アジアの解放といい始めたのは誰か?
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どう考えてもアジアの一部地域のその中の一部の国の建国に 日本の一部の人たちが協力した程度にすぎないのに アジアの解放と大げさで誇張させられた表現が用いられるのはなぜか そしてアジアの解放だと言い始めたのはだれか 大げさで誇張された言い方にすぎないのに >>299 外国人名の日本語表記の仕方は何通りもある。馬鹿には理解できないようだ。 どれが正解と言う訳でもない。だから、俺は敢えて英語表記のWIKIを 教えてあげたではないか。馬鹿には俺の親切心も伝わらないようだな。 アラムシャ以外は全員が英語版のWIKIで確認された。発言も間違いない だろう。もし大嘘を書けば、名越の立場が危うくなり、本の信ぴょう性が薄れる。 何より、発言者から「そんな発言はしていない」と指摘されてしまう。 名越は真実を追っていただけだ。そこまで馬鹿でもあるまい。どうしても、 名越の捏造だと言い張るなら、どこが捏造なのか、証拠を示しながら説明してみろ。 分かったか、バーカ あと、最後に馬鹿に一言忠告しておこうか。WIKIに書かれていないことは 全て作り話だと思ったら大間違いだ。WIKIに書かれていないことの方が遥かに多い。 俺のおかげで一つ利口になってよかったな。 それにしても驚くね。最初、馬鹿サヨ連中は 「その名前で検索してもヒットしない。つまり発言しているのは全て架空の人物ばかりだから、 発言は全部名越の捏造」 と言い張っていたのに、次々とその実在が証明されると今度は「発言内容が信用できない」と 言い始めた。彼らの発言内容がそんなに気に入らないのか?何か不都合なことでも言っているのか? 信用できないというからには、反証があるんだろうな?なきゃ真実だ。 お前らの「信用できない」はただの感情論に過ぎない。学問的に無価値だ。 ★モハメッド・ナチール(インドネシア 元首相 ) 「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が 代表して敢行したものです。」 「大東亜戦争というものは本来なら私達インドネシア人が、独立のために戦うべき戦争だ ったと思います。もしあの時、私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と 戦ったでしょう。大東亜戦争はそういう戦いだったんです。」 Mohammad Natsir(1908-1992年)は戦後こう語った。大東亜戦争は植民地解放戦争だったのだ。 そして、植民地主義者とは米英蘭であり、米英蘭こそが侵略者なのである。賢明な方はおわかりだろうが、 大東亜戦争とは日本と侵略者との戦いだったのである。そして日本は侵略者を東南アジアから駆逐した。 泣きながら否定するのは、自虐史観に脳を侵された馬鹿と在チョンのみ。 ★アラムシャ陸軍中将(インドネシア大統領特使) 「平成5年7月、インドネシアのアラムシャ陸軍中将は大統領特使として来日しました。 その時福田元首相や塩川自治大臣(当時)などと会見し、大東亜戦争について「大東亜戦 争が長引いたばかりに労務問題などで、ご迷惑おかけしました。」と述べると「とんでもな い。むしろ大東亜戦争を途中でやめたことが残念であったと思ってる。あと5年はやるべ きであった。これは私だけの意見ではない。アフリカに行けば、みんなから聞く意見だ。 中東に行けばみんなから聞く意見だ。」「どういうことですか?」「なぜアフリカがあんな状 態なのか。我々と同じく40数年前に独立すべきであったがそうできなかったからだ。あ そこはオランダ人とイギリス人とユダヤ人が握っているから、どうしようもない。もし日 本があと5年大東亜戦争を続けていたならば恐らく中東まで進出していただろうから、中 東諸国ももっと早く独立できたであろうし、日本軍の大変な勢いがアフリカにも伝わって、 アフリカ諸国もインドネシアのようにもっと早く独立できただろう。そうすれば、南アフ リカも現在のように苦しまずに済んだはずなのだ」とアラムシャ陸軍中将は語りました。」 (中島慎三郎「アラムシャ陸軍中将の大東亜戦争肯定論」『祖国と青年』1994年2月号) 大東亜戦争を否定するのは、国際的に見て不自然である。特に、植民地にされ搾取されていた 国々にとって、大東亜戦争は解放戦争であった。インドネシアでは反日華僑が中心になって日本軍政 時代の「労務者問題」をあげつらい反日教育を行っているが、大局から見れば瑣末な問題に過ぎない。 だから国家として正式に感謝しているのはどことどこよ? 感謝しているなら、なんでこっちが困っているときになんで連合軍の 尻馬に乗って賠償を要求してきた? 日本が復興したら 援助ほしさにお世辞をいってくる。土人なんてそんなもんだ。 >>303 死ね お前は解放がどうか以前に幼稚園に戻って言葉遣いから練習しなおせ >>302 第一に俺は捏造だと叫んだ覚えは無い お前は字が読めないのか? どこに捏造の二文字がある >>303 >>馬鹿には俺の親切心も伝わらないようだな。 てめえはいい加減に死ね >>英語版のWIKIで確認された。発言も間違いない 日本語で確認できない以上、信用できるわけが無い 他者に理解を求めたいのならなぜ日本語版のページが 不足しているのか説明しろ 重大な発言をしているのなら日本語版のページが存在して 日本語で説明されているはず ネット上でも有名なwikiで説明されていないとなると 確固たる信憑性を持つはずが無い。 東南アジア諸国の政府で公式に感謝しているなんて確かに無いな。 俺の記憶でもそんな政府は知らない。 ID:l4cz7oGz0が引用する重大発言が本当なら もっとほかの書籍やwikipediaでも言及があるはず。 wikipediaでの言及がない時点で信憑性は確固たるものではないな。 英語のページなんて見せてなんか意味があるのか? 普通の日本人は英語を知らないし英文も読めない。 そんな不安定な説明で重大発言が説得力を持つはずも無い。 外務省の立場はこんなものだ。 我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、 多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。 ttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/01.html インドネシアに賠償金を支払っている ttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/03.html この裁判について異議を述べる立場にはないと考えています。 ttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/09.html 日本政府としても肯定的な立場はとってない。 ID:l4cz7oGz0の引用する重大発言が本当ならば外務省はこんな態度はとらん と言うか外務省の見解がもっと違ってもよい。 現実には受け入れられてないのだ。wikipediaで