アジアの解放といい始めたのは誰か?
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どう考えてもアジアの一部地域のその中の一部の国の建国に 日本の一部の人たちが協力した程度にすぎないのに アジアの解放と大げさで誇張させられた表現が用いられるのはなぜか そしてアジアの解放だと言い始めたのはだれか 大げさで誇張された言い方にすぎないのに
ヒロシ 日本はアジアの解放者か疫病神か? ttp://blogs.yahoo.co.jp/ureeruhiroshi/55601765.html 「日本がアジアを解放した」という映画にインドネシア大使館が抗議 ttp://d.hatena.ne.jp/dj19/20070830/1210226264 欧米諸国もアジア各国も、 あの戦争は日本の侵略戦争であったことで一致しています。 日本がアジアの各国を独立させたのではなく、 日本に対する闘いがアジア各国に独立をもたらしたのだ、 ということは、歴史の真実だとして各国で認められている事実なのです。 それに反するような考え方が日本から伝えられて行くと反発を買って、 日本はアジアでは尊敬される国ではなくて、 むしろ嫌われ、非難される国になっているというのが実情です。 ttp://www.ei-en.net/frenet/kouen5.htm アノ戦争は「アジア解放」のため? [歴史雑感なぞ] [編集] ttp://bookend.blog.so-net.ne.jp/2006-09-20 まだ宗教絡みのウヨが捏造した本の内容を信じ、かつコピペに必死なかわいそうな奴って生存してたのかw 侵略されて支配されるのが嫌だったわけだから、 侵略者支配者が日本人に変った程度、受け入れられるはずない。 まして、白人のほうがまだマシといわれるような戦争協力強要と圧政ひいてりゃ。 >>215 白人は土人のエリートを留学させてくれたり懐柔策がうまい。 日本は皇宮遥拝とか強制してい彼らのプライドをずたずたにした。 幕末に、同じ手で志士たちは留学させてもらっていた。 自分たちの先祖が土人懐柔策に絡め取られたのをすっかり忘れている。 マキャベリズムを理解できるほど日本人の頭は良くなかった だから解放戦争といって洗脳するしかなかった そんだけの話ですよ ややこしく考えすぎ >>216 歴史を勉強していく上で俺が驚いたのは、日韓併合と同じようにアジアの国々はフランスやイギリスに平和的に併合されていることだ ベトナム、ラオス、カンボジア、マレーシアやシンガーポール、武力に頼らずうまい感じに植民地にしている そんなとこに日本が侵略してきてドンパチやったら、いくら宗主国と戦っているとはいえ嫌だよね ドキュンドキューン!! 弾持ってこいやあああ!! ひいいい!! ★アラムシャ (インドネシア 元第3副首相) 「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り幾度か屍山血河の 闘争を試みたがオランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。」 「それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が 歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である。」 アラムシャ中将は、平成5年に大統領特使として来日し、福田元首相、塩川大臣ら要人と会談を行った。 それでも、大東亜戦争に関して出てきたのは、白人の鎖か断ち切ってくれた日本への感謝の言葉であり、 日本軍の快進撃に欣喜雀躍した事実であった。当時を知るインドネシア人は、反日教育を受けていない ので、偽らざる解放者・日本への感謝の気持ちを戦後もずっと持ち続けていた。 即ち、大東亜戦争は植民地解放戦争に他ならなかったのである。 泣きながら必死で否定するのは馬鹿と在チョンのみ。 ちなみにインドネシアでは日本軍降伏後もイギリスやオランダとの独立戦争が4年5ヶ月も 続き、甚大な戦死者を出した。その戦争において、特別な功労を立てた戦死者は首都ジャカ ルタ郊外のカリバタ国立英雄墓地に祀られた。 実はそこに彼らの国の英雄たちと一緒に11名の日本人が手厚く葬られているのである。 (カリバタ以外にも各地区の英雄墓地に32名の日本人が祀られている)また、独立50周 年となった平成7年、残留日本兵69名に対し、インドネシア大使から感謝状が贈られ、 スハルト大統領は彼らを官邸に招いて礼を述べた。 ★ラジャー・ダト・ノンチック (マレーシア 元上院議員) 「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英 軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかもマレーシアを占領した日本軍 は日本の植民地としないで将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を 普及させ青少年の教育をおこなってくれたのです。」 日本軍政は全ての植民地を独立させるつもりで、徹底した民族主義教育を行い、民族意識を 植え付けた。これが現地人にどれだけの勇気と希望を与えたか。日本は去ったが、彼らには 日本精神が残った。そして、2度と植民地には戻るまいという強い意志を持っていた。 結果的に、東南アジア植民地は、戦争や交渉で全て独立してしまった。 大東亜戦争が植民地解放戦争と呼ばれるゆえんである。 >>220-222 インドネシアとマレーシアだけかよ。 これでは東南アジアの解放とも言えないよね >>224 こっちが困っているときは賠償金をとり、復興してODAが出るようになると お世辞を言うのが土人国スタンダードだね。そのそもパーティーの席ではなく 国家として感謝をしめしてくれたのはどことどこよ??? 中国と朝鮮だけ指して「アジア」って呼んでるような連中が何いってんだw 中国、韓国、北朝鮮のことを特定アジアと言うだろ なら太平洋戦争のアジア解放とやらも特定アジアの解放といったほうが妥当だ ええい!まだ分からんのかああああ!? 一体いつになったら分かるんだあああ!? 貴様等恥と思え!!!! >>226 だって他は独立国じゃなかったじゃん アジアだけど「欧米」だったわけで >>227 日本は日清戦争で清王朝と李氏朝鮮王朝を潰してやったから特亜解放といっても間違いない。 その後、日露戦争で帝政ロシアも潰してやったからロシア解放にも尽くしてやったしな。 >>230 アメリカは大日本帝国を潰してくれたからな。いやカルト帝国が 自爆したのか。 ★ククリット・プラモード (タイ 元首相) 「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが 生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話が できるのは 一体誰のお陰であるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあっ た為である。」 「12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日で ある。更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々この2つの日を忘れて はならない。」 (12月8日 「サイアム・ラット新聞」) タイは独立を貫き、植民地にされなかったが、それでも、第三者的に見て、東南アジア植民地を解放 したのは日本であり、大東亜戦争だったのである。馬鹿と在チョンは必死で否定するが。 アジア解放は後付けだろ アジア革命支援や賛同だとすれば頭山や孫文を支援した九州人だろが >>233 世界から見れば、大東亜戦争によって東南アジア植民地が解放されたのは紛れもない事実。 アジア解放は後付けではない。宣戦の大詔にしっかり書いてある。 >>234 あ、そういう事ね 東京裁判のことかと思った。失礼 ある時、日本の政治家が、 「過ぐる大戦において、わが国は貴国に対しご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」 という挨拶をした時、マレーシアの外務大臣はこう答えた。 ★ガザリー・シャフェー(マレーシア元外相) 「どうしてそういう挨拶をなさるのですか。あの大戦で日本はよくやったではないですか。 マレー人と同じ小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を追い払ったではありませんか。 その結果、マレーシアは独立できたのです。大東亜戦争なくしては、マレーシア人も シンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ?」 そろそろお気づきかもしれないが、アジアの英雄であるはずの日本人自身が持つ『自虐史観 (悪いことをしたという思い込み)』は、国際的にも極めて不自然なのである。日本人は、 大東亜戦争の意義をもっと正しく知らなければならない。それが自虐史観から抜け出す近道だ。 馬鹿と在チョンが邪魔をするが、惑わされてはならない。ネットには真実が溢れているのだ。 >>205 違うね。日本はきっかけを作ったんだよ。 戦前アジア諸国のアジア人の当時の思考がNHKであってたよ。 「白人の下に自分らがいるんだって。それが普通だって思ってた。」 「永遠に白人の下。でもこれが普通なんだ」 「でも日本がやってきて、それが本当は違うってわかった」 別に悪びれもなく書いていいじゃねえの 梅屋、宮崎、安川ら私財を投じて未来3世まで借金したんだろうが この人たちに比べれば国士って上辺だけwww腑抜けw 自虐史観は、国際的に見て極めて不自然。自虐の洗脳を解けない馬鹿は非常識な人間として生き恥を晒し続けるのだ。 >>240 はああ?何だ?この衒学趣味は? >国際的に見て極めて不自然。 お前、学習が足りんぞw >>240 社会から落伍してネットカフェで2ちゃんにカキコして生き恥を晒してるのは中卒携帯オヤジのお前自身だろ。 お前が立派な人間になっていたら説得力があったがw 道具>>236 を紹介しておいたから、ネットカフェなんかに無駄金払わないで、その金で買って使え。 ID:J1dH7wx60 http://hissi.org/read.php/history2/20120703/SjFkSDd3eDYw.html 自虐って自分で自分を虐げることを言うんだろ。 なら自虐史観なんて言い方は間違いだな。 大体、他国民を徹底して虐げたことは自虐と言うより他虐とでも言った方がいい。 自虐史観じゃなくて他虐史観と述べたほうが正しい。 アジアの解放なんて言い方は大げさな表現 よくても特定アジアの解放と述べたほうが正しい。 自虐史観なんて用語はだれが作ったのかは知らないが、 言い方として正しいのは自虐史観ではなくて他虐史観の方が より適切に説明された言葉だと思うな。 いい加減な言葉を使って日本人が毒されているような 言い方はやめろよ。 ガザリー・シャフェー(マレーシア元外相) ククリット・プラモード (タイ 元首相) ラジャー・ダト・ノンチック アラムシャ (インドネシア 元第3副首相) ↑の四人は実在した人物なのか? Wikipediaには存在しない人物だし、実在がわかりにくい。 どの本から引用されているかも謎だし 日本から解放されたい、という見事なオチがついた史実を認められない、有名なウヨ宗教がかり本のコピペじゃないか。 明石や金子、團も柴田も九州なんだよな。 これから北東に足を向けて寝るようにする 霧島から見える穴?から 韓国岳(ちんぽ)を突っ込んでいた「皇族」。 すり替わってないか? http://oo77986455645.wordpress.com/ >>247 モハメッド・ナチール ブン・トモ はどうした?実在の人物と認めるのか? 日本語のWIKIを探すなんて素人のやることだぜ。分かったか、低能! はいはい分かった 昔に九州人が凄いみたいなスレがあった 東京六大学のほとんどが九州人が関わったんだろ あと有名私立も九州人だったか みんな知っているから感謝しています >>234 アジアの解放は建前でしかないよ 目的は解放じゃないから。 南方資源獲得のため。 軍政を敷き、インドネシアを独立させないのは既定の方針 ※アジアの解放ではなく資源目的というのは、下を参照。 大本営の方針として、資源を獲得するための占領。 独立を認めず、軍政を敷くという方針 1941/12/20 南方占領地行政実施要綱 1941/12/26 占領地軍政実施ニ関スル陸海軍中央協定 1941/12/12 南方経済対策要綱 1943/05/31 大東亞政略指導大綱 1987年の外務省がアセアン各国で行った世論調査 大戦中の日本について「悪い面はあったが、今となっては気にしない」 インドネシア:48% マレーシア:43% フィリピン:37% シンガポール:47% タイ:46% 悪い面を忘れることはできない」 インドネシア:33% マレーシア:32% フィリピン:36% シンガポール:41% タイ:24% 解放してやったみたいなノリにならないことだけは祈る。はずかしいから。 インドネシアにしても、マレーにしても、当初日本の進軍を歓迎する風潮はあったけど のちにオランダ・イギリスの植民地時代の方がマシだったいう証言は多く残っている。 ※それぞれの歴史教科書にも載っているとのことだけど、公的機関の訳を見たことはないので、これについては伝聞でしかない。 インドネシアは、今村軍政下では融和政策とっていたが、厳しく搾取する軍政方針を求め、 従わない今村将軍の軍政地域を縮小し、後にラバウルに左遷させている インドネシアについては、敗戦が濃厚になり、インドネシアでは各地で反乱が起こり 抑えきれなくなってきて独立を認めるという経緯 フィリピン、ビルマでは、戦闘に巻き込まれ多くの人が犠牲になっている ※フィリピンでは、抗日ゲリラと日本が取り込んだ側の民族との争いもある ※ビルマでは、アウンサン将軍が日本に反旗 また、タイやベトナムでも多くの餓死者を出している ※タイへは強制的な進駐でタイ軍と戦闘も起こっているし、泰麺鉄道では現地の人にも被害を受けている人が大勢いる 戦後の日本の評価で親日家の多い国でも、戦前の日本軍を褒め称えているわけではない。 混同して、アジアを開放してやったとか、そういう愚かな考えがインドネシアやタイの人の耳に入らないことを祈る >>255 悪い面はあったっていうことは、当然良い面もあったってことが 前提なわけかw >>256 インドネシアに関して言えば、教育・軍事訓練なんかは、 悪い面(イスラム崇拝禁止やバカヤロー日本軍)とともに 良い面(独立に貢献)もあったと評価する人もいるかと >>258 最近は、フィリピンやマレーシアにも、日本の戦争の意義を 肯定的に評価するひとがいるらしいよw >>259 日本の戦争の意義を肯定的に評価する。とはどういったことでしょうか? 立場・考え方によって違うのだとは思いますが、どういった肯定的な評価があるのかは気になります。 >>260 マレーシアの場合では、日本軍の侵攻によって、白人は無敵だという 神話が打ち砕かれたって、マレーシアの元首相であるマハティールが よくいってたね。 フィリピンの場合では、日本の占領下で建国された第二共和国において 日本が動員した国家イメージについて再評価する研究をさいきん散見 したね。 ホセ・リサールとか、リカルテ将軍についてとか。 >>247 自分で調べろよ。綴りを教えてあげるから。 ★ラジャー・ダト・ノンチック(Raja Dato Nong Chik:元マレーシア上院議員) 福田ドクトリンが示されるおよそ3年前の1974年4月25日、福田赳夫は大蔵大臣とし て、 クアラルンプールのヒルトンホテルで開催されたアジア開発銀行年次総会に出 席、 ラジャー・ダト・ノンチック(Raja Dato Nong Chik)ら20名の南方留学生と 対面していた 。 ノンチック http://en.wikipedia.org/wiki/Raja_Nong_Chik_Zainal_Abidin >>247 次は ★ククリット・プラモード(Kukrit Pramoj(April 20, 1911 - October 9, 1995)タイ元首相) http://en.wikipedia.org/wiki/Kukrit_Pramoj 自分の力で調べてみろよ。情けねーな 全員実在の人物だよ。 「世界から見た大東亜戦争」 名越二荒之助編 展転社 に嘘は無い。 「架空の人物」「名越の捏造」というおかしな言い掛かりをつける奴は頭 のおかしい馬鹿サヨか、在チョンだから騙されるなよ。 世界から見れば、大東亜戦争は植民地を解放した戦争だったんだよ。 アフリカから見ても然り。ネルソン・マンデラ南アフリカ元大統領 も日本に憧れ、日本を植民地解放者と見ていた。 >1 第二次大戦を民衆の思想面でバックアップした「太平洋協会」あたりなんじゃないの? 戦争に理屈付けをして、文書として大衆に読ませる活動を積極的に行っていた組織だったしな。 近衛文麿の「東亜新秩序」宣言が、昭和13(1938)年11月か。まさに>1の「欧米帝国主義の支配からのアジアの開放」をうたっている。 で、「東亜研究所」ってのが総裁に近衛文麿、副総裁に大蔵公望(満鉄理事、貴族院議員)、常務理事に唐沢俊樹で1938年9月に結成 されている。この組織の方が怪しいな。 この組織の考え方が、近衛に影響を及ぼしたか。 >>261 イギリスも負けたし、日本も負けた。 どちらも未来永劫の支配者ではない。 それを身近に認識できた部分は影響があるのではと思います。 このことを肯定的に捉える意見はあると思います。 ただ、日本軍を肯定的に捉えるというのとは違います。 一応、念のため明記しておきます。 日本軍に対する心情も考え方・立場によって様々だとは思います。 マレー人の中には、日本の軍政で取り入った人もいました。 日本敗戦後、一部の日本に協力したマレー人は華人と抗争していたりします。 そして、日本に協力した人たちは、英・華人に冷遇される。 日本軍の華人への弾圧の反動もあったみたいですね。 こういった人たちの中には、日本軍に勝って欲しかった。という人もいるかもしれません。 他方のマレー人にとっては、日本の植民地時代は過酷で、イギリス時代よりも酷かったと言われています。 軍票乱発によるインフレ。搾取の厳しさによる反発。 それらを声に出すと、憲兵に捕まり拷問を受ける。 とかくシンガポールの華人への圧政に目が行きがちですが、マレー人にも被害を受けた人は多く居ます。 ※大本営のマレーへの軍政方針は、厳しい搾取です。(先に挙げたインドネシアの今村軍政は個人的な判断であって、大本営は今村将軍にマレーと同じように厳しい搾取をするよう圧力をかけています) また、マレーに関しては、インドネシアと違い、日本はマレーの独立を認めなかった。 この辺は、マレー人の中でも裏切られたと感じる人はいるかもしれません。 戦争の意義を肯定的に捉える意見と言うのを否定する必要はありますし、そこを理解する部分も必要だと思います。 ただ、大前提として日本のマレーへの植民地政策に批判的な人の意見を十分に汲み取る必要があります。 その上でないと欺瞞に映ってしまうと思いますので、一応、マレーに被害を与えた部分も書いておきました。 あと、フィリピンで戦争の意義に肯定的な意見というのは、どういったものがありますか? >>40 こういう高尚な考えが建前だけでもあったわけ? よく東南アジア各国の首相クラスが日本に感謝してるとかいうけど、ほんとなの? 欧米諸国の植民地政策ってそこまで酷かったの?十六世紀じゃあるまいし、太平洋戦争の頃は洗練されてたんじゃないかと思うんだが。 >>269 国家として正式に感謝している国は一国もないと自民党政権時代の 国会答弁がある。それどころか、欧米の尻馬に乗って戦勝国として 賠償金をせしめている恩知らずの土人国ばかり。 >よく東南アジア各国の首相クラスが日本に感謝してるとかいうけど、 これは復興後ODA欲しさにパーティー会場で言われたお世辞。 >>268 建前としてはあったと思いますよ。 >>265-266 が触れていることも関わってくると思うけど 南方占領の作戦立てるときに、 現地の人の協力を得ることが侵攻作戦に必要という見解は出ています。 ※海軍の急進派の中堅どころが作った作戦案(誰だっけ?名前忘れた)や>>254 の作戦要綱なんかにも 現地勢力の協力を取り付ける必要があることは書いてあったと思います。 そのあたりは大詔でも踏まえられていると思います。 もちろん>>254 などにも載っている内容ですが、 本来の目的は、資源の獲得・厳しい搾取。 なるべく独立させず、軍政を敷く。というのが基本路線です。 ※ミャンマーや独立の決まっていたフィリピン(あとインドも一応)については独立容認でした。 >>269 戦中・戦前の日本(大日本帝国)についてですよね? 国によって、地域によって、政権によって違ってくる部分はあると思います。 東南アジアは、被害を受けた国が多いでしょうし、少なくとも手放しでの感謝とはならないと思います。 インドや台湾については、そういう声があっても理解できなくはないです。 >>270 酷いかどうかは、受け取り方次第な部分もあるとは思いますが、 愚民政策などは人道的には問題があるとは思います。 また、当時の国際世論でも、新たな植民地化は基本的には条約でNGになっていましたし、 植民地というもの自体に批判的な世論は出てきていたと思います。 各植民地で独立の運動というのは起こっていますし。 酷い部分もあったとは思いますが、それ以上に主権国家を求める。という流れがあったのだと思います。 そういう下地があったからこそ、日本が戦略的に利用する価値があると判断したのだと思います。 >>267 >日本軍に対する心情も考え方・立場によって様々だとは思います。 そうそう、日本軍については、ある程度肯定的に、すくなくともあまり 否定的にとらえないひともいれば、徹底的に否定的にとらえるひともいるとw >また、マレーに関しては、インドネシアと違い、日本はマレーの独立を認めなかった。 インドネシアには独立をのぞむ声が強かったが、マレーはそうでもなかった のでは。インドネシアの民族運動の指導者であったスカルノは、オランダの 殖民地機構に何度も牢屋にぶちこまれてるが、マレーシアの初代首相 ラーマンは、そんな目にあってないし、独立の指導者とはいえ、どちらかと いえば親英的でね。マレーでは英国の支配のもと、原住民はみな平和に 暮らしていたって、それも全然間違いとはいえまいw 現地ナショナリズムが 高揚したのは、第二次大戦後の話なわけでね。 満州や占領地の人々に天皇やアマテラスを強制的に拝ませたあたり、はっきりいえば無神経だし本音もダダ漏れだったな。 原爆は神の罰、とアジア人に大喜びされた原因は日本が精神さえ踏みにじったから。 >>267 フィリピンについては、もともと戦争直前に米国は独立容認に 傾いてたし、他の東南アジアとは事情が違うところはいくつか あるね。 日本軍が第二共和国独立をなしたときに、動員した イメージにフィリピン人が感動したなんて、そういう話を最近 読んだことがあったねえ。 第二共和国で動員された支配 エリートが、戦後もそれなりに影響もってたって、そういう 話もあるから、戦争中における日本支配の影響が戦後に どのくらいの影響があったかについては、論争の種にいまでも なるそうだ。 >>275 現地人に神社遙拝やらせようとして、抵抗うけて、暴力沙汰に なった、遙拝拒否した原住民を牢屋にいれたり、見せしめに殺したり したとか、そんな事件もあったりしたのかいな。 神社遙拝について 日本軍はどの程度の強制をやったのか、その意義についてどう 考えていたか、それらは認識しておく価値はそれなりにありそうだなw リー・クアンユーは、原爆投下の報を聞いてとても喜んだってはっきりいってたな。 マハティールは、当時原爆について、もっとよくしっていれば、違った感想が もてたかもしれないが、戦争がこれで終わるかと思うと、やはり喜びが大きかったと いってたね。 スカルノは、原爆投下については、日本軍の敗北の徴であるとは 受け取っていたが、喜ばしいとは別に書いてなかったねw 民族的立場や戦前の支配層とのつながりによって、受け止め方はいろいろな わけだねw >>274 >インドネシアには独立をのぞむ声が強かったが、マレーはそうでもなかったのでは。 そんなことはないかと。 マレー人の協力を取り付けるために独立を煽る。 民族自決・独立、その期待があったからこそ、当初、日本軍を歓迎したわけだし。 義勇兵に参加した人たちは、独立を望んだからこそだと思います。 >ラーマン すみません。ラーマン首相の経歴等詳しくないので良く分かりませんでしたが、独立を望む声の大きさとの関係性が良く分かりませんでした。 激しい独立運動が行われていなかったから、民族自決を望んでいなかったと言うことにはなりませんし。 >>276 すみません。趣旨が良く分かりませんでした。 >>277 >リー・クアンユー マレーの華人側ですからね。 虐殺される恐怖・恨みというものは関係しているかもしれませんね。 宮城遙拝ですよね。 色んな地域によって違うのでしょうが、どのような強要だったのか私も知りたいところではあります。 >>278 >義勇兵に参加した人たちは、独立を望んだからこそだと思います。 ちょっと調べたら、マレーでも日本軍は現地ナショナリズムを煽る 工作、結構やってたそうだね。その煽りが戦後の脱殖民地ナショナリズムに つながるわけだねえw >激しい独立運動が行われていなかったから、民族自決を望んでいなかったと >言うことにはなりませんし 独立をのぞむひともいたろうが、殖民地的秩序をのぞんでたひともいた わけでね。 それらの間の勢力バランスがどうであるかが問題だろうよ。 ラーマンの場合は、スルタンの一族で、英国支配のもとにおいても 特権階級であったから、より親英的といえるわけだよw >>279 >マレーの華人側ですからね。 >虐殺される恐怖・恨みというものは関係しているかもしれませんね。 日本軍がシンガポールを占領したとき、ゲリラに間違われて殺されそうに なったっていうね。あと日本軍の兵士になんどもビンタされたとか、そういう 経験が日本軍にたいする厳しい批判の源泉になっているとか。 リークアンユーの叔父も親英的なひとで、日本軍の侵略によって、古き良き 英国の支配が崩壊してしまったとこを、とても嘆き悲しんでいたとかw >>280 >ちょっと調べたら、マレーでも日本軍は現地ナショナリズムを煽る >工作、結構やってたそうだね。 基本路線ですので。 それ故、日本軍が侵略した後について ・結局は支配者が変わっただけ ・元の支配者(英・蘭)より酷かった と評価しているわけですし。 余計に失望と反発が大きくなったんだと思います。 >独立をのぞむひともいたろうが、殖民地的秩序をのぞんでたひともいた >わけでね。 おっしゃるとおりで、立場によって違うと思います。 ただ、植民地政策を支持する側というのは、支配者層の側であり、 支配者層側というのは少数側ではあります。 マレーでは、アピ事件。インドネシアでも、各地で日本の軍政に対して反乱が起こっています。 これらは、色んな感情が混ざった結果であると思います。 ・思想の強要 ・独立をさせない ・厳しい搾取 ・軍票の乱発による経済破壊 複雑に絡み合って不満が爆発した結果だと思いますので、 独立させないことだけが原因とは言えませんが、要因の一つではあると思います。 >>282 アピ事件ね。日本軍に対するゲリラ活動と、それに対する報復なわけだな。 インドネシアでも後期には、日本軍にたいする反乱がおきてるね。 スカルノも、占領後期には、日本軍はもうあまり長く居座りすぎてる って、そういう風にいっていたね。 >各地で日本の軍政に対して反乱が起こっています。 それらの原因にあとつけくわえることがあるとすれば、戦争の 推移と日本軍の先行きに対する不安と不信であるかな。 日本軍が負けたあとに、日本軍に協力していたものたちが 反逆の罪に問われることは自明なわけで。推移する情勢に たいしても、当時のひとたちは敏感だったろうよ。 >>283 アビ事件なんですね 本気で今までアピ事件だと思ってました・・・ ありがとうございます。 日本軍に対する抗日ゲリラ。 それが現地の住民を煽って大規模な抗争になった。 つまりは、ゲリラが原住民を煽る下地があった。 現地にいる人たちが反乱に加担するだけの問題があった。 これは、逆に日本軍が占領政策を取った時に 独立を煽り、現地ゲリラを育て・日本軍への協力を得る時も同様ですよね もちろん、おっしゃる通り全員が全員、不満を持っていたわけではないですが、 独立を望む声も一定規模あったということで。 >それらの原因にあとつけくわえることがあるとすれば、戦争の >推移と日本軍の先行きに対する不安と不信であるかな。 それもあると思います。 >>284 え? アピでいいってよ。アビ事件なんて書いたっけ俺? まあ日本軍による占領にたいしては、民族運動に利用できると 考えたのもいれば、元の宗主国による支配のほうがマシだった と考えて抵抗するのもいれば、共産主義が一番いいと思ってたのも いれば、とりあえず寄らば大樹の陰としか考えてないのもいれば いろいろな立場があったろうからね。 占領軍をみんな歓迎して、日本軍の思惑どうりに、原住民が みな協力してくれるって、日本軍もそこまで甘い考えはさすがに していなかったろうw >>285 あ・・・らっ?^^; さらに勘違いすみません >>262-263 wikipedia日本語版になんの記述も無いのなら さらに信用できないね。 大体、英語版ではなにが書かれているのかわかったものではない。 ウヨがよく引用するほどありがたがられる人物たちなのに 日本語版の記述はまったくと言っていいほど無い。 これでは信用されるのは無理だな。 あとつづりなんて日本人にはわかりにくいものだ。 自力で見つけられなくて当たり前。 日本語版のページが無い点からも妄信的に信用することは不可能 みながみな同じ意見を持つことなどまずないから日本軍を解放者として 捉える人がいても別に不思議ではない。 だがあくまで少数派だ、解放者として日本を見る人なんて 江戸時代において武士が少数派で農民が多数派のように 世の少数者しか解放者として見てる人はいない。 また第一に敗戦をなぜ肯定するか。 あんなのただのぼろ負けだ。日本史に汚点が残されただけだ。 日本の軍事に汚点が残されたことは遺憾に思う。 >>255 >>インドネシアにしても、マレーにしても、当初日本の進軍を歓迎する風潮はあったけど のちにオランダ・イギリスの植民地時代の方がマシだったいう証言は多く残っている。 ・・・そりゃ植民地でも戦争がなかった時代と独立しても独立戦争しなければならなかった時代とでは戦争がない方がええわな。 >>289 >・・・そりゃ植民地でも戦争がなかった時代と独立しても独立戦争しなければならなかった時代とでは戦争がない方がええわな。 植民地で戦争が無かった時代と、独立した時代を比べているわけではないです。 欧米の植民地時代と、日本軍による占領・軍政時代を比べています。 >>287 お前は頭が悪いな。日本語版もある。 ククリット・プラモート http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%88 それにしても、馬鹿ほど往生際が悪いというが、そうまでして実在の人物が「存在しなかった」 と言い張りたいメンタリティが理解できない。Kukrit Pramoj(April 20, 1911 - October 9, 1995) タイ元首相の発言がそんなに気に入らないのか?ま、名越の捏造で片づけるのが簡単だから架空の 人物にしたいのだろうが、馬鹿丸出しだな。実在したのは間違いない。名越捏造説は破綻したのだ。 ざまあみろ、バーカ アラムシャ中将は大統領特使として日本を訪問し、福田元総理や塩川正十郎大臣などと 会談している。日本を訪問して要人と会談した人物のどこが架空の人物なのか?理解できない。 ★ククリット・プラモード(タイ国元首相) 「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが 生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話が できるのは一体誰のお陰であるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった 為である。」 「12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日で ある。更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々この2つの日を忘れて はならない。」 (12月8日 「サイアム・ラット新聞」) これは大東亜戦争開戦記念日の新聞記事である。「プラモート」は存在したが、「プラモード」は存在しない。 だからこの発言は名越の捏造ニダ、という幼稚な言いがかりもあるだろうが、外国人の名称の日本語表記の やり方は何通りもあり、どれが正解とは言えない。間違いないのは Kukrit Pramoj、1911年4月20日 - 1995年10月9日が実在し、このような内容で新聞に寄稿したという事実である。 そこに嘘は無い。名越は正しい。大東亜戦争は植民地解放戦争だったのだ。 泣きながら否定し「ウヨがどーの」と低レベルな罵倒をするのは、馬鹿と在チョンのみ。 ある時、日本の政治家が、「過ぐる大戦において、わが国は貴国に対しご迷惑をおかけして 申し訳ありませんでした」という挨拶をした時、マレーシアの外務大臣はこう答えた。 ★ガザリー・シャフェー(Ghazali Shafie (22 March 1922 ? 24 January 2010) マレーシア元外相) 「どうしてそういう挨拶をなさるのですか。あの大戦で日本はよくやったではないですか。マレー人と 同じ小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を追い払ったではありませんか。その結果、マレーシアは 独立できたのです。大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも、その他の東南アジア諸国 の独立も考えられないんですよ?」 そろそろお気づきかもしれないが、アジアの英雄であるはずの日本人自身が持つ『自虐史観(悪いことを したという思い込み)』は、国際的にも不自然なのである。これは、自虐史観を信奉し、自虐史観を否定すると、 「ウヨがどーの」と低レベルな罵倒しかできない低能児には全く理解できない真実である。 マレーシアのガザリー・シャーフェー元外相もれっきとした実在の人物である。 Ghazali Shafie http://en.wikipedia.org/wiki/Ghazali_Shafie 因みにWIKI日本語版では「ガザリ・シャフィ」と表記されているので検索では ヒットしない。このように、外国人名の日本語表記は何通りもあって非常に難しい。 名越捏造説は完全に破綻しました。 名越捏造説は完全に破綻しました。 名越捏造説は完全に破綻しました。 実在した人物の発言を捏造する、大川隆法の手口ですね >>296 出典明らかにしているものに関しては確認すればいいんじゃない? 一文だけ抜き出して印象操作しようとしているのか、そうではないのか。 原文を訳してみるのがいいんじゃないかな。 >>291 死ね オレは別に捏造だと叫んだ覚えは無い。 >>メンタリティが理解できない。 ガザリー・シャフェー ククリット・プラモード ラジャー・ダト・ノンチック アラムシャ モハメッド・ナチール ブン・トモ この語でwiki検索をかけてもヒットしない。 オレは別に在チョンだから嫌がったと言うわけではない。 wiki検索でヒットしない語だから信用しなかっただけだ。 上の語でお前も検索してみろ。全然ヒットしないからな。 てめえはまず他者にたいして理解を求めたいのなら 適切に説明すると言う行動に至ってから批判をしろ 態度もよくないし頭の悪そうな発言だしあんたは死んだほうがいい 大体ウヨがよく引用するのにもかかわらず ガザリー・シャフェー ククリット・プラモード ラジャー・ダト・ノンチック アラムシャ モハメッド・ナチール ブン・トモ この6人の記事はwikipedia日本語版には存在しない。 当然、発言のことも一切記されていない。 実在が確認されたら発言が事実として認められる、訳ではない。 >>294 >>低能児には全く理解できない真実である。 他者に理解を求めたいのなら適切に説明しろ。 罵倒を始めるなどお間違いな話だ。お前も死ね。 そんな態度では相手にされない。一般人には他のアジア圏の人物のつづりなど 正確に理解するのは難しい。疑われるのが嫌なら オレの発言の問題点から考察してからにしろ。 普通に冷静に考えてみればわかることだ。 アジアの解放者が中国と争い、朝鮮と台湾を領有して 総督府など設置して同じアジア人同士なのに殺し合いをして 互いに差別しあっている。こう言う矛盾じみた点は普通に歴史を学べば気付けることだ。 さらに日本は敗戦した。なにができたか。 アジアの解放であるのなら欧米諸国相手に条約で独立を認めさせることができたはずだ。 なぜアジア人はオランダやフランスと戦争して独立戦争が勃発したか。 こう言う疑問点が解消されない限りアジアの解放なんて大げさな表現は持ちいれぬ。 せいぜい特定アジアの解放程度にしかならない >>300 彼らの発言が「捏造」だと言うなら、証拠を示してもらおうか。名越は発言を拾ってきて 「世界から見た大東亜戦争」展転社 名越二荒之助編 にまとめたに過ぎない。名越は可能な限り出典も示している。出典に記載が無いとでも 言うのか?ならば証明は簡単だろ。さあ、捏造を証明してみろ。 >>299 外国人名の日本語表記の仕方は何通りもある。馬鹿には理解できないようだ。 どれが正解と言う訳でもない。だから、俺は敢えて英語表記のWIKIを 教えてあげたではないか。馬鹿には俺の親切心も伝わらないようだな。 アラムシャ以外は全員が英語版のWIKIで確認された。発言も間違いない だろう。もし大嘘を書けば、名越の立場が危うくなり、本の信ぴょう性が薄れる。 何より、発言者から「そんな発言はしていない」と指摘されてしまう。 名越は真実を追っていただけだ。そこまで馬鹿でもあるまい。どうしても、 名越の捏造だと言い張るなら、どこが捏造なのか、証拠を示しながら説明してみろ。 分かったか、バーカ あと、最後に馬鹿に一言忠告しておこうか。WIKIに書かれていないことは 全て作り話だと思ったら大間違いだ。WIKIに書かれていないことの方が遥かに多い。 俺のおかげで一つ利口になってよかったな。 それにしても驚くね。最初、馬鹿サヨ連中は 「その名前で検索してもヒットしない。つまり発言しているのは全て架空の人物ばかりだから、 発言は全部名越の捏造」 と言い張っていたのに、次々とその実在が証明されると今度は「発言内容が信用できない」と 言い始めた。彼らの発言内容がそんなに気に入らないのか?何か不都合なことでも言っているのか? 信用できないというからには、反証があるんだろうな?なきゃ真実だ。 お前らの「信用できない」はただの感情論に過ぎない。学問的に無価値だ。 ★モハメッド・ナチール(インドネシア 元首相 ) 「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が 代表して敢行したものです。」 「大東亜戦争というものは本来なら私達インドネシア人が、独立のために戦うべき戦争だ ったと思います。もしあの時、私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と 戦ったでしょう。大東亜戦争はそういう戦いだったんです。」 Mohammad Natsir(1908-1992年)は戦後こう語った。大東亜戦争は植民地解放戦争だったのだ。 そして、植民地主義者とは米英蘭であり、米英蘭こそが侵略者なのである。賢明な方はおわかりだろうが、 大東亜戦争とは日本と侵略者との戦いだったのである。そして日本は侵略者を東南アジアから駆逐した。 泣きながら否定するのは、自虐史観に脳を侵された馬鹿と在チョンのみ。 ★アラムシャ陸軍中将(インドネシア大統領特使) 「平成5年7月、インドネシアのアラムシャ陸軍中将は大統領特使として来日しました。 その時福田元首相や塩川自治大臣(当時)などと会見し、大東亜戦争について「大東亜戦 争が長引いたばかりに労務問題などで、ご迷惑おかけしました。」と述べると「とんでもな い。むしろ大東亜戦争を途中でやめたことが残念であったと思ってる。あと5年はやるべ きであった。これは私だけの意見ではない。アフリカに行けば、みんなから聞く意見だ。 中東に行けばみんなから聞く意見だ。」「どういうことですか?」「なぜアフリカがあんな状 態なのか。我々と同じく40数年前に独立すべきであったがそうできなかったからだ。あ そこはオランダ人とイギリス人とユダヤ人が握っているから、どうしようもない。もし日 本があと5年大東亜戦争を続けていたならば恐らく中東まで進出していただろうから、中 東諸国ももっと早く独立できたであろうし、日本軍の大変な勢いがアフリカにも伝わって、 アフリカ諸国もインドネシアのようにもっと早く独立できただろう。そうすれば、南アフ リカも現在のように苦しまずに済んだはずなのだ」とアラムシャ陸軍中将は語りました。」 (中島慎三郎「アラムシャ陸軍中将の大東亜戦争肯定論」『祖国と青年』1994年2月号) 大東亜戦争を否定するのは、国際的に見て不自然である。特に、植民地にされ搾取されていた 国々にとって、大東亜戦争は解放戦争であった。インドネシアでは反日華僑が中心になって日本軍政 時代の「労務者問題」をあげつらい反日教育を行っているが、大局から見れば瑣末な問題に過ぎない。 だから国家として正式に感謝しているのはどことどこよ? 感謝しているなら、なんでこっちが困っているときになんで連合軍の 尻馬に乗って賠償を要求してきた? 日本が復興したら 援助ほしさにお世辞をいってくる。土人なんてそんなもんだ。 >>303 死ね お前は解放がどうか以前に幼稚園に戻って言葉遣いから練習しなおせ >>302 第一に俺は捏造だと叫んだ覚えは無い お前は字が読めないのか? どこに捏造の二文字がある >>303 >>馬鹿には俺の親切心も伝わらないようだな。 てめえはいい加減に死ね >>英語版のWIKIで確認された。発言も間違いない 日本語で確認できない以上、信用できるわけが無い 他者に理解を求めたいのならなぜ日本語版のページが 不足しているのか説明しろ 重大な発言をしているのなら日本語版のページが存在して 日本語で説明されているはず ネット上でも有名なwikiで説明されていないとなると 確固たる信憑性を持つはずが無い。 東南アジア諸国の政府で公式に感謝しているなんて確かに無いな。 俺の記憶でもそんな政府は知らない。 ID:l4cz7oGz0が引用する重大発言が本当なら もっとほかの書籍やwikipediaでも言及があるはず。 wikipediaでの言及がない時点で信憑性は確固たるものではないな。 英語のページなんて見せてなんか意味があるのか? 普通の日本人は英語を知らないし英文も読めない。 そんな不安定な説明で重大発言が説得力を持つはずも無い。 外務省の立場はこんなものだ。 我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、 多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。 ttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/01.html インドネシアに賠償金を支払っている ttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/03.html この裁判について異議を述べる立場にはないと考えています。 ttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/09.html 日本政府としても肯定的な立場はとってない。 ID:l4cz7oGz0の引用する重大発言が本当ならば外務省はこんな態度はとらん と言うか外務省の見解がもっと違ってもよい。 現実には受け入れられてないのだ。wikipediaで探しても日本語版が見つからない。 またあの戦争は解放か侵略か以前に政治・軍事的には大失敗の戦争であった。 これは世界の軍事史家や政治家も認めそうだ。 国家運営の観点からも駒として扱われる兵士の観点からもあの戦争は 実利の観点からも日本の政治・軍事的な名目からも何一つも利益が無い意味の無い戦争なのだ。 不確かな発言程度で大喜びして戦争を肯定する幼稚な馬鹿は 国家運営や率いられる兵士の観点からも否定されるべき戦争なのだ 国を破滅に導いた、そして率いられる兵士からは犬死を強いられたに等しいあの戦争は 日本人ですらも共感できない無意味な大戦なのだ ちょっとお世辞が言われた程度で大喜びしているID:l4cz7oGz0は 政治と軍事の基本原則をまったく知らない政治と軍事の心得が無いただのバカ 名目的にも単純な損得勘定からも見事に失敗したあの戦争なんて 否定されてしかるべきなのだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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