【攘夷】久坂玄瑞・高杉晋作・大楽源太郎
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高杉がいなけりゃ明治はない。
新政府で何もできない勝の評価など問題外 桂小五郎みたいなへっぴり腰より10倍マシな人物ばかりだのー 勝海舟によれば、長州出身者でまともに話ができそうなのは
大楽源太郎と広沢真臣だけだったらしい。
高杉についてはゴミという評価。 大楽は門下生が大村暗殺に加わったことで、司馬遼太郎に毛嫌いされたのが全て。
ほんと司馬作品って罪が深い。
久坂>>>>高杉 (未知数)大楽 が順当な評価 なんで勝海舟ごときの評価を金科玉条にして崇めるの?
自分におもねらない奴には辛く当たるし的外れな評価少なくじゃないじゃん 勝海舟の評価は別にしても、
久坂、桂が能力では一段抜けており、高杉はワンランク下と言うのが事実だと思われる。
大楽に関しては明らかに不当評価。広沢がまともに話が出来たと言うのは首肯できる。
広沢は長州戦争、戊辰戦争でもきちんと戦争終結の方向できめ細やかな指示を与えている。 >>30
同意。
あとはその上に、長井雅楽や周布政之助が来るだろうね。
桂小五郎(木戸)は論外で、これも勝海舟の言葉だが「西郷などと比べるととても話にならないくらい臆病で人物が小さい」とのこと。
やはり長州にとって広沢真臣の死は痛かったね。 長井と周布・桂は悪くなかったのに、村塾系とくに久坂はやたら長井を敵視するなあ
木戸評は、勝の西郷びいきを考えないとダメだと思うけどw 久坂「それはキミ。航海遠略策なぞと云う愚策を出し、藩論世論を混乱させ公武合体に導いた。長州と尊攘を絶滅に追い込もうとした奸物だから仕方ない。」 大楽はただの暗殺扇動者だろ。
自分じゃ汚れ仕事を嫌って人をそそのかし、
自分は安全な所にいる。
危なくなると今の福岡まで逃げて、持て余されて
そこで自分が暗殺された。 そんなこと言ったら高杉も久坂も長井以下の暗殺煽動者であり粛清実行者だが?
大楽は門下生から3人、大村暗殺犯が出ただけだが、高杉久坂の村塾系はもっと凄まじい
>>39
そうだったね。松下村塾の人達はもっと過激な連中が揃っていたね。
その事を忘れていたよ。
でも、高杉も久坂も暗殺を計画したり焼き討ちをしても、自分の身が
危なくなったからと言って遠くまで逃げる事はしなかった。
むしろ、幕軍相手に死ぬ気で戦った人達だよね。
その辺が大楽との違いで、後世にまで評価が分かれてしまった所だと思う。 久坂と高杉の一番違うのは
久坂はこまめに他藩の人と人的交流するけど
高杉は交流した形跡が無いよね。
いや、高杉は逃亡しまくってるよ。九州逃亡って意外と知られてないんだね
死ぬまで戦った度で言えば
久坂>大楽>>>>>高杉
それに、久坂・高杉と大楽では立場が違う
久坂=自分自身が京へ進発した諸隊の目付。
高杉=拘束を恐れて九州に逃亡した後、挙兵の説得に失敗して帰藩。
だが、奇兵隊にも挙兵を拒否され破れかぶれ決起
大楽=久坂・高杉とつねに行動をともにしたが、門下生から暗殺犯が出る
蟄居中に門人が脱隊騒動を起こしたため処刑が濃厚になり初めて九州逃亡 つまり久坂・高杉は藩内の派閥的にも、殺人に加担した経歴的にも負けたら処刑必至だったんだが、
大楽はべつに自分自身で大村に手を下したわけじゃないし、
大村暗殺犯を出したことを理由として処刑されたわけでもない
大村暗殺、広沢暗殺、諸隊騒動が重なって初めて久留米藩士が惨殺したわけで
当時、大村と敵対していた人間なんて山ほどいるから >>42
その破れかぶれの決起に忠憤隊で呼応したのが大楽じゃないか。 大楽って松下村塾よりも過激で暴力的鬱屈感を持っていた西山塾の連中と
付き合いがなかったけ?
暗殺者かどうか不明だがその長州の私塾・西山塾の剣客の神代直人なんか
とも面識があったような・・・
大村益次郎は軍事面で西洋化を目指していた為、バリバリ攘夷思想の神代
に絡まれていたと本にあったが。 高杉の決起に最終的に呼応したのは伊藤も、山県の奇兵隊もそうだから、
べつに大楽が「変な人」だと言う証明にはならない
冷泉為恭殺害に関しては、久坂・高杉も長井雅楽暗殺計画をはじめ、
久坂は加徳丸事件で自藩の藩士に詰め腹を切らせたりしているし、
高杉も英国公使館焼き討ち以降、元治内戦で俗論党や奇兵隊の同志の処刑粛清に加担しており、
べつに大楽だけが「テロリスト」であったわけではない
また、神代直人に関する記述はまさか司馬遼じゃないだろうな?
司馬は大村マンセーだからアテにならないよ 木戸・高杉>久坂>大久保・中岡>龍馬>>>西郷>>>>>>>>>>>>勝
これが正解。 と言うか長州の正義派政権の要人って、ほとんど殺人or放火の経験があるんだな
犯罪を犯してないのは、桂くらいか?いくら幕末でもちょっと異常だな >>48
木戸の評価高すぎw
西郷と勝の評価低すぎ ■長州藩序列
国司信濃>長井雅楽=周布政之助>久坂玄端=広沢真臣=大楽源太郎>>|ゴミの壁|>>高杉晋作>桂小五郎(木戸孝允)
高杉珍作と桂小五郎はただの創作小説のヒーローでしかない。 >>50
山県も放火や暗殺はやって無いんじゃないかな?
汚職はあるけど >>47
司馬遼太郎の小説って大村を描いた「花押」のこと?
そんなんじゃなくて、西山塾の塾頭を書いた書籍が
あったんだ。書名は失念してしまった。
その中に塾頭の傍にいつもいる神代がかなり過激な攘夷論者で
あたり構わず議論を吹っ掛けたり絡んだりしていたそうだ。
その中に有名になる前の大村も絡まれたとあったんだ。 >>47
大楽だけがテロリストであったとは思わないが
逆に大楽のどこがそれほど凄いのかわからないだけだよ。
>>52
長井>周布=久坂>桂=国司>広沢=赤根>>>高杉 (不明)大楽
こんな感じじゃないの?高杉って特に調整能力とか高くないし
桂のほうが常識人だけど、切れ者度では久坂のほうが上
ただ長井のほうがもっと上
>>53
山県は虚偽公文書作成or証拠隠滅をやってるだろ。奇兵隊日記の改ざん
明らかに赤根との確執だろ 長州スレはなんか面白いな。
正義党の藩内政敵、長井雅楽が一番だって書き込みが
正義党の人の名前を冠したスレに合っても、全く荒れないんだから。
長州の人は、松陰派の人は若干理屈屋気味だけど、
基本的にプラグマティズムの人が多いから、
関心持つ人も原理主義的な人は少ないのかねえ。
久坂はどう評価したものか。策謀家の匂いがしてあんま好きになれないんだよな。 久坂は正論正義タイプだろ
中岡や江藤見たいなタイプに見えるね >>56
( ゚Д゚)ハァ?
長井雅楽って、ヘタレだからこそ命を散らす羽目になったっていうのに何言ってんの? 人物評はわかるが何故やたらと順位や序列をつけたがるのかわからん。 そうか?
どう評価しようとその人の勝手なんだが
自分は順位で評価できるほど人物評というのは単純ではないと思うだけのことで。 タイプが違うことを理由にしたらそもそも評価が出来なくなるよ
長井は頭脳明晰、論理秀逸しかも藩論を統一した国論に結び付けた傑物。
久坂は剛腕・策謀家ではあるが、政治活動は精力的で、極めて戦略的。
長井・久坂・周布の時代は、ほかの人物は彼らを超えることはできなかった。 まあ、長州が公論をリードした長井と久坂は、実績的にも妥当じゃない?
プラス内戦以前は周布、元治内戦以降の桂か。周布と桂では、長州単独では天下を引っ張れないけど、
共同戦線なら張れる実力はあるしね
広沢以下になると、まず他藩との折衝が難しい上に、単独で藩を率いる能力がない 政治面を基準にしての評価と、例えば軍事面での評価ではまた変わってくるとは思うけどね ここでは政治面での評価って暗黙のルールがあったならごめん 諸隊の政治的な影響力は
軍事的な期待に支えられていたので
切り離して考えられない。 軍事・軍略面で言うなら例えば大村と比較しても長井、久坂、周布の方が上だったってこと? 対幕府はともかく、対外国は結局長井の提案通りに進んだわけでしょ?
無謀な下関戦争で、即今攘夷は無謀なことがはっきりして。 対外国の話は、長井も松陰−村塾系もそんなに変わんないだろ
それを国内的にどう運んでいくかってとこで、長井の策は日和見だと非難された さすがに焼き討ちしたり、攘夷親征のため禁門の変起こす人たちと、
対外政策が同じというのは無理があるかと。
焼き討ちは攘夷と無関係、
大阪等への攘夷親征も口だけでやる気なしだと主張なさるつもりか? >>66
軍事面でも、大村、山県以下の諸隊幹部が入ってくるだけで、
そこまで違わない 誰か長州ザ・ベストテンと長井雅楽スレ作ってやれ。 結果からいえば、久坂は諸藩の持つ力を軽視しすぎた
つまずいてもつまずいても雄藩の協力を諦めなかった桂の流れが維新を達成した
優劣をつけようと思ったらそういった結果からはかるしかない
正直、優劣をつける意味はないと自分は思ってるが そもそも長井案でやったら幕府は通商で栄え諸藩は滅ぶし、明治維新も起きなかった
久坂が反対するのは至極当然
薩摩が倒幕に踏み切ったのも幕府が西国諸藩を潰す危険を感じ取ったから
諸藩との繋がり重視したのは久坂も同じだろう
藩も公卿も諸侯も最期は当てになら無いから既成組織でなく諸藩の同志同士が結ぶべきと手紙に書いてるくらいだ
まあ剛直さや身を捨てれる点で久坂が桂より上だな
桂は常に逃げ腰だから明治後までも生き残れたが、そういう面が弱いから西郷や大久保の様に主導者になれなかった
久坂なら生きていれば西郷や大久保とも互角にやり合えただろう 桂が逃げ腰って…イメージだけで語ってるね
そういう言葉つかわずに桂の姿勢や方針を語ることできないの?
それって無意味な順位付けを無理やりしているとしか思えんわ
もうちょっと同じ土俵で比べられるような表現しなよ
そうじゃなきゃ久坂が上だっていう説得力だってないだろうが どの時期での順位なのか、何基準にした順位なのかによって変わってくるな。
大袈裟に言えば文久時代の政治面トップ10と戊辰で一軍を指揮させたらトップ10では全く違う。
漠然とした順位はあまり意味も説得力もないな。
単なる個人の好き嫌いの延長上にすら感じられる。
だったら長州人人気トップ10でいいと思うし。
てか自分は順位をつけること自体意味を感じないのだがね。
やりたい人は>>76が言ってるように長州人番付スレを作ってやればいいとは思うが。
攘夷なんて糞喰らえだ!ただこの国を一つに纏められるなら
何でも良かった! >>82
これ何か違う気がしたんだけど、当時の久坂の思想ってどんな感じ? 攘夷をなす為には幕府を倒し天皇を中心とした統一国家にしなければじゃないか
久坂は松蔭の草莽崛起論の影響を受けてるし、民兵や民力に目を向けてる
ずっと早い時期から革命的な思想持ってたんじゃないか 久坂は諸藩を軽視してないよ。
攘夷は藩を動かさないと無理って考えだし。
最後は孤立して死んだけどな。 いや久坂は諸藩の反発を軽視していたのは事実じゃね?
久坂くわしくないんで誤解だったらスマソ
諸藩の志士に目が向いているのは分かるけどその上にはどうだったの? 藩内では長井の航海策に対抗し尊攘策の理論を作り上げ藩論を覆し尊攘化
奇兵隊の前進となる光明寺党などを結成
藩外では他藩士の志士らと周旋提携し薩長土による三藩入京を実現し
朝廷工作で三条や綾小路を擁し公武合体論を退け朝廷を尊攘化 藩論覆したのは桂じゃないの
あと三藩入京に成功したのが逆に薩摩土佐内の保守派の不安をあおり
さらに朝廷の一部の有力公家を尊攘派にして押しまくったために孝明帝や保守公家の反発を受け
諸藩&朝廷でどーんと反動が起きたわけでしょ
まあこれも結果論だけどな 久坂が禁門の変を生き延びたら薩長連合は絶対になかったね。
あそこで死ぬべき人だったんだ。 三藩入京しなきゃ朝廷は単なる観念的な権威の象徴で終わり明治維新も起きない
それまでの水戸学理論である観念的尊王主義=公武合体を、倒幕を含めた実質的な京都政権樹立に持ってったのは三藩入京
三藩入京による武力の裏打ちによって、それまでの天皇を敬う観念的尊王から勤める勤王に持って行ったから朝廷の実質的権威も確立できた
長井の公武合体理論武装に対し久坂の尊攘理論武装が長州の藩論として採用され、その後の天下の志士の理論になり明治維新の理論になる
久坂が生きてれば薩長同盟が無いと言うのもないだろう
久坂は土佐の武市や薩摩の樺山と提携してたし、思想的にもかなり先覚的で土佐の吉村や龍馬なんかの脱藩行動にも影響を与えてる
大義の為なら長州藩も土佐藩も滅んでも構わないという先覚的革命思想の持ち主
西郷や武市なんかもかなり久坂を買ってた 久坂が過小評価されてるのは司馬のせいだよね
司馬は久坂の事を知らなかったくさい匂いがある
あまりにも早く死んだ為どの程度の人物か分からないとか
松蔭が期待したほど働きがなかったとか
西郷が久坂先生が生きてれば参議など大きな顔が出来ないはお世辞とか超適当すぎ まあ久坂がドロドロの明治政府を生き抜けたとも思えないが… ■長州藩序列
国司信濃>長井雅楽=周布政之助>久坂玄端=広沢真臣=大楽源太郎>>高杉晋作>桂小五郎(木戸孝允) 桂らが松陰の恨みで長井に切腹させることに血道を挙げなければ、
長井、周布らがもっと維新で力を発揮しただろうね。
松陰を殺したことによる負の連鎖だね。
井伊たちのやったことなのに、長井は逆恨みされちゃって。 >>96
長井を逆恨みしたのは久坂ら村塾生
桂は連中に「長井のせいってのは誤解だ」と最初から言ってる
適当にまぜないようにw 長井は藩官僚 桂は藩官僚であり志士でもある 久坂は基本志士 大楽は完全志士
そういうことも考慮に入れないと それぞれの思想や行動は一面的には評価できない 久坂が長井案を批判したのは大体こんな感じだろう
そもそも外国と貿易をして日本が得する点は一つもない。
・日本は国内経済の規模で生産をして消費をして余剰がない。
・もし外国へ自由に輸出が認められれば国内では品不足が発生する。
・それは物価高騰、経済全体の混乱を生む。その負担は国民が背負うことになる。
・外国から自由に輸入が認められれば国内では安い商品が入ってくる。
・そうなると国内の生産者は打撃を受ける。
・国際収支も入超だから支払分が発生する。
・外国へは生糸などの絹製品の原材料を送って、日本は安い木綿製品すら生産できなくなる。
・それは完全な植民地ではないか。それを分かってやるのはおかしいじゃないか。
・さらに貿易は幕府の独占、幕府の利益だけを追及することになる。
・幕府は国内の窮状をしりながら自分だけ延命しようとする。それは国を売ることだ。
長井は俗論派で公武合体だから逆恨みでもなんでもない
そもそも入説に失敗して死んだんだし >>100
今のナショナリストと同じ考えだな。
そして世界経済への偏見が甚だしい。 久坂の論は短期的に正しいよ
そもそも日本は完全自給自足のブロック経済を布いてて、国内の観点からは開国する必要性がなかった
外国が自国の都合で武力によって脅し上げ開国を迫った
しかも不平等条約で日本は関税自主権を持たされなかった為、国内でインフレが起こり庶民の暮らしが圧迫された
幕府が支持を失ったのも、明治の西南戦争までの国内の乱を経済の点から見れば
全て開国と不平等条約が原因
元々黄金の国と言われた日本の金銀も外国に流れた そも、攘夷=外交拒否って画一的な印象が話をややこしくする。
勤皇派の基本は勅許を得てない条約を破棄せよな訳で、
事後とはいえ勅許を得ていた日米和親条約にも反対してたのは少数派。
攘夷に突き進む寸前の長州藩ですら、朝廷が和親条約の破棄すら考えてると知って大慌て。
久坂ですら、和親条約は許容してる書簡があった筈。 >>104
じゃあ英領事館焼き討ちは何のためにやったわけ? >>105
説明不足だったか。
上の会議ってのは1862年の長州藩世子御前会議なんだが、その前に
朝廷は和親条約破棄の意向だって聞いたんで驚いて、確認の為に桂なんかが
公家の有力者の間を奔走してる。
んで、正親町三条さんちで勅諚を確認して、どうやらそれに間違いないってことになった。
当然ながら御前会議は紛糾し、反対派からは「ここで決めても国元が従わなかったら、
藩主公もご立派な討ち死にができないよ?」とまで言われたが、それが勅命なら仕方ない、
いざとなったらここに居る奴らだけでも藩主公と共に死のうって周布が言って奉勅攘夷決定。
その時点から、和親条約も含めた破約攘夷が、長州藩の藩是になった。
英国大使館焼き討ちは、生麦事件に触発されてやったことなんで、別に不思議はない。
時系列としては、上で書いた長州藩御前会議in京都→長州藩世子と島津久光がそれぞれ勅使を奉じて東下→
その帰り道に生麦事件って流れ。
大使館焼き討ちはその後。つまり、その時点で藩是は奉勅攘夷に決している。
ちなみに、久坂ですら和親条約には反対してないってのは、藩主に上提した「廻瀾条議」がそういう論だから。
最終的な目的は航海遠略策と同じなのにねぇ。 >>107
> 英国大使館焼き討ちは、生麦事件に触発されてやったことなんで、別に不思議はない。
>>104
> そも、攘夷=外交拒否って画一的な印象が話をややこしくする。
この2つはどう整合するわけ? >>109
経緯は上で書いた通りだが、>>107の正親町三条さんちで勅諚ってのが、
和親条約も含めて破棄しろ=外国人を追い出せみたいな奴だった。
勅命ってことでそれが即今攘夷として藩論に定まる。
だから大使館焼き討ちの頃には、外国人が日本に居ること自体が不当って
藩論に転換している訳で、焼き討ちなんかに走っても不思議じゃないってこと。
そしてそれ以前、廻瀾条議を建白した頃は、攘夷派の久坂ですら外国との通商は是認してたと。
特に長州藩はそうなんだが、まず尊皇あっての攘夷って感じ。 今では長州の先走った誤解で、
朝廷は攘夷を取り下げる方便を探していたってのが定説だけど…
天皇も長井雅歌の方向で公武周旋を内命してたんだし。
何週遅れの焼き討ちだっての。
だから京から追い出されるんじゃん。
何が尊皇だよ。 まぁ俺も長州のことに詳しいっつー訳でもないんでアレだけど、
ただそうなると、過激派最右翼の久坂ですら考えてなかった和親条約の破棄を
誰が言い出したかってことになるが。
長州藩の首脳部は、長井が更迭された後も相変わらず航海遠略策だったし。
それに開国容認って割には、和親条約以外の条約には相変わらず勅許下してないよね。 朝廷と幕府の関係において、
幕府としては、即今攘夷する武力はなく、
またそれは国際情勢上も蛮行に過ぎない。
しかし「征夷」大将軍なのだから、出来ませんとは答えられない。
朝廷はこれを熟知しているので、幕府との力関係上、
「攘夷」の錦の旗を下げたくなかった。
朝廷が開国を認めてしまえば、以前の幕府と朝廷の関係に戻るだけだから。
むしろ幕府はますます力を付けていくだけ。
朝廷は戊辰戦争で勝利するまで、この天秤をかけ続けていたわけ。
だから朝廷には、公武合体派であっても、雄藩と違って、
開国派はいなかったし、倒幕が近づいてくると攘夷派とも協力するようになった。
結局長州は朝廷に振り回された形だけど、我道を行った薩摩と違って、
最後は明治政府を牛耳ったからまあいいんじゃないかね。 中岡先生によると生麦は計画したものでなかったが結果攘夷になり
薩を興したのは生麦であると評してます
攘夷を行った薩摩と長州がいずれ天下を主導して、他藩は鏡を見るよう見習い従わざる得なくなる
又将来夷敵の脅威を防ぐのも攘夷を行った薩長になると予言してます 朝廷が薩摩を信頼したのは生麦事件とは関係ないけどな。 朝廷も生麦と関係なくもない、寺田屋事件で落ちた久光の名声が一躍高くなった
その後薩英戦争で攘夷が実行され薩摩の士気は天下を飲む
結局久坂の論通りで幕府は攘夷出来ない腰抜けであるから結局開国も口先だけで上手く出来ない
豪傑の方針を打ち立てるのは攘夷でなければならない 桂はそもそも政治家なんで。
中盤までは大体政治工作なんかに走り回ってる。
藩政府行政の責任を一身に負うようになったのは、周布が自害してからかな。
藩政府の機構改革と大村益次郎による軍制改革は、桂が帰ってきてから
大車輪で進み始めた。
政治がどーにも不得手な高杉とは、弱点を補い合ういいコンビだったと思うw 学無しでも政治は出来るんだね。
一生金物屋やってりゃよかったのに。 学がないってw
藩主から褒美をもらうくらいの俊才ですよ。
おまけにアホな政争、殺し合いからは逃げる冷静さがあった。 決して学がないとは思わんし頭も良く冷静だが、高杉がいなかったら戻ってこれなかった可能性も大。
そういう意味では>>121の言うようにお互いの持ち味と弱点を補い合えてたかと。 いやー個人的には桂は命がけで頑張ってたイメージだな。
死ぬほうが楽だと思えるような状況くぐってきてるし。
でも桂だけ居ても長州をまとめあげるのは無理だったとも思うけどね。 まぁあの時代は革命家から軍人から政治家まで命懸けだし。
あの頃は、軍制的に纏めたのが大村、政治的に纏めたのは桂って感じでは。
ただ、この二人や山縣だけが居ても、高杉みたくクーデターで政権奪回なんて真似は
出来なかったんじゃないかと思う。 帰藩から幕長戦へかけての桂の政策見ていると、
それまでの長州の失敗からすげー学んでると思う
そこがこの男の持ち味 松蔭、久坂、高杉、大楽の様な1流は局面で死
木戸のよう平凡なのは生き残った
維新後同志だった川上、奇兵隊、広沢、前原をあの世に送るし
西郷を野心ある尊氏と疑惑し大久保を焚き付け西南戦争で両者死亡という まあ木戸は本人の性格も無い事は無いがたまたま生き残っただけでしょ、
木戸厨は明治後の欝の木戸を見て政争、殺し合いから逃げる冷静さとクールさが成功したかの様な錯覚するから始末悪い
>>123
逃げて逃げて薩長同盟むすんだ事による褒美だろうが。
冷静というよりズル賢いだけ。
学が無いのは吉田松陰からのゆるぎない評価でしょう。 久坂さん俺の母方の親戚なんだ〜
でもマイナーっぽくてちょい寂しい >>133
有備館の塾頭やってんのにメチャクチャ言うなよ
じゃあ平の奴らは無学以下か 久坂は武市も敬服し、西郷も久坂先生と慕ったほどだよね。
木戸よりも、京都政界や他藩士には名声高かったろう。
武市は初期の知り合った頃の久坂を見て、松蔭を思うあまり死に急いでる様子あると語ってる。
武市の三藩入京の大計なければ、初期に草莽で暴発し死んだ可能性もある。
その後かなり機会を待てる人物に成長したが、禁門の戦いに巻き込まれ死んでしまった。 >>136
吉田松陰の評価は?勝海舟の評価は?
あの時代塾頭なんて金があれば誰でも出来るんだけど。 有象無象の塾なら兎も角、幕府が便宜を図り幕臣も通ってたあの韮山塾だぞ?
そんな塾の学頭が金で買えたら、有名旗本の子弟ばっかになるだろjkw 続きは木戸の評価なら木戸スレでやってくれ、頼むわ。
『木戸松菊は人物が非常に小さい。しかし綿密な男サ。使い所によっては随分使える奴だった。
とても大きな事には向かないがノー』
by 勝海舟 「人間は心が狭くてはだめである。
憚らずに申せば、木戸公は心の広いほうではなく、むしろ狭いほうで、
人を容れることができなかったために、大した仕事も成しとげられなかった。
自分は先代木戸公には容易ならぬ知遇を受けたが、
しかしその間、先代の狭量には困ったことも多かった。
そこへゆくと、大久保利通という人はまことに度量が広かった」
by 伊藤博文
「維新後、政治家 としての桂は、なにほどの能力も発揮しなかった
維新後の桂(木戸) の毎日は、薩摩閥の首領大久保利通に対し、
長州閥の勢力を防衛することに多くの精力がさかれた」
by司馬遼太郎
司馬まで引っ張ってきてw桂叩くよりほかの話すれば? 木戸は単独スレがあるんだから、こんなとこで粘着してないでそっちでやれよ
その方が詳しい奴も多くていいだろ 伊藤は自分が後輩の前で叱責されたのをいつまでも根に持って
相手が死去しているのをいいことにあの時木戸は鬱だったのなんだのと触れ回ってるからなあ
伊藤発言は基本的に自己擁護の塊だと思ってる
高杉のことまであんな奴大したことないとか言い出すし 伊藤は正直なだけでないか
高杉に対しては 動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。
これ我が東行高杉君に非ずや。
と評してる
晩年朝鮮だかに向かう途中、たまたま芸者が高杉作の歌を歌ってるの聞いて涙を流し
今の歌もう一度聞かせてくれと促し、
高杉が居なければ彦島もどうなってたか、思えば高杉とは不思議な人物じゃったとのうと語ってた様な >>148
んなこと言ったら伊藤は別の場所では木戸のことを寛仁大度の人だの
岩倉大久保と並んで他人に及ぶ者のない度量の人だのと180度違うことを言ってるっつの
つまり発言が結構いい加減、その時の気分でagesage
彦島の件は本当だったら面白いとは思ってるけど証言者が伊藤って辺りがなぁ
他に資料があればいいのにな 伊藤のリップサービスだろう
公の席で木戸を下げる発言はしないが
木戸を困った人といったのは木戸の息子だかに対しての訓示だからまず本音と見てよい 息子に自分の悪口を吹き込まれたと疑って釘を刺した可能性もあるけどな いつまで木戸話。執拗だな、誰かさんにそっくり。
ここは何のスレなのやら。 みなさーん、話題を出さないと木戸スレにされちゃうよ〜コワーイ 桂「腐女子はキモイから私のこと研究しないでくれたまえ(切実)」 銀魂のお陰で桂と高杉はファンが増えて良かったネ☆ミ ホントに現実離れしたキモヲタが増殖して迷惑千万(号泣) スレタイに関係ない煽りを延々続けてるのも荒らしにしか見えんのだが >>159
漫画でファンになる腐女子って最低だな。あいつら歴史上の人物をキャラクターと思ってるからな。 司馬厨とかドラマから入ってきたやつもな
史実と創作エピソードが矛盾した場合、創作を優先させる気違いども 西郷スレなんて普通に女体化がどうとか話してるんだから
漫画がどうとか関係ないと思うよ 司馬も大罪だが司馬史観に踊らされてる連中も馬鹿だ。
女体化って何だよwキモ過ぎだろw >>163
現実離れしたイラスト描いたり妄想するのは個人の自由だが、せめて他人の目に触れないところでやって欲しいな。
>>167
沖田総司は月代じゃないのよ!!これだけは譲れないわ!!
ドッカーン!
(⌒⌒⌒)..
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|:=ロ∪; ( 。) ( 。)〜
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|::::::|∪< ∵∵ || ∵> ムッキー!
|::::::|、 .皿 ノ______
|::::::| \____^/::| | ̄ ̄\ \
_  ̄/ \ ̄| | | ̄ ̄|...
|:::::::/ \___ \| | |__|....
|:::::::| \____|⊃⊂|__|__/ /
|:::::/ | ̄ ̄ ̄ ̄| 〔 ̄ ̄〕 土方の写真がカッコよくて新撰組好きになったんですけど、
壬生狼って呼ばれてたのは嘘ですよね?ね?
みたいな質問が知恵袋か何かにあったしなw
土方が拷問したことはどう消化してるのやら 正義のためだからしょーがないと都合良くさらっとスルーしてるんじゃない?
どう解釈しようとその人の勝手だけど、
壬生寺の近藤勇の銅像前に山積みされてるアニメみたいなイラストノートとか見るとマジでげんなりするな。 腐女子は節操ないな。子孫は知ってるんだろうか??
アニメノートは管理人が燃やしてくれればいいいのに。 壬生寺なんて大河ドラマ以降、近藤勇の銅像前に行くのに入場料とったりグッズ売場拡張してるくらいだから
腐女子のおかげでぼろ儲け、鴨が葱を背負って来るってところだろ。
腐女子がアニメノートを背負って来る。 すげーな腐女子って。くっさいくっさいま○こ濡らしながらアニメノート書くんだろうな どうでもいいけど
すぐマンコ濡らすとかそういう発想が
リアル女との接触無いんだなあ、としみじみ思う >>175
そんな発言に過敏に反応してるようでは
あなたもリアル男との接触ないように見えますよ。 図星だった?w
ごめんねw
スレ違いのスレで
腐女子叩く事でしか女と接点もてないんだもんねw つまらんカキコはスルーすればいいのにね、
イヤミを返すから嫌われるのよ。
どんな形で歴史好きだろうと個人の自由とは思うけど
アニメノート捧げるのとかは同じ歴史好き女として
同類と思われて迷惑千万。 桂「私は可愛い“普通”の女性が好きなんだ。腐女子は近寄らないでくれ」
高杉「男のケツにチンコブッ刺して喜ぶ女なんか気持ち悪くて相手してられねーよ」 長州藩の立派な人間はみんな早死にしてしまった。
周布政之助、長井雅楽、国司信濃、大楽源太郎、久坂玄端、吉田松陰
残りカスが、大久保利通の小飼いやってた木戸孝允。 そういやクーデター成功で正義派が俗論派を斬る時
久坂玄端が生きてたら我々は死刑を免ぜられたろうと語った話が何かであったな
木戸もまあ頑張ったと思うが 単にクーデター成功した時点では正義派が俗論派斬ったりしてねえべ?
間に鎮静会が入ってたんだから
てか誰が誰にどういう意味で語ったと言いたいのかぜんぜんわからん 久坂玄瑞が生きていたらどうなってたかな。奇兵隊の扱いとか。 >>198
久坂義助は、松陰先生を見殺しにしたという理由だけで航海遠略策の長井雅楽を切腹にまで追い込んだ男。
久坂にかかったら、反乱を起こした元奇兵隊士など全員打ち首獄門は確実。
温厚な木戸さんのおかげで、反乱を起こしたカスどもでも首級クラスだけ処罰されるということで済んだ、ということだ。
>>199
関ヶ原の戦いとか関係ねぇよ。
毛利家や島津家が領地を拡大してないことからも明らか。 >>200
久坂が生きていたら木戸も新政府の中で大きな顔出来なかっただろうなw
>>202
腐女子乙 >>203
逆だよ。キミ、頭おかしくない?
久坂が生きていたら、木戸さんはもっともっと大きな( ̄▽ ̄;)を出来たところ。
同じ松陰門下といえども、久坂は松陰先生の弟子でしかないが、木戸さんは松陰先生の親友かつ久坂の兄貴分だから。 久坂は君子で人望あったからね
長井は尊皇攘夷と日本を滅ぼさんと企てた奸物だから死んだだけだし
一方木戸は長井に恩を売られて及び腰だった 松陰亡き後、門下生の多くは松陰を継いでっていうのではなく
久坂に憧れて、鼓舞された部分が大きかったらしいから
何かしら魅力があったんだろうなぁ
写真が残ってないのが残念だ
180センチで体格よかったみたいだし
今風のイケメンだった可能性もある いや、そもそも松陰の事績を継ぐのは色々と問題があるだろうw >>204
木戸と久坂は思想が全く違うのにか?おまえこそ頭逝ってんぞ?
奇兵隊を、大政奉還のためだけに利用するだけして、事が成ればポイ捨、
これが木戸孝允と言う男だよ。
それにこの際兄貴分だとか関係ないだろ。激しい尊攘思想を持ってる久坂にとっては
兄貴も何も無い。裏切ったら殺すぐらいの気概の持ち主だろ。 久坂と木戸の思想は大して変わらんけどな
尊攘論をリードしたのが久坂だから、周布や木戸はむしろ久坂に影響された側
木戸より久坂の方が藩より日本全体を考え、才気や胆力で優れてる感じだけど >>208
戦争終わったら軍削減しなきゃ財政が無駄に疲弊するだろう。
当然どの藩もやってるし、同じことを第二次長州征伐が終わった後の長州藩もやってるぞ。
そのときは特に騒乱もなく完了したようだが。
戊辰後のは、常備軍に選抜されなかった者の不満を解消できなかったのが最大の政治的失策だな。 その失策って杉やら宍戸やら野村やらの失策なんじゃね? >>208
救い難いほど物事をはき違えてるなw
松陰先生・木戸総管・久坂・高杉はいずれも開国攘夷で、
特に松陰先生・木戸総管・高杉は熱心な留学希望者。
これに対して、長井雅楽と幕府・水戸藩・会津藩・新撰組は現状維持の屈服開国。 >>211
そうそう、久坂の関係者たち。
もし久坂が脱退騒動の時に生きていたら、賊軍の将と見なされて、やはり切腹だったろうな いや、上の方でも書かれてるが、久坂が生きてたらまず確実に中央政府行きだろう。
可能性があるとすれば、江藤新平パターンだが、そもそも反乱側に久坂が賛同するほどの
思想や義があったかっつーと疑問。
反乱が起きる前なら、藩政府との間に入って取り成すとかできたのかなー。 松下村塾生
久阪は身を持すること謹厳方正、士卒と苦楽を共にし、営内に寄宿して居る。
久坂と高杉の差は、久坂には誰も附いて行きたいが、高杉には「どうもならぬ」と皆いふ程で、高杉の乱暴になり易いのには人望が少く、久坂の方は人望が多かった。
久坂の名は萩中に聞こえ居たり。君子の風あり、よく人を容る。性ははなはだ文才あり。
音吐明晰、鐘の如し。一見その風采の衆に秀出するを知るに足れり。
通武、人と為り公明誠実、音吐鐘の如し。常に諸子を率て東西に奔走す。人、皆推して盟主とす。
通武毎に謙譲して敢て居らず。然ども、事巨細となく通武に決せざるは無し。
其事を為に方て先ず衆を会し、慇懃事の本末を詳説し、胸襟を開て徐に其方略を議す。
人も亦其赤心に感じ、肝胆を碎て可否を論ず。故も以て事一も失墜なし。
奇兵隊士
高杉は直情径行、自我強く、部下の意見などは更に顧みず、無頓着無関心に只勇往邁進的であったに反し、久坂は深思遠謀よく部下の意見を容れ、衆智を集めて敢決断行の人であって、部下を愛する情至って深く、何れも心服して居た。
百話
慶応元年、長州藩の正義派が俗論党を捕え、巨魁を斬る時、巨魁らが語って言うには、今日久坂義助が居たとしたら、我らの死刑も免ぜられただろう、という。
これより前に水戸藩でも正奸両党の争いがあった。
奸党の巨魁結城寅壽が捕われた時、思わず呟いたのには、藤田東湖がもし居たとしたら、我らも極刑を免れたであろうが、今や東湖は死んでしまい、自分も免れることはない、と言い、結局彼は斬られた。 >>215
長井を斬ろうとすらした久坂がなんで俗論党を死刑にしないと思ったんだろう
椋梨だけで留めた木戸や高杉の方がよっぽど寛容だったろうに、
久坂生きてたらもっと大量に処刑されてたんじゃないか?木戸が止めたかもしれんが まぁ長井がああなったのは、長州藩の藩論が公式に朝廷>(越えられない壁)>幕府だったのに
幕府有利な方向で周旋を進めちゃったってのもあるんだろうが。
どっちにしろ俗論党ダメっぽいな。 久坂は次善、三善の策が立てられるタイプ。3D思考ができる
長井は不良債権化してたから、すぐ膿を出すには非常手段を用いるしかなかったからね
高杉は官僚的と言うか、前か後ろにしか行けない。内戦ではたまたまそれが当たっただけ
木戸と久坂でも久坂のほうが上だろう。まあこの2人はタイプの違いもあるが まあ久坂が生きてたら処刑されなかっただろうと言う感想は
久坂への高評価であるのは間違いないね。久坂存命中は高杉に出番はなかった >>221
同意。木戸は無能。西郷の評価も分る気がする。 >>221
禁門の変を止められず、一緒に自爆死した。 >>224
逃げ回るより遥かにマシ。誰かさんみたいにw >>224
久坂は孝明天皇が慶喜に強く長州征討を命ずるまで、
京を包囲して西国諸藩と連絡を取り、会津藩を孤立に追い込んでいたんだが。
慶喜が手を出せないような状況だった。
久坂戦略が失敗したのは、四か国連合艦隊の報復攻撃の速報で早期の武力行使を迫られたこと、
そして孝明天皇の予想以上に強い意思だった
高杉にはそもそも戦略じたい立てられないだろう 久坂が生きながらえてたとして、
その後の俗論党政府に対して、それを覆すような戦略が立てられてたかどうかはわからんがな。
まああの時点で死んじゃったわけだからすべてはそこまでなんだが。
久坂が生きながらえる=俗論政府どころか会津藩追放、薩摩に対する主導権掌握
ですが?何をわけわからないこと言ってるの高杉信者
高杉なんて元治内戦後も木戸に藩政を委ねるしかない官僚じゃん つか久坂と高杉はタイプ違うから
松陰がもっとも評価したのは久坂と高杉の二人だし
久坂と高杉が力を合わせれば出来ない事は無いと言ってるくらい 松陰さんの評価ではどう見ても久坂が上
同時代人の評価も圧倒的に久坂 このスレって上か下かでしか語れない人大杉…
まあそのためにスレ立てたってことなのかねw 久坂・桂・周布・長井あたりに関しては優劣を論じるのは無意味と言うのも分かるが、
久坂と高杉に関しては久坂存命中は優劣ははっきりしてる。
秀吉と前田利家を比較するようなもんだ >>232
言いたいことはわからんでもないが、
ある意味失うものがなかった久坂と、
跡取り息子かつ長井と個人的つながりがある高杉とを
比較するのも無意味な気がするが…
高杉がしがらみを振り捨てるほど本気になったのは上海行ってからで、
その後の識見に関しては久坂に勝るとも劣らぬものがある。
守備範囲も置かれた立場も違うから単純には言えないが。
久坂のほうが失うものは多かったと思うよ…
禁門の変の段階では長州藩はまだ朝敵じゃないからね。
高杉は何と言うか、時代の証言者としては面白い人物であるけど、
それ以上でもそれ以下でもないんだな。言ったら悪いけど河井継之助あたりと大差ない
久坂、桂、長井、周布を抜いたら幕末政治史の説明は困難になるが、高杉は特に困らないよ 久坂は政略家で高杉は戦略家だからこっちの方が優劣はかりにくい
久坂は高杉の識見に及ばないといってるし
高杉は久坂の才に及ばないといってる >>221>>223
自演モロバレw
1864年(禁門の変)までの段階で、優秀さ・識見に関して、木戸・高杉>>>>>>久坂が決定的。
朝廷や長州藩への影響力でも、真木和泉>久坂義助、木島又兵衛>久坂義助 長井雅楽暗殺の頃の史料を見たら分かるが
高杉「久坂!俺決心したよ、長井を斬るよ」
久坂「そうかそうか、偉いな」
と言うくらいの力関係なんだがな 久坂の方が高杉の兄貴分だが能力とは関係ないわな
久坂は外交周旋で政治情勢作ってくタイプ
高杉は天才的判断力で機を見ぬき一気に実行に持ってくタイプ
というか兄貴分の話をしたら、先輩の木戸が一番優秀になってしまう
松陰は木戸は事をなす庶務の政治の才はあるが本質を見抜く見識や実行力に乏しいと評してるし >>239
妄想を語ってんじゃない!
本質を見抜く見識や実行力に関しても、
松菊木戸孝允>東行高杉晋作>玄瑞久坂義助>松陰吉田大次郎
左ほど、無駄死にというか、とにかく大事を為さずして短命なんだから極めて明白。 >>221
>>226
準備した戦略がうまく行かなかった後の次善三善の策は?
3D思考はどこに行ったの? 明治維新を作り上げた松陰、久坂、高杉は代えが効かない存在
木戸は維新の主力となった長州藩で兄貴分的立場で生き延びただけ
木戸の代わりは周布や山田老人や伊藤でも出来るしょ >>242
アフォだねw
木戸の代わりなんて誰にも出来るわけがない。
木戸(桂)の代わりに周布や山田老人や伊藤が池田屋に出席してたら、そこで呑気に酒を飲んだりして、
新選組か会津藩に惨殺されてそこで終了。
木戸の代わりに周布や山田老人や伊藤が総裁局顧問・参与・参議になっても、
五箇条の御誓文はあんなに開明的にまとまりはしなかっただろうし、
参議内閣による集団指導体制も到底成立し得ない。 >>243
木戸は池田屋で新撰組から帰ってきた吉田俊麿を追い返した歳弱最低野郎w >>244
名誉毀損のための悪意の妄想がひど過ぎるねp
池田屋事変が起こっていた時、桂小五郎は対馬藩の派閥抗争を解決するために、
池田屋から通り2つ隔てたところにあった対馬藩邸に大島友之允を訪ねていた。
桂小五郎が訪ねた当初は大島友之允は留守だったが、
対馬藩邸に帰ってきた大島友之允から池田屋事変の報を初めて聞くことになる。
桂小五郎はすぐに仲間を救出しに行こうとしたが、
池田屋が既に新選組・会津藩等に厳しく囲まれていることを見ていた大島友之允により
二日ほど対馬藩邸内に固く押しとどめられた。
このため、『桂小五郎は池田屋で殺された』という第1報がもう一人の京都留守居役乃美織江(長州俗論派!)によって
長州藩にもたらされる。
生きていたと言うことが秘かに知らされると、今度は『屋根伝いに逃げたのだろう』(実際には不可能!かつ事実無根!)
という更なる誤報が乃美織江(長州俗論派!)によって長州藩にもたらされる。
他方、吉田稔麿は、池田屋事変が起こっていた時、池田屋ではなく京にいる知り合いを訪ねていた。
元々、江戸へ行く途中で京に立ち寄っていただけだった。
偶然、長州藩邸への帰り道で、仲間の志士たちが新選組・会津藩に襲われていることを聞きつけ、
稔麿自身の判断で急いで長州藩邸に武器(槍)を取りに行き、その後、仲間を救出しに行った。
ところが実際には、長州藩邸も会津藩等に既に囲まれていたため、池田屋へには全く辿り着けず、
長州藩邸のすぐ近く、加賀藩邸の前で惨殺されていた。 木戸はヤリチンって本当?13歳の子どもまで孕ましたって本当? >>246
国賊司馬遼太郎みたいな悪意の妄想患者の誹謗中傷に決まってるだろ、ボケェ! さっさと地獄に逝け! >>247
デブス腐乙
まぁ俺も司馬は嫌いだけどな >>246
ヤリチンなのはガチ
木村幸比古の『幕末競艶録 志士と女たち』に
桂のヤリチンぶりが色々書いてあったw 権力まかせに女を次々食ってたんか。
最低だな木戸も木戸を擁護するファンも。歴女はそれでも木戸を愛するのか?w 木村のいい加減な本を根拠にいうほうがアホだ
霊山は木戸の尽力でできた墓地なのに恩知らずダネ… 桂のヤリチンぶりに関しては何も木村だけが言ってる話じゃなかろ
嫁の妹に手を付けた噂まであったくらいだw
噂というか諸説あってハッキリ否定もできないみたいだが 木戸は病弱だった
青蛇之御扱振リイカヽニ御座候哉、拙小近来益退縮、一月に二度之運転モ六ツケ敷、竊ニ大歎息イタシ居候、
欧州之名法御承洩ラシ司被下候
by 木戸 >>252
色男といわれていたからそのほうが面白くて後世の連中が無責任な話ばら撒いてるだけ
むしろそっちにまったく根拠ないがな
久坂≧木戸=周布>広沢=山県>>高杉
晋作が挙兵した時、藩政府が動かせる兵力は二千あったという。それに八十で抗するのだ。
まず物理的に冷静に見たら、成算などあろうはずがない。
しかも晋作が、例えば事前に豪農たちを訪ね、根回ししたといった形跡は無い。
諸隊の陣営に乗り込んだものの、挙兵に反対されたため、激情に任せて怒鳴り散らしたという史実があるくらいだ。
さらに晋作が下関を制圧した時、藩の役所の蔵は空だったという。
保守派も用心して、武器も金も食糧も萩に引き上げていたのだ。そんな下調べも出来ていなかったのである。
別の用件で下関に滞在中だった晋作の旧友で筑前藩士の月形洗蔵が、見兼ねて公金百両を貸したという逸話が残る(『高杉晋作入筑始末』)。
または、入江和作など下関商人たちから、当座の軍資金を借用したという記録もある。
晋作が山口矢原の大庄屋吉富藤兵衛に手紙を発し、経済的援助を乞うのは十二月二十七日である。
これは挙兵から十二日も経っている。しかも吉富が応じなければ即座に斬るよう、晋作は使者に命じていたというから、
かなり強引な交渉をするつもりだったに違いない。結局、吉富は軍資金を提供し、
ここで初めて豪農の支持を得るのである。
あるいは、傍観を続けていた奇兵隊および諸隊が、保守派の陣営を奇襲し、
晋作たちに呼応するのは慶応元年(一八六五)一月七日未明というから、実に挙兵から三週間も後のことなのである。
いずれにせよ「天才革命家」の行動とするなら準備不足で、お粗末極まりない。 >>255
つまり、東行高杉晋作と山口矢原の大庄屋吉富藤兵衛の二人が維新最大の功労者 だな
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \ ばか?木戸、広沢、大村、山県に決まってんじゃん
高杉は庄屋から軍資金を強奪しただけだろw
諸隊が参加しなければただの暴発で自滅
奇兵隊を動かしたのは山県 >>252
木村が『幕末競艶録』の中で、木戸忠太郎が出石潜伏中に木戸と広戸ミネの間に出来た子と書いてるのと、
他説では、忠太郎は木戸と松子夫人の妹の子とされているようだけど、
木戸侯爵家所蔵資料(松子忠太郎親族書)には、忠太郎は松子の妹信と松本順造(忠太郎4歳の時死去)の子となっている。
木戸家資料も忠太郎自身も明治4年4月14日生まれと語ってる。
忠太郎本人も読売新聞昭和29年11月2日付に、明治七年に松本家から貰われて木戸孝允の養子になったと語ってる。
木戸日記をみると、明治7年6月木戸は初めて松子の母妹等に会い、この日から松子の両親弟妹等を京都土手町別邸に留守番として住まわせている。
7年に貰われたという忠太郎の話は、7年から土手町別邸に住み始めた事実と合っている。
明治8年、妹が京都の青山某と結婚(親族書より)する事となったため、松子が木戸に頼んで忠太郎を東京九段の家に引き取って育てた。
木戸も可愛がったようで、明治9年養子の届を出している。
忠太郎の生まれが明治4年、出石潜伏時の子であるわけがないし、妹にも明治7年に初めて会っているから木戸が父のはずがない。
だいたい松子の妹と云々って話は昔から言われてたわけじゃなく
ごく最近ネットで流れただけの根拠ゼロどころかマイナス程度の話に過ぎないだろ
いかにも木戸を叩きたいだけの浅い奴が飛びつきそうな話だよなw
まあ当時の志士と女の話なんてどうでもいいよ フツーにある話
久坂だって、文さんという妻はいたけど京でモテモテで
少なくとも二人は特定の女がいたし、うち一人は子どもまで生んだ
なじみの女ぐらいだれだっていただろ 東行高杉晋作と山口矢原が挙兵した時木戸さんはどこいってたん? >>257
桂(木戸)は長州藩に帰っていたら正義派巨頭として処刑されていただだろうから出石潜伏でGJ! 長幕戦争・戊辰戦争を制してGJ!
村田蔵六(大村益次郎)は桂(木戸)の取り立て・庇護が必要不可欠だから動けなくても当然! 長幕戦争・戊辰戦争を制してGJ!
波多野金吾(広澤)は中間派なのに正義派の同調者として投獄されていたから動けなくて当然!
でも山縣・伊藤っていくらでも高杉に同調して動けるのに、高杉から説得されてさえ高杉ほどの見識と勇気が全然ないp
ということで維新の最大の功労者は、
松菊木戸孝允
良庵大村益次郎
東行高杉晋作
吉富藤兵衛
障岳広澤真臣
の5人だな そんなこと言ったら挙兵を最初に煽ったのは御楯隊だろ。
御楯隊の冷泉こそ維新の最大の功労者になる。高杉信者は始末に負えねえな 高杉はどこまで行っても木戸の足元にも及ばない
実力があれば木戸を超えられた 木戸とかないよね
たまたま生き延びただけで松下村塾四天王に及ばない >たまたま生き延びただけ
その言葉はそっくり高杉と久坂の関係に(ry 反体制過激派の若手リーダーだった久坂が、明治まで
生き抜いていたとしても、伊藤や山縣のように明治政府
の総理大臣になったか疑問。
反体制過激派の若手リーダーと明治政府の総理大臣では
別の資質を要求される。 伊藤も反体制過激派だけど暗殺までしてる
伊藤が明治のリーダーになったのは幕末からの功績と他が死んだからで
山縣も同じ 話は変わるけど高杉の決起には、大楽も応変隊として大いに活躍してるね。 てか久坂を「反体制過激派」程度にしか認識してない無知がいたことに驚いたわ
司馬ってホントに罪が深いな
周布や桂、山県が正当に評価されないのも同じ原因だろ 池内博之は外見は久坂にクリソツだったが、
久坂の様な知性がまるで感じられなかった。 久坂の肖像画みたいなの見ると
藤原竜也の方が似合いそうだなって思う
山本耕史が高杉
新撰組になっちゃうけど
二十代のときの滝田栄が、
顔(特に眉毛と目)、身長の点で久坂そっくり。
生真面目で一本気な青年なところもにている。 久坂はイギリス留学が予定されていたが
京都の政治状況があわただしくなり
京都を離れることが出来なかった。 高杉はガチムチ黄色肌白目銀桂にハブの糞キャラと公式で決まってるのに、それをねじ曲げれる思考が分からない
ガチムチ受けは気持ち悪い
高杉より5センチも背が高いのに体重が高杉よりも4キロも少ない桂が羨ましくて憎くて仕方ないらしいからな
同じ中二系170センチトリオの中でも神威55キロ沖田58キロで高杉が一番重い
ヅラたんが色白細身美人の高杉よりスレンダーなの認めなよwww高杉豚ちゃんwww
さらに高杉がデブの四白眼なのは事実なんだから認めなよwww高杉豚ちゃんwww
事実ワロタ
そらファビョるわ
高杉の言葉攻めにはいちいち文句言い返してしまいには論破するくせに、
監督の言葉攻めにはなぜか言い返せないヅラたん
高杉に「クク…最低の男娼だなヅラぁ」なんて言われた日にはブチ切れそうだ
「貴様ごときに俺が男娼に成り下がると思うてか自惚れるなふじこ」
「だいたい毎回顔に出すな不愉快だこの厨二病」
とかすげえ酷いこと言って泣かすヅラたん
桂とか高杉とかイラネ(゚听)
大楽源太郎がナンバーワンだよ。 高杉と桂とどちらが偉かったん?功績の評価じゃなくて二人が会った時の礼儀とか席次とか言葉遣いとかで
どっちが上だったん?対等? 家格はほぼ同等か高杉がちょい上 役職は桂が上
プライベートでは、高杉は桂を兄貴扱いしてる 高杉は桂を「桂さん」と呼んでただろうね。桂は高杉を何と呼んだだろう?
「高杉さん」?「高杉君」? >>283
自分もそのあたりだと思う
桂は高杉をそれこそ赤ん坊のころから知ってたはずだから通称の晋作を使うのは自然だ
あと桂の書簡や日記には東行と書いてるのが多い 腐女子にとっては“晋作”が萌えどころだろうなwwwwwww 池宮彰一郎著の高杉晋作読んで思ったんだけど
久坂玄瑞って高杉の年下の藩医上がりの癖に
高杉にタメ口きいて下の名前で呼ぶとかあり得なくない?
久坂と高杉さんの人間関係って実際はどうだったんでしょう? >>30
日本で内乱してた久坂より実際にイギリスを追い払った高杉のが男だろう 追い払うどころか長州は砲台撤去、償金支払義務の存在を認めるなど全面譲歩。
砲台撤去は後で木戸がパークスに頼んだけど承知してくれないという醜態。
江戸での講和交渉に長州藩が修好使節を派遣して償金の減免を図ろうとし、
そのために井原主計、伊藤、杉、宍戸環の4名が選ばれ、旧暦8月18日に広沢真臣が
同乗を依頼し長州藩使節を乗せた船は8月20日に出航している。
しかも下関の開港について尋ねられたら、朝廷と幕府の承諾があれば異存はない、
と返答するように藩庁から指示を与えらえていた。
※「彼らは、将軍の許可を得ることなしには、貿易のために下関を開港することには同意しないであろう」
つまり長州藩の全面敗北を飲んだのが高杉。尻拭いに苦労したのが木戸だ。 >>287
内乱でも長井雅楽暗殺計画は高杉がぶち上げ、久坂に褒められてるような力関係だよ。
鉄砲玉と親分くらいの力量差はある。西郷も久坂は褒めているが高杉には全く言及していない。
実際、長州藩が京で活躍したのは久坂、桂がリードした時代であって高杉は二線級の人材。 西郷の木戸への嫌味を真に受けてる奴がいるとはなw
>>286
久坂は二十五石、高杉は二百石と家格は久坂の方が下だけど
久坂は「晋作の識見にはとうてい及ばない」と言って高杉を推し
高杉は「玄瑞の才は当世にくらべるものがない」と言っていて
お互いに自分にはないものを相手に認め、補い合える対等の関係
松陰も「晋作の識見をもって、玄瑞の才を行っていくならば、できないことはない」と言っている >>290
トンです
名前で呼び合う仲なのね
しかし藩医ってのは不思議な身分だ 高杉って大楽の事嫌ってたって本当ですか? 松門系の人達からも嫌われてたんでしょうか? 久坂と高杉は全然タイプが違うけど
どちらも余人に抜きんでていて
松門の双璧、竜虎と並び称された良きライバル
久坂は君子風、高杉は英雄風、だそうだ
>>290
いいや、力関係的に見たら明らかに久坂存命中は久坂が高杉をリードしている。
高杉は久坂・桂の政治的同志と言う位置づけに過ぎない。
仲間内で褒め合ってようが何だろうが、かたや中央政界の大物、かたや外交交渉も満足に務まらない。
力量差は歴然としている。奇兵隊設立にしても高杉の独自のアイデアではなく、正義派に共有されていたもので、
周布は攘夷戦争をその好機としてとらえている。 >>294
高杉と久坂じゃ身分も藩での役目も違ったし
何を以てリード(?)というのか分からない
高杉は攘夷に躍起になってたが
久坂は京都での朝廷工作に血道をあげていた訳で
どっちが優れた仕事だとは一概には言えない
むしろ高杉は長州藩の政治中枢における幹部候補生的位置付けで
久坂は主に藩外における政治工作担当だから
ある意味久坂は鉄砲玉で、高杉は秘蔵っ子だったんだよ 高杉は志士で言えば文久以来の志士
文久から活動した志士、坂本龍馬などと同じ癸丑以来の志士の後進 >>292
別に嫌ったりはしてない。司馬が勝手に仲悪く描いてるだけ >>294
/: : : : : __: :/: : ::/: : ://: : :/l::|: : :i: :l: : :ヽ: : :丶: : 丶ヾ ___
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/ヽヽ: ://: :!:,X~::|: /;,,;,/: :/ リ!: ::/ノ l`ヽl !: : |: : : :l: :l: リ / そ そ お \
/: : ヽヾ/: : l/::l |/|||llllヾ,、 / |: :/ , -==、 l\:::|: : : :|i: | / う う 前 |
. /: : : //ヾ ; :|!: イ、||ll|||||::|| ノノ イ|||||||ヾ、 |: ::|!: : イ: ::|/ な 思 が
/: : ://: : :ヽソ::ヽl |{ i||ll"ン ´ i| l|||l"l `|: /|: : /'!/l ん う
∠: : : ~: : : : : : : :丶ゝ-―- , ー=z_ソ |/ ハメ;, :: ::|. だ ん
i|::ハ: : : : : : : : : : : 、ヘヘヘヘ 、 ヘヘヘヘヘ /: : : : : \,|. ろ な
|!l |: : : : : : : : :、: ::\ 、-―-, / : : :丶;,,;,:ミヽ う ら
丶: :ハ、lヽ: :ヽ: : ::\__ `~ " /: : ト; lヽ) ゝ
レ `| `、l`、>=ニ´ , _´ : :} ` /
,,、r"^~´"''''"t-`r、 _ -、 ´ヽノ \ノ / お ・
,;'~ _r-- 、__ ~f、_>'、_ | で 前 ・
f~ ,;" ~"t___ ミ、 ^'t | は ん ・
," ,~ ヾ~'-、__ ミ_ξ丶 | な 中 ・
;' ,イ .. ヽ_ ヾ、0ヽ丶 l /
( ;":: |: :: .. .`, ヾ 丶 ! \____/
;;;; :: 入:: :: :: l`ー-、 )l ヾ 丶
"~、ソ:: :い:: : \_ ノ , ヾ 丶
いいえ、事実です。高杉は久坂の政治的同志に過ぎません。 >>295
役割分担にしては高杉は収拾能力がなさすぎるなあ。直線的にしか動けていない。
久坂は直線的な行動も出来るし、人脈派閥を作って搦め手から攻め落とすという行動も出来る。
高杉は志士的というか、官僚的というか、役人的というか、その種の工作が全く出来ない。
久坂が政治的辣腕ぶりを発揮していた時期だから、なおさら脳筋ぶりが目立つね。 ただの個人的主観でしかないものを「明らか」だの「歴然としている」だの 久坂の方がその思慮の浅さから無謀な戦争起こして
藩を窮地においやっているがなあ
馬関戦争が端を発した時は高杉は隠居中であったわけで
主に久坂の主導であの戦争は始まったわけだし
その上禁門の変で犬死にだもんなあ
つまり、久坂には割拠の才があったが時勢を見極められず戦争に弱かった
そして、高杉には時勢を見極める目があり革命の才があった
加えて戦略家としてもなかなか巧みだったと言えるのではないでしょうか 高杉は直線的だが引くのも早い
久坂は曲線的にも行けるが雁字搦めになり引けなくなる >>302
じゃなぜ決起した時に空っぽのご金蔵を襲ったりしたの?
決起の1カ月前には決起を煽りに来た人間を諭してるのに、1カ月でころっと態度を変化。
おかげで12月に決起を煽った時は誰も付いてこないで「脱走」扱いされてるありさま。
決起後にすぐ必要になる軍資金面も全く手つかず。白石正一郎にも了解取ってないで非難されてるありさまだし、
どう見ても突発的な決起なんだけど。
それと攘夷戦争は正義派は藩内総動員体制を固めるための好機と見ていたので、
べつに暴挙だったわけではない。藩内には幕命による攘夷だと触れ回っていたことが記録されている。 元治内戦も挙兵後にすぐ諸隊が呼応したわけではなく、山県以下はしばらく日和見を続けている。
奇兵隊以下が参戦した後は、藩政府軍との決戦を躊躇する上士に対して山県らの発言力が急激に大きくなっている。
高杉も媚び媚びでしょ。成算ある決起なんかではなかったのは明らか。
さらに馬関条約の時に正使に立った時は事もあろうに信任状を持参し忘れて相手に怒られてる。
交渉はほぼ伊藤が担当。こんな男のどこが戦略的だって? 結局長州では正義派要人の庇護の下で不規則に動くナンバー2以下の存在だった。
久坂、桂がまがりなりにも長州政治外交の正面で動いたのとは全く違う。 よほど高杉が嫌いなんだねえw
君はあれか?赤根か椋梨の御子孫さんか?
君がいかに高らかに吠えようが
高杉晋作が長州を倒幕に導き、見事倒幕を成功させた事実は消えないよ
むしろ逆に聞きたいんだが、久坂は後世の世に何を残せたの? 960 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2012/03/19(月) 22:15:42.37 ID:iyrJ68df0
>>950
あ、やっぱりwこいつ、木戸スレや大河板のスレも荒らしてるよね。
深夜〜明け方になるとゴキブリみたいにゴソゴソ活動始めて
長文連投や亀レスで絡んだりするからわかりやすいwコピペ厨だし
アンチの巡回ルートw
高杉晋作スレ
924 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/03/07(水) 04:40:28.87 ID:LrY6C+QK0
長文コピペ貼り付け
【攘夷】久坂玄瑞・高杉晋作・大楽源太郎スレ
288 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/03/07(水) 04:50:31.94 ID:LrY6C+QK0
追い払うどころか長州は砲台撤去、償金支払義務の存在を認めるなど全面譲歩。
砲台撤去は後で木戸がパークスに頼んだけど承知してくれないという醜態。
江戸での講和交渉に長州藩が修好使節を派遣して償金の減免を図ろうとし、
そのために井原主計、伊藤、杉、宍戸環の4名が選ばれ、旧暦8月18日に広沢真臣が
同乗を依頼し長州藩使節を乗せた船は8月20日に出航している。
しかも下関の開港について尋ねられたら、朝廷と幕府の承諾があれば異存はない、
と返答するように藩庁から指示を与えらえていた。
※「彼らは、将軍の許可を得ることなしには、貿易のために下関を開港することには同意しないであろう」
つまり長州藩の全面敗北を飲んだのが高杉。尻拭いに苦労したのが木戸だ。
289 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/03/07(水) 04:53:03.98 ID:LrY6C+QK0
>>287
内乱でも長井雅楽暗殺計画は高杉がぶち上げ、久坂に褒められてるような力関係だよ。
鉄砲玉と親分くらいの力量差はある。西郷も久坂は褒めているが高杉には全く言及していない。
実際、長州藩が京で活躍したのは久坂、桂がリードした時代であって高杉は二線級の人材。
何故、高杉晋作が作られないのか?其の二
593 名前: 日曜8時の名無しさん [sage] 投稿日: 2012/03/07(水) 04:55:59.81 ID:lfUjwJWN
>>589
美味しいどころか三味線弾いてるバカだと思われるんじゃね?w 坂本龍馬が、幕末の世で“天下の人物”と考えていたのは9人である。
「当時天下の人物と云ハ、徳川家ニハ大久保一翁、勝安房守(勝海舟)。
越前にてハ三岡八郎(由利公正)、長谷部勘右衛門〔はせべかんうえもん〕。
肥後ニ横井平四郎(横井小楠)。薩摩にて小松帯刀。西郷吉之助(西郷隆盛)。
長州にて桂小五郎(木戸孝允)。高杉晋作。」
アレー?久坂ドコー?久坂も龍馬と交流あったよな?ww 中岡も洛西一の奇才と称賛してるし
高杉に弟子入りした田中顕助も土佐人だし
高杉って土佐人に人気あるね >>310
そうかも
田中とは別の人で高杉の弟子志望で押しかけてきた男も、土佐の志士だったよ
「いくら断わっても帰ってくれない。桂さんからも、諦めるよう言ってくれー」って
高杉から桂への手紙はワロタw >>309
高杉が有名になる頃には既に久坂は死んでる。
>>310
中岡は久坂に憧れてる感じで、高杉は同輩みたいな感じかな。 >>292
大楽はプライドが異常に高く、他人を認めない性格なので、周囲から嫌われてたって一坂が書いてる。 胆略有り兵に臨みて惑わず、機を見て動き
奇を以って人に勝つ者は高杉東行。これまた洛西の一奇才
中岡慎太郎
ベタ褒めですやん 松蔭弟子系の盟主的な位置が久坂
久坂系と土佐は、武市の時から仲良いから、久坂死後クーデターしたり盟主的な位置になった高杉系列と土佐系は仲良い
土佐で言えば武市の位置が久坂で、龍馬的な位置が高杉かな >>312
久坂なんて一言も話に出してないのに
無理矢理絡んでこないでいいよ。ウザ >>310 311
言われてみれば土方伯も土佐だな
土方久元「私は維新の諸豪傑の中に就て、西郷隆盛・高杉晋作、
そして坂本龍馬君をもって英気溌溂の三傑と称したいのである。
この三君の為す所は実に天授であって、容易に他人の企及すべからざるものがある」 中岡は文武容姿節義全て備えた尊師と久坂べた褒め、古参の西郷さえ久坂先生言ってる
師匠の松陰も久坂が一番、木戸も久坂は俊傑にして剛者と言ってる
久坂からしたら高杉は同士弟分でちょっと別格扱いくらいじゃね?
坂本は武市の子分にそんな奴いたっけかなーくらいだろ 書き込み時間さえ変えればバレないと思ってる馬鹿ゴキ 久坂なんかと比べれば龍馬は小物だろう
西郷も同志で親友と尊敬してたのは左内だからな
龍馬とか先覚的志士らからすればずっと後輩 >>315
中岡は高杉の漢詩のファンでもあった
高杉の詩文集を借りて熱心に読み、せっせと書き写して同志達に与えた >>308
それ上の2つのレスは自分のだけど、具体的にどこが間違ってる?
長州藩が江戸へ使節を派遣したのは間違いない事実だよ。広沢が直々に依頼に来てる。
高杉が信任状も忘れるほどの体たらくで大雑把に纏めてしまったものに対して
しかも「木戸は尻拭いに苦労した」と記したのを「木戸への非難」と取るのはどういう神経なんだ。
印象操作に他ならない。おそらく木戸なら下関への砲台建設禁止に対してはもう少し交渉しただろうね。
対幕戦を想定した場合に足かせとなるのは分かりきってるんだから
と言うかよくレスを探すもんだな。近代史板になんてめったに来ないんだから同じ時間にレス入れるの当然じゃん
見えない「アンチ高杉」と血眼になって戦う高杉ヲタの姿は異様と言うしかないな。 高杉が嫌いとか何とか言うより、信者が歪んだ高杉像を必死に維持してる印象があるんだよね。
高杉は位置づけでは久坂に及ばないと書いただけでアンチ長州だの何だの言われるんだから驚くよ。
信者の脳内では長州の象徴は高杉なのか?だとしたら長州の政治史に相当無理解なんだな。
正義派は高杉の私党じゃないんだから、他の同志との比較で正当な評価はされてしかるべき。 57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/17(火) 10:44:57.16 ID:qCglh9VL0
長州スレはなんか面白いな。
正義党の藩内政敵、長井雅楽が一番だって書き込みが
正義党の人の名前を冠したスレに合っても、全く荒れないんだから。
長州の人は、松陰派の人は若干理屈屋気味だけど、
基本的にプラグマティズムの人が多いから、
関心持つ人も原理主義的な人は少ないのかねえ。
残念なことだな。この流れじゃ長井評価なんか論外になるのかね。
もちろん椋梨や赤根、下手すれば周布や国司あたりもご法度か。
現に攘夷戦争に対する周布の構想を評価したら高杉信者が噛みついてくる始末だからな
信者の間違った高杉像を打ち砕くオレサマカコイイ(キリッ 半月も前のレスに30分も使って顔真っ赤にして長文連投
どちらが血眼で必死だか一目瞭然ですなw 他はそのまんまなのに、平日明け方というニート丸出しの書き込み時間と
大河ドラマ板への巡回だけは指摘された途端変えてて吹いたww 意外と気にしいなアンチかわいいよアンチ(*´Д`)ハァハァ >>325
椋梨や赤根等を語りたければ、そいつらのスレ立てて好きなだけやればいいんじゃね?
もっともお前以外に需要があるかは分からんがな 何だかんだ言い訳して絶対立てないだろ。
コイツは赤根の事も久坂と同じく高杉を叩くのに利用してるだけ。
だから高杉の赤根への発言を叩いても
実際に赤根の捕縛や処刑に関わってる山縣は叩かないし、山縣のスレも荒らさない。
木戸スレで河上彦斎持ち出して遅レスで他人に絡んでる奴もこいつじゃね? >>332
見てきた。それぽいやついるね
ここのアンチと同じ書き癖で、朝5時6時に20以上前のレスに長文で絡んでるやつ
ふーん、高杉を叩く時は久坂や赤根を使い、木戸を叩く時は河上を使うのか… 逆説の日本史に
久坂が実は薩長同盟を結びかけてたって書かれてた
そういう解釈や、それ以前に久坂自体がどんな人物で
当時、どういうポジションにいたのか良く知らなかったので興味深かった
久坂と会った人はみな感化されており
彼と会った龍馬もその可能性が高いとか
禁門の変以前の薩長の関係とかあまりよく知らないから
面白かった 逆説の日本史(笑)って
古文書一切読めない小説家が書いた週刊誌の連載をまとめたトンデモ本じゃないか でも久坂って当時の長州で一番存在感があったんじゃね 久坂の存在感は大きいよ。
長井を自刃に追い込んで藩論の転換に成功、薩摩に追いつき一時的には追い越すことに成功したのは離れ業。
(長井失脚に関しては桂の役割も大きいが)。以後の長州は久坂が築いた政治的遺産を何だかんだ利用してる。
研究者でも久坂を評価する人間は多い(NHKの一般向け番組でも佐々木克がわざわざ取り上げたことがある)
久坂は尊攘激派、暴挙党と言う印象が付きまとうが、例えば英国公使館襲撃事件では高杉を抑えているし、
攘夷戦争の時は藩内に「幕命による攘夷」であることを強調し、民衆徴募兵による防衛の契機にしようとしたり、
非常に緻密な頭脳を持っている。禁門の政変に関しても、実は久坂の読みはそう間違ってはいなかった。
一橋慶喜は長州にさほど敵対的ではなかったし、西国諸藩は同情的で、周旋を取り持つ方向に動いていた。
7月に入って薩摩藩兵の上京があり、会津藩主の参内、孝明天皇の頑強な征長意思、そして連合艦隊の長州報復攻撃計画などがあって、
最終段階で抑えに回った久坂と、来島や諸隊の主戦派が対立して御所突入に至ったというのが経緯だな。
厳しい状況でわずかな隙を見つけて、あと少しで逆転という所まで持っていった政治的手腕は評価せざるを得ない。
同時期の正義派には桂、周布、高杉など理解者がいたわけだが、やはり久坂の存在感は大きいね。 >>332-333
自演なのかも知れないが、史料に具体的に反論しろと言ったのにそっちは皆無で、
印象操作に走るのか。必死だね
木戸スレの河上彦斎に触れた部分は諸隊の騒動に関するこれだろう
703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/29(木) 00:37:30.59 ID:82QahCEE0
この時代の尊王は方便みたいなとこあるからな。
一坂太郎の「木戸孝允―勤王の志士の本音と建前」は
河上彦斎抹殺とか脱退騒動とかにもスポットライトを当てたせいでファンからは煙たがられてそうだが
木戸が時に勅を利用し時には勅に追い詰められってのは
木戸と長州の活動を結構上手くまとめた表現だと思う。
で、この前後の木戸スレはこれに対してヒステリックな反応を見せたりしてはいない。
自分が見た限りでは、大久保スレや木戸スレは、西郷スレや高杉スレほど感情的にはならないね。
あくまで「政治家」を評価しているため、信仰の対象にしたりはしないようだな。
もっとも攘夷厨が入ってくるので、大久保スレに比べたらやりにくいが… ちなみに、もちろん河上彦斎に関する指摘は自分のではない。
だいたい「勅を利用し勅に追い詰められ」と言うのはべつに木戸を非難してる内容じゃないけどね。 >だから高杉の赤根への発言を叩いても
>実際に赤根の捕縛や処刑に関わってる山縣は叩かないし、山縣のスレも荒らさない。
こんな八つ当たり的な愚痴もあるけど、高杉の「周防大島の百姓、毛利家恩古の臣」と言う例の侮辱発言は、
学問的には高杉が封建意識に強く規定されていたということを示すものとして取り上げられる。
レベルの違う問題を持ち出して、誰それを叩いて誰それを叩かないなんて言う泣き言じたい笑える。
山県の赤根との確執と言うけど、高杉の挙兵が赤根の交渉を頓挫させたわけだからね。
何でこのアンチはいつもツイッターじゃあるまいし
レスをまとめられないで細切れにして垂れ流すの?バカなの? > ここのアンチと同じ書き癖で、朝5時6時に20以上前のレスに長文で絡んでるやつ
と指摘されてるのに、長文でも遅レスでもない夜0時のレス持ってきたり
以前にも 木 戸 ス レ を荒らしてると言われてるのに
こ の ス レ のレス持ってきて頓珍漢な言い訳してるあたり確実に頭は悪いんじゃないか
日本語が理解できないのか、頓珍漢な真似すれば荒らしてるの誤魔化せると思ってるのか
いずれにしても、かなりアレな人かと なのに全然ごまかせてないところがまた哀れw
>>331
>何だかんだ言い訳して絶対立てないだろ。
331の予想どおりすぎてワロタ 赤根ねえ、最初赤根が高杉に土民と言われたの聞いた時は同情したものだけど
その後、刑場への移動中に赤根が急に立ち止まったので
不審に思った役人が「急ぎませ」と促したら、突然「下郎!」と叫んだ赤根が
その役人を溝に蹴り落としたって話を知って、同情する気持ちも消え失せたな 成り上がり者の卑しさだな。
何の落ち度も無いのに赤根に暴行された役人カワイソス。
赤根が土民上がりなのは事実だけど
役人は別に土民上がりの赤根が下郎と言えるような相手じゃないだろ。 山県が赤根を嫌ってたのは、奇兵隊の給料をピンハネしたのを赤根に見つかって
譴責されたのを恨んでたからだろ
山県が赤根処刑ゴリ押しででっちあげた理由も「幕府への密通、裏切り」とかじゃなくて
「馬関戦争で敵前逃亡した赤根は不忠不義である」だし
>>337
木戸だろう
「高杉や久坂にしたところが、まあ長州の有志の頭株といふところだった。
過激なる有志と政府との関鍵は、木戸が一人で握っていたのだ」
伊藤博文回顧談 >>338
評価してる研究者が多いと言う割に、研究書はほとんど出てないねえ。一桁?w
その数少ない研究書出した研究者もメインは他で、
久坂を専門的に研究してる人はいなかったような・・・
>>349
それで久坂厨はトンデモ本まで持ち出して必死なのかw
久坂って幕末物の小説でも全然出てこないよね
まれに出てもチョイ役w 久坂はドラマでも端役だよ
龍馬伝の桂と高杉は3期のMVP取るほど活躍してたが
久坂はただの字の汚い暑苦しい男で
モブ化していた井上伊藤よりも出番が少なく、いつのまにか消えていたw 久坂の字が汚いのは史実
「久坂から意見書の草案が送られてきたけど読めません
そちらにもう少しマシなバージョンが届いてると思うんですけど
ちょっと貸してくんないですか」 って木戸から周布宛の手紙が残ってる
>>352
龍馬伝での勝俣みたいなウザいキャラ設定は単に久坂の肖像を見てイメージしたんじゃないかと、俺はそう睨んでいる。あの薄っぺらい脚本家なら十分ありえるだろう。 つまり久坂の肖像はウザそうな顔してるとww
確かに、これのどこがイケメンなんだろう?と思うほど
いかつくて暑苦しい顔してるけど JINでも久坂は妙な男だったな
最初は龍馬を暗殺しようとつけ狙うストーカーで
続編では龍馬に押し倒されて変な歌残して自殺したよく分からない男w 木戸の本は20冊以上出している妻木も久坂の本は上巻だけで投げた それは妻木死亡&戦争のごたごたで原稿がどっかいって出せなくなっただけだろ >>349
幾松にも研究家がいるってのに、久坂ときたら( ´,_ゝ`)プッ 久坂は伝記書いた人にも前書きで愚痴られるくらい
戦前も戦後も歴史学者からスルーされてるからな 久坂の肖像って、久坂にそっくりだという息子をモデルに描かれた物なんだよな
正妻との間に子どもはできなかったが、女郎に産ませた子はいたそうで >>363
久坂の書じゃなくて久坂の書の様に作られた悪質なバッタモンでしょw
鑑定士さん俗な作品だって言ってた あの出品者、久坂ごときで本人評価額200万ってふっかけすぎだろ
西郷の書簡でも350万だったのに >>362
正妻は松陰先生の妹だよな、久坂サイテーw 世のよし悪しはともかくも、誠の道を踏むがよい、踏むがよい。 >>362
文も「ブスだから嫌だ」って断わるような無神経な男の子どもなんて産みたくなかったんじゃね 木戸の嫁も、高杉の嫁も妾も
夫の死後は剃髪して菩提を弔って生きてるのに
久坂の嫁はあっさり再婚したもんなw >>369
久坂に未練はまるでなかったんだなw
でもまぁ、そう単純なものでもなくて
久坂には他のとこに愛人の子がいて
久坂の家は愛人の子に乗っ取られた感じになったから
当然の流れでもある 三島由紀夫自宅書斎の書棚の写真に久坂の著作集が写っていた。
幕末の志士のなかでは久坂が一番好きだったそうだ。 >>364
先にここ見てニセモノだと知ってから録画見たんだけど
久坂の悪筆を真似るのは大変だろうなと思ってたら
久坂の紙が破れそうなほど力入った殴り書きみたいな文字とは似ても似つかないソフトな文字で笑ったw
少しは似せる努力しろよwwあれなら俺でもニセモノだと解るわwww
松陰から押し付けられたんだから久坂からしたら良い迷惑だったんだろなw
まあ久坂の影響力は半端ないだろ
西郷、周布、木戸、高杉、土佐派あたりは全部久坂の影響受けてる 2ちゃんねるで躍起になって主張しなきゃいけないほど
研究家に存在感のない久坂ってかわいそう
例えば松陰の影響力だったら本も沢山出て語りつくされててて
今更言わずもがなだから、ムキになって主張繰り返す人なんていないのに
恩師の妹を嫁にもらったから頭が上がらなかったんだってな
ブス嫁の尻に敷かれてた久坂w 間もなく10時から
BSTBSのナンバー2という番組で
高杉さんを特集するらしいぞよ 久坂が暑苦しいのは史実
山県半蔵の家に久坂は連日やってきては
相手がうんざりして分かったと言うまで議論をふっかけ
でかい声でがなりたてるので閉口したそう それは暑苦しいというよりウザいわw
議論好きの長州人でも普通に迷惑だろ 高杉の手紙
世間の風説では、久坂兄が忠死とのことですが、どういうことでしょう。
とかく間違った噂が動く世の中、本当なのか信じられません。
この頃は毎夜、久坂殿を夢に見ます。
心配しています。
なにとぞ、実情を御存知でしたら、早く教えて下さい。 久坂って何かというとすごい顔で号泣しながら熱弁ふるってるイメージだ 竜馬が武智の使いで来たときは5歳上の竜馬を小僧扱いしたらしいな。
坂本も久坂に会って脱藩してる
中岡も大政奉還ギリギリに時勢論で、久坂の著、高杉の言葉、彼らがいかに優れた見識を表していたか記してる
長州が大危機に陥った時、誰も滅亡疑いなしと思ったそう
しかし大危機で生まれ変わり、それこそ久坂や高杉が考えだと感動してる
久坂の死から三年、高杉の死から四ヶ月
多く志士と交わった中岡の目にも一際輝いて見えたのが、久坂高杉だったという正直な感想でしょう 久坂玄随の筆跡を見るとやはり秀才だったんだろうと思う。
少し真面目すぎるような気もする。 秀才でもあるが天才でないか?
攘夷で背水の陣をひき始めて軍備富国強兵できるという論はむしろ松陰より久坂が早く気づいてたんではないかな
初めて松陰とのやり取りから北条の例に倣ってと言ってる
むしろ松陰がその頃は宥めて、その後の情勢以降に絶望し久坂の論に近づいてったんではないかな 久坂のあのクソ汚い筆跡のどこが秀才だよww
> 久坂の字が汚いのは史実
>
> 「久坂から意見書の草案が送られてきたけど読めません
> そちらにもう少しマシなバージョンが届いてると思うんですけど
> ちょっと貸してくんないですか」 って木戸から周布宛の手紙が残ってる
同時代人も読めない久坂の悪筆wwwww 久坂が和漢洋学問や海外情勢にも通じてたのは確か。
高杉や中岡は、久坂の思想と方程式受け継いでる分けだから。
松陰が生み、久坂が方法論を作り、高杉が実行し、伊藤が仕上げる。
門下で起承転結なってる。 >>392
秀才だの天才だの言ってるアホは、いつもの久坂持ち上げ厨でしょ
人並み以下の久坂の字を秀才とか無理有り過ぎw
>>389
本来なら久坂なんてアンチも付かないほどのマイナーな存在(個別スレが立ったこともない
専門に研究してる学者もいない、研究書もほぼ出てない、小説やドラマの主人公にも取り上げられない)
でしかないんだけどねw
厨が久坂ageのために久坂以外の人物をsageまくったから色々な方面から反感買ったんでしょう
字が汚いと秀才は関係ない、お偉い数学者など大抵字が汚い。
久坂を持ち上げてるのは師の松陰始め、兄と慕った高杉、薩摩の西郷、土佐の武市や中岡と当時一流とされたやつら。
中岡自体が久坂の死後に、かつて久坂の論を信じてなかったが、今は確かな実論だと確信したと書いてるんで。
討幕を説く時も
大英断ヲ施シ、大危難ヲ経、一朝其旧弊ヲ除キ、始テ其軍備政教一新ヲ見ルベク、国体茲ここニ於テヤ立ツ。
と久坂の論書いてるわけで。
司馬小説やテレビドラマの話は知らないけど。 >久坂玄随の筆跡を見るとやはり秀才だったんだろうと思う。
>字が汚いと秀才は関係ない、お偉い数学者など大抵字が汚い。
統失かこいつ? 学者の研究意欲も、作家の創作意欲もかきたてない久坂。歴史ファンの間でも不人気な久坂。
どの方面からもスルーされてる地味な奴なのに、
無駄に攻撃的な厨のせいで、ファンはいないのに、アンチだけは量産とは久坂も気の毒だな。 松陰のもうひとりの妹婿、久坂玄瑞は、二月のはじめに山口に帰って来ていた。
久坂は村田蔵六(大村益次郎)が江戸麹町の下六番町に開いていた学塾、鳩居堂に十月に入門し、
さらに番書調所にはいった。
ところが玄瑞には蘭学の素養がなく、外国語の書籍講読について行けない。
長州に新しくつくられた洋学所で勉強しなおすことが、彼の帰藩の目的である。
医者のくせに蘭学ダメダメって致命的じゃねw
医術の才能なかったから、武士でもないのに志士気取りで攘夷ごっこしてたのか 江戸の塾、落ちこぼれて、田舎帰って補習ww
さすが和漢洋学問や海外情勢にも通じてる秀才で天才の久坂君!wwwwwwww このニワカなんだwww?
久坂は若い頃から俊才で萩で名が知れ有名、松陰も久坂を褒めて高杉煽った位だからな
大村が蘭学学んだのは22、久坂の兄が蘭学学んだのは20後半
18の久坂が蘭学の素養無くても別におかしくない
当時蘭学が必要とされたのは医療より、西洋の軍事社会体制知る為の翻訳の為w
蘭学学んでる時は松陰が死に、最新の英学学んでた時は長井が航海策出し翻訳ごっこ所でないからw
なんだ 久坂って 秀才どころか お ち こ ぼ れ じゃねーかwwwwww >>399
当時は漢方医が主流な訳で、蘭学ダメ=医者としてダメという訳ではない
ただ、久坂の場合は兄が適塾塾頭なので家は蘭方なんだろう
それで蘭学ダメなのは致命的だなw
早くに天涯孤独になったとはいえ、その前に兄から学ばなかったのだろうか 当時蘭方とか決まってないだろw大村や兄も漢方と蘭学学んでるしw
兄が死んだのは15時、久坂は16で明倫館秀才、17で遊学18で松陰に弟子入り
しかも当時古くなって来てた、蘭学から英学に移ってる先進家
兄は27で適塾入門、その後銃陣ヘロトン翻訳したり、病身で海防策立案命じられ意見書つくり死亡
兄自体尊王家で月性と親しい
大村が長州に雇われた時もあくまで単なる医者や翻訳家としての扱い、軍事のトップとして起用され改革できたのは高杉クーデター後 久坂玄瑞が大英断を施し、高杉が一朝旧弊を除き、軍備政教一新したのが木戸や大村。
こうして大長州が定まった。 >>401
それどころじゃない人間が何で田舎帰って勉強やり直しさせれてるんだよ?wwwww
だいいちお前の中では久坂天才設定なんだろ?
普通人引き合いに出して、いいわけしてどうするよw
久坂は天才だからね、松陰死後から禁門の変まで、実際の政治情勢を覆し尊攘派を引っ張ったのは久坂だね。
幕府の開国策は永遠に武備充実がこないだろうと、松陰と始めて激論した時から見抜いてた。
利口な周布すら流された長井の航海遠略策(清国、李氏朝鮮と同じ方法)を廻瀾條議で覆し、長州藩と朝廷を動かし攘夷戦まで持ってった。
攘夷戦で外に防衛力を見せ、同時に内に武備充実を作り上げた。
例外だったのは禁門くらいだ。
でもあれも結果的に政治の天才久坂から、乱世の雄の高杉の出番来るわけだが。
松陰が久坂の才は縦横無礙、防長第一流、天下の英才と評し、西郷が久坂が生きてれば木戸も自分も参議など威張ってられん。
高杉や中岡が兄と慕うほどだわ。 何でも久坂の手柄にする人って珍しいな
長州の軍備の何が久坂の功績なの
そもそも久坂がやりすぎた結果が禁門じゃね? 俺もそう思う。
倒幕のため政略として攘夷を煽ったら炎が燃え上がりすぎて
自分自身も炎に巻かれて死んじゃったイメージだわ。
中岡がいて良かったね。 久坂先生がいなければ航海遠略でその後100年植民地にされた清国と同じ命運になってたろうな そいや西郷どんも長井討つべしとか言ってたな。
>>408
俺は上の人ほど持ち上げる気にはなれないがw
軍制については、久坂や入江が同志集めて作った光明寺党が後の奇兵隊や遊撃隊(長州)創設の刺激になってるから
まあそれなりにあるんじゃないかと。
身分を越えた部隊の創設を最初に建白したのは吉田稔麿だったっけかな。
攘夷親征ゴリ押しは失策だったな。
>>409
廻瀾条議の頃の久坂は攘夷(下田条約はOK)だが倒幕までは考えてないぞ。
でもまぁ飽くまで朝廷>(越えられない忠義の壁)>幕府だが、それは長州藩自体がそうだったし。(藩是三大綱)
流れとしては、朝廷の威光を高めつつ(幕権削りつつ)攘夷→幕政改革要求(文久二年頃)→5月10日に攘夷始めるっつったのに幕府始めてないじゃん攘夷親征するしかない(文久三年)
かな。 庶民兵については周布あたりも考えてたんじゃなかったっけ
まあ最初に組織したのは久坂たちなわけだが
とはいえ、来原やらが洋式兵制導入に尽力して、上士中士の反発でうまくいかなくて
「士族使えNEEEEE!!!!!」という流れがあっての話だから、
久坂ばっかヨイショするのはどうかと思った
あとたしかに、久坂は「幕府に任せておけん」とは思ったろうが
倒幕まではいってないよな
長州の連中が倒幕意識したのは四境戦争あたりでね?
真木は確実に倒幕まで考えてたみたいだけどね
小笠原の率兵上京(未遂)に危機感を抱いたという説もあるが
久坂はよく知らんが、倒幕に動いたとしたら大和行幸(攘夷親征)が具体化したこの辺だと思われ > 久坂は若い頃から俊才で 萩で名が知れ有名
規模ちっさwwwwww おらが村の有名人レベルw
11歳で藩主の前で兵学講義した松陰は本当の天才だったろうし
親試が優秀な出来で藩主から報奨金もらった木戸みたいな実績も久坂にはないんだろ
せいぜい塾の先生がお気に入りの生徒ちょっと褒めた程度の話
その程度で天才だったら、全国天才だらけになってしまうなw >>411
というか西郷にそそのかされて久坂は長井を斬ろうとしたんだよな。
久坂なんて西郷に殺されたようなものなのに
久坂厨は木戸への嫌味に名前使われても
「あの西郷さんが褒めてくれたー」って能天気に喜んでるんだから
久坂も浮かばれんなw
久坂が長井を斬ろうと、無駄にうろちょろしていた頃
桂は周布、中村九郎兵衛とともに絹服の着用を許され、朝廷と諸藩にたいする藩の外交代表として活躍していた 松陰自体も、通商条約の時点で理論的には倒幕に踏み込んでるね。
久坂の同志で清川、真木、平野の様な先進連中は、もう公武じゃ無理と倒幕まで考え進んでたが。
実際当時状況下で、朝廷は幕府認めてるし、内戦にもなるから幕府の存在自体は認めるって感じでないか。
>>416
当時西郷はその前まで島流しされ情勢に疎くなってる。
急に長州が京に攻め込んで来て、中立の立場取ろうとしたら、幕軍や会津軍が長州に蹴散らされ参戦。
その後に中岡が西郷に会って感触つかみ薩長和解に動く。そもそも久坂自体も京で武力突入自体反対だった。
蛤御門で長州が衰退し幕府が調子にのり公武改革案から幕府絶対主義になりかかり、結局薩摩が見限って長州と結ぶ流れになるけど。 清輝楼のいわゆる血涙会議で諸藩の興論を反長州にまとめ上げたのは西郷だったし、
勝ち誇る嵯峨勢を襲って来島又兵衛を戦死させたのも、西郷が参謀をつとめる薩摩の部隊だった。
嵯峨勢が壊滅したあとも、薩摩は外城水引の兵を先鋒として鷹司の邸を攻めている。
長州藩から見れば西郷はまさに、久坂を殺した元凶のひとりであろう。 久坂、生前も死後も西郷に利用されまくりw
そもそも久坂が長井をおとしいれたのは
松陰が江戸に送られて処刑されたのは長井のせいだと勘違いした久坂の私怨だしね
木戸が最初から誤解だって言ってたのに
異国に物資を運ぶのは尊王攘夷に反するとして、
薩摩の貿易船を捕らえて船長を殺してしまったのも久坂の一党なので、
配下というわけではなく、単に何かに付け劇しやすいひとだったのではないでしょうか。 加徳丸事件か
久坂は薩摩商人殺させて、積荷を焼き捨てたばかりか
薩摩非難を派手に広報するために、適当に選んだ同志を
嫌がってるのに無理矢理自決させて目的達成したんだよな
まったくこいつのどこが君子風なんだか 長井の様な僕知識あるんもん。生兵法開国派は始末悪い。
もっとも重要な王政復古集権の確立せずに、開国した国は全部植民地化。
当時アジアで王政の成功と独立保てたのは日本とタイくらいかね。
長井はせいぜい清の洋務運動クラスでしょ。
それでも心の広い久坂はギリギリまで長井を説得しようとしてる。
高杉はすぐ斬ると怒り、久坂にうん偉いなと褒められ、その後上海送りされたけど。
まあ、木戸のよう松陰から凡才とされたのじゃわからないかな。
一流ほど局面で体張るから死ぬしね。 >>422
同志の命なんかゴミ扱いだったそうだ。
長井の方の件でも、しつこく提出した二回目の弾劾状で、久坂は長井を
「八つ裂きにしても足りない」
って憎悪丸出しの事書いてるしなー。逆恨みコエーw ほらほら、またいつもの久坂厨の他人物sageが始まった
いいよいいよ、そうやってどんどん久坂アンチ量産してくれや 誰かを貶めなければ持ち上げられない久坂なんてしょせんその程度の人間ってことだ 一坂太郎が「吉田松陰は不平等条約に反対した」と嘘を松蔭神社での講演で嘘を吐いた。
吉田松陰は朝廷に伺いを立てずに日米修好通商条約を締結した徳川幕府に怒っただけだ。
『龍馬伝』の白痴脚本家は、
一坂太郎の「吉田松陰は不平等条約に反対した」の嘘を信じ込んで、
『龍馬伝』で久坂玄瑞に不平等条約の不平等さを坂本龍馬に語らせていた。
幕末に日米修好通商条約が不平等だと気付いていたのは、
小栗上野介ら一部の幕臣だけだった。
伊藤博文は明治時代にお抱え外国人から、
修好通商条約の不平等さを教えられて、漸く気づいたのだ。
其れから岩倉具視を団長にして、欧米に向かったのだ。
b 松陰は北山安世に交渉で外夷に次々制せられてると批判してるよ
そこから結局人材が居ない→列強に対抗できる体制となり水戸学よりさらに進んで一君万民まで進む匂いある
その辺が師匠の佐久間と違う、佐久間はあくまで西洋の技術を取り入れれば良いって所でとまってる
幕府も開国後のインフレに、一応経済政対策してるけど結局失敗して効果挙げれずそのまま、
平野国臣なども主に幕府の開国経済政策を批判してる
久坂らが政局の表に出る運動段階になるともう思想は出尽くして、現実の日本にどうやって作り出すかという段階だろう
その方法として即攘夷になる >>423
久坂は自ら進んで体張ったわけじゃなくて、反対したけど
医者坊主に戦の事がわかるか。すっこんでろタコ!と来島又兵衛に相手にされず
嫌々引きずられていったら犬死にしちゃっただけ 明治維新起こした重要人物一人を上げるとすると久坂でないか?
久坂が大戦略で誤らなかったから、戦術的失敗だった禁門も逆に活きた
崛起先駆者の松蔭や、崩れた尊皇攘夷派を崛起で再び立ち上がらせたが高杉も凄いが 高杉は全然凄く無いよ。運がよかっただけ。それを司馬が勘違いして英雄に持ち上げた。みんな司馬史観に囚われすぎ 高校生のころは久坂玄随というと坊主なのか?と思っていたな。
>>430 高杉は死ぬまで長州藩士だったが、久坂は長州藩など潰れてもいいという革命思想家だったからな。
高杉や久坂ばっかりじゃなくて大楽についても詳しく語ってよ! >>434
同意
大楽は長州藩士が大嫌いだった勝海舟に唯一褒められた男 他の長州藩士たちは勝海舟なんか相手にしてなかっただけでは 桂なんかは、勝と物凄く仲の悪かった中島三郎助の方に明治になっても私淑してたから
なんか勝とは疎遠そうw
まぁそれがなくとも勝の人間関係は薩摩メインじゃね 3人とも単なるテロリストだろw
日本の近代化について何も理解していないw 大楽、河上、前原辺りの原因は木戸との関係のあったと思うね。
河上は木戸の鼻をつねってしまい、前原は広沢暗殺と自分に刺客送ったのは木戸と信じてた。 前原は誠実な人ではあったが、視野狭窄の気があって政治家には向いてなかったな
新潟判事時代とか
待詔院学士一件では上京した所を大久保に上手く利用されて以後、引き篭もり参議やってたのにはちょっとワロタが
最期を思うと悲しみを感じずにはいられない人ではある 前原は維新以後はおっちょこちょいなイメージしかねえな >>440
河上みたいな背の低い人間がどうやって木戸くらい背の高い人の鼻をつねるんだ? >>443
河上が立って木戸が座ってたんだろ。河上は「いきなり木戸の華をつねりあげた」って定本に書いてあったからな つーかこのスレ
久坂と高杉は分かるけど
なんで大楽なんか評価してるの? 萩ネットワークという萩市が出している情報誌に、
例の東行庵騒ぎの顛末が書かれていた。
なんか色々と衝撃な内容だったんでうpしとく。
高杉勝氏のご冥福をお祈りします。
http://0bbs.jp/001sin/img0_5
http://0bbs.jp/001sin/img0_3 久坂大楽は耶蘇教を見抜いていたから凄すぎるな
列強技がまず巧みな洗脳プロパ、マインドコントロールと >>448
「他の連中とは視点が違う俺カコイイ」から >>451
キリスト教嫌いなんて当時の日本人のデフォルトじゃねーかw キリスト教に限らずグローバルとか
あれこれと巧みな偶像理論作るのが得意と見抜いてたわけだな 久坂大楽>>>>>>>>>>>>>越えられない壁>>>高杉チョン作 ; 『 雷電の如く ― 高杉晋作伝 ― 』
初代総理大臣になった伊藤博文の目線で作って欲しい。
「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。これ我が東行高杉君に非ずや…」
亡き高杉の顕彰碑の碑文を読み上げる伊藤博文の回想から始まり、
長州ファイブや、松下村塾の面々、松陰、ライバル久坂玄瑞や長州藩を取り巻く人々を描く。
勿論、坂本龍馬、西郷、桂、等幕末オールスターも登場。
今まで日の当たらなかった長州藩士にもスポットを当ててゆく。
「山縣さん‥わしゃ、未だに高杉さんの夢をみるんよ、、、
夢の中じゃぁ、わしゃ、今でも高杉さんの使いパシリよ…」
と言い残して伊藤が暗殺の地ハルピンに出向くところで終わる。 >>457
見てー!凄く見てー!脚本は君が書いてくれ。
大村益次郎もキッチリ描いてね♪
あと、ジャニタレとかアホ丸出しのアイドル・タレントの起用はなし。
無名でも若手の劇団俳優とか、演技の実力に長けた者を。 まぁ結局伊藤は高杉のこと好きなんじゃと思えるのは
公の場では>>>147みたいな感じで否定しているし、
高杉って呼び捨て政治的評価も低いんだけど
墓前に捧げる>>457の俳句とか単なるアピールじゃ書けないと思うし、
(日本最初の総理大臣とか憲法公布ではなく)功山寺決起のことを誇りにしているからなんだよね。
今後のことを考えると確実に日本に居たほうが出世出来るのに
戊辰戦争前に高杉と一緒にイギリスに行こうとしていたりもするしな。 高杉って伊藤の家に勝手に居候してたり
ほんと気心知れた兄貴分だったと思う
伊藤井上がイギリスから帰国した時
いの一番に訪れた場所が高杉の家
藩主よりも先に高杉の所を訪ねている
おそらく誰より早く高杉に何かを伝えたかったのだろう /\
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/____/_____________________\ 系譜的に言うと、吉田松陰→久坂玄瑞→高杉晋作→中岡慎太郎だよな。
特に中岡慎太郎が久坂玄瑞の影響を色濃く受け継いでるように見える。 まだ落ちてなかったのかこのスレ
大楽興味あるけど、何の本読めばいいかわからない ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ 近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
F00GN いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
KYA >>1
高杉晋作が結核で倒れなかったとしても
その後仲間と共に処分されただろうか? ミネルヴァ書房ミネルヴァ日本評伝選 今月の新刊
一坂太郎著『久坂玄瑞 志気凡ならず、何卒大成致せかし』
http://www.minervashobo.co.jp/book/b431737.html 427 諸橋 嘉久 New! 2012/09/14(金) 16:24:57.61 ID:C0Y8W8Wu0
一坂太郎が「吉田松陰は不平等条約に反対した」と嘘を松蔭神社での講演で嘘を吐いた。
吉田松陰は朝廷に伺いを立てずに日米修好通商条約を締結した徳川幕府に怒っただけだ。
『龍馬伝』の白痴脚本家は、
一坂太郎の「吉田松陰は不平等条約に反対した」の嘘を信じ込んで、
『龍馬伝』で久坂玄瑞に不平等条約の不平等さを坂本龍馬に語らせていた。
幕末に日米修好通商条約が不平等だと気付いていたのは、
小栗上野介ら一部の幕臣だけだった。
伊藤博文は明治時代にお抱え外国人から、
修好通商条約の不平等さを教えられて、漸く気づいたのだ。
其れから岩倉具視を団長にして、欧米に向かったのだ。
b
428 名無しさん@お腹いっぱい。 sage New! 2012/09/14(金) 23:57:39.00 ID:UdrJXr0F0
松陰は北山安世に交渉で外夷に次々制せられてると批判してるよ
そこから結局人材が居ない→列強に対抗できる体制となり水戸学よりさらに進んで一君万民まで進む匂いある
その辺が師匠の佐久間と違う、佐久間はあくまで西洋の技術を取り入れれば良いって所でとまってる
幕府も開国後のインフレに、一応経済政対策してるけど結局失敗して効果挙げれずそのまま、
平野国臣なども主に幕府の開国経済政策を批判してる
久坂らが政局の表に出る運動段階になるともう思想は出尽くして、現実の日本にどうやって作り出すかという段階だろう
その方法として即攘夷になる
429 名無しさん@お腹いっぱい。 sage New! 2012/09/18(火) 23:46:37.34 ID:8eANV4ek0
>>423
久坂は自ら進んで体張ったわけじゃなくて、反対したけど
医者坊主に戦の事がわかるか。すっこんでろタコ!と来島又兵衛に相手にされず
嫌々引きずられていったら犬死にしちゃっただけ 品川弥二郎が
「松下村塾で最も優秀だったのは吉田稔麿だった」
と証言しているわけだが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています