ザビエルが日本に来た時なんで外国語がわかったん?
まじでなんでザビエルの言葉がその当時の日本でわかったん? ありがとうございます!通訳もその時代にいたんですね! 鹿児島で人殺して貿易船に逃げ込んだヤジロウという男から教わった >>5
人種のるつぼ化していた中世インドの世界貿易港ゴアで
鹿児島出身のヤジロウという日本人と宣教師ザビエルは出会い
他の殺伐とした民族とは違いヤジロウの気質が良く頭の良さに
感嘆したザビエルがヤジロウの母国である日本に大いに興味を惹かれ
ザビエルはインドから日本行きを決心をしたエピソードは感動的だよね >>7
訂正
記憶違いでゴアではなくマラッカでした ネットで記事検索しました。
合ってるか自信がありませんが...
ポルトガルから鉄砲が伝来した
時の方が先だったようです 鹿児島のゴンザとソウザは世界との交流が閉ざされ日本人が
閉塞的性格に傾いた江戸という檻の中で生きてきた時代に
船が難破し漂流の末ロシア帝国のサンクトペテルブルクに赴き
時のロシア帝国のアンナ・ヨアノヴナ皇帝と謁見し
中世の鹿児島の人がロシア科学アカデミー内に
ロシア初となる日本語学校を創立した偉業をロシア史に残したりもしてる >>4
ごめんなさい。ペリーと勘違いをしてオランダ語と書きました。
ザビエルは>>5さんがかかれているようにヤジロウが通訳をしてくれました。
主を大日如来と訳すなどいろいろと問題はあったようですけど、意思の疎通はできたようです 外国でキリスト教の教えを広めるためにはその国の言葉をしる必要がある。そのために、初めて接した言語でも素早く辞書や文法書を作り、効率的に外国語教育を行うシステムがイエズス会にはあった。だが在日イエズス会トップのカブラル布教長はその必要を認めなかった。
その後、総長直属の巡察使としてカブラルの上位者であったヴァリニャーノによる、対日布教方針の重要な変更の一つが、日本語辞書と文法書の急速な作成の命令で、そうして完成したのが日葡辞書と日本大文典。これらの使用により、ヨーロッパから新しく到着した宣教師の多くが1年で日本語で説教可能なレベルに到達したという。 日本人にとって先祖は家族同然で生活しとると考えるんじゃ
そこをキリスト教は読み間違えたんじゃな。
洗礼を受けた者だけが救われるキリスト教じゃ
洗礼を受けれない先祖は救われない事が分かって、こりゃダメじゃと断られた。 の割には禁教の前にはかなり爆発的に信者増えてたがな