邪馬台国畿内説 Part896
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邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現期段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。(◆2,4~6)
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。
前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1684724852/l50
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。
2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当する。畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入していく時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大する。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階に入る。
絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纒向以外にあり >>849
意味不明?
魏志倭人伝に倭国人てあったけ? >>838
銅鐸はどっちが先とかわかんねえのよな
そもそもが古いもんだから >>850
倭国の国民という事だよ、倭種は倭国の国民では無いという事 >>853
自説はいいよ。君の考え方だ
当方とは相いれぬ
記述はない 素直に読んで
九州に倭人がいて、本州・四国に倭人に近い種族がいるってことだよね >>860
素直に読んだから
倭種の集まりでもある女王国。
奴国も不彌国も倭種 倭人と倭種の関係は、韓国と北朝鮮みたいなモノつまり別物 「倭人在帶方東南大海之中 依山?為國邑 舊百餘國」だから
倭人と倭種は同じ、女王国の東に渡海しても同じ倭種ということ
九州島は倭人の風習が拡がらなかった非倭人の島 >>870
そうだね。
旧唐書では国名が判明したので、日本国は倭国の別種である、と明記された。
しかも倭種だけでは畿内説のようなアホを説く者が昔からいたらしく、ちゃんと別種と丁寧に説明している。 >>866
そんなとこだろね
漢民族以外は下に見ていて国交がなけりゃサル扱い >>868
> 倭国人が倭人で、その他は倭種。ではないかと
正解。
つまり九州が倭国で、本州は倭の別種。 魏志倭人伝の女王国の最初の奴国に至る12000里の手前の国々は非倭人 >>875
答え出てんじゃん
九州→倭国(南に狗奴国)
本州・四国→日本国 >>869
北部九州一帯の女王国30国は朝貢したので記録が残った
そして朝貢しなかった吉備・出雲、畿内、東海で70国は倭種扱い ただ、のちの伽耶に倭人が住んでた可能性は否定しない >>880
30か国のその文献は?
詳細な文献は? >>882
アホのために現代語で説明しただけだろ。
日本語が通じてないのか? >>346
> 朝鮮半島に数万基ある支石墓は壱岐、対馬、福岡平野以東には無い
> 糸島が東限、肥前、肥後北部、筑後に分布する
それが倭国の範囲、または女王国の範囲なんだろう。 >>885
魏志倭人伝、魏略、広志など
倭国文化の描写はそれら九州の30国の記録からピックアップしたものだろう
海産物を食したり、クスノキ科が多いことなど >>887
邪馬台国と投馬国は女王国ではないて事ね >>890
ト骨、出真珠青玉 其山有丹 其木有枏杼豫樟楺櫪投橿烏號楓香 其竹篠簳桃支
有薑橘椒襄荷 不知以為滋味 有獮猴黒雉 >>884
当時日本をヒノモトと読んでたのか?
記録が無いな >>891
邪馬台国と投馬国と旁國は本州、四国の女王国 >>896
そもそも7世紀より前の日本国内の史料は全くない。 >>899
史料はないが
熊本、埼玉からの鉄剣に文字 >>895
倭種とは人種の事ではないと考えますが
倭国の人と区別したのだろう >>904
いいえ、其餘旁國遠絶 不可得詳だからです >>895
魏と国交のある倭人が形成していたのが倭国、それ以外は倭種の国 >>910
>>当方は
>>考えません
何事も思考しない
なのですか。
わかりました。
終話です >>913
何事も思考しない
なのですか。
わかりました。
終話ですね まーだやってらっしゃるのか
卑弥呼陵 ← 黒塚古墳(天理市)
卑弥弓呼陵 ← 高尾山古墳(沼津市)
ハイ終了
解散! >>917
>>861
つまり近畿説は畿内説の亜種という事
君達は面白い >>923
当然だけど、翡翠もあるから範囲は広い
中国使者の観点だからね >>923
そう思いたい気持ちはわかりますが、畿内は倭種の名前もわからない国なのですよ。 >>927
そう思いたい気持ちはわかりますが、畿内は倭国
ですね 女王国から東に渡海すると倭種だからな
もう本州四国は可能性ゼロだろ
もとから無理筋だった 帯方郡→水行二十日で投馬国(対馬)→水行十日で伊都国(出雲)→陸行ひと月で伊勢遺跡
だと何度言えば >>896
酒は飲め飲め飲むならば 日の本一の此の槍を >> つまり近畿説は畿内説の亜種という事
>> 卑弥呼が九州だから
近畿説は九州説の亜種という事
君達は面白い >>933
デタラメを何度繰り返しても真実にはならないよ 後漢書における邪馬台国までの里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
(楽浪郡は)その(邪馬台国の)西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の南界を極める。
魏略逸文における里程
帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里。
魏志倭人伝の邪馬台国までの里程
帯方郡(朝鮮北部)から狗邪韓国(朝鮮半島南岸)まで七千里、(帯方郡から)女王国まで一万二千里。
※対馬海峡が三千里であるため、帯方郡から九州上陸までで一万里となり、上陸後二千里の邪馬台国の位置は九州北部になる。
魏志倭人伝の邪馬台国までの日程
帯方郡から邪馬台国(福岡県)まで水行10日、陸行1月(1日の誤りか)
また、帯方郡から投馬国(宮崎県)までは水行20日 >>934
魏志倭人伝の国で東に海がある国て?
しかも千里とある。 1万2千里は、海と陸を行くこと30日。
と、偽志倭人伝に明記されてる。 >>946
江戸から続く二大石頭とは
ちょっと違うんだな >>941
魏志倭人伝をよく読むように。
宿題だぞ。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。