うんうん、私は坪井塾に移ったのが転機だと思ってる。
元々知り合いだった何とか(名前失念)の親が薩摩藩邸の留守居役で、その縁で研究・翻訳を重ねていたようだけど、斉彬との御目見得はなかった。
坪井のその後を見れば、坪井の後押しがあって当然かと思うんだけど、まだ坪井サイドを調べてないw


英語を教えてたって資料もみたことないな。
斉彬の死後ならあるけど。
薩摩にはジョン万もいたし、大鳥自身はジョン万から習った英語では満足できてなかったようだし…

例えば同時期にガス灯を発明した人等との繋がりはあったのか知りたい。
大鳥側からは確認できなかったよ〜