武市瑞山&土佐勤王党について4
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>>742
信じないなら別に良いが、妄想だと言うなら陸奥と後藤に言ってくれw
明治初期までの陸奥は普通に「自分は土佐藩士」と言ってるし
後藤も陸奥に賛同してるしw >>744
>後藤象二郎、板垣退助、片岡健吉、谷干城、佐々木高行ら土佐藩出身者と行動を共にした人の事だから
マジレスすると、陸奥は実質ずっと土佐閥から抜けて無いので、その中に並んでるぞ
10〜20代・・・俺は紀州人なんかじゃない、土佐人だー!とか言い始める頭のおかしい陸奥さん
20代・・・・・どんな手段を使ったのか解らないが本当に土佐藩士になっていて、故郷である紀州をドン引きさせる陸奥さん。
20〜30代・・・長州閥に世話になってるのに、土佐閥と連携し反逆罪で逮捕される陸奥さん。
40代・・・・・「反省しました…もう土佐閥とは付き合いません…!」と伊藤に言いつつ、裏では土佐閥のボスとして党員動かしてるマジキチな陸奥さん
50代・・・・・「土佐人となんて付き合わないよ!」と言いつつ、「そろそろ表のボスもやりたい」と自由党次期総裁に内定していた陸奥さんw
陸奥は>>744が思ってるよりネジぶっ飛んでるよw >>745
>陸奥は普通に「自分は土佐藩士」と言ってるし
ウソはいかんよ、ウソはwwww
ソース出して
陸奥が土佐藩士だと言うなら役は何?小普請組?wwww
何石取りだったの???
>>746
>土佐閥と連携し反逆罪で逮捕される
陸奥が連携したのは土佐立志社の林有造・大江卓といった在野の連中
土佐閥というのは、言うまでもなく薩長土肥による藩閥政治の土佐閥の事で
何の権力もない在野の連中の事を「土佐閥」とは言わない
君は日本語と日本史をもう少し勉強した方がいいと思う >>747
手元に無いが、確か陸奥宗光の伝記に書いてたはず。確か岡崎の方だったと思う。
あと役とか石取はないと思うよ。
陸奥は「土佐人」という肩書き欲しかっただけみたいだから
陸奥個人で交渉して「海援隊に入った時から、陸奥は山内家に仕えてる」
というのを土佐に認めさせたそうだ。
だから「バカバカしい!」とか「ウソだ!」と思うのは解らんでもない
自分も初めて見た時は「なにそのムチャクチャな理論」と思った >>748
だから、海援隊士=土佐藩士じゃない
越前・越後を始め全国から集まっている、彼等は土佐藩士じゃない
海援隊士が商売に便利なように土佐藩士を詐称していた事はあったかもしれないが
たかが商売上の詐称を「陸奥宗光は土佐藩士」って、お前はバカなのか?(失笑
とにかく陸奥が土佐藩士だと強弁するならソース出せよ
歴史オンチの脳内妄想を語られても意味がないw 陸奥が土佐藩士かどうかなんて検索すればいいだけのこと
けっこう色々ソースでてくるから信じたいことを勝手に信じとけばいい
それと陸奥については専用スレがあるから、そっちで存分にやってくれ
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1287052938/
武市と土佐勤について話してよ >>750
>陸奥が土佐藩士かどうかなんて検索すればいいだけのこと
お前が陸奥が土佐藩士だと歴史オンチ丸出しでウソを強弁しているんだから
おまえが検索してソース出せ
いつまで見え透いたウソ言っているんだ???
いい加減にしろ、病的なウソつきめ 武市は生き残ってたとしても結局政界にはなじめず、また過激派に担がれて
江藤・前原・西郷みたいな末路をたどる気がする >>749
文献でははなく、ネットで見れるものって事?
だとしたら「いろは丸事件を巡る大洲藩と紀州藩 自分は土佐藩士」で検索したら陸奥が土佐藩士だと言ったという部分のは出てくるよ
あと確かにスレ違いだからここでレスやめとく
武市スレでスマソ>>750 こっちはあえてどちらにもアンカーつけずに、専用スレに誘導してやってるのにな
陸奥が土佐藩士かどうかなんてあんまり興味ないいし、断定してないのにな
ウソを強弁てなんのことかわからん >>747
えー、土佐の立志社系を土佐閥と言わないとか無理あるだろ
ま、これ以上はどうどうめぐりだろうし>>748と自分の思う、土佐閥の感覚が違うって事でおいとこう
「土佐派」「土佐閥」とか人によって考え方違うだろうし
それに>>750が一番正論だと思うのでw
正論言ってる人をイジメちゃいかんw >>752
>また過激派に担がれて
またっていうのは何のこと?武市はより過激な吉村虎太郎の脱藩について否定的だったと思うんだが >>757
多分広い意味での「担がれて」なんじゃないかな
仲間に人斬り2人も居る訳だから
どちらかというと「担がれて」より「変な虫がひっつきやすい」って印象だがw >>753
海援隊と紀州藩は、いろは丸事件でさんざん揉めて、
紀州出身で立場が微妙だった陸奥が「俺は土佐藩の海援隊士だ、
紀州なんか恨みしかない」と隊内で強く主張した話だろ。
自分が隊内で微妙な立場なので、他の隊員に紀州への内通を疑われないように
自分の旗幟を鮮明にするために強く言っただけの話だろ、バカバカしい
>>754
734が「陸奥が土佐閥にいた」「木戸が陸奥を長州閥に引き込んだ」とか
あり得ないウソを書くから間違いを訂正してやると
「陸奥は土佐藩士だ」とかウソをさらに盛ってくる奴が出てきて
さらに訂正してやっただけ。
「陸奥は龍馬と行動を共にしていたから土佐閥だ」と頑なに思い込んでいる
バカが多くて驚いたよ >>756
>えー、土佐の立志社系を土佐閥と言わないとか無理あるだろ
土佐閥というのは薩長土肥の藩閥政治の土佐閥の事で、
権力のない在野連中の事ではないよ
歴史オンチ君は勉強になったねwwwww >>759
ちょっと待ってくれ、レスしたらいかんと思ってたのにワロス過ぎてちょっとレスさせてくれwww
>>753のワードで検索して一軒目の記事これだぞwww
●「いろは丸事件を巡る大洲藩と紀州藩」引用
>紀州藩としては今更救いを求める相手ではなかったものの、他には誰もいなかったので、
>恥をしのんで陸奥に頼ったのです。
>陸奥は自分は土佐藩士であり、紀州藩には恨みしかないといって断ったのですが、結局一肌脱ぐことになったのです
以上でレスおわりw以降陸奥スレでどうぞ >>761
オツムは大丈夫か?
なんで紀州を放逐された陸奥が、負け組の紀州の肩を持たなきゃならないんだ??
さらにいろは丸事件で、紀州と敵対する側に廻ったのだから
「俺は土佐側の人間だ」と拒絶するのが当たり前だろ
だから歴史オンチ君は「陸奥は土佐藩士だ」と妄想を強弁するなら
陸奥が土佐藩から禄をどれだけ貰っていたのか、言ってくれないか? >>752
武市とか久坂とか高杉は、生き残ってたら絶対活躍するだろうけど
周りが泣いて叫ぶと「よし!わかった!お前らの気持ちはわかった!」
とか言い出しそうで怖いよなw
大久保みたいに後輩がしっかり止めてくれたら良いが
武市の場合は周囲も「よし!わかった!お前らの気持ちはわかった!」型じゃね?w 自分はID:PCMJUUcT0だが>>734を書いてないし、「陸奥は土佐藩士だ」なんて
断定してないし、このことでアンカーつけられてウソつき呼ばわりされる筋合いはない
>>758
ああ、広い意味での「担がれて」なあ、
にしても朝敵として死んだ江藤・前原・西郷らと、
武市を重ね合わせるのは無理があると思う >>763
より過激な吉村虎太郎が脱藩すべしと主張しても、武市は自重を促したんだって
久坂も、脱藩を勧めたが武市は、頑固に拒んでるしね
武市は周りの激情に流されるタイプじゃないと思うよ >>765
軍と政治家どちらに行ったんじゃろうのう?
又は権力闘争とか苦手そうだから、途中で下野して板垣コースかな?
しかし思想面も合うし会津戦争で身体張った板垣や谷はともかく、後藤が志士面して政府に食い込んだのは・・・ 弾圧してた側なのに。 >>766
勤王党で明治政府高官になったのは佐々木ぐらいだろ
後藤、板垣、谷、片岡、福岡など、みんな上士側 佐々木も上士だろ
勤王党で大臣クラスだと田中、土方、河野くらいか >>767
土佐勤出身だと大橋慎三も明治政府につかえてたはず 全然関係ない話スマンが武市の肖像画ってちっともアゴが目立ってないよね
あの肖像画の人がアゴと呼ばれる事に違和感がw
写真残しといてくれたらヨカタのに >>766-769
一番の勝ち組は、弥太郎様じゃき。
レベルが違うぜよ。 >>771勝ち組って何のこと?
田中光顕は、従一位で伯爵
板垣退助は、従一位で伯爵
土方久元は、従一位で伯爵
河野敏鎌は、従二位で子爵
岩崎弥太郎は、従五位で華族に列していなかった
レベルの違いは明確だけどね >>770
裃で正座してる肖像画はアゴが目立ってると思う >>766
後藤は志士として評価されたんじゃなく、たぶん英語能力を買われてたんだと思う
戊辰戦争で前線にでるより、パークスらの応対を任されたんじゃないかな >>772
蓮様はなんで伝助と結婚したんでしょうか?
>>774
陸奥「そんなら俺でよくね?」 >>775
蓮様、伝助ってドラマの話じゃないのか?だったら板ちがいだね >>775
陸奥については専用スレがあるって>>750で誘導してるよ 水戸天狗党に同情した田中光顕先生は幕末と明治記念館を大洗に設立してくれた 「生き延びた志士」を学ぶttp://www3.nhk.or.jp/lnews/kochi/8015832151.html?t=1417304821668
幕末に討幕運動に参加し、大正時代まで生き延びた土佐藩士についての講演会が29日、高知市で開かれました。
この講演会は地元の歴史研究グループが開き、会場の高知市の自由民権記念館には歴史の愛好家、およそ40人が
集まりました。
幕末に活躍した土佐藩士の中には、明治維新後、新政府の要職についたり、自由民権運動に参加したりした人が
いた一方、あまり名を知られることなく生涯を終えた人も多くいました。
講演会では県立坂本龍馬記念館の亀尾美香主任学芸員が、そうした志士の1人、大石弥太郎を紹介しました。
大石は、幕末に土佐藩のため銃1000丁を長崎で購入し、江戸幕府軍と新政府軍が戦った戊辰戦争では、
新政府軍の参謀として活躍しましたが、維新後は自由民権運動に対抗する復古的な運動に参加し、
大正5年に亡くなりました。
亀尾さんは「明治維新や自由民権運動をより深く理解するには、大石のような人たちの動きをしっかりと調べることが
大切だ」と訴えました。参加した人たちは「大石については全く知らなかったのでとても勉強になりました」と話していました。
11月29日 20時19分 >>676
その真面目で天然な武市さんが主人公の漫画が有った。
武市さんが現代にやってきて塾の先生やらされるっていうトンデモ設定だったけどw
武市さんの性格的には現代とマッチする可能性は大きいな
暗殺云々は当時の価値観が大きいので現代では批判されるんだろうけど、そもそも現代の価値観で語る事が間違ってるしな。 ググってみたが、「サムライせんせい」か。
龍馬みたいな柔軟なイメージのある人物じゃなくて、
良くも悪くも堅物なイメージの武市が主人公なのがミソなんだろうな。
龍馬だと現代にタイムスリップしても割と簡単に順応してしまいそうだし。 どっかの本屋さんで武市が幕末本を読んで、史実の自分や妻の運命・末路を知ったり、
自分の死後の龍馬や中岡の活躍を知ったりするみたいな展開もありそうだな。
最後は何だかんだ現代の日本の有り様を肯定的に評価し、過去に戻って切腹するって感じかな。 松陰や久坂みたいな激徒のイメージも無いし、後世に伝わる人物像を見てると
「こんな性格の人が、よくあそこまで暴れられたな」と思う。 今年の大河に出てくるんだろうか。
久坂が師の次くらいに傾倒していたかもしれない人なんだが… 明保野亭事件から続く手代木直右衛門と土佐藩の因縁。 切腹に関するまとめブログとか見てると、必ずと言って良いほど武市の名が出て来る。
柳川左門の名で駕籠に乗って勅使に随行し、江戸城で将軍と対面した瞬間と
気力を振り絞って、古式に則り三文字に腹をかっさばいて果てた瞬間。
後世の人はどちらを武市の人生の最高の瞬間と見るんだろうか。 高杉が武市を評して
「あれは正論家」と言ったのは皮肉だよな? >>789
武市の手紙を持った龍馬は出るらしい。
そのエピソードをやるのならば、龍馬よりも武市の方が先に久坂と会ってるんだから、武市を出さないと辻褄が合わない気がするんだけどね。
薩長土密約もスルーされるのかなぁ 先日、国会図書館でやっと「サムライせんせい」を読んだ。
武市の真面目なキャラが生きてて良いね。
武市が現代に歴史上の人物として自分の名が伝わっているのを知って、
「もっとも、働きが評価されているわけではあるまい」と独白してるけど、
作者は武市の事跡には否定的なんだろうか。 >>794
その漫画、サンプルしか読んだことないんだけど、
現在の武市イメージって「天誅やってた人」だからなぁ
作者の武市評価というより、そういう世間の評価を指してんじゃない?
というか、あの先生は何時の時点の先生なんだろ >>794
図書館に有ったのかww
pixivコミックの方でも続きが読めて、そっちでは武市さんの剣術の腕が見れるよw
まあ、作者は龍馬や陸奥辺りの海援隊贔屓っぽいので、武市に関してはあまり良い印象はもってないのかもしれないけど、漫画の主人公にするって事は、少なくとも嫌いでは無いんだろうな >>795
牢に入れられた後の武市である事は明らかだけど、それからどれくらいの時間がたった時なのかはわからない。 >>797
武市は現代に迷い込んだ当初、元治の世と勘違いしてるので、 逮捕の翌年、切腹前年の武市だな。
ラストは元の世に帰って切腹するんだろうか。 >>715
天誅については歴史秘話ヒストリアで最近やってたらしいね
歴史に疎い母が最近まで天誅が安政の大獄の復讐だってしらなかったくらいなんで、武市の一般人の認識なんてそんなもんなんだよ。
武市だけが天誅やってた訳じゃないんだけどね。 >>397
明智光秀よりも石田三成の方が好きですがなにか >>797
牢屋入った後か……
それなら「働きが評価されてるわけではあるまい」って独白も納得 武市半平太は歴史上の人物として記録に残っていると爺さんから聞いた際に
「私は歴史に残るような大それた事はしておりませんが…」と戸惑いを見せてる場面もあるから、
「もっとも働きが評価されての事ではあるまい」と言う独白は、
投獄後だったという事情以外にも、自分のやった事は大した事では無いと言う謙遜の意もあるのかも。
お爺さんから、武市富は無事に天寿を全うしたと聞かされて安堵してる場面にはホッコリした。 龍馬ファンで、武市先生に好印象をもち、また事績をまっとうに評価する人って
どれくらいいるのかな。古い、間違ってる等バイアスかからずに >>803
ほとんど居ないんじゃないかね。
ほとんどが武市は馬鹿にしてる印象。 武市は、吉田東洋暗殺〜土佐藩政掌握の流れや、京都での天誅・斬奸で
策謀家だとかマキャベリストみたいなイメージが強いみたいだけど、俺はそういうイメージがあんまり無い。
藩への忠誠を通した勤王を最後まで貫いて、それに殉じて死んでいく様を見てると、基本バカ正直と言うか、誠実で正攻法の人だよな。
高杉晋作が「正論家」と皮肉った通りの人だわ。 >>805
まあ、ギリギリまで暗殺という最終手段は選ばない人だったわな。
基本的には正々堂々を好む人。
天誅はお付き合いでやってただけだし。
そういう人だったから信頼されたんだよな。
どっちかってーとマキャベリストなのは平井収二郎の方って印象。 >>804
あくまで、創作上のファンの域を出ないってことだよね
同じ土俵に乗せようなんて質問自体がナンセンスか
前世紀の創作物によって作られたイメージの再生産はもうそろそろ
やめてもいいと思うんだけど
絶景街道、高知明治維新への道みたけど、武市の説明が一行「龍馬の遠戚の剣術家」w 5年も武市スレを荒らしてる以蔵オタの釣りに構うなよ。 >>807
そのイメージ再生産に本気でイライラして幕末関係の本がほとんど見れなくなったw
今年の大河の花燃ゆは武市がいっさい出てこないからかえって安心して見れてる
なんでそんな過剰に歪められたイメージが当たり前のように広がってるのか理解できない。 例の以蔵オタを色んな所で見るな。すぐに判るんだが。 武市って割と人見知りが強かったのかね?
普段は一向に笑う事をしない(残された肖像も能面)。
ただし、遠戚の龍馬にアギアギと言われると、
顔を綻ばせてアザアザとからかってたとか言うね。 >>803
龍馬ファンじゃなくても武市に好感持ってる人なんて少ないんじゃないかね。
流石に創作でのイメージが悪すぎる。 横田氏を憤怒させたあいつといい、なんで武市さんにはこう変な粘着がつくんだ
メジャーな人物ならともかくさ
アンチどころじゃない、ストーカーだわ
武市に恨みでももってた奴の転生かよ このスレならともかく花燃ゆと大河スレで武市が武市がーとか言う奴いい加減場をわきまえろよ?
こっちだって武市好きだけどいつもの奴と同類だと思われたくねーからな 武市や幕末土佐の政争だけで無く、幕末全般に関心があるから、
武市スレ以外にも、幕末大河のスレとかにも行ったりするんだけど、色んな所で
龍馬伝の時から粘着してる同一人物の武市アンチと思しき奴をちょくちょく見掛けるんだよな。
武市ファンを装った釣りとかやってても、独特の気持ち悪さで
「あぁ、また現れたよコイツ」って、すぐに判る。 武市先生はその後容堂になりかわって
明治まで生きてたという話もありますね そもそも、以蔵云々以前に、武市のWiki見ても小物にしか思えないんだけど。
所詮は、視野の狭い書生論者だったって事だろ。 あらら、ファンを装った釣りがオタナリも結局バレバレで、ついに正体を表しちゃったよ。
龍馬伝から5年も経つのに、相変わらず成長せん奴やで。 ちょっとファンの人に聞きたいんだが、色んな書籍等で武市を写真で紹介される時に、
写実的な肖像では無く、わざわざ獄中自画像をチョイスしてるのとかどう思う?
俺は凄く嫌なんだよね。髭ぼうぼうの汚いオッサンと言うイメージ
にでもしたがってるかのような悪意を感じる。 そもそも、武市に悪意が無い書籍なんて存在しないだろ
テロリストの黒幕というイメージしか無いんだから。 >>814
武市の事好きな奴なんて、余程の物好きだろうよ。
あれだけ良い所無しの扱いばかりで幕末最強の嫌われ者なのも珍しいわ。 嫌われるほどの出番もないですがな
今年に大河も大事なところで出番ないそうだし 公文菊遷の描いた武市の肖像画は獄中自画像をモデルにしたんじゃないか?と思うのは俺だけ?
あの肖像画の武市を総髪にして無精髭を付けたら、獄中自画像になる気がするんだけど。 一坂ってもしかして武市は久坂の1ファンくらいの認識しかしてないの?? 花燃ゆ批評ブログで一坂がドラマに関係ない武市をいちいち説明する意味あるのか?
坂本龍馬の次の出番は薩長同盟までなしか >>827
花燃ゆの龍馬のキャラは良かったと思う。
おっさん過ぎるって所以外は満足。 >>823
創作ものだと武市って全てクソみたいな扱いやん
あれで嫌われない方がおかしい。 >>831
武市の没後150年の記念誌で、松岡司や中岡慎太郎記念館の人などが書いた
武市の論文集みたいな感じみたいだよ。
武市の命日で発表されたらしい。 >>829
瑞山記念館の館長に問い合わせたら送ってくれるんじゃね。
高知新聞のネット記事に問い合わせ先の番号載っけてあったし。 おお!内容どう?
文章は普通?
いや、松岡さんとか横田爺さんとか文章に泣かされるからさ >>834
内容どんな感じ!?
無理なら目次だけでも教えてください まだ全部は読めていないが、松岡が獄中自画像についての論文を寄稿してたり、他にも色んな人が獄中での食料事情や妻とのやり取りなどについての論文を寄せていて、比較的獄中エピが多めな印象。
瑞山記念館の館長が須崎の武市銅像の建立や再建の流れについて寄稿したりもしてて、銅像建立を巡る横田達雄とのやり取りについても述懐している。
他には知事や防衛大臣の挨拶、一般の方々の武市に対する思いを綴った寄稿文や短歌などなど。 >>835
どうだろう。
実際に読んでみて泣きたくなったら存分に泣いちゃえば良いんじゃないかな。
瑞山記念館の館長に問い合わせたら、送って貰えた。送料こみで1400円弱。 >>836
目次
論文
獄中自画讚に見る武市半平太の至誠
獄中の半平太について
瑞山の足跡に憶う
武市半平太の差料について
獄中書簡から見た武市半平太の憂国の念と夫婦愛
「よりた」からの手紙
初代瑞山先生銅像建立運動の想い出
第143回瑞山祭の意義
文豪が見た故郷の風景
武市瑞山先生没後150年に寄せて 随筆
武市半平太先生没後150年にあたって(中谷防衛大臣ら)
瑞山145年祭より
瑞山切腹直前の新聞記事から
追憶の武市瑞山
瑞山武市半平太先生
事あるごとに親から教えられる半平太
武市半平太の生家
土佐勤王党の精神
拝啓武市半平太様
瑞山没後150年に想う
武市半平太との不思議な縁
瑞山先生縁の地
悲劇の英雄 他は資料として武市半平太立案藩主建言書なども収録。 >>841
有り難うございます!
藩主建言書収録されてるのか〜。
それで1400円は安いですね。
瑞山記念館の館長さんに連絡して通販したんですか?? >>842
高知新聞の武市記念誌についてのネット記事に掲載されていた館長さんの連絡先に問い合わせたら、送って貰えた。 届いた。
ぱらぱらっと見てるが、絵、写真が豊富。
先生の美人画がカラーで収録されてるのは個人的にポイント高
田中光顕が先生旧宅を訪ねた際の集合写真
徳富蘇峰を囲んで記念碑前で集合写真
掲載されてる短歌は、以前の慰霊祭で奉納されたもの等々
人々の敬慕の情がひしひしくる
これ先生に読んでほしい 記念誌によれば、須崎の銅像は今やライダーの溜まり場ってマジかよ。何とかしろよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています