源氏で人格がまともだった人は?
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源氏(源家)の実態は、
いわゆる魑魅魍魎DQNの集まりだったというのが
すでに多くの人の知るところだと思うのですが、
源氏の一族の中で人格がまとも(割と温厚)だったと思われる人って
どれだけいるんでしょうかね?
私が思い浮かぶのは、頼朝より以前の世代から考えても、
頼朝の弟・範頼、次男の実朝、源(多田)行綱
ぐらいなんですが、、、
ぶっちゃけ、頼朝より上の世代は本当に酷すぎたのでは?? 暴力集団の武士に政治家の教養を与えた頼朝や京都の貴族に感謝だね。だから武士は仇でもあり恩人でもある貴族層を皆殺しにできない。 昭和の京都兵は女癖が悪い
逃げてばかりで戦っていない最弱京都兵は性欲旺盛な強姦部隊と化した
平安末期の京都貴族は男癖が悪い
精力旺盛な後白河くんは平家の美少年にも手が早かった 足利や徳川は苗字であって本姓は「源」
源尊氏
源家康
が正式な名前 >>4
殴り合う貴族たちとかみてると暴力性が低い分まだ平安貴族の中ではマシって気もする 源家限定?
足利も始祖は頼朝の親戚の源氏だし
鎌倉幕府にもし頼朝時代からちゃんといるけど入るのかな >>14
光秀なら普段はいたって温厚だったのでは?
信長の方が反逆されて当然の対応をしてただけのことで >>18
光秀って叡山焼き討ちの時、ノリノリなんじゃなかったっけ? 木曽義仲は優秀だろ。単なる馬鹿に従う忠臣なんていないしな。
宮中のわけわからない作法だのなんだのに通じてないのは仕方ない。
頼朝なんていう疑心暗鬼の精神異常クソ野労よりよほど人間味あるやつだったと思う。
後白河法皇もクソ過ぎるし。
歴史ってのは残酷だ。 以仁王の令旨にこだわり後白河と敵対した義仲より、令旨を引っ込め荘園と国衙領を返却する代わりに鎌倉の合法政権化と東海道東山道の指揮権を認めさせた頼朝の方が格段に上 白河院の時代の3兄弟は、
次男の賀茂次郎義綱だけ目立った悪行がないよな?
実際、都人にも1番受けが良かったような感じだし
義家=直情的なわかりやすい悪党
義光=なかなか本性を魅せない善人面の悪党
義綱=割と普通の常識人
こんな感じだったような気がしなくはないが、どうだろう? 人を斬り殺して物事を解決する武士は都人には穢た存在 >>23
頼政も若い頃はブイブイ言わしてた方だし… >>26
そんな都人にかなり気に入られてたっぽい賀茂次郎義綱は、
八幡太郎と逆に、だいぶ文官寄りのタイプだったのかねえ?
漫画では親父の頼義そっくりの厳ついヒゲ面に描かれてはいたがw 源義光(最上義光)は源氏の中ではかなりマトモだし山形では尊敬されている名君 足利義政は人格はともかく美的センスは好き
派手な金閣などよりもわびさびの趣のある銀閣やあの庭園を好んだあたり好感を持てる
都が飢饉で死骸がごろごろしてるのも構わず庭作りのため名木、名石を漁りまくってた外道ではあるけどw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています