アジアの解放といい始めたのは誰か?
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どう考えてもアジアの一部地域のその中の一部の国の建国に
日本の一部の人たちが協力した程度にすぎないのに
アジアの解放と大げさで誇張させられた表現が用いられるのはなぜか
そしてアジアの解放だと言い始めたのはだれか
大げさで誇張された言い方にすぎないのに そんな昔に地球の反対側から来てた支配してたんだなあ、
その頃こっちは台湾にすら手を出せなかったのに >>177
そう アジアの解放は日本の敗戦とセットになって実現した。
日本人にとってもカルト基地外政府が自爆して解放になった。 >>185 かりに日本がオランダに江戸と大坂だけ支配されていたとすると日本の首根っこをつかまれていたのと同じことだろ。
インドネシアも同じことだ。 >>188
江戸と大阪が支配されたら別の都市が日本の中心的な都市になるだけだろ 1948年以前にインドネシアって国自体が存在しないんだが 結局、アジアの解放を言い出したのは
だれだかわからないままになっちゃったね
何時頃からアジアの解放と言う用語が使われ始めたのだろうか
戦前?戦後? >>193 負け戦が見えてきた昭和18年ころだと思う。 当時は大東亜共栄圏とか八紘一宇とか言われてたみたいだが
アジアの解放なんて標語はあったのか?
やはり戦後になって言われた言葉じゃねーか 開戦の詔なんか読むと「米英が日本と交戦状態にある国民党政権を支援しているから戦争する」って内容だった >>166 >>それが中国のみならずアジアのほとんどの選択。
・・・そのシナや朝鮮は人民解放軍に支配されるのが幸せだという洗脳教育をしないと持たないようだがな。
アジアの解放ではないのに
なぜアジアの解放だなんて言われているのだろう とくとみそほうでいいだろもうwwwwwwwwwwwwwww アジアの一部地域のその一部の国の独立に
日本人の一部の人たちが協力した、と言うのが妥当な表現だが
アジアの解放と言うと全アジアが日本人の力で解放されたかのような誤解を与える。
大体、アジアの解放と言う言い方は不適切で誤解を招きやすい乱暴な表現だ。
だれが言い出したのかは知らないが
適切な表現ではない。事実を大げさにして伝えている 新幹線で隣のおっさんが酒飲みながら唐揚げとスルメ食ってた時は凄い臭いがした。
まあ車内で売ってるから仕方ないけど。
俺は博多明太子弁当食べながらビール飲んだ。
明太子落としたけど悔しいから拭いて食べたら凄まじい顔でにらまれた。 >>201 シナが「広範なアジア人民」が日本軍国主義に反対している、というときのアジアの用法と同じだな。
しかし、お前たちばかだなあ!!日本がアジアを開放したに決まっているじゃないか。そんな簡単なこともわからないのか。ちゃんとした歴史を勉強しろよ。 厳密に言うとアジアの解放にはならん。
日本軍が米英仏蘭を徹底してぶちのめして
独立を与え、独立したと言うのなら解放になるだろうが
史実では日本は敗戦している。日本は独立させることができず
つまり解放は実現されなかったと言うことなのだ。
アジアの解放なんて言葉は日本人を除いたアジア人をバカにしたかのような言い方だ。
結局、日本が独立を与えられずに敗戦したから
日本人を除いたアジア人は自らの闘争の下で独立を獲得するしかなかったのだ。
だから終戦後、各地で独立戦争が起こった。その上で独立が達成された。
結局のところ独立を与えることもできず、解放なんて言葉は使えないのだ。
日本人を除いたほかのアジア人の努力を無視して
アジアの解放なんて言ったら明らかにアジア人を馬鹿にした言い方だな。
アジア人がなにもしなかったみたいな言い方だからな。 アジアの解放なんて言い方は妥当じゃない。
一部の日本人が一部のアジア諸国の独立に協力した、程度。
日本は米英仏蘭と戦って、彼らに植民地の独立を認めさせることはできなかった。
史実では敗戦して植民地の独立を認めさせる条約を締結させることもできなかったのだ。
そうであるのに解放なんて語は成立しない。
解放させることはできず、
日本人を除いたアジア人の努力の下で独立を達成させるしか解放の道はなかったのだ。
アジアの解放だなんて語を使うのは歴史を学んだことも無い奴が使う語だ。
史実を学べば如何に不適当な言葉かわかる
大体、日本史しか学んでないのか?
インドネシアやベトナムの歴史を学んだ上で発言しているのか?
アジアの解放だなんて日本史主観の語だからな。 よりコンパクトにまとめて終わる。
アジアの解放と言うからには、米英仏蘭の支配から解放させ、独立を与えた
ということになるのだろうが史実では米英仏蘭に支配された植民地を
独立させることはできなかった
下関条約のような独立させる条約など米英仏蘭との間に締結させることはなかったからだ。
だから日本人を除いたアジア人は自分たちの力で独立を獲得することになった。
独立は日本の力ではなく日本人を除いたアジア人の努力の下で獲得されたのだ
そうであるのに恩着せがましくアジアの解放だなんていうのは
日本人を除いたアジア人の努力を否定してバカにしたかのような言い方だ。
明らかに馬鹿にして苦労を否定している。
わたしはアジアの解放と叫ぶ日本人に関してベトナム人やインドネシア人に
申し訳なく思う限りだ。
独立と解放は日本人を除いたアジア人の力で達成された。
これが真実だ >>207 人民解放軍に「解放」されたシナ、国民党に「解放」された台湾、
米ソに「解放」された朝鮮は幸せだったな。 >>207 シナはチベット・ウイグルまで「解放」してやって今揉めているようだな。
★モハメッド・ナチール(Mohammad Natsir、1908-1992年 インドネシア元首相)
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が
代表して敢行したものです。」
「大東亜戦争というものは本来なら私達インドネシア人が、独立のために戦うべき戦争だ
ったと思います。もしあの時、私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦
ったでしょう。大東亜戦争はそういう戦いだったんです。」
インドネシアの人間たちは、植民地主義の粉砕を望んでいた。そして、日本が大東亜戦争に
よって植民地主義を粉砕した。日本軍政は民族主義教育を行い、植民地独立へ向けた意識改革
を行った。インドネシアではPETAを設立し、武器を与え、厳しい軍事教練を行って、次世
代の指導者たちを育成した。
即ち、大東亜戦争は植民地解放戦争に他ならなかったのである。
泣きながら否定するのは馬鹿と在チョンのみ。
★ブン・トモ(Bung Tomo, インドネシア元情報相)
「我々アジア・アフリカの有色民族はヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが
全部失敗した。インドネシアの場合は、350年間も失敗が続いた。それなのに、日本軍が
米・英・蘭・仏を 我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。」
「我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。
一度持った自信は決して崩壊しない。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやら
ねばならなかった。そして実は我々の力でやりたかった。」
ブン・トモ は本名をストモ(Sutomo (October 3, 1920 ? October 7, 1981)という。
http://en.wikipedia.org/wiki/Sutomo
彼はインドネシア革命の英雄であるが、戦後来日して日本要人の前で演説を行った。その中
の一節がこれである。彼は戦後も日本と大東亜戦争に感謝し続けていた。そして、植民地解放
の重荷をすべて日本に負わせ、最終的に敗戦の憂き目をみせてしまったことを詫びた。
当時を生きたインドネシア人達にとっては、大東亜戦争は植民地解放戦争に他ならなかったのである。
涙目で認めようとしないのは現代に生きる馬鹿と在チョンのみ。
>>211訂正 敗戦の憂き目を見せて→敗戦の憂き目を見させて ヒロシ 日本はアジアの解放者か疫病神か?
ttp://blogs.yahoo.co.jp/ureeruhiroshi/55601765.html
「日本がアジアを解放した」という映画にインドネシア大使館が抗議
ttp://d.hatena.ne.jp/dj19/20070830/1210226264
欧米諸国もアジア各国も、
あの戦争は日本の侵略戦争であったことで一致しています。
日本がアジアの各国を独立させたのではなく、
日本に対する闘いがアジア各国に独立をもたらしたのだ、
ということは、歴史の真実だとして各国で認められている事実なのです。
それに反するような考え方が日本から伝えられて行くと反発を買って、
日本はアジアでは尊敬される国ではなくて、
むしろ嫌われ、非難される国になっているというのが実情です。
ttp://www.ei-en.net/frenet/kouen5.htm
アノ戦争は「アジア解放」のため? [歴史雑感なぞ] [編集]
ttp://bookend.blog.so-net.ne.jp/2006-09-20 まだ宗教絡みのウヨが捏造した本の内容を信じ、かつコピペに必死なかわいそうな奴って生存してたのかw 侵略されて支配されるのが嫌だったわけだから、
侵略者支配者が日本人に変った程度、受け入れられるはずない。
まして、白人のほうがまだマシといわれるような戦争協力強要と圧政ひいてりゃ。 >>215
白人は土人のエリートを留学させてくれたり懐柔策がうまい。
日本は皇宮遥拝とか強制してい彼らのプライドをずたずたにした。
幕末に、同じ手で志士たちは留学させてもらっていた。
自分たちの先祖が土人懐柔策に絡め取られたのをすっかり忘れている。 マキャベリズムを理解できるほど日本人の頭は良くなかった
だから解放戦争といって洗脳するしかなかった
そんだけの話ですよ ややこしく考えすぎ >>216
歴史を勉強していく上で俺が驚いたのは、日韓併合と同じようにアジアの国々はフランスやイギリスに平和的に併合されていることだ
ベトナム、ラオス、カンボジア、マレーシアやシンガーポール、武力に頼らずうまい感じに植民地にしている
そんなとこに日本が侵略してきてドンパチやったら、いくら宗主国と戦っているとはいえ嫌だよね ドキュンドキューン!!
