徳川慶喜を語ろう
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
まともに語れる場が欲しかったので立てました。
徳川と皇室ともにトップクラスの血を引き、強烈父上への世間の憧れ憎悪をそのまま引き継いでしまい、
思考過程を一切口に出さないままいきなり行動にでてしまう徳川最後の将軍について語りましょう。
周辺人物の話題もOK。
ヘタレ臆病者等々の罵詈雑言には適当にお相手を。 イラストレーテッド・ロンドン・ニュースで報じられていた頃の海外の評判は気になるね
ところで河合重子の謎とき徳川慶喜ってどう? 図星突かれて悔しくて必死になっちゃった読解力ない君のアメリカ捕鯨船のメインルートの説明まだー? >>849
>ヨーロッパ内での慶喜評って横浜鎖港なんか唱えて変な人だな、でも写真見るとハンサムだなくらいしか知らないけど
その評判ってどの資料にある? 読解力のない必死の揚げ足取り君は説明できなくて逃走かよw
また論破されるの目に見えて判るものなw
悔しがってひとにつっかかる前に勉強しましょうね当時の世界史、ヨーロッパ近代史くらいはw >>804
原が暗殺されなかったらどうなっていたかは興味ある 煽りコメの直後に必ず話題すり替えて引き戻そうとして必死に火消ししてる書き込みがあるのがウケるw
わかりやすいw 本当すぎてワロタw
このスレは監視されてます(キリッ 普段ほとんどスレスト状態なのに煽りコメあると何故だかすぐだものなw
煽りコメントの直後にレスがのびる法則w 徳川慶喜の孫娘、井手久美子さん死去
https://www.sankei.com/life/news/180702/lif1807020019-n1.html
井手久美子さん(いで・くみこ=江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜の孫、作家)は1日、老衰のため死去、95歳。
葬儀は近親者で行い、後日「お別れの会」を千葉県君津市山本1535の圓明院で開く予定。喪主は長男、純(じゅん)さん。
故高松宮妃喜久子殿下の妹。今年6月、戦前の華族の暮らしぶりなどをつづった自叙伝「徳川おてんば姫」を刊行した。 慶喜ってフランス革命のラファイエットとかフィリップエガリテに似てる 結局ひとりがID使い分けて別人装って悔しさはらそうと必死だったってことだろw
以降のスレストと今までいた奴が一気に消えたのはおかしすぎるものなw
ひとりが自演してつっかかってきたから今のこの状態なんだろw
それ以外説明つかんぞこの状態w
IP調べればすぐ判ることだがそこまで名誉のためにもせんよw
とにかく悔しがるなら勉強しなさいよw 普通に戦ったら普通に勝てたのに
全力で負けにいくスタイル。
水戸徳川家はあくまで副将軍止まりで将軍にはならない血筋のはずなのに
何故か一ツ橋に養子になるという小細工をしてから将軍に就任。
薩摩のパワープッシュで将軍になったときから徳川幕府を終わらせるつもり
だったのかな? そんなことあるわけないだろw
それに副将軍なんてのちの創作だからそれ
当初そんなものなんの定義もシステムも存在してないからな
一橋に入ったのも一橋の名跡が途絶えるタイミングと斉昭の思惑が合致しただけにすぎないしな >>866
水戸の出で文字通りの勤王家の慶喜に、禁裏に弓を引く選択肢は初めから無いからな 水戸黄門はおなじみだけど、光圀伝はそのうち読もうと思いつつ積読本状態。
ただ生類憐みの令のときに抗議に犬の皮を送りつけたという苛烈さと
若気のいたりで人を斬り殺しているあたり、光圀の気性は恐ろしいほど
武人寄りだった。
その子孫のわりに徳川慶喜、武人っぽさどこいった?
戦うべき局面でトンズラするの、ものすごく早かった。
頭の良い優秀な人だったらしいけど、優秀の方向性が将軍という役職とは
別方向だったとしか思えない。
錦の御旗なんかちょっと見たらピカピカの新品で、壇ノ浦に沈んでから
作られたレプリカの三種の神器よりも嘘くさい代物。
岩倉らがこっそり密造させたモノだってわかりそうなものなのに。 そりゃ鳥羽伏見で戦った会津桑名軍に言ってやれよ
慶喜が戦場に出てきて「あっ本物の錦旗だ!撤退!」と判断したとでも言うのか
造られた経緯がどうであれ、朝廷によってこれは錦旗であると認められてるんだから、そういう前提で対処するしかない
そもそも幕府の支配力が万全なら旗ひとつで親藩までもが裏切るような事態にはならなかっただろ
会津桑名は緒戦のボロ負けの言い訳にできるし、日和見諸藩は落ち目の幕府を見限る理由にできる
錦の御旗を利用してるのはどっちだよ、と言いたい >>869
慶喜の判断では、錦の御旗を掲げた軍と戦ってはいけない局面だった
そのことは各種資料からも選択肢として無いのが分かる >>869
禁門の変じゃ陣頭指揮とってるし前線での乱戦で敵を斬り倒してもいるんだがな
家康以来の実戦経験した将軍なんだけどな >>870
そもそも錦旗なんて戦ってる最中は見えないよ
徳川が負けた後付け理由 徳川慶喜が日本の領土を売り渡そうとしていたなんて作り話だよな? 慶喜はもっと冷静で国内外の情勢判断できていた、だからこそ懊悩したわけで、そこに悲哀を感じさせるんだ。
売国奴は小栗上野介らよ。
今ドラマの慶喜はいきり立っているだけで論外の描かれ方。 でも結局慶喜が討薩を認めちゃったから戊辰戦争が始まったんだけどね
本来なら戦犯になるんだけど
徹底恭順して戦には関係なかったような印象を与える 絶対に戦端を開くなと厳命されてはいたようだが、大阪城のあの様子じゃ無理か
>>874
大政奉還で議政院政治への移行を認めて公議政体派に歩み寄ってるので、ない >>874
ドラマだからね
史実とおもったら大火傷する 討薩の表ってどういう位置づけなんだろう
元より鳥羽伏見で積極的に戦端を開くつもりだったの?
それともすんなり入京して朝廷に討薩の表を提出してから戦争を始めるつもりだったのか? >>878
いくらドラマとはいえ慶喜が売国は酷いな
割譲はびっくりしたわ >>871
慶喜の判断では、錦の御旗を掲げた軍と戦ってはいけない局面だった
戦って勝っておくべき局面だった、の間違いだと思う。 >>881
だったらそもそも王政復古のクーデターを事前に知りながら動かなかったことが悪いわ
つまりそのときも動けない
錦旗のときも動けない
それだけで慶喜の人となりがわかるだろ
足利尊氏と並び語られるのは嫌じゃー!と言う人だぞ >>879
幕府軍が押しとおろうとして押し問答から鳥羽でドンパチ始まったのが最初だからな
そう考えると京にのぼって天皇に拝謁
勅許得てからの薩摩討伐という流れだろうな 京都を押さえてる軍勢から錦旗が上がることぐらい想定しとけや >>883
そうすると数で圧倒的に優越する徳川側がすんなりと入京できるという認識だったのかな
結果論で見ればその認識は甘い見通しだったわけだけど
当事者にとってはそれなりの説得力があったということなんだろう >>885
すんなりかどうかは別として
やろうとしたことはきっと島津斉彬、久光がやった率兵上京と同じで
日和見の公家と朝廷に実力を見せつけることで流れをもう一度こっちに引き寄せることにあるとおもう
んでそれ以後の流れは長州征伐のときの手順と同じ
勅をもらっての討伐 >>886
同様の先行事例に長州藩の禁門の変もあるけど
入京を阻止される形の戦闘の可能性は考慮しなかったのだろうか。
数で圧倒しているから戦闘にはならない、
むしろ薩摩側から先端を開けば必ず勝てるのだから
討薩の勅令を得るまでもなく
かえって大義が明らかになって好都合くらいのスタンスだったのかな >>887
実際はこのときの政局はまだまだ幕府有利だったことをお忘れなく
そこが完全にパージされてしまった禁門の変のときの長州とは違うところ
内部にて親幕派が大勢まだ残っていたという事実
またはじかれた中川宮、二条などが三条のように飛ばされたのでなく近くにいれたということ
薩摩が朝廷を完全掌握してないことはゆうに理解できたわけで
長州と違ってワンチャンどころかツーチャンもスリチャンもあったこと
ま、ここまで追い込まれて動くくらいならだったら王政復古のクーデターのときになんで動かんかったのかと俺は言いたいわけ >>888
当時徳川氏擁護派が巻き返していたのは確かだろうけれど
京都進発の時点で小御所会議の決定を正式に覆しているわけではないよね。
つまり慶喜の罪はそのままだし
三職も設置されて摂政関白も廃止されたままだ。
ただ辞官納地の内容が妥協的なものになっただけ。
そういう罪を着せられている弱い立場にもかかわらず
大軍で入京すればどういうことになるか分かりそうなものだけども。
ここまで政略で巻き返していたのに肝心要のところで一貫性を失い戦略を誤った印象。 誰もやりたがらない将軍職を引き受けて、内戦を最小限にとどめて幕府に幕を引いたのは評価できる >>889
そもそもこのとき慶喜に罪などないんだがw
小御所会議は岩倉などが徳川の即刻すべての辞官納地を主張したが通ってないからね
結局越前などの親幕派の主導で徳川は領地半分の納地として決着
その通達にもすぐには応じられないとして返答
それをまた新政府側も承認
これを受けて討幕派が暗躍巻き返しはかるもまとまりかけてた話がまたかき回され事態依然と進まなくなり
そのため細川、黒田、蜂須賀あたりの大藩が軍を引き上げるぞと恫喝はじめ
それで討幕派も議場妥協に入る
辞官に半石の納地で前内大臣というポストを用意し、筆頭議定就任を確約
この展開を見定めてから王政復古撤回の要求
22日には朝廷が徳川の大政委任を改めて認め幕藩体制存続を承認するにいたる
完全に慶喜の思惑通りに事はなった
むしろ劣勢だったのは討幕派
だからなりふりかまわない江戸撹乱工作をはじめる 【オウムとは、無関係】 ホーリーネームは匿名 <世界教師マ@トレーヤ> 完全マルチ・リンガル
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1536715603/l50
マ1トレーヤは全言語が話せる、放射能で大勢が死んでいる、異常気象は行き過ぎた競争の結果。
UFOは火星から来ている、日本から世界経済が破綻する、憲法九条は新しい時代の土台になる。 慶喜が大政奉還して降参の態度を示しているのに
薩長は戦して江戸を火の海にしようとした。
戦う理由なくね?
薩長って頭おかしくね? >>894
政治の主導権を自分たちの手に収めたいがための政争だから、手段は選ばずでね
慶喜が朝敵にされるくらいなので、いかに強引な理屈を通したかが見て取れるでしょ 今北産業
>>892
いいねえ。>>731に並ぶクリーンヒットである。 昭和時代に学校で習った幕末史を一度取り除いて、
良い意味での脳内洗浄を行わないといけない。
「大政奉還で徳川家は政権を失った」 (以前の歴史観) → 「慶喜は新型徳川体制への移行を目指した」
と、大政奉還Aついてはもう大分前に歴史解釈が修正され、それは一般化してきたが、王政復古Aつては、
「薩長・岩倉が巻き返しに成功し、徳川が完全失脚した」という理解が依然として残っている気がする。
実は既述のように、王政復古のクーデターは「失敗」し、政局は完全に慶喜ペースに逆転していた。
これが鳥羽伏見合戦直前の政治状況である、 という認識が最近になってポツポツ広がってきたんだろうね。
もちろん、権力闘争のセオリーからいけば、王政復古前に京都退去したのは「悪手」であるし、
京都へ向かった討薩軍(旧幕府軍)のあの「ノンビリ度」も歯痒いものがある。
従来の「王政復古クーデター、成功!!」という眼鏡は外さないといけない。 ついでに書く。 先週、磯田がテレビで面白いこと言って、成程と思った。観た人も多いと思うが、
薩長は大坂城に籠る慶喜を討伐して、そこで倒幕戦を決着したかったと。だから、慶喜が東下したことは
薩長にとって大失敗だったと。 これは東征軍の戦費の問題ね。 実際の戦費はもちろんこと、
3万5千人の軍勢が関東へ行軍するだけで数百万両かかるので、何とか大阪でケリ付けたかったと。
まあ、磯田はこう解説していた。 薩長軍は非武士層が多かったんで人件費が通常よりかさむんだと。
従来の歴史観を変えると人物評も変わるのは珍しくないが、昨今の「徳川綱吉名君説」と共に
徳川慶喜評を一度棚卸して、一から組み立てる時期が来たのかもしれんね。
皆さん承知のように、ケーキさんは家柄の故ではなく維新の勲功によっ公爵になってる。(勲功華族)
没後叙勲と生前叙勲の違いは有れど、維新の三傑(侯爵)より上であることも留意するべきか?
(国父さまも公爵だから、あんまり関係ないかw どーでもいい話だったな。すまん) お金が全然足りなかった新政府軍の錬金術は新しく刷った紙幣。
よくそんなオモチャのお金みたいなものが使えたものだ。
江戸城を無血開城させてからは、奪ったものをすごい勢いで
散財している。強奪犯にしか見えない。
幕府が堅実に運用していたときの方が財政は健全だったんじゃないかな。
大久保の死後、残された借金を返して貰えなかった貸し主がこうむった
理不尽な苦労は明治維新を語る際にはスルーされている。
借金踏み倒しって災害復興のやむをえない時以外はちゃんと
罰せられるべきだと思う。 >>892
この時点じゃ薩摩本国はやる気なしで、同盟相手の長州も勝てるわけ無いと思っていたからなー
二進も三進も行かなくなって強硬手段に出たら、会津を始めとする相手の強硬派が想像以上にヘタレで
仕掛けた側の西郷や大久保もビックリするほど大成功しちゃったのが鳥羽伏見 ママが良いかはともかく、慶喜が議長の議会政治がどんなものかは興味が尽きないな
>>899
旗本たちが軒並み役立たずじゃ、いくら会津や桑名が頑張ってもそりゃ負ける >>898
借金の踏み倒しは別に違法ではない
本人に債務返済能力ないのに貸したほうがわるいといのが一般的
3代目ですでに破綻してる幕府財政が健全かどうかは捉え方だなあ
逆をいえば私利私欲で政治をしてなかったという裏返しの結果でもあるわけよねそれ 特殊な炭素素材で水を水素と酸素に分解 ゼビオHDのグループ企業、クロステクノロジーラボが開発 >>900
まあ、幕府のままだったらロシアに飲み込まれて終わったか
インドのように列国に藩が各個撃破され征服されていったかのどっちかだが >>901
軒並み隠居願い出て幼少に家督つがせて戦争への出兵をかわしたような奴ばっかだものな旗本ってw 慶喜評については>>731で書いたとおりいわずもがななんだが
最近は岩倉にも注目しだした
岩倉も慶喜に匹敵する高い政治力もってるなと
またこの一筋縄でいかない感じ、性格もどことなく似てる気がする
高い政治力で周りを振り回すやり方やその方法もなんだか似てる
何かしらの共通点見つけられそうで最近は岩倉研究に余念がない
慶喜も岩倉も言い方悪いけど金正日、正恩と似てるのよなw
慶喜ファンには聞こえ悪いかもしれんけど
これは俺なりの慶喜への最大の敬意として言ってる
あの経済制裁くらってどうにもならん弱小国が外交ひとつで大国振り回し続けて今日まで存続し軍隊の近代化をあれだけ成功させ核まで保有するまでになった
その手腕はまさに慶喜や岩倉を見てるようである >>904
タイみたいに欧米に割譲しまくって、小さい領土で残ってたかも
北海道はロシアに占領されさらに東北へも進出
九州はイギリス取られてただろう、薩摩とによる九州統治
関東はフランスに徳川が借金返せず奪われる
天皇の畿内だけ残ると言いたいが、誰からもいらんと言われた四国に亡命させられ
四国だけが日本
うどんとミカンと鰹のたたきと阿波踊りを産業にガンバル >>897
豊臣秀吉は10万以上の兵を九州や関東に
明治以降は日露戦争で10万以上を海外へ
しかし幕末だけは数万の兵を移動するのも困難で
この時期の日本は、組織に色々欠陥があったんやなと思う
参勤交代などでどの藩もギリギリの状態まで追い込まれ
それで徳川に歯向かう事もできず、200年以上の泰平の世が続いたんだろうが >>892
確かに途中まで慶喜の思惑通りになったが、家臣らが暴走し鳥羽伏見になり崩壊してしまった
崩壊した理由は他力本願だからだったと思う
慶喜は大阪城に籠もり、春嶽や容堂らによる他人が奔走した
しかし西郷は自力でこの事態を動かした
春嶽らが奔走し結果が出始めた理由に、畿内では徳川の方が巨大な軍事力であった事が大きい
しかしこの巨大軍事力の会津幕臣ら家来達の多くは、大政奉還前の体制に戻す考えで
慶喜の公儀政体論とは相容れず
巨大な軍事力を持ちながら家来を掌握できておらず
たかが関東で薩摩が暴れただけで暴発し崩壊してしまった、すぐ鎮圧され畿内での戦局では何も影響与えないのに
こんな挑発で崩壊してしまうような脆い体制
例えこの時期暴発を抑えても、薩長が大阪城に出向き鉄砲を撃ったりするなど
何らかの挑発で暴発しただろう
慶喜の思惑は途中までうまくいっても、西郷による自力にひっくり返される事となったろう >>883
攻め上った会津や幕臣らは、その思惑だったんだろう
しかし鳥羽伏見で勝ち御所に行くと天皇はいない、薩長は天皇を園部藩に移す予定だった
長州が山陽山陰の譜代を倒しながら東進しており
福山藩と少しだけ戦闘したり、広島岡山鳥取などの援軍もありちょっとした大軍になったろう
土佐では板垣が兵を連れて上京予定
一度京を明渡し再び攻める楠木正成戦略を予定していた
こんな歴史だったら会津らは、天皇を御所から移すなんて反則!
と言っただろうが、日本歴史上最大の勤王の忠臣楠木正成はやっただろうと突っ込みたい
予定ではもっと大きな戦闘が行われる予定だったが
旧幕府軍があまりにも弱く、小さな規模の戦闘に
関ヶ原で西軍が伏見城攻撃で撃退され終わってしまったみたいに >>910
大きな戦闘が行われなかったのは、日本のその後を考えると結果的に良かったな
>日本歴史上最大の勤王の忠臣楠木正成はやっただろうと突っ込みたい
動座を拒絶されて最期を迎えたのは暗示的だな >>909
中央指導部が軍部や官僚を制御できず、ズルズルと引きずられて戦争に突入していく様は
昭和の政権ソックリなんだよねえ >>907
タイは王政による中央集権が確立してたからあの程度で済んだ
領邦の連邦国家である日本はそうはいかない
インドのように藩王が各個撃破されたようになるのがオチ >>909
大阪城まで出向いて薩長が発砲したらそれこそ大義名分は旧幕府にあることになるが >>910
会津それやられたマジでそう言いそうでワロタw
ただ幕府軍は鳥羽伏見で戦闘せずに入京するのがそもそもだとおもうが >>912
太平洋戦争の悲惨さを考えると、慶喜の東帰&徹底恭順の姿勢は間違っていなかったと思う
戦後の隠遁姿勢も好感が持てる >旧幕府軍があまりにも弱く、小さな規模の戦闘に
>関ヶ原で西軍が伏見城攻撃で撃退され終わってしまったみたい
上手い喩だな。 俺も同感。 世界史上屈指の長期安定政権である徳川幕府の滅亡を決めた「大会戦」である
鳥羽伏見の戦いのそのショボさは日本史上の謎の一つででもあろう。
大坂城進発までは慶喜優位で進んでいた政局が、いらんことしたおかげで全部パーになっちまった。
無論、誰かも書いているようにここで討薩戦を回避したところで西郷らは次の手を打ってくるだろうし、
過去さんざん言われているように、王政復古後の京都退去が完全な悪手であったし、
そもそも復古クーデターを2日前に察知してたんだから阻止できるだろうが!と。
この議論が延々ループしていくw
慶喜は幕末政治家で最も怜悧で政治手腕に長けた人物で大久保利通や西郷などでは到底敵わない人物だったとみる。
しかし、慶喜には「錦旗に弱い」『命を賭けない」という致命的な人間的弱点を抱えており、
ここは西郷 大久保 岩倉らに遠く及ばなかった。 西郷らは徳川処分に厳しかっただけで
戦争にならなければ結局諸藩と妥協して徳川排除まで考えてなかったろうな 薩長の徳川憎しが異常。
そこまでやるか? そこまで奪うか? 頭オカシイ。 >>918
それは逆なんじゃないか
徳川を徹底排除しようとしたが諸藩の反対に遭い、最後の手段で戦争に臨んだという 仮に慶喜が水戸じゃなくて紀伊や尾張出身だった場合... 水戸徳川家の血筋は将軍には向いてなかった。
学問が秀でた人間イコール政治バランスを取るのがうまいってわけじゃない。
突出しすぎて誰もついてこれなかったら終わる。
暗愚は問題外にしても、極端な天才も過ぎたるは及ばざるがごとし。
一人で何でもできる何考えてるんだか分からない天才よりも、
能力は普通の人が頑張ったぐらいの優秀さのトップの方が家臣と
良好な関係を築けて、裾野まで行き届いた治世ができる。 >>917
江戸から新政府に送った書簡で自分の命を預けて他者の助命を嘆願してなかったっけ
禁門の変でも陣頭指揮していたし、命を賭けないというのは若干ニュアンスが違う気がする
>>922
現代でもトップが切れ者すぎるより、俺たちが盛り立ててあげないとと思わせるくらいが丁度良いしね
斉昭の烈公ぶりに幕閣と大奥がアレルギーを起こしていたのが、初手から厳しい環境なのには同情する 日本史3大ヘタレ
栗田ターンをレイテ沖で華麗に決めた栗田健男、大坂夏の陣で出陣しない豊臣秀頼、鳥羽伏見に出撃しない徳川慶喜、の筆頭ヘタレの人ですね
ヘタレを極めることで健康不安も金銭不安もなく趣味に没頭するという最高の老後を得た >>920
西郷らの目的は王政復古を機に可能な限り徳川の権力をはぎ取ろうという事で
徳川の徹底排除は本心では現実的に不可能と思ってたんではないかな
西郷らの元々の倒幕の考えは幕府と将軍を廃位して徳川を一諸侯に落とすのが目的だったし
それは達せられた分けで
戦争にしても薩長は京を防衛するのが精一杯で大坂に仕掛けられる状態でないし幕府が仕掛けて来たのを防戦しただけ
しかも戦争になれば負ける可能性の方が高かった為戦争オプションを持ってたとは思えない この辺の違いは丁度プロイセンの小ドイツ主義とオーストリアの大ドイツ主義の違いに似てるな
徳川を排除した新秩序形成したい薩摩がオーストリアを排除して統一ドイツをつくりたかったプロイセンに近く
徳川含めて新秩序づくりをしたかった公儀政体派の連中やら徳川自体が自分中心に統一ドイツをつくりたかったオーストリアに近い >>921
慶喜が水戸じゃなくて紀伊や尾張出身なら大老にお井伊直弼も
慶喜の14代将軍になるのを反対しなかったかな。 >>929
尾張出身なら反対する
紀伊出身なら直弼も万々歳で賛成する
もっというなら一橋家に養子でない純血として生まれてれば反対されない
ただ一橋は昌丸の時点で尾張の血が入るからほぼこれで将軍継承権が失われたことと同然になる
それ以前に慶喜が一橋の血統のもと生まれてれば反対されないだろな
または田安家に生まれるか清水斉彊の子として生まれるかのどっちかだな
清水家も水戸の血が入ったので将軍継承権を失ったのと同然
結局御三卿家で機能してるのは田安だけということになる しかし水戸に生まれずして慶喜足らしめる個性を獲得出来たのか疑問 それはそのとおりで水戸に生まれてこその慶喜なのだわなw
仮に水戸以外で生まれてあのままの慶喜だとしよう
そうすると直弼も跡継ぎは慶喜以外にないとなったとおもうぞw なんか皆孝明天皇に振り回された感が半端ないよね。ケーキさんも被害者だよ。 そんなことはない
慶喜も孝明天皇と変わらぬほど振り回してるからw
幕末の混乱はこのふたりの存在で起きてるといっても過言ではない 幕末の混乱は元をたどるとだいたい将軍継嗣問題に行き着くという 討幕は脚気という病気のせいで将軍が短命だったせい。
後の世では脚気の原因の白米信仰、こじれにこじれて森鴎外の
不手際がすごかった。
ビタミンの概念があれば将軍は健康なまま後継者リレーは途切れることなく
スムーズだったはず。
徳川慶喜は一橋の大名で終わっとけば良かった。 >慶喜も孝明天皇と変わらぬほど振り回してるからw
この2人が幕末の混乱の元凶だと言い切って良かろうと俺も思う。
じゃあ、この2人が居なかったらどうなっていたんだろうか?
慶喜は(不本意だったが)幕府を上手に「終了」させた人物、いわばソフトランディングに成功した人であったし、
孝明天皇が長命であったなら戊辰戦争はおそらく無かったかもしれない。
そういう評価も踏まえつつも やはり、この2人が存在していなかったら(IF歴史)、
尊王攘夷運動はあそこまで過激化しなかったろうし、薩摩の徳川排斥決意も無かったろう。
>>927氏の言う日本版「小ドイツ主義」に向かうことは無かったかもしれない。
西郷や岩倉が討幕を決意したのは、まさしく一会桑を敵視したからであって、慶喜の優秀さがその理由であった。
そういう意味では慶喜が世に生まれたために徳川幕府は寿命を縮めたのかな、と思うね。 特定人物の存在に関わらず諸外国の船舶はやってくるわけだから
終わらせるなら上手に手早くするのが一番と思う
それにしても敵方から優秀さを危険視されつつ、味方である幕閣諸々からは煙たがられ
現代では敵前逃亡の臆病者の烙印を押されるのは何とも不憫と言うか 今ウィキで、慶喜時代の幕閣の顔ぶれ(老中と若年寄)を個別チェックしたんだが、
20代後半から30チョイの人が結構多いね。半数以上がそれ。
家格や年功序列人事が相当崩れていたとはいえ、若年寄は大半が旗本上がりだ。
慶喜政権にちょっとワクテカしてしまった。(残念) 言いがかりになるのは承知の上で。
西郷も大久保も木戸も、明治初期に死んだ。
慶喜も早くに死んでいれば、後世の評価はもっと上だったかもしれない。
側室が何人もいて、趣味三昧で生きながらえたことが、日本人の無常観にはそぐわない。
明治政府が慶喜の裕福な暮らしを認めたのは、
案外評価を落とす狙いがあったんじゃないかと、勘繰ってしまう。 >>941
そう聞くと慶喜がどこか今川氏真に重なって見えてきた そりゃ物語的には若いうちに死んだ方がドラマチックだが
俺的には汚名を甘んじて受け、一切言い訳をせずに生きていく方が格好良いと思うけどな 明治の印象でも慶喜は狡猾な政治家って印象だからな
西郷と大久保もそんな印象抱いてたろうな 慶喜を明治維新の功労者と見る動きが発生してきたのって明治30年代だっけ >>904
江戸体制の終焉、日英同盟、富国強兵、政党議会政治に走るとしても要は人材が長州偏重で国の形を決めて行くのか。
あるいは明治22年の憲法制定の以前から国のあり方を廃藩置県後の優秀な人材を各地から
集め薩長に偏重しないように効率的に頭脳を集約させ取り決めて行くのかという問題。
やはり薩長が決めた国体のあり方がたかだか数十年でシステムを崩壊させ日本を壊滅的に
させた要因があるのは間違いない。
幕末からの天狗党等過激派によるテロの正当化、水戸テロリストを靖国に祀ったことに始まる
国体のあり方、その根元が昭和に再発横行し統帥権干犯と狂信的行動に出たテロの風潮。
昭和から全てが狂って来たのは、その問題の根源が必ずあったということ。 >>946
歴史をまったく理解してないし無知であるのはよくわかった
己の個人的私怨で感情的になってるだけでそれ以上でもそれ以下でもないな
世界近代史と吉宗以降の日本史をちゃんと勉強してから書き込んでみよう 【天文台閉鎖、FBI】 アポロ捏造のキューブリックも真っ青、太陽に映ったのはマ@トレーヤのUFO
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1537840672/l50
バカウヨはそろそろサヨクに降伏しないと、あとあと土下座じゃ済まないぞ、命乞いのほうが得意かな?笑 >>946
結局は明治初期から始まった有司専制体制が敗戦まで続いたんだよな
藩閥や軍閥が少数の意向で国を動かしてたってだけで 尊王攘夷も明治維新も結局は政治の主導権争いの延長線上だった、それだけのことだな
いつの世も勝ち取った利権は仲間内で留めておきたいものだろう レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。