味方なのか、敵なのか、中立なのか、どういう設定なんですかね?
吉野川を挟んで麻植の勢力と競っていたのであれば、
どちらかの勢力の仲間なのでは無いかと思うんですが、
どうなのよ? >>577
>今の阿波郡辺りに居た勢力は、吉野川南岸勢力と、
>味方なのか、敵なのか、中立なのか、どういう設定なんですかね?
もちろん、敵だ。 阿波郡辺りは、長峰一帯を本拠地とする「饒速日命」の支配地。 @阿波 ふ〜ん、阿波国の名前の元でもある阿波郡地域が敵地になるのね・・・ふ〜ん >>579
神武天皇が北岸一帯を平定して、「阿波」の真の統一が成し遂げられたんだろう。
神武東征までは、いろいろ「阿波」国内に小競り合いが頻発していたんだろう。 @阿波 >>579 板野に居たの
>ふ〜ん、阿波国の名前の元でもある阿波郡地域が敵地になるのね・・・ふ〜ん
こういう後付け地名に、いちいち憑りつかれるお前の時代感覚を疑う。 @阿波 宮崎は熊襲の国
神武の祖先が九州であって神武は九州でない 式内社豊玉姫神社は阿波のみ
神武の祖母は阿波にいた >>581
「阿波」名乗るならもうちょっと阿波の名に敬意を払いなよ。
べつに私は、あなたが「名方」でも「麻植」でも「美馬」でもかんまんのよ? >>585
>阿波の名に敬意を払いなよ。
お前が言うか!! どの面下げて言ってんだ!この裏切り野郎! @阿波 >>582
さらっとまた、ソースも無しで恐ろしい珍説をぶちかますね。
熊襲が宮崎!! >>586
いや、流石の私も、阿波の名に敬意を払わない、なんちゃって阿波フォロワーさんの裏切り度合いには、足元にも及びませんわ。
素直に負けを認めます。 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊は親父も息子も彦火火出見尊
事績は『日本書紀』『古事記』ともになく、系譜上のみの存在である。
豊玉姫?それがいわゆる神話の神様だから。
式内、式内って記紀より後って事を忘れずに。 阿波の正しい歴史を探ると裏切り野郎になる
不思議な阿波。 あわわわわわ >>583
新阿波説さんかな?神武像が〜の人?あなたも阿波の人ですよね?
郷土愛ですか?ありえない無茶でも郷土に王権があった事にしたいですか?
県内のウリナラ看板みての事ですか?理解できないんだよな〜。 >>591
ヨコだが、他説の追随を許さない、「阿波」の圧倒的遺跡群。
旧説(畿内説や九州説)の御用学者やミーハー相手のマスコミが「阿波」に跪くのは、時間の問題。 わははははは @阿波 >>592
阿波の名に敬意を払わない、なんちゃって阿波フォロワーさん、
あなたは阿波をほめるふりして、実はディスってる。 >>593
お前もその程度のことしか言えん軽い奴。 太国と同程度じゃのう。 わははははは
こういう後付け地名に、いちいち憑りつかれるお前の時代感覚を疑う。
そんなことより、女王国を見つけてからモノ申せ。 10年早いぞ、後足で砂をかける裏切り者よ。 @阿波
どうごまかそうとしても、あなたは阿波の名に敬意を払わない、なんちゃって阿波フォロワーさんであることは明白になりました。
あなたは阿波をほめるふりして、実はディスってるという事実は変わりません。 他説の追随を許さない、「阿波」の圧倒的遺跡群。
旧説(畿内説や九州説)の御用学者やミーハー相手のマスコミが「阿波」に跪くのは、時間の問題。 わははははは @阿波 板野は鳥か獣かはっきりしないイカレゴリ助。バットマンも迷惑至極のゴリ。
こういうやつはアーカム・アサイラム行きが似合ってる。 >>597
197 板野に居たの sage ▼ 2021/11/16(火) 08:29:37.65 [0回目]
Asylumってまさにこのスレではw @阿波=阿波の名に敬意を払わない、なんちゃって阿波フォロワー、阿波の恥さらし。 >>599
板野よ、女王国も分らんようでは、とても阿波説はぶった切れんぞ! わははははは @阿波 阿波の名に敬意を払わない、なんちゃって阿波フォロワーの@阿波氏は、今後、何を呟こうが無駄。 歴史の真実は阿波説なのである。
しかし今更、皇国史観がそれを許さない。
@阿波はアホなふりをして真実の阿波説を抹殺する
宮内庁のスーパーエリートサイバー職員なのだ!!
「よし、これで阿波の評判は落ちまくりだぜ!」
「キモい面で偽の記事をでっち上げるぞ!秀真国だ!」
彼の戦いは続く、、、そんな、訳はない。ただのアホである。 他説の追随を許さない、「阿波」の圧倒的遺跡群。
旧説(畿内説や九州説)の御用学者やミーハー相手のマスコミが「阿波」に跪くのは、時間の問題。 わははははは @阿波 〇正説(九州説)の御用学者やミーハー相手のマスコミが「阿電波」を嘲笑の的ww
とするのは、時間の問題。 わははははは @阿電波 >>601 板野に居たの
>阿波の名に敬意を払わない、なんちゃって阿波フォロワーの@阿波氏は、今後、何を呟こうが無駄。
板野はこの程度。 太国と変わらん。 女王国も分らんようでは、とても阿波説はぶった切れんぞ! わははははは @阿波 今後、@阿波さんが阿波を宣伝するフリをすればするほど阿波説はどんどん不利になります。
それでも良いならどうぞご自由に、
ほんとは止めたいけど、地頭が悪いうえに、人の忠告を聞いて行動を改めるような聡明さも持ち合わせて無いようなので、無理でしょうね。
一生、掲示板の中だけで暴れて、頑張ってむなしい人生を送ってください。 >>606
板野よ、女王国も分らんようでは、とても阿波説はぶった切れんぞ! わははははは @阿波 >>607
現在時点の史料では「どこにあったかわからないが、唯一の正解。
それ以外の、わかった風な断定は、すべて不正解。 >>607
現在時点の史料では「どこにあったかわからない」が、唯一の正解。
それ以外の、わかった風な断定は、すべて不正解。 まだわかっても無いことを、分かったと断定しちゃうのは、
頭がかわいそうな人か、
一儲けしようと企んでいる人か、
詐欺師、
@阿波さんはどれかな? >>609
お前はその女王国がどこだか示せないんだから、議論にさえ参加できないヘタレだ。 @阿波
「どこにあったかわからない」で済ますんなら、ここにいる必要はない。 消えろ! @阿波 阿電波よ
板野をいたい目にあわせろ。pp 論でな。ウハハハ・・・ >>610
分かったような物言いで、お前は評論家か! いけ好かない野郎だ。 こういう奴に一番腹が立つ。 @阿波 >>612 太国
>板野をいたい目にあわせろ。pp 論でな。ウハハハ・・・
板野には、端から論がない。 話にならん。 @阿波 >>612 太国
>板野をいたい目にあわせろ。pp 論でな。ウハハハ・・・
板野は、端から論がない。 評論家気取りの単なるクレーマー。 @阿波 邪馬台国論とウリナラ
九州説にもとんでもないのがいる。全てが九州発祥で畿内へ向かっていった。
畿内から九州へ行く者など存在しないと言う。大神比義もご存じないようだ。
九州説、畿内説、阿波説、全てにおいて共通して言える事。
それは、現在遅れているエリアである事。やはり、そういった心のねじれや
町おこしに端を発する論者は公平な目、常識的判断を持ち合わせていないように感じる。
例えば、東京駅や大阪駅の直下に邪馬台国がある事が他の文献から証明されても
現地の人にすれば「あ、そうなんだ?へぇ」程度の反応であろう。
「今更、こんなとこ掘り返されたら迷惑すぎるよ」と言う人がほとんどだろう。
だが、地方にとってそうではない。邪馬台国が有名すぎるのがいけないのだろうね。
現に、畿内説など偉大なる「大物主」のお膝下にもかかわらず「邪馬台国、邪馬台国」と、
「布留式土器何号が〜」と饒速日の神宝「布留御魂」の名を連呼しながら毎日不毛な事をやっている。
魏志はいいかげんすぎて史料としては不適格でもあるし邪馬台国を中高の教科書から消せばいいと思う。
興味のある人だけが一般人を巻き込まずに大学で研究すればいいと思う。 >>617
他説の追随を許さない、「阿波」の圧倒的遺跡群。
旧説(畿内説や九州説)の御用学者やミーハー相手のマスコミが「阿波」に跪くのは、時間の問題。 わははははは @阿波 「加茂宮ノ前遺跡」 の発掘調査成果 令和2年12月6日(日)
―縄文時代―
(公財)徳島県埋蔵文化財センター 専門研究員 田川 憲
遺跡の概要
これまでの発掘調査で縄文時代後期、弥生時代中期末〜古墳時代前期初頭、中世の大きく3つの時期が確認されている。
周辺には那賀川の対岸に位置する縄文時代〜鎌倉時代に至る集落である深瀬遺跡がある。
昨年度の調査では、縄文時代後期の前葉〜後葉の全時期にわたって竪穴住居跡や
祭祀施設である円形配石遺構を確認するとともに国内最大・最古級の水銀朱関連遺物が出土した。
調査結果
平成31年度は「加茂宮ノ前遺跡」 での暮らしが縄文時代前期後半〜後期(約5,500〜3,000年前)
には営まれ始めたことが確認され、一昨年度の調査結果をさらに遡る調査結果が得られた。
縄文時代中期
縄文時代中期の遺構は屋外炉や土坑、溝などである。竪穴住居の発見には至らなかったが、
屋外炉や縄文土器を廃棄した土坑などが見つかったことは縄文時代中期に遡る集落の一端を捉えた可能性が十分にある。
一方、出土遺物では、縄文土器のほか玉斧やけつ状耳飾り、耳栓といった装飾品類が多く出土している。
内訳は蛇紋岩製けつ状耳飾り7点、蛇紋岩製玉斧1点、垂飾1点、耳栓3点が出土し、
深瀬遺跡出土の翡翠製丸玉、田井遺跡(美波町由岐)出土のけつ状耳飾り、
西原遺跡(東みよし町足代)出土の翡翠製菅玉・大珠とともに県内の縄文時代装飾品の多様性がうかがえる。
縄文時代後期
縄文時代後期の確認できた遺構は炉跡、円形配石遺構、土坑、小穴などである。
竪穴住居の確認までは至らなかったが、縄文時代後期集落の広がりを十分に把握することができよう。
炉跡は長時間あるいは恒常的に火を使用することで火床面が厚く硬質に焼けているタイプと
短時間の火の使用にとどまったため地面が薄く赤化する程度に被熱したものがある。
円形配石遺構は形状としては直径が3mほどもあり大型の砂岩を円形に配した上に内部に小円礫を敷き詰めるタイプのものと
直径50〜60cm程度のもので小円礫を密に敷き詰めるタイプのものである。
出土遺物では縄文土器や石器のほか大量の水銀朱が付着した石杵・石臼が出土している。
このことからも操業開始当時から一気に多量の水銀朱を精製していたことが考えられる。 「国内最古級の畝跡」 令和3年 4月21日 徳島新聞朝刊
弥生時代前期 南蔵本遺跡(県立中央病院)で確認
徳島市南蔵本町の南蔵本遺跡から、弥生時代前期(紀元前6〜4世紀)のものとみられる集落跡が見つかり、
集落内に国内最古級の畝跡が確認された。
発掘調査に当たった県埋蔵文化財センターが20日、発表した。
センターは「この時代の農耕の実態を解明する手掛かりになる」としている。
集落内の畑の広さは約150平方メートルあり、畝跡は南北に九つあるのを確認した。
畑の南側には傾斜を利用して畝の間に水を流し込む用水路跡が、北側に排水路跡がそれぞれ発見された。
弥生時代前期の畝跡としては、2007年に確認された「庄・蔵本遺跡」(徳島市)と並び国内最古級。
センターによると、畝の多くは雨で崩れて畝の間が埋まってしまい、発掘調査で見つけるのは困難だった。
しかし、南蔵本遺跡では繰り返し発生した洪水で流れてきた砂が畝の間を覆ったことで、
色の違いから畝の形状が確認できた。
今後は採取した土壌を分析し、何が栽培されていたのかを調べる。
このほか、竪穴住居跡や、約2万点の土器片と石器も発掘された。 @阿波 「加茂東原遺跡(東みよし町加茂)」 令和3年 6月12日 徳島新聞朝刊
「平野部に複数の集落跡」
東みよし町加茂にある「加茂東原遺跡」は、徳島県西部の吉野川の中流域の南岸にある。
微高地の北端部(標高68m前後)に当たる場所だ。
弥生時代後期〜古墳時代〜中世(鎌倉〜室町〜安土桃山時代)の遺構があり、主体は古墳時代後期で、12棟の竪穴住居跡が確認されている。
また、調査地点の南側の壁面で竪穴住居跡などの遺構の断面を確認できた。
周辺で弥生〜古墳時代の遺物が多く見つかっているため、調査地点から南側の平野部(段丘面)にも弥生〜古墳時代の集落(遺跡)があることが明らかになった。
近くでは稲持遺跡などで竪穴住居跡(集落跡)が確認されており、今回の調査で同町の平野部に竪穴住居跡集落が複数あることが分かった。
指摘されていた集落の存在を裏付けられ、大きな成果が挙がった。
発掘調査をした加茂谷川の西岸は、古墳時代後期に多くの古墳が造営されている。
後期以降には集落がさらに拡大し、その後も継続的に発展したとみられる。
奈良時代には、一帯が東大寺の領地の一つ{三津郷}に発展する基盤となったと考えられる。
東みよし町に広がる平野部では、埋蔵文化財の発掘調査が少ない。
遺構の実態把握はまだ時間を要するが、今後の調査で平野部に展開する遺跡の実態はもとより、
県西部ひいては県全体の古代社会の様相がより一層明確に把握できると思われる。(県埋蔵文化財センター研究主幹・原芳伸) @阿波 >>622
お前は見るな! 自論もない奴に反論する資格はない! 消えろ! @阿波 縄文時代の遺跡は阿波忌部(弥生人)が追いだした人たちの遺跡ではないのか?
遺伝学的にほとんど混血はしていないのではないのか?
弥生時代の遺跡にしてもあるから何だと言うのだ?
都市部では開発されて残ってないだけの事。未開発のど田舎自慢ですか?
そこに何か書いてあったのか?遺跡は名を語らない。
邪馬台国の東の国々の一つ。その証拠が固まっただけの事。 >>601
阿波の名と言えばそれにふさわしい神は大粟比売だろう。
大宜都比売と同一との説もあるが配祀神であるともしている。
大粟比売が記紀神話の影響で大宜都比売に取り込まれたのだろうか?
それにしても、米の弥生時代に粟ごときを持って来て「神」とされるだろうか?
大粟比売や大宜都比売からの系譜はないようだし縄文時代の神の生き残りなのだろうか?
逆を言えば、阿波は粟ごときで「神」とされる地域だった事になる。
典型的すぎるハイヌウェレ型神話であり、挿入されただけなのだろうか?
なかなか解釈の難しい神である。
【上一宮大粟神社】 御縁起 『邪馬台国と大宜都比売命』
全国的に話題を呼んでいる邪馬台国阿波説の論拠として 日本 最古の書 古事記と魏志倭人伝の記述が一致する
根元に 阿波は食物 五穀を司る穀霊(おおげつひめ)の国であり 高天原(神話)の物語は すべて
阿波(おおげつひめ)が舞台となっている 古代国家にとって最も 重要な食物を司る穀霊が
阿波の別名であるところにその論拠があり 近年古代研究者が注目し その調査研究に訪れる所以であります
ここでもやってるなぁ・・・。阿波の神職には良心はないのでしょうか? >>624
>都市部では開発されて残ってないだけの事。
碌な遺跡が無いからと言って、無駄な言い訳するな! 都市部だからこそ、遺跡発掘の機会が多いのだ。
残っていないのは、遺跡が無いか、少ないからに他ならない。 @阿波 >>625
>それにしても、米の弥生時代に粟ごときを持って来て「神」とされるだろうか?
だから、大量の土砂に埋まって灌漑稲作は出来なかった と何度言えばw @阿波 >>625
>阿波の神職には良心はないのでしょうか?
良心がないのは、お前! お前がいくらイチャモンを付けても、「阿波」の真実はびくともせん。 わははははは @阿波 阿波説なんか最初から最後まで全部デタラメなのにどっからツッコむんだよw >>626
阿波は土地にあまり価値のない田舎だからこそ遺跡が多いのです。
**************************************
「古墳破壊、ゴルフ場捜索」「奈良県警 無許可工事の疑い」
奈良県御所市の某ゴルフクラブが、国の許可を得ずに練習場の拡張工事をし、国史跡・巨勢山古墳群の一部を
破壊した問題で、奈良県警は13日、文化財保護法違反の疑いで、同GCを家宅捜索した。
巨勢山古墳群は5〜7世紀の古墳600基以上あり、日本有数。
平成21年11月の拡張工事では、市が中止命令を出すまでに約5400平方メートルの斜面が削られ
少なくとも4基の円墳の一部が破壊された。
**************************************
業界のタブーです。
みんな遺跡よりお金のほうが大事なのでガンガン壊しています。
バレてニュースになるのは氷山の一角です。闇から闇へ葬られていますね。
役所も施主にクレームをつけられるのを恐れてあまりきびしくないよーです。
事前に建築確認申請が出された時点で教育委員会でもチェックして許可を出していますから、
工事着工後に遺跡らしきものが出たとなると、非常に困ったことになります。
工事遅延の責任は誰も取りようがなく、最終的には施主にかぶっていきますから・・。
教育委員会にどなりこむ施主さんが多かったのです。
遺跡なんぞ日本中どこにでもあるのです。 >>630
>遺跡なんぞ日本中どこにでもあるのです。
遺跡もいろいろ。 要は古墳じゃなく、弥生集落遺跡だな。 わははははは @阿波 弥生集落遺跡だろうが何だろうが金にならん物は壊します。
高度経済成長期に都市部では数多くの遺跡が失われたでしょうね。
成長してない地域は今頃になって出てくる。それだけの事。
だから、何だ?である。 >>632
>高度経済成長期に都市部では数多くの遺跡が失われたでしょうね。
だから、何だ?である。 @阿波 >>634
他説の追随を許さない、「阿波」の圧倒的遺跡群。
旧説(畿内説や九州説)の御用学者やミーハー相手のマスコミが「阿波」に跪くのは、時間の問題。 わははははは @阿波 >>630
土地が沢山余ってる阿波でさえ、遺跡の無断破壊はおきています。
徳島市の眉山カントリー内も、辛うじて破壊を逃れた古墳は保全されましたが、
すでに破壊され、調査されなかった古墳もあります。
鳴門市大麻町檜では、畜産業者が、開発許可すら取らずに山を切り開き、大規模な牛舎を建設、多くの貴重な遺跡が、破壊さてしまっています。 >>630
>遺跡なんぞ日本中どこにでもあるのです。
遺跡もいろいろ。 要は古墳じゃなく、弥生集落遺跡だな。 わははははは @阿波 >>637
阿波でそのような状態なら都市なら言わずもがなですね。
>>638
遺跡が多い=邪馬台国でも王権でもありません。
それを自慢するのは無意味って事です。
王権の場所なら山自体を神体とする三輪山の一つで十分なのですよ。
大物主の坐す、額田王、高市皇子、長屋王が歌う、蝦夷が忠誠を誓わされる三輪山一つで。 板野町大寺岡ノ宮の韓崇山
「カンゾ山」と呼ばれ、親しまれていた。
現在韓崇山は、ほとんどが住宅地に変貌ぼうしている。
板野町の歴史を今に伝えていた韓崇山に、かつての面影はない。
この韓崇山について『日本地名大辞典(徳島県)』(昭和六十一年角川書店刊)は、「か
んぞう山古墳群(板野町)」の項目で、次のように記録をしている。
ーかんぞうやまこふんぐん
古墳時代中期〜後期の古墳群。板野郡板野町大寺字岡山路に所在。
かんぞう山一帯に築造された古墳群である。山の名称は甘草・韓宗・勘左・閑像などの表記が当てられ、
板野町の象徴の山として親しまれている。古墳は讃岐山脈の支脈が平野に延びた、
最先端の尾根上に築造されている。古墳群は10年前には6基が確認できたが、
現在は採土のため、3基が残っている。
かんぞう山は古墳だけでなく、南側の中腹には式内社岡上神社が鎮座しており、
東側の麓には奈良期の瓦が出土する窯か跡や、韓崇寺跡も報告されている。
私が子供の頃、まだ残っていた3つの古墳も、上記の文章中には触れられていない
南麓の横穴墓群の遺跡、北東山裾の古墳状の塚・・・など、分譲地開発の過程ですべて残っておらず、
残っていた3つの古墳以外は、きちんと調査されたのか不明のままです。 蝦夷って言ってもよく読むと八十続きとか言って親戚なんだよな
そもそも三輪まで異国人を連れて行って忠誠を誓わせる意味よな 阿波と古事記
http://park17.wakwak.com/%7Ehappyend/kojiki/index.html
第一回 阿波古代史プロジェクト「高天原から伊耶那美眠る高越山」〜東阿波ケーブルテレビ局制作番組
https://youtu.be/GaAIhqAZCY4
上記のように、阿波説の中にも、実は微妙な解釈の違いが存在し、
統一見解が有るという訳でもないw >>639
>遺跡が多い=邪馬台国でも王権でもありません。
その通り! 遺跡もいろいろ。 要は古墳じゃなく、弥生集落遺跡だな。 わははははは @阿波
@阿波 >>640 板野に居たの sage
アホウ! 地元のくせにこれを知らんのか! さすが郷土をすてて逃散したはずかww @阿波
↓
「朱塗りの完全人骨出土「韓崇山古墳」(徳島県板野町)」
円墳、前方後円墳の可能性も、現在は消滅。
【年代】5世紀〜6世紀
【特徴】箱式石棺に朱塗りの完全人骨が納められていた。直弧紋装飾の刀剣装具が副葬品として出土している。
https://plaza.rakuten.co.jp/utiwauke/diary/?PageId=2&ctgy=2 葷粥:クンイク クンニイク
匈奴の前身
つまり、アルタイ中央アジアにいた、
魔女の系譜が、魔獣神、また、魔獣人だと思うのだが、
おそらく魔王は素神の化身なんだな
では、魔女は、どうやって生まれてきたのだろうか?
もともとは善女神だったのだろうか?それはないとおもうが。
そもそも、素神、絶対神系譜なんだろうか? 他説の追随を許さない、「阿波」の圧倒的遺跡群。
旧説(畿内説や九州説)の御用学者やミーハー相手のマスコミが「阿波」に跪くのは、時間の問題。 わははははは @阿波 >>641
八十続きの解釈はいろいろあるようですが、
大国主は高志に妻問した後、タカムスビに怒られています。
「国津神の娘ばかりと結婚するな、俺の娘を娶れ」と。
蝦夷と呼ばれた人々の国々まで足を伸ばしていたかも知れません。
諸国平定と言うより、文化を伝えながら諸国の姫さんとやりまくりの旅です。
さすがは蛇神さまですね。 「女性の人骨出土 犬山天神山古墳(徳島市)」
徳島市・犬山天神山古墳 石棺から水銀朱で彩色された女性埋葬骨を発見
石棺からは、ヒスイ製勾玉(まがたま)1点、青銅製の鏡1枚、水晶製勾玉1点、直刀1振り、
鉄鏃(てつぞく)35点、碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま)8点なども出土。 @阿波
https://blog.goo.ne.jp/thetaoh/e/f617dcd9430bb88875f8dfd27726cb09
https://awanonoraneko.hatenadiary.com/entry/52348696 他説の追随を許さない、「阿波」の圧倒的遺跡群。
旧説(畿内説や九州説)の御用学者やミーハー相手のマスコミが「阿波」に跪くのは、時間の問題。 わははははは @阿波 韓崇山・・・そそる名前ですなー!
伊予国風土記で大山祇神は百済からの渡来とされていますが、
やはり、高霊加羅(大加羅)からの渡来では?
加羅諸国は同じ倭人の国ですから、渡って来てもすぐ馴染むでしょう。
・・・と、妄想してしまいます。 >>650
だから、田舎自慢はいい。それに関する自分の見解は?
女性の埋葬人骨(5世紀後半)・・・誰やねん?
銘でも出んかぎりだから何だ?だよ。 >>653
>銘でも出んかぎりだから何だ?だよ。
だから、他説の追随を許さない、「阿波」の圧倒的遺跡群。
旧説(畿内説や九州説)の御用学者やミーハー相手のマスコミが「阿波」に跪くのは、時間の問題。 @阿波 「若杉山遺跡 国史跡に」 令和元年 6月22日(土) 徳島新聞朝刊
「辰砂採掘法の解明評価」
弥生時代後期から古墳時代前期に赤色顔料「水銀朱」の原料となった辰砂の採掘が行われた
阿南市水井町の若杉山辰砂採掘遺跡が、国史跡に指定される。
国の文化審議会が21日、柴山昌彦文部科学相に答申した。
水銀朱は葬送儀礼などに用いられ、古代の西日本地域で重用された。
文化審は、原料の採掘方法が判明した全国唯一の遺跡として、歴史的価値が高いと評価している。
県内の国史跡は12か所になる。
指定されるのは、那賀川支流の若杉谷川の西側山腹斜面約1.2ヘクタール。
横穴状に岩盤を掘り進めた採掘抗跡と露天掘り跡の2か所の採掘場所が確認されている。
採掘抗跡は弥生時代後期に採掘が始まり、国内最古とされている。
採掘時に出た排石のほか、原石を砕いた石杵などの石器も見つかり、
遺跡内で不要鉱物を取り除いて粉末にしていたことが分かっている。
また、石杵に香川県東部で産出する硬質の石が含まれることなどから、
広範囲から辰砂を求めて人々が来ていた可能性が指摘されている。
遺跡は第2次世界大戦中に行われた水銀探索の最中に発見され、1969年に市史跡に指定。
市と県教委が2017〜18年度に行った発掘調査で2か所の採掘場所跡などを確認し、古代の採掘方法を解明した。
国史跡指定に当たり、遺跡の名称は従来の若杉山遺跡から若杉山辰砂採掘遺跡に変更される。 @阿波 【他説の追随を許さない、圧倒的遺跡群 = 田舎自慢】
それに関する自分の見解は?
女性の埋葬人骨(5世紀後半)・・・妄想では誰やねん? >>656
>それに関する自分の見解は?
個人の見解など不要。 「阿波」の真実だけ。 わははははは @阿波 「鳴門板野古墳群 西山谷2号墳」
萩原1号墓の近隣地に所在する尾根を削り出して整形した、墳丘の長径20m、短径18m、高さ約2mの不整形の円墳である。
墳丘の中央部に長さ4.72m、幅 北端で1.05m、南端で0.83mの南北方向を主軸とする長大な竪穴式石室がある。
竪穴式石室は、南北6.5m、東西4.8mの墓壙全体が結晶片岩と呼ばれる阿波特有の青い石で覆うように造られている。
石室内には、粘土床があり、その上に朱を敷き詰めたU字形の刳抜式木棺を安置していたものと推定されている。
斜縁上方作銘獣帯鏡と呼ばれる中国製の青銅鏡1面をはじめ、鉄剣・鉄槍・鉄鏃・土器などが出土している。
鏡は面径12.5cm、重量約157.6gで、右回りに「上方乍鏡竟大工青龍白虎子」の銘文と神仙像と5体の獣形のレリーフがある。
鏡は一部を欠損するが、当時は完全品として副葬されたものとみられる。
同種の鏡は数例出土しているが、そのうち、広島県広島市中子田1号古墳出土鏡が最も類似している。
出土した土器から、3世紀中葉の築造と考えられ、徳島県内をはじめ、畿内でも最古段階の竪穴式石室を持つ古墳として、
竪穴式石室の出現過程を考える上でも重要な古墳である。 @阿波 他説の追随を許さない、「阿波」の圧倒的遺跡群。
旧説(畿内説や九州説)の御用学者やミーハー相手のマスコミが「阿波」に跪くのは、時間の問題。 @阿波 >>655
魏志の記述が倭地全体なのか女王国限定なのかもよくわからない。
丹も青玉も正式な物質名が特定されない限り
どこにでもある物になってしまう。
「其山【有】丹」も直前の「【出】真珠青玉」との対比によって、
丹を産出していては失格だ。
その遺跡はよくわかったから、つまらないコピペはやめてくれ。 >>661
>魏志の記述が倭地全体なのか女王国限定なのかもよくわからない。
だから何だ?である。 @阿波 >>644
カンゾー山古墳の人骨は、昭和初期の調査後、
埋め戻されたのですが、
分譲地開発前に行われた再調査時には、
何も出てこなかったそうです。
あれだけ完全な人骨でしたから、もし保存されており、
最新の技術で遺伝子調査などすれは、
様々な事が分かった可能性も有っただけに、
非常残念な話です。 >>663
だから証拠にもならんつまらんコピペをやめろ、である。
そのフレーズ気に入ったのかw パクるなよwww
パクり地名と捏造しかない阿波。 あわわわわわ >>665
だから何だ?である。 わははははは @阿波 >>665
で、いつ阿波説をぶった切れるんだ? お前がぶった切られてるぞ! しっかりしろよ、名無しヘタレスレ主。 わははははは @阿波 まだわかっても無いことを、イキって分かったと断定しちゃうのは、
頭がかわいそうな人、
一儲けしようと企んでいる人、
詐欺師、
の、いずれか、@阿波さんはどれかな? >>668
お前は、評論家気取りの単なるクレーマー。
地元のことも知らず、自論もない奴に人を評論する資格はない! 消えろ! @阿波 頭がかわいそうな人に一票
もう、細切れでミンチ状。
便器に流したけど勝手にこびりついてるだけ。
トイレマジックリン 強力クレンザーで落すw
俺は、阿波国古代研究所の降臨を待ってるだけ。
メールに応じないから、近所だったら直で呼んで来いよ。 >>669
韓崇山古墳群の第一次発掘調査は、学術調査だったため、埋め戻してしまったのだが、
結果的には、後世の開発時に再調査後、完全に破壊されてしまいました。
昭和初期の調査時に埋め戻した人骨も、開発前の再調査時には何もなく、副葬品も無くなっていたそうです。
初期調査後に良かれと思って埋め戻したのですが、その後、盗掘を受けていた可能性もあるそうです。
韓崇山周辺には、そのほかに、岡上神社古墳や、名もなき横穴墓群、無名の古墳もいくつかあった筈なのですが、
それらが調査されたという話はとんと聞きません。
残念な話です。 >>671
>残念な話です。
残念なのは、地元を自虐するお前だ!
お前は、評論家気取りの単なるクレーマー。
地元のことも知らず、自論もない奴に人を評論する資格はない! 消えろ! @阿波 まあね、ななさく氏のほうが私より詳しいし、よく勉強されています。
板野町史を所蔵されているらしいのも羨ましい限りです、
自分ちは板野町史買ってなかったので、友達の家で読んでましたが、
歴史の考古学的な部分しか読んで居ません。 で、どうやって阿波説をぶった切るんだ? 益々、「阿波」が元気になってるぞ。 しっかりしろよ、名無しヘタレスレ主。 わははははは @阿波 切るものがない。
何の証拠にもならん遺跡の記事のコピペばかり。
どうしろってんだ?出るもの出るもの全てが捏造。
徳島県の神社は嘘丸バレの縁起を平気で書く。
俺なら恥かしくて、やめさせるだろうな。
きっと全日本の歴史愛好家が嘲笑してるよ。
徳島県人は平気で嘘をつく。まるでかの民族さながらだよ。
地元の為になるのはどちらだろうね。 まだわかっても無いことを、イキって分かったと断定しちゃうのは、
頭がかわいそうな人、
一儲けしようと企んでいる人、
詐欺師、
の、いずれか、
@阿波さんはどれかな? 失礼しました、>>676は脳内カットしてくださいm(__)m >>675
@阿波さんのような思慮の浅い、イキリキャラが阿波を代表しているかのようなコテハンを名乗るのははなはだ迷惑。
書き込みは殆ど人様の借り物で、自分の意見など殆どないのに、なぜか偉そうw
@阿波を名乗りながら、「阿波」の発祥の地、阿波郡に何の敬意も無し・・・。
@阿波氏の書き込みは、結果的に反阿波行為も同然で、多くの阿波人を悲しませているものと考えます。 犬山天神山古墳群(徳島市)や韓崇(カンゾウ)山古墳群(板野町)以外にも、朱に染まった人骨墓だあるぞ。 @阿波
「鶴島山2号墳」
古墳の石室には人骨が残ることが少ないので、
赤く染まった人骨は甕棺(かめかん)などから出土した弥生時代のものが多く知られていますが、
徳島市の鶴島山2号墳からは辰砂で顔面が朱に染まった人骨が出土しています。
https://museum.bunmori.tokushima.jp/cc/51.htm 犬山天神山古墳群(徳島市)、韓崇(カンゾウ)山古墳群(板野町)以外にも、朱染めの人骨墓があるぞ。
「鶴島山2号墳」
古墳の石室には人骨が残ることが少ないので、
赤く染まった人骨は甕棺(かめかん)などから出土した弥生時代のものが多く知られていますが、
徳島市の鶴島山2号墳からは辰砂で顔面が朱に染まった人骨が出土しています。 @阿波
https://museum.bunmori.tokushima.jp/cc/51.htm >>680
リンク先の最後にこう有りますが・・・。
辰砂の流通
弥生時代終末〜古墳時代初頭の辰砂の採掘遺跡である若杉山遺跡が確認されて以降、古墳の石室で辰砂が大量使用されること、
ほかに採掘遺跡が見つかっていないことから若杉山遺跡から畿内へ向けて辰砂が運び出されたと考えられてきました。
しかし、辰砂を産出しない龍野のような地域で、辰砂の最終的な精製が行われていたとすれば、辰砂は産地から消費地へ直接運ばれたと考えた方がよいのではないでしょうか。
辰砂をすりつぶすための石臼・石杵がもっと多く出土する遺跡が出てきたときに、そこを集散地的な性格のムラと考え立地と合わせて検討する必要があります。
古墳出土の辰砂の産地については、はっきりとはわかっていません。なかには赤い色が水銀朱なのかベンガラなのかさえわかっていない場合もあります。
現在、産地と古墳、住居跡などで採集された辰砂についてヒ素などの微量元素の分析による産地推定が行われようとしています。
これによって産地が推定されたとき、どこの産地の辰砂がどの古墳あるいはどの集落に供給されたのか明らかになると思います。
https://museum.bunmori.tokushima.jp/cc/51.htm >>678
私も同じ日本人が、かの民族同様とは思いたくありませんけど。
特にタケミナトミ神社の由緒は衝撃的で破壊力抜群でして、
キモすぎるYouTube動画を見せられた日には、こいつらヤバイとしか思えず。
サンプルが少なすぎて申し訳ないのだが、徳島人キモ怖いのイメージです。
私の中で板野に氏と、前スレの「〜じょ」って言う人が
救いと言うか何というか、うまく言えないけどそんな感じです。 >>683
まだまだ、
鶴島山古墳群(徳島市)、犬山天神山古墳群(同)、韓崇(カンゾウ)山古墳群(板野町)以外にも、朱に染まった人骨墓だあるぞ。 @阿波
「恵解山古墳(いげのやまこふん)群」
恵解山古墳(いげのやまこふん)群は、徳島市八万町にあった5世紀から6世紀の古墳群です。
甲冑や鉄剣・鉄鏃など豊富な鉄製品が副葬されており、石棺からは朱が塗られた人骨も出土しています。
しかし、1960年代から70年代の宅地開発によって破壊の危機にさらされ、
遺跡保存運動にもかかわらず、最終的には全ての古墳が消滅に至りました。 @阿波
https://plaza.rakuten.co.jp/utiwauke/diary/202009060000/ で、どうやって阿波説をぶった切るんだ? 益々、「阿波」が元気になってるぞ。 しっかりしろよ、名無しヘタレスレ主。 わははははは @阿波 さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波
選り取り見取り。 好きなものからいらっしゃい!
稲作でも、四国の阿波
行程でも、四国の阿波
海人でも、四国の阿波
鉄器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鯨面でも、四国の阿波
神道でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
気候でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
地勢でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅剣でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
風土記でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波
※何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。 阿電波よ
そんなことは後でいいから、早く板野に論の板いアッパーを炸裂しろ。
本論はそれからだ。 稲作 奈良
行程 該当地域無し。魏志がいいかげんすぎる。
海人 『万葉集』などでは、讃岐国、伊勢国、肥前国、筑紫国、志摩国などで潜水を行う海人の記述が確認できる。
辰砂 日本中どこでも。
神社 勧請された郷社が多し。
銅鐸 出雲
銅剣 出雲
銅鏡 出雲
魏との交流 はぁ?
神道は、四国の阿波 まぁ忌部だし当然。
天皇家大嘗祭は、四国の阿波 。神武天皇待機場所。 なぜか、
パソコン版jane styleから、
ここに書き込めないんだよな
更新されないと言うか 阿波さん、
一応書いとくけど、
5chはサーバーがアメリカにあるらしく、
多分、スーパーコンピュータ解析されてると思うから、バレてもいいこと書いてね
俺も考え直したわ
世の中にもバレてもいいと思っていろいろ書いてたけど、スーパーコンピューター使われると、いろいろバレちゃうよね >>691
レスがいくつか「あぼ〜ん」されているのでそのせいでは? 「那賀郡 賀志波比賣神社」 論社 賀志波比売神社(阿南市見能林町)
延喜式神名帳には、「賀志波比売神社 阿波国那賀郡一座」と記され、賀志波比売神社は阿波に1社だけである。
賀志波比売神社は、現在の阿南市見能林町柏野にある。
祭神の賀志波比売は古事記にも日本書紀にも登場しない。
江戸時代の阿波国最初の歴史書「阿府志」には「賀志波比売神社、夏之売命(なつのめのかみこと)を祭る。
羽山戸神、大宣都姫を娶て夏高津日神(なつたかつひのかみ)亦名夏之売神を生む」とある。
これは古事記に書かれていることであるが、夏高津日神も夏之売命もこれっきり古事記には登場しない。
しかしながら、母の大宣都姫は古事記に何度も登場する神で、伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)が
国生みをしたときにできた阿波国の神名である。阿波国に関係ないこともない。
また、賀志波比売神社の近くには、伊弉諾尊が禊ぎをしたと言われる禊ぎ岩あり、小門神社と名づけられた小さな祠がある。
禊ぎをして生まれたのが天照大神なので、賀志波比売は天照大神の幼名だという説がある。
賀志波比売神社の境内には、天照大神生誕の地と記された石碑が建っているが・・・。 これはいささか信じがたい。
しかし、伊弉諾尊が禊ぎをした地というのには根拠がある。
伊弉諾尊は「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で禊ぎをしたと記紀に書かれており、
これを九州の日向の橘の小戸の阿波岐原とし宮崎県宮崎市阿波岐原町産母にその地がある。
禊ぎ池のある宮崎県式内社江田神社 祭神は伊弉諾尊
阿波岐原というのだから、素直に阿波でいいのではと思ってしまう。
日本書紀の一書には、「阿波の水門と速水名門に行ったが流れが速かったので橘の小門に帰って禊ぎをした。」と書かれている。
阿波の小門と速水名門と書いてある。素直に考えれば、阿波の小鳴門海峡と鳴門海峡である。
阿南市見能林町の隣には橘町があり、昔は小島が点在する浅瀬だった。何と言っても阿波岐原である。
しかも阿南市伊島町の當所神社には、伊弉諾尊が禊ぎをしたときに最後に生まれた
奧疎神(おきざかる)、奧津那藝佐毘古神(おきつなぎさびこ)、奧津甲斐辨羅神(おきつかいひべら)の三柱が
全国唯一祭神として祭られている。なかなか興味深い。
賀志波比売・・・。柏野にいますカシワヒメ・・・。天照大神なのか?謎の姫である。 @阿波
https://plaza.rakuten.co.jp/utiwauke/diary/201410310001/ 「天都賀佐比古神社」 論社 天都賀佐比古神社 (美馬市美馬町轟 32)
延喜式神名帳には、「天都賀佐比古神社 阿波国美馬郡一座」と記され、天都賀佐比古神社は阿波に1社だけである。
祭神 級長津彦神 級長津姫神
級長津彦神(しなつひこ)は、風の神で、古事記では志那津比古神。伊弉諾尊と伊弉冉尊から生まれた神である。
男女一対の神とされ、級長津姫神も一緒に祭られていると思われる。
天都賀佐比古神は古事記にも日本書紀にも登場しない。前掲の賀志波比売神と同じである。
天都賀佐比古神社なのに祭神が級長津彦神なのはなぜか?天津賀佐比古=志那津比古なのか? @阿波
https://plaza.rakuten.co.jp/utiwauke/diary/201501270000/ ななさくさんの「妄想の阿波古代史」は、一応ご本人が「妄想」とうたっているのでw
@阿波さんのようなガチな人が引用しすぎちゃダメよwww さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波
選り取り見取り。 好きなものからいらっしゃい!
稲作でも、四国の阿波
行程でも、四国の阿波
海人でも、四国の阿波
鉄器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鯨面でも、四国の阿波
神道でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
気候でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
地勢でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅剣でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
風土記でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波
※何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。 >>694
阿波の神職は本当に見境がないようだ。
ピカピカ作り立ての天照大神生誕の地と記された石碑に吐き気を覚える。
阿波に限らず伊雑宮事件など、もろもろ考えたら、金の為なら何でもやるのかね?
全く恥を知らんな。
賀志波比賣=夏高津日神。大年神の子、羽山戸神 と 大気都比売神の娘。
だったら天照の訳がない。スサノオのひ孫じゃないか。
最初は、『津峰神社』に賀志波比賣大神・大山祗大神(相 殿)
このように祀られているので鹿葦津姫(かしつひめ)=吾田津姫(木花開耶姬命)の事かと思ったが。
これは間違いだったようだがどの道、八倉比売と同じで伝承不明の女神を天照にこじつけたウリナラ。
阿波人キモい。本当にキモい。
吾田津姫を妻とした天孫ニニギは「筑紫日向可愛」にある墓に葬られる。
禊の地は、九州の日向の橘の小戸の阿波岐原=【宮崎県宮崎市阿波岐原町産母】
神話はどうこじつけても宮崎に収束していく。 建御名方神の御母は「阿波の高志の沼河比売」
多祁御奈刀弥神社の西、名西郡石井町関は古は名西郡高志郷と呼ばれ、
ここには沼河比売を祀る「関の大神宮」がありました。
倭名抄にも高志(多加之)郷の記載があります。
通説では高志(こし)と読ませ、越後(新潟県)に比定していますがこれは誤りなんですね。
(確認しにくいですが扁額に注目。天水沼間比古、天水塞比売の神名が記載されています)
また隣町の鴨島町には天水沼間比古(アメノミヌマヒコ)神社、天水塞比売(アメノミズゼキヒメ)神社二座が鎮座していますが、
それぞれ祭神を建御名方神、高志沼河比売とされているのです。
関の大神宮は現在は跡形もなく、現在は確認することは出来ません。
しかし、、、実は石井町高原字関の八幡神社に祠を移して静かに祀られているのです。
よってここが「高志沼河比売の関の大神宮」といえるでしょう。
また、沼河比売の母親が地名にもなっている堰(関)比売。そして父親が沼河比古。
この「沼河」と言う名は大古の天皇家にもつながる名前で、古事記伝にも沼河の考察場面で出てきます。
この沼河比売の両親を祀る神社が石井町の杉尾神社でしたが、
今は敷島に祀られているのです。(今回の特ダネはここだけ。 笑) @アワオトコ 姉が、「夜麻登々母々曾毘売命」
弟が、四道将軍の一人 「大吉備津彦命」
式内社 阿波國名方郡 「天佐自能和氣神社(あまさしのわけじんじゃ)」
御祭神 「日子刺肩別尊」・「意冨夜麻登玖邇阿禮比賣命」・「神皇産霊尊」・「高皇産霊尊」
日子刺肩別尊の母である意冨夜麻登玖邇阿禮比賣命は、孝霊天皇の第三夫人であり、日子刺肩別尊は、その第二子。
ちなみに、姉は、大物主命の妻となった夜麻登々母々曾毘売命。 弟は、四道将軍の一人・「大吉備津彦命」。
すごい兄弟なのである。
神紋は、『式内社調査報告』には、菊紋とあり、境内の石碑にも菊紋が付いている。 一方、拝殿には鷹羽紋が付いている。 @阿波 >>699
「天都賀佐比古神社」
祭神は、風神である級長津彦命と級長津姫命。
轟という鎮座地に相応しい神だといえるが、
一説には、天都賀佐比古の「賀佐比古」が、
「風彦」の意味であるとする後世の付会であるといい、
【『阿波國式社略考』『神名帳考証』では建貝児王命を祭神とする】
天都賀伊比古神社を誤伝しているのでは?
===============================
阿波は神社名を誤伝するし、阿波人は由緒などちょいちょいと捻じ曲げる。
古代からの伝承を何とも思ってない。
金もうけの道具にしようとする皇国の恥、いや朝敵。
===============================
>>703
それは高足からの高志(たかし)な。コシじゃない。
論破済みのネタを繰り返すのは止めてくれ。 阿波の式内社の特徴
一つ目の特色は、日本の国造りの根幹に関わったとされる神を祀る神社が多いことです。
二つ目の特色は「欠史8代」の天皇に関わる登場人物をご祭神とする神社があることです。
三つ目の特色は、以上のほかにも記紀神話に登場する方をご祭神とし、神様の名前そのままを冠した神社が多いことです。
https://yottyan.blog.ss-blog.jp/2011-10-26 >>706
忌部だから。
そして、王都じゃない。内容が下らなすぎる。
阿波人で本気で御間都比古神社の祭神を孝昭天皇だと思ってるの?
完全にキ印だw
当社祭神・御間都比古色止命は、当地開拓の祖。
成務天皇の頃、九世孫の韓脊の足尼が国造となり、長峯中腹に奉祀したのがはじまり。
って書いているのに?
『新撰姓氏録』に「摂津国 神別 我孫 大己貴命孫天八現津彦命之後也」
って書いているのに?
何で孝昭天皇って書いてないの?
観松彦香稲(みまつひこカエシネ)
御間都比古色止(みまつひこイロド) これが同じ?
阿波人って脳みそ腐ってるんじゃないの? https://yottyan.blog.ss-blog.jp/2011-10-26
↑
よっちゃんさんや、ななさくさん、アワオトコさんなど、地元の郷土史家さんには頭が下がる。 @阿波 さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 「皇祖に係わる大女王 豊玉比賣命」
御毛沼命(三毛入野命)は鵜草葺不合命の息子で、神武天皇の兄にあたる。
御毛沼命の母:玉依姫神 姨:豊玉姫 父:鵜草葺不合命 弟:神倭伊波礼琵古命(神武天皇)
御祭神を豊玉姫命とする豊玉姫神社(とよたまひめじんじゃ)は、各地に鎮座しているが、
同名の延喜式式内社は全国で唯一、阿波国のみにある。
式内社「豊玉比賣神社」が阿波だけにあることから分かるように、もちろん豊玉比賣は阿波の神である。
古事記にも、皇祖に係わる大女王として豊玉比賣の物語がはっきり記述されている。 @阿波 「阿波」の真実なら、いくらでも広めてくれ、捏造じゃなきゃなんでもオケ。 コピペばっか。何か自分の解釈はないの?
書いたかと思えば遺跡も阿波、銅鏡も阿波、とか下らない事ばかり。
アワオトコなど、阿波の郷土史家モドキの捏造には吐き気がする。
彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊は親父も息子も彦火火出見尊
事績は『日本書紀』『古事記』ともになく、系譜上のみの存在である。
豊玉姫?それがいわゆる神話の神様だから。 阿波の古代好きにも、
「そうだったら面白いな〜って楽しむ派」と、
「何が何でも人に認めさせたい派」がいて、
この両者は相容れないと思われます。 「意富(おお)」と言えば、阿波国延喜式内社「意富門麻比売神社」(「宅宮神社」)
「伊豆毛(いづも)の国の伯母御の宗女、御年十三ならせます、こくちは壱字とおたしなむ」(神代踊り)
延喜式内社です。神代文字も残されており、なんだかすごい神社です??
「イザナギノ命・イザナミノ命が生まれる前に生まれた神(大苫邊尊)を祀る阿波国」
延喜式内社で「大苫邊尊」を祀っているのは、全国でただ1社、阿波国の延喜式内社「意富門麻比売神社」(「宅宮神社」)だけ。
祭神の「大苫邊尊(おおとまべのみこと)」は、「古事記」にイザナギノ命・イザナミノ命が生まれる前に生まれた神。
「古事記」の舞台はまさに「阿波」だった凄い事実。 @阿波
https://sueyasumas.exblog.jp/9761762/
http://engishiki.org/awa2/bun/awh560509-01.html 倭(ヤマト)国とは、
日本で唯一、大和朝廷から「倭(ヤマト)大國魂神社・倭(ヤマト)大國敷神社」と名付けることが認められたところ。
「延喜式神名帳」の、大和国山辺郡条には、「大和坐大国魂神社」とある。 大和国の 「大和」である。
「延喜式神名帳」の、阿波国美馬郡条には、「倭大國玉神大国敷神社二座」とある。 阿波国なのに「倭」である。
これは、阿波国が「倭」であったことの証左である。 @阿波 倭大國玉神 ヤマトの神
大国敷神社 阿波の神 二座 「倭大国魂神社」が建立されている美馬郡美馬町重清の境内には「大国魂古墳」数基と、下段に「八幡古墳群」が現存している。
また、神社の東側(重清城台地)からはサヌカイト製の石鏃や、阿波の青石による石斧、石鎗の出土も確認されており、
この地が古くから拓かれていたことがわかる。
「倭大国魂神社」を祀らせた「崇神天皇」は、「初国知(はつくにし)らしし、御真木(みまき)天皇… 」と称えられ、
また、和名は「御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)命」と呼ばれており、「みま(き)」との関わりを示している。
天皇の尊号に「美馬(みま)」を用いたのは、神々の母神が鎮まる美馬地方に天皇が入り込んだため、
由緒あるその名を冠したものである。 @阿波 ミマから来た皇子とも解釈できる
崇神のとき疫病が流行ったから遷都の理由にもなる 俺の考えはこうだ。
金官加羅からスサノオが出雲へ飛来。出雲から九州へ進出。
息子の大物主は奈良へ進出。
九州邪馬台国は土着の倭人でスサノオと和睦。子が、忍穂耳や穂日。
高霊加羅から高皇産霊が阿波へ飛来。
息子の大山積が宮崎へ進出。同時に宮崎へ南下して来た邪馬台国のニニギにアタツヒメを出す。
生まれるのが彦火火出見(神武天皇)。
大山積の子、賀茂建角身が奈良の大物主に娘を出して産まれたのが神武皇后。
その後に神武東遷。
古事記の舞台の一部は阿波でもある。だから神社が多い。それだけの事。
王都では無い。ありえない。
@阿波、お前も独自の考えを書いてみろ。コピペだったらURLのみでOK。
もう、捏造記事はいらん。 >>721
崇神朝で阿波から奈良へ遷都ですかね?
他の阿波説とかなり違いますね。もう少し詳しく。 さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 倭(やまと)に大国の主が大国を敷いた地 = 崇神天皇:御眞木入日子印恵命(みまき いりひこいにえのみこと)が大国を敷いた地。
「倭大国敷神社」「倭大国魂神社」が鎮座まします阿波國美馬(ミマ) @阿波 阿電波よ
そんなことはどうでもいい。どうせ二名島に邪馬1国はねえんだから、
それより早く板野ゴリにオマエ得意の文句で板めつけるフックの論を書きこめ。 崇神天皇は倭大国魂を宮中から追い出そうとしました。
辻褄が合いません。そして大物主に祟られます。全く説明がつきません。
崇神天皇=大国敷神 ソース又はそう推論する理由を下さい。 奈良「大神神社」 神社名からして、お粗末。
奈良「大神神社」 神紋(杉)からして、お粗末。
倭国(阿波)「大御和神社」は鍵の立合紋。
まさに「印鑰大明神」たる由縁。 @阿波 >>728
紋が凝っているの古代の神社では無いから。
デザインなどお前の主観だろう。
大神神社に対してお粗末などと不敬にも程がある。
お前はまじで死ね。皇国に生きる権利無し。まじで死ね、今すぐに死ね。 大和の大神神社は、倭国(阿波)の「大御和神社」が本家本元である。
徳島市国府町府中の式内社 「大御和神社」は神社拝殿上に「文武天皇(七〇二年)の御宇、
この閤宮(こうのみや)より、国璽の印と国庫の鍵を差し出した」と記されている。
これは取りも直さず、文武天皇(七〇二年)の御宇に、倭国(阿波)から奈良大和へ遷都したことを表す。
(国璽の印とは国家の表章として押す宮印で、帝都が阿波にあったことを証明するもの) @阿波
http://www.genbu.net/data/awa2/oomiwa_title.htm 阿電波よ
そんなのはどうでもいい。
あの獣だか鳥だか分ららない板野ゴロツキをオマエの得意技の滅茶苦茶ラッパ
で早く阿波論のアッパー論でもしてろ。 さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 壊れたレコードみたいに、同じような書き込みを繰り返すのは、
何かの疾患? アホが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 「阿波」の真実を止められず、アホが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 阿電波よ
オマエのんきだな。板野ゴロツキが怖いのか?ww 全国で唯一、饒速日命の孫「天村雲」を祀る「阿波国式内社 天村雲神社」(徳島県旧麻植郡)。
延喜式神名帳には麻植郡天村雲神伊自波夜比売神社二座とある。
その論社が徳島県旧麻植郡山川町村雲にある「天村雲神社」である。
祭神は,「天村雲命」と「伊志波夜比女命(いしはやひめ)」の二柱である。 @阿波
https://sueyasumas.exblog.jp/16788832/ >>738 太国
>板野ゴロツキ
と言うよりも、鼻持ちならない、地元を自虐する、評論家気取りの単なるクレーマー。
地元のことも知らず、自論もない奴。 @阿波 壊れたレコードみたいに、同じような書き込みを繰り返すのは、なぜ?
さっき書いた事を、もう忘れてしまいましたか? >>738 太国
>板野ゴロツキ
と言うよりも、鼻持ちならない、地元を自虐する、評論家気取りの単なるクレーマー。
地元のことも知らず、自論もない奴。 @阿波 「五世神社」(名東郡佐那河内村下寺谷―神武天皇の兄・五瀬命を祀る神社。
「佐野神社」(徳島市渋野町佐野)―佐野皇子(神武天皇)を祀る神社。
「秋葉神社」(徳島市丈六町丈六寺山)―神武天皇の畝山の東北陵跡。 @阿波 なんだこのザマは。 阿波説の投稿ばかりじゃないか!
こんなんでいつ、阿波説をぶった切るつもりだ? 名無しのヘタレスレ主よ、さっさとぶった切らんかい! スレタイが泣くぞ! @阿波 まあ落ち着きなはれ、皆さん君とずっと付き合っている程暇じゃ無いんとちゃうのかな。 地元を自虐する、評論家気取りの単なるクレーマーよ、なんだこのザマは。 阿波説の投稿ばかりじゃないか!
こんなんでいつ、阿波説をぶった切るつもりだ? さっさとぶった切らんかい! スレタイが泣くぞ! @阿波 「神武天皇(神倭伊波礼毘古命)を祀り、菊の十六紋を神紋とする神社」
阿波忌部族の勢力圏となる吉野川南岸部をすべて見下ろす地に建つのが
「橿原神宮」の元社と囁かれる阿波市土成町樫原の「樫原神社」であり、
祭神を神武天皇の元名・「神倭伊波礼毘古命」とし、菊の十六紋を神紋とする。 @阿波
http://www.awainbe.jp/info/20190426/
https://sueyasumas.exblog.jp/9839297/ 奈良「橿原神宮」の神紋「橿紋」(樫の紋)
阿波「樫原神社」の神紋「菊の十六紋」
この差は、なんや? @阿波 菊紋が、日本に渡って来たのは天皇家の成立のずっと後のことだって話は完全無視ですね。 >>749
だから何だ?である。 わははははは @阿波 >>751
「允恭天皇神社」
縁起?がありましたが、御祭神は土御門院天皇とあります。
でも、地元の人には非常に失礼で申し訳ないのですが、この由緒書き、由緒になってない。
土御門院天皇の説明のみで、この神社の由緒というべき事柄が全く書かれていない。
あまつさえ、最後には阿波神社の由緒が書かれているという。なんですかこれは?
だって、土御門院天皇ならば阿波神社横に土御門天皇火葬塚があり、祀られるならば
そちらだと思うんですが。
【阿波人の基地外ぶりがよーーーーーーーくわかる神社ですwwwwwwwww】 テンプレで潰されてるネタ連投すんなって。
阿波人の基地外ぶりは、よーーーーーーーくわかるが。 記紀に登場する神々が、「阿波」にだけ、揃って祀られている。
「建御名方神」は、阿波國名方郡式内社「多祁御奈刀弥神社」 御祭神 建御名方命
「武甕槌神」は、阿波市式内社「建布都神社」 御祭神 武甕槌神
「事代主命」は、阿波市式内社「事代主神社」 御祭神 事代主命
式内社「多祁御奈刀弥神社」・「建布都神社」・「事代主神社」が全国で唯一、倭国(阿波)にだけ在ることから
「建御名方神」・「武甕槌神」・「事代主命」は倭国(阿波)の人物だったということ。
事程左様に、記紀に登場する神々が、「阿波」にだけ揃って祀られている。 @阿波 >>751
「天皇神社」「護穀神社」とあるぞ。允恭はどこから?
この祀り方だと、【99,9パーセント素戔嗚と宇迦之御魂の親子だな。】
異論がある人いる?
やっとるなー阿波人はマジでやばい。
まじでイカれとる。出すも出すもほぼインチキ。皇国から駆逐すべきと思う。 記紀に登場する神々が、「阿波」にだけ、揃って祀られている。
「建御名方神」は、阿波國名方郡式内社「多祁御奈刀弥神社」 御祭神 建御名方命
「武甕槌神」は、阿波市式内社「建布都神社」 御祭神 武甕槌神
「事代主命」は、阿波市式内社「事代主神社」 御祭神 事代主命
式内社「多祁御奈刀弥神社」・「建布都神社」・「事代主神社」が全国で唯一、倭国(阿波)にだけ在ることから
「建御名方神」・「武甕槌神」・「事代主命」は倭国(阿波)の人物だったということ。
事程左様に、記紀に登場する神々が、「阿波」にだけ揃って祀られている。 @阿波 「事代主」=大物主、わざわざ祀っとるんは神話の影響やろ。
逆に嘘くさいねん。大物主だけ祀っとったらええんじゃボケ。
日本最古にして最も格式高いんは大神神社。
私見では常陸国風土記の普都大神も大物主。即ち、布都御魂。
賀茂別雷神(火明)の父親も大物主で雷神や。
武甕槌の別名が建布都、豊布都って言うのはその為や。
「建御名方神」=天八現津彦(長髄彦)
長髄彦の子孫が乗り込んで長国を作ったんじゃボケ。
畿内で堂々とは祭れんのじゃ。ドアホ。いつまで夢見とるねん。 黒岩大権現は「大山住大明神」
板野郡上板町の大山に所在する大山寺奥の院の「波切不動尊」「黒岩大権現」
「大山津見神」の妻(鹿江比売)を祀る、全国の中で唯一、阿波にしかない延喜式内社「鹿江比売神社(かえひめじんじゃ)」
https://sueyasumas.exblog.jp/10006573/
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外にはどこにも存在しないのである。 @阿波 タケミカヅチタケミナカタ両武神が阿波ということになると、
記紀の読み方が一変してしまいますね。
どう読んだらいいんだろう?
今の位置の神社になったのは、
相当後世ですか?阿波さん >>759
阿波は大山津見神の本拠地。俺の説の裏付けありがとう。>>722 「法隆寺」の元社は、ここ「救世山峯薬師 法谷寺」
小治田宮天皇は推古天皇ですので、「
由緒によれば」下手したら607年建立の法隆寺より古い建立であるかもしれないところなんです。
http://goutara.blogspot.com/2011/10/blog-post_29.html
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外にはどこにも存在しないのである。 @阿波 コピペはいいから、760の質問に答えたらどうやねん? >>759
鹿江比売神社がかつて有ったと伝えられる上板町の大山畑といえば、以前は県立大山野外活動センターが存在した辺り、
野外活動センターのテントサイトの上側に、妙に平坦な場所がありました、今は農家が畑として利用している辺りの事なのかなあ?
大山寺の東側です、かなりの山の上なのに、平坦な場所です、縄文人の居住地といった趣きが有りました。 大山野外活動センターはグーグルマップだとこの辺
https://goo.gl/maps/DtpLfcGk17VeSa5BA
左側が管理棟や、キャンプファイヤー場が有った区画、右側の小道を登った先にキャンプサイトが有りました。 全くの余談ですが、全国有数の銅鐸の出土数を誇る徳島県なのですが、我がふるさと板野町は、銅鐸の出土はなぜか皆無で、
両隣の鳴門市大麻町桧・上板町神宅字山田と、二件とも見事にわざと板野をわざと避けたかのように町境数十メートル付近から出土しています。
40年近く前、町境の至近距離から出土しているので、そのうち板野町からも発見されるのでは・・・とか言っておりましたが、
予想外の大規模な遺跡(黒谷川郡頭遺跡・黒谷川宮前遺跡など)も発見されたにもかかわらず、相変わらず、銅鐸が出土したという話は伝わってきません・・・。
余談でしたm(__)m 【阿波人の○チガイぶりがよくわかる神社】
允恭天皇を全国で唯一、お祀りしていたと謂われる「允恭天皇神社」
縁起には、『御祭神は土御門院天皇』と書かれているw
扁額には、「天皇神社」「護穀神社」とあり、
牛頭天王こと素戔嗚とその娘、宇迦之御魂(稲荷)を祀っているのは明白w
允恭天皇の名はどこから出てきた?そりゃこんな神社は
日本中探しても阿波にしかないよw ww
○チガイの代名詞「阿波」 皇国の恥 もはや、朝敵。
http://goutara.blogspot.com/2011/03/blog-post_06.html そのうち、御間都比古神社の祭神も孝昭天皇にすり替えるのと違うか?
誰か由緒を管理しとかんと歴史が失われるで。
とてもとても大切な祭神名なので数は少ないでしょが
まともな阿波の人に何卒、監視の程をお願いします。
「国造本紀」の長国造及び意岐国造の条には観松彦色止命と見えており、
阿波国名方郡の式内社、御間都比古神社の祭神でもある。観松彦命は事代主神の子とされること、
その子に「登美」に関係ある者がいること、その後裔に長国造・長我孫を出したことなどを考え合わせると、
神武に立ち向かった長髄彦その人であろう。 古事記の序文に、古事記の編纂理由として、
諸家の記録は誤ちや捏造か有り、
それらを正し、後世に残す、とある。
古事記に阿波風土記の内容が無いのは、
1300年前に捏造認定受けたってこと。
答えは1300年前に出てる。
阿波は1300年前に捏造認定を受け、
1300年後の現代も捏造を行ってる、
捏造国なのだ。 峯薬師像 ・ 救世観音像
奈良法隆寺は、法谷寺に即刻返却せよ! @阿波 「法隆寺」の元社は、ここ「救世山峯薬師 法谷寺」
小治田宮天皇は推古天皇ですので、「
由緒によれば」下手したら607年建立の法隆寺より古い建立であるかもしれないところなんです。
http://goutara.blogspot.com/2011/10/blog-post_29.html
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外にはどこにも存在しないのである。 @阿波 なんでお寺なのに「元社」っていうんだろうね?神仏習合の時代に作った御由緒じゃないのかね??? 神武東征(阿波市→鳴門市)に関わる神社で、熊野の戦いの旧跡に祀られた神社
「熊野神社」
https://sueyasumas.exblog.jp/9791934/
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外にはどこにも存在しないのである。 @阿波 他じゃ恥ずかしくてこんなデタラメなこじつけしないからなw もしかしてだけど、江戸時代辺りに、神社やお寺の由緒をそれらしく飾り付けて箔をつける職業の方がいらしたのでは・・・とも想像してしまうね。
阿波版の椿井文書的な・・・。 この少し西は「御所」と呼ばれる地名となります♪
凄いです!! @阿波 訂正、上記の熊野神社の御由緒は、ごくまともなもので、すえドンさんが記載した由緒は、
木隆弘著「記・紀の説話は阿波に実在した」(たま出版)からの引用でした・・・。
もう、なんでもありやね。たま出版って段階で、すでにアレです。 神武東征説話は吉野川下流の南岸勢力が北岸勢力を従属させた歴史の記憶で、
「樫原神社」の東西にその舞台が連なっている。
少し前に紹介した「熊野神社」もそのひとつである。
「樫原神社」の南に四国霊場九番札所「法輪寺」があり、
さらにその南の吉野川の近くには式内社「事代主神社」がある。
そして、さらに「事代主神社」の西には、式内社「建布都神社」がある。
神武東征で熊野の神の邪気に打たれた時、高天原から建布都の霊剣が降ろされ、
これによって神武天皇は熊野の邪気を払い進軍することができたという。
熊野は和歌山ではなく「樫原神社」周辺の物語だったのである。
「樫原神社」
https://sueyasumas.exblog.jp/9839297/
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外にはどこにも存在しないのである。 @阿波 >>780ネタで楽しんでるだけなのに邪魔するなと言う事かw 「伊奘諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせた菊理媛神を祀る阿波」
阿波市 阿波町勝命北に鎮座する「勝命神社」
御祭神は菊理媛命(くくりひめのみこと)
「阿波誌」に、「菊理祠勝命村に在り、旧事記に云ふ伊奘諾伊弉冉二尊、泉津平坂に相争ふ。
菊理媛神白す事あり伊奘諾尊聞きて之を善とす」とある。
なんと、伊奘諾尊と伊弉冉尊が泉平坂で相争ったとき、二人を仲裁した菊理媛神(くくりひめのかみ)が、
阿波市阿波町で祀られているのである。
なんでこんなマイナーな神様を阿波で祀る必要があるのだろうか。 後は推して知るべし。
http://goutara.blogspot.com/2012/11/blog-post_29.html
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外にはどこにも存在しないのである。 @阿波 >>784
>菊理媛神は白山神社の主神なw
ほりゃ。
菊理媛命と同一神とされる「白山比盗_」を祀る「白山(しらやま)比売神社」
徳島県吉野川市山川町忌部山字白山
石碑には「忌部社摂社 志良夜末比賣神社」とある。
「忌部神社」の七摂社の一つで、祭神は「伊佐奈美尊」である。
ここはイザナミ命の「遥拝所」。
この「白山比売神社」の南西には「高越山」があり、山頂に「イザナミ」が祀られていると言われている。
イザナミ命・イザナギ命の神号は海の霊物「イナサ(雄魚)」より名付けられたという説があり、
イザナミ命の生前の名は「白山比売」であったという伝承がある。 @阿波
「白山比売神社と立石列石」
https://sueyasumas.exblog.jp/17016171/ とにかく、大河吉野川を挟んで、記紀に関連する神々を祀った神社が近くにうじゃうじゃ。 @阿波 それ!
「稚宮(わかみや)神社」
徳島県吉野川市山川町忌部山字峯石
祭神は、思兼尊・長白羽命。 長白羽命は、荒妙(あらたえ)を織った神。 神麻績部の祖神とある。 @阿波
https://sueyasumas.exblog.jp/16991385/ さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 記紀成立後にブランド志向で招聘した神社ばかりの阿波 >>790
「阿波」の真実を止められず、アホどもが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 とにかく、大河吉野川を挟んで、記紀に関連する神々を祀った神社が近くにうじゃうじゃ。
この現象が、大河吉野川の上流から下流河口まで、続々と続くロマン街道「阿波」。 @阿波 阿波の神社の祭神はウリナラ・コレクション。
何一つ信用できない。>>767のようにやろうと思えば何だって祀れる。
(誤伝はあっても、まともな人間は祭神のすり替えなどやらない。さすが阿波)
100年ほどしたら証拠は消えていく。
とくに、法隆寺夢殿本尊は、嘉承元年(一一〇六) に確認されているのに
>>772とか、正に>>774だ。法谷寺から仏像がなくなったってのも
ブロガーたちのでっち上げではないと疑いたくもなる。
そもそも、神社自慢のスレッドではないのだ。
王権はどこか?であり、それは古代皇族の愛した三輪山のある場所なのだ。 >>793
「阿波」の真実を止められず、アホどもが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 >>794
「阿波」の真実=阿波人が〇チガイで神社の祭神を
ガンガンすり替えてるって事か?
★祭神すり替え例 その1
允恭天皇を全国で唯一、お祀りしていたと謂われる「允恭天皇神社」
縁起には、『御祭神は土御門院天皇』と書かれているw
扁額には、「天皇神社」「護穀神社」とあり、
牛頭天王こと素戔嗚とその娘、宇迦之御魂(稲荷)を祀っているのは明白w
允恭天皇の名はどこから出てきた?そりゃこんな神社は
日本中探しても阿波にしかないよwww
○チガイの代名詞「阿波」 皇国の恥 もはや、朝敵。
http://goutara.blogspot.com/2011/03/blog-post_06.html ★祭神すり替え例 その2
菊の十六紋を神紋とする「神武天皇を祀る樫原神社」
阿波忌部族の勢力圏となる吉野川南岸部をすべて見下ろす地に建つのが
「橿原神宮」の元社と囁かれる阿波市土成町樫原の「樫原神社」であり、
祭神を神武天皇の元名・「神倭伊波礼毘古命」とし、菊の十六紋を神紋とする。
https://sueyasumas.exblog.jp/9839297/
〜〜〜電波終了〜〜〜
リンク先のページの方は正直に
>祭神神倭伊波礼比古といわれていますが、
【どうも近世にいわれ出した】ように考えられ、
元来は式内社事代主神社が山上にあったとの説もあります。 と記載。
★祭神すり替え例 その3
「天智天皇鳴門市北灘に鎮座する葛城神社の隠された祭神が天智天皇である」
隠されているのではなく【元から祀られていない】のです。
阿州北灘葛城大明神縁起に「天智天皇九州の地に遠征したまふ時、この大神随従ましまして阿州の地に渡らせたまひ」
と天智の名が見えた事を良い事にウリナラしたものであると断言できます。
これは天智が畿内→阿波→九州へ行った記事です。 ★由緒捏造例
阿波には長野の諏訪大社の元宮である元諏訪社がある。
元諏訪社の伝承について
佐古山に分祀された多祁御奈刀弥神社
【由緒】 この社の中世以前のことについては殆ど知られていないが、藩制時代には藩から厚い信仰を受けたが、
三代藩主(蜂須賀)光隆公が疱疹にかかられた際、この社が奇瑞を著し、一段と信仰が厚くなった。そこで参拝の為、
鮎喰川(あくいがわ)を渡る不便を解消する手段として、この社の分霊を市内の佐古山に勧請された。
その後、この分霊社が市民から深い信仰を得たことは、徳島県人の新しい認識である。
これを読むと、徳島市の佐古山に分祀された多祁御奈刀弥神社が、“諏訪神社”として大いに賑わったことがわかります。
その一方で、「諏訪」の文字がない本社の多祁御奈刀弥神社は、その現状に憂いを持ったのは想像に難くありません。
写真は社前にある社号標で、「元諏訪社」と書いています。佐古山諏訪神社の本社としてこの四文字を加えたのを
後の世に、事もあろうか諏訪大社の“元宮”などと、ずうずうしいにも程があります。
徳島に建御名方神を祀る神社があるのは、
大彦命を祖とする皇別氏族、高志国造の阿閇氏が阿波に移り住んだためである。 見て数秒でバレるレベルでもこんなに。
もう既に確認不能な神社と祭神の数は数知れず。
他にもやりまくってる。まったく信用できない阿波人。
ウリナラコレクション神社出されてもな。はぁ?って感じ。
身からでた錆ですわ。嘘で正しい伝承も全体が否定されるんだ。 >>783
【勝命神社】
これまた、よくわからん。阿波らしい神社だな。この神社は文化年代に「菊理社」と称えていたが、
天保期の文書に、菊理または九栗と記され嘉永年間より古称に復して九栗と呼ぶようになったという。
明治四十三年に「九栗若宮金比羅川人神社」を合併し勝命神社となります。
「菊理(九栗)社」が「九栗若宮金比羅川人神社」を合併 ⇒【勝命神社】か?
この合併で九栗の名を消すかね?勝命は地名由来か?
それぞれの神社の祭神は誰?菊理社は菊理姫として、「九栗若宮金比羅川人」の祭神は誰だった?
双方とも菊理姫だったのか?なら勝命菊理姫神社とすべきだが?あやしいよ。
「九栗若宮金比羅川人」
九栗 菊理姫に由来?地名として定着した九栗?
若宮 誰かの長子が祭神?
金比羅 言わずと知れた大物主(名の由来はガンジス川の鰐を神格化したクンビーラ「マカラ」、宮比羅大将に同じ。)
川人 日本姓氏語源辞典 徳島県、大阪府、兵庫県。カワト、カワンドは稀少。
職業。川で魚を捕る人から。徳島県美馬市脇町大字猪尻、
徳島県徳島市徳島町城内が藩庁の徳島藩士に江戸時代にあった。
リンク貼るのはいいけど何か解釈書けよ。自分の言葉でさ。ブログからは意味がさっぱりわからんわ。
どのみち古社ではないな。明らかに神話から作った神社じゃないか?
阿波人は神話が好き。これくらいしか分からないよ。 菊理媛神が「マイナー」とは、@阿波氏が、いかに物を知らないか露呈している。
後は推して知るべし。
>菊理媛神(くくりひめのかみ)が、
>阿波市阿波町で祀られているのである。
>なんでこんなマイナーな神様を阿波で祀る必要があるのだろうか。
>後は推して知るべし。 >>800
@阿波氏が、いかに物を知らないかは、
すでにこのスレの共通認識ですよ。 >>799
明治43年の神社の合併は、政府の進めた神社合祀政策に従ったものでしょう。
社名の由来は、対立が起きないように、無難な地域名を選んだのだと思います。
まあしかし、@阿波氏の「菊理媛神がマイナー」という書き込みは、ずっこけましたね、
もしかしたら、リンク先にそのような事が書いてあって、
それをそのまま書いているのかなあ?とも、思いましたが、さすがに、そういう事実も全くなく、
@阿波氏の無知故の書き込みということが判明しました。
相変わらず、視野が狭い、世間が狭い残念な方だという思いを強くしました。 >>803
「阿波」の真実を止められず、アホどもが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 >式内社(名神大社)は圧倒的に奈良、伊勢が多い(名神大社は奈良に次いで京都)
それらはすべて、「阿波」から勧請された分社にすぎない。
なぜなら、古事記神話の神名が付く神名延喜式内社がほとんど存在しない。
一方、徳島は古事記神話の神名が付く延喜式内社の数が他の県に比べると圧倒的に多いことがわかる。
例えば、徳島県の式内社50社のうち19社に古事記神話の神名がついているのに対して、
奈良県は286社のうち3社、島根県の出雲は187社のうち0社である。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外にはどこにも存在しないのである。 @阿波 >式内社(名神大社)は圧倒的に奈良、伊勢が多い(名神大社は奈良に次いで京都)
それらはすべて、「阿波」から勧請された分社にすぎない。
なぜなら、古事記神話の神名が付く神名延喜式内社がほとんど存在しない。
一方、徳島は古事記神話の神名が付く延喜式内社の数が他の県に比べると圧倒的に多いことがわかる。
例えば、徳島県の式内社50社のうち19社に古事記神話の神名がついているのに対して、
奈良県は286社のうち3社、島根県の出雲は187社のうち0社である。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外にはどこにも存在しないのである。 @阿波 〇「阿電波」の正体を掴められて、アホ踊り男のオレが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿電波」の正体を世間に教えましょう! わははははは @阿電波 阿波の式内社の特徴
一つ目の特色は、日本の国造りの根幹に関わったとされる神を祀る神社が多いことです。
二つ目の特色は「欠史8代」の天皇に関わる登場人物をご祭神とする神社があることです。
三つ目の特色は、以上のほかにも記紀神話に登場する方をご祭神とし、神様の名前そのままを冠した神社が多いことです。 @阿波
https://yottyan.blog.ss-blog.jp/2011-10-26 「阿波」の真実を止められず、アホどもが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 〇「阿電波」の正体を掴められて、アホ踊り男のオレが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿電波」の正体を世間に教えましょう! わははははは @阿超電波 全国で唯一、饒速日命の孫「天村雲」を祀る「阿波国式内社 天村雲神社」(徳島県旧麻植郡)。
延喜式神名帳には麻植郡天村雲神伊自波夜比売神社二座とある。
その論社が徳島県旧麻植郡山川町村雲にある「天村雲神社」である。
祭神は,「天村雲命」と「伊志波夜比女命(いしはやひめ)」の二柱である。 @阿波
https://sueyasumas.exblog.jp/16788832/ >>805
おじいちゃん、ご飯はさっき食べたでしょ。 >>813
「阿波」の真実を止められず、アホどもが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 「天村雲命」は又の名を天五多手(あめのいたて)という。麻植郡には忌部郡と射立郡があり,
「天村雲神社」が鎮座する射立郡は天五多手(あめのいたて)の名に通じる。
「天村雲神社」や同じく式内社の「伊加々志神社」周辺には「雲宮」とか「天王原」とか何やら意味ありげな地名が見える。 @阿波
https://plaza.rakuten.co.jp/utiwauke/diary/201610290000/ まあ、そんなにムキにならんでも・・・。
>菊理媛神(くくりひめのかみ)が、
>阿波市阿波町で祀られているのである。
>なんでこんなマイナーな神様を阿波で祀る必要があるのだろうか。 菊理媛神(くくりひめのかみ)が、マイナーな神様・・・。
もしかして、違う次元の世界に生きてとか? 「阿波」の真実を止められないアホどもよ。
どうやって「阿波」を止めるんだ? わははははは @阿波 白山神社の分布を見れば菊理姫がどんだけシマが広いかわかるよ 【物部神社】
饒速日命の正統、宇摩志麻遅命を祀る神社
島根県大田市にある神社。
式内社、石見国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。
社伝によれば、饒速日命の御子の宇摩志麻遅命は、神武天皇の大和平定を助けた後、
一族を率いて美濃国・越国を平定した後に石見国で歿したという。
創建は古く最初は神体山である八百山を崇めていましたが、
後に天皇の勅命より継体天皇八年(513年)に社殿を創建しました。
『山を神体』ここ重要!格が違う。 「阿波」からの分社がどうかしたのか? わははははは @阿波 「天村雲命」は又の名を天五多手(あめのいたて)という。麻植郡には忌部郡と射立郡があり,
「天村雲神社」が鎮座する射立郡は天五多手(あめのいたて)の名に通じる。
「天村雲神社」や同じく式内社の「伊加々志神社」周辺には「雲宮」とか「天王原」とか何やら意味ありげな地名が見える。 @阿波
https://plaza.rakuten.co.jp/utiwauke/diary/201610290000/ >>821
ソースか推論を出せ。
阿波の神社は全て神様コレクションで偽物。
書物に見える名を適当にチョイスして祀る。他国にないものも特に好む。
何もないので平安時代から町おこしの道具として神社を作りまくったテーマパーク。
あそこに行けば全部拝めるよ。みたいな。
祭神が不明になったら天皇や天照に比定する。
ソースは允恭天皇神社。天石門別八倉比売神社。などなど。
以上。 いや異常かなwww >>814
おじいちゃん、ご飯は昨日食べたでしょ。 大阪府八尾市天王台(てんのうだい) 千葉県銚子市天王台(てんのうだい)
愛知県みよし市天王台(てんのうだい) 千葉県我孫子市天王台(てんのうだい)
茨城県つくば市天王内(てんのうち) 福島県東白川郡棚倉町天王町(てんのうちょう)
大阪府高槻市天王町(てんのうちょう) 神奈川県横浜市保土ケ谷区天王町(てんのうちょう)
愛知県豊田市天王町(てんのうちょう) 茨城県水戸市天王町(てんのうちょう)
静岡県静岡市葵区天王町(てんのうちょう) 京都府京都市下京区天王町(てんのうちょう)
愛知県半田市天王町(てんのうちょう) 静岡県藤枝市天王町(てんのうちょう)
福井県福井市天王町(てんのうちょう) 静岡県磐田市天王町(てんのうちょう)
愛知県刈谷市天王町(てんのうちょう) 岐阜県羽島郡笠松町天王町(てんのうちょう)
兵庫県神戸市兵庫区天王町(てんのうちょう)福井県越前市天王町(てんのうちょう)
静岡県掛川市天王町五反林(てんのうちょうごたんばやし)
愛知県江南市 天王町駒野(てんのうちょうこまの)
大阪府大阪市城東区天王通(てんのうどおり)
愛知県津島市天王長沼(てんのうながぬま) 秋田県潟上市天王西(てんのうにし)
静岡県静岡市清水区天王東(てんのうひがし) 静岡県静岡市清水区天王前(てんのうまえ)
福島県田村郡三春町天王町(てんのうまち) 愛知県西尾市天王町(てんのうまち)
高知県吾川郡いの町天王南(てんのうみなみ)
静岡県静岡市清水区生津天王東町(なまづてんのうひがしまち)
岐阜県瑞穂市東天王町(ひがしてんのうちょう)
愛知県半田市東中富天王傍示(ひがしなかとみてんのうほうじ)
ほぼほぼ、牛頭天王が由来と教えてやったはずだが?バカか?
これで1/3以下や。めんどいからやめる。 「天牟久怒命」=「天村雲命」を祀る、日本唯一(またまた)の式内社 「天村雲神伊自波夜比賣神社」が、
阿波国旧麻植郡射立郷「村雲」に鎮座する。
この天村雲神の別名がなんと、「天五多底命 ( あめのいだてのみこと )」 なのである。
御祭神の天村雲命は、「 射立神 」とも呼ばれる。 @阿波 「阿波」の真実を止められないアホどもよ。
どうやって「阿波」を止めるんだ? わははははは @阿波 「天村雲命は、別名「天五多底命(あめのいだてのみこと)」とも呼び、射立の神。
鎮座地周囲(阿波国旧麻植郡射立郷「村雲」)は、湯立という字が残っているが、これは射立からの転訛。
もし、天村雲命=射立神だとすると、天村雲命=五十猛命とも考えられる。
五十猛命は、素盞嗚尊の御子神であり、伊達(いだて)神。」
全国3132座ある式内社で、「天村雲」を冠する日本唯一の神社なのである。 @阿波
http://www.genbu.net/data/awa2/murakumo2_title.htm 〇「阿電波」の豆脳を止められないアホのオレよ。
こうやって「阿電波」を止めるんだ→松沢病院 わははははは @阿電波 【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社」】
この八鉾神社、阿波では出雲の「杵築大社(出雲大社)」の元社であると伝えられている。 @阿波 狗奴国の王 【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社」】
徳島県阿南市長生町に鎮座する「八鉾神社」。祭神は大己貴命。延喜式内社である。
この「八鉾神社」には四つの重要文化財が神宝として保管されている。
また「八鉾神社」自体も重要文化財に指定されているので、合計五つの重要文化財を持ち合わせている神社となる。
一つは「大己貴命 木造彫刻立像」
二つ目は「少彦名命 木造彫刻立像」
三つ目が「二品家政所 下文 」
四つ目が「附紺紙金泥法華経」である。
この八鉾神社、阿波では出雲の「杵築大社(出雲大社)」の元社であると伝えられている。 @阿波 徳島県美馬郡つるぎ町半田天皇
https://goo.gl/maps/GfrPQqX9fjVVhyci9
半田天皇の「半田」は合併前の旧町名なので、旧地名はずばり「天皇」なのだが、
見事に周りに何にもない・・・。
四国には他にも何か所か「天皇」の地名の場所が有るのですが、
いったいどのような由来が有るのか・・・ちょっと謎めいていますね。 >>832
半田の周りに何にもないだと? なんにも知らんもんが評論ぶるな!論なし野郎!
記紀には崇神紀七年、「大田田根子」を大物主大神の祭主とし、
翌八年には高橋邑の「活日」を大神(オオミワ)の掌酒(サカビト)にすると記されている。
その大神とは「大物主大神」を指し、祭主となった大田田根子の「祭祀場」と
掌酒を分担した活日の「高橋邑」は近接していたことになる。
阿波国旧美馬郡にある「段の塚穴型石室」といわれる特異な石室構造をもつ古墳は、
分布範囲がほぼ旧美馬郡に限られており、段の塚穴の2基のみでなく、
旧美馬郡の範囲の古墳に共通してみられる特徴である。
その吉野川北岸美馬郡美馬町「段の塚穴」の南対岸 貞光町に「太田」と「高橋」の地名が並んで残っている。
尚且つ、日本唯一社「倭大国魂神社」が旧美馬郡美馬町に存在している。
「大田田根子」は「大国主命」の五世孫とされ、崇神天皇は河内の美努村(ミノノムラ)から「大田田根子」を探し求めたとされる。
この「河内の美努村」とは「三好郡美野郷」のことで、現在の三野町にあたる。
また日本書紀では「陶邑(スエムラ)から大田田根子を得た」とあるが、
これは「三好郡美野郷」三野町の吉野川対岸に位置する三加茂町、その下流の半田町が「陶邑」と考えられる。
半田(ハンダ)は、植田(ハニタ)が変化したもの。 これは陶器や埴輪、瓦をつくる邑の意味になる。
このように「太田田根子」にまつわる伝承は、阿波の地名や伝承そして「倭大国魂神社」が、
現に美馬郡に鎮座していることから裏付けられるのである。 @阿波 >>832
>四国には他にも何か所か「天皇」の地名の場所が有るのですが、
どこにあるんだ? @阿波 >>833
天皇の字名の地域には、半田そうめんの製麺所と小さな寺、何軒かの民家、墓地、畑ぐらいなんですよね。
>>834
>四国には他にも何か所か「天皇」の地名の場所が有る
探せばすぐに出てきますよ。
すべて字名や、旧地名で今は存在してない・・・です。 >>835
>今は存在してない・・・です。
無いんかよww ほら吹き野郎! @阿波 半田(ハンダ)は、植田(ハニタ)が変化したもの。 これは陶器や埴輪、瓦をつくる邑の意味になる。
このように「太田田根子」にまつわる伝承は、阿波の地名や伝承そして「倭大国魂神社」が、
現に美馬郡に鎮座していることから裏付けられるのである。 @阿波 >>836
高松市の林町は〇〇〇〇-〇とか、味気ない住居表示になってますが
天皇公園という公園の名前にかろうじて名前を残しています。
半田の天皇は、都会化とも、住居表示とも無縁なおかげで、
なんとか字名として残っているのでしょう。
土御門上皇の行宮所跡関連の地名かとも思いましたが、
旧板野郡の御所が地名として残っている程度で、
「天皇」という地名は他に残ってないので、
土御門上皇関連の線は低いでしょう。 >>835
>今は存在してない・・・です。
無いんかよww ほら吹き野郎! @阿波 ほら吹き野郎が、「阿波」の真実を止められず、焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 狗奴国の王 【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社」】
「神社由緒」
一、八桙神社は上古長ノ国造の祖神として竹原庄要津に鎮座す。長ノ国は北方粟ノ国と相対して阿波民族の源を形成す。
一、承平4年朱雀天皇の御宇歌聖紀貫之土佐守の任満ちて上洛の途上南海水道にさしかかりし時、
豪勢なる海賊に出逢い航行不能となる。直ちに那賀川河口に碇泊、西潟なる竹原庄の要津に松?栢城高く聳え立ち、
威光海上を圧する八桙大明神に祈願奉幣す。
一、長寛元年9月25日関白左大臣大将正二位藤原基実卿後白河上皇の勅命を承け、
法華八講料として免祖水田5段と紺紙金泥法華経一部八巻合わせて5種12巻を奉納し、
この善根に依り、後白河上皇二条帝の宝祚を寿命長遠に併せて二品家一門の神徳冥助を乞い並びに南海水道の海上安全を祈願す。 @阿波 阿電波よ
オマエ、板野ゴロツキにおびえてるのか?
なんのフックもジャブとかも無いぞう。pp 八桙神社のある山は、古代は、海岸線に突き出た半島であったと考えられ、要津は港であった。
紀貫之の土佐日記には、八桙神社に奉幣した記述はないが、承平4年12月に土佐を出帆し、
翌年1月に室津から鳴門土佐泊りに至る途中で、海賊対策の神頼みを行っていることが記されている。
神社由緒の記述と一致する。 @阿波
https://plaza.rakuten.co.jp/utiwauke/diary/201709160000/ 八鉾とは八千矛神(やちほこのかみ)。 出雲の主であり、長(おさ)である大国主神のこと。
大国主神の別名、大己貴神は、出雲(長国)の偉大な主を意味している。
大国主神は、スサノオ命の子孫で、稲羽の素兎の物語で有名である。
オオクニヌシは、兄さん達から大きな袋を持たされる等、色々のいじめを受けたが、
それらの試練を乗り越え、出雲(阿南市周辺)を治める立派な人となった。
オオクニヌシの子供にコトシロヌシ(えべっさん)と建御名方神(たけみなかたのかみ)がいる。
コトシロヌシは、式内社の事代主神社として、勝浦町沼江と阿波市市場町伊月に祀られ、
タケミナカタは、式内社の多祁御奈刀祢神社として、石井町浦庄字諏訪に祀られている。 @阿波 〇国名の邪馬1国と二名島記述とは数字が一致しないなあ。1≠2 @阿電波 「住吉大明神こと住吉神社」 阿波国板野郡藍住町住吉神蔵に鎮座。
祭神は神功皇后、表筒男命、中筒男命、底筒男命。
鎮座地は神功皇后ゆかりの地で、当社は全国住吉神社の元社にあたる。 @阿波 夫にあたる仲哀天皇は、西に位置する板野郡矢武の応神山仲哀寺で祀られ、
大臣 武内宿禰は同町 矢武八幡神社を中心に武威神社、高良神社で祀られている。
また御子である応神天皇の葬場跡は、南に位置する応神町宮島にあたり、
審神者(さにわ)で顕れた淡郡の嚴(いつの)事代主は、
吉野川を上流に上った阿波郡市場町伊月の式内社「事代主神社」で祀られている。 @阿波 国産みは淡路島からだしな
瀬戸内海がルーツだよ
だから記紀は江戸時代まで隠されてた 阿電波は知らんだろうが、
古代エジプトのヒエログリフ(聖刻文字)で
「アハ」読む絵文字は「船のマスト」の意味。帆柱。 >>850
>国産みは淡路島からだしな
いや、国生みは、忌部の郷:旧麻植郡から。
オノコロ島は、忌部の郷 吉野川中流域に出来た、日本最大級の砂洲 「粟島」。
「こをろこをろとかき回し矛を持ち上げると、滴り落ちた潮が積もり重なって島となった」
吉野川の洪水で、川底が「こをろこをろ」とかき回され、砂が積もり重なって砂洲「粟島」がオノコロ島となったのだろう。
淡路島の沼島では、「積り重なって」が説明できない。 @阿波 >>848
>>849
藍住の住吉神社の縁起には、全国の住吉神社の元社にあたるなんて、書いていません。
誰が言い出したのか、明確にされたし。
あと仲哀寺の件だが、アワオトコさんのブログしかヒットしない。
アワオトコ氏は場所をなんか勘違いしているようだが、上板町神宅ではなく、板野町矢武
確かに寺院っぽい建物が境内に建っているのだが、該当する寺院は宗教法人として登録されていないという、
謎の寺院やね。 阿波のある二名島は水蛭子淡島は国生み失敗だから、国生みの成功の最初
は淡路島であって、二番目の国生みが二名島。阿電波のは大ウソ。
邪馬1国≠二名島 ちなみに海人族でも支配地域が違うと氏族も違う。
(神功皇后も幼少の頃より、古の各海人部族の神話を聞かされていたのであろう。)
そもそも住吉三神は泡(阿波)より産まれた神。 この三神は神代より祀られた阿波の海人の神々なのである。
底筒男命は県南部海岸を支配した長国の神(大国主命、事代主命)
中筒男命は北に続く小松島市、徳島市の海岸を支配した阿曇の神(和多都美豊玉比賣命)
表筒男命はさらに北に続く鳴門の海岸一帯を支配し淡路、奈良大倭に進出した大倭の神(速吸宇豆彦)
神功皇后は、阿波全ての海人族神を味方につけて、異国との闘いに挑んだのである。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外にはどこにも存在しないのである。 @阿波 ほら吹き野郎が、「阿波」の真実を止められず、焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 ほら吹きやろうにほら吹きと言われるこの不条理・・・。
@阿波氏は何がしたくて、どこを目指しているのだろう???
徳島のネガキャンが目的なのか? 黒岩大権現は「大山住大明神」
板野郡上板町の大山に所在する大山寺奥の院の「波切不動尊」「黒岩大権現」 @阿波 >>848
こう言う嘘を平気で書く。息を吐くように平気で嘘をつく、かの民族のよう。
阿波人は平気で祭神をすり替えるから神社の記録も信用できない。ソースは以下。
★祭神すり替え例
允恭天皇を全国で唯一、お祀りしていたと謂われる「允恭天皇神社」
縁起には、『御祭神は土御門院天皇』と書かれているw
扁額には、「天皇神社」「護穀神社」とあり、
牛頭天王こと素戔嗚とその娘、宇迦之御魂(稲荷)を祀っているのは明白w
允恭天皇の名はどこから出てきた?そりゃこんな神社は
日本中探しても阿波にしかないよwww
○チガイの代名詞「阿波」 皇国の恥 もはや、朝敵。
http://goutara.blogspot.com/2011/03/blog-post_06.html
妄想を書くにしてもソースくらい書けよカス。この嘘つき民族め!! 記紀に登場する神々が、「阿波」にだけ、揃って祀られている。
「建御名方神」は、阿波國名方郡式内社「多祁御奈刀弥神社」 御祭神 建御名方命
「武甕槌神」は、阿波市式内社「建布都神社」 御祭神 武甕槌神
「事代主命」は、阿波市式内社「事代主神社」 御祭神 事代主命
式内社「多祁御奈刀弥神社」・「建布都神社」・「事代主神社」が全国で唯一、倭国(阿波)にだけ在ることから
「建御名方神」・「武甕槌神」・「事代主命」は倭国(阿波)の人物だったということ。
事程左様に、記紀に登場する神々が、「阿波」にだけ揃って祀られている。 @阿波 >>835
>今は存在してない・・・です。
無いんかよww ほら吹き野郎! @阿波 >>864
記紀を読んででっち上げたり勧請したんだろ。
阿波人は平気で祭神をすり替えるからな。伝承もクソもねえ。
式内、式内って10世紀なのをお忘れなく。
式内社は、延喜式が成立した頃に朝廷から官社として認識されていた神社で、
【その選定の背景には政治色が強くみえる。】
【当時すでに存在したが延喜式神名帳に記載がない神社を式外社(しきげしゃ)という。】
式外社には、朝廷の勢力範囲外の神社や、独自の勢力を持った神社(熊野那智大社など)、
また、神仏習合により仏を祀る寺となった神社、僧侶が管理した神社(石清水八幡宮など)、
正式な社殿がなかった神社などが含まれる。
式外社だが六国史に記載がある神社を特に国史現在社(国史見在社とも)と呼ぶ(広義には式内社も含む)。 たぶん、徳島の剣山にモーセの三種の神器が埋まっているという話に付随して
阿波にそれを裏付ける国があったことにしたのだろう
そうしないと、そんな大事なものを何で日本の僻地に捨てに来るのかと疑われてしまうからだ
なぜモーセの三種の神器が日本にあることにしたいのか?
戦国時代に焼け出された天皇は乞食状態になり
江戸時代でも、豆腐が買えなかったという記録から
小屋に一人で住んでいるような感じだったのだろう
それを英国のためにロシア・中国と戦争する神にするために
天皇はダビデの末裔であるというハク付けが必要だったのだ
モーセの三種の神器は「契約の箱」に入っている
契約の箱で画像検索すれば、神社の神輿にそっくりなのが分かるだろう
契約の箱を模した御神輿を作って担いで回ることで、日本に三種の神器が来ていることをほのめかしているのだが
それは明治時代からやっている
神社の祭で朝鮮人が神輿を担いでいるのは日本の恥だ
契約の箱は紅海を渡って、エチオピアのアクスムに避難した
日本で神輿を担ぐのはやめろ、朝鮮に帰ってやれ >>866-867
「阿波」の真実を止められず、アホどもが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 >>865
かつて存在した記録は有るので、ほらでは無い。
そうやって都合の良い所だけ切り取るのは、阿波信者全般の悪い癖かもしれないね。
まあ、@阿波さんは、菊理媛神も知らなかったみたいだから・・・ね。 >>868
おじいちゃん、ごはんは一昨日食べたでしょ。 >>870
「阿波」の真実を止められず、アホどもが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 「伊奘諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせた菊理媛神を祀る阿波」
阿波市 阿波町勝命北に鎮座する「勝命神社」
御祭神は菊理媛命(くくりひめのみこと)
「阿波誌」に、「菊理祠勝命村に在り、旧事記に云ふ伊奘諾伊弉冉二尊、泉津平坂に相争ふ。
菊理媛神白す事あり伊奘諾尊聞きて之を善とす」とある。
なんと、伊奘諾尊と伊弉冉尊が泉平坂で相争ったとき、二人を仲裁した菊理媛神(くくりひめのかみ)が、
阿波市阿波町で祀られているのである。
なんでこんなマイナーな神様を阿波で祀る必要があるのだろうか。 後は推して知るべし。
http://goutara.blogspot.com/2012/11/blog-post_29.html
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外にはどこにも存在しないのである。 @阿波 古代日本は中国朝鮮の植民地だった
独立し、お山の大将だった大王を天皇に変え、
天皇は神の委任って神話を作った。舎弟だった情けない過去は全てデリート。
日本こそウリナリ捏造国家だよ >>867
三種の神器はユダヤルーツか? 歴史の真相をヘブライ語で解き明かす
日本古来の宗教の原点に潜む大陸文化
https://www.historyjp.com/article/414
ここの説明のヤツですか?
>天皇はダビデの末裔であるというハク付けが必要だったのだ
明治政府の意向ですか。ふーむ。日ユ同祖論にまで飛び火するとは、、、
祭神書き替えの説明にはなりますが、しかし、式内社の説明にはなりませんね。
>>874
ここは阿波説のスレです。朝鮮人の来るところではありません。
魏に朝貢はしてましたが、朝鮮の様に属国になった歴史はありません。
また、半島南部は伽耶(加羅)と呼ばれ倭人の国であった事は史実として明白です。
半島の前方後円墳を壊さないで下さい。どうぞ、お帰りください。 スレ主。 >>871
(「阿波」の真実を止められず)って日本語として正しいですか?
真実は、明らかにするとか、隠すとか、証明する・・・とかじゃないでしょうかね?
細かすぎるのかもしれませんが、壊れたレコードのように何回も出てくるフレーズなので、ちょっと気になりました。 @阿波よ、 >>874 の様に
明らかに間違った内容を平気で書き込みする奴をどう思う?
人は勘違いもするし間違いもするが、意図を持って間違いを流布する。
どう思う?人の振り見て何とやら、である。 ソースを提示しない人の文章はどうせ信用されないから読み飛ばされるだけ
みんなが欲しいのは根拠であって
あなたの見解ではない、ってわかってくださいよー 日ユ同祖論と言えば
「伊勢新宮灯篭に刻まれたダビデの星」が有名だったが、、、
この灯篭、伊勢神宮とは別の団体が昭和30年に寄進として建て始めたもので、
伊勢神宮の管理物ではありません。
しかもその団体は、建立寄進後、解散してます。
実は昭和30年に信奉団体の建立であり、所有者不明、伊勢市議会において撤去決定。
既に撤去されて、ドコにもありません。
って事だ。【何らかの意図を持って歴史を捏造しようとする団体】があった。
この事実は恐ろしい話では無いか?阿波では今も起こってる事だよ。
その証拠見て騒ぐ、愚かしくも恐ろしい。 菊理媛命と同一神とされる「白山比盗_」を祀る「白山(しらやま)比売神社」
徳島県吉野川市山川町忌部山字白山
石碑には「忌部社摂社 志良夜末比賣神社」とある。
「忌部神社」の七摂社の一つで、祭神は「伊佐奈美尊」である。
ここはイザナミ命の「遥拝所」。
この「白山比売神社」の南西には「高越山」があり、山頂に「イザナミ」が祀られていると言われている。
イザナミ命・イザナギ命の神号は海の霊物「イナサ(雄魚)」より名付けられたという説があり、
イザナミ命の生前の名は「白山比売」であったという伝承がある。 @阿波
「白山比売神社と立石列石」
https://sueyasumas.exblog.jp/17016171/ >>879
日猶同祖論は盲象のイカサマ論。
十数日前、伊勢参宮したが、当然撤去されている。
ここの石灯籠にダビデ紋をいれたのは、そういう盲象信者らしき者らが
やった行為だろう。 >>873-879
自説を証明するものがなにも無い、屁垂れどもが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 >>880
おじいちゃんったら、また全く同じコピペ貼って・・・。
>>785 〇阿電波説を証明するものがなにも無い、俺の屁垂れ大ケツが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿電波」のインチキを世間に教えましょう! わははははは @阿電波 >>883
自論が無い、ほら吹きの屁垂れが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 >>883
自論が無い、評論家気取りのほら吹きが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 菊理媛命と同一神とされる「白山比盗_」を祀る「白山(しらやま)比売神社」
徳島県吉野川市山川町忌部山字白山
石碑には「忌部社摂社 志良夜末比賣神社」とある。
「忌部神社」の七摂社の一つで、祭神は「伊佐奈美尊」である。
ここはイザナミ命の「遥拝所」。
この「白山比売神社」の南西には「高越山」があり、山頂に「イザナミ」が祀られていると言われている。
イザナミ命・イザナギ命の神号は海の霊物「イナサ(雄魚)」より名付けられたという説があり、
イザナミ命の生前の名は「白山比売」であったという伝承がある。 @阿波
「白山比売神社と立石列石」
https://sueyasumas.exblog.jp/17016171/ 〇阿電波説を証明するものがなにも無い、俺の屁垂れ大ケツが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿電波」のインチキを世間に教えましょう! わははははは @阿超電波 「白山比盗_」のすぐ近く 「稚宮(わかみや)神社」
徳島県吉野川市山川町忌部山字峯石
祭神は、思兼尊・長白羽命。 長白羽命は、荒妙(あらたえ)を織った神。 神麻績部の祖神とある。 @阿波
https://sueyasumas.exblog.jp/16991385/ >>887
>>889
山の中の道なき道をかき分けて探索するすえドンさんの行動力は見習いたいね。
山を探索するのは、下草が枯れて、ハチやヘビの活動も少なくなる冬場がおすすめ。 「阿波」の郷土史家は、評論家気取りのお前なんかとは、雲泥の差だ。 郷土に後足で砂をかける、売郷奴め。 @阿波 >>887 >>889
だから何だ?である。すえドンはわかったからトップのリンク一回で十分。
https://sueyasumas.exblog.jp/i15/
はい、コレでいい。もう十分。お腹いっぱいで吐くわ。
「倭は阿波」を持ってこいよ。誰が神社紹介スレだと言ったよ?
無いんだっったら用がないので出てくるな。阿波国古代研究所呼んでこい。 >>892
だから何だ?である。 わははははは
自説を証明するものがなにも無い、屁垂れどもが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 〇阿電波説を証明するものがなにも無い、俺の大屁垂れ大ケツが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿電波」のインチキを世間に教えましょう! わははははは @阿超電波 >式内社(名神大社)は圧倒的に奈良、伊勢が多い(名神大社は奈良に次いで京都)
それらはすべて、「阿波」から勧請された分社にすぎない。
なぜなら、古事記神話の神名が付く神名延喜式内社がほとんど存在しない。
一方、徳島は古事記神話の神名が付く延喜式内社の数が他の県に比べると圧倒的に多いことがわかる。
例えば、徳島県の式内社50社のうち19社に古事記神話の神名がついているのに対して、
奈良県は286社のうち3社、島根県の出雲は187社のうち0社である。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外にはどこにも存在しないのである。 @阿波 阿波は天皇女王の居場所ではなく、なにかうまくない事態とかに
天皇女王が使用する尾補欠の地。
但し外国だと四国は格上だから、外国では王扱いはありうる。
例えばマヤの王はアハウという。前に尊称をいれて
キニチ(紀日)・アハウ
という。
四国の『四』にルがあるのは(マヤでは男が一番手、女が二番手で、
女の頬には「ル」の字を入れるのがマヤ文字)中南米とか西欧のことで〜
〜西欧のαが アルハ といって『ル』がアハの語を分断してる。
西欧ではルのある先頭文字が「α」だ。
むこうでは先頭に位置できるが、神国日本では二名島の尾誇欠の二番手。
つまり天皇女王の本拠地ではない。 式内社以外でも、徳島県の神社の祭神はほとんどが古事記神話の神である。
この事実からも、古事記神話は倭国(阿波)で起きたことを記した記録なのである。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外にはどこにも存在しないのである。 @阿波 阿波の式内社の特徴
一つ目の特色は、日本の国造りの根幹に関わったとされる神を祀る神社が多いことです。
二つ目の特色は「欠史8代」の天皇に関わる登場人物をご祭神とする神社があることです。
三つ目の特色は、以上のほかにも記紀神話に登場する方をご祭神とし、神様の名前そのままを冠した神社が多いことです。 @阿波
https://yottyan.blog.ss-blog.jp/2011-10-26 自説を証明するものがなにも無い、屁垂れどもが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 自説を証明するものがなにも無い、屁垂れどもよ。。 そんなんでどうやって阿波説をぶった切ると言うんだ?
身の程を弁えよ! 自説を証明するものがなにも無い、屁垂れどもよ。 わははははは @阿波 >>899
>>900
おじいちゃん、ご飯はさっきたべたでしょ。 >>901
自論が無い、評論家気取りのほら吹きよ。 そんなんでどうやって阿波説をぶった切ると言うんだ?
身の程を弁えよ! 評論家気取りのほら吹きよ。 わははははは @阿波 ほら吹きやろうにほら吹きと言われるこの不条理・・・。
@阿波氏は何がしたくて、どこを目指しているのだろう???
徳島のネガキャンが目的なのか?
2 自説を証明するものがなにも無い、屁垂れどもが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 徳島市 「金山神社・立岩神社」
「八尺(やあた)の鏡はこの地で作られた」
ご存知のように日本の皇室に代々伝わる『三種の神器』とは、
『天叢雲の剣(草薙の剣)』、『八尺の鏡』、『八尺(やさか)にの勾玉』をいうが、
その神器のひとつ『八尺の鏡』の製作地はこの神社であるという伝承がある。
その背景には、銅鐸や銅鏡の出土が多く「たたら跡」と見られる史跡もあるこの地区が
「日本の治金技術発祥の地」ではないかという説がある。
見渡すと周辺にも「金谷」、「多々羅(古来、精錬所のことを『たたら』という)」、「八田(八尺)」という地名が残り、
まさにこの「金山神社・立岩神社」の鎮座地自体も『多家良(たから)』というそのまんまの地名。 @阿波 徳島市 「金山神社・立岩神社」
「八尺(やあた)の鏡はこの地で作られた」
ご存知のように日本の皇室に代々伝わる『三種の神器』とは、
『天叢雲の剣(草薙の剣)』、『八尺の鏡』、『八尺(やさか)にの勾玉』をいうが、
その神器のひとつ『八尺の鏡』の製作地はこの神社であるという伝承がある。
その背景には、銅鐸や銅鏡の出土が多く「たたら跡」と見られる史跡もあるこの地区が
「日本の治金技術発祥の地」ではないかという説がある。
見渡すと周辺にも「金谷」、「多々羅(古来、精錬所のことを『たたら』という)」、「八田(八尺)」という地名が残り、
まさにこの「金山神社・立岩神社」の鎮座地自体も『多家良(たから)』というそのまんまの地名。 @阿波 この精錬伝承の中心となっているのが、『金山神社』と『立岩神社』の両神社である。
金山神社は鍛冶の神である金山毘古(かなやまびこ)神を祀り、
その境内の中に高さ7m幅4mの日本一の巨大陽石(と掲示されている)をご神体とする『立岩神社』が鎮座する。
この巨石は『天津麻羅(あまつまら)』を祭神とし、素朴に男性を象徴しているが特に通俗的な信仰はない。
古事記には「八尺の鏡は天の金山の鉄をとりて天津麻羅を求ぎて伊斯許理度売命(いしきりどめのみこと)に科せて鏡をつくらしめ」
という記述があり、これがこの地が八尺の鏡製造地であることを裏付けている。
なお、ここより直線で13キロ西には神山町の『立岩神社』があり、
ここには高さ20m幅20mの女性器を象徴する巨石があり、古来より「天の岩戸」と称されている。 @阿波 自説を証明するものがなにも無い、屁垂れどもが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 〇阿電波説を証明するものがなにも無い、俺の屁垂れ大ケツが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿電波」の熱象暴造を世間に教えましょう! わははははは @阿電波 >>895
え!たった50しかないの?持統朝まで王都だったのに?
その神社名に神名ってのはタケミナトミという恥ずかしい名前も入ってるの?
祭神が記紀の神か?ではなく、
神社名に神名が入ってるからどうだとか意味がわからない。
逆に他所の神様を勧請して来ました感がある。
立地の問題もあるけど分祀された佐古の諏訪神社は大人気で
元社のタケミナトミ神社は人気がなかったとか。
神には代名詞があるんよ。タケミナカタはお諏訪様。そっちの方が有名。
大物主は三輪とか金毘羅だろ?兵庫県に大物主神社があるけどオオタタネコの
子孫が持っていったものだからね。
その神を知らない土地に勧請した場合には祭神名を社名に掲げるとも考察できる。 >>911
だから何だ?
自説を証明するものがなにも無い、屁垂れどもが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 俺の神武東遷説には記紀と三輪山、
そして大嘗祭の食事が徳島産である事実が有ればほぼ十分。
どこがどうおかしいか説明してもらえますか?
たまには逆もいいでしょうか? 〇阿電波説を証明するものがなにも無い、俺の屁垂れ大ケツが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿電波」の松沢病院を世間に教えましょう! わははははは @阿電波 >>914
>俺の神武東遷説には記紀と三輪山、
それだけではなんのことか分らん。 @阿波 バカだから何でもコピペしてくる。
天津麻羅と男根崇拝は関係ない。ラジオでもキモい事言ってがw
阿波論者は素人より知識が少ないんだよ!
天津麻羅は倭の鍛師等の祖、天津真浦(あまつまうら)
その名の語源は
1、「マラ」は「目占(めうら)」すなわち片目の意で、鍛冶が鉄の色でその温度をみるのに片目を
つぶっていたことから(または鍛冶の職業病である)とする説
2、「マラ」は蒙古語の鉄の意であるとする説
3、鍛冶に必要な槌を男根にみたて、男根の別称「マラ」を神名としたとする説
(ただし、摩羅(まら)という言葉は仏教と共に日本に入ってきたものであり、
男根の別称とされたのはさらに時代が下るものであるので、この説は後世の附会である) >>848
こう言う嘘を平気で書く。息を吐くように平気で嘘をつく、かの民族のよう。
阿波人は平気で祭神をすり替えるから神社の記録も信用できない。ソースは以下。
★祭神すり替え例
允恭天皇を全国で唯一、お祀りしていたと謂われる「允恭天皇神社」
縁起には、『御祭神は土御門院天皇』と書かれているw
扁額には、「天皇神社」「護穀神社」とあり、
牛頭天王こと素戔嗚とその娘、宇迦之御魂(稲荷)を祀っているのは明白w
允恭天皇の名はどこから出てきた?そりゃこんな神社は
日本中探しても阿波にしかないよwww
○チガイの代名詞「阿波」 皇国の恥 もはや、朝敵。
http://goutara.blogspot.com/2011/03/blog-post_06.html
妄想を書くにしてもソースくらい書けよカス。この嘘つき民族め!! >>918
だから何だ?
自説を証明するものがなにも無い、屁垂れどもが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 >>916
俺の東遷説はテンプレ>>27-28だよ。
阿波説に関係ない事はかなり省いているが。
阿波説よりはマシなはず。 >>920
記紀を一所懸命参照するのもよいが、それを裏付ける遺跡・古神社など無いと、単なる妄想。 @阿波 >>918
あれ!?コピペしたのは俺じゃないよ。
だが、今スレ最大の爆弾ではあるなw
こいつの破壊力は阿波人の特性を世に示すに十分過ぎるだろう。 >>921
御諸山(三輪山)が唯一無二の証拠さ。
奈良は阿波ほど田舎じゃない。
遺跡が壊されまくってるのは説明済みなんだがね。 >>923
>御諸山(三輪山)が唯一無二の証拠さ。
それ、奈良遷都後に「阿波」を忍んで名付けた山だ。 そこらへんにあるものは、すべて祖国「阿波」を忍んで真似たもの。 @阿波 東四国と畿内は合せ鏡かと思うほど地名が一致
山城、伊賀、大阪、河内、勝浦、白浜・・
赤石駅は明石だろな 堂堂巡りじゃないか。阿波に三輪山はない。
でっち上げてもダメだ、三輪山の名が消える訳がない。
むしろ、三輪の地名は全国に広まって増えていると言うのに。
額田王が遷都で見えなくなる事を悲しんだ三輪山。
蝦夷が天皇への忠誠を誓った三輪山。
ま、認めないんだろうけどw あわわわわ
阿波説では蝦夷はどこから来てどこの山に忠誠を誓ったのかねw >>923
奈良三輪山は、奈良遷都後に「阿波」を忍んで名付けた山だ。 そこらへんにあるものは、すべて祖国「阿波」を忍んで真似たもの。 @阿波 〇阿電波説を証明するものがなにも無い、俺の屁垂れ大ケツが焦っています。
さあ、この良スレを使って、どんどん「阿電波」の真性豆脳を世間に教えましょう! わははははは @阿電波 忌部の郷の「伊加賀志神社」は朝廷から「大明神」の称号を送られている。 @阿波
延喜式式内社「伊加々志神社」
https://sueyasumas.exblog.jp/10039623/ それとも小松島に出雲大社あるが、大社を名乗ってるくらいだから
こっちが元宮? >>931
>皇太子が来た八桙神社が出雲大社の元宮なん?
「杵築大社(出雲大社)」な。 @阿波 物部氏の本拠地は、
「物部氏」「蘇我氏」「葛城氏」の祖神とされている「伊加賀志許賣命・伊加賀色許雄命」が
日本で唯一、祀られている阿波國旧麻殖郡である。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外にはどこにも存在しない。 @阿波 さあ、この良スレを使って、どんどん「阿電波」の真性豆脳を世間に教えましょう! わははははは @阿電波 さあ、この良スレを使って、どんどん「阿波」の真実を世間に広めましょう! わははははは @阿波 忌部の郷の「伊加賀志神社」は朝廷から「大明神」の称号を送られている。 @阿波
延喜式式内社「伊加々志神社」
https://sueyasumas.exblog.jp/10039623/
延喜式内明神大社
・天石門別八倉比売神社(社名自体が荘厳だね)
・一宮神社
・上一宮大粟神社 〇阿電波説を証明するものがなにも無い、俺の屁垂れ大ケツが焦っています。
さあ、この良スレを使って、松沢病院「阿電波」の真性豆脳を世間に教えましょう! わははははは @阿電波 @阿波氏は自分でフィールドワークを行っておらず、書物やウェブなど人の話の受け売りばっかりなので、ネット番長と化しちゃったんでしょうね。 「天岩戸別神社」は徳島県名東郡佐那河内村上字牛木屋に鎮座し、ご祭神「手力男神」が祀られている。
この神(「手力男神」)は「古事記」に天岩戸を開けた神として書かれ、「佐那那縣(さなながた)に座す」と書かれている。
佐那河内村は、古く「佐那県(さなのあがた)」と称されたと村史に書かれ、古事記と一致する。
さらに、西に山を越えると神山町に「天岩戸立岩神社」があり、
徳島市には式内社の「天石門別矢倉比賣神社」と「天岩戸別豊玉比賣神社」が鎮座する。
これらの関連から、天孫降臨の地が、「阿波」であると言わざるを得ない。 @阿波 阿波さん、
天皇家は、何氏とかはやはりないんですよね?
当時から天皇家と呼ばれてたんですか?
オオゲツヒメ・アマテラスオオヒルメムチさんのご子孫ということでいいんですよね?
何故旦那さんの名前が以後日本史にほとんど登場しないのか、本当に気になります。
隠された神なのかな? >>939
「阿波」の郷土史家は、評論家気取りのお前なんかとは、雲泥の差だ。 郷土に後足で砂をかける、売郷奴め。 @阿波 これは、悪霊達の知りたいことでも有り、
また、私が聞きたいことでもあります。
私の奇魂の陰、好奇心の陰に、悪霊が住み、それらを利用されています。
そういうときは、和魂を意識し、広げていけば、
なにか悪霊たちを払拭できるようですが・・・ それから、高松市林町の「天皇」は住宅地図には載ってないけど、国土地理院の地理院地図には載ってたわ。
後、高知県に一か所、愛媛県に二か所有る。住居表示の関係で、小字まで載ってない地図が多くて困ったもんだね。 一霊四魂
荒御魂が最優先
四魂のバランス
これらを全て磨き切るのは偉人だけではあるんだが、
ご自分の修行のひらめきにしてくれると嬉しい 徳島新聞 平成29年12月3日朝刊
阿南市長生町宮内の「八鉾神社」が所蔵する平安時代の書物「紙本墨書二品家政所下文附紺紙金泥法華経八巻」(国指定重要文化財)
の金泥文字に「真鍮」が含まれていることが、修繕に伴う科学調査で判明した。
平安時代の「真鍮」の使用が明らかになったのは国内3例目で、同時代の使用を裏付ける貴重な資料になりそうだ。 @阿波 ヤクルトが勝ちきれねえなあ
まあ、今の所がっぷり四つの日本シリーズ 徳島県の北部が邪馬台国「粟国」で、南部が狗奴国「長国」。
阿南市長生町宮内の「八鉾神社」
祭神の「大己貴命」は狗奴国「長国」の祖神である。
「大国主命」には多くの別名があって、「大己貴命」も「八桙神」その別名。
この「八桙神」の名が付いた「八桙神社」は、全国の式内社神名帳のなかで、阿波國阿南市長生町の一社のみしか存在しない。
まさに「大国主命」は、阿波の狗奴国「長国」が出身地だったのある。 @阿波 国土地理院の2万5000分の1地形図を眺めていた気が付いたことを一つ。
紙の地図の特性上仕方ないんだろうけど、結構おおざっぱw
黒谷川郡頭遺跡のある、板野町大寺字山田畑は載ってないし、
旧吉野川の対岸に、「大寺新田」「川端新田」とある、これ、地元の人なら分かるし、普段も使うんだけど、
正式な住所には存在しない。
大寺新田は、板野町大寺字大向と、大向北
川端新田は、板野町川端字南川岸、鷭ケ須、蛭子野、鶴ケ須、鶴ケ須、中手崎、手崎、萱野、島中須
のそれぞれの地域の事。
しかし、町内では、大寺新田、川端新田の二つをまとめて「新田」でも大体通じてしまうという、ちょっと不思議な慣例が有ります。 自説を証明するものがなにも無い、屁垂れどもよ。。 そんなんでどうやって阿波説をぶった切ると言うんだ?
身の程を弁えよ! 自説を証明するものがなにも無い、屁垂れどもよ。 わははははは @阿波 >>949
自論が無い、評論家気取りのほら吹きよ。 そんなんでどうやって阿波説をぶった切ると言うんだ?
身の程を弁えよ! 評論家気取りのほら吹きよ。 わははははは @阿波 阿電波よ
ウハハハ・・・・・
クリンチはいいから、板野ゴロツキをダウンさせろ。ww 徳島県の北部が邪馬台国「粟国」で、南部が狗奴国「長国」。
阿南市長生町宮内の「八鉾神社」
祭神の「大己貴命」は狗奴国「長国」の祖神である。
「大国主命」には多くの別名があって、「大己貴命」も「八桙神」その別名。
この「八桙神」の名が付いた「八桙神社」は、全国の式内社神名帳のなかで、阿波國阿南市長生町の一社のみしか存在しない。
まさに「大国主命」は、阿波の狗奴国「長国」が出身地だったのある。 @阿波 ...だったら良いな、楽しいな、ぐらいで留めておくことは出来ないのかな? 3,132座の式内社の中に、
八鉾神社や事代主神社・多祁御奈刀祢神社 等の国譲りに遣わされた神達を祀る神社は、阿波にしかない。
この事実から、国譲りの地が、「阿波」であると言わざるを得ない。 @阿波 畿内九州の1%すら掘ってないのに色々出てるよ
100%掘ったらワクワクする
畿内九州からしたら怖いだろね 歴史なんて変わるかよw
それよか捏造とか由緒書替をやめろ。話はそれからやろ。 捏造とか書き換えとか、しきりに言う>>962が、一番恐れている証拠。 一番真実だと確信している裏返し。 わははははは @阿波 八鉾とは八千矛神(やちほこのかみ)。 出雲の主であり、長(おさ)である大国主神のこと。
大国主神の別名、大己貴神は、長国の偉大な主を意味している。
大国主神は、スサノオ命の子孫で、稲羽の素兎の物語で有名である。
オオクニヌシは、兄さん達から大きな袋を持たされる等、色々のいじめを受けたが、
それらの試練を乗り越え、出雲国を治める立派な人となった。
オオクニヌシの子供にコトシロヌシ(えべっさん)と建御名方神(たけみなかたのかみ)がいる。
コトシロヌシは、式内社の事代主神社として、勝浦町沼江と阿波市市場町伊月に祀られ、
タケミナカタは、式内社の多祁御奈刀祢神社として石井町浦庄字諏訪に祀られている。 @阿波 >>937
加賀色許売の父は饒速日5世孫、大綜麻杵命。
母が高屋阿波良姫。
阿波良姫は出自詳細不明だが阿波の人なんだろう。
加賀色許売は阿波で育った可能性はある。
大綜麻杵命が阿波に妻問してるわけで大綜麻杵命が阿波の出じゃない。
弟の伊香色雄は肩野物部の祖で本貫地は大阪府交野市と枚方市
であって、饒速日神の降臨地哮が峰の西側麓になる。
【枚方市伊加賀】という地名まで残ってるんだから諦めが悪すぎる。 >>965
>【枚方市伊加賀】という地名まで残ってるんだから諦めが悪すぎる。
根拠は、後付けの地名だけか? そりゃ、虫が良すぎるぞ。 お前こそ、諦めが悪すぎる。
畿内説信者は、奈良遷都後の祖国「阿波」を忍んで真似たものにすがり過ぎ。 @阿波 >>948
九州の北部が「邪馬台国」で、奈良が「虚空見日本国」
奈良桜井の「大神神社」
祭神の「大物主」は、神武皇后の父で数多くの氏族の祖神である。
「大物主」には多くの別名があって、「大己貴命」も「大国主」その別名。
「大神」と書いてオオミワと読ませる「大神神社」は、山自体を神体とする最も古い形式の祀り方である。
まさに「大物主」は、神話に見える
『時に、神しき光海に照して、忽然に浮び來る者有り。
曰はく、「吾は日本国の三諸山に住まむと欲ふ」』である。 @スレ主 >>967
根拠は、日本書紀作成の後付けの捏造神社だけか?
阿波説信者は、都落ちを忍んで真似たものにすがり過ぎ。
捏造神社にたより過ぎ。
允恭天皇を全国で唯一、お祀りしていたと謂われる「允恭天皇神社」 www >>968
>九州の北部が「邪馬台国」で
まったく、根拠を示さず。 却下! @阿波 3,132座の式内社の中に、
八鉾神社や事代主神社・多祁御奈刀祢神社 等の国譲りに遣わされた神達を祀る神社は、阿波にしかない。
この事実から、国譲りの地が、「阿波」であると言わざるを得ない。 @阿波 >>968
>曰はく、「吾は日本国の三諸山に住まむと欲ふ」』である。
この「三諸山とは、
畝傍山=津の峰山(阿南市)
耳成山=中津峰山 徳島市と勝浦町との境界地
天の香具山=日の峯山(籠山かごやま) 海が間近の小松島市
「住まう」ところが、小松島。 @阿波 >徳島県の北部が邪馬台国「粟国」で、南部が狗奴国「長国」。
まったく、根拠を示さず。却下!
>この「三諸山とは、
>畝傍山=津の峰山(阿南市)
>耳成山=中津峰山 徳島市と勝浦町との境界地
>天の香具山=日の峯山(籠山かごやま) 海が間近の小松島市
まったく、根拠を示さず。却下!って言うか捏造w >>971
すまぬが誰か意味のわかる日本語にしてくれんか? だいたい『阿波古事記』とか言っといて
神社を羅列されてもな〜。神社は捏造できるし。 >>975
>だいたい『阿波古事記』とか言っといて神社を羅列されてもな〜。
古事記・日本書紀に登場する神々が、「阿波」にだけ、揃って祀られている。
「建御名方神」は、阿波國名方郡式内社「多祁御奈刀弥神社」 御祭神 建御名方命
「武甕槌神」は、阿波市式内社「建布都神社」 御祭神 武甕槌神
「事代主命」は、阿波市式内社「事代主神社」 御祭神 事代主命
式内社「多祁御奈刀弥神社」・「建布都神社」・「事代主神社」が全国で唯一、倭国(阿波)にだけ在ることから
「建御名方神」・「武甕槌神」・「事代主命」は倭国(阿波)の人物だったということ。
事程左様に、記紀に登場する神々が、「阿波」にだけ揃って祀られている。 @阿波 国譲りに遣わされた神達を祀る神社は、阿波にしかない!
そうか!高天原は阿波にあったんだ!
・・・でしょ。 >>974
3,132座の式内社の中に、
八鉾神社や事代主神社・多祁御奈刀祢神社 等の国譲りに遣わされた神達を祀る神社は、阿波にしかない。
この事実から、国譲りの地が、「阿波」であると言わざるを得ない。 @阿波 >>978
高千穂は天降(あまくだ)った所だから、少なくとも宮崎県高千穂のような高い山地ではなく、麓・平地である。
そして、豊かに稲や稗などが稔るところを指す。
高天原=四国山地(神山・木屋平村)
高千穂=大河吉野川中流域(美馬市・阿波市一帯) @阿波 私見では
素戔嗚=布都斬御魂
大物主=事代主=武甕槌神(建布都・豊布都)=布都御魂
饒速日=天火明=別雷神=布留御魂
建御名方神=天八現津彦=長髄彦
なので、うーん。逆にそろってる方がおかしいんだが・・・。
揃ってるからどうとは言えないと思うんだがね。
勧請ってものが存在しなければ良いのだが。
神話では敵対関係の武甕槌と建御名方。阿波での配置が変でないか?
阿波説の邪馬台国と虚空見日本国と出雲国その他の配置図をくれ。 >>980
吉野川流域は稲作に適してなかったから、
「豊かに稲や稗などが稔るところ」は吉野川流域じゃなくて、隣の讃岐になるんじゃね〜の?
・・・知らんけど。 阿波説の邪馬台国と虚空見日本国と出雲国その他の配置図をくれ。
って言うか今まで出して来ない方がおかしくね?
いつものようにURLをくれたらいいんだよ。 >>983
>阿波説の邪馬台国と虚空見日本国と出雲国その他の配置図をくれ。
配置図だ? 贅沢言うな! 地図広げろ。 @阿波
「邪馬臺国」は、大河吉野川全流域両岸
饒速日命の虚空見日本国は、大河吉野川中流域北岸
出雲国は、「狗奴国」阿南市周辺 >>984
おかしい。虚空見日本国は邪馬台国に囲まれているのか?
大御和神社の位置がおかしいぞ。何だこれ。人を舐めてるのか?
お前オリジナルではなく阿波国古代研究所の阿波説の地図をよこせ。
こっちは土地勘がねーんだよ。
きっと、出したら成立しないんだろう? 諏訪の元社があるとすれば長国(ながのくに)でないとおかしい。
多祁御奈刀祢神社(たけみなとみ)とか言う
とても恥ずかしい名前の神社が諏訪大社の元社であるはずがない。
考える必要もなく数秒でわかる事じゃないか?
これは傑作だ。ただの神社コレクション自慢じゃないか。まさに亜倭。
こんなの信じるのは、小学生以下の脳しかないだろう。 >>985
>おかしい。虚空見日本国は邪馬台国に囲まれているのか?
「邪馬臺国」の一地域だ。
>大御和神社の位置がおかしいぞ。
なんでや? 「阿波」の内だ。 @阿波 >>986
>諏訪の元社があるとすれば長国(ながのくに)でないとおかしい。
元社は、長国 阿南市長生町宮内の「八鉾神社」 だ。 @阿波 >>986
国譲りしたので、長国を離れ、粟国へやって来た。 @阿波 >>986
>多祁御奈刀祢神社(たけみなとみ)とか言う
>とても恥ずかしい名前の神社が諏訪大社の元社であるはずがない。
国譲りしたので、長国を離れ、粟国へやって来た。 @阿波 このスレッドは1000を超えました。
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