弾持ってこいやあああ!!
ひいいい!! ★アラムシャ (インドネシア 元第3副首相)
「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り幾度か屍山血河の
闘争を試みたがオランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。」
「それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が
歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である。」
アラムシャ中将は、平成5年に大統領特使として来日し、福田元首相、塩川大臣ら要人と会談を行った。
それでも、大東亜戦争に関して出てきたのは、白人の鎖か断ち切ってくれた日本への感謝の言葉であり、
日本軍の快進撃に欣喜雀躍した事実であった。当時を知るインドネシア人は、反日教育を受けていない
ので、偽らざる解放者・日本への感謝の気持ちを戦後もずっと持ち続けていた。
即ち、大東亜戦争は植民地解放戦争に他ならなかったのである。
泣きながら必死で否定するのは馬鹿と在チョンのみ。
ちなみにインドネシアでは日本軍降伏後もイギリスやオランダとの独立戦争が4年5ヶ月も
続き、甚大な戦死者を出した。その戦争において、特別な功労を立てた戦死者は首都ジャカ
ルタ郊外のカリバタ国立英雄墓地に祀られた。
実はそこに彼らの国の英雄たちと一緒に11名の日本人が手厚く葬られているのである。
(カリバタ以外にも各地区の英雄墓地に32名の日本人が祀られている)また、独立50周
年となった平成7年、残留日本兵69名に対し、インドネシア大使から感謝状が贈られ、
スハルト大統領は彼らを官邸に招いて礼を述べた。
★ラジャー・ダト・ノンチック (マレーシア 元上院議員)
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英
軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかもマレーシアを占領した日本軍
は日本の植民地としないで将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を
普及させ青少年の教育をおこなってくれたのです。」
日本軍政は全ての植民地を独立させるつもりで、徹底した民族主義教育を行い、民族意識を
植え付けた。これが現地人にどれだけの勇気と希望を与えたか。日本は去ったが、彼らには
日本精神が残った。そして、2度と植民地には戻るまいという強い意志を持っていた。
結果的に、東南アジア植民地は、戦争や交渉で全て独立してしまった。
大東亜戦争が植民地解放戦争と呼ばれるゆえんである。
>>220-222
インドネシアとマレーシアだけかよ。
これでは東南アジアの解放とも言えないよね >>224 こっちが困っているときは賠償金をとり、復興してODAが出るようになると
お世辞を言うのが土人国スタンダードだね。そのそもパーティーの席ではなく
国家として感謝をしめしてくれたのはどことどこよ??? 中国と朝鮮だけ指して「アジア」って呼んでるような連中が何いってんだw 中国、韓国、北朝鮮のことを特定アジアと言うだろ
なら太平洋戦争のアジア解放とやらも特定アジアの解放といったほうが妥当だ ええい!まだ分からんのかああああ!?
一体いつになったら分かるんだあああ!?
貴様等恥と思え!!!! >>226
だって他は独立国じゃなかったじゃん
アジアだけど「欧米」だったわけで >>227 日本は日清戦争で清王朝と李氏朝鮮王朝を潰してやったから特亜解放といっても間違いない。
その後、日露戦争で帝政ロシアも潰してやったからロシア解放にも尽くしてやったしな。
>>230
アメリカは大日本帝国を潰してくれたからな。いやカルト帝国が
自爆したのか。 ★ククリット・プラモード (タイ 元首相)
「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが
生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話が
できるのは 一体誰のお陰であるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあっ
た為である。」
「12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日で
ある。更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々この2つの日を忘れて
はならない。」
(12月8日 「サイアム・ラット新聞」)
タイは独立を貫き、植民地にされなかったが、それでも、第三者的に見て、東南アジア植民地を解放
したのは日本であり、大東亜戦争だったのである。馬鹿と在チョンは必死で否定するが。
アジア解放は後付けだろ
アジア革命支援や賛同だとすれば頭山や孫文を支援した九州人だろが >>233
世界から見れば、大東亜戦争によって東南アジア植民地が解放されたのは紛れもない事実。
アジア解放は後付けではない。宣戦の大詔にしっかり書いてある。 >>234
あ、そういう事ね
東京裁判のことかと思った。失礼
ある時、日本の政治家が、
「過ぐる大戦において、わが国は貴国に対しご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
という挨拶をした時、マレーシアの外務大臣はこう答えた。
★ガザリー・シャフェー(マレーシア元外相)
「どうしてそういう挨拶をなさるのですか。あの大戦で日本はよくやったではないですか。
マレー人と同じ小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を追い払ったではありませんか。
その結果、マレーシアは独立できたのです。大東亜戦争なくしては、マレーシア人も
シンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ?」
そろそろお気づきかもしれないが、アジアの英雄であるはずの日本人自身が持つ『自虐史観
(悪いことをしたという思い込み)』は、国際的にも極めて不自然なのである。日本人は、
大東亜戦争の意義をもっと正しく知らなければならない。それが自虐史観から抜け出す近道だ。
馬鹿と在チョンが邪魔をするが、惑わされてはならない。ネットには真実が溢れているのだ。
>>205
違うね。日本はきっかけを作ったんだよ。
戦前アジア諸国のアジア人の当時の思考がNHKであってたよ。
「白人の下に自分らがいるんだって。それが普通だって思ってた。」
「永遠に白人の下。でもこれが普通なんだ」
「でも日本がやってきて、それが本当は違うってわかった」
別に悪びれもなく書いていいじゃねえの
梅屋、宮崎、安川ら私財を投じて未来3世まで借金したんだろうが
この人たちに比べれば国士って上辺だけwww腑抜けw
自虐史観は、国際的に見て極めて不自然。自虐の洗脳を解けない馬鹿は非常識な人間として生き恥を晒し続けるのだ。
>>240
はああ?何だ?この衒学趣味は?
>国際的に見て極めて不自然。
お前、学習が足りんぞw >>240
社会から落伍してネットカフェで2ちゃんにカキコして生き恥を晒してるのは中卒携帯オヤジのお前自身だろ。
お前が立派な人間になっていたら説得力があったがw
道具>>236を紹介しておいたから、ネットカフェなんかに無駄金払わないで、その金で買って使え。
ID:J1dH7wx60
http://hissi.org/read.php/history2/20120703/SjFkSDd3eDYw.html 自虐って自分で自分を虐げることを言うんだろ。
なら自虐史観なんて言い方は間違いだな。
大体、他国民を徹底して虐げたことは自虐と言うより他虐とでも言った方がいい。
自虐史観じゃなくて他虐史観と述べたほうが正しい。 アジアの解放なんて言い方は大げさな表現
よくても特定アジアの解放と述べたほうが正しい。 自虐史観なんて用語はだれが作ったのかは知らないが、
言い方として正しいのは自虐史観ではなくて他虐史観の方が
より適切に説明された言葉だと思うな。
いい加減な言葉を使って日本人が毒されているような
言い方はやめろよ。 ガザリー・シャフェー(マレーシア元外相)
ククリット・プラモード (タイ 元首相)
ラジャー・ダト・ノンチック
アラムシャ (インドネシア 元第3副首相)
↑の四人は実在した人物なのか?
Wikipediaには存在しない人物だし、実在がわかりにくい。
どの本から引用されているかも謎だし 日本から解放されたい、という見事なオチがついた史実を認められない、有名なウヨ宗教がかり本のコピペじゃないか。 明石や金子、團も柴田も九州なんだよな。
これから北東に足を向けて寝るようにする 霧島から見える穴?から
韓国岳(ちんぽ)を突っ込んでいた「皇族」。
すり替わってないか?
http://oo77986455645.wordpress.com/ >>247
モハメッド・ナチール
ブン・トモ
はどうした?実在の人物と認めるのか?
日本語のWIKIを探すなんて素人のやることだぜ。分かったか、低能!
はいはい分かった
昔に九州人が凄いみたいなスレがあった
東京六大学のほとんどが九州人が関わったんだろ
あと有名私立も九州人だったか
みんな知っているから感謝しています >>234
アジアの解放は建前でしかないよ
目的は解放じゃないから。
南方資源獲得のため。
軍政を敷き、インドネシアを独立させないのは既定の方針
※アジアの解放ではなく資源目的というのは、下を参照。
大本営の方針として、資源を獲得するための占領。
独立を認めず、軍政を敷くという方針
1941/12/20 南方占領地行政実施要綱
1941/12/26 占領地軍政実施ニ関スル陸海軍中央協定
1941/12/12 南方経済対策要綱
1943/05/31 大東亞政略指導大綱 1987年の外務省がアセアン各国で行った世論調査
大戦中の日本について「悪い面はあったが、今となっては気にしない」
インドネシア:48% マレーシア:43% フィリピン:37% シンガポール:47% タイ:46%
悪い面を忘れることはできない」
インドネシア:33% マレーシア:32% フィリピン:36% シンガポール:41% タイ:24%
解放してやったみたいなノリにならないことだけは祈る。はずかしいから。
インドネシアにしても、マレーにしても、当初日本の進軍を歓迎する風潮はあったけど
のちにオランダ・イギリスの植民地時代の方がマシだったいう証言は多く残っている。
※それぞれの歴史教科書にも載っているとのことだけど、公的機関の訳を見たことはないので、これについては伝聞でしかない。
インドネシアは、今村軍政下では融和政策とっていたが、厳しく搾取する軍政方針を求め、
従わない今村将軍の軍政地域を縮小し、後にラバウルに左遷させている
インドネシアについては、敗戦が濃厚になり、インドネシアでは各地で反乱が起こり
抑えきれなくなってきて独立を認めるという経緯
フィリピン、ビルマでは、戦闘に巻き込まれ多くの人が犠牲になっている
※フィリピンでは、抗日ゲリラと日本が取り込んだ側の民族との争いもある
※ビルマでは、アウンサン将軍が日本に反旗
また、タイやベトナムでも多くの餓死者を出している
※タイへは強制的な進駐でタイ軍と戦闘も起こっているし、泰麺鉄道では現地の人にも被害を受けている人が大勢いる
戦後の日本の評価で親日家の多い国でも、戦前の日本軍を褒め称えているわけではない。
混同して、アジアを開放してやったとか、そういう愚かな考えがインドネシアやタイの人の耳に入らないことを祈る >>255
悪い面はあったっていうことは、当然良い面もあったってことが
前提なわけかw >>256
インドネシアに関して言えば、教育・軍事訓練なんかは、
悪い面(イスラム崇拝禁止やバカヤロー日本軍)とともに
良い面(独立に貢献)もあったと評価する人もいるかと >>258
最近は、フィリピンやマレーシアにも、日本の戦争の意義を
肯定的に評価するひとがいるらしいよw >>259
日本の戦争の意義を肯定的に評価する。とはどういったことでしょうか?
立場・考え方によって違うのだとは思いますが、どういった肯定的な評価があるのかは気になります。 >>260
マレーシアの場合では、日本軍の侵攻によって、白人は無敵だという
神話が打ち砕かれたって、マレーシアの元首相であるマハティールが
よくいってたね。
フィリピンの場合では、日本の占領下で建国された第二共和国において
日本が動員した国家イメージについて再評価する研究をさいきん散見
したね。 ホセ・リサールとか、リカルテ将軍についてとか。 >>247 自分で調べろよ。綴りを教えてあげるから。
★ラジャー・ダト・ノンチック(Raja Dato Nong Chik:元マレーシア上院議員)
福田ドクトリンが示されるおよそ3年前の1974年4月25日、福田赳夫は大蔵大臣とし
て、 クアラルンプールのヒルトンホテルで開催されたアジア開発銀行年次総会に出
席、 ラジャー・ダト・ノンチック(Raja Dato Nong Chik)ら20名の南方留学生と
対面していた 。
ノンチック
http://en.wikipedia.org/wiki/Raja_Nong_Chik_Zainal_Abidin
>>247 次は
★ククリット・プラモード(Kukrit Pramoj(April 20, 1911 - October 9, 1995)タイ元首相)
http://en.wikipedia.org/wiki/Kukrit_Pramoj
自分の力で調べてみろよ。情けねーな
全員実在の人物だよ。
「世界から見た大東亜戦争」 名越二荒之助編 展転社 に嘘は無い。
「架空の人物」「名越の捏造」というおかしな言い掛かりをつける奴は頭
のおかしい馬鹿サヨか、在チョンだから騙されるなよ。
世界から見れば、大東亜戦争は植民地を解放した戦争だったんだよ。
アフリカから見ても然り。ネルソン・マンデラ南アフリカ元大統領
も日本に憧れ、日本を植民地解放者と見ていた。
>1
第二次大戦を民衆の思想面でバックアップした「太平洋協会」あたりなんじゃないの?
戦争に理屈付けをして、文書として大衆に読ませる活動を積極的に行っていた組織だったしな。
近衛文麿の「東亜新秩序」宣言が、昭和13(1938)年11月か。まさに>1の「欧米帝国主義の支配からのアジアの開放」をうたっている。
で、「東亜研究所」ってのが総裁に近衛文麿、副総裁に大蔵公望(満鉄理事、貴族院議員)、常務理事に唐沢俊樹で1938年9月に結成
されている。この組織の方が怪しいな。
この組織の考え方が、近衛に影響を及ぼしたか。 >>261
イギリスも負けたし、日本も負けた。
どちらも未来永劫の支配者ではない。
それを身近に認識できた部分は影響があるのではと思います。
このことを肯定的に捉える意見はあると思います。
ただ、日本軍を肯定的に捉えるというのとは違います。
一応、念のため明記しておきます。
日本軍に対する心情も考え方・立場によって様々だとは思います。
マレー人の中には、日本の軍政で取り入った人もいました。
日本敗戦後、一部の日本に協力したマレー人は華人と抗争していたりします。
そして、日本に協力した人たちは、英・華人に冷遇される。
日本軍の華人への弾圧の反動もあったみたいですね。
こういった人たちの中には、日本軍に勝って欲しかった。という人もいるかもしれません。
他方のマレー人にとっては、日本の植民地時代は過酷で、イギリス時代よりも酷かったと言われています。
軍票乱発によるインフレ。搾取の厳しさによる反発。
それらを声に出すと、憲兵に捕まり拷問を受ける。
とかくシンガポールの華人への圧政に目が行きがちですが、マレー人にも被害を受けた人は多く居ます。
※大本営のマレーへの軍政方針は、厳しい搾取です。(先に挙げたインドネシアの今村軍政は個人的な判断であって、大本営は今村将軍にマレーと同じように厳しい搾取をするよう圧力をかけています)
また、マレーに関しては、インドネシアと違い、日本はマレーの独立を認めなかった。
この辺は、マレー人の中でも裏切られたと感じる人はいるかもしれません。
戦争の意義を肯定的に捉える意見と言うのを否定する必要はありますし、そこを理解する部分も必要だと思います。
ただ、大前提として日本のマレーへの植民地政策に批判的な人の意見を十分に汲み取る必要があります。
その上でないと欺瞞に映ってしまうと思いますので、一応、マレーに被害を与えた部分も書いておきました。
あと、フィリピンで戦争の意義に肯定的な意見というのは、どういったものがありますか? >>40
こういう高尚な考えが建前だけでもあったわけ? よく東南アジア各国の首相クラスが日本に感謝してるとかいうけど、ほんとなの? 欧米諸国の植民地政策ってそこまで酷かったの?十六世紀じゃあるまいし、太平洋戦争の頃は洗練されてたんじゃないかと思うんだが。 >>269 国家として正式に感謝している国は一国もないと自民党政権時代の
国会答弁がある。それどころか、欧米の尻馬に乗って戦勝国として
賠償金をせしめている恩知らずの土人国ばかり。
>よく東南アジア各国の首相クラスが日本に感謝してるとかいうけど、
これは復興後ODA欲しさにパーティー会場で言われたお世辞。 >>268
建前としてはあったと思いますよ。
>>265-266が触れていることも関わってくると思うけど
南方占領の作戦立てるときに、
現地の人の協力を得ることが侵攻作戦に必要という見解は出ています。
※海軍の急進派の中堅どころが作った作戦案(誰だっけ?名前忘れた)や>>254の作戦要綱なんかにも
現地勢力の協力を取り付ける必要があることは書いてあったと思います。
そのあたりは大詔でも踏まえられていると思います。
もちろん>>254などにも載っている内容ですが、
本来の目的は、資源の獲得・厳しい搾取。
なるべく独立させず、軍政を敷く。というのが基本路線です。
※ミャンマーや独立の決まっていたフィリピン(あとインドも一応)については独立容認でした。
>>269
戦中・戦前の日本(大日本帝国)についてですよね?
国によって、地域によって、政権によって違ってくる部分はあると思います。
東南アジアは、被害を受けた国が多いでしょうし、少なくとも手放しでの感謝とはならないと思います。
インドや台湾については、そういう声があっても理解できなくはないです。
>>270
酷いかどうかは、受け取り方次第な部分もあるとは思いますが、
愚民政策などは人道的には問題があるとは思います。
また、当時の国際世論でも、新たな植民地化は基本的には条約でNGになっていましたし、
植民地というもの自体に批判的な世論は出てきていたと思います。
各植民地で独立の運動というのは起こっていますし。
酷い部分もあったとは思いますが、それ以上に主権国家を求める。という流れがあったのだと思います。
そういう下地があったからこそ、日本が戦略的に利用する価値があると判断したのだと思います。 >>267
>日本軍に対する心情も考え方・立場によって様々だとは思います。
そうそう、日本軍については、ある程度肯定的に、すくなくともあまり
否定的にとらえないひともいれば、徹底的に否定的にとらえるひともいるとw
>また、マレーに関しては、インドネシアと違い、日本はマレーの独立を認めなかった。
インドネシアには独立をのぞむ声が強かったが、マレーはそうでもなかった
のでは。インドネシアの民族運動の指導者であったスカルノは、オランダの
殖民地機構に何度も牢屋にぶちこまれてるが、マレーシアの初代首相
ラーマンは、そんな目にあってないし、独立の指導者とはいえ、どちらかと
いえば親英的でね。マレーでは英国の支配のもと、原住民はみな平和に
暮らしていたって、それも全然間違いとはいえまいw 現地ナショナリズムが
高揚したのは、第二次大戦後の話なわけでね。 満州や占領地の人々に天皇やアマテラスを強制的に拝ませたあたり、はっきりいえば無神経だし本音もダダ漏れだったな。
原爆は神の罰、とアジア人に大喜びされた原因は日本が精神さえ踏みにじったから。 >>267
フィリピンについては、もともと戦争直前に米国は独立容認に
傾いてたし、他の東南アジアとは事情が違うところはいくつか
あるね。 日本軍が第二共和国独立をなしたときに、動員した
イメージにフィリピン人が感動したなんて、そういう話を最近
読んだことがあったねえ。 第二共和国で動員された支配
エリートが、戦後もそれなりに影響もってたって、そういう
話もあるから、戦争中における日本支配の影響が戦後に
どのくらいの影響があったかについては、論争の種にいまでも
なるそうだ。 >>275
現地人に神社遙拝やらせようとして、抵抗うけて、暴力沙汰に
なった、遙拝拒否した原住民を牢屋にいれたり、見せしめに殺したり
したとか、そんな事件もあったりしたのかいな。 神社遙拝について
日本軍はどの程度の強制をやったのか、その意義についてどう
考えていたか、それらは認識しておく価値はそれなりにありそうだなw
リー・クアンユーは、原爆投下の報を聞いてとても喜んだってはっきりいってたな。
マハティールは、当時原爆について、もっとよくしっていれば、違った感想が
もてたかもしれないが、戦争がこれで終わるかと思うと、やはり喜びが大きかったと
いってたね。
スカルノは、原爆投下については、日本軍の敗北の徴であるとは
受け取っていたが、喜ばしいとは別に書いてなかったねw
民族的立場や戦前の支配層とのつながりによって、受け止め方はいろいろな
わけだねw >>274
>インドネシアには独立をのぞむ声が強かったが、マレーはそうでもなかったのでは。
そんなことはないかと。
マレー人の協力を取り付けるために独立を煽る。
民族自決・独立、その期待があったからこそ、当初、日本軍を歓迎したわけだし。
義勇兵に参加した人たちは、独立を望んだからこそだと思います。
>ラーマン
すみません。ラーマン首相の経歴等詳しくないので良く分かりませんでしたが、独立を望む声の大きさとの関係性が良く分かりませんでした。
激しい独立運動が行われていなかったから、民族自決を望んでいなかったと言うことにはなりませんし。
>>276
すみません。趣旨が良く分かりませんでした。
>>277
>リー・クアンユー
マレーの華人側ですからね。
虐殺される恐怖・恨みというものは関係しているかもしれませんね。
宮城遙拝ですよね。
色んな地域によって違うのでしょうが、どのような強要だったのか私も知りたいところではあります。 >>278
>義勇兵に参加した人たちは、独立を望んだからこそだと思います。
ちょっと調べたら、マレーでも日本軍は現地ナショナリズムを煽る
工作、結構やってたそうだね。その煽りが戦後の脱殖民地ナショナリズムに
つながるわけだねえw
>激しい独立運動が行われていなかったから、民族自決を望んでいなかったと
>言うことにはなりませんし
独立をのぞむひともいたろうが、殖民地的秩序をのぞんでたひともいた
わけでね。 それらの間の勢力バランスがどうであるかが問題だろうよ。
ラーマンの場合は、スルタンの一族で、英国支配のもとにおいても
特権階級であったから、より親英的といえるわけだよw >>279
>マレーの華人側ですからね。
>虐殺される恐怖・恨みというものは関係しているかもしれませんね。
日本軍がシンガポールを占領したとき、ゲリラに間違われて殺されそうに
なったっていうね。あと日本軍の兵士になんどもビンタされたとか、そういう
経験が日本軍にたいする厳しい批判の源泉になっているとか。
リークアンユーの叔父も親英的なひとで、日本軍の侵略によって、古き良き
英国の支配が崩壊してしまったとこを、とても嘆き悲しんでいたとかw >>280
>ちょっと調べたら、マレーでも日本軍は現地ナショナリズムを煽る
>工作、結構やってたそうだね。
基本路線ですので。
それ故、日本軍が侵略した後について
・結局は支配者が変わっただけ
・元の支配者(英・蘭)より酷かった
と評価しているわけですし。
余計に失望と反発が大きくなったんだと思います。
>独立をのぞむひともいたろうが、殖民地的秩序をのぞんでたひともいた
>わけでね。
おっしゃるとおりで、立場によって違うと思います。
ただ、植民地政策を支持する側というのは、支配者層の側であり、
支配者層側というのは少数側ではあります。
マレーでは、アピ事件。インドネシアでも、各地で日本の軍政に対して反乱が起こっています。
これらは、色んな感情が混ざった結果であると思います。
・思想の強要
・独立をさせない
・厳しい搾取
・軍票の乱発による経済破壊
複雑に絡み合って不満が爆発した結果だと思いますので、
独立させないことだけが原因とは言えませんが、要因の一つではあると思います。 >>282
アピ事件ね。日本軍に対するゲリラ活動と、それに対する報復なわけだな。
インドネシアでも後期には、日本軍にたいする反乱がおきてるね。
スカルノも、占領後期には、日本軍はもうあまり長く居座りすぎてる
って、そういう風にいっていたね。
>各地で日本の軍政に対して反乱が起こっています。
それらの原因にあとつけくわえることがあるとすれば、戦争の
推移と日本軍の先行きに対する不安と不信であるかな。
日本軍が負けたあとに、日本軍に協力していたものたちが
反逆の罪に問われることは自明なわけで。推移する情勢に
たいしても、当時のひとたちは敏感だったろうよ。 >>283
アビ事件なんですね
本気で今までアピ事件だと思ってました・・・
ありがとうございます。
日本軍に対する抗日ゲリラ。
それが現地の住民を煽って大規模な抗争になった。
つまりは、ゲリラが原住民を煽る下地があった。
現地にいる人たちが反乱に加担するだけの問題があった。
これは、逆に日本軍が占領政策を取った時に
独立を煽り、現地ゲリラを育て・日本軍への協力を得る時も同様ですよね
もちろん、おっしゃる通り全員が全員、不満を持っていたわけではないですが、
独立を望む声も一定規模あったということで。
>それらの原因にあとつけくわえることがあるとすれば、戦争の
>推移と日本軍の先行きに対する不安と不信であるかな。
それもあると思います。 >>284
え? アピでいいってよ。アビ事件なんて書いたっけ俺?
まあ日本軍による占領にたいしては、民族運動に利用できると
考えたのもいれば、元の宗主国による支配のほうがマシだった
と考えて抵抗するのもいれば、共産主義が一番いいと思ってたのも
いれば、とりあえず寄らば大樹の陰としか考えてないのもいれば
いろいろな立場があったろうからね。
占領軍をみんな歓迎して、日本軍の思惑どうりに、原住民が
みな協力してくれるって、日本軍もそこまで甘い考えはさすがに
していなかったろうw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています