>>955
司馬遼太郎が戦陣訓についてエッセーでこう述べているよ


「昭和16年1月に戦陣訓が発表された時、
帝国軍人には天皇に頂いた『軍人勅諭』があれば十分だ、
なんで一介の陸軍大臣ごときが、まるで天皇にでもなったように
偉そうに手製の道徳を垂れるんだ、と現場の部隊からは強い抵抗があり、
チャチなペーパーが配られただけで、誰も相手にしなかった。

国民も、特に日露戦争世代の年輩者は「東條は内勤ばかりで戦争を知らない、
欧米では当たり前の捕虜教育すら、今でも国軍はやってないんだ」と
絶望的な気持ちになった。

『戦陣訓を肝に銘じるべし!』と騒いでいたのは東條にへつらう
朝日新聞や毎日新聞などの軍国マスコミだけだった。

国民も元兵士も、戦後長い間、戦陣訓などすっかり忘れていたが、
戦後28年経って横井さんがグアムから出てきた時に
「長い間、横井さんが投降せずに隠れていたのは、戦陣訓のせいだ!」と
朝日新聞や毎日新聞がカビの生えた戦陣訓を引っ張り出して、大騒ぎを始めた。
これではマッチポンプとしか言いようがない。

新聞だけが戦争中に「戦陣訓」をさんざん持ち上げて、
横井さん発見で、自分達が新発見でもしたように
「戦陣訓のせいだ!」といい出している様子は、
まことに自分勝手な話だと言わざるを得ない」