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海軍兵学校と陸軍士官学校について
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/11/02(火) 15:52:22ID:y8EJIbV70
エリート教育
0025名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/07(火) 12:29:47ID:HamOXfWU0
>>13
海兵は仮に今いても間違いなくイケてるメンズだな。
頭脳明晰で運動神経抜群であの制服に短剣姿だ。
その上、会話の中にユーモアを交える習慣があったそうだし。
女からモテる要素だらけの最強のイケメン集団だろ。
0027名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/07(火) 20:57:10ID:qZ9Qlxye0
>>24
東条が満州の関東軍にいた時のことだよ。飛行場まで出迎えに来た時のことだろう。
まあ、軍の予算を決めるのは主計官だからそのくらいのことはするだろう。
福田の自慢話だな。
0028名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/07(火) 21:30:09ID:rDN5ybcQ0
>>24
そうそう。
東条が関東軍参謀長だったときの話だよ。
0029名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/12(日) 21:26:25ID:9p6vspVO0
一高と海兵のどちらが難しかったかは、時期によるみたいだね
亡くなった祖父の話だと、海兵受かったっていったら、それこそ村の誇りだったと
田舎だったからかも知らんが
0030名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/12(日) 21:43:46ID:FZtAt25+0
旧制一高→東京帝国大学
のコースは、高い学費が必要。
陸士と海兵は授業料がいらない上に、給料までくれる。
0032名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/12(日) 22:26:07ID:FZtAt25+0
>>31
戦前のある時期までは、国立の旧制高校→帝国大学のコースより、私立大学
のコースを進んだ方が、学費は安かったそうだ。
今より官尊民卑の傾向が強かったからかね。
0033名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/13(月) 16:55:28ID:uxYGO6IJO
>>30
衣食住保証+給料付。おまけに平時でも上手くいけば大臣や総長。
戦時に手柄を立てれば華族の仲間入りとくれば、貧乏人の希望の星だわな。

もっとも、海兵の食パン+味噌汁なんて朝食にあこがれた奴がいるかどうかは疑問だけどw
0034名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/13(月) 22:28:22ID:ddhDsJqc0
俺も海兵の食事にびっくりしたわ。あの量で武道、カッタ訓練、棒倒しを
やったんだね。
0035名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/14(火) 01:19:15ID:y6T+ccUUO
付け合わせは微量の粗目砂糖だけ。
やっぱり、パン頬ばって、味噌汁で流し込んでたのかなあ…オエッ!
0036名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/15(水) 22:59:31ID:gR6fudTA0
日露戦争の勝利は、鳥羽伏見、西南の役を経験した司令官と陸士、海兵出身の参謀との
役割分担の成功にあった。太平洋戦争では陸大、海大の学校秀才が司令官として
指揮をした。司馬さんさんはその差を指摘していた。
0039名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/17(金) 22:36:40ID:BpWfED+M0
司馬史観は明治と海軍に寛容で、昭和と陸軍に厳しいからね。
0040名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/17(金) 23:01:18ID:stM6NUoa0
司馬遼太郎に限らず、戦後は海軍善玉陸軍悪玉史観が圧倒的に強い。
阿川弘之も米内光政、山本五十六、井上成美などを持ち上げてる。
0041名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/18(土) 00:53:30ID:Q8qeVbf3O
司馬と阿川じゃあ、むしろ司馬の方が海軍マンセー度は高いよ。
隣の芝生は青く見える類だね。
0042名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/18(土) 04:03:53ID:yxouQqG30
>>36
エントロピーの法則だな。
旧時代の価値観が残り、新時代の価値観とぶつかる革命後30?年ぐらいが、
最も国力が充実する。旧時代の価値観が消滅すると国力は衰退に向かう。
満州事変を起こし日本が一気に軍国化するのが明治維新から62年目の1931年。

1945年敗戦で戦前戦中派が実権持っていた1975-1990年ぐらいが日本の最盛期。
戦前戦中派がどんどん引退した1990年頃から日本はひたすら衰退している。
0043名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/18(土) 21:57:35ID:VO/m9fKU0
>>42
どんな組織でも肥大すれば、官僚化が進む。官僚制度の悪弊の最たるものが
誰も責任を負わないシステムの存在であろう。司馬さんは昭和の陸軍にそれを
みたのだろう。ノモンハンの辻、服部であり満州事変の板垣、石原の責任は
不問に等しい処分だった。
物理は苦手だったので、そうですか、としか言えません(笑)。
0044名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/18(土) 23:14:00ID:BY7pxFSc0
責任取らないという意味では海軍もひどかったんだけどねえ。
ま、陸厨みたいに海軍の方がひどかったという気も
海厨みたいに海軍はまだマシだったともいう気はないけど。
0045名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/20(月) 19:08:22ID:HVGaUETG0
アサヒビール名誉顧問の中條高徳さん(1944年に士官学校入学)の本では、
当時の陸士は現在の東大よりはるかに権威の高い学校だったと記載されている
受かっただけで「家門の誉れ」「郷土の栄誉」だったとさ
0048名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/21(火) 23:26:01ID:V7sbRdaG0
戦前の学校制度は八ケ岳型だった。東大はその中の官吏養成の最高峰。
実業界を目指すものは一ツ橋神戸高商に、教育界は東京高師に進学した。
東大卒がこの世界に入っても大きな顔はできなかった。
戦争中に赤紙がくれば、学歴無用の世界が待っていた。インテリの軍部嫌い(特に陸軍)は
この体験にあると思うよ。
0049名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/21(火) 23:42:25ID:r43j8DwT0
>>48
海軍は、短現制度で、東大卒を上手く味方につけたね。
陸軍の赤紙だと2等兵だが、海軍の短現だと、いきなり主計中尉。
戦後、官界や財界の幹部に短現出身者が多かった。中曽根もそう。
これは、海軍善玉陸軍悪玉史観にも影響を与えているだろうね。
0050名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/21(火) 23:44:22ID:3bjlUITz0
そもそも東大内務省、富豪議会の失政の受け皿が陸軍だからな
0051名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/22(水) 08:48:44ID:E1j3DG2bO
つっても、陸軍だって結局は入営した大卒の二等兵をすぐに幹部候補生にして初級将校に当ててたんだから、
遠回りしてるだけで結局は学歴を優遇してるんだけどね。
何しろ、幹候の試験を白紙で出したのに合格した、て話もある位なんだから。

本音は陸士出身者の軍内特権意識と高学歴者へのやっかみ、さらに当時の社会主義的風潮から、
軍の平等性を建て前を崩すと下克上が下士官まで普及しかねないのを恐れたんじゃないの。
0052名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/23(木) 01:23:44ID:Vxbe02J60
>>51

その幹部候補生選抜者がけっこう古兵サンに目をつけられて初年兵期間
虐められたのよ。
0054名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/23(木) 21:13:25ID:ks/lMeYW0
板垣と石原のコンビは現地の満州では人気があったんだね。
満州産まれの小沢征爾は二人の名前の一字ずつをとって、親が付けたとか。
0056名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/23(木) 21:49:26ID:KJT3SP9f0
祖母の話だと、海軍の若い将校は、格好いいので女子学生の憧れの的だったが、
陸軍士官は野暮ったいので、そうでもなかったそうだ。
0057名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/23(木) 22:08:28ID:z3pipF+90
そういや海軍、特に士官の人は今で云うキムタクとかのジャニーズ系タレントみたいにモテモテだったらしいね。

陸は聞いたことないな。
でも航空隊は陸も海も関係なくモテモテだったみたいだ。
0058名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/23(木) 22:21:48ID:P/5phUEU0
モテモテといっても、江田島に隔離されていて、どこで女と出会うんだ
0061名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/24(金) 01:42:48ID:BLXS3fM30
それもねえ。
勤務地は海の上か横須賀、呉、佐世保、舞鶴…
海軍省や軍令部勤務もそんなに数はいないだろうし…
陸軍に比べると、そもそも見かける機会が限られるのよね。
0062名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/24(金) 22:02:37ID:0KSCbdFs0
海兵生徒
スタイル〜七つボタンのジャケット、腰に短剣
世間の眼〜中間層の文武両道の青年

旧制高校生
スタイル〜弊衣破帽、腰に手ぬぐい
世間の眼〜富裕層の秀才の坊ちゃん

乙女の心をくすぐるのは前者だな。弊衣破帽がエリート意識の裏返しだと
言うことが透けて見えるからね。
0063名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/25(土) 09:43:43ID:Xu0WUypK0
今の東大と違うのは
将来が約束された超エリートだということ
小さい頃から塾通いの軟弱者ではなく、精神的にも体力的にも強靭
東大だとアスペとかコミュ力不足でも勉強さえできれば入れるが、そんな人は海兵にはまず入れない
これでモテナイはずがない
0064名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/25(土) 23:43:06ID:DjBQp0zR0
海兵の入試には面接があったね。陸士はどうだったんだろう。
帝大には面接はなかったはず。学力オンリーだね。
0065名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/29(水) 06:37:15ID:CzSJ2C/80
>>62 >スタイル〜七つボタンのジャケット ×

それは予科練。海兵生徒は今の防衛大学の制服と同じ。ただし明治時代は
ボタンスタイルだった。

当時一般的に文武両道だった。旧制三高が舞鶴の海軍期間学校とスポーツ交流を
していが引けをとらなかった。
0066名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/29(水) 06:43:01ID:CzSJ2C/80
>>64 海兵は旧制高校と同格で、帝大と比較するなら海大が相当する。
帝大は今の大学院入試に似ていて旧制高校卒業者ならほぼ入れた。
学科を選ばなければナンバースクール以外からでも東大にほぼ無試験で入れた。
0067名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/29(水) 14:10:50ID:ooaXSEg3O
東大も文学部くらいならほぼ無試験で入れたけど、
その代わりこの時代は、たとえ東大であっても、文学部では就職先に困る時代だったので、
単に帝大というだけなら、無難に勤めれば名誉大佐くらいまではなれる軍人の方が安定している。

ただし、やはり東大法学部は別格。
ここを出て高文を受かれば、軍人に例えれば少将クラスまでは鉄板。
軍人の場合も陸大海大を出ればほぼ同格だが、働き盛りの少尉中尉時代にかなり受験勉強しなければならない。
0068名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/29(水) 14:29:46ID:za5af/d70
>>65
制服は第一種と第二種と有ってだな、冬服は今の防衛大学校と同様の型だが、夏用の
第二種は上下白の七つボタンの短ジャケットだよ。

因みに、予科練は兵学校と同様の七つボタンになって以降(昭和17年近辺の記憶)が俄然
人気爆発だった(らしい)。勿論夫れ迄は普通に四等水兵扱いだから、甲飛も乙飛も訓練中
は事業服にお出かけや閲兵は水兵服。
兵学校との差異は、冬服の前立の処理の差で、冬も夏も七つボタン。
0070名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/29(水) 20:19:13ID:QbGPPFHx0
東京帝大以外の帝大から高文受かって官僚になっても、あんまり出世
出来ないがな。旧制高校の寮生活をしていない私大はもっとダメ。
司法官僚は、戦前は二流官僚だから、東京帝大以外でも、そこそこ
出世できた(司法官僚二流論)。
0071名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/30(木) 10:53:31ID:IeKxljkR0
陸士の制服は地味だな。一兵卒のそれとほぼ同じ。
肩章は星のない赤タンで襟章は星一つ。違いはこれだけ。
将校生徒といえども兵卒から出発させる意図があったのかな?
0072名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/30(木) 11:46:23ID:ngM4BXRT0
○○の学校が良いってのは半分本当で半分デマだからな
単純に出世したい奴が集まってるだけって話で
それを真に受けて子供を無理矢理入れたりするとオチこぼれ確定だし
0074名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/30(木) 14:06:45ID:ngM4BXRT0
出生したい人間が出世する奴の多い大学、学科に集まりやすいだけ
例えば就職率100%の学科があるとすると
前評判を聞いた就職を第一に考える学生が集まってくるから
結果的にその学生達が就職活動を努力して保たれるだけ
0075名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/30(木) 20:12:59ID:HMCGtfm+0
>>73
予科在学中は階級なしで、卒業時に上等兵。本科に入学後、隊付期間中に
伍長に昇進。隊付を終えると軍曹となって東京の本科に戻ってくる。
0076名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/30(木) 23:20:59ID:5JOIBztG0
文官高等試験受かっても、勅任官(少将以上)になれるのは、
半数以下。陸大出れば80%以上が勅任官。海軍は、海大卒
云々より、海兵卒業時の席次がものをいう。陸幼→陸士のま
ま将校になれば陸士だけを出たものよりも進級は早い。大佐
で退役なら、文官高等試験組の大半より、位階勲等は上。
0078名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/12/31(金) 07:54:22ID:oNHvBnPL0
>>76-77 防衛大学卒は国家U種扱いだけど、陸大、海大相当の過程を経て
将官になる人は国家T種と同格になるよ。

今でも、勉強はそれほどでもないが、体力やリーダーシップとの総合値で優れている人は
自衛隊が公務員としての出世コースだ。
0080名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/01/01(土) 22:51:16ID:/3EstawK0
>>77
途中までは上手く行ってたシステムも時間と共に問題が出てくるからな。
今の日本と同じだw
0081名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/01/01(土) 22:57:28ID:xth/ITLP0
>>79
池田勇人は大蔵官僚だったけど、京大卒だし、病気で休んでたりしたから
エリート官僚ではなかったんだよね。だから公職追放を受けなかった。
0082名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/01/02(日) 11:26:07ID:EA5Ox7HZ0
今の東大を凌ぐエリート校があったのに、ほとんどの人は知らない
一般の人々の記憶から抹殺された幻の学校
教科書にも載ってないし、テレビでも一切やらない
未だに報道規制が続いてるのかね
0083名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/01/02(日) 12:30:16ID:L2LmKSWt0
どこだよ、それ。学校名を書いてみろ。
0084名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/01/02(日) 14:21:22ID:C37Wpxbc0
>>45の本が本屋にあった。

旧軍を全否定する気はないが、帝国陸海軍はどう考えても
大日本帝国を破滅に導いた元凶組織でしょ。
そりゃ今でも通用するいい教育もあっただろうが
基本的には「反面教師」として見るべき組織だと思う。陸士や海兵は。
0085名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/01/02(日) 17:35:52ID:pMF9YObN0
>>45,>>84 1944入学なら戦時で定員が水増しされているのでそんなに権威じゃないよ。
大正時代は陸士海兵あわせても今の防大の定員にはるかに及ばなかった。

>>82 もしかして海兵のこと??? 1970年代は「海軍式経営」とかが大ブームで
ものすごく取り上げられていましたけど。

生き残りはコンサルタントとして講演などで稼いでいましたよ。新入社員研修のときの先生が
「五分前」とか「アイアンバーではいけないフレキシブルワイヤーたれ!」とか盛んにぶってました。
0086名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/01/02(日) 17:39:55ID:f0sJPiw50
どんな制度も完全無欠なものはありえないのであって、欠点はある。
要は組織を運用する人間にその欠点を最小限に押さえ込む力、能力が
あるか否かが問題であって、組織自体を否定する考えはどうかと思う。
明治の日本が置かれた立場を考えれば、軍は必須の組織だろう。
政党の腐敗が軍部の独走を招いたことが破滅の原因である。
0088名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/01/02(日) 23:27:22ID:L2LmKSWt0
>>84
>大日本帝国を破滅に導いた元凶組織でしょ。

海兵の卒業席次がモノを言った海軍は海兵だろうけど、陸軍の場合は、陸士
というより陸大というイメージなんだな。
0089名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/01/03(月) 11:13:54ID:6UDQdWWU0
ここの人達には海兵・陸士は常識かも知らんけど
一般の人は、ほとんど知らないよ
特に最近の若い人
0090名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/01/03(月) 11:32:47ID:dTF5S5rl0
>>89 自分は1957年生まれで、陸士海兵出身者は教師や会社の上司などそこらじゅうにいた。
海兵出身者だけでもリアルに話した人で20人はあげられる。戦前の話は強制的に耳に入ってきていた。

自分の小学校も日教組の巣窟にみたいに言われていたが、それでも運動会は日の丸に敬礼して軍艦マーチで
行進していたものだ。若い人は今のような戦後社会が敗戦後ずっと続いてきたと思っているようだが、
「制度は戦後で年配者の意識は戦前」という時代がしばらく続いたんだ。年配者が「高等学校、高専」
というとき相手の年齢から旧制か新制か瞬時に判断して話をあわせる能力が要求された。

ところが、10歳下くらいの人くらいから戦前の話がまったく通じなくなった。「君のお祖母様は県立高女ですか?」
と40歳位の人に聞いたら「??????」だったのでこっちも吃驚した。
0091名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/01/03(月) 22:41:18ID:ytVDhFjp0
昭和16年以前の陸士や海兵が難関だったのはともかく、
それ以降も定員がそれほど増えず軍国主義の思潮の強い
後押しもあり俊秀が殺到したのは陸幼。陸幼出身者には
たしかに優秀者が多かったが(作家の加賀乙彦やなだい
なだもそう)、戦後、時流に乗れない者もまた多かった。
13〜14歳からどっぷりと一定の価値観に染められて
しまったからねえ。
0093名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/01/04(火) 18:54:50ID:OX07J+p80
戦前50人編成の中学で成績1位2位ぐらいまでが 旧制高校に合格していた。
0094名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/01/04(火) 21:50:49ID:f48uM47e0
海兵の魅力のひとつに卒業後の遠洋航海が挙げられる。
時代によって訪問国は異なるけど、大正時代はパナマ経由で欧州、地中海
まで往っているね。当時の青年にとって欧州に往けるなんて夢のような
出来事だろう。
0095名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/01/07(金) 12:58:24ID:O6jYjsUl0
うちの爺さんは昭和13年に地元の中学を卒業。進路を卒業生名簿で見ると
(大学卒は最終学歴になっていて高校名は不明。大学名も新制大学名になってる
のもあり当時の名前のもあり、ややこしい)、学年180人中、陸士5名、
海兵1名、東大6名、他の旧帝大7名、東工大・一橋・東京外大など他の国立大11名、
私立大33名、師範学校7名、国立医大6名、医専11名、歯薬専2名、
高商・高工・高専32名、陸工・予科練など軍学校6名、実務学校19名、
芸術系大2名、高校4名、になってる。

この数は卒業者で、「陸幼に受かった奴は中学2年で行ったし、中学4年で
一高に受かった秀才は名簿に入ってない。卒業してないからOB会も入れず、
彼等のほとんどが音信不通で気の毒だ」と言っていた。

ちなみに戦死者22名。海兵や海軍関係の学校行った3名は全滅。
陸士は5名中戦死は1名。陸工など陸軍関係の学校行った4人中戦死は1名。
ちなみに爺さんも戦争で死にたくないから陸軍主計学校を受けたが落ちて、
仕方なく早稲田の予科に行った。5つ上の兄の世代は「一高突破」が
中学生の最大の目標だったが、軍国色が強まると軍学校の難易度が
ぐっと上がったと言っていた。当時、二等兵で引っ張られる初年兵教育のエグさは
誰でも知ってたから、皆がなんとか軍学校に滑り込んで将校になりたかったらしい。

関東の田舎だがら陸士目指す者が圧倒的に多く、海兵は少なかったみたい。
ちなみに師範学校は全員地元。私大も2名を除き東京の大学。早慶・日大・中大が多い。
(東大除く)旧帝大や国立医大は当たり前だが全国に散ってる。台北大や満州医大のような
外地も多い。時節柄だろうが実務学校も満州が多い。満鉄付属学校や満州の外語学校とか。
0096名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/01/10(月) 10:16:41ID:h8QF5yP20
秀才ぞろいの中学のように思えるんだけど
普通の公立中学ではないよね
0097名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/01/10(月) 14:45:11ID:oN5EHyyk0
関東の田舎とあるから、群馬なら前橋高崎、栃木なら宇都宮、茨城なら水戸中学じゃないの。
昭和12年の日中戦争勃発により、13年の陸士の合格者は例年の500前後から1300と
一気に増加してる。
0098名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/01/10(月) 18:53:36ID:AuLW5omy0
中学校にすすめるのは20%程度、
高等学校・帝大というコースを進めるのは1%未満、
というのを読んだ記憶がある。
そこそこ大きなマチの「イイ学校」でしょ。
0099名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/01/10(月) 23:10:01ID:7lYyX/+Y0
>>97
>群馬なら前橋高崎、栃木なら宇都宮、茨城なら水戸中学じゃないの

95だけどそんな一流中学じゃないよ。半分は進学していないしね。
生徒も地元ばっかりの田舎町の小さな中学校。

ただ地元に強力な地場産業があるので旦那衆がいて、カネにモノ言わせて
優秀な教員を関東一円からかき集めて来たり、育英資金を作って貧家でも優秀な子は
進学させていたので、田舎の小さな中学なのに、県トップ高に続くくらいの
一高や陸士合格者を出していたらしい。東京や横浜から先生が来ているから
中学なのに珍しくリベラルで明るい雰囲気だったけど、学期ごとの成績が1位から最下位まで
学期末には廊下にズラリと張り出され、夏休みや冬休みはそれを町の人が見物に来て
キツかったと言ってた。親も通知簿など見ないで、学校に貼られた成績表を見に来るのが
恒例だったらしい。その成績表を見て娘の婿を決める親も多かったらしい。
旦那が娘の婿用に貧家の次男坊を婚約でキープして、進学費を払ってやって
一高在学中に学生結婚するケースも多かったと言ってた。

戦後は学区制や教育標準化でそういう事も出来なくなって
ただの田舎の県立高校になってるけど。
0101名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/01/10(月) 23:57:11ID:AuLW5omy0
>>99
了解。
しかし、ちょっと、いろいろと、「教育って何なんだろね」的なこと、
考えさせられる事例だよね。

元国税の人が書いた本を読んだんだけど、
「私立は金が掛かるけど、公立は」云々てのはうそで、
公立に注ぎ込まれてるゼニ(税金)は相当なものらしい。
うろおぼえで申し訳ないけど、とにかく小学校の教室ひとつに8桁のゼニが毎年流れ込んでる勘定だったはず。
年季の入った地方公務員の給食のオバサンだの、
天下りで教育委員会にいるわけわからん人たちだのに行っちゃってるという話だった。
0102名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/01/11(火) 00:33:46ID:eyZD3HEb0
スレの許容範囲を逸脱しかねないのは申し訳ないけど、
自分のレスが「読んだ記憶が」「だったはず」ばかりなので、

>>101の金額をネタ元の本で確認。
公立中学ひとりあたり平均年間:親40万+税金100万=140万
私立中学ひとりあたり平均年間:親120万+税金20万=140万

公立
税金が一人あたり100万なら40人学級で年間4000万
登校日200日とするとひとりの生徒の教育に毎日5000円

(「悪税が日本を滅ぼす」大村大二郎 新潮文庫 P117あたり)
0105名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/01/13(木) 16:54:45ID:8md6oY6H0
>>104
税金ごっちゃりぶちこんでるのに、私立の方がいろいろ充実してるっぽいのは、
つまらんとこに消えてるに違いないということ。
0106名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/01/14(金) 18:20:30ID:iGPwMEId0
海兵も きゅうちゅう卒以外に水兵から入学可能だったのが居た
このように 豊田 譲の小説にあった
0109名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/01/15(土) 02:04:57ID:QRfCngvl0
私の曾祖父さんは海軍兵学校校長、中将でした。
日清戦争では吉野の艦長でした。
吉野を回航するときには、あの秋山真之を英国に連れていきました。
日清戦争中は、加藤友三郎も部下でした。
しかし、同期の山本権兵衛には、早くから大差をつけられていました。
ドイツへ留学していたときまでは同じ船に乗っていたのに・・・。
0110名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/01/15(土) 03:12:54ID:0Qq1yfyv0
俺の父親は太平洋戦争前夜に二流クラスの旧制高校に入学したけど
その時点では海兵は相当の難関だったと言っていた。一方陸士については
「誰でも入れた」と言っていた。俺の父親がいた中学校は毎年旧制高校に
数十人の合格者を出していたこと、陸士は日中戦争勃発後採用人員を大幅
に増やしていたことも考えるべきだろうけど。
0111名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/01/15(土) 13:28:37ID:7iih/A9z0
>>109
河原要一中将でしょうか?
もしそうだとすれば、校長在職時に錚々たる人物が生徒として教えを
受けていますね。
永野修身、米内光政、山本五十六、吉田善吾、掘悌吉‥
0112名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/01/15(土) 20:36:05ID:CJa12Pd80
父親の受験時代に海兵がまだあったなんて
ここって、定年過ぎてるおじさんが多いのか
0113名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/01/15(土) 21:44:19ID:1mDqM5L80
いろいろ調べてみたんだが戦前の日本の平時における偏差値とは
次のようなものだったらしい。

一高、三高>それ以外のナンバースクールおよび海兵>ナンバースクール
以外の旧制高校>陸士>一般の私立大学予科および専門学校

ただし相当成績がよいのに軍人を志望して陸士海兵に行く者が相当数いたのも
事実らしい。平時に陸士に入学した者の半数以上はどこかの旧制高校に入れる
程度の学力があったと指摘する教育史研究者がいる。
岸信介は三人兄弟の次男で東大をトップで出たが「海兵に行った兄の方が頭が
良かった」と自分で言っている(実際にこの兄は海兵を首席で卒業した)。

0114名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/01/15(土) 23:39:32ID:9Fgy7TrD0
陸士と海兵では一般的な人気にも差があったらしい。海兵は全国的に人気があったが
陸士は都市の中産階級の間では余り人気がなく敬遠する者もいたらしい。
ところが地方では封建的気風がつよいため「軍人になるのは名誉だ」というので
成績の良い者が陸士に行くという例がかなりあったらしい。いわば田舎中学の秀才
が行くのが陸士(平時の場合)。
0115名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/01/16(日) 00:04:27ID:qBEByOY00
>>112 53歳で父親が大正13年生まれ。父親が海兵受験した世代は50代までいるよ。旧制高校なんか戦後も存在したからその子供は40代までいる。

我々は旧制高校や海兵のことは 親、教師、会社の上司に聞かされて自然に知っている。君たちはやけに詳しいけどどうやって調べたの???
0117名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/01/16(日) 02:02:13ID:unWmdOhi0
陸大に行けるのは陸士卒業生の一割程度。
>>113が言うように平時の陸士入校生のすくなくとも五割は旧制高校進学可能
な程度の学力があったとすれば陸大に入るのはやはり大変だったという事になるし
帝大から高文に合格した高等文官と比べてとくに見劣りはしなかったろうという
ことになる。
0118名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/01/16(日) 12:51:52ID:nHHrIsB+0
>>91
幼年学校出身者は優劣の差が大きかったといわれている。
陸士成績トップとビリは幼年学校出身者と相場が決まっていたそうだ。
永田鉄山を斬殺した相沢なんて中佐も幼年学校出身だが陸士の成績はパッと
しなかったし奇矯な言動で問題視されていたそうだ。
0119名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/01/16(日) 14:52:33ID:hM4Ot4zk0
一応進学校として知られている中高一貫学校の出身だが、
うちは中学で180名、高校でさらに45名が入学する。
高校から入る45名はとにかく優秀で、ほぼ全員が東大・京大・東工大・
国立医学部に行った。

中学から入った180人は天才肌とガリ勉肌に別れた。
人間的に面白いのは圧倒的に天才肌の連中。数学の天才は先生より出来た。
ただ、英語は全く出来ないとか、行動が奇矯で予測不能とか、社会生活が全く出来ない
奴が多数で、卒業後行方不明の奴も多い。日本は天才の居場所がない。
ガリ勉肌の奴は、東大出て官僚になったのが多い。あの暗記だけが得意の
融通も応用もが利かないつまらない連中が国を動かしていると思うと
日本が低迷するのも判るよ。
0120名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/01/16(日) 17:07:43ID:7lWOu1Ts0
今日のNHKスぺシャル(九時)は興味津々だな。
0123名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/01/17(月) 03:46:55ID:jfeb23Pj0
陸大卒業者の出身校別(陸士15期ー24期)
      
          陸士卒業者  陸大卒業者    百分比  
幼年学校出身者   2200    185     8・4%
中学校出身者    4292    175     4・93% 
 
      
0124名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/01/17(月) 03:55:14ID:XBrIPYzf0
>>123
修正
中学校出身の陸大卒業者  175→171
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