小野田寛郎について詳しい人ちょっときて
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バイト先の留学中国人が言ってたんだけど、中国では小野田寛郎は
戦後直後ずっとフィリピンで人殺しまくってたって言ってたんだけど事実なの?
ぐぐったりしたけど、そのことについてもあまり記載されてないし、日本語の記事そんな多くないし。。。
もし事実なら日本はこのことを隠してるということなの?それとも中国のデマ? >>98
いや、90は斃すという意味で撃つという表現を使ったのだと思う。
自分達の存在をアピールする為の陽動的な行動や脅し目的での威嚇射撃とは別の意味での。 >>101
もちろん倒すべき攻撃対象としとは見てなかっただろうけど
>1で少し大袈裟に言われてるように脅し目的とか威嚇攻撃が当たって結果的に死に至っただけとは思えないくらい現地の一般人が殺されてるらしい
それが戦争をしていた人間の行為として正しいのか間違ってるのかは知らんが
帰国後は知人の紹介でブラジルにいった言う素晴らしい人材です。
勲章は旭の六等らしですね、キャリアは牧場会社で日本ではコンサルティングとして教育関連
剣道達人で柔道部もブラックの帯の文武両道の噂です。
人格も立派でだと口コミで聞いてます
尊敬出来ます 小野田さんはランボーよりよほど優秀な特殊部隊兵であった。 来年また、終戦記念日に靖国に行こ。小野田氏は、毎年参拝に行っているらしいからね。
今度こそは、「日本の為に三十年間ありがとうございました!」と言おう。言われ飽きただろうけどさ・・・
本人目の前にすると、緊張してくだらない事しか言えなくなるんだよ。
「お会い出来て光栄です」だとか・・・向こうはこっちの事なんか知らないっつのw
貴重な数秒間は、厳選した言葉で話し掛けないとな・・・ >>91
そりゃ金があったらそうなるだろ
けど太平洋戦争のとき金あったか?補給したか?
何人餓死した?? 約30年間、任務の完遂を遂行した小野田さんは凄い
と思う。 >>1
これ読んで自分で判断するのが良い
幻想の英雄・全文公開
ttp://junpay.sakura.ne.jp/index.php?option=com_content&view=category&id=49&Itemid=77
津田 信
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E7%94%B0%E4%BF%A1
著書『幻想の英雄』で、フィリピンのルバング島から30年ぶりに帰国して注目されていた元陸軍少尉、
小野田寛郎のベストセラー 『わがルバング島の30年戦争』 (講談社、1974年。英訳題: No Surrender: My Thirty-Year War)
およびその元になった週刊誌連載の「手記」のゴーストライターであると名乗りを挙げ、「手記」に書けなかった部分や執筆に
まつわる出来事を明らかにして話題になった。 最初に投降した赤津勇一少尉は存命なのか??
いくら調べてもこの人の消息はまるで語られていないのが不気味・・ >>112
俺も赤津さん(少尉ではなかったと思う)のその後は気になってる
とりあえず>>52の本の時点(80年代?)ではご結婚されて穏やかに過ごしているようだった
帰国後は特に何か目立つ活動をされたわけではないようだし
そっとしておいてくれって元日本兵も少なくないから消息が報じられなくても不思議ではないが
邪推すると捜索に尽力したのに小野田さんと関係がこじれてしまったせいかもしらんな この人、ホモじゃないかな。女性経験は無いと思うね。
閉鎖的な空間だし、繋がりも強くなるだろうし、戦死した戦友とはホモ仲だったと思うね。
「ツチノコと小野田さんを見つけるのが夢」と言った青年に発見される訳だが、相当胡散臭い。きっとヤラセ。
で、彼は色々言い訳してるが、戦争が終わった事も日本が負けた事も知ってるよ。
ジャングル生活、サバイバル=人殺しや、窃盗
が楽しくなっただけだよ。 30年居るってのは、物凄い事だけど、楽しくなきゃ、そこまで居れないと思う。
楽しいというか、麻薬敵要素が無いとさ。
三輪明宏はキモいが、小野田はカッコイイ、好きだ。
少なくとも今は結婚してんだからホモじゃなくてバイだろ
>>115
小野田さんだって女装したらキモいはず 小野田さんのファンクラブってないの?
マジかっこいいんですが…。 >>114
二十歳の徴兵前には中国での商社マン事態に何年か遊びまくったと書いてた >>111のを読んできたけどすごいな。
丸ごと信じてるわけじゃないけど。
中野学校へ推薦されるような人はやっぱり普通じゃないんだ。
立派である反面とことん冷たくもなれるみたいな。
そういう資質があるから推薦されて、中野でも一段階強力になったのか。
けど小野田さんのジャングル時代を読めば読むほど
実は本当に今の日本は傀儡で、帝国陸軍が大陸に亡命政権もってそうだ。
亡命政権=北朝鮮w >ルバング島から生還した二年後、54歳で結婚したが、子宝には恵まれなかった。
戦死広報を二度もらい、靖国神社に二度も祀られた戦場の死に残りが、子供まで願うことは少し欲張り過ぎだろうと考えている。
↑
この人のこういう考え方好きだな。 帰国したときの映像見たけど凄い目つきしてるな
間合いに入ったら斬られそう 小野田さんは何も知らんかったどころかラジオ等で情報収集して日本の実情も把握してたんだろ 諜報官小野田さんが、帰国第一報で、
「天皇は、何故に切腹自害していないのか!」
と立腹していたそうで、大変偉い人だナーと感心したら、大金で口を封じられて、
ブラジルでサバイバルを遣っていたという逃亡生活の延長が大変空しかった。 特殊能力発揮
ttp://www.bgf.or.jp/andly/content/080116r.html おう。小野田さんスレがあったとは。
2005年4月30日から2夜連続でNHKラジオ深夜便に出た時の録音MDが出てきたので、
今、PCに退避録音がてら聞いている。
たぶん2夜合わせて90分くらい。
うpり方は知らん。 動画見てみたらイメージと違って陽気でひょうきんそうな人だな 何年か前に講演会行ったよ。
大筋は今までに出てる本の内容通りだったけど、
ずっと一人で戦争してた人が
人は一人では生きていけない、って云ってたのが印象的でした。
あと、この時聞いた「人の追跡の仕方のコツ」は
今でも不審者追いかける時にかなり役に立っているw 今年も靖国神社で講演を15日にするのでしょうかね?
いろいろググってみても出てこないんです。
小野田寛朗の銃は錆びていた
故・横井庄一さんの銃はいつでも発砲できる状態だった。
投降した時の小野田さんの目付きは、
凄い。まさに野獣という感じです。
今の小野田さんとは思えないほどですね。
それにしても、小野田さんの精神力には頭が下がる。 >>7それは知っていたらしいよ。新聞やラジオで情報は得ていた。
しかしアメリカの傀儡政権に屈するわけがなく、
いつか反撃ののろしがあがるときを信じておもい潜伏していたらしい。
単純に日本が敗戦、投降=元の生活に戻れる
といいう発想自体、情報が発達した平和ボケした思考。
敗戦=死だからな。投降すれば生き延びられるかもなんていいうのは、
今だから考えられるようなことだろ。
それからよい意味でも、悪い意味でも日本魂と小野田さんの気質も大きかったろう。
>>14
小野田さんは馬鹿じゃない。むしろおれらよりもずっと頭切れる。
単純に終戦していないから戦い続けないとということでもなかったらしい。
日本政府が探しにきたときにでてこなかった理由とか聞くと深いと思う。
>>131そうだな、人は一人ではいきていけないっていう自分のおかれた
境遇とまったく逆の結論がこころに響くよな。
だけど三人のこっていたうちの味方の最後の一人が死んだときに、
「二人で協力できるよさ」と
「二人よりも一人になったほうがよいこと」
を計りにかけて、一人になったことは必ずしも戦力が半減したこと(
このとき戦争は実質終わっていたので、戦力とは必ずしも戦闘能力だけの
ことだけじゃないだろう生きのこるための力)ではないと冷静に
分析し、また自分にいいきかせて生き残ったそうだ。
その状況を90近くになっても冷静に思い出して解説するところが
すごいとおもう。30代のおれよりも頭いいよ。 >>135
日本兵の顔してるよな。怖さもかんじる。
しかし、帰国し両親にあったときの笑顔はやっぱりひとりの
人間なんだ、と感動的だった。
記者会見で、「最後の仲間の一人が死んだときにでてくることはつながりましたか」
と聞かれたとき形相がかわって「復讐心しかなかった」といっていたのも
印象的だった。
兵士の心理ってドラマなんかよりももっともっとす人間的ですごいと当たり前だけど、
思いました。ああいうのをみるとドラマや映画は、所詮、ドラマ、映画なんだなと思います。
>>47あんたの思考回路のほうは怖いわ。
統失と同じにするとはね。
なんでもかんでも捻じ曲げればいいってもんでもないんだよ。
あんたネット脳だろ。
しかし、実を言うと、この“裸の会話”から私が耳にしたものは、手記には
織りこめない話のほうがはるかに多かった。たとえば島民殺傷問題である。
ある晩、私は思いきって彼に訊いた。
「一体、何人ぐらい殺(や)ったんです?」
彼はわざと私のほうを見ないで、つぶやくように言った。
「百人ぐらいかな」
私は耳を疑った。すでに一部の新聞、週刊誌は、「旧日本兵によって三十人
近い島民が殺された」
という島民の談話を記事にしていたが、その三倍以上とは――私は軽い戦慄を
覚えた。
「百人、全部殺(や)ったの?」
「いや、殺したのは三十人ぐらいです」
「じゃ、残りは?」
「弾はたしかに当たったが、死にはしなかったでしょう。だいたい、戦傷者は
戦死者
の三倍というのが軍隊の常識です」
こともなげなその口調に私は再び戦慄を覚えたが、あえて自分に言いきか
せた。
――いくら感情が枯渇していても、そんなに大量の殺傷を犯しながら、心が
痛まなかったはずはない。おそらくそれだけの殺傷をくり返さなければ、
生き延びられなかったのだ。ルバング島での三十年間は、この男にとって
殺すか殺されるかの、文字通り殺伐な明け暮れだったのだ。何年ぶりかで
見た電燈の灯になつかしさを覚えなかったのも、船から聞こえてきた日本の
歌に心を動かされなかったのも、むしろ、この男には当然だったのかも知れない。
ところが彼は、首まで湯につかりながら、さらに平然と言ってのけた。
「ドンコーの奴ら、こっちがおとなしくしているとすぐつけ上がって、銃を
ぶっ放しながらどんどん山に入りこんできやがるんです。だからわれわれも
懲らしめのために撃ち殺してやったんです」 人間なら八十メートル離れたところから、牛なら百メートル先から一発で射殺できた、と彼は自慢げにつけ
加えた。三たび私の体に戦慄が走った。「何だか気味が悪いんです」といった速記嬢の言葉をいやでも思い出した。
この島民殺傷の話は私だけが聞いたわけではない。私にしゃべったことで気が楽になったのか、その後彼は、
編集者たちの前でも繰り返し語るようになった。話しながら彼は銃を構えるジェスチャーさえ示した。目の光り
も、いつもと違っているように見えた。書かない約束になっていたから、彼は安心してしゃべったのだろうが、
繰り返すたびに彼の話は具体性を帯び、こちらが聞きもしないのに細かな状況まで説明するようになった。
やはり湯舟のなかで彼はこう語ったことがある。
「こっちには弾に限りがありますからね、一発で一人殺すんじゃもったいない、何とか二人いっぺんに殺す方法
はないかと考えました。ドンコーは臆病だから、けっして一人じゃ山に登ってこない。かならず三、四人でくる。だから木かげで待伏せすることにしたんです。そして奴らが横一列になったところをねらってぶっ放つ。
そうすりゃあ一発で二人殺れますからね」
もはや明らかに殺人であった。少なくとも戦いではなかった。と言うのは、彼の話を注意深く聞いているうち
に、島民たちには殺意がないことがわかったからである。
彼らが山に登ってくるのは、伐採や果実採取が目的であった。が、山の奥には銃を持った旧日本兵が潜んでいる。
山に登りながら彼らが銃を撃つのは、あくまでも威嚇射撃であった。わが身を護る手段であった。その証拠に、
彼らのほうから仕かけてきたという話は寛郎の口から聞いたことがなかった。「ドンコーに先にみつかるような
ヘマはしなかった」というのが彼の自慢の一つであった。では、なぜ、彼は島民たちを射殺したのか。
「われわれの占領地域に勝手にはいりこんできたからです。われわれはいずれ島全体を占領するつもりでした」
これが小野田寛郎の言い分であった。そして彼は島民たちの威嚇射撃を、「生意気にわれわれを挑発した」
と言うのである。島民たちにとっては、とんでもない、そして、このうえない危険な誤解だったわけである。 >>111
全部読んだ
おもしろかった
津田信の息子がうpしてるんだね
↑読む限りだと、赤津さんは表舞台には出てこられないね
ただの山賊か、最後の軍人か
本当のところが知りたい 頭が大きくなって敵の気配がわかる、という感覚は人間に隠された能力なんだろう
小野田さんの生き様、ポジティブ思考にはただただ脱帽、考えさせられることが山ほどある。
現地民の食料を徴収という名で盗み、現地人の家を「訪問」してコーヒーやらマッチを用意して置けと脅し、
数年後おきに同じ家を「訪問」し物品を徴収・・・数年後、当初いた子ずれ夫婦はいなくなって老人しかいなかったと。(当たり前)
何の罪もない決して裕福ではない現地民は汗水たらし生活の糧にしていた田や畑を自分の存在を示すために焼き討ち
小野田さん側からのストーリーは感銘を受け惚れ惚れするが、島の人々側からはどうなんだろうとという疑念が湧く。
女、子供には手は決して手を出さなかったとあるが、その日をやりくりするために必死に働いていた父や兄弟などの男系がゲリラ戦を繰り広げてる日本兵にやられたという
ストーリーが出てこないところに憤りを感じる
戦友よりその辺りに思うことはないのか聞いてみたい
現地民が休憩用に木にぶら下げていた食料を徴収・・ 小野田氏が赤ら顔で鼻がツンと高い白人だったら、地元で天狗伝説が出来上がったはず 中野学校・諜報宣伝勤務指針って誰かもってない?
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最後の日本軍人
小野田少尉の全記録
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30年間守り通した驚異の教科書
「中野学校・諜報宣伝勤務指針」 「わが回想のルバング島」という本でも読んだが、赤津勇一氏が帰国して小野田氏の実家の家族に「小野田氏はジャングルで生存している」と知らせたのである。
つまり、小野田氏の捜索の最大の功労者は赤津勇一氏その人である。
しかし小野田氏は本で赤津氏を「脱走」とか「ババヌキのババ」とかけなしている。
しかも「小塚も島田も脱走と思っていたからそう書いたまでだ、そうだないと島田も小塚も浮かばれない、他意はない」とぬけぬけと記していた。
赤津氏は捜索にも参加し、国会へ参考人としても出席日本兵捜索を訴えた方。
その赤津氏に未だに、お詫びすらないのか。やはり英雄とかプロの軍人とは思いたくない。
小野田さん発見した鈴木紀夫さんは小野田さんと同じ飛行機で帰国して
当時25才だったが堂々たる立ち居振る舞いで立派だったけど
そのうちにマスコミの鈴木紀夫叩きが始まって、あっという間に干されちゃったな
インタビューに謝礼要求したりとあたりまえの事しただけなんだが
今だったら事務所に入って大金稼げたはずなんだが
それでもそこそこは稼いだらしいけど 新聞、テレビ屋は
接待やら広告、企画の名目で企業に金を要求するくせにか?w
貰うのは好きだが、出すのは腹が立つってのは、
最低というかそんなもんか。 小野田寛郎がテレビで慰安婦問題について語って、ウヨサヨ双方から持ち上げられててワロタ
軍が作って、売春したい人を連れてきたんですよ 強制なんてしてない という部分がウヨに神格化され
無理やりつれてこられた人もようけおった、とか発言したのがサヨから神格化されw
老齢なのに今後、論壇に色々引っ張り出されるのは大変だな チヤホヤされる日本じゃなくて、ルバング島で講演会でもして
サバイバル術でも説いてくればいいのにな
ルバング島の住民も、人殺しの山賊に説かれたくはなかろうて ルパング島にいた何十年もの間、俺たちには到底考えられない様な精神状態だったんだろうな
自分の寿命は60歳までだと考えて60歳になったときに自分一人で敵に突っ込んで果てようと考えていたみたいだし 奥さんの手記には、ルパング島に再訪したと。花輪を首にかけられ花束を受け取って歓迎されてる写真が載ってる。
寄付金を持参していったからなのか。
よく分からん。
赤津氏、横井氏への上から目線はどうなのかと思う 島の女を襲わなかったと聞くが、
性生活どうしてたんだろう?
小野田さんは慰安所のことを語っているから
そういう方面の経験はあったんだろうが・・・。
極貧生活と死への恐怖で欲望も起こらなかったということなのか。 情報分析すらまともにせず亡命政府云々とか憶測で決め付けて
こいつらは任務を口実にゲリラごっこやってただけだろ・・・ 諜報員としては明らかに失敗しているんだよね。
敗戦の現実もその後の祖国のありさまも分析、理解できていないんだから。
しかも現地の民間人を殺しているし、相手がフィリピン警察、軍だとしても
やはり不法の殺害だしな。日本政府とフィリピン政府との間で
法的には決着したことなんだろうが、いたずらに美化するのには反対。 マルコスにマラカニアン宮殿まで招かれて、貴方は軍人の鑑だ、
もう戦争は終わった、貴方の行動の一切にとやかく言う事は無い
と言われ、武装解除もされずそのまま帰国した
法的にどうこうなど最初から無い 処罰したら自国民の軍人にも示しがつかないからな
ここはあえて持ち上げて自軍の士気向上に繋げたというとこか 共産ゲリラみたいな山賊退治が主任務の軍隊に
それで士気があがるかねえ >>163
マルコスなんか腐敗した独裁者に過ぎん。
金正恩が国民全てを代表してるなんてお笑い草なのと同じ。 >>111
今更だが、これを全文初めて読んで驚いた。
小野田さんをこれまで誤解していた事がわかった。
中立で信頼できる立場でなおかつ初の著書のゴーストとして
長時間兄弟含めて接触した人物だから疑いの余地がない。
同時に、その後何人もいたであろうゴーストライターたちは
何も真実を語らなかった卑怯者・臆病者ということだな。
ttp://junpay.sakura.ne.jp/index.php?option=com_content&view=category&id=49&Itemid=77 赤津 「隊長殿、やはり戦争は終わったんじゃないでしょうか」
小野田 「俺はそう思わん」
島田 「終わったような気もするな」
小塚 「・・・・」
小野田 「よし、俺が行ってはっきりしたことを確かめてくる。俺が帰らなかったら、終戦は嘘だと思え」 小野田さんは元陸軍少尉だけど、戦後は一階級昇格じゃないの? 進撃の巨人のリヴァイ兵長だな。
精神、戦闘力・
******************** 戦後50年ぐらいの時に、中日新聞の夕刊で小野田さん自身が執筆している連載記事があった。
50回以上は続いたと思う。当時中学生だった俺は戦争の話に興味津々で毎回欠かさず読んでた。
中身はだいぶ忘れたけど、印象的だったのは赤津さんの事をけっこうボロクソに言ってたこと
赤津さんが投降した日も「赤津は逃亡した」とか書いてた
「戦争は終わっているから、投降すべきだ」
こう何度も言っていた赤津さんの判断は正しかったのに、赤津さんの事をいまだにボロクソに言う小野田さんが理解できなかった 津田 信というゴーストライターがこういう文章を発表するというのは、
そもそも道義に外れているんじゃないのか?
俺が小野田を英雄にさせるために、事実を捻じ曲げて書いてやってんのに
あいつらは感謝しないという不平不満や悪口ばっかり。書いてあることは余り信用出来ない。
端的に言うと、金の取り分で揉めていたんじゃないか。
予定より手数と時間がかかったので、追加で寄越せと言って出版社と揉めたような気がする。
最初のほうで先ず金のことから話しが始まってんでしょ。 ゴーストライターの話がどうであれ、30年もジャングルで過ごした事は紛れもない事実。
ただ終戦を知り、東京オリンピックも開催されて日本は豊かな国なる事を恐らく知っていたに違いないのに、出てこなかった本当の理由が知りたい。 >>178
出てこなかった理由は、敗戦側の軍人は軍事裁判で処罰されるから。
ゲリラ攻撃で非戦闘員の民間人を沢山殺してんだから、常識的に考えたら必ず処刑。
親族が呼びかけに来たことは関係ない。武装解除して出てきたところを親族の前でズドンだよ。
死刑するのにイチイチ裁判するのは、先進国の平和な時代だけのこと。 東京オリンピックまでに女性専用車の廃止させよう
<女のわがままを満たすために、男性が混雑や改札/階段から遠くなる不便さを押し付けられています>
この映像で混雑差の具合が分かりますよ
http://www.youtube.com/watch?v=hk8qWng3_0Q&list=ULgaULo3mGxtk
オリンピックで来日した海外の男性にまでも及ぶ男性への侮辱
女のわがままを許容してしまった日本の恥
男性を差別した悪質な女のわがままである女性専用車両をを廃止させよう >>179
それは理由になってない。
敗軍兵の条件は同じなのに小野田さんだけ唯一の存在なのか? 女や子供には手を出さなかったらしいが、挑発的な男の住民には容赦なかったらしいな。
犬をけしかけてきた男を付け狙い、一人になったところを蛮刀で…。
そんな事もあったらしい。 小野田氏は日本の降伏を聞かされて特別命令を受けて赴任した
諜報員なんだから、一般の将兵とは事情が違うよ。
日本軍や日本兵の一般概念とも分けて捉えるべきだ。
「日本は降伏する、日本本土は占領される、しかし何年か後には
満州国に逃れた日本政府が再侵攻する計画だから、
君の任務はその時に備えてルバングに潜伏して敵の情報を
収集し来るべき日本軍の侵攻を支援することだ」
となれば、30年は確かに長いが、健康や体力が維持できていれば
10年ぐらいは潜伏して任務を継続するのは当然のことだろう。
米軍のレーダー基地を定期的に襲撃していたのも、米軍と戦うことが
目的ではなく、銃弾の火薬を手に入れるためであったらしいから、
彼は忠実に任務を果たしていたわけだ。
いつまで継続するかは特別の教育と彼の性格的なものが大きいから、
日本軍の諜報員選定の基準は正しかったということだ。
気になるのは他の諜報員の行く末だ。
公表されていないが彼と同じ命令で数百人がアジア全域に
配置されていたはずだ。 「蟻の兵隊」って映画に出てたな
靖国で「侵略戦争美化ですか?」と聞かれて
「開戦の大詔見りゃわかるんだよ!」て激高してた 他の諜報員も
祖国の繁栄を願って行動し、名も知られず異郷の地に眠っているのだろう。 >>186
じゃなんでえ
陸軍中野学校で教育を受けた者の中で彼とその部下のみがその特別命令を受けて
フィリピンの田舎の孤島で忠実に守り続けたってわけかい?
それで、島民を虐殺し続けて、家族の「ひろお〜もう出てきなさ〜い。
戦争は終わったのよ〜。」の呼びかけにも意地を張って出てこなかったてわけか。
(正直これやられたら俺もいやだが。)
俺は上官の命令以外聞かない(キリッってか。
大層立派な軍人さんだこと。
それにしても、なんの罪もないのに殺された島民達はもちろんだが
彼に連れまわされたあげく、現地で非業の死を遂げた部下達が可哀そうすぎる。
小塚金七は10年以上前に日本政府の撒いた投降勧告ビラを51歳で射殺される
まで大事に持っていたらしい。
彼が上官でさえなければ他の日本兵とともに投降し、生きて日本に帰り、
家庭を築いていただろう。 意地を張って出てこなかったと思ってる時点で何も分かってない
本すら読んだことないだろ >>176
>赤津さんの判断は正しかった
それは結果論だからそう言えるのであって、武装解除命令も出ていないのに
勝手に投降した赤津氏は腰抜けと呼ばれても仕方ないと思うが。
当時の軍人が皆そのような人たちばかりだったら開戦の1年目で戦線は崩壊
して日本の公用語は英語になってたかもしれんぞ。
>>190
連れ回されたのとは違うな。米軍の攻勢後にも他の生存者はいたが、
小野田氏の意見に耳を傾けた人が集まって小野田氏と運命を共にした。 >>123
年末の有馬記念に食料を賭けて予想するのが楽しみだったとか聞いたなw >>149
本物支配層なんだよ小野田氏は。
現代まで脈々と通じる冷酷な支配層の姿
それは東電の勝俣や電通元会長の成田豊に通じるものだ
一兵卒は支配層からしたらゴミなんだよ
だから小塚さん島田さんをゴミとして扱った。使い捨てのゴミ。
中野学校は冷酷に支配層の役割を貫徹出来る人間を集める
マスコミが小野田氏を「帝国主義の亡霊」いったが、
彼は軍服を見に付けてようがいまいが本質は大衆や弱者を使い捨ての駒として扱う支配層なのである 小野田氏の犠牲になった小塚さん島田さんのご冥福を祈りたい
特に一兵卒の小塚さん さぞ故郷に帰りたかったろう 布団の中で一度でも眠らせてあげたかったな 中野学校の教え
生きて虜囚の辱めを受けてもなお生き残り、
二重スパイとなって敵を撹乱するなど、あくまでも任務を遂行すべし >>195 ゴミとして扱ってる訳ないでしょうw
帰国して最もやりたかった事が死んだ戦友への慰霊だし、
実際に墓参りにも行って戦友のご両親にも頭を下げてます。
日本で生活してる時にも寝言で小塚さんの名前を呼んでたほどです。
鈴木さんが山で亡くなった時も高齢にもかかわらず極寒の遭難地点まで
登って慰霊してますよ。 実直なひとだったんだろうけど、付き合わされた周囲の人間が
はたして幸せだったかどうかということだろうね
立派な信念に巻き込まれて殺された現地人とかかわいそうだな 幸せ不幸せではなく、最早純粋な「日本国」民と「大日本帝国」臣民とでは
価値観や倫理観が別物になってしまっていて、
我々は彼(彼等)を評価する為に必要な尺度すら持ち合わせていないという事なんじゃないかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています