【敗北を】その後の榎本武揚2【抱きしめて】
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新国家建設を夢見て挫折
内乱を起こして多くの犠牲を出したあげくに降伏し
自らはおめおめと生き残り、それどころか戦後に新政府の要職にカムバック
武士としては最低な屈辱にまみれながらも、明治という新時代の為に尽力した榎本武揚を語ってください。
【敗北を】その後の榎本武揚【抱きしめて】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1143096910/l50 米沢藩の宮島誠一郎をテーマにした「戊辰雪冤」を読んだが、
榎本も勝と並んで米沢藩の方向性についてアドバイスしてたんだな
この時期、徳川艦隊を握る榎本はいろんな人と会ってる
勝が奥羽諸藩に対して「無名の師」と冷淡だったのに対して
榎本はそこまで割り切れていないのが分かる >>45
其の辺は>>44と>>45の両者の要素が陣営問わず混在してたって事じゃないのですかね、と。 ただ、この当時の感覚を戦国時代の感覚で推し量るのはさすがにないよ。
傷病者を斬殺するのはさすがに忌避される行為。
まあ、函館本院のほうも薩摩藩が和平の仲介者を探していたという事情があるかも知れないが 大河の題材としては面白そうだけどな
旧幕臣でありながら明治政府でも出世するのは面白い
>63
ロシアの貴族階級・知識階級はフランス語が絶対必須。
「アンナ・カレーニナ」や「戦争と平和」に出て来る通り。
あと、ケーベル博士のようなドイツ系ロシア人も多かった。 榎本を大河ドラマにするとして
維新後多大な功績があったのは事実だが、これといったドラマになりそうなエピソードってあるのかな。
淡々と真面目に仕事をこなしていった印象。
新撰組の島や福沢諭吉に皮肉られるのがハイライトとか。 確かに榎本の人生の最大の見せ場は五稜郭なので
明治政府での大臣時代をどれだけ「盛る」かにかかっているが
難しそうだ。
アニメなら「時系列シャッフル」という手もあるが、
大河ドラマで、演出上、それができるとも思えない 大臣時代のエピソードじたいは駐露・駐清公使から足尾銅山の農商務大臣の辞職まで事欠かないから盛る必要がないくらいだが、、、
榎本は突飛な行動はせず、穏健な解決を図るタイプなのでドラマ性が薄いな。 明治時代を幕臣出身を主人公にして描くと、どうしても湿っぽくなりがちで視聴率出にくいだろうね。
あえて明治の元幕臣を描くなら渋沢栄一がベストだと思う。
前身が攘夷志士なのに一橋家に雇われたり、明治政府の大蔵官僚を辞職後して実業家に転身したり、
型にとらわれない波乱万丈っぷりが見ていて快いこと間違いなし。
官を捨てて民業を選んだ財界人というのも明治大河にあうし、日本の民業を強くしたい思いが一貫してて説得力がある。
若い頃は血の気も多いが、本質は温厚で陽気な親分肌タイプの人なので、盛らなくてもそのままドラマになる人。
何よりクライマックスが遅く、老いにつれ人間的に成長していくところが大河にぴったり。
スレチ失礼 渋沢+尾高+諸井の一族には、今なお社会の各方面の知的影響力がある。
これに西周なども含めた「幕臣」+「学問」+「実業」を織り交ぜて一大絵巻にすれば…
あっ、良い脚本家が必要だが。 榎本は対ロシアでは新政府要人と対照的にあまり脅威とはみなしていなかった。
まあ旧幕臣はわりあいそんな感じかな 勝海舟によると函館戦争までが大激動だったけど
明治政府に出仕して5年もすると自分より榎本や大鳥らの方が
薩長の要人と馴染んでいて順調に政治活動していて何も心配していないと語っている
オランダ留学時代 明治政府の出仕してからは波乱が少ないので映像化してもつまらない
映像化するなら大鳥圭介の方がいい 貧乏書生から朝鮮公使になったこと
戊辰戦争では大鳥は適塾の先輩の大村と敵味方に別れることになり複雑だったらしい
NHKのBS時代劇で10回放送で見てみたい 当然榎本も中盤から登場する
大鳥圭介は朝鮮公使時代がテレビ局的にNGだから無理なんじゃない? しかし榎本も交換条約、足尾銅山事件とか見せ場それ自体はたくさんある
群像劇にするというのも手だな。べつに大鳥聖人君子で行かなくてもいいだろう
榎本も足尾銅山事件での対応をどう描くかでクレームが来そうだけど 個人的には明治になってから榎本と慶喜が再会する場面が見てみたい。
どう描かれるのか。それがラストシーンだったりして。
実際、榎本はどう思ってたんだろ。 榎本は地学を知っていて北海道の炭鉱を発見したらしいな。
現在の領土問題や海底資源問題について
榎本が大臣や大使ならどう解決しただろうか。 オランダ・ロケ敢行!
西周や津田真道との青春謳歌。
ついでにハーグの「ロッジ」のシーンも。
幕末の「中外新聞」(柳河春三)から晩年の明六社の群像まで。
ちょっとジミ …… >>92
確実に協議。榎本は交換条約に関しても「開拓の余力のない領土を持ってても仕方ない。ロシアはそれ以上の侵略意思なんてない」
と言う発想をしたし、駐清公使時代も「清は日本が策動しない限り表に出てこない」と読んでいた。
「協議を続けてる間は紛争は顕在化しない」と読むだろうね。榎本は落ち着いてるから、相手を過剰に恐れないんだよ。
大鳥は相手を挑発して叩くみたいな外交をするが、榎本は基本的にそれはしない。 >>96
確かに、戊辰戦争、五稜郭の修羅場をくぐってきているだけに、
その辺の胆力はあるのだろう 榎本は駐露公使時代に宮廷の舞踏会に招かれた時の反応が面白いんだよな。
姉に手紙を送ってるんだけど、岩倉が華麗なロシアの宮廷儀礼に心奪われたのに対して
「おたふくが相当いるけど、そこは馬子にも衣装とやらで化粧で誤魔化してます」みたいに突っ込んでる。
楽しんだことは楽しんだらしい。
物々しい儀礼を面倒がり、軽口を叩きたがる江戸っ子っぽい楽しそうな感じに満ちてる。 過疎りすぎにつきアゲ
榎本が明治最良の官僚と言われたとか明治天皇のお気に入りだったとかよく見るけど
一次ソースってあるのん?教えてエロイ人
ドラマ化されるなら箱館戦争より政界で活躍していた時より何より獄中生活が見たい
山田洋次ばりのしみじみした人情モノでも良いし、笑いあり涙ありのコメディでも良い
絶望的な状況でも決して悲観せずひたすら明日に向かって生きる姿はすごく良い題材だと思うんだけどな
あと函館か小樽はさっさとプリングルスとコラボしてご当地商品を発売するべき 明治天皇のお気に入りは知らないな。
明治天皇は山岡、西郷、乃木みたいな古武士型が好きだったらしいが、
榎本はぜんぜんそういうタイプではない。
町人タイプと言うか、ライトな性格。
ただ性格的には素直なので、目立った敵はいなかった。 保守
そもそも明治天皇は日記をつけていたわけではないので、誰が好きとか嫌いとかの一次ソースなどは存在しないと思われ
そういうことを言っていい立場ではなかったし、
乃木さんや西郷さんも「好きそうだった」っていう周りの人の推測話が残ってるだけだし
まあこの二人はガチだとは思うものの…
逆に言うと「明治天皇は黒田清隆を嫌いだった」って話のソースもないので、
これも定かではない話になると思いたい 幕末志士の死亡診断書っての立ち読みしたら榎本武揚の死因が老衰だった
70代前半でも老衰ってあるの?
あとここでもまた明治天皇のお気に入りって書かれてたけど一次ソースって本当にどこにあるんだろ 晩年の榎本が語られることはあまりないけど、足尾銅山やメキシコ植民についてはどんな評価なんだろうね
北海道やシベリアをあれだけ調査した榎本にしては調査不足だったみたいだけど、
日清日露で対応してる時間がなかったのか、もう若くないからそこまで精力的に動けなかったのか… この人凄いな、どのツラ下げて、新政府軍の役職についたんだろ。
そもそも生前の土方と馬があったとは思えんのだが。
勝ち目ないし投降したいが、それ言うと土方に斬り殺されそうなので
彼が死ぬのを待ち願ってたとか? 榎本は貴重な艦隊を仙台に回航させて決戦を促し、旧幕府系陸軍を収容してくれた立場
それに陸軍と艦隊司令官だから馬が合う合わないもない 榎本との深刻な対立を伝える史料はない
土方が戦死したのは函館総攻撃初日の5月11日 同じ日に函館病院が襲われ、
入院者に面識のある者がいることを知った薩摩藩が12日に病院を再訪して和平斡旋を始めている
最初は書簡で恭順を勧められた函館政権幹部は拒絶するが、薩摩から知人を派遣されたため弁天台場が仲介して会談セッティング
榎本はここでも恭順を拒絶している
函館本営が投降を決断したのは古屋、土方など現場指揮官の戦死が相次ぎ、弁天台場との連絡も絶たれたうえ、
傷病兵を抱えて新政府の投降の誘いのたびに休戦を申し入れねばならず、
兵の間に逃亡どころか反乱の兆しすら見られる極端な士気低下状態になったため
と思われる
つまり土方の戦死と函館本営の投降の決断はまったく無関係
あと黒田に関しては傷病兵や自身や僚友の助命運動で多大な借りがあるから開拓使出仕は断りにくいだろう
黒田はこのあと薩摩閥の重鎮になっていくので榎本もそのスタッフ的存在として登用されていく
同じ助命運動をした福沢諭吉については大して感謝してる様子もないので、
黒田と性格的にも合ってたのかも知れない まあ簡単に言えば、戦いたくても戦えなくなっちゃったんだな
残ってる兵は雪隠づめで殺されるだけだから士気を喪失し投降せざるを得なくなったと >>103
足尾の視察→委員会設置→引責辞職までは既定路線だった気がする
既に農民は押し出し直前だから何とか収めないといけない
結果的に古河も調査委員会の予防令で相当の損失を被ってる 結局大臣が責任取るしかない
農商務相が田中正造の攻撃の標的になったのでトカゲの尻尾切りじゃないが
詰め腹を切った形かも知れない 函館戦争の時のアメリカとイギリスの立場が対照的で面白い。
同情的だったアメリカの函館領事ライスは
「イギリスは海賊を捕まえると称して入ってきたが発見したものはよく組織された政府だった」
新政府派のイギリスの書記官アダムズは
「米・露・独は船を持っておらず、いざとなれば英・仏の艦隊に逃げ込むくせに…」と互いに非難している
榎本は国際語だったフランス語でも英語でもなく、オランダ語で応対したもよう。 会津が南京大虐殺の捏造に荷担してる事が判明しました。
幕末の捏造だけではなく、大戦も捏造する会津。
ちなみに会津は、ドイツに対して国土売却を企てた事があります。
会津プロパガンダは反日プロパガンダ。会津はとんでもない売国地域です。
http://jump.2ch.net/?aidu65.net/aboutme.html
会津は反日協力者だ!! >>13
その子はその採点見て教師を心底軽蔑したであろう
完全に試してただけだわ
オレなら「犬養毅殺人事件」なんてのには◎つけて、しかし得点は0だぜって採点するかもな
これは受験用のテストだって註を添えるまではしなくてもよかろう >>1
無能、敗者と貶めるのは事実と異なる無知な蔑称に過ぎない
榎本は超優秀すぎて、明治時における数少ない政治家における傑物だったから、外交中心になんでもできたよ
この人はあの時代に数少ない閣僚かつ欧米留学組だったし欧米学について学があった
だから優れた政治感覚を発揮して、日露戦争までの外交政治に不可欠な人材だった。
この人が外交の半分をになったといっても過言ではない
馬鹿な桂は榎本を殺せといったが、榎本はバカの桂の数倍仕事はした。
榎本武揚は洋学を学び、オランダに留学し、優れた国際的政治感覚の持ち主で近代日本外交に多大な貢献をした。
竜馬や西郷よりもよほど仕事をしてなくてはならない人物だった。これが肝賊史観で不可分の人物で多大な貢献者の榎本が全く評価されない
だから日本の政治感覚というのはいつまで立っても未開なのだ 幕末、明治において普通に閣僚や有名人は愚か、官僚に至るまで、あそこまで学識と見識があった人物はそうはいなかった
とくにオランダ留学は当初のアメリカ留学より結果経験になったのでは?というような成果であり
府欧戦争や、工業、食さん、科学、国際政治、国際法制、外交、戦争を全面的に学習できた
尚アメリカに留学してれば南北戦争を学んでたなwww
榎本の経験、スキルは高かったから、榎本がいて、もう少し会津軍や将軍と意思疎通できてれば、普通に公武合体による維新を成立させられたのでは?
というほどの人物だったし、その後外交政治、内政を切り盛りすることは十分榎本にはできたろう
結果公武政府ではなく、明治政府で多大な貢献をすることになるんだが
だが晩年は人権意識的に古く階級的高圧的なところが少しあったから(けして非人権的、非人道的というわけではないんだが)
足尾銅山事件において失敗して引責辞任する。高圧な態度を取ってしまった
しかしそれだけで議員辞任するには惜しい人物で、日露戦争後の軍事外交的な難題を切り盛りできるポテンシャルのある人物だった
榎本に限らず、まともな軍事外交的感覚を持った人間が一挙大量に日露戦後に失われるから日本外交は失敗する
日本政治はむしろ後年昭和期はまだマシになるんだが、あの明治末、大正の失敗のほうが大きかった
あの時代の失敗は後継育成の失敗というより、欧米に留学して、欧米政治感覚を理解してる人物が内閣、政府からいなくなったから失敗するんだが 榎本に興味があったんで適当に目に付いて借りた童門冬二の「榎本武揚」は
少なくとも"小説"として読む価値はない
小説のくせに全体的にあっさりしすぎだろ。
函館戦争降伏シーンなんか、もっと葛藤とかあったんじゃないのかよ。
大鳥に諭されて「それもそうか」と自刃を止めてあっさり降伏ってなんだよ、おい。
おまいら榎本武揚でお勧めの小説、じゃなくてもいいけど、教えてくれ。 五稜郭で戦った山田顕義と榎本武揚は実は仲がいい。大の仲良しです。
明治22年の山田伯爵の作品です。
「榎本氏、別荘偶作」
主賓別無く 酔って将に狂せんとす
吐き尽す 人間の妙 吟腸
一望墨堤 万寿の花
満天の春色 白雲の香 近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
Y46QM >千島樺太交換条約結んでるんだから
>千島全部返すのが筋なんだよな
その条約をロシアと対等に渡り合い結んだのが、五稜郭箱館戦争まで粘りに粘った旧幕臣榎本武揚
その時榎本と戦って説得して降伏させて、助命嘆願して救い出して自分の下で榎本の才能を存分に発揮させたのが薩摩黒田清隆
同じく榎本と戦って、死刑主張したのが
日大創設者山田顕義ら長州閥 いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
DM0 甲賀源吾はもし生きていたら海軍の代表的人物になってただろう
あまり注目されないが回天の早期離脱に成功した荒井郁之助の操舵も見事
幕府海軍はこの頃になると士官以下は相当充実してたのでもったいない 函館湾海戦も3対6で湾侵入を妨害して20日抗戦
そのあと工作員による砲台の破壊と千代田形の喪失があったのに
回天蟠竜の2隻が巧みな操艦で1隻沈めてるからかなりの善戦
操艦に関しては教習条件に恵まれていた幕府海軍士官のほうが上手だったようだ
もっとも沿岸で戦った開陽・蟠竜・千代田形の3隻が座礁(高雄・回天は自ら座礁なので含めない)
操艦技術はまだまだ発展途上 箱館戦争後拘束された榎本は、獄中から親族や知人にたくさんの書簡を書き送っている。
卵の孵化器や通信機器の構造や使い方、ビールや石鹸の製法など。彼は、処刑を覚悟していたらしく、後世に自分の知識を残そうとしていた。 そういう知識に黒田清隆が惹かれて
ますます処刑されたらいけないと
助命に動いたんだな
黒鉄ヒロシも榎本特集の番組で当時の日本で別次元に頭の良い人だったと言ってたし
黒田の砲術の先生だった大鳥圭介が
才能や知識のある人には相手がどんな立場であれ素直に認め
憧憬の念を持つのが彼の若い頃から一貫して変わらない長所だと語ってた 実際にそうだろ。
文官としては優秀だったが、武官としてはダメ。 五稜郭に立て籠るなんて狙ってくださいという自殺行為 榎本武揚のことが判る本があったら教えて
安部公房のは求めているものと違った >>135
直木賞作家の佐々木なんとかさんの本がいいらしい。 佐々木譲さんは北海道道出身だから榎本武揚や土方歳三が大好きみたいだ。
だが文官や武官としていくら優秀でも時勢が読めないとそれだけで破滅に追い込まれる。
小栗上野介もしかり >>136
このスレ過疎ってるのに
こんなに早く教えて頂けるなんてありがたい
Amazonで佐々木なんとかさんを探します 武揚伝 (中公文庫)
佐々木 譲
電子書籍版もあるらしい 司馬遼太郎「燃えよ剣」
新潮文庫版の第4巻にも出てくる。
電子書籍版ある。 榎本武揚が役立ったのは明治のロシア外交ぐらいだな。
本当にそれだけだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています