サンデー毎日 2019年7月28日号
・〔対立軸の昭和史〕「陸軍と海軍」編/5 兵士たちの証言 幻の台湾沖航空戦=保阪正康
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電報を握りつぶしたのは瀬島龍三か?

 この台湾沖航空戦の誇大な戦果を基に、大本営陸軍部の作戦方針が変わり、ルソン決戦からレイテ決戦にと変更になった。
比島防衛に当たっていた第14方面軍司令官の山下奉文や参謀長の武藤章などはこれに反対したが、それは堀の見解を信頼
したからだった。この頃は、なぜ大本営の作戦参謀たちが海軍の戦果を信用し、そしてレイテ決戦にと変えたのか理由はわから
なかった。
 戦後になって、作戦参謀だった瀬島龍三が堀に、実はあの電報を握り潰したのは自分だったと告白している(もっともこの点は
瀬島は否定したが、諸般の事情を検証していくと瀬島の告白は当たっているというのが私の見解である)。

陸海軍で作戦の打ち合わせはなかった

 台湾沖航空戦の戦果誤報のツケはレイテ決戦を選ぶことによって、多くの実害を生んでいる。比島戦の戦死者はおよそ50万人
とも言われるが、これ自体決戦の変更に伴う犠牲とも言われている。

作戦参謀は情報参謀の上げてくる情報を基本的には信用しない。前述の有末精三に、この電報握り潰し事件のようなケースは
あり得るのかと質したことがある。有末の答えは極めてあっさりしていて、私は驚かされた。
「堀君の電報を作戦参謀が握り潰すのはあり得ることだ。作戦参謀というのは、自分たちに都合の良い情報しか信用しませんよ。
これは日本だけではないと思う。ドイツやアメリカだってそうだからね」
 と言った後、レイテ決戦にと実に安易に変えたのは作戦課長の服部卓四郎らの作戦参謀だったとも名指ししている。