長州毛利家を語るスレ
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鎌倉時代に始まり室町、戦国、江戸、明治と各時代を生き抜いた名門の長州毛利家について語るスレです。
時代を問わず毛利家に関する話題であれば何でもOK。 しかし萩にしろ山口市にしろ、寂れ具合が半端ねーよな >>444
安倍よりも厚生省や東電に乗り込んだ菅直人こそ反骨の長州人的な感じはするわな >>463
長井雅楽は惜しいな
歴史に出てくるのが早すぎた ミネルヴァ評伝選、ラインアップにある三浦梧楼、出ないかな?出ないだろうね。 幕末長州藩の強さは競争原理を導入した明倫館教育の大成果。
競争原理を否定した世襲原理で自滅したのが会津藩及び徳川幕府。 毛利家って歴史長い割に庶流少なくない?
普通歴史がある家系ほど庶流もたくさん派生するものだけど くだらない派閥争いが少なかった良質ある一族ともいえるじゃないか
お家騒動が絶えないと分家も多すぎるよ >>475
庶流の発生過程に派閥争いなどないんだか? 伊達も庶家少ない
逆に島津は多過ぎる
大友、相良、伊東も割と多い >>477
そもそも東北は庶流は少なくとも今も西日本に比べて苗字が少ない 一応4代元春の時には厚母、広内、中馬、福原の4家、その前の代には坂、有富の2家が興ってはいるのだけれどね 桂太郎も大江氏なんだよな
毛利の庶流とは言えないけど 江戸時代以降はそのまま分家して
別の名字名乗って家を立てる例って余り無いけど
なにか制約でもあったのか、それとも単に時代の変化なのか >>475
長州藩は派閥抗争がほとんどなく上下欲を一致させた団結力の強さで
本州の最西端の片隅に追いやられても260年間も生き延びることができたわけだ
家臣「殿 徳川追討の件、今年はいかがいたしましょうか?」
藩主「まだ時期尚早じゃ」 >>481
苗字帯刀という指針が生まれてそれ自体が身分の象徴となったせいもある
そしてその決定権は主にお上であり領主でありという具合、故に勝手に名乗るとかそういうのは許されなかった
分家筋でもお前は又末家でも由緒ある血を受け継いでいるのだから姓はそのまま
しかし差別化するために~某と付けたとかね、在所名だったりその家の初代が貰った諱とかね 長州藩を変えたのは松陰、久坂、高杉と言った連中で
それまでは普通の佐幕派 佐幕っていうか一般的には俗論派と呼ばれている勢力だろ 都市伝説レベルやが上の連中は本流と亜流の首の挿げ替えに忙しかったからな 藩士「殿、今年こそ徳川を討ちましょうか」
藩主「いまだ早い」
この長州藩、正月の恒例行事は好き 書生>城が攻め込まれました
一族>とりかえずぞ
書生>無事救援できました
一族>よっしゃああ、目出度い、祝杯じゃ!!
みたいぞ? 長州藩主は5代藩主の吉元以降は、毛利秀元の子孫だな。最後は輝元の男系子孫の元徳に回帰したが。 そりゃアンタ江戸後期の藩は殺るか遣られるかな時代だったそうだし、裏方がさ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています