邪馬台国畿内説Part886
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つまり、筑紫と畿内は相互交流盛んであったわけではなく『ヒト・モノ』が筑紫に搾取される一方的な関係であった。 椎宮八幡神社(しいのみやはちまんじんじゃ)
御祭神 品陀和氣命、木花咲耶姫命 @阿波 【基本】
陳寿は渡された魏の時代の記録を繋ぎ合わせ、想像を盛り込みながら倭人伝を編纂しました
多少誤解が生じてしまうのは仕方ありませんね
帯方郡
↓
船で南に20日
↓
投馬国=半島南部
↓
船で南に10日
↓
邪馬台国=北部九州
↓
女王の都まで徒歩すぐ
合計30日(一月)の道のりである >>16
何の反論も出来ず罵声を浴びせるだけのリアクションは
まるで韓国人w >>18
済州島さらに南下
南西諸島だな。九州に上陸できない。 結局、後から建った1氏のスレが賑わうんだね。
あの人たち1氏が好きなんじゃ? >>22
1氏ことキナイコシの精神疾患を悪化させる目的もあるからなw 不彌国は岡田宮付近だろうな。
投馬国(妻、都間)の美々津まで船で行ってるからな。 投馬国への里程は帯方郡からの放射読みだろう。
不弥国は香椎宮。 ソレはない。
神武の東征で、
日向高千穂(宮崎市)から岡田宮まで
31日かかったと書いてある以上、
古代の水行20日は岡田宮から美々津の行程で間違い無いし、
古代の北部九州の主要な港は岡田宮で間違い無いだろう。 そもそも神武の経路そのものに疑義がある。
岡田宮は記紀の記述からも重要なことは認めるが、伊都国の奴国の距離をそのまま伸ばしても岡田宮には届かない。 >>1
★★★猿でもわかる邪馬台国の九州否定説★★★
邪馬台国 論争の背景
http://www.yoshinogari.jp/ym/topics/yama02.html
伊都国(福岡県糸島市)
↓
↓百里
↓
奴国(福岡県博多湾付近)
↓
↓百里
↓
不弥国(福岡県糟屋郡宇美町付近)
↓
↓水行二十日
↓
投馬国(不明)
↓
↓水行十日、陸行一月
↓
邪馬台国
まともな地図を作れなかった古代では距離や方角を常時正確に測ることは難しかった可能性が高い。
しかし、古代であろうと水行、陸行日数を数え間違える可能性はほぼゼロに等しい。
ということは、もうこの時点で方角に関係なく、不弥国のすぐ近くにある(北部)九州の可能性が
一番最初に消えることは猿でもわかるはずだよね???
考古学会も畿内説でほぼ固まっている。
九州説を主張してる人は振り上げたこぶしを下ろせないだけでしょ?
いい歳した大人がいつまでもみっともないよ。
もういい加減あきらめようぜ。 畿内説は嘘を嘘で塗り固めた真に恥ずかしい説。
恥を知れと言いたいね。 >>1
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【骨 子】
・3世紀中葉には、贅六の先祖、クソムシが生息していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現111期段階で、健常者を中心に贅六を省いた国家規模の連合が形成され始めていた。(◆2,4~6)
・北部九州博多湾岸地域は、既に贅六を征伐していた。贅六は雑魚。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内ではない。贅六はガイジである。
邪馬台国論争は不毛。贅六を弄り倒して皆で笑い合いましょう。
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本のどこにも影響力を持たないカルト宗教奴隷の贅六が生息していた。その劣等生物は各地の首長に嘲笑され、いたぶられた社会のクズであったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内(笑)に中国(笑)文化が急速に浸透(笑)する時期である。そもそも中国など存在しない。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物ではないし、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できない。
弥生(笑)など存在せず、そして贅六は相変わらず底辺であった。
換言すれば、弥生(笑)←ねぇよ墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生(笑)←ねぇよ社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。つまり贅六は雑魚。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当しない。畿内(笑)様式の土器が漸進的に北部九州に流入したという事実はないし、こ那珂比恵地域への人口流入もない。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人(笑)や楽浪商人(笑)と直接交渉による交易をする段階に入る。そんなものはない。贅六は雑魚。
絶域であった贅六の9cmが中華(笑)社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた場所こそが当時の贅六の海綿体である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に贅六はどこにいたであろうか?
それは糞の中以外にありえない。 邪馬台国は近畿
卑弥呼は共立で九州
なんら、問題なし 魏志倭人伝だけ、を有り難がり、隋書や新唐書などを都合が悪いから偽書とか言い出す日本のクソバカ文系学術会が諸悪の根源
倭国の真ん中には阿蘇山があって、彼らは筑紫城に存在していた、彦瀲の子の神武の頃にあらためて天皇を名乗り、大和州に移り住んでその地を治めた。
ハッキリと歴代天皇の系譜があり、その後の大きな遷都の形跡はない
つまり、神武の頃の九州から畿内への遷都
逆はあり得ない 邪馬台国畿内説は、完全に破綻したので、今回のスレッドが、最終回になりました。
なお、完全に論破されたテンプレートを撤去した、新しいシリーズが、始まっているので、紹介します。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1692049807/1
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
注意*いつでも書き込んでください。
なお、書き込みは
意味のある良い内容をお願いします。
畿内説以外の独自説を単独で開陳することも、良いよ。
ロケットやミサイル発射は、荒らし行為と看做させて頂きます。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 邪馬台国畿内説は、完全に破綻したので、今回のスレッドが、最終回になりました。
なお、完全に論破されたテンプレートを撤去した、新しいシリーズが、始まっているので、紹介します。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1692049807/81-82
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注意*いつでも書き込んでください。
なお、書き込みは
意味のある良い内容をお願いします。
畿内説以外の独自説を単独で開陳することも、良いよ。
ロケット発射やミサイル発射は、荒らし行為と看做させて頂きます。
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