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天皇家の開祖が分かった「ツヌガアラヒト(天日槍)」
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0001日本@名無史さん
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NGNG?2BP(1000)

【天日槍=ニニギ=ツヌガアラヒト】


《基本情報》
・天日槍は、正妻で太陽の子「阿加流(アカル)比売(ヒメ)」を追って日本にやって来る。
→名前からも分かる通り、太陽信仰&優れた冶金技術を持った部族だろう。
実際の所は半島2世紀に起きた戦乱に耐えかねて安住の地を求めやって来たという所か。

・神功皇后母方の祖先



《不自然な点》
・外国の王族なのに何故か天孫と同じ姓『天(あめ)』を名乗る。
(※人間の癖に『天(あめ)』を名乗ってるのは記紀でもこいつ1人だけ)

・天日槍は日本で在地豪族の姫を娶る。名は『麻多烏(マタガラス?)』

・登場する時代が記紀では垂仁応神期になっているが、播磨国風土記では神代

天武朝にとって天日槍の渡来時期が「神代」だと都合が悪いので、記紀では捏造した?(実際に朝廷は出雲風土記でも同じ事をしている。風土記は記紀よりも有力者の手垢が少ないので、捏造前の情報が若干仄めかされているか)



《播磨国風土記にも登場する天日槍》
大暴れし伊和大神=大国主(高天原からやって来た天皇家の祖先へ国譲りした人)と壮絶な戦いを繰り広げた神、として書かれる。

これが【倭国大乱】であり【欠史八代】に起きたことと推定

天日槍は剣を逆さまにし、海をかき混ぜ波を立ててその上に座る神業を見せつけ大国主を脅迫。

日本書紀でタケミカヅチが大国主に対して国譲りを求めて行ったとされる脅迫方法(剣を波の上に逆さまに突き立て切っ先の上に胡坐する)と酷似。


http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_13.html
0294日本@名無史さん
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2022/07/13(水) 17:46:39.45
饒速日が天日槍?

何の根拠も無いやん
0295日本@名無史さん
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2022/07/13(水) 18:05:45.02
>>294
いいえ、そうなっても不思議ではないほどにスレ主さんのの知識量はあると思います
明らかに@阿波とはレベルが違うかと
0296日本@名無史さん
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2022/07/13(水) 23:17:33.73
まあヒボコはニギハヤヒじゃなく倅のカゴヤマの方なんだけどな
0297日本@名無史さん
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2022/07/14(木) 01:23:27.53
>>296

通常であればツヌガアラシトは須佐男でしょ。
記紀はスサノオを出雲の女系の先祖にして男系は無関係としたかった様だが、それだけでは不安だったのだろう。
故に牛頭山の話を神功皇后記で書いたと考えられる。
そして、朝鮮半島に降り立ち、こんなところは嫌だと。日本に来たことにして、朝鮮半島に立ち寄っただけなのか分からないようにした。
大陸系と半島系の混同は記紀と神功皇后時代の牛頭以降に起きている。
0298日本@名無史さん
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2022/07/14(木) 01:34:48.71
アメノホアカリ饒速日=須佐男

我が国はアメノホアカリ饒速日の正体がバレても問題ない様にし、更にスサノオを新たに作り出し、大陸出身なのか朝鮮半島出身であるなのか判断がつきづらくした
しかし効果があり過ぎて、武内宿禰系の蘇我氏まで朝鮮半島渡来と勘違いする日本人までが現れる結果になってしまった。
大陸の史書に、一度日本に渡って帰国し、更にもう一度日本に行った伝承を持つ者がいる。
その片方がスサノオだ。

須佐男は記紀以降の新造の神で、それ以前は出雲には存在していなかった。
出雲を滅ぼす手引きをした千家は、その歴史を忘れさせるために、出雲の初代、管八耳の頃にスサノオを持っていき、管八耳の奥さんの稲田姫を娶った形に変えてしまった。
千家果安と、国司忌部は8年ほどかけて記紀の最初の部分を作ったとの事である。
0299日本@名無史さん
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2022/07/14(木) 20:42:00.01
物部の饒速日と、最初に出雲に来た(ヤマト入りしてない)ホアカリは同一人物の渡来人

記紀の関係で出雲と大家姫系の系譜はイソタケルを扱う方針になった様である。
尾張海部はカゴヤマと表現する方向性が強い。

出雲に流れ着いたホアカリは、出雲から姫を娶り土着化するかに思えたが程なくして国譲り事件を引き起こす。
第8代の大穴持と少名彦が同時に暗殺される。
手引きしたのが、先遣隊のホヒと考えられており、それが後々の出雲國か隠された事、野見宿禰の系図を弄って自分の家の子孫に偽装する事に繋がったと考えられる。

渡来した場所は出雲においては石見の後にイソタケル海岸と呼ばれる場所であったとされる。

和名ホアカリと名を変えた人物はイソタケルと部下のホヒを置いて大陸に一度逃げてしまった。
再び我が国に来た際は北九州に行き、出雲の分家の宗方氏に取り入り、二つ目の和名である饒速日と名乗ったそうである。

ホアカリ=饒速日=海幸彦、山幸彦

置いてかれてしまったイソタケルは仕方なく母系の実家で育てられる事になったが、事件が事件だったので、世話は大年教の巫女である大屋姫が行う事になった。
丹後に入植する前に、イソタケルは、名を変えて守られていた時期がある。それが大年彦。

故に、石見のイソタケル神社の南側には今でも御歳神社がある。

丹後でいう今の籠神社の辺りに大屋姫と一緒に移り住んだイソタケルは、そこでカゴヤマと名を変える。カゴヤマのカゴ籠神社のそれであり、今でも奥宮マナイが鎮座する山は名前がカゴヤマとなっている

イソタケル=大年彦=カゴヤマ

つまり、イソタケルやカゴヤマは九州には行っていない。
0300日本@名無史さん
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2022/07/14(木) 20:48:32.98
大陸の渡来の血筋のイソタケルは後に神功皇后記などの記述により牛頭と混同が始まり、大屋姫系統の蘇我氏が、何故か朝鮮渡来と誤解される様になった。

そういう方向性であるから、父親である饒速日やホアカリが、朝鮮のイメージ=ヒボコとして考えられる話はあり得ないことではないのです。

逆にお勉強をすればする程そういう考えに行き着く人が出てくるのではないでしょうか?

また、中臣家だったり、政権を担う豪族の勢力がどちら系であるかによって、政権そのものが百済や新羅系とまで発想が飛躍して論じられる様になったと考えられますが、実際には親戚同士の揉め事に漁夫の利を狙った一族がいたという側面の方が強いと思われます。
0301日本@名無史さん
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2022/07/14(木) 21:11:10.06
出雲とホアカリの関係が奈良に入植して、奈良湖の水田化を、進めたらしいです。(クシヒカタと三島家が開拓を開始し、その後に出雲系を頼り、カゴヤマと大屋姫が奈良入りしたことの事です。

カゴヤマの拠点は当時の奈良湖の地形から遠い場所、高尾張村北部、二上山辺りで、その他の南部に後に笛吹神社(葛城坐火雷神社)が出来ました。
その南は事代主の鴨津波神社(八重波津身から取られた)や、一言主神社
後に、大国主系(タキツヒコ系)の高鴨神社が出来ました。
鴨三社のうち、御年神社は一番最後にできたと思われ、当時の配置でも水田化が進んだ、奈良湖中心寄りに神社があります。
その北西部には、ホアカリの母親の高木神を祀る高木神社。
二度目の来日の際に饒速日は母親を連れてきたらしく、一番新しい神社と考えられます。
高鴨神社北西には武内宿禰系の葛城氏が持ち込んだと思われる高天彦神社がありますのでもしかしたら高木神社は神功皇后期以降かもしれません。

高天彦神社は九州に変更される前の高天原候補地になっていましたので現在でも教育委員会の高天原候補地の、石塔が存在します。

後にやられちゃった側の政権になるのであの辺りには土蜘蛛伝承があります。

最初の入植地の北東は御所市の開拓の中心であったと考えられます。
紀元前3世紀、つまりカゴヤマや出雲が入る前からの水稲遺跡、中西遺跡があります。
御所インターすぐ東の、セブンのあるあたりが越知地籍なので、三島の拠点であったのでしょう。
0302日本@名無史さん
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2022/07/14(木) 21:20:38.82
三島の集合相手が
ヒボコになっているケースは稀と思われ、白髭神社との配置から見てもホアカリがヒボコ勢と判断できる材料は少ないと思われます。

ヒボコが侵攻した播磨と、奈良の神社の比較でも比較的明らかな対比は出来ると思いますよ
0304日本@名無史さん
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2022/07/14(木) 21:40:02.22
カゴヤマは後に九州物部となる腹違いの妹ホヤ姫と婚姻します(嫁入りさせる方が下手になるので、手打ちの側面があったのもしれません)
先代旧事本紀にある様に、村雲はそうして生まれました。

銅鐸祭祀文化圏は、出雲とヤマトから始まりました。
九州では早くからシンボルを変更したと考えられています。
九州は銅鐸の鋳型は出るが、銅鐸が殆どでない特殊な地域でした。
数年前に、吉野ヶ里からようやく小さな銅鐸が出ましたが、それは出雲初期の小さな銅鐸に近い形だったと記憶しています。
後のものは銅鏡などに鋳直されたと個人的に考えています。

出雲口伝の継承者は、最初にホアカリが出雲に銅鐸の元になるクヨウの様なものを持ち込んだと伝えいます。
出雲の十の神宝のうちの一つであったらしい

考古学的にも、我が国の青銅器は紀元前三世紀頃に持ち込まれ、程なくして国産化が始まったとされ、口伝と学問が不思議な一致を見せています
0305日本@名無史さん
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2022/07/14(木) 21:40:39.85
>>303
反論するにしても本とか読み込んでからにしたら?w
0306日本@名無史さん
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2022/07/14(木) 21:48:03.67
丹後風土記や、後年にまとめられた丹波古事記や、ヒコイマスの、稲葉国造エリアなどの後丹波歴史から行っても、アメノホアカリニギハヤヒはヒボコであると言う判断はできません。
ヒボコもヒコイマス(海部尾張氏)も、やられちゃった側の配置になっていますからね。
元いた拠点に引っ込んでます。
0307日本@名無史さん
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2022/07/14(木) 21:48:39.24
>>306
訂正
後丹波→大丹波
0308日本@名無史さん
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2022/07/14(木) 21:51:12.46
奈良で白髭神社を検索すると、ぜーんぶ中心から外れたど田舎におしやられていますよ。
これはタジマノモリが負けちゃったからです
0309日本@名無史さん
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2022/07/14(木) 21:56:58.03
ソースも出せないキチガイが「本を読め」ってすげーギャグだな
0310日本@名無史さん
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2022/07/14(木) 22:09:50.89
>>309
少しご紹介しましたが、それ見からにしたら?w

あの私も全部は頭には入っていませんので本屋な見ながら書いてたりしますがね

人の発言が妄想でなければ困る特殊なご事情でもあるんですか?ww

自分で調べましょうね?妄想を押し付ける前にw
0311日本@名無史さん
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2022/07/14(木) 22:13:12.14
奈良と九州の勢力が同じヒボコであるのなら、両方の祖神であるヒボコ関係の神社は、子孫同士の間に争いがあっても無くならない。
祭神が土地からいなくなることはない。
0312日本@名無史さん
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2022/07/15(金) 13:14:09.18
巻向(太田)和邇などの都に一番近い白髭神社は、タジマノモリに因んだと思われる奈良の但馬駅近く

昔の文章にある様にあのあたりは三宅と言われ、ヒボコ勢が三宅連になったと書かれている事に一致する。
そして隣の田原本町は物部守屋の長男が今でも宮司をやる村屋坐彌冨都比賣神社(大神神社別宮)がある。
昔は名前を変えて遠くに行くと許す習慣があった。
村屋神社は、現在では守屋姓になってる。
諏訪の守屋家も同じなのだろう。
秋田物部の様に、物部姓を名乗ることは稀だった

少なくとも但馬や田原本町のあの辺りまではそういう境界エリアだったと考えられる。
あそこより都に近い白髭神社はない。
0313日本@名無史さん
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NGNG?2BP(1000)

あ、ガチで確定したわ、饒速日命=天日槍


法庭神社の記録
 「旧記によると、饒速日命が大和國より兵を率いて出石郡床尾山に至り、国内に大水が氾濫しているのを見た。その後、来日山に至り、北方の山を削開して瀬戸水門を開き、平地とした。その後、西へ進み、本村の船越山に至り、船をつないだ場所に、乗場神社を創建。後、乗場が能理波と転じ、法庭となったという。」

 天日槍命に関する但馬の伝承
「日槍は但馬国に船をつけると、そこに落ち着くことになった。日槍は土地の娘と結婚して、子孫も栄えていた。ところがその当時の豊岡や出石盆地のあたりは、一面が泥の海だったので、とても生活しにくい土地であった。そこで日槍は五社大明神の神々と力を合わせて、この地を開拓しようと考えた。
 まずは、来日岳の下流を切り開くことになった。そこは固くて大きな岩がさえぎっているため、水がせき止まって瀬戸になっていたのである。みんなで力を合わせて横たわっている大岩をとりのぞくと、泥水がすさまじい音をたてて日本海へと流れ出し、やがて水の引いたあとには、肥えた広々とした平野が少しずつ広がっていった。日槍も神々も大喜びであった。」
0314日本@名無史さん
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2022/07/15(金) 18:10:27.09
>>313
この唐突な空気感

さすがスレ主さんww
0315日本@名無史さん
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NGNG?2BP(1000)

・ニギハヤヒが降臨した時に持って来た持ち物[十種神宝:現存せず]


《鏡》
沖津鏡
辺津鏡

《剣》
八握剣

《勾玉》
生玉
死返玉
足玉
道返玉

《比礼(スカーフみたいなもん)》
蛇比礼
蜂比礼
品物之比礼
0316日本@名無史さん
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NGNG?2BP(1000)

・天日槍が半島から持ってきた物
[古事記の記述より]


《鏡》
奥津鏡
辺津鏡

《勾玉》
珠 2貫

《比礼》
浪振ル比礼
浪切ル比礼
風振ル比礼
風切ル比礼
0317日本@名無史さん
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NGNG?2BP(1000)

・天日槍が半島から持ってきた物
[日本書紀の記述より]


《鏡》
日鏡

《剣》
出石小刀
出石桙

《勾玉》
羽太玉
足高玉


《社》
熊神籬
0318日本@名無史さん
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NGNG?2BP(1000)

・ニニギが天照から貰ったもの(三種の神器+α)


《鏡》
八咫鏡

《剣》
草薙剣

《勾玉》
八尺瓊勾玉


《社》
天津神籬
0319日本@名無史さん
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2022/07/16(土) 00:40:23.21
>>295
いや個人の妄想やん
0320日本@名無史さん
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2022/07/16(土) 00:44:29.90
来年度から認可される中学歴史教科書では
日本神話から始まり天皇を軸にした歴史教育が再開されるから
必死だな
0322日本@名無史さん
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2022/07/16(土) 02:30:17.93
>>319
いや、ちょっとした細工でヒボコになる。
0323日本@名無史さん
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2022/07/16(土) 02:31:05.45
>>315
十種神宝の一部は秋田物部氏が持ってる
0324日本@名無史さん
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2022/07/16(土) 03:20:23.26
奥津鏡と辺津鏡持ってきたのってニギハヤヒノミコトとヒボコだけ?なら確かに同一人物の線も否めないナ
0325日本@名無史さん
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2022/07/16(土) 09:54:28.80
倭国大乱期の初端を開いたのがヒボコ族

出雲系の領域の鉄の産出地を狙いに定めて侵攻した。
戦乱に明け暮れていた小国の乱立する朝鮮半島出身のヒボコ族は巧みな戦術を受け継いでいたので、出雲族を圧倒した。
それが領土欲を刺激し、ヤマトのフトニがヒボコ族に戦いを挑む

実は神床家には伝承があり、本来は物部氏と共闘してヤマトを挟み撃ちにする計画だったとされる
結果、物部氏は動かず、単独行動になってしまったヒボコ族は、先に述べた様に丹後に地盤のあった尾張、海部氏のと間で挟み撃ちになり破れる。

一部は淡路島に、一部は琵琶湖方面の坂田に(白髭神社あり)、さらにもう一つは、九州の糸島半島に逃げ込んだ

伊都の語源はもしかしたらヒボコ族に縁があるのかもしれない

フトニが播磨に構ってるうちに別の親族がヤマトで造反。太田太根彦の熊野系物部氏を奈良に引き入るまで戦乱は続いた。
景初はそれから50年ほど後の話になる。

卑弥呼は二人いる。時系列的に戦乱を収めた卑弥呼と、亡くなったトヨの卑弥呼は別人

亡くなった卑弥呼にできないのが戦乱を50年前に収めるという行為
0326日本@名無史さん
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2022/07/16(土) 09:56:02.55
籠神社の鏡は、銅鐸祭祀だったヤマト出雲関係からすると物部色が強い品物であり、古くに神社に来たのかどうか分からない
0327日本@名無史さん
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2022/07/16(土) 12:09:56.87
>>324
でも実物があるのって籠神社だけだった気がする
0328日本@名無史さん
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2022/07/16(土) 12:24:27.84
アマテラスに関してはよく分からない。
奈良の古い神社のアマテル神社は全てが男神。

出雲の三輪山の太陽の女神に対して、物部は道教の関係から北極星(北斗七星?)=カガセオ
そして宇佐氏の豊国は隠された月の女神

物部のアマテルがいつ太陽を帯びたのか、実は不明なのである。
基本的にはアマテル信仰と三輪山の太陽の女神が集合して女神アマテラスになった
太陽の女神が伊勢に落ち着くまで元伊勢がいくつか出来ることになった。
三輪山には太陽の女神と、事代主が祀られていたが、女神が持ち出されたことにより、男神の山になった。
後に大物主と名を変えられた。
三輪山祭祀の中心だった太田氏本家は、現在では墨坂神社の社家になっている。

景初動乱の際には、三輪山西方の檜原神社にトヨが月神を祭り、太陽のオオヒルメムチに対してワカヒルメムチと呼ばれたそうである。

三輪山には太陽と月の信仰が同時に存在していた時期がある。
トヨは豊鋤入姫と名を変えられた
0329日本@名無史さん
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2022/07/17(日) 00:25:19.18
>>324
まあ100%妄想の村雲王(笑)よりはちゃんと根拠を示せるだけ>>1の方がだいぶマシだな
0330日本@名無史さん
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2022/07/17(日) 00:30:15.21
>>329
お前が一番役に立ってないだろw

そもそも村雲の話は籠神社の話だ

お前の願望など、塵芥に等しい
0331日本@名無史さん
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NGNG?2BP(1000)

私も村雲さんと同じで饒速日と火明は同一人物だと思ってますよ
てかそれはもう常識でしょう

まず旧事に同一神だと書いてありますね?それだけじゃない

籠神社。神宝は火明から受け継いだ息津鏡(おきつかがみ)と辺津鏡(へつかがみ)。
そして饒速日が天照大神から渡された鏡の名前は、というと嬴都鏡(おきつかがみ)と辺津鏡(へつかがみ)。


また天日槍が持ってきた鏡の名前も...
奥津鏡・辺津鏡

つまり火明=ニギハヤヒ=ヒボコ
皇祖とされるニニギは多分百済回復戦争後頃に捏造した存在だから
ヒボコ=ニギハヤヒ=火明=ニニギ
0332日本@名無史さん
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2022/07/17(日) 01:43:46.94
626年6月ヤマトの大豪族、石川臣麻古が病に没する。
麻古は日本書紀に蘇我馬子と書かれた人物であった。彼の死因は暗殺ではなかった。石川臣麻古の父親である稲目は欽明大君に嫁がせた二人の娘からは穴穂部皇子や初瀬部皇子が生まれていた。
626年に麻古が病に伏した際に彼の回復を祈念して1000人もの人間が出家した。(仏教)
それを見た息長家の田村王は戦慄したとされる。
石川家が推していたのは、かみつ宮法王(聖徳太子)の子、山背王であり、次期大君候補として圧倒的優位に立っていた。
田村王は手を結んでいた中臣家の御食子を使って暗闘を展開する。神道派の中臣家からしても蘇我家は邪魔な存在であった。
その頃には既に忌部はが中臣家に抑えこまれていた時代。
そして仏教を好んだと言われる継体大君時代にで力をつけた北陸の三国国造家と宗家の石川臣家の、連合との争いが記紀編纂の際の下地になった。
0333日本@名無史さん
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2022/07/17(日) 02:09:36.76
田村王の兄弟である茅淳王の娘であるタカラ姫は石川臣武蔵に嫁いでおり、大海人皇子を産んでいた。
田村王に姪のタカラ姫を嫁がせれば石川家の力は削がれ、息長家の結束は強くなる。
中臣家は、ヒボコの系譜の息長に近い系図とも言われ、親戚だった様である。
御食子の計略で石川臣武蔵とタカラ姫は離縁となり、628年には舒明大君が即位した。
依然、山瀬王の人気は衰えず、前大君が生前に山背を大兄に指名していた事もあり、麻古の弟、境部摩理勢は大君に逆らって彼こそが後継者との主張を曲げなかった事で誅殺
ただ一人残った石川臣雄正(蘇我蝦夷)は641年に、葛城皇子と、御食子の養子である鎌子(鎌足)に豊浦の邸宅で暗殺され、蘇我宗家とも言われた石川臣家はあっけなく滅びた。
舒明大君がタカラ姫に生ませた子、葛城皇子は、中大兄となった。

記紀においては最後に山背王は、石川臣林太郎(蘇我入鹿)の仕業に見せかけ、乙巳の変は幕を閉じる。

しかし、山瀬王と、彼の異母兄弟であり、上宮法王の皇子である日置王は出雲に流れ、木築大社上官家により匿われ、血筋が続くことになった。
大海人皇子は、中大兄皇子の異父兄弟であった。

日置臣家は、後に家名を守るため、朝鮮渡来の系図を新たに作り、誤魔化した。
日置氏には二つの系図があり、片方は祇園社執行家の系図であり、高麗系譜になっている。

記紀の話をすると、海部氏に育てられていた大海人皇子の乳母が、綾部家の人麿の母親であった。
そして稗田流口伝を継承した母親から、人麿が海部氏を通じて、ワニの家系の柿本家に養子入りした事から古事記に繋がる。
0334日本@名無史さん
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2022/07/17(日) 02:22:35.23
中臣家、藤原家が記紀編纂際にヒボコ系の息長家に配慮しなければならなかったのは当然のことである。
のちの諡号に息長の名前が入る。
舒明はオキナガタラシ云々
皇極にはタカラ姫とタラシヒメの名前が入る
斉明もタラシヒメが諡号に入ったかと

日置臣家と同じく、物部氏も圧迫された時代に、勢力が強かった一族の子孫であると発言し、家名を守る様な風潮が生まれた

物部氏はヒボコの子孫、新羅系を名乗り、家名を守った時期がある。

皇室ヒボコ論の出現はやむなしの側面もあるが、基本有り得ない。
西出雲神門臣家の主要三家も朝鮮系を名乗り、家名を守った。
東出雲の冨家は、向家と何度も名を変えた。

我が国では生まれで身分が決まると言っても過言ではない世の中で有り。新撰姓氏録や尊卑分脈など、血筋が徹底管理されてきた経緯がある。

基本的に渡来最高位が連、母型出雲の王家との婚姻を表すのが臣。
後年に朝臣とかの位ができて形骸化するまでは臣連制であった。

ヒボコの実家の神床家は、旧糸井造家で有り、連の下位である。
0335日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/17(日) 02:36:03.34
日置王は、出雲の大社町に日御崎神社を建てた。
あの神社は出雲大社より古い神社である。
0337日本@名無史さん
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2022/07/17(日) 08:53:25.42
>>336
物部総本家の五瀬子孫の竈山神社の社宝は、ヒボコの鏡と言って、大事な鏡4枚のうちの一つであったと記憶しています。
0338日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/17(日) 12:32:52.10
>>336
ヒボコの分家の息長系の大王も存在しますので、中臣家(中津臣家)由来のナカツヒコ(仲哀)が血縁関係もなく系譜に登場するのには舒明大君(息長家)と、中臣家(鎌足の養子先の党首)が、関係しています。
不比等は、左大臣の石上にも気を配る必要があったので、色々調整には苦慮したのではないでしょうか?
0339日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/17(日) 12:36:42.98
ヒボコ系は確実に系譜に入っていますが、連続性という考え方からは、現在の皇室は臣系の、蘇我王朝とも言えるでしょう。

曽我を朝鮮渡来と誤解する人も居ますので、そういう話が出るのは全く不自然なことでは有りません。

DNA的には継体天皇は、出雲上官家から養子入りした人物なので、男系が出雲系とも言えると思います。
物部の男系は継体の代で途切れました。
0340日本@名無史さん
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2022/07/17(日) 21:06:10.13
>>336
御免なさい、嘘描いちゃいました。
ヒボコの鏡は珍彦の系図である日前神宮・國懸神宮の社宝でした。
竈山神社のしそれでは有りませんでした。訂正します。

ちょっと本読み込んできます
0341日本@名無史さん
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2022/07/17(日) 21:24:04.52
訂正です。
日矛の鏡はやはり五瀬家の社宝であっていました。
彦五瀬と戦っていたタカクラジの子孫の珍彦は、日前神宮を建てました
そしてその横に国懸神宮を五瀬家が建てました。

故事に習い、八咫鏡の前身の二枚の鏡が
0342日本@名無史さん
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2022/07/17(日) 21:25:18.32
日像鏡・日矛鏡の鏡になります。

物部総本家の橋本家は日矛の鏡を祀っています
0343日本@名無史さん
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2022/07/18(月) 12:23:42.70
記紀の製作者は、不比等の父親と中臣家の行ったクーデターを隠し、正当化する事を強要されました。

継体天皇の蘇我系の大王の歴史を消す事は万世一系の方針にもあいます
不比等は石川家の存在を隠し、横暴な豪族、馬子・蝦夷・入鹿として蘇我臣石川から古くに分家していて半ば別の家であるのに強引に蘇我家に書き換えさせました。
流石に大王家であるので形を変えて名前を残す必要を感じたらしいです。
血みどろの戦いを蘇我入鹿の行いに見せかけ、その入鹿を中大兄王と父、藤原鎌足が成敗するという英雄譚に、不比等は見事、歴史を書き換えたのです。
石川林太郎=入鹿は殺されていませんでした。
山背大兄は出雲に流れ出雲郡健部郷の丘に隠れ住みました。
大兄はその丘の東に三井寺を造り修行し、その北方には一緒に来た三輪氏が大神神社を建てて住み、山背大兄一家を守った、と云うことです。
それで出雲に伝承が上官家に残ることになりました。
____________
643年の11月11日、書紀によると蘇我入鹿は巨勢徳多、土師猪手、大伴長徳および100名の兵に、斑鳩宮の山背大兄王を襲撃させたとあります。
「石川臣派の三輪君は、山背王に『東国に逃がれ、兵を集めれば、大和国を攻め奪うことが出来る』と戦いを勧めたが、山背王は『戦えば、勝てるやも知れぬが、己一人の利益のために、万人を戦に巻き込むことになる。わが身を捨て、国を安定させることこそ、人の道ならずや』と言って斑鳩寺に入り、一族共々自害した。その時、空は五色に輝き、後に黒雲に変わった」と記しています。
0344日本@名無史さん
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2022/07/18(月) 12:28:03.14
現在の皇室が蘇我系と言うのは本当は少し違っていて、天武天皇が石川武蔵の子であったため、竹内宿禰系の子孫の系譜の一部、石川家が大王になったと言うのが実際の認識です。

いきなり石川家を書いても無理だと思ったのでそう書きました。
0345日本@名無史さん
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2022/07/18(月) 12:42:09.16
天皇呼称が始まった天武天皇だけを切り取ると、万世一系で男系のつながりのない天智天皇が、息長家(女系ヒボコでもどうにでも誤魔化せる)の子供なのであっという間に皇祖ヒボコの出来上がりです

ほんのちょっとの細工でそうなります
あんまり意味のない考え方かもしれませんね
0347日本@名無史さん
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2022/07/19(火) 00:43:27.96
統一協会信者が日本神道を貶めている
0348日本@名無史さん
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2022/07/19(火) 02:40:19.98
まあ、結局天武天皇になって元通りになるんですがね。
0349日本@名無史さん
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2022/07/22(金) 02:24:38.77
真正武内文書だと、彦五瀬の兄弟である四男は佐野命となっていますね。
空が磐余彦となった様です。
物部本家の伝承でも公開してない情報が武内文書にあったとは驚きです。

磐余彦が熊野古道らしき所を通った場所が、途中で歌う和歌や豪族の名前になっています。
磐余に入る前にクジラが出てしますが現在でも櫛羅地籍が残っているんですよね
0350日本@名無史さん
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2022/07/22(金) 11:10:22.47
魏書東夷伝で他国は国なのに
倭だけ倭国伝じゃなくて倭人伝なんだよね
東夷伝の他国の内容と信憑性はどうなってんの?
0351日本@名無史さん
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2022/07/22(金) 13:40:48.11
>>350
>>350
完伝ですと、逆に国がないのが朝鮮半島と言うことになっていますね。
属国化が進んでいたと思われ、大陸の役職が当てはめられています。
逆に王様の金のハンコとか出てくるのが我が国になってると記憶しています

我が国は大陸で相当する役職がなかったとされ、序列でのみ語っている部分があったと思います
0352日本@名無史さん
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2022/07/23(土) 02:08:25.51
物部氏である彦五瀬家の四男(神武)は、南九州では佐野命であるという伝承があり、武内文書でもそうなってる。
彼のいたとされるのが日向の西都原の近く

和歌山の五瀬家は佐野命の事は公開していない

記紀は、この四男が誰だったのか分からなかったか、隠す必要があると考えたと思われる

2回目の東征の際、武内宿禰の腹違いの弟であるウマシウチ(後に額田宿禰と改名)が生駒超えのルートを通った事を利用してウマシマジになったと言う説がある

記紀と合わせると
佐野命→磐余に辿り着いて磐余彦→いつのまにかウマシマジ

太田太根彦の熊野案内の際には物部氏は瀬戸内海を通過してない。これは吉備国で瀬戸内海が分断されていたから(平型銅剣エリアを避けて通った)
0353日本@名無史さん
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2022/07/23(土) 09:21:20.29
着眼点は悪くない
親百済の王朝が書いた史書で新羅人がそこらの神より崇高な名前をつけられ尊ばれる
ヒボコはちょと異常な存在だわな
結論から言うとヒボコ=スサノオだよ
0354日本@名無史さん
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2022/07/23(土) 09:51:24.59
>>353
出雲大社にはヒボコがいない
故にそれはない

ヒボコと須佐男が習合したのは吉備や丹波地方かと
0355日本@名無史さん
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2022/07/23(土) 14:14:43.58
丹後地方に土着化したヒボコであるが、後年の東漢氏との協力で生活は安定したと伝わる。

少し脇道に逸れる

倭漢(東漢)(やまとのあや)氏の祖は応神大王の時代(3〜4世紀初頭?)に百済(安羅国)から渡来した阿智使主(あちのおみ)の後裔で、檜隈(ひのくま)に住み着いた技術者集団の名称と言われる。
使主は後世の臣(おみ)で、檜隈は明日香村の西部になる丘陵地帯で、北を高松塚古墳・文武天皇陵、南をキトラ古墳にするあたりの地区になる。
 単一部族ではなく、血縁もばらばらで、移住者たちが祖先の伝承をもとにまとまっていった多部族の集合体だったらしい。
 阿智使主を祀るのが於美阿志(おみあし)神社で、東漢氏が氏寺として建てた檜隈寺の跡地にある。於美阿志の名称の由来は不明だが、「使主阿智」が訛化した音に文字を当てたものではないかと思われる。

彼らが同族であったかどうかも不明な点が多いが、後漢の霊帝の子孫とするのは漢の文字から彼らがのちに作った伝説であろう。

これが、蘇我、物部など各派に分かれて勢力を構成していた。

居住地域と趨勢からすると西漢氏は物部氏派(つまり中臣家もこちら陣営になるだろう)で倭漢氏が蘇我氏側だったと考えられ、倭漢氏が渡来以来、蘇我宗家に直接に従って技術と軍事の両面で支えた大集団だったことはまちがいなく、宗家(石川家)滅亡後も後世まで漢氏の大勢は倭漢氏が占めていた。
東漢直の姓は東漢掬(5世紀後半)が賜ったもので、下に記す東漢直駒のあとで宗家が一時的に衰退したあとは分家の坂上氏が宗家を受け継いだと考えられています。また、坂上氏の祖になる坂上直駒子が東漢駒だったとも思われる。
0356日本@名無史さん
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2022/07/23(土) 14:33:42.18
 そして、「天武紀」六年(677年)六月、天皇が東漢直たちに対して、「汝等(なんじら)党族は今までに七つの悪逆を犯している。小墾田の御世(推古大王の時代)から近江朝まで常に汝等が謀(はか)り事を為してきた。朕の世に当たり罪に処そうと思ったが、漢直の血筋を絶やさないために、大恩を下す。以後罪を犯す者は赦(ゆる)さない」と勅したことを記している。

彼の考え方は大陸系と半島系を明確に区別している様に思えます。
それと、近江朝を田村王と、先述した聖徳太子の話と絡めると、中臣家、物部家を暗に敵視しているという視点になります。

ヒボコとスサノオが同じだという事であればこの様な事は起きないと考えられます。


因みに、柿本人麻呂は、祖母が幼少の時の乳母であった関係で、天武の落とし子であると伝わります。

東漢氏の一部である綾部家はまったく手心を加えられた形跡はありません。
むしろ冷淡に扱われたと考えられます。
0357日本@名無史さん
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NGNG?2BP(1000)

むむ、気多神は欠史八代の時代に来た異国の王子の事である。と気多社島廻縁起に記されているのか
これ天日槍の可能性なくもないな
マークしておこう
0358日本@名無史さん
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NGNG?2BP(1000)

天武天皇が始めた大嘗祭
最初期は天日槍と深い関係がある播磨、丹波、但馬、を斎田に選ぶケースが異様に多いな

https://i.imgur.com/sda5s2D.jpg
0359日本@名無史さん
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2022/07/24(日) 09:37:03.91
>>357
気多系統はバッチリど真ん中でヒボコや神功皇后だと思います。
0360日本@名無史さん
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2022/07/24(日) 09:53:48.94
>>358
宮中祭祀に半島系「らしき」ものがあるのは通説ですが

実態は誰にもわかりません。
半島には神社はないし、そもそも朝鮮王朝は滅んで日本に帰化しているから確かめようがない

そう言われているだけでみんな納得している
0362日本@名無史さん
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2022/07/24(日) 20:32:01.64
>>358
多いというよりは。ほぼそれですよねww
0364日本@名無史さん
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2022/07/25(月) 10:32:30.50
>>363
逆に渡来人が来てないという方が妄想

狛犬だって大陸から来るでしょ?
普通に神事に大陸や半島の習慣は取り入れられている
0365日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/26(火) 22:10:41.52
日本から大陸に広がってから帰ってきただけ定期
0366日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/27(水) 16:34:00.44
狛犬なんてずっと後の時代の文化じゃん
糞味噌一緒にするのは半島のお家芸か
0367日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/27(水) 20:30:57.88
邪馬台国のために捏造するならなんで親魏倭王印じゃなくて漢委奴国王印なんか作ったんだ?国も時代も違うのに
0369日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/28(木) 15:55:15.30
>>366
狛犬と渡来人が同時期に来たとかいう思い込みを押し付ける異常な返答ww
脊髄反射まで思い込みとはww

まるで半島気質そのものだなw
0370日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/28(木) 18:22:21.76
日本書紀の系図が発見される可能性ってゼロなの?
これがあれば欠史八代を始め初期の天皇や継体天皇の皇位継承の経緯が明確になるのに
天皇家の系図なのに写本すら一切伝わってないのは逆に違和感を感じる
本巻はなんだかんだと伝わってきたのに何で系図だけ丸々散逸するんだ
0371日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/28(木) 22:20:12.59
>>369
別時期なら狛犬と渡来人には何の関係も無く
>>364はただの詐術だということになるわけだが
自分で自分を否定する馬鹿wまさしく朝鮮人w
0372日本@名無史さん
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2022/07/29(金) 12:16:15.27
>>371
言われたら言い返さずにはおれないその気質

正に朝鮮人ww

自分と向き合いましょうね?子供じゃないんだから
0373日本@名無史さん
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2022/07/29(金) 19:14:36.15
魏志倭人伝の華奴蘇奴国が華奴蘇支(かぬさき)の誤記で、神埼(吉野ヶ里)なのではないか
對蘇国(とさ)、蘇奴国(さぬ=さぬき)などの読みとも合うし
0374日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/30(土) 23:38:30.03
>>372
論破されたら自己紹介を始めるのも朝鮮人そのものだぞお前
そんなに力いっぱい自己紹介しなくてもお前が朝鮮人だとお前以外は全員もう分かってるからw
0375日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/31(日) 08:47:09.10
>>374

お前は日本語がおかしい
伊都チョンや阿波レベルの異常さ。


〉狛犬なんてずっと後の時代の文化じゃん
糞味噌一緒にするのは半島のお家芸か

に対し

〉狛犬と渡来人が同時期に来たとかいう思い込みを押し付ける異常な返答ww

と返したら

〉別時期なら狛犬と渡来人には何の関係も無く
>>364はただの詐術だということになるわけだが

と、正に意味不明の返答ww
自分の中でだけわかってるファンタジーww

これで日本人なら目も当てられないなw
朝鮮人なんて何度も渡来してるわけだが、こっちが言い出した狛犬に対し、お前のその意味不明な裏付けもない前提の会話でどんどん論点がずれていくww
正にクリンチの朝鮮会話ww
日常生活でもその異常さは発揮され、周りの人間ももはや気の毒すぎて誰も突っ込まないパターンw
0376日本@名無史さん
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2022/07/31(日) 08:49:13.65
論破ww論破だってよww
ブークスクスww
0377日本@名無史さん
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NGNG?2BP(1000)

何か新しい発見はありましたか
みなさん
0378日本@名無史さん
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2022/08/01(月) 12:24:27.65
>>377
本当にスレ主さんには敵いませんなw
0379日本@名無史さん
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2022/08/01(月) 23:08:10.46
>>375

バカ「宮中祭祀は朝鮮由来!渡来人!」
俺「朝鮮人の妄想やめろ」
バカ「狛犬だってあるだろ!渡来人なんだよ!」
俺「狛犬はもっと後の時代だろ朝鮮人」
バカ「狛犬と渡来人が同時期に来たとかいう思い込みを押し付けるな!」
俺「狛犬と関係無いなら何で言い出したんだよキチガイ」
バカ「お前は日本語がおかしいー」

日本語が不自由なのは誰がどう見てもお前
やっぱり>>372は自己紹介だったなw
0383日本@名無史さん
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2022/08/02(火) 11:39:01.88
>>380
それ全部俺だけどww

願望を押し付けるようになったら手遅れだなww
0384日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/02(火) 11:41:32.55
>>382
村雲が神武であることは籠神社も出雲大社上官家も指摘してること
お前の知識が乏しいだけww

多氏や藤原の八イ耳系が纏めた歴史書なんだから当然
物部の佐野命=磐余彦が神武な訳ねーだろww
0385日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/03(水) 00:33:51.88
ヒボコ=須佐男は傑作の思い込みだな
師升=須佐男と同じくらいのアホさ加減

須佐男は記紀編纂の際にに作られた新造の神で、須佐男が出てくる書物は全て記紀成立後の服属記述

出雲の歴史を消すために出雲初代の須賀八耳の時代に遡らせた、紀元前3世紀の渡来者、ホアカリ饒速日の投影

故に、八耳の奥さんである稲田姫の夫になってる

出雲の滅びを招き入れた千家の蛮行を隠すために、千家果安と、国司として赴任していた忌部子人が作り出した神

八井耳の耳は、出雲母系尊重でつけられたもの

実は出雲風土記の本物は破棄され、杵築大社上官家に見せるために約12年後くらいに作られた私製の風土記

故に破却を免れて現存している。そもそもがあれは風土記ではなかったからね。

因みに杵築大社の住所は記紀成立と重なる時期で、当初は雇われ神主であった千家の立場は非常に弱く、資材と土地を提供した神戸家や、資金の大半を負担した富家に逆らえなかった。

故に途中で社の位置が変わり、日本書紀と古事記で場所が変わってしまった。

木築大社は天孫が作ったものではなく、出雲側が自分達で作った神社なんだよ
0386日本@名無史さん
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2022/08/03(水) 00:53:08.96
出雲大社の真裏の須佐神社だが、元々は富家から北陸蘇我に養子入りした次男の太彦(後の継体)を顕彰するための神社で、須佐男はまったく関係なかった神社

本来の名前は素鵞社

禁足地である真裏の八雲山に触れることのできる唯一の神聖な場所

大国主神隠れの窟は猪目洞窟ではなく、脳磯の洞窟であるとの話があり、実際には存在しない鵜鷺峠に存在すると書かれているが、遺体が発見された場所から近くの磐座に最初に葬られたらしい
そこは鵜峠と鷺浦の行政界の境目の近くで、御陵神社とも言われている。

そこから御霊は三刀屋神社で祀られたが最終的に杵築大社が作られた際に、八雲山に遺骨が移されたとある。
0387日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/03(水) 00:58:00.29
須佐男がヒボコであるのなら杵築大社にヒボコが居る筈なのだがそのような事実は存在しない

ヒボコは明治維新の際に、朝鮮系の神が圧迫された時代にほぼ全て書き換えられている

田舎の白髭神社はミナカタ
ちょっと都会の白髭神社は猿田彦とウズメに

故に、タイマノケハヤに変えられたタジマノモリの相撲神社の近くの穴師坐兵頭神社にはヒボコが居ない
現在ではウズメに変えられている。

今じゃ表立ってヒボコを祀ってるのは出石神社くらいの物だと思う
0388日本@名無史さん
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2022/08/03(水) 01:00:29.93
大国主=八千矛の最初の埋葬地の磐座である御陵神社だが、近くの川は今でも形を変えて八千代(八千予)川となっているよ
0389日本@名無史さん
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2022/08/03(水) 01:09:02.11
脳磯の洞窟はかつては鵜峠と鷺浦の境から参道が続いていたと思われるが波の侵食で最後の岩場の階段が削られてしまい、今では鷺浦マリーナかからの道なき陸路か、船を出してもらわなければ現在では辿り着くことは出来ない

空から見るとわかりやすいが洞窟の手前の巨岩がまるで脳の様な形をしている
0390日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/03(水) 01:12:29.55
しっかし、久々に見たよ論破王ww

今時論破とか抜かす様なアホがまだ痛んだなw
0391日本@名無史さん
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2022/08/03(水) 01:16:05.67
>>357
出雲の伝承でも紀元前100年代(正確な年代は分からないらしい)に渡来したとありますので、150年代の伝承はかなり正確なんじゃないでしょうか?
0392日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/03(水) 06:01:35.29
ただ、150年代になるとクニオシヒトの辺りになるので皇祖にはなれませんが。
最初の東征、佐野命=磐余彦を神武とするのなら物部ですから更に整合しない。
磐余彦を神武とすると欠史八代が生まれる事になるので矛盾は解消されない

紀元後100年代初頭が辰韓のヒボコの時代かと
0393日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/04(木) 12:15:44.79
>>370
まだ発掘される可能性はある!
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