【画像】魏志倭人伝を解読した。卑弥呼=百襲姫命だ
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箸墓と吉備の出土品の関係性からモモソヒメと吉備津彦の実在が読み取れる
この中心に居るのが崇神で彼は大和からアマテラスを遷座させた
祭祀を受け継いだという意味で台与=豊受大神=モモソヒメ、箸墓は有り得る
モモソヒメはその祭祀を吉備を経由した出雲、瀬戸内方面から取り入れたこととなりそこに卑弥呼の存在が匂ってくる
出雲に女王の伝承が無いことは気になるが瀬戸内には豊玉姫ゆかりの史跡が多いな
海人族由来の女王が卑弥呼だったとすると魏志の記述と合わせて何となくしっくり来るものがある 百襲姫はねぇは。
若い時に性器に箸が刺さって死んだとかインパクトありすぎて300年後の記紀を編纂してる時も「あー、それはみんな知ってるよね。墓もあそこだよね。」ってなったのが簡単に想像できる。
名前も長すぎて逆に覚えてしまう。卑弥呼じゃないわ。 陳寿は誤解してるまたは全て嘘、
って説ってのはどうだろう
あくまで本当は倭の王は男
大和(邪馬台国)を中心に制圧を拡げた際、被征服国に技術供与の条件に祭祀の変更を要求した
(銅鐸→銅鏡や墳墓の変制)
征服された国の人民は王の存在よりも祭祀の存在感が大きくてそれを司る女王に支配されていると錯覚しただろうな
陳寿を案内し説明した倭人は上のような様子を見せて女王こそ最高位だと陳寿に説明したとすると辻褄が合う部分がある
ミミナリは厳しいやつとかな
そう、全ては嘘
見える真実(北部九州の実態など)に嘘を織り交ぜてる
位置のおかしさも含めて考えると騙してる方が説得力ある
だから記紀には記載されない
だって倭にとっては事実じゃないからね
こう考えてゆくと邪馬台国とは勃興したての大和である可能性があるし卑弥呼のモデルが箸墓の主モモソヒメの可能性も大きいと思う 勿論モモソヒメは卑弥呼、日女命であると記録もあるんだしな。
また神大市媛という名前からも判るが、神と付く姫は普通の存在ではないのは確実だね。 >>210
神と付く姫は神に捧げられた存在(生贄)の可能性は無いのかな?
神に捧げられた存在故に神同然の存在になった的な…。 大物主との神婚の意味はとても大きいからな。
神大市姫はスサノオの嫁という名前でもあるのは意味深だ。 祇園山古墳が高良大社の麓にあることは、ほとんどの本州人は知らないので、困ったことですね(大和説の陰謀?!^^)。
まず、魏志倭人伝「女王国(九州)東渡海千里複有国皆倭種(本州)。又有侏儒国(四国)在其南、去女王(之所都)四千里」で、九州で決まり。
さらに「(女王国)其南有狗奴国(長官・狗古智卑狗=菊池彦)」ですから、邪馬台国七万戸は、菊地平野の北に隣接する筑紫平野しかないですね。
そして3世紀中頃の築造で、殉葬者66人が確認されている王墓は祇園山古墳しかなく、その尾根上にある筑紫国一之宮・高良大社で決まりです(おめでとうございます)!
ちなみに「不弥国から南水行二十日で投馬国に至る。さらに南水行十日陸行一月で邪馬台国に至る」は、「その道里を計るに、まさに会計東冶(帯方郡から12,000里)之東(沖縄と台湾の中間)にあるべし」と結論するために、陳寿が中国大陸側の行程を倭国に転用した方便(嘘)とすると、投馬国五万戸(宮崎都万)も九州内に収まりますよ。
また、高良大社は7世紀・飛鳥時代の倭王・阿毎多利思比孤(@理由もなく噴煙を吹き上げる阿蘇山に祈祷)が、卑弥呼の王宮跡地に建ててあげた新同盟国・高句麗の大使館だとすると、麓の祇園山古墳の周囲には、須恵器が出土する高句麗系の集団墓地があることの説明が付きますよ。
なんだか双六の「ふりだしに戻る」みたいで呆気ないものですね( *´艸`) >>213
父親の孝霊天皇は出雲で月支国の船団と遭遇したり、半島と山比べした伝承を残しいる。
まあ欠史では大陸に使いを送ったりした一人だろう。 桃は仙果、巻向や鍵唐古周辺で大量に種が出ているからな。百襲姫の弟吉備都彦も桃太郎のモデルで
ヤマト出身の人物だから象徴的な名前が付けられたという事。 >>218
そんな象徴的なもの魏志倭人伝に記録されるだろう
ないということは百襲姫は卑弥呼じゃないということ 天照、神功、百襲姫等に分散させて
登場させたんだな。 >>1
★★★猿でもわかる邪馬台国の(北部)九州否定説★★★
邪馬台国 論争の背景
http://www.yoshinogari.jp/ym/topics/yama02.html
伊都国(福岡県糸島市)
↓
↓百里
↓
奴国(福岡県博多湾付近)
↓
↓百里
↓
不弥国(福岡県糟屋郡宇美町付近)
↓
↓水行二十日
↓
投馬国(不明)
↓
↓水行十日、陸行一月
↓
邪馬台国
まともな地図を作れなかった古代では距離や方角を常時正確に測ることは難しかった可能性が高い。
しかし、古代であろうと水行、陸行日数を数え間違える可能性はほぼゼロに等しい。
ということは、もうこの時点で方角に関係なく、不弥国のすぐ近くにある(北部)九州の可能性が
一番最初に消えることは猿でもわかるはずだよね???
考古学会も畿内説でほぼ固まっている。
(北部)九州説を主張してる人は振り上げたこぶしを下ろせないだけでしょ?
いい大人がいつまでもみっともないよ。
もういい加減あきらめようぜ。
動画を作ってみました
日本書紀崇神紀の百襲姫と卑弥呼、かなり一致してます
tps://youtu.be/SrO4xsifmI8
>>223
海部氏勘注系図に百襲が日女命だったと書いてありますね
そして又の名を日神であると >>226
でも、百襲姫の名は、奈良時代に作られたものでしょう。 台与(トヨ)が豊受(トヨウケ)とおんなじなんて、ありえんと思うわ。 台与は、3世紀中頃に実在した女王。
豊受は丹後で伝承された食物神。
この両方を一つの線でつなぐのなら、それなりの根拠がなければね。 トヨ(豊)という言葉はごく普通の一般的な言葉だったのだから、3世紀中頃の倭国の女王の俗名にも用いられたし、その後の丹後の女神の名にも用いられたということ。
そのトヨ(豊)の言葉が用いられていることと、両者が同一であるとすることとは別。
もし、同一だとするのなら、やっぱ、そこは、それらしい説明がいるよね。 8世紀の記紀編纂者にとっては、「卑彌呼」および「壹與」は
大日霊女命でもあり、天照大神でもあり、大宜都比売でもあり、豊玉比売命でもあり、
みな同じ大神なのである。 @阿波 御祭神を「豊玉姫命」とする豊玉姫神社(とよたまひめじんじゃ)は、各地に鎮座しているが、
「豊玉比賣」の名を冠する式内社は全国で唯一、阿波国だけにしかない。
式内社「豊玉比賣神社」が阿波だけにあることから分かるように、
もちろん「豊玉比賣」は阿波の神である。 @阿波 >>233
日本書紀のどこにそんなこと書いてあるのよ。
勝手解釈この上もなし。
アマテラスなんて、奈良時代に創出されたのとちゃうん。 >>235
>アマテラスなんて、奈良時代に創出されたのとちゃうん。
日本書紀もな。 わははははは @阿波 >>234
その天石門別豊玉姫は、忌部の神さんやろ。
記紀の豊玉姫を勝手に引っ張ってきたちゅーこと。
なんでも寄せ集めてくるのが得意やからな。 >>237
>その天石門別豊玉姫は、忌部の神さんやろ。
忌部か物部か蘇我か、その他か、はっきりとは分からん。 みんな「倭人(阿波勢力)」だから。 @阿波 卑弥呼様は天照大神であり、天照の依代である斎王(百襲姫、倭姫)であり、男系相続の危機に現れる女帝(持統、元明)の原点のようだね。 >>239
倭姫はいいとしても、百襲媛は大物主の依代だし。 >>228
あれ、邪馬台国大和説やってんの?
今どき、邪馬台国大和説は見向きもされんよ。
遅れてるな。 それに、饒速日なんて、物部とも崇神とも無関係。
饒速日は元々は馬飼い女真人の神さんで、それを物部が取り込んで自分らの神さんにしていたのを、
日本書紀編纂室が神武の大河小説の登場人物の長脛彦の部族のシャーマン王に仕立て上げて書き換えたもの。
日本書紀の神武の大河小説をそのままそっくり鵜呑みにしたらあかんがな。 家康が東照大権現として神格化されたのと同様の流れが
百襲姫が死んだ時にも起きていて
天照と伊勢を巡る当時のゴタゴタはまんまそれだと見てる 天照と伊勢のゴタゴタについて、もう少し説明してくれ。 wikiの元伊勢の項目が分かりやすいかな
百襲姫が現役の頃って大物主が強く
天照が妙に冷遇されてて違和感があるのだよね >>243
崇神紀の話ね。
天照大神を天皇の住まいで祀ることをやめて、外に出して祀るようにした(=家康の霊を神として日光で祀るようにした)。
大物主が百襲媛に憑依して疫病の原因は自分であることを告げた(=その後、百襲媛は大物主の妻となったが、不慮の事故で死んで箸墓古墳に葬られた)
この二つに何か関連がある? 崇神紀の筋は、当時流行った疫病は崇神が天照と大国魂を宮から外に出したために生じた祟りではないかと崇神が疑い、その真偽を知るために神招きをしたところ、疫病の祟りは天照の怒りが原因ではなく大物主の怒りだったことが分かったというもの。
なので、天照は、三輪山の大物主を祀る祭事の起こりを説明するための導入部の役目をさされているだけのもので、その天照自体は大物主の祀りとは直接的に関連しない。
そういうわけだから、神招きのための依代となった百襲媛と天照は何の関係もないということになるね。 百襲姫の死後割と近い時期に天照という神様が
大物主に取って代わってる印象を受けるんよ
巫女が消えて大物主が衰えたというよりは
生前に凄まじい業績をあげていた巫女が
新たな信仰対象として他を飲み込んでしまったのではないかと 崇神紀の記述は、むしろ、天皇の守護神として大物主がのしあがって来ているのでは。
出雲国造神賀詞では、天皇の守護神として大国主と集合した大物主が大きな力を持って描かれているし。
大物主と交代するように天照(日神)が天皇から遠ざけられているのが、崇神紀の描いているストーリーではないか。
まあ、日神が天照大神として皇祖神になっていくのは、持統天皇の頃からじゃないの。 弥生人と今の朝鮮人(チョン)とでは性格がまるで違う
弥生人(長江文明人と推測)
水田稲作、高床式倉庫は、定住、几帳面、計画的、貯蓄性
神道鬼道、
清潔、キレイ好き
縄文人にも農業を教えた可能性、縄文人を追い遣らない可能性
アクセサリーは翡翠勾玉は縄文人と同じ?
馬には乗らない、馬は居ない
蛇または鳥信仰(例えば神武天皇は鳥を連れてる)
今の朝鮮人(チョン)
焼き畑、移動式、陸稲、無計画、ズボラ、
山はハゲ山
形だけの信仰
汚い、不潔、ワイ族のワイとは汚い意味
乳出しチョゴリ
狡猾、卑怯、高い犯罪率
奴隷制度
馬に乗った可能性あり北方遊牧民系
殷、燕、扶余、漢、唐、元、明、清などに征服されてレ○プされまくり 神話の神々を実際の人間の如く考えるのは平田学の影響なのか?
非常に違和感があるのだが古史古伝か?
古伝の書物で学問的価値があるのは鎌倉時代までだろう
それ以降は滅茶苦茶なオカルト書だらけになってしまう
大物主やら大国主やらの話だがこれは古人が記述を残していないため平安末期から鎌倉時代にかけての三輪山の教学から推測するしかない
この頃ならば古代が終わったばかりの時期だからそれなりの伝承が残っていたからな
少なくとも江戸時代に考案された(自称)古い時代の神道よりは中世初期のものの方が本物だろう
まぁこれは三輪山の絵巻を見れば推測できる
海を照らして依り来たる大物主の神を天照大神と書いている
大国主を天照の化身と考えていたのだろう
その証拠に日吉大社では祭神を天照と同じとしていた
中世人の理解はかくの如しであった モモソも巫女だった。
しかもシャーマンとして力のある巫女。
でも卑弥呼とは世代が違う。
大和朝廷の支配下に無い勢力に嫁に行ったがそこでスパイ行為したのを見つかり咎められに処刑された。
槍二本を陰部に刺されて。
嫁として来たのにスパイ行為という裏切りをしたから陰部に槍を刺すというやり方での処刑。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています