【阿波国古代研究所】倭は阿波説をぶった切る!2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
邪馬台国阿波説なんて言うはハハハッと笑って見過ごせそうなものですが
『阿波古事記』や『阿波国風土記』などで検索すると阿波国こそが倭国であり
【邪馬台国から持統天皇までの出来事は全て阿波で起こった事】
であると、とんでもない電波を飛ばす阿波国古代研究所なる団体があります。
また、別の個人ブログでは【地名や伝承の捏造】も行っています。看過できません。
阿波説の出してくる資料は全て捏造ネタです。
825年 空海 「磯輪上乃秀真国之阿波国也」
これもやはり阿波説ブロガーたちの捏造だった。 ↓ハテナはアルファベットに
https://awa-otoko.ハテナblog.com/entry/2015/05/16/182951
https://阿波古代史.xyz/category1/entry10.html
太龍寺縁起には正しくは、こう書かれている。
『天神七代之内六世、面足尊煌根尊降居坐磯輪上、秀真国是也』
そして、本州、そして四国の紹介となり 『三云、大宜都比売、是阿波国也』
神世七代の第6代の神、【面足尊、と妹の惶根尊=秀真国】 【大宜都比売=阿波国】
捏造糞民族、国賊、朝敵阿波人。皇国から消えてなくなってほしい。
はずかしくないの?本当に、良心が傷まないの?馬鹿なの?死ぬの?
バレてもバレてもおかまいなし、倭は阿波、阿波は倭を繰り返し、全く無意味な主張を続けるのです。国譲り、乙巳の変、壬申の乱・・・これら全てが阿波で起こったと言うのです!
信じられますか?飛鳥の蘇我入鹿公の首塚もわざわざ阿波から移転したのでしょうか?
誰が何の為に?奈良・大阪の巨大古墳群に関しては阿波の分家が王家より巨大な墓を作るという明らかに矛盾した内容ですが、これらには全く答えようともせず、倭は阿波、阿波は倭を繰り返すのです。
執拗にスレ流しをする奴がいるのでまたやります。
前スレ【阿波国古代研究所】倭は阿波説をぶった切る!
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1636244926/
では、彼らの主張を見ていきましょう。
阿波国風土記自体は現存しませんので、萬葉集註釋いわゆる「仙覚抄」の引用からです。 >>212
>両岸に特異な集落遺跡がありおおよそ一般的な民衆の住むような土地ではなく
えらい飛躍した決め付けだな。 わははははは @阿波 >>223
根拠が捏造の阿波説に言う資格なし。>>47-50 『和名抄(わみょうしょう)』(平安時代)によれば、香川県(讃岐)の水田面積は18,647ヘクタール、
対して徳島県(阿波)のそれは3,414ヘクタール(このうち 那賀(なか)郡の水田が半分以上を占めていたと思われる)。
ちなみに香川県の面積は約1,883平方キロメートル、徳島県は約4,146平方キロメートル。
阿波は、讃岐の2倍以上の広さでありながら、水田面積は5分の1以下しかなかったことになります。
https://www.maff.go.jp/chushi/kj/yoshino/3/1.html 〇俺はいつもえらい飛躍ダンボした盲象決め付けだな。わははははは @阿電波 阿波(あわ)一国を与えられた 蜂須賀(はちすか)氏は、入国早々、阿波の検地にとりかかりました。
さぞかし驚いたことでしょう。わずか数千haという水田の少なさ。さらに、名に負う吉野川の暴れぶり。
江戸初期1659年から幕末1868年までの200年間、この川の洪水は約100回。2年に1度という計算になります。
おそらくまだ当時、吉野川の下流平野はおびただしい数の派流が流れる一大氾濫原だったのでしょう。
左図は寛永(かんえい)15年(1639)の絵図の写しといわれていますが、現在の吉野川とは著しく様子が異なっています。
確かに水田が少ないのもうなずけます。この大氾濫原が2年に1度の割で洪水に襲われるとしたら、農民はたまったものじゃありません。
特にこの地は台風の通り道ですから、半年かけて育てた稲が収穫できるかどうかは、博打のようなものです。
https://www.maff.go.jp/chushi/kj/yoshino/3/3.html >>224
これも捏造なんだろ? わははははは
↓
「阿波は鉄器鍛冶王国」
阿波は、遺跡発掘が少ない発掘後進県にも関わらず、
阿波一国だけで現在、阿波各地10か所もの弥生時代鉄器鍛冶炉遺構が出土している。
「加茂東原遺跡」・「拝原東遺跡」・「光勝院寺内遺跡」・「矢野遺跡」・「名東遺跡」
・「庄、蔵元遺跡」・「高川原遺跡」・「鮎喰遺跡」・「加茂宮ノ前遺跡」・「芝遺跡」
このように阿波は、他地域に見られない最高・最新の文化水準を誇り、まさに「邪馬臺国」に相応しいと言える。 @阿波 >>228
「阿波は鉄器鍛冶王国」
阿波は、遺跡発掘が少ない発掘後進県にも関わらず、
阿波一国だけで現在、阿波各地10か所もの弥生時代鉄器鍛冶炉遺構が出土している。
「加茂東原遺跡」・「拝原東遺跡」・「光勝院寺内遺跡」・「矢野遺跡」・「名東遺跡」
・「庄、蔵元遺跡」・「高川原遺跡」・「鮎喰遺跡」・「加茂宮ノ前遺跡」・「芝遺跡」
このように阿波は、他地域に見られない最高・最新の文化水準を誇り、
まさに「渡りの神の末裔、ヤマト王権を支えた一族(賀茂・葛城)」に相応しいと言える。 >>223
飛躍した話ではなかったようだぜ。>>225 >>227 >>225
平安時代の水田面積なんか出してきて、なにが言いたいんだ? とちくるったのか? 阿波のはじかれ者よ。 >>227
江戸時代の吉野川河口がどうかしたのか? どのみち、その辺は弥生時代は海なんじゃないのか? @阿波 阿波のはじかれ者 ⇒ 捏造などはせずに正常な判断ができる者 >>235
これも捏造なんだろ? わははははは
↓
「阿波は鉄器鍛冶王国」 >>234
吉野川の話が出ていましたので参考になればと思い紹介させていただきました。
本題は、
>『和名抄(わみょうしょう)』(平安時代)によれば、香川県(讃岐)の水田面積は18,647ヘクタール、
>対して徳島県(阿波)のそれは3,414ヘクタール(このうち 那賀(なか)郡の水田が半分以上を占めていたと思われる)。
>ちなみに香川県の面積は約1,883平方キロメートル、徳島県は約4,146平方キロメートル。
>阿波は、讃岐の2倍以上の広さでありながら、水田面積は5分の1以下しかなかったことになります。
の方です、なんとなく、わかってはいたつもりでしたが、データで見るとかなりショッキングだったり・・・。 >>237
平安時代の水田面積なんか出してきて、なにが言いたいんだ? とちくるったのか? 阿波のはじかれ者よ。
「卑彌呼」の時代は、大洪水の時代で、灌漑稲作は土砂に埋まって壊滅だから。 水田面積をどうたらこうたら言っても無意味。 @阿波 このへんに、阿波の発展が阻害された原因が隠れているように思います。
『拾芥抄(しょうがいしょう)』(鎌倉時代)、『節用集(せつようしゅう)』(室町時代)によれば、
阿波国(あわのくに)の水田は5,245haと記されており、平安期と比べると2,000haほど増加しています。
しかし開発の大半は南の穀倉地帯・那賀(なか)郡であったと思われます。にわかには信じられないのですが、
資料上、この徳島平野には中世の頃でさえ2〜3,000haほどしかなかったことになります。
https://www.maff.go.jp/chushi/kj/yoshino/3/2.html 平野が少ないので畿内をはじめ各地に移動したんだろ
遷都の決断は地震だろね
災害は戦争より怖い。対処しようがないからな。呪われた土地に感じるだろ
奈良時代は天然痘流行だけで遷都した。怖すぎるからな 単純に言うと、コメが作れないから、人口も増えず、競争力を失い、発展から取り残されたのではないかということです。
灌漑稲作が普及する以前の、陸稲や畑作中心の時代は、他所と比べても、十分な競争力が有りました。 >>239
>このへんに、阿波の発展が阻害された原因が隠れているように思います。
「卑彌呼」の時代は、大洪水の時代で、灌漑稲作は土砂に埋まって壊滅だから。 水田面積をどうたらこうたら言っても無意味。 @阿波 239と240は私です。
ブラウザが名前を憶えてくれなくて、申し訳ありません。 >>240
遷都の決断は白村江の敗戦だ。
地震など、慣れたもんだ。 @阿波 >>244
それは地震のメカニズムがわかった今の考え
当時は人よりも怖い天災
4世紀or7世紀どっちかの地震だろね >>245
天災は地震だけじゃない。 地震で奈良まで遷都はしない! @阿波 国立歴史民俗博物館研究報告 第203 集 2016 年12 月
水害にかかわる環境と
初期農耕社会集落動態
https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&ved=2ahUKEwjlv9Kdw5z0AhUJKqYKHQRGD9QQFnoECAMQAQ&url=https%3A%2F%2Frekihaku.repo.nii.ac.jp%2F%3Faction%3Drepository_uri%26item_id%3D2323%26file_id%3D22%26file_no%3D1&usg=AOvVaw1a9DOXqBY-0xlgtsUM9Mtl
より
同時に,三角州堆積地帯における流水・増水による土砂堆積による地形改変は,人的活動地点を
大きく変えなければならないほどの規模ではないことがわかる。つまり,数百m 範囲の中で,水田
もしくは居住活動などを行うことのできる地点は移動繰り返せば,その地に活動した人間集団は継
続的にその領域で生業・集落形成を続けることが可能なのである。わかりやすく言えば,弥生時代
の中で池島・福万寺遺跡を形成していた集団は,水害を理由としてこの遺跡の範囲内から完全に立
ち去って他の場所に居住地や水田を構える必要はなかったということになる。
このことからも,居住地は移動するが,大規模なテリトリーの移動は不要なことがわかる。上記
河内湖南岸遺跡群での筆者の分析や,大庭氏による亀井遺跡周辺での弥生集落・水田展開の分析の
結果は,池島・福万寺遺跡で観察されるような遺跡形成環境およびに起因することがわかる。と同
時に,中・長規模の居住集団がそれぞれに隣接した水田経営を行うことを基本とする土地利用形態
を基本とする日本列島の平野部初期農耕社会においては,水害による領域放棄は起こりにくかった
ことが想定できる。
このように考えると,低湿地で,ある集団の居住域と生産域(特に水田)が,壊滅的に打撃を受
け,領域の放棄や一つの人間集団の壊滅といった現象がおこることはあるのかという疑問が生じて
くる。日本列島における初期農耕社会は,水害の影響を大きく受けないような構造の上に成立して
いると考えておくのが良いのではないか。 四国は地震と津波のWパンチで壊滅した
明日、明後日、来週・・またやってくるかと思うと、もうとてもでないが住めないって
どこか安全な場所へ行くのは当然 >>248
>どこか安全な場所へ行くのは当然
わざわざ奈良盆地へ行く理由はなんや? @阿波 以下の論を信じるとすれば、古代の吉野川流域は、人口の増加・集落の発展を望めない立地だったという、
残念な結論が導き出されます。
>中・長規模の居住集団がそれぞれに隣接した水田経営を行うことを基本とする土地利用形態
>を基本とする日本列島の平野部初期農耕社会においては,水害による領域放棄は起こりにくかった
>ことが想定できる でかさにビビるばかりじゃなくて、この両岸に特異な集落遺跡が、川上から川下までずらっと並んで存在するんだよね。
圧巻である。 @阿波 >>246
>天災は地震だけじゃない。地震で奈良まで遷都はしない!
何で阿波に王都があったていで話をしてるんだ?それはあり得ないだろ?
阿波の技術集団が逃げた先は奈良とは限らん。
阿波に残ったカスはかなり記憶力がないと見える。
神社の名前すら正しく伝えられないものな。 >>162
やっぱりな。 もやっとした妄想を言ってるだけかw つまらん奴。
別に苦労なんかせんでも、鮎喰川下流域の集落群が盟主国(女王国)だ。
遺跡が証明してくれる簡単な話。 わははははは @阿波 >>256
有り得ない。地名ネタはほぼ捏造だし記紀と整合性が全くない。
根拠がまるでない。遺跡はあっても証拠にはならない。
それは、忌部一族のもので王族のものではない。遺跡は名を語らない。
見ないふりして、あり得ない論にしがみつくのは畿内説に連中同じだね。 >>257
で、九州に一体なにがあるんだ? わははははは @阿波 九州にあるのは、妄想とねたみだけ。 わははははは @阿波 >>258
記紀との整合性がある。
祇園山古墳、平原遺跡、三雲南小路遺跡、板付遺跡
野方遺跡、須玖岡本遺跡、今宿五郎江・大塚遺跡
吉野ヶ里遺跡、千塔山遺跡、七ヶ瀬遺跡、里田原遺跡、
富の原遺跡、寄神貝塚 1数が証明してくれる尾補欠が2名話。 わははははは @阿電波 阿波にあるのは、盲象と末座の大ケツだけ。 わははははは @阿電波 もう、捏造はバレているのだから無駄な話はやめよう。
それより捏造を始めた阿波人が何を思っていたかだ。
伊豆毛の国の伯母御の宗女、御年十三ならせます、こくちは壱字とおたしなむ
何で伊豆毛の国なんだ?邪馬台国をそのように理解していたのか?
ヤマト国ではなくヤマイ国と思っていたのか?
その、ヤマイ国をなぜ阿波に関連付けしようとしたのか?
この議題の方が面白いだろう? 阿波さんにシンプルな質問。
なぜ男王国じゃなくて、女王国なの? >>263
九州にあるのは、妄想とねたみだけ。 わははははは @阿波 〇阿波にあるのは、盲象と末座の大ケツだけ。 わははははは @阿電波
↓
〇阿波にあるのは、盲象と松沢の病ケツだけ。 わははははは @阿電波 >>264
なるほど、鋭い!
@阿波よ、質問来てるぞ。「なぜ男王国じゃなくて、女王国なの?」
だ、そうだ。
スレ主、@阿波、太国氏、バイト、
以外のありがたき書き込みだ、早くお答えしてくれ。 >>269
>なぜ男王国じゃなくて、女王国なの?
なにがだ? @阿波 ちなみに日本中の残っている記録で女王の記録が存在するのは皇室だけです。
(最も、他の王朝、地方王朝の記録は残ってないと思われますが。) 女神は四国だけ
素直に解釈すれば四国が女王国
簡単な話 徳島は女社長の割合が日本一
卑弥呼の末裔だからか阿波女はやたらリーダーシップがある
そして女がリーダーになっても足を引っ張らない風土
男尊女卑の九州では無理 阿波は遺跡を全然ほってないし、宮跡には寺や神社が建ってるし
人が住んでたりする >>277
遺跡の上に人が住んでたり、お寺や神社が建っていたりって、
日本ではごく普通です。
阿波にって限定するような物では有りません。 >>162
やっぱりな。 もやっとした妄想を言ってるだけかw つまらん奴。
別に苦労なんかせんでも、鮎喰川下流域の集落群が盟主国(女王国)だ。
遺跡が証明してくれる簡単な話。 わははははは @阿波 >>278
「阿波」に限定。
「其山有丹」=「若杉山辰砂採掘遺跡」 @阿波 〇阿波にあるのは、盲象と末座の大ケツだけ。 わははははは @阿電波
↓
〇阿波にあるのは、盲象と松沢の病ケツだけ。 わははははは @阿電波 丹=朱→侏 阿波は侏儒國じゃないか。天日鷲=少彦名
丹は赤土説もあるし、ぜんぜん限定じゃない。
「出真珠青玉」青玉って翡翠かサファイアやろ?阿波で出るんか?
それにこの文章が女王国を指してるのか倭地の全体をさしてるのか
はっきりしないように思えるが。
「倭地は温暖にして、冬夏生菜を食す〜
って言うか捏造の阿波説はもう終わったのに何言ってる?
阿波には鉱山がある。認められる事実はそれだけ。
三輪山も、不破道も何も無い。
阿波説から捏造を差し引いたら鉱山と遺跡が残ったって事。 「弥生人にとって、阿波はまさにパラダイス」
南四国は、温暖な黒潮流れる太平洋に面し、漁労・航海術が発達、内陸は高温多雨による森林資源に恵まれ、
一方、希少価値の高い鉱物にも恵まれている。
また、吉野川を始めとする、いくつもの大河が流れ、大河流域には、広範に肥沃な土壌の恵みを与えている。
南四国に大国「邪馬臺国」・「狗奴国」・「投馬国」が興るのも当然と言えば当然。 @阿波 奈良大和へ遷都した大和朝廷は、故郷「阿波」を「常世の国」と崇め懐かしんだ。 @阿波 阿波がパラダイスなら、忌部一族は畿内や房総へ進出する必要はなかったでしょう。
現実から目をそむけてはダメですよ。 >>286
人間の本能だな。 わははははは @阿波 >>286
お前が必死に否定しても、「弥生人にとって、阿波はまさにパラダイス」 。 わははははは @阿波 高千穂は天降(あまくだ)った所だから、少なくとも宮崎県高千穂のような高い山地ではなく、麓・平地である。
そして、豊かに稲や稗などが稔るところを指す。
高天原=四国山地(神山・木屋平村)
高千穂=大河吉野川中流域(美馬市・阿波市一帯) @阿波 縄文人のとってはまさに阿波はパラダイスだったのかもしれないが、
稲作に不適な阿波(粟)は、もはやパラダイスとは言えない。
近隣の讃岐や、畿内、遠く離れた房総への大冒険と、脱阿波の強い動機の根源は何だったんだろうね。 天孫降臨を、弥生時代に起きた出来事ととらえるから、物事を見誤るんだよ。
天孫降臨の神話が示唆しているのは、縄文文化から弥生文化への移行だと考えると、
すんなりと理解できる。 「弥生時代終了までイネに替わり、アワ・キビ・ヒエなどが主流」 @阿波
弥生時代前期末から中期初頭(2400年〜2300年ほど前)にかけて、
西日本一帯で発生した大洪水により、灌漑水田稲作は壊滅である。
この洪水被害は大規模かつ広域的なもので、
京都盆地や奈良盆地、岡山平野、博多平野、濃尾平野など広く西日本一帯で確認されている。
その大洪水により、阿波においては弥生時代中期初頭には各集落が小規模化し、
一部で「大柿遺跡」の棚田がみられるが、
縄文的な生業と地域社会へ回帰するような様相をみせる。
弥生時代前期中葉に大規模化した灌漑水田稲作経営は、災害の影響もあって一段落したものと考えられている。
土器の植物種実圧痕観察(レプリカ法)により、弥生時代終了までイネに替わり、
アワ・キビ・ヒエなどが主流であったようだ。
徳島大学大学院 准教授(当時) 中村 豊氏 >>290
古今東西、人間の本能だな。 わははははは @阿波 >>291
>天孫降臨を、弥生時代に起きた出来事ととらえるから、物事を見誤るんだよ。
天孫降臨を、弥生時代に起きた出来事と限定しているのは、お前! わははははは @阿波 >>292
その説、すでにちょっと古い説ですよ、しっかりしてください。 〇俺が必死に宣電しても、「落士号の俺にとって、阿波はまさに大ケツ屁媛」 。
わははははは @阿電波 247のリンクにはこうあります。
三角州堆積地帯における流水・増水による土砂堆積による地形改変は,人的活動地点を
大きく変えなければならないほどの規模ではないことがわかる。つまり,数百m 範囲の中で,水田
もしくは居住活動などを行うことのできる地点は移動繰り返せば,その地に活動した人間集団は継
続的にその領域で生業・集落形成を続けることが可能なのである。わかりやすく言えば,弥生時代
の中で池島・福万寺遺跡を形成していた集団は,水害を理由としてこの遺跡の範囲内から完全に立
ち去って他の場所に居住地や水田を構える必要はなかったということになる。
このことからも,居住地は移動するが,大規模なテリトリーの移動は不要なことがわかる。上 >>298
お前が必死に「阿波」を貶めようとしようが、考古学が許さん! @阿波
土器の植物種実圧痕観察(レプリカ法)により、弥生時代終了までイネに替わり、
アワ・キビ・ヒエなどが主流であったようだ。
徳島大学大学院 准教授(当時) 中村 豊氏 「板野に居たの」は、後ろ足で砂をかけて出て行った「阿波」の裏切り者。 @阿波 〇オレが必死に「阿波」に卑弥呼の里としようが、考古学が許さん! @阿電波 >>300
中村 豊氏の講演資料しかない。 文句あるなら、お前が調べろ、カス! 後ろ足で砂をかけて出て行った「阿波」の裏切り者。 @阿波
>>289
それは高天原(神の国)から来た事にしたから山の上に降臨としただけです。
卑弥呼=天照説では意味のない解釈です。
ただの神話です。日本書紀は歴史書でありますが、明らかな神話である部分もあります。
北九州の本拠から宮崎方面を統合した時の話でしょう。
統合は「勝速日」とよばれる天忍穂耳の事績かも知れませんが。 丹が動きまくる証拠(赤土説、ほぼどこでも取れる)な上に
青玉は何かわかりませんって言うのか?
阿波説では青玉をどう解釈しているんだ? 阿波説−捏造 = 鉱山+遺跡 こういう事だろ。もう、遺跡自慢はいいって。
『日本の歴史はお米を巡る覇権争い』
古墳時代には、豪族たちが自国の水田や収穫したお米を守るため、
そして他国の土地(要は水田をつくるための場所)やお米を奪うために争いを繰り広げていた。
大和朝廷が成立して、ひとまず日本がひとつになってからも、リーダーの権力を示す端的な指標は、
どれだけの水田とお米を確保しているか。国の成立を促したのもお米なら、争いの火種になったのもお米。
お米の量こそが、権力の証だったんだね。
平安、鎌倉、室町、戦国、江戸と日本のそれぞれの時代を通じて、
日本の権力闘争は煎じ詰めてしまうと、どうやってより多くのお米を確保するか、という戦いだった。
たとえば、武士の権力の大きさを示していた「石高(こくだか)」は、米の生産量に基づいた単位だからね。
武将が家来に褒賞を出すときも、領主が農民に年貢を納めさせるときも、基準になったのは、石高だったんだ。
ところで、1石ってどのくらいの米の量か、想像できる? 尺貫法によると、1石=1000合なんだって。
大人が1日3回の食事で消費する米が3合程度だとして、1石は大人1人がおよそ1年で消費する米の量と見なされていたそうだよ。
米のないとこに王権などw 神武天皇も奈良を目指したわけだ。 >>307
バカが一行でよ。(神の国)は見えずか?
天上=邪馬台国なので山の上へ降臨云々は解釈の意味がないと言ってるんだ。 阿波では緑泥片岩が出るのか、うーむ。
中国人のいい加減な記述で無限に解釈できるな・・・。 >>309一書曰くで参考に上げられた別書の記載が表示されてるだけ >>306
青玉とは徳島県南部から産出する青い角岩(チャート)のことである。
管玉:緑色凝灰岩 @阿波 魏国の遺物が当然のように阿波からは見つかってないから全ては妄想 丹も青玉も正式な物質名が特定されない限り
どこにでもある物になってしまうって事だな。
完全な証拠にはならんな。
邪馬台国論争の決着がつかない訳だ。
あいつらが邪馬台国に来た記念石碑でも残していけばよかったのに。 >>314魏と国交があり金印を授与されたのが邪馬台国 「黒谷川郡頭遺跡の調査成果について」 @阿波
遺跡名
黒谷川郡頭遺跡(くろだにがわこうずいせき)
所在地
板野郡板野町大寺字山田畑
主な成果
弥生時代前期(前4〜前3世紀)と後期〜終末期(2世紀〜3世紀)、奈良時代〜平安時代(8世紀〜10世紀)の集落跡を確認した。
弥生時代後期〜終末期の集落跡では、竪穴住居 12 軒や区画溝などを確認した。
黒谷川郡頭遺跡で、これまでに見つかった弥生時代後期〜終末期の竪穴住居は30棟を上回る。
これは県内の同時期の中でも最大クラスの規模である。
今回の調査で発見された竪穴住居で最も大きいものは、長径9.1メートルの規模をもち、平面形態が六角形となる特徴がある。
黒谷川郡頭遺跡 平面形態が六角形の竪穴住居
出土品は土器・石器など十万点を超える。出土品の中には蛇紋岩製の勾玉や水銀朱を精製するのに用いる石臼や石杵が含まれる。
竪穴住居の構造上の特徴(平面形が多角形、炉が「|○」の配置をとる)は、播磨地域に多く見られるものと共通しており、
同地域との濃密な交流を窺わせるとともに、阿波地域において対外交渉の窓口として機能した集落であることが追認された。
https://www.pref.tokushima.lg.jp/rekishiru/news/5023802 後ろ足で砂をかけて出て行った「阿波」の裏切り者「板野に居たの」が居たところだ。 わははははは @阿波 だ・か・ら、遺跡自慢はもういいって。阿波は、副都市のような所だから。
米がなければ王都じゃないって。
>播磨地域に多く見られるものと共通
やはり、阿波に「お引きこもり」は無理ですな。 >>318
精一杯の負け惜しみ。 わははははは @阿波 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています