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内務省
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2010/10/17(日) 15:05:51ID:eBDpOYnS0
第二次世界大戦まえ、日本の内政を一手にひきうけていた内務省。
警察をつかって国民を統制していたというマイナスの評価がほとんどだが、都道府県をつうじて効率のよい行政をおこなっていたとの評価もあるが実態はどうだったのか。
0125名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/12/21(月) 00:54:49.73ID:z4Ngfzj60
>>124

>大正から昭和にかけてが専門

ありていに言うと、明治期までの官僚組織は薩長藩閥の影響力があまりにも強く、
その藩閥の中核であった陸海軍の存在が圧倒的で、内政を管掌する内務省は
権力ゲームのプレイヤーにとっては重要な存在ではなかったんですよね。

山縣・桂・寺内と続いた陸軍閥と、山本・加藤らの海軍閥の存在はやはり大きい。

>戦前では、内閣総理大臣>内務大臣>警視総監、という図式でしたが、
>戦後は、内閣総理大臣>国家公安委員長>警察庁長官>警視総監、という図式です。

これについて、法制度的な問題とは別にして、運用的な側面や実態に関する
理解も重要なのではないかと思います。

戦前の組織としては内務大臣の法的な地位は、原則として明治憲法体制のもとに
一貫して変化してませんが、大正デモクラシーによる揺り返しによって選挙結果を
受けた「民意」というものが重視されるようになってから、選挙を管掌する内務省の
存在がそれまでよりも重視されるようになったという経緯があります。

政府が予算を執行する上で、議会の賛同を得なければならないために衆議院における
政党への対応が重視されるようになり、その「議会の賛同を得る」という必要上から
政党の党首が内閣総理大臣として指名されることが必然視されて行き、政党内閣制が
軌道に乗ってきたという流れがあって、内務大臣が「副総理格」として遇されるように
なってきたものそういった事情が預かってのことです。


また、戦後の警察組織では法制度的には警察庁長官と警視総監では長官の方が
上になっていますが、警察キャリアにとっては両者を「同格」と感じている
人も多くいるようです。

後藤田正晴の回顧録に書いてあったと記憶していますが、警察庁長官と警視総監の
ポストはそれぞれが概ね2年間程度在職し、ある年度の最優秀者が長官になると、
その次の年度の最優秀者は総監になり、またその次の年度の最優秀者が長官に
なるといった具合に割り振られるような慣例があったそうです。

キャリア官僚にとっては入省年次が重要視されるので、昭和50年入省組とか
53年入省組とかの「同期」同士がライバルとしてしのぎを削り、出世争いから
脱落した人間は定年前に退官したり天下ったりして少しづつ減ってゆき、
最後まで生き残った人間が長官または総監というポストを手にする、という形。

その場合どちらのポストに就くかというのはその時どのポストの方が先に空くか
どうかという時の運みたいなものになってしまうので、意識の上ではこの二つは
「同格」みたいな感じになるそうです。

また、組織上は長官の方が格上であったとしても、総監の方が入省年次で上だったり
すると後輩である長官の方が遠慮をする、みたいなこともあったりするそうなので
やはりこの辺からも「どちらが格上」とは一概に言えないように思います。
0126名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/12/21(月) 00:57:01.36ID:z4Ngfzj60
>>124
>内務三役は、何れも内務大臣の下僚であって、協力関係であっても上下関係では

これについても注意が必要です。
内務三役はそれぞれに内務大臣に直結していて、宮中席次でも同格に近いですが、
制度上は警保局長も警視総監も、内務次官の下になります。

国務大臣としての内務大臣の下に、事務方のトップとして内務次官があり、その下に
組織上は並列の存在として、警保局長・地方局長・土木局長・社会局長などが
存在していました。

警保局長は警察行政系統のトップであって、内務省内では地方局(後の自治省)系統の
勢力もそれなりの存在感を持っていました。

むしろ各県の知事として誰をどこに配置するかに関する決定権を持っていた地方局は
「自分たちの方が内務省の本流だ」という意識を持っていて、警保局系統の内務官僚に
対する対抗心を持っていたとも伝えられています。
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