東京都杉並区荻窪(おぎくぼ)の近衛文麿の邸宅、荻外荘(てきがいそう)
「荻外荘」と名付けたのは西園寺公望

開戦前、この荻外荘に東条英機や軍の要人を集め会談を重ね昭和史に残る。
例えば・・・

■荻窪会談
1940年7月19日、荻外荘で行われた会議
参加者:近衛文麿、松岡洋右、吉田善吾、東條英機
その後の日独伊三国軍事同盟の締結に繋がる

■荻外荘会議
開戦直前の1941年10月12日
対米戦争の是非とその対応について
五相会議(首相、陸軍大臣、海軍大臣、外務大臣、企画院総裁)

上記以外でも、山本五十六が「一年は暴れてみせる。だが2年、3年では自信がない」
と語ったと言われるのも荻外荘

敗戦後、近衛文麿はGHQからA級戦犯指定を受けたが出頭せず、荻外荘で服毒自殺をして果てた。

その後、近衛文麿の次男(長男は戦死)が荻外荘で普通に暮らしていたが
2012年に亡くなり、荻外荘の維持が難しくなった。この次男は東大教授だった。子は無し。

すると、文化的に価値ある荻外荘を区で保存するべき!という地元10町会からの強い要望。
その結果、2014年に杉並区が31億円で買い取り公園として現在一部公開。
近衛家の遺族もこの決定に喜んでいた。2016年春に国の史跡に指定