【敗北を】その後の榎本武揚2【抱きしめて】
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新国家建設を夢見て挫折
内乱を起こして多くの犠牲を出したあげくに降伏し
自らはおめおめと生き残り、それどころか戦後に新政府の要職にカムバック
武士としては最低な屈辱にまみれながらも、明治という新時代の為に尽力した榎本武揚を語ってください。
【敗北を】その後の榎本武揚【抱きしめて】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1143096910/l50 大河でも映画でもいいから映像化した作品が見たい。
できれば五稜郭で死にかけて明治政府で這い上がるところをクローズアップしたやつ。 大河だと1年持たないだろうから
坂の上の雲みたいにスペシャルドラマで見たいな 明治政府で大臣を歴任したというところまで入れて、
一代記にすれば一年持つだろう
直江山城でも一年持ったんだから 自分は一年じゃ足りないと思ってたw掘り下げ甲斐のある人物だと思う 俺は高校で社会を教えているのだが、「五稜郭の戦い」あるいは「箱館戦争」を
正答とする問題を出題したのだが、生徒の一人が「榎本武揚の乱」と書いてよこした。
ちなみにこの生徒は、「五・一五事件」を「犬養毅殺人事件」と答えた。 函館戦争の時、政府軍は高竜寺の野戦病院を襲撃して病人全員を斬り殺したけど
政府軍はどうしてそんなむごい仕打ちをしたの?
病院で寝ていた連中が明治政府にとって脅威だったの?
>>11
まぁ、明治政府軍は越後で会津軍に野戦病院襲われて、入院していた新政府軍兵皆殺しにされてるし。
復讐したんじゃないw。 >>10さん
×です。仕事だと割り切って×にしました。この子は私立理系志望なのでそれでいいです。
「井伊直粥」「大隈重信」「荻の乱」「寺島宗測」とか、いろいろな間違いがあります。
今Yahooで「榎本武揚」を検索したら、画面の下の方に次のような表示があった。
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釜さんって、そういう意味だったんだね。 >>13
あ、やっぱし。それが正しい判断なんだろうなぁ……。
新説を立てて論証する史学というなら悩ましいが、
高校で習うのは歴史だからなー。 >>13
ハギワラではなくオギワラだというのは、話のネタでよくある 「榎本武揚の乱」と書いた子は私立理系志望なのですが、受験予定校の中に
東京農業大学がなくてよかったです。ご存知の通り、東京農大の創立者は
まさにその榎本武揚だからです。 前スレに榎本が歴任した要職が上がってたけど
海軍提督から教育勅語までホントにスーパーテクノクラートって感じだな。
箱館で死んでたら日本の歴史も変わってただろうな。 偉大な功績を残し、ドラマチックな人生を送ってるのに
映像化されたり物語の題材になることが少ない人物だね。
逆賊だったからだろうか?
おめおめ生き残りながらも地道に社会に尽くしていくなんて
現代人からしたらむしろ感情移入しやすいんじゃないかと思うけど。 函館戦争の時、政府軍は高竜寺の野戦病院を襲撃して病人全員を斬り殺したけど
政府軍はどうしてそんなむごい仕打ちをしたの?
病院で寝ていた連中が明治政府にとって脅威だったの? 榎本の留学時代はつまらないし
人生の激動期は函館戦争…
2年半の投獄後は特赦され新政府へ出仕し順調な政治活動
明治時代の映像化は難しい
明治期の榎本も面白いと思うけどね。
薩長閥に挟まれ、旧幕臣の人間からさげすまれながら
様々なジャンルのパイオニアとして働くさまは現代のサラリーマンにも感情移入できそう。
外交交渉でも活躍したし。 名目的(日露交渉の必要上)とは言え、日本初の海軍中将になり、
黒田内閣での予備役編入まで、最先任海軍中将として
日本海軍軍人の序列第一位だったのは
あまり知られていない事実。 榎本は優秀だし政治力もあるし
薩長出身なら首相になっただろう
明治天皇のお気に入りの政治家のひとり 私の好きな幕末・維新の偉人トップスリーは榎本武揚、三条実美、板垣退助。
(ちなみに戦国時代では今川氏実、黒田長政、細川忠興)
榎本と黒田清隆の関係はよく語られるけど、榎本と山田顕義の関係はどうだったんだろうか。
北海道では敵味方の関係で、第一次伊藤内閣では双方入閣を果たしているけど…。
それに二人とも大学創ってるし。大学というと、福沢諭吉も大学の創始者で、榎本・黒田ペアとの
関係が深いし。
榎本は最初は海軍に所属していたけど
西郷従道と対立して政治家に転身した
函館戦争で投降した大鳥は適塾の先輩で尊敬する大村益次郎がいない陸軍で
仕事はしたくない思いが強く工部省へ身を置き技術官僚となった。
日清戦争が終わった後榎本は李鴻章と交渉し
日本の利権が拡大するよう交渉しそれを実現させた
これは伊藤や陸奥に絶賛された
ちなみに李鴻章が日本の政治家で優秀な政治家が陸奥と榎本
面白くてユニークな性格なのが伊藤博文と大鳥圭介と発言w 大鳥圭介が大村益次郎をリスペクトしていたとすると、大村の弟子の山田と
一戦交えたのだから、複雑な心境だったろうな、大鳥。 大鳥は薩摩藩の黒田と大山は教え子
ふたりとも大鳥の家で食事もしたり
子供たちとも親しくなった
だから東北地方で戦っている頃か黒田は
大鳥先生と戦争はしたくないとしきりに降伏してほしいと嘆願している
榎本は特赦後黒田と親交があり
大鳥は特赦後伊藤博文と井上薫と親交が続く
そうか。知らなかった。黒田は大鳥ともつながりがあったんだね。
そういうば年末時代劇で、黒田が大鳥と同じ塾で英語を学んだみたいなこと
言ってたよな。大鳥って何気にすごいね。 弟子ってのは違わなくねぇか?
むしろ江川太郎左衛門の弟子で、その大先輩が大鳥、後輩が黒田と太山だと思うが。
そして黒田と太山が大先輩から教えて貰っていたという方が正解だと思うが。
大鳥は官軍側には知り合いが多いから(西郷、木戸、黒田、大山、井上馨らとは知り合い)
戊辰戦争の時は複雑だったと思う。
だからある程度幕府に義理を果たしたら
降伏を決意し榎本らの命を救ったのえらいと思う
大久保が長生きしていても
榎本は大久保にも重用されたと思う。 明治になって大成してから、新撰組の島田魁に会いに行ったら裏切り者と冷たく
面会を拒否されたのって榎本だっけ。 回顧録とか日記とか残ってないのかな。
明治以後どんな思いで働いてたのか興味ある。 福沢諭吉や島田魁らが榎本のように出世したことは多かったと思う。
島田は土方に心酔していたので榎本の出世を快く思わなかったのだろう。
ただ榎本のように実力のある政治家は少なかったから
明治政府で重用されたと思う。
そんな榎本も山県内閣の一員だったが山県と対立して
文部大臣を辞任している。
榎本に限らず山県と対立した政治家は多いだろう。
訂正
福沢諭吉や島田魁らが榎本のように出世したことを快く思わない人達は多かった。 榎本は、ある意味、最強の助っ人外人のような気がする。 与謝野馨さんが入閣した。なんかむかついた。
おそらく福沢諭吉もこんな感じだったのかね。 与謝野の入閣より、榎本の政権入りのほうがよっぽどショックだったでしょ
福沢が助命運動をしたのは内心、脱走に喝采を送る気持ちがあったからで
長州を中心に厳罰を主張されてどうなるか分からん状態だったのが(西郷隆盛書簡)
出牢するや否やあっという間に政府高官になっちゃったんだから
しかも海軍中将に… 函館戦争の時、政府軍は高竜寺の野戦病院を襲撃して病人全員を斬り殺したけど
政府軍はどうしてそんなむごい仕打ちをしたの?
病院で寝ていた連中が明治政府にとって脅威だったの?
新潟で官軍の病院を襲って、寝ていた兵士を虐殺した会津&旧幕府兵への復讐でしょw
やられたので同じ事をやり返した。
そんだけ
>>42
何か勘違いしているようだが、ハーグ陸戦協定も何もなく、戦国時代の延長みたいな感覚で戦争してた時代だぞ?
新政府軍も幕軍も旧幕軍も同盟軍も等しく敵の首は取るものだったし、降伏ですら許すかどうかはその場にいた個々人の裁量。
野戦病院だからとかいう意識がそもそも無い。追撃中に道端で呻いてる負傷兵の介錯するようなもん。
むしろ覚悟して堂々と首を差し出せば、「立派な武士よ」って記録されるような時代だ。
負傷兵の首を取るなんざどこの軍も当然のようにやってたし、それを現代の感覚でどーこー言うのがそもそもの間違い。 それは何とも言えない
西南戦争では熊本協同隊(宮崎八郎が率いた隊)で、
主幹崎村常雄が自刃論を「蛮習」として斥け、「陣上虜」(捕虜)になるという結論を得ている
協同隊は民権論に触れていたから榎本、大鳥程度にしか感覚が理解できなかったとしても、
一般的な武士でも負傷者=惨殺が常態だったとは言い難いよ
函館本院では暴行を隊長が抑えてるわけだし、
奥羽戦争でも少年兵を見逃したりとか、意外とその種の言動が多い 榎本武揚は鹿鳴館で井上馨や伊藤博文、大隈重信と一緒に乱痴気パーティをやりまくって
女を抱きまくったんだよな。
うらやましいよ。 明治七年 駐露全権大使
同十二年 条約改正取調御用掛。外務大輔、議定官兼任。
同十三年 海軍卿兼任。
同十五年 駐清特命全権大使。
同十八年 第一次伊藤内閣の逓信大臣。
同二十年 子爵に列す。
同二十一年 臨時に農商務大臣兼任。
同二十二年 文部大臣。
同二十三年 枢密顧問官。
同二十四年 第一次松方内閣の外務大臣。
同二十七年 農商務大臣。この年、第四回内国勧業博覧会副総裁就任。
同三十年 農商務大臣を辞任。
>>51
そして、黒田内閣で予備役に編入されるまで、最先任海軍士官だった イメージ的に実務官僚とか研究者だから、武官としてのキャリアにちょっと違和感ある メキシコ榎本殖民団=照井亮次郎の生涯=殖民地崩壊の実際とは=JICA前支所長が著作発表
メキシコ移民の嚆矢である榎本殖民団に参加した、岩手県花巻出身の照井亮次郎(一八七四―一九三〇)
の気骨溢れる生涯をつづったノンフィクション『シエラマドレの熱風(かぜ)―日・墨の虹を架けた
照井亮次郎の生涯』(パコスジャパン)を上梓した。
「失敗第一の原因は、最初から真面目に殖民事業を経営しようとは思わず、ただ移民を送って当時最も
有利と言われたコーヒー栽培で利益を貪るつもりであったからである。だから土地の購入にも殖民には
不適当な山地を買ったし、株主の賛同もコーヒーの利益ということをもって得たのがそもそもの榎本子
爵の失敗である」(一八九頁)という照井の言葉は、第一回移民船・笠戸丸を遡ること六年の一九〇二年
に書かれたものだ。
(全文)
http://nikkeyshimbun.com.br/031202-71colonia.html よくもまあこれだけ有能多才な人物が幕末や明治黎明期にいてくれたもんだ。
その割には映画やドラマの題材にはならないな。 函館戦争の時、政府軍は高竜寺の野戦病院を襲撃して病人全員を斬り殺したけど
政府軍はどうしてそんなむごい仕打ちをしたの?
病院で寝ていた連中が明治政府にとって脅威だったの? 新潟で官軍の病院を襲って、寝ていた兵士を虐殺した会津&旧幕府兵への復讐でしょw
やられたので同じ事をやり返した。
そんだけ
>>56
函館では土方歳三ばっかりで榎本はオマケ扱い。
小樽では武揚祭っていうのがあって結構愛されてる 榎本は、スペシャリストの訓練を積んだ者のみが到達できる
ゼネラリストという感じがする。
榎本はロシア語話せたのかな?まあフランス語話せれば駐露公使は務まると思うけど
マリア・ルス号事件の仲裁裁判にせよ交換条約にせよ、ほぼ初経験で無難にまとめたね
市川みたいなロシア通がいたことも大きいけどさ >>61
函館では軍資金が尽きて遊女にも課税して市民が大ブーイング状態だったが
小樽ではその種のことはやってないからかな? 函館戦争の時、政府軍は高竜寺の野戦病院を襲撃して病人全員を斬り殺したけど
政府軍はどうしてそんなむごい仕打ちをしたの?
病院で寝ていた連中が明治政府にとって脅威だったの? 高龍寺分院を襲ったのは津軽・松前藩兵で、寝ていたのが会津出身部隊
武器を携帯していたし脱走軍に追い払われた恨みがあるから惨殺
地元藩のほうがエスカレートしやすい
函館本院は適塾→一橋家→奥詰医師でパリ万国博代表団にも加わった高松凌雲。
彼と薩摩藩の山下喜次郎の交渉だから穏便に済んだ。
薩摩藩士は江戸留学者も多く、もともと一橋派で幕臣との付き合いもあるから、
相手の経歴で待遇を改めたりとか、意外とそういう事例があったらしい。 二本松戦争だか会津戦争だか、侵入した家に安積艮斎の書が飾られているのを見て
縁者だと分かると「私も先生に御恩があった」とか言って退去した隊長もいたらしいな
まあ江戸留学者だったんでしょう あとこの席に和平交渉の繋ぎ役を担当した池田次郎兵衛がおり、その後すぐ仲介役の打診があったので
薩摩としては早期戦争終結のため、入院者などに仲介役を探していた可能性がある
高松凌雲ではなく、最初は会津遊撃隊士の諏訪某がご指名だったようだが… 病院で寝てる奴を斬り殺す瞬間ってどんな気分なんだろう? >>54
榎本は獄中でも何が商売になるとか、何が売れるとか書いてる人だからなw
鶏卵にも興味持ってたんだっけ? 米沢藩の宮島誠一郎をテーマにした「戊辰雪冤」を読んだが、
榎本も勝と並んで米沢藩の方向性についてアドバイスしてたんだな
この時期、徳川艦隊を握る榎本はいろんな人と会ってる
勝が奥羽諸藩に対して「無名の師」と冷淡だったのに対して
榎本はそこまで割り切れていないのが分かる >>45
其の辺は>>44と>>45の両者の要素が陣営問わず混在してたって事じゃないのですかね、と。 ただ、この当時の感覚を戦国時代の感覚で推し量るのはさすがにないよ。
傷病者を斬殺するのはさすがに忌避される行為。
まあ、函館本院のほうも薩摩藩が和平の仲介者を探していたという事情があるかも知れないが 大河の題材としては面白そうだけどな
旧幕臣でありながら明治政府でも出世するのは面白い
>63
ロシアの貴族階級・知識階級はフランス語が絶対必須。
「アンナ・カレーニナ」や「戦争と平和」に出て来る通り。
あと、ケーベル博士のようなドイツ系ロシア人も多かった。 榎本を大河ドラマにするとして
維新後多大な功績があったのは事実だが、これといったドラマになりそうなエピソードってあるのかな。
淡々と真面目に仕事をこなしていった印象。
新撰組の島や福沢諭吉に皮肉られるのがハイライトとか。 確かに榎本の人生の最大の見せ場は五稜郭なので
明治政府での大臣時代をどれだけ「盛る」かにかかっているが
難しそうだ。
アニメなら「時系列シャッフル」という手もあるが、
大河ドラマで、演出上、それができるとも思えない 大臣時代のエピソードじたいは駐露・駐清公使から足尾銅山の農商務大臣の辞職まで事欠かないから盛る必要がないくらいだが、、、
榎本は突飛な行動はせず、穏健な解決を図るタイプなのでドラマ性が薄いな。 明治時代を幕臣出身を主人公にして描くと、どうしても湿っぽくなりがちで視聴率出にくいだろうね。
あえて明治の元幕臣を描くなら渋沢栄一がベストだと思う。
前身が攘夷志士なのに一橋家に雇われたり、明治政府の大蔵官僚を辞職後して実業家に転身したり、
型にとらわれない波乱万丈っぷりが見ていて快いこと間違いなし。
官を捨てて民業を選んだ財界人というのも明治大河にあうし、日本の民業を強くしたい思いが一貫してて説得力がある。
若い頃は血の気も多いが、本質は温厚で陽気な親分肌タイプの人なので、盛らなくてもそのままドラマになる人。
何よりクライマックスが遅く、老いにつれ人間的に成長していくところが大河にぴったり。
スレチ失礼 渋沢+尾高+諸井の一族には、今なお社会の各方面の知的影響力がある。
これに西周なども含めた「幕臣」+「学問」+「実業」を織り交ぜて一大絵巻にすれば…
あっ、良い脚本家が必要だが。 榎本は対ロシアでは新政府要人と対照的にあまり脅威とはみなしていなかった。
まあ旧幕臣はわりあいそんな感じかな 勝海舟によると函館戦争までが大激動だったけど
明治政府に出仕して5年もすると自分より榎本や大鳥らの方が
薩長の要人と馴染んでいて順調に政治活動していて何も心配していないと語っている
オランダ留学時代 明治政府の出仕してからは波乱が少ないので映像化してもつまらない
映像化するなら大鳥圭介の方がいい 貧乏書生から朝鮮公使になったこと
戊辰戦争では大鳥は適塾の先輩の大村と敵味方に別れることになり複雑だったらしい
NHKのBS時代劇で10回放送で見てみたい 当然榎本も中盤から登場する
大鳥圭介は朝鮮公使時代がテレビ局的にNGだから無理なんじゃない? しかし榎本も交換条約、足尾銅山事件とか見せ場それ自体はたくさんある
群像劇にするというのも手だな。べつに大鳥聖人君子で行かなくてもいいだろう
榎本も足尾銅山事件での対応をどう描くかでクレームが来そうだけど 個人的には明治になってから榎本と慶喜が再会する場面が見てみたい。
どう描かれるのか。それがラストシーンだったりして。
実際、榎本はどう思ってたんだろ。 榎本は地学を知っていて北海道の炭鉱を発見したらしいな。
現在の領土問題や海底資源問題について
榎本が大臣や大使ならどう解決しただろうか。 オランダ・ロケ敢行!
西周や津田真道との青春謳歌。
ついでにハーグの「ロッジ」のシーンも。
幕末の「中外新聞」(柳河春三)から晩年の明六社の群像まで。
ちょっとジミ …… >>92
確実に協議。榎本は交換条約に関しても「開拓の余力のない領土を持ってても仕方ない。ロシアはそれ以上の侵略意思なんてない」
と言う発想をしたし、駐清公使時代も「清は日本が策動しない限り表に出てこない」と読んでいた。
「協議を続けてる間は紛争は顕在化しない」と読むだろうね。榎本は落ち着いてるから、相手を過剰に恐れないんだよ。
大鳥は相手を挑発して叩くみたいな外交をするが、榎本は基本的にそれはしない。 >>96
確かに、戊辰戦争、五稜郭の修羅場をくぐってきているだけに、
その辺の胆力はあるのだろう 榎本は駐露公使時代に宮廷の舞踏会に招かれた時の反応が面白いんだよな。
姉に手紙を送ってるんだけど、岩倉が華麗なロシアの宮廷儀礼に心奪われたのに対して
「おたふくが相当いるけど、そこは馬子にも衣装とやらで化粧で誤魔化してます」みたいに突っ込んでる。
楽しんだことは楽しんだらしい。
物々しい儀礼を面倒がり、軽口を叩きたがる江戸っ子っぽい楽しそうな感じに満ちてる。 過疎りすぎにつきアゲ
榎本が明治最良の官僚と言われたとか明治天皇のお気に入りだったとかよく見るけど
一次ソースってあるのん?教えてエロイ人
ドラマ化されるなら箱館戦争より政界で活躍していた時より何より獄中生活が見たい
山田洋次ばりのしみじみした人情モノでも良いし、笑いあり涙ありのコメディでも良い
絶望的な状況でも決して悲観せずひたすら明日に向かって生きる姿はすごく良い題材だと思うんだけどな
あと函館か小樽はさっさとプリングルスとコラボしてご当地商品を発売するべき 明治天皇のお気に入りは知らないな。
明治天皇は山岡、西郷、乃木みたいな古武士型が好きだったらしいが、
榎本はぜんぜんそういうタイプではない。
町人タイプと言うか、ライトな性格。
ただ性格的には素直なので、目立った敵はいなかった。 保守
そもそも明治天皇は日記をつけていたわけではないので、誰が好きとか嫌いとかの一次ソースなどは存在しないと思われ
そういうことを言っていい立場ではなかったし、
乃木さんや西郷さんも「好きそうだった」っていう周りの人の推測話が残ってるだけだし
まあこの二人はガチだとは思うものの…
逆に言うと「明治天皇は黒田清隆を嫌いだった」って話のソースもないので、
これも定かではない話になると思いたい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています