皇親と公家の上下関係
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皇親と公家の上下関係はどうやったの?
例えば親王なら一品みたいなやつがあるし
諸王も多分普通に官位あるよね?
皇親より官位が高ければ臣下でありながら皇親に対して恭しくはしなかったの? これは明治の話だろうけど
北白川宮一行と山縣有朋の一行が道で鉢合わせになった時
皇族である宮のほうが道を譲ったというエピソードを何かで読んだ記憶がある >>3
譲られるままに先に通ってしまったりしたら、こんなふうに後世に話が残ってしまう。
京都のお公家さんイケズなので、これ、ぜってー、こういう失礼な目に遭ったと言いふらしてるでよ、
それでこんなふうに伝わってるんよ。 江戸時代の世襲親王家と摂関の席次の話は有名だけどそれ以外はどうなんだろうね
特に気になるのが諸王よね
創作者というか、歴史系の物語だと公卿クラスになると少なくとも親王ですらない自分より簡易の低い
王には敬語を使わずに逆に王の方も当該公卿に大してはむしろ敬語を使っているという描写は割とあると思うんだけど
現実はどうだったんだろう
腐っても皇親だし公卿といえども所詮臣下やん? 火の鳥だっけ?
覚えてないけど
藤原不比等が王(多分長谷王)に対してタメ口で、王のほうは不比等に敬語で完全に不比等の方が上みたいな描写だったなぁ >>6
年齢差みると、
不比等、長屋王、聖武天皇で大体20歳ずつくらいなんよね。
聖武天皇も長屋王に敬語使ってそう。
人前だとぎこちないかんじで命令調でも、少人数の閣議とか個別の謁見だと相互に敬語になってしまうとか。 古代の律令制(延喜式)では親王≧大臣
中世の書札礼(弘安礼節)では摂関=親王>大臣
近世(禁中並公家中諸法度)では
現任摂関>現任三公>親王(直宮)>前摂関>摂家前三公>諸親王(親王家・宮門跡)>清華前大臣>内大臣>前内大臣>准大臣
慶應三年十二月摂関廃止後、慶應四年(明治元年)正月には宣下親王>三公
前近代を通じて諸王は諸臣に混じって官位順
近代の旧皇族身位令では皇太子>摂政たる親王・内親王・王・女王>親王>内親王>王>女王 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています