>>730
ごくごく単純な話だよ
ひとりで政局ふりまわして外様雄藩には決して主導権握らせずコントロールしたのはその高い政治力によるところだ
ただそれによって政治停滞させたのは政治手腕という面で評価されてしまうだろう
つまり要約すると、高い政治力持ちながらそれをまっとうな使い方しなかった
何故なのか?
もともと慶喜は性格がイイ方ではない
ものすごい皮肉屋で、毒舌で素直さというものがまったくといっていいほど足りない
物事をまっすぐ捉えずいつも斜めから受け止めそれを見て判断しているような感じ
単純にいうなら性格がねじ曲がっていると言えよう
相当周りからはとっつきにくい人だと思われてたと思うよ
リアルでもこういう人いるじゃん
とっつきにくく、扱いにくく、ちょっと距離詰めたくない腫物的な存在の人
たぶん慶喜はそんな人だったんじゃないかと俺は慶喜を詰めて調べていくとそう思うのだ

昔はこういう人リアルでみると「しょーもない人」と一概に思っていたが
ただ最近思うのが、実はこういう人って天才肌なんじゃないか?って
他人に見えない独特で独自のヴィジョンがあり、そしてそれをうまく判りやすく伝える能力に乏しい人
後見職のときの慶喜のやり方はまさに薩摩のやり方でも朝廷のやり方でも、まして幕府のやり方でも当てはまらない独善的なものだったからこそあのようなやり口になったのではないかと
だから幕府の権力が京都と江戸で何故二分してしまったのかもこうすると合点もいく
薩摩にも朝廷にも幕府にも他の雄藩にもみえてない独自のヴィジョンが慶喜には見えていて
自分のヴィジョンに全体を包括していこうという過程がこれだったのではとは考えられないだろうか?と最近は考えるようになった
なのでそれを単に愚将として処理してしまうのはこの人の場合あまりにも早計ではないかなと個人的に思う

俺の理論でいくと慶喜は天才
もしくはアスペルガー
天才(アスペ)ゆえに孤独で理解者がいない
伝えても理解できるものがいない
慶喜は周りがきっとみんなアホにみえたに違いない
周囲全員が慶喜だったらきっと理想とするものを築きあげれたとおもうぞ