◆シン日本神代古代史◆

「高天原=邪馬台国=福岡」説の初論者(おそらく)は、益田謙三『赤裸々の神代』(大正8年)

・高天原=邪馬台国=福岡
・天照大神の生誕地は筑紫の日向
・天照大神=卑弥呼+台与

古墳時代(宋書倭国伝)は朝鮮半島の事を、日本書紀(神代上)では沖ノ島の事を「海の北」と記している。
これは、天孫族が九州北部にいた頃の名残である。

沖ノ島・大島・宗像の三女神は、天照大神の命令で天孫を助ける為に、天降った。
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・天孫(族)降臨地=対馬国・壱岐国・伊都国
天孫(族)ニニギ命=邪馬台国系の代官一族

ニニギ命の名前=アメ「ニキ」シクニ「ニキ」シアマツ「ヒコヒコ」ホノニ「ニギ」ノ命
邪馬台国から伊都国へ派遣されたの代官名は「爾支ニキ」
対馬国と壱岐国の代官名は「卑狗ヒコ」

日向三代は邪馬台国の代官の系統なので、独立した存在とは言えないから、天皇とは認定されなかった。

神武天孫族が畿内に独立国を成立させた。
その後継が、高天原=邪馬台国と勢力争いになった。
そして十代崇神天皇の御代に、かつて祖先が属していたた高天原=邪馬台国を制圧してしまった。

欠史八代は天孫族と高天原=邪馬台国との争いの歴史なので、古事記・日本書記の記述はカットされた。

・・・なので、天照大神=卑弥呼・台与に祟られる事となった。

崇神天皇は祟りを鎮める為に、
ニニギが台与から授かった、ヤタの鏡を地元神と一緒に宮中で祀ったが、祟りが収まらないので場所を替えて祀った。

そして後に、ヤタの鏡は倭姫に託された。
それが、伊勢の神宮の由来である。