【白馬青牛】瀬島龍三を語ろう【廣島もみじ民】
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考古学板・人類学板・歴史難民板などで他人を誹謗中傷する
レスを繰り返し、スレタイを無視して自分勝手なことを喚いてる
コテハン白馬青牛が、人類学板で瀬島龍三について語りたいと言い
始めました。
明らかに板違いなので、こちらに代行で立てました。適当に相手を
してあげて下さい。レスを辿れば分かると思いますが境界型で……
…な糞コテです。
元々のレスは
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/geo/1298637215/915
あたりから始まりました。
915 :白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2011/11/27(日) 00:03:20.92 ID:XJAnhJl7
>>414-416の洗脳された靖国カルトの宗教右翼が連投しよるのう。
まあ、こんなら(こいつら)戦記じゃの連隊史じゃ中隊史じゃの
読まんで、宗教集団の指定するもんしか読むまあ。
>>906
あんた、自分で調べた云うとるが、シベリア抑留について読んだ作品
と著者あるいは発行した団体でも挙げてみんさい。
ほいからシベリア抑留者が日本政府に賠償要求したことも、
あんたにゃ不満らしい。何しろあんたら「日本会議」の顧問で
あり、ソ連の工作員であった瀬島龍三氏がソ連に引き渡したんじゃ
けぇ都合が悪かろうのう。
考古学板でもあんた答えんかったが瀬島龍三氏は、赤の売国奴か
どうか? あんた真っ赤な空気が嫌いなんじゃろ?
竹田宮(JOC会長)の身代わりでシベリア抑留。ご褒美で伊藤忠入社。ヤクザの世界と同じ 「正論」平成25(2013)年11月号
日本版CIA創設へ決意の証言
瀬島龍三はソ連の協力者だった
初代内閣安全保障室長 佐々淳行
http://www.fujisan.co.jp/product/1482/b/952474/ 『正論』平成25年11月号で佐々淳行が瀬島龍三はソ連のスパイだったと断じている。
瀬島はソ連の協力者となることを約束し、帰国後、スリーパーとし秘かにソ連のスパイや工作員となっていた誓約引揚者だったと。
これまで疑惑はあったが、公安関係者が断言したのは今回が初めてか。 >>64
マジかよ…。色々黒いうわさある人だけど
幾山河読んですげー尊敬してたんだが…。これが本当なら浅原正基と変わらねーじゃん。 .
_ ,. -‐ '' ´ :::::::::', ハワイを奇襲攻撃する!! r::- _
:::::::::'、 早期開戦こそが、日本が勝つ /:::::::: ´` '
::::::::':、 唯一の策である!!! ,.:':::::::
::::::::ヽ / ̄\ /:::::::
::::::::丶 | | ,.::'::::::::::
::::/ ,:、 \_/ _,..:'::::::::::
/ ,..':::::::> _|__ ... く::::::::::
/ ,.:::::::: /\ , , /\ `、 \
/ ,.∩ / <●> <●>\.`、 \∩
/ , ' l ヽ∩ / (__人__) \ ∩ノ j
/ , ヽ ノ | |::::::| | ヽ ノ \
/ , ' | ヽ \ ` ⌒´ / / j \
/ , ' \  ̄  ̄ / `、 \
./ , ' 山本五十六
やはり、なにもかも、このバカが悪いw
ハワイを不法攻撃したテロリスト犯罪者
アメリカを全面参戦させ日本を惨敗させた最悪のアホwww
こいつ一人の暴走の尻拭いを、国家全体が負わされた。 ヽヽ〃 /
ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
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/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
/ ゝ |
/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
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山本五十六を絶賛して毎晩射精w
半藤一利wwww >>67-68
オレの思い付きは全て正しい!ソースなんか捏造で誤魔化せる!
______ ___________
V
ヽヽ〃 / 半藤は認められているのにウリは認められないなんてシャベツニダ!
ヽ〃 英文?翻訳文?区別なんか出来ねーニダよ
( _) ウリは正しいニダ!ウリは正しいニダ!!!
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
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↑
シコリアン土足w 今日も今日とて捏造擁護で牟田口を貶め幸福絶頂wwwww
土足はいよいよ言葉に詰まるとバカコピペしか出来ない無能だからなw
しかしその行為は当に「ウリは正しいから正しいニダ」と火病して喚く朝鮮人そのものwwww
屑の能無しシコリアン土足くんwwwwwww
今日も今日とて現実逃避のバカコピペしないと生きてゆけないんだよなwwwwwwwwwww
ダブスタ、レンコリ、バカコピペ、これ全て土足が朝鮮シコリアンである何よりの証拠だなwwwwwwwww
何しろこのAAに書かれている事は全て間抜けの法螺吹き野郎が自爆した事実だからなw
汚くもなんともないw
まともなソース出してから何か喚け尼崎のチンピラシコリアンwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 山崎豊子は瀬島ええふうに書いてJAL123便も嘘っぱち書いて日本人洗脳するんやな(笑) 21日に早稲田大学で開催された諜報研究会で、瀬島のことが語られていた。
「最近の日本諜報史研究に関する問題点の指摘―ルーズベルト親電・ヤルタ密約」
ttp://www.npointelligence.com/studies1.html
良かったら、参考までに。 >>61
それは買い被り。
大本営時代の瀬島はぺーぺー。
左官クラスが大局を左右するのはよくあることだってのは少し違う。
日本の軍部の意思、方針は左官クラスで決定されてました。
役所で言えば部課長クラス。
大臣が国会で答弁するのに、課長に確認しながらなんてのが普通でした。
まあ将官になったらアホになれってのは、薩摩的英雄気取りってなもんなんでしょうか? ★日中戦争は陸軍利権のために中国都市住民無差別殺戮を強行した
陸軍省と陸軍参謀本部によって計画的に引き起こされた。
■陸軍のバカどもが牛耳る陸軍は
戦争を煽り、制無差別爆殺戮を強行。日中停戦を完全に絶望的に確定させてしまった。。
また、その結果、共産主義者を大喜びさせた。
海軍と外務省が進めていた日中停戦交渉はぶち壊された。
陸軍の目論みは、海軍への対抗心、陸軍の利権拡大、予算の獲得、賊軍への優越感etc
そのための大量の陸軍兵力配備。
その宣伝のため南京無差別殺戮は強行されたと考えられる。
第二次上海事変を口実に(船津和平工作などから見て停戦は十分可能だった)
南京無差別殺戮を強行し、反日勢力を刺激し、全中国人を抗日で一致団結させる結果を招く。
日中間は泥沼戦争状態になった。
陸軍が主導したのが勿論明白の南京無差別殺戮の結果
・米国大統領が歴史上初めて日本を批判(隔離演説)
・国際連盟は海軍による南京無差別爆撃に対し非難決議を採択。
・国共合作が実現。バラバラだった全中国人が抗日で一致団結してしまった。
・蒋介石夫人がアメリカ議会で日本の無差別爆撃を非難。アメリカ政府の中国支援は議会の賛同を得る。
・親日だったアメリカ共和党までが反日に傾く
以後、陸軍は自分勝手に
陸軍省記者倶楽部(陸軍が育てた宣伝組織)を利用して
徹底して新聞で中国討伐を煽りまくり
海軍の日中停戦工作(船津和平工作、トラウトマン工作)をことごとく妨害し潰した。
何もかも、陸軍の利権拡大が目的だと考えられる。
陸軍は陸軍省記者クラブを利用し、
新聞社を戦争扇動機関に育てた日本の先駆者である。 .
. 誰よりも戦争に反対した真の愛国者 山本五十六閣下!
ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
( _)
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アホの戦犯・山本五十六を絶賛して毎晩射精
ほらふき捏造作家 半藤一利w >>21
新潮45 2015年1月号
組織で生き抜く極意/佐藤優
〈6〉上司との付き合い方 その4 筋悪案件への対処法(上)
http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/20141218/
梶山静六幹事長主導で自民党が、社会党に流れたソ連資金の裏づけ資料をロシアの中央公文書館から
入手するため佐藤らにコンタクトをとった時の日本大使館内で、瀬島龍三に関わる文書が話題にのぼった
経緯が紹介されている。 >>76
新潮45 2015年4月号
組織で生き抜く極意/佐藤優
〈8〉上司との付き合い方 その6 筋悪案件への対処法(下)
http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/20150318/
自民党が佐藤氏らを通じて入手した約600点のソ連共産党秘密文書は、自民党幹事長室の金庫に
しまわれたそうだ。
一方、佐藤は外務省政務担当公使から文書を廃棄するように言われたが、上司の指示により
私的な立場で入手したという形式をとったため従わず、今でも写しを持っていると書いている。 【安保改定の真実(4)】
暗躍するソ連のKGB 誓約引揚者を通じて各界で反米工作 岸内閣を“核”で恫喝
http://www.sankei.com/politics/news/150505/plt1505050026-n1.html
KGBの工作対象は政界や労組、メディアなど多岐にわたったが、佐々はシベリアに抑留され、
ソ連への忠誠を誓った「誓約引揚者」との接触を注視した。シベリアで特殊工作員の訓練を積みながらも
帰国後は口をつぐみ、社会でしかるべき地位についたところでスパイ活動を再開する「スリーパー」である
可能性が大きかったからだ。
外事課ベテラン捜査員はある夜、KGB要員が都内の神社で日本人の男と接触するのを確認した。
男の身元を割り出したところ、シベリアに抑留された陸軍将校だった。男は後に大企業のトップに上り詰め、
強い影響力を有するようになった。佐々は当時をこう振り返った。
「誓約引揚者は社会党や労組などに相当数が浸透していた。安保闘争は『安保改定を阻止したい』という
ソ連の意向を受けて拡大した面は否定できない」 佐々淳行氏の新著「インテリジェンスのない国家は亡びる」(海竜社)によると、元陸軍参謀で、
戦後伊藤忠商事会長を努めた瀬島龍三氏がソ連の「スリーパー」(出世するまでは眠っていて、
後に活動を始めるスパイ)だったというのである(79〜81頁)。
<(瀬島氏はシベリア抑留時代の)捕虜収容所で特殊工作員として訓練されていた。
「シベリア抑留中の瀬島龍三が、日本人抑留者を前に『天皇制打倒! 日本共産党万歳!』と拳を突き上げ
ながら絶叫していた」という、ソ連の対日工作責任者(イワン・コワレンコ=引用者注、後記ウィキペディア
参照)の証言もある。
……私は警視庁のソ連・欧米担当の第一係長や、警察庁の外事課長も努めていたから、当然、瀬島氏が
スリーパーであることを知っていた。さまざまな会議や部会などで会う機会が多かったが、彼は必ず目を逸らす。
……彼が携わったと考えられるいちばん大きな事件が、1987年に発覚した「東芝機械ココム違反事件」である。
東芝機械と伊藤忠商事は和光交易の仲介の下、ソ連に東芝機械製のスクリュー加工用機械を輸出した。
この工作機械によってソ連の原子力潜水艦のノスクリュー音が静粛になり、米海軍に大きな脅威をもたらした>
http://blog.goo.ne.jp/bdwy88ws/e/3d0f1c1662545544ce3aaab5740705c8
大本営参謀や関東軍参謀を務めた瀬島にはソ連の工作員疑惑がある。ラストボロフ事件のラストボロフは、
瀬島を含む11人に「厳格にチェックされた共産主義者の軍人を教育した」「これらの人物は共産主義革命のため、
モンゴルのウランバートルに存在した第7006俘虜所において特殊工作員として訓練された」と証言している。
瀬島への疑惑の最たるものは、ソ連との停戦交渉時に「捕虜の使役」を自ら申し出た、つまり70万人のシベリア
抑留者をソ連に差し出したというものだ。(産経新聞愛読者倶楽部)
http://goldbook.ashita-sanuki.jp/e768269.html 長崎原爆”不発弾”回収の謎
ーー昭和20年8月に、実は日本に”3発目”の原爆が落とされていた。そんな説があります。1発目は広島に、
そして長崎には2発落とされていたというのです。そのうちの1発が不発だったため、日本軍がひそかに回収した
という話です。
小池ーー初耳の人は何の事かと思うかもしれないけど、これは噂話ではなくて、ちゃんと当時の文書が残っている
んですね。
ーー昭和20年8月27日、すなわち玉音放送の12日後に、関東軍から大本営宛てに送られた機密電報がロシアの
公文書館に保存されていました。内容はこうです。
「原子爆弾保管ノ件 長崎ヨリ東京二持帰リタル不発原子爆弾ヲ速ヤカニ『ソ』聯大使館内に搬入保管シオカレ度」
不発弾原子爆弾を早くソ連大使館に運んでほしい、という内容です。この電信の主任の欄には「瀬島」という署名が
あります。大本営参謀・瀬島龍三のことです
http://ch.n●●●video.jp/masayukisatomura/blomaga/ar303711
(NGワード規制回避のため「ico」の3文字を「●●●」と伏せている)
「沈黙のファイル」 共同通信社 社会部編
p168
ロシア国防省中央公文書館に一枚の不可解な軍事機密暗号電報が残っていた。
発信日時は終戦12日後の1945年8月27日午後一時半。関東軍から大本営参謀次長、河辺虎四朗あてに
「特別緊急指定」で打電された。
「原子爆弾保管の件 長崎より東京に持ち帰りたる不発原子爆弾を速やかに『ソ』聯大使館に搬入保管しおかれたし」
(原文はひらがな部分はカナ字)」
「主任」つまり起案責任者の欄に瀬島龍三の署名がある。
p173
ソ連軍に不発原子爆弾の提供を申し出た若い中佐。それは瀬島龍三ではなかった。大本営参謀、朝枝繁春だった。
朝枝が回想する。
「実は『ソ連大使館に飛びこめ』の電報を書いたのも僕なんだ。それを関東軍の作戦主任の瀬島参謀に頼んで
打電してもらった。」
http://aoisekai487.blog7.fc2.com/blog-entry-420.html
瀬島署名電報画像
http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-d9-9f/piyopiyo1440/folder/562919/71/30118371/img_0 最近の日本史近代史板は会津・南京・慰安婦ばかり
もううんざり >>78-79
「昭和の参謀」瀬島龍三氏 日本兵シベリア売り渡し説の真偽
『NEWSポストセブン』 SAPIO2015年9月号
http://ironna.jp/article/2759
瀬島氏はこの密約説を「根拠のない虚構」と一蹴したが、彼を“隠れ共産主義者”と目する向きは少なくなかった。
瀬島氏の帰国後、警視庁外事課ソ連欧米担当第一係長を務めていた佐々淳行氏が振り返る。
「瀬島氏は抑留中、KGBに最後まで屈服しなかった大本営参謀と評されたが、我々は違う見方をしていた。帰国後、
瀬島氏がソ連大使館員と神社仏閣などで接触していた事実を外事課は確認していた」
後に、「シベリア抑留中の瀬島が日本人抑留者を前に『天皇制打倒! 日本共産党万歳!』と拳を突き上げ絶叫して
いた」というソ連の元対日工作員の証言や「瀬島らはウランバートルで特殊工作員として訓練された」とするソ連の
元書記官が現れたことも疑惑を深める一因となった。
関東軍将兵ら約60万人が連行され、約6万人が強制労働などで死亡したシベリアの悲劇について、瀬島氏は多くを
語ることなく2007年にこの世を去った。
樺太とロシアの非道・残虐
http://ironna.jp/theme/484 ◆在日中国人
在日中国人(ざいにちちゅうごくじん、日籍華人)は、日本に在住している中国人である。
中華人民共和国または中華民国(台湾)の国籍を有する者は華僑であり、日本国籍を
取得したものは「華人」である。なお、中華民国(台湾)の国籍者は在日台湾人と呼ばれる。
広義には中華人民共和国(香港、マカオを含む)と中華民国(台湾)国籍者を指すが、
狭義には中華人民共和国国籍者のみを指し、中華民国(台湾)国籍者は在日台湾人と
呼ばれることが多い。
独立行政法人統計センターによると、2010年12月末時点では両地域合わせて687,156人が
外国人登録されており、これは565,989人の在日韓国・朝鮮人を超える規模である[1]。
既に2007年8月に人民網が、東京では100人に1人は在日中国人であると伝えている[2]。
2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する
神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、
兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。
このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が
顕著である[3]。
なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住していると
いわれる、[要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。
日本国籍を取得した在日中国人の数は、平成12年から平成21年の10年間で4万人以上[4]である。 週刊ダイヤモンド 2016年3月19日号
Book Reviews 知を磨く読書 司馬遼太郎の語られざる本音
佐藤 優(作家・元外務省主任分析官)
ttp://dw.diamond.ne.jp/articles/-/16437
森史朗著『司馬遼太郎に日本人を学ぶ』は、司馬遼太郎の日本人観を掘り下げて考察した名著だ。司馬がノモンハン事件
について作品を書きたいと思いながら頓挫した理由が興味深い。<その理由とは、月刊「文藝春秋」誌昭和49年1月号に
掲載された「昭和国家と太平洋戦争」と題した司馬対談で、相手は元大本営参謀、伊藤忠商事瀬島龍三副社長。瀬島氏は、
当時の田中角栄内閣で、参謀学の経験を生かして国政運営の助言者たるを期待され、のちの中曽根内閣でも“政権のご意見番”
と評されることになる実力者であった。/この瀬島元参謀の参謀本部時代や、敗戦まぎわの関東軍司令部での言動を知る
須見元大佐は、“あのインチキめ”と腹立たしく思っていたらしい。(中略)/「あんな不埒な奴にニコニコと対談し、反論
せずにすませる作家は信用できん」/司馬さんは決して絶縁状の中身を明かさなかったが、掲載予定誌の編集者、その周辺から
聞き集めた和田情報によると、内容は以上のようなものであった>。瀬島の「不埒さ」について、司馬が本音ではどう考えて
いたのだろうか。 牛爺にしちゃ、その場しのぎの瀬島頼みだしねぇ。嘘つきが基本だから
真剣に相手しては大損 わしがおらんけぇ、わしん対する誹謗中傷し放題じゃのう。
>>44左翼ユートビアンの設計国家主義者はわれじゃなぁか(笑)。
>>50が如く、広島駅北口にゃ来とらなんだし、次は遠回り広島城のホラッチョ広島半日滞在記
も省きよるわ。
>>85
ホラッチョはわれ自身のことじゃに、わしん転嫁してもつまらんわ。
左翼の安倍ちゃんの真似の転嫁手法も真似たんか? 瀬島の話題なら他スレに書いとるよ。
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1440516924/
422 :白馬青牛 ◆MSPArYuLmJK6 :2016/06/24(金) 00:57:56.85
瀬島龍三のことなら、こっちん書いちょろうに。
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1450447900/
829 :白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2016/06/12(日) 01:52:48.46
日本会議の顧問じゃった国賊の瀬島龍三元参謀も酷かったけぇのう。
こっちの国粋カルト派からも批判されとるし。
http://blog.goo.ne.jp/s6990714726/e/a404d393641ce8045d531d72a050065a
{瀬島は敗戦直前に満州に軍使として渡り、ソ連と交渉。帰還できたがあえてせず、
シベリアで赤化した日本のトップとなるべく訓練を受けたとされる。
また、シベリア抑留も日本の関東軍参謀がソ連軍と交渉し、賠償のかわりに日本兵を労働力と
して提供するという密約を交わしていたという説もある。
戦後、瀬島は伊藤忠でトップになったが、東芝のココム違反事件で、ソ連に工作機械を輸出する
指示を出したのは瀬島とされている。}
ほいから革新左翼系の共産党の赤旗は、瀬島龍三参謀のシベリア抑留の日本兵強制労働提供の
ことも指摘しとるのう。
{不破 瀬島龍三という大本営の参謀が“日本の軍人を預かって貴軍隊のために働かせてほしい”と
いう陳情書をソ連に出しているんです。これがそのコピー(写真)です。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-02-09/2016020909_01_0d.jpg
山口 不破さんは、シベリア抑留はソ連と日本の戦争指導部が“合作”で引き起こした悲劇だった、
それは疑問の余地のない歴史の事実だ、と指摘しています。} …
http://blogs.yahoo.co.jp/hougafan7/13094286.html
{司馬遼太郎が、『文藝春秋』誌上で、瀬島龍三と対談した直後、須見新一郎から絶縁状が届けられた
そうな。 そこには、『よくもあんな卑劣な奴と楽しそうに対談をして、私はあなたを見損なった』と
いう意の文章が書かれていたそうなのじゃ。 } 他人の功績・名声に背乗りする性根の腐った乞食ジジイw. 密約説だが、日本がソ連に対して賠償責任なんて全く無い。
なんで「賠償」の話になるのか?
陸軍中佐に「関東軍をソ連に引き渡す」なんて権限がある訳もない。
そんな事は陸軍大臣・参謀総長・総理大臣クラスの決める事。
第一、関東軍には将官なんていくらでもいる。なぜ中佐なのか?
敗戦を直前にした日本にして見れば、戦勝国にジュネーブ条約の遵守を
強く願う立場なのに、わざわざ敗戦直前に「国際法を守らなくてもいい」
などと言う訳もない。アホらしい。
スパイ説だが、シベリア抑留者は、現実としてソ連側の言う事を聞くしかなかった。
KGBに「日本に帰ったらソ連のスパイとなれ、そのための訓練をする」と
言われたら、訓練を受けるしかない。
もちろん志位正二(共産党委員長の志位和夫の伯父)のように、
本当にソ連のスパイになった奴もいるけど、大半の人間は帰国したら
「ひどい目に遭ったなー、共産主義者は悪魔だ」と思うだけ 瀬島龍三が北鮮の原爆製造を補助した。
伊藤忠が北鮮にNC旋盤を渡していた。 政府レベルで決まったんだ、シベリア抑留。
だから日本はずーっと文句言わんでしょ。
北方領土みたいに無理矢理とられたんじゃなく、どーぞどーぞってことだったんだから。
瀬島は現場の責任者みたいになって、挙句に売国奴扱いされるけど、言い訳を一切しないのはある面立派。 サンデー毎日5月7・14日合併号
・〔一語一会・私が出会った「昭和の怪物」〕/7
「昭和の参謀」を徹底検証 瀬島龍三はソ連のスパイだったのか?=保阪正康
ttp://mainichibooks.com/sundaymainichi/backnumber/2017/05/07/ サンデー毎日 2017年5月 7日号
・〔一語一会・私が出会った「昭和の怪物」〕/7
「昭和の参謀」を徹底検証 瀬島龍三はソ連のスパイだったのか?=保阪正康
ttp://mainichibooks.com/sundaymainichi/backnumber/2017/05/07/
あえてここでつけ加えておくが、1990年前後にソ連の社会主義体制が崩壊したあとに、ソ連の秘密文書などが一時的に
公開されたことがあった。
私はある月刊誌で連載を続けていたこともあって、その誌の編集部員とともに何度かモスクワに赴き、東洋アカデミー
など一連の文書、記録を保管する組織を訪ねて、史料が公開されているなら閲覧したいと申し出た。そのころ日本の
新聞社、通信社、出版社、テレビ局などは競ってこうした機関を回って史料の発掘に努めていた。…(略)…
このときある公文書館で、研究員から奇妙な質問を受けた。ある商社の名を挙げて、「この企業は新聞社か、テレビ局
か」というのであった。よく史料を調べに来ているとつけ足す。私たちは「瀬島氏にはソ連側に気になる史料があり、
それが公開されるのを恐れて調べさせているのだろう」と噂した。
サンデー毎日 2017年5月21日号
・〔一語一会・私が出会った「昭和の怪物」〕/8 大本営参謀・瀬島龍三が語った「虚偽」の戦争体験=保阪正康
ttp://mainichibooks.com/sundaymainichi/backnumber/2017/05/21/
私は昭和という時代の終わりごろに、瀬島の実像を求めてさまざまな関係者から話を聞いた。いや、私だけでなく、
文藝春秋社の取材記者数人も動員されて取材網は広がっていった。瀬島自身はそのような取材の広がりに驚いたのか、
文藝春秋社の経営陣に、そのような企画は中止するよう圧力をかけたとの話も聞かされた。もとよりそんな圧力に
出版社はひるむことなく、むしろ私は、取材の幅を広げて、自在にその実像を確かめようではないかと励まされた。
…(略)…
瀬島がシベリア収容所から、ソ連の航空機で東京に連れてこられ、ソ連側の検事証人として、東京裁判の市ケ谷法廷に
立ったのは、昭和21年10月18日である。
…(略)…
この東京裁判に出廷したときの心境について、瀬島は私たちの取材の折まで、まったくといっていいほど語っていなかった。
わずかに月刊誌『文藝春秋』(昭和50年12月号)の「大本営の2000日」の中で次のように語っていただけである。
引用しておこう。
「(昭和21年の)9月、ぼくは東京へ一度帰ってくるんです。最初はなんで突然連れて来られたのか全然わからないんです。
…(略)…ジープにのせられて丸の内の三菱仲六号館に連れて行かれ、二、三日して初めて東京裁判の証人として連れて
来られたことがわかりました」
…(略)…しかしこうした言がまったくの虚偽だったのである。…(略)…
ソ連側はシベリア収容所にいる日本陸軍の将兵の中から三人の軍人を選んで東京裁判用の証言の勉強会を行った。
何度もである。そして、ソ連側にとって都合のよい証言とはどういうことかを教えられている。
三人のうちの一人、草場辰巳中将は証人の候補として東京に連れてこられたが、その後、密かに持っていた毒薬を
飲んで自決した。草場はこの間の日記をつけていたのだが、草場の自殺を証明するためにソ連側はアメリカに草場の
日記を提示したらしい。アメリカ側はその日記を英訳していた。私がアメリカの公文書館で発見したのはこの日記で、
公文書館に眠っていたのである。
私はその英訳日記を読み進むうちに、この三人のほか大津敏男樺太庁長官が証人として、他の将校とは別にハバロフスク
の「夏の家」(ソ連の軍人たちの別荘のようだが)に集められたとある。7月10日には、
「取り調べ将校のコトビコフ大佐、ラーゲリの副指揮官で通訳のトゥイロフ、大津、松村、瀬島、他の将校一名、夕食を共に
する。国際軍事裁判に証人として出廷することについて、親しく話し合う」
とある。瀬島の戦後の証言は、まったくの嘘であった。 サンデー毎日 2017年5月28日号
・〔一語一会・私が出会った「昭和の怪物」〕/9 敗戦体験を改竄した瀬島龍三の「自己保身」=保阪正康
ttp://mainichibooks.com/sundaymainichi/backnumber/2017/05/28/
1993年9月に全国抑留者補償協議会(会長は斎藤六郎)から、『シベリア抑留史』という書が刊行された。
…(略)…
『シベリア抑留史』編集のプロセスでも、私は協力した。その折に斎藤から、この書の編集の内幕を聞かされた。瀬島から、
「事前に原稿を読みたい」と申し出を受けた(この点は瀬島は否定)。つまるところ訳文は、斎藤のもとから瀬島のところに
届けられた。それから一カ月ほどして、瀬島が恣意的に手を入れた箇所が送られてきた。
この手を入れた部分のゲラをのちに、私とNは見せられた。私たちは愕然とした。
1945年8月19日にソ連領ジャリコーワに呼びだされた秦彦三郎総参謀長と瀬島、それに通訳の宮川船夫に対して、ソ連の
極東軍司令官のワシレフスキー元帥から命令が示達される。その文書がソ連側に存在するわけだが、その訳文を瀬島は
一方的に削ったり、加筆しているのである。
たとえば加筆している例として、日本側は「日ソ両軍は速やかに停戦した上」とか「更に軍将兵、一般日本人の本国送還」を
要求したといった語を加えている。ところがこの二点はソ連側の史料にはない。いや瀬島はそのためにこれは「停戦会談」
だったと強調するのだが、ソ連側は一方的に示達しているというのが真相であり、停戦会談などとはとうてい言えないし、
ポツダム宣言受諾を発表した以上、日本は「停戦会談」どころか、一方的にソ連側に呼び出されて命令を伝えられたのである。
…(略)…
さらに瀬島は、次のような一文を書の中に加筆していた。
訳文は「関東軍の一参謀にすぎない瀬島龍三に、この世界史的ドラマの主役を押し付けることは無理なことである」とあり、
シベリア抑留と北海道占領とはソ連とアメリカのドラマであり、瀬島がいかにも自分がシベリア抑留を阻止しようとしたという
如きはとうてい無理との指摘である。
この部分を、瀬島は「如何に有能とは言え関東軍の一参謀にすぎない……」との形容句をつけ加えている。さらに瀬島が、
シベリア収容所でソ連側に提出した手記もそのまま紹介されているが、そこでは1930年代にソ連との戦いに備えての
起草文書を幾つも作成した、その内容が語られている。たとえばウラジオストック作戦計画(「軍事行動開始後すぐ、
朝鮮半島、日本海および北サハリンにいる船団を動員する。そのほかウラジオ艦隊を潜水艦を用いて壊滅させ、上陸攻撃
を行うため〈中略〉航空機を動員する」など)のような作戦計画が詳細に紹介されているにもかかわらず、すべて削除するよう
求めている。シベリア収容所での手記では、このような詳細な計画は語っていないとしておこうとの考えを持っていたのである。 >>1
瀬島龍三はソ連スパイ説っていうか
日ソ重鎮の話から説じゃなくてガチじゃんwww
種村佐孝系 瀬島龍三(1911年12月9日 - 2007年9月4日)
今日で亡くなって丁度10年だなクソ青牛 『スターリン秘史 巨悪の成立と展開』第5巻を語る(下)
対日戦終結の過程で無数の国民的悲劇が
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-02-09/2016020909_01_0.html
(写真)「ソ連軍に対する瀬島参謀起案陳情書」(『シベリアの挽歌』から)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-02-09/2016020909_01_0d.jpg
これについては、全国捕虜抑留者協会の元会長の斎藤六郎さん(故人)が徹底的に調べて『シベリアの挽歌(ばんか)』に
書いています。敗戦直後の関東軍とソ連側との交渉記録をソ連で見つけたんです。
明らかになったのは、大本営から派遣された参謀の朝枝繁春がソ連軍と面会して、「現地にいる日本人はソ連の庇護(ひご)
のもと満州・朝鮮に土着させて生活させてほしい」と要請したことです。
これは、戦争指導部がソ連に講和の仲介を頼もうとしたときに決めた、「現地土着」「賠償として労力の提供にも同意する」
という方針を受けたものです。おそらくスターリンは朝枝の要請を知り、ポツダム宣言を守る必要はないと考えて指令を出し
直したのでしょう。
その後さらに、瀬島龍三という大本営の参謀が“日本の軍人を預かって貴軍隊のために働かせてほしい”という陳情書を
ソ連に出しているんです。これがそのコピー(写真)です。 2016 とくほう・特報 シリーズ 未完の戦後補償
シベリア抑留とは何だったのか
軍に裏切られ 異国に眠る
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-08-24/2016082403_01_0.html
白井氏は「日本の参謀本部が、日本の捕虜をソ連軍の経営にお使いくださいという申し出をしていた。
その関東軍文書を戦後、斎藤六郎氏がソ連の公文書館から発見し、当時大きく報道された」といいます。
その一つ、「ソ連軍に対する瀬島(龍三)参謀起案陳情書」では、日本の兵士が帰還するまでは
「極力貴軍の経営に協力する如(ごと)く御使い願いたいと思います」と書かれています。
「朝枝(繁春大本営)参謀報告書」は今後の処置として「在留邦人および武装解除後の軍人はソ連の
庇護(ひご)下に満鮮に土着せしめて生活を営むごとくソ連側に依頼す」「土着するものは日本国籍を
離るるも支障なきものとす」と書かれています。
大本営と関東軍の対ソ交渉が「捕虜50万」のシベリア移送への転換点だったのです。
白井氏はさらに背景となった近衛文麿元首相作成のソ連に対する「和平交渉の要綱」(45年7月)を
あげます。天皇制の「国体護持」を絶対条件とするかわりに、ソ連に領土の一部を引き渡すこと、
「満州」の軍人・軍属を「兵力賠償の一部として労働」の提供をする内容でした。要綱の考え方が
対ソ交渉の基本として終戦直後に生きていたことを関東軍文書が示しています。 近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
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念のためにのせておきます
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OR6 >>20
日本の証言 瀬島龍三
https://www.youtube.com/watch?v=bX4pDNVIjsM
平成日本のよふけ 元伊藤忠商事会長 瀬島龍三 1
https://www.youtube.com/watch?v=lqeke4EUHGg&list=PL40MpH5enpLzcqBBerRNjb7jOjh-tOEe-
上側の動画(9:47〜)で、シベリア抑留中、ラジオを入手して情報が得られるようになったと瀬島が
話しているが、ゴルバチョフの偽証からヒントを得たんじゃないか?
口からでまかせで生きてきた男だからな。
ソ連でのクーデター未遂の頃、ゴルバチョフが監禁されていたというのは嘘で、別荘のプールで
悠々泳いだりしていたらしい。
ミハイル・ゴルバチョフ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%95
ゴルバチョフが軟禁された際、当然ながら外部との連絡は絶たれ、いつ「用済み」として殺されるか分からない
状況であったが、偶然別荘にあった日本製のラジオがニュースの電波を拾うことができたため、モスクワで
エリツィンや市民、軍部がクーデター首謀者側に抵抗していることを知り、救出される希望を捨てなかったという。 「昭和の怪物七つの謎」を語り尽くす−特別対談・保阪正康×半藤一利
週刊現代(2018-09-01), 頁:144
ttp://wgen.kodansha.ne.jp/archives/53099/
https://www.zasshi.jp/pc/action.php?qmode=5&qword=%E9%80%B1%E5%88%8A%E7%8F%BE%E4%BB%A3&qosdate=2018-08-17&qpage=5
――ところで、謎を秘めた「昭和の怪物」と言えば、筆頭に挙がるのが瀬島龍三です。大本営作戦参謀として暗躍し、
2007年に95歳で死去するまで、「ソ連スパイ説」がついて回りました。
半藤 私は4〜5時間話を聞きました。瀬島は昭和19年('44年)12月、単独でモスクワに出張し、その報告がもとに
なって、鈴木貫太郎内閣はソ連を仲介とする和平に傾いたわけです。そうしたことを突っ込んで聞いた。
すると、私が核心に触れるたびに、タバコを持つ手が震えるんですね。しまいにはカレーライスを食べながら、
スプーンを落としてしまった。
「秘密を墓場まで持っていくつもりですか」と聞いたら、「まあ、そんなものだな」と答えました。 半藤って十五年戦争とか頭の悪い言葉を平気で使える人だから……
半藤「小学生レベルの計算もできないだとー。歴史なんてもんは気分だ!勢いだ!
テキトーでいいんだよテキトーで。嘘も百回つけば本当になる(キリッ)
子供じゃないんだから分かれよな。日本は中国様と十五年間戦争をしていた。
これが唯一絶対の正しい歴史だ。俺達(媚中派)がそう決めた。」という思想信条の人だよね。 >>115
日本赤化を夢見た露探瀬島はソ連軍を招き寄せるためにロスケとつるんで日本の降伏を遅らせたんだよ。>>21 >>114
そのために広島・長崎・満州・シベリアなどで少なくとも50万人以上の日本人が殺された。 最新の研究成果と本人がお亡くなりになったこともあり
エリート軍官僚からソ連のスパイへと華麗なる転身が公然と語られる
ようになったようですね。 軍のエリート官僚が日本人同胞70万人を世界でもっとも凶悪な
犯罪国家であったソヴィエト連邦に売り渡していたとは!
戦争末期には軍のエリート官僚は特攻志願の若者を特攻機ではなく
まともな兵器とはいえないような潜水服で潜って竹槍につけた爆弾で
敵を突く伏龍などという作戦に従事させて、戦う以前の訓練だけで
多くの若者の命を失わせた。
また同じく参謀本部でインパール作戦など多くの愚作戦で日本人の
命を無駄にさせた辻正信も終戦を迎えても自決せずに、変装して
こそこそ逃げ続けて日本に帰ってきた。
軍官僚の親玉的存在である東条英機も他の将軍達が責任をとり
割腹自決するなか、戦犯指定されるまで自決せずに、しかも
戦犯指定されるやいなやピストル自殺未遂というおそまつな対応をした。 <結論>
なにもかも このバカが悪いw
自らの野望で日中戦争を勃発させたのは、このバカ↓
.
_ ,. -‐ '' ´ :::::::::', 中国を空爆せよ!! r::- _
:::::::::'、 鬼畜蒋介石に 正義の鉄拳を!!! /:::::::: ´` '
::::::::':、 暴支膺懲!!! ,.:':::::::
::::::::ヽ / ̄\ /:::::::
::::::::丶 | | ,.::'::::::::::
::::/ ,:、 \_/ _,..:'::::::::::
/ ,..':::::::> _|__ ... く::::::::::
/ ,.:::::::: /\ , , /\ `、 \
/ ,.∩ / <●> <●>\.`、 \∩
/ , ' l ヽ∩ / (__人__) \ ∩ノ j
/ , ヽ ノ | |::::::| | ヽ ノ \
/ , ' | ヽ \ ` ⌒´ / / j \
/ , ' \  ̄  ̄ / `、 \
./ , ' 山本五十六
軍縮条約からの脱退に成功した山本五十六の次の一手は
中国との戦争勃発、泥沼化
そのドサクサに乗じて国民の戦意を高揚させ
マルサン計画の予算の議会通過。
これで陸軍の北進論を阻止し、アメリカに先制攻撃で勝てるw
世界中をを無理やり全面戦争に引きずり込んだ
なにもかも、このバカが悪いw 白馬青牛の間違うた広島弁が発覚したで!
「広島人なら使え」と、人に間違った使い方の言葉を使えと白馬語押し付けしとんじゃけぇ笑えるのう。 ちなみに武士道精神も無い
卑怯な手段で勝とうとするからな どんな手を使うてでも勝つんが戦闘じゃにの精神じゃけぇのう。
自分個人的な特殊な西日本人像、広島人像をあたかもそれが一般だとデタラメ垂れ流して語るけぇ他の広島人からも嫌われとるし
日本語もおかしいけぇ、日本語と朝鮮語の混ぜ言葉で育ったんかもしれんのう。
大体、還暦の日本人がハングルに堪能なんが異様じゃし。 ここの人は白馬青牛がクマモンやキティちゃん好きなことやリカちゃん人形に舌入れてセクハラしたこと知ってるの? 彼はソ連のスパイだったのか?「昭和の怪物」瀬島龍三の正体
「大本営作戦参謀」の虚実
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65321 サンデー毎日 2019年7月28日号
・〔対立軸の昭和史〕「陸軍と海軍」編/5 兵士たちの証言 幻の台湾沖航空戦=保阪正康
ttp://mainichibooks.com/sundaymainichi/backnumber/2019/07/28/
ttps://mainichi.jp/sunday/articles/20190714/org/00m/070/011000d
電報を握りつぶしたのは瀬島龍三か?
この台湾沖航空戦の誇大な戦果を基に、大本営陸軍部の作戦方針が変わり、ルソン決戦からレイテ決戦にと変更になった。
比島防衛に当たっていた第14方面軍司令官の山下奉文や参謀長の武藤章などはこれに反対したが、それは堀の見解を信頼
したからだった。この頃は、なぜ大本営の作戦参謀たちが海軍の戦果を信用し、そしてレイテ決戦にと変えたのか理由はわから
なかった。
戦後になって、作戦参謀だった瀬島龍三が堀に、実はあの電報を握り潰したのは自分だったと告白している(もっともこの点は
瀬島は否定したが、諸般の事情を検証していくと瀬島の告白は当たっているというのが私の見解である)。
陸海軍で作戦の打ち合わせはなかった
台湾沖航空戦の戦果誤報のツケはレイテ決戦を選ぶことによって、多くの実害を生んでいる。比島戦の戦死者はおよそ50万人
とも言われるが、これ自体決戦の変更に伴う犠牲とも言われている。
作戦参謀は情報参謀の上げてくる情報を基本的には信用しない。前述の有末精三に、この電報握り潰し事件のようなケースは
あり得るのかと質したことがある。有末の答えは極めてあっさりしていて、私は驚かされた。
「堀君の電報を作戦参謀が握り潰すのはあり得ることだ。作戦参謀というのは、自分たちに都合の良い情報しか信用しませんよ。
これは日本だけではないと思う。ドイツやアメリカだってそうだからね」
と言った後、レイテ決戦にと実に安易に変えたのは作戦課長の服部卓四郎らの作戦参謀だったとも名指ししている。 ソ連の、スパイ育成を受けたが、
瀬島は反共産へと舵を切る!
戦争責任は全て部下 9名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/08(日) 19:47:08.57
317白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2018/02/02(金) 01:02:01.46
>>314
さしくりよんは、おどれら九州人の歴史修正主義の嘘こき、ホラッチョ、隠蔽体質ど。
>>315
日本軍の強姦世界一も残念ながら事実じゃし、日本軍の中でも強姦部隊として
名高い九州兵が世界一云うことも事実じゃし。九州人憎し? 自虐、被害感情丸出しも
九州人の特徴よのう(笑)。玉砕負け戦を自慢する負け犬根性と云い、強姦殺人九州兵団
じゃったことも隠そうと姑息過ぎるんよ。
逃げ牛くんは強姦世界一の日本軍の事実は、どの史書にも書いてないと
分かったから逃げてるんだろうな(笑) >>129‐131
志位和夫の伯父の志位正二が、卑怯にも日本を売ってソ連のスパイになった
から、他の抑留された高級参謀も「国を売ったに違いない!」と日本共産党が
卑怯にもプロパガンダをやっている。
瀬島は11年も抑留されてたんだぜ。志位正二のように本物のスパイ
なら3年で帰国して、GHQや外務省など国家の中枢に勤務する。
瀬島は帰国後も、防衛庁に復帰するように散々元同僚達から勧められながら、
断り続けて畑違いの商社勤務を行うことになる。
共産党のクズどもは「志位正二が売国してソ連のスパイになったから
同じ立場の瀬島も転んだに違いない!」と卑怯にも決めつけているだけ。
卑怯者の志位一族みたいな根性の腐りきった人間のクズばかりじゃねぇんだよ、
売国奴め(ペッ
■志位正二
泰緬鉄道建設で危険な雨季の突貫工事を命じて数十万人を殺した
【ビルマの殺人鬼】こと志位正人陸軍少将の長男で関東軍隷下の第3方面軍
情報参謀に最終ランクは陸軍少佐。日本共産党委員長の志位和夫の伯父。
終戦後シベリア抑留にあい、1948年4月にソ連諜報員となる誓約を行い[1]、
モンゴルのウランバートルにあった「第7006俘虜収容所」において諜報員、
共産主義革命のための特殊工作員としての訓練を受ける。1948年11月シベリア
より復員[1]。しかし帰国後の志位は1949年2月からGHQ参謀第2部(G2)の地理
課に勤め、抑留帰還者の尋問調書からソ連や中国の地誌を作成していた[3]。
1950年6月、GHQの取調べを受ける[1]。1951年10月以降G2在職のままソ連国家
保安委員会(KGB)にエージェントとして雇われる[3]。1953年11月、外務省
アジア局調査員となる[1]が、「二重スパイ」の活動は継続した[3]。
ユーリー・ラストヴォロフがアメリカに亡命した後の1954年2月5日、警視庁
公安部に自首し、自身がソ連の工作員(スパイ)であったことを認めた[4]。
しかし罪には問われず、その後、海外石油開発株式会社常務となる。1973年
3月31日シベリア上空を飛行中の日本航空のダグラス DC-8型機の機内で死去
した[1]。 >>134
志位少将は物資輸送の任務だっけ?
無断撤退した佐藤師団長以下2名を叱責、
佐藤師団長は精神病扱いされて
汚名着せられたで良い?
ムダグチの保身のせい。 日本軍がアメリカの空母を沈めたはずがない…大敗北・レイテ決戦前の「握りつぶされた報告」
https://bunshun.jp/articles/-/39302
「瀬島龍三の言うことは、俺は信用しない」
戸高 それもこれも、情報を受取る側である作戦系の人が「聞きたくない」という情報を握りつぶして
いたからです。せっかくの情報が何の意味もなくなる。
瀬島龍三は戦後の「活躍」、実業界での仕事が評価されています。山崎豊子の小説『不毛地帯』の
主人公は瀬島がモデルとされています。しかし、海軍では、瀬島龍三の名前を聞いただけで
「あいつは嘘つきだから」と即座に反応するような人もかなりいました。「瀬島龍三の言うことは、
俺は信用しない」と、直接言う人がいたのです。 817 名前:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2020/08/18(火) 02:12:04.08
>>812
平成世代のもんは、言葉が軽いのう。人様に「卑怯」云うたら、命賭して闘う覚悟が
必要なんど。
>>813
まあ、五百万以上は普通に行くじゃろう一千万以上かも知れんし。熊本師団に
久留米師団合わせるとのう。占拠期間も含めるとのう。
牛くんによる強姦世界一日本の誕生である ここは怖くて来れないが、
他スレで瀬島を語る弱虫牛ちゃん >>53
実はアメリカが軍事支援したソ連の北方4島占領
米ソの極秘作戦プロジェクト・フラはなぜ、長い間知られなかったのか?
高橋 浩祐 国際ジャーナリスト
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2018121100006.html バカ
ソ連参戦の密約を小野寺からの電報で知ると
返送してモスクワへ行き 日ソ同盟で 米国と闘うと
バカ丸出しの工作をやって 当然相手にされず
日本に帰れず 満州でうろうろしていた 瀬島龍三とは何者? A
http://akm48.xyz/?p=9033
茂木誠のインタビューから。
茂木誠は予備校の世界史講師であるが、最近多くの本を出版している。
大東亜戦争の作戦立案を主に担当した大本営作戦課っていうところがありましてそこにですね、
瀬島龍三って人がいたんですよ。
この人は戦後逆に有名になった人で伊藤忠商事の会長になった人です。
ガダルカナル以降ですね沖縄戦まで全部の作成にかかわっています。
で、ことごとく失敗しているんですよ。
ことごとく失敗するのになぜか罷免もされずにですね、その大本営作戦課に居座り続けるんですよ。
そしてあの、いよいよもう日本が負けると分かった頃に彼はですね、忽然と東京を離れてモスクワに行くんですよ。
・・・(略)・・・
日本陸軍のトップがもうソ連とツーカーになっていた話があったんですよ。
そういうふうな資料いっぱいありますよ。
瀬島龍三とは何者? B
http://akm48.xyz/?p=9043
茂木誠のインタビュー記事を続ける。
・・・(略)・・・
あの昭和恐慌ってのがありまして、で本当にひどかったんですよ。
不景気でもう自殺者もいっぱいでて、娘の身売りとかあって、でつまり、もうこの日本においては
資本主義はもう続かないねって、で当時ソビエトは5カ年計画とかゔぃゔぃ言ってたんで、あれが
理想じゃないかと、強力な政府をつくって統制経済で5カ年計画やれば失業はなくなり、恐慌から
脱し人々は幸せに暮らせると言うふうな、その社会主義に憧れる人たちが沢山いたんですよ。
官僚から政治家から軍人から文化人から。で当時は治安維持法があったから共産党の活動はできないんですよ。
だけどほとんど言っていることは共産党と同じようなことを言っているような人がいっぱいいて、
赤い将校たちがいっぱいいたんですよ。すでに。
・・・(略)・・・
じゃあ、あの状況の中でどうすれば日本に社会主義を打ち立てていくかというと、残った道は一つじゃないですか。
それはソ連に降伏することですよ。
ソ連に降伏してソ連軍に東京まで進駐してもらってですね、ソ連型社会主義をやって貰ったらいいんです。
だから多分、瀬島はそういう話をしにモスクワに行ったと僕は思っています。
もう一個証拠があります。あのソ連の対日参戦という話です。
日ソ中立条約を破って参戦しますね。
それであの話もですね一応、教科書的に言うと、あれは、ヤルタ会談秘密協定ってね、あの〜、全く発表され
なかったから日本が知らなかったと、で、ずっ〜と日本はですね、最後までソ連を仲介に頼んで和平交渉を
やっていて突然殴られたっていうことになってますよね。
でもこれもですね、
そのヤルタ会談の対日参戦っていう情報をですね、手に入れた日本陸軍の情報部員がいたんですよ。
これは小野寺まことさんという人で、まことは信用の信て書くんですよ。
・・・(略)・・・
「えええっ!これはまずい。」って小野寺さんは東京の大本営に暗号で打電したんですよ。
ってことは東京の大本営、軍のトップは知っていたんですよ。
ソ連の参戦を。
ところが、一切発表せずね、政府にも伝えず、握りつぶしたんですよこの情報を。
本来ならばソ連が攻めてくると分かったんだったらね、すぐに政府と協議してですね、でもっと満州に軍隊を
まわすんじゃないですか。
何もしてないんですよ。
つまりこれはですね、攻め込んで欲しかったとしか考えられないんですよ。
ソ連の日本占領を容易にするために大本営は動いたんですよ。
その大本営を仕切っていたのが瀬島なんですよ。
これは鈴木(貫太郎)首相もですね、東郷(茂徳)外相も全く知らなかった。
で東郷は戦後になって小野寺からそれ聞いてですね、「えっ!」ってびっくりしてるんですよ。
闇が深すぎますよこの辺は。 瀬島龍三とは何者?(届かない電報)K
http://akm48.xyz/?p=9265
そのエリートの瀬島が作戦課作戦班でどのような態度を取っていたか。
朝枝繁春(陸士45・陸大52)の回想。
杉田大佐が惨憺たるインパール作戦の現状を視察し、作戦軍に撤退させるべき意見を、電報で具申した。
その後、帰国して参謀本部の作戦室に足を踏み入れるや、激昂した瀬島は、杉田大佐に向かって、
「この馬鹿野郎!なんちゅうことを言うんだ」と罵声を張り上げるや否や、杉田さんに矢立てを投げつけるんだ。
私は彼と机を並べていたから、その現場をつぶさに見ていたが、なんとも傍若無人のこの男に全身怒りが燃えさ
かった記憶がいまも鮮明に蘇ってくる。
これが「奥の院」の参謀の実態であって、参謀でもいわゆるヒラ参謀とは本質的に異なっていた。
権力の前には階級も先輩もないことを如実に物語っている。
因みに杉田大佐は、士官学校、陸大とも瀬島の7期も先輩である。
杉田大佐は「軍刀組」では無かったのだろう。
作戦課作戦班でもなかったのだろう。
参謀本部の作戦室に足を踏み入れただけであろう。
朝枝繁春は「軍刀組」(陸大3番)で、作戦課作戦班で瀬島と机を並べていた。
この朝枝繁春も志位正二と同じく「誓約引揚者」で警視庁に自首している。
瀬島は作戦課作戦班の責任者であった。
作戦にかかわる電報や情報の価値判断を下し、それをどのように生かすかを決める権限は作戦班にあったから、
瀬島が独断で堀の電報を握りつぶすことなど雑作もないことだった。
瀬島龍三とは何者?(天皇への電報)L
http://akm48.xyz/?p=9256
天皇に拝謁しルーズベルトの親書を読み上げる(午前2時半)
後に東条英機は、親書があと1、2日早く着いていたなら、
戦争ははじまらなかっただろうと述べている
これは2007年11月24日の産経新聞記事である。
「瀬島少佐と配達遅らせた」 日米開戦前
重要なので、全文を載せる。
瀬島龍三とは何者?(東条英機)N
http://akm48.xyz/?p=9140
野口健「レイテにマッカーサーが上陸した日」の記事から
先日「転進・瀬島龍三の遺言」を読んでいて驚いた事があった。1942年6月のミッドウェー海戦の敗北によって、
連合艦隊の機動部隊(空母4隻などが沈没)が壊滅的にやられ、これによって日本は南方の制空・制海権の大半を
失ったのだ。これだけ致命的な大損失を被りながら、なんと東条英機首相がその事実を知ったのが2年後の1944年
6月のサイパン陥落の時であったという。サイパン陥落の知らせに真っ青になった東条英機首相は「あの真珠湾攻撃で
成功させた海軍の誇る機動部隊はどうした」と尋ねている。そして東条内閣書記官長(現在の官房長官)である星野直樹氏が
「ミッドウェーで壊滅してとうの昔にありません」と伝えると東条氏は驚いて「そうとわかっていたなら、フィリピンに
こだわったり、あるいはインパール作戦などやらなかったのだが」と発言したとのこと。にわかに信じがたい情報だが
瀬島隆三氏もこの事実を認めている。 瀬島龍三とは何者?(司馬遼太郎)P
http://akm48.xyz/?p=9377
松本清張は瀬島は、ドイツと日本の軍人をソ連のスパイとして養成する「第7006俘虜収容所」にいたと書いている。
ソ連に降伏し武装解除された日本やドイツの将兵がシベリアに抑留されているころ、第7006捕虜収容所は、
「俘虜中もっとも共産主義に対して志操堅固なものを抜擢し、日独両国の共産革命の準備工作に関する機密要員を
訓練する特殊学校」だったとし、「俘虜であってもソ連市民と同待遇を与えられた」この学校の収容者に11人の
日本人がおり、氏名確認できる者のなかに志位や朝枝がいた。
瀬島龍三とは何者?(奥の院)Q
http://akm48.xyz/?p=9405
「帝国陸軍の本質」(三根生久大著)を参考に勝手に編集。
旧日本軍の本質と太平洋戦争の敗因には、当時の参謀本部作戦室作戦課に部外者はもちろん平の大本営参謀でも近づけない
「奥の院」と呼ばれるグループの存在とその暴走が深く関わっていたことが力説されている。
この事実はあまり知られず、語られることがないのは、ほとんどのメンバーが亡くなってしまっていることと、
「当時のすべてを知る『奥の院』の実力者」で多くを語れるはずの瀬島龍三(当時)がなぜか口を堅く閉ざしている」ことにある。
瀬島が語らない以上、ともに仕事をし彼をよく知る二人の人物(浅枝繁春、堀栄三)から「謎の真相と帝国陸軍の本質」が
何であるのかを語ってもらおうと、本書ではそれらの証言を克明に収録している。それらの証言から浮かび上がる帝国陸軍の本質、
とりわけ参謀本部・大本営の本質とは何か。
・・・(略)・・・
第2は、参謀総長といえどもその言うなりにさせられ、陸軍省人事局をすらコントロールすることができた一握りの作戦参謀による
「鉄の密室」グループの存在。
満州国皇帝と政府高官のソ連への抑留
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/81/page_1319.pdf
関東軍将官、満州国皇帝と政府高官のソ連への抑留(1945年)
1945年のソ日戦争時にソ連軍の捕虜となった関東軍将官は191名をかぞえた。将官以
外に満州国皇帝ヘンリー溥儀とその政府高官も捕虜となった。山田乙三関東車総司令官、
秦彦三郎総参謀長をはじめ関東軍司令部のほとんど全員が捕虜となった。捕虜となった
将官の内訳は、日本人164名、中国人24名、モンゴル人3名、朝鮮人1名であった。この数
字は、ロシアの著者達によって最近まで遺漏なきものと思われてきたが、完全とは言えな
い。満州にあった日本の特務機関や、さまざまな日本の機関に勤めていた将官待遇の多
数の日本人がソ連に抑留された。
八月十九日の密約説 古沢襄
http://kajikablog.jugem.jp/?eid=660765
志位は警視庁の取り調べに対して「米国のデモクラシーというものは、他国民を犠牲にして自国の安全と平和、繁栄を
築きあげる利己的なものである。日本の平和と独立のためには、ソ連と協力してソ連・中国と平和関係を結び、米国を
日本から追い出すことしかない」と供述している。ソ連から帰国した元高級将校には、志位と同じ考え方をするソ連派が
かなりいる。
その一方で反動の折り紙をつけられた草地氏のような元高級将校も数多くいた。瀬島氏はハバロフスクの第十六収容所
の21分所に収容されたが、約六百人の団長になって、ソ連当局との交渉役であった。「ある程度ソ連の言うことを聞いて、
健康な身体で帰国しよう」と説得していたとの証言がある。
ロシア国防省中央公文書館に一枚の軍事機密暗号電報が保存されてある。発信時は敗戦十二日後の八月二十七日。
関東軍から大本営参謀次長・河辺虎四郎宛のもので「原子爆弾保管の件、長崎ヨリ東京ニ持帰リタル不発原子爆弾ヲ
速ヤカニソ連大使館内ニ搬入保管シオカレタシ」。起案責任者は瀬島龍三となっている。
長崎に落とされた原爆の不発弾が存在したのか、今もって謎である。明らかなのは瀬島電報がロシア国防省中央公文書館
に保存されていることである。これについてソ連軍の元通訳のチタレンコが手記を残している。「瀬島氏の名前は正確には
覚えていない。だが彼は明らかにソ連軍司令部に日本から不発の原子爆弾を受け取るよう提案していた」と記していた。
彼は言ったという。「日本を占領するのは米国であろう。米国が原爆を独占したら、日本は植民地として二度と立ち上がれ
ない。原爆がソ連にもあれば、日本は近い将来、大国間でしかるべき地位を占めることができる」と。この「彼」は瀬島氏では
なかった。後に大本営参謀だった朝枝繁春中佐だったと分かった。電文は関東軍作戦主任の瀬島参謀に頼んで打電して
貰っていた。 元大本営参謀・瀬島龍三の太平洋戦争
(『元大本営参謀の太平洋戦争』インタビュー瀬島龍三、東京新聞出版局、1995年刊)
http://ktymtskz.my.coocan.jp/cabinet/sejima0.htm <<そ連参戦の密約を小野寺からの電報で知ると
<<変装してモスクワへ行き 日ソ同盟で 米国と闘うと
<<バカ丸出しの工作をやって 当然相手にされず
<<日本に帰れず 満州でうろうろしていた
✕満州でうろうろ
〇工作が上手く行きそうだと ウソの報告をしたので
日本政府は喜んでソ連仲介工作を公言した >>117
沖縄戦をカウントしてないんじゃないか? >>53
どんなに少なく計算しても、70万人以上無駄に死んでいる。
他にも北朝鮮からの引き揚げ者は3万5千人死亡しているし、
放射能で遅れて死亡した人や、死ななくても顔面ケロイド状態で
人生を棒に振った被爆者も多い。 瀬島が単独でモスクワ主張をもとにソ連講和仲介という話は違うと思う
小野寺情報でドイツ敗北三か月後にソ連が満州侵攻約束を知り
それを秘密にして 瀬島は変装して訪露 日ソ同盟して対米英しようと
バカみたいな説得を試み 当然まったく相手にされなかったが
それを本国に報告できず いかにも実現しそうにウソの報告をして
東京に帰らず満州にとどまって 逃げ遅れて捕まった
出来もしないこと アホなことをいかにも出来そうにウソの情報を
あげて 上司を騙すのが参謀のやりかた
最後には嘘が全部バレたが 何の責任も取らず平気な顔 瀬島は 上司に ウソを言い続けたから
陸軍大臣も 参謀総長も 首相も 天皇も
日本が負けてる 餓死続出 の実情を知らなかった
そこそこ五分に闘ってると思わされていた
悪い報告を絶対上げないので 上司に好かれていた 戦後の日本を担った官僚あたりは瀬島のことかなりバカにしてるな 週刊新潮 38(41)(1929);1993・10・28
エリツィンの衷悼でまた火がついた「シベリア」と「瀬島龍三」/p138~142
https://dl.ndl.go.jp/pid/3378799/1/71
https://i.imgur.com/P30Zq0y.jpg
https://i.imgur.com/8dLJ1Ot.jpg
https://i.imgur.com/IRrh4AD.jpg
https://i.imgur.com/4QV7qNA.jpg
「自殺しかねない」 史料
全抑協の斎藤六郎会長は、この二十年間で百回以上はモスクワへ行ったという事情通である。
「シベリア抑留の責任は、何といってもスターリンです。が、それと別に、私も最初は瀬島さんの密約を
考えましたが、八月十九日に限ってはその種の発言はしていません」
瀬島氏も、
「シベリア抑留問題の原点は昭和二十年八月二十三日に、スターリンがワスレフスキー元帥に出した
命令書であります。密約などありません」
と答えるのだが、斎藤氏はこんな事をポツリといった。
「東京裁判出廷のいきさつで、これを発表したら瀬島さんが自殺するかもしれないものがありましてね。
ロシア側の調書ですが、これは発表するつもりはありません」
ひょっとして〝国策参謀〟の仮面がはがされる史料なのだろうか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています