陸士、海兵、官連が戦前まずしく優秀な子供たちが目指す学校だった。
陸軍省→陸軍士官学校、海軍省→海軍兵学校、逓信省→逓信官吏練習所
いずれも給料をもらいながら勉強できた。優秀な人材の宝庫だった。

特に戦争末期海兵では盛んに英語教育がされた。井上成美校長の決断だった。
「この戦争は負ける。敗戦後の人材を育てる」のが井上の方針だった。

終戦時の総理鈴木貫太郎が江田島を訪れた時、「井上君、人というのは育てるのに
30年かかるな」と言ったそうだ。重みのある言葉だ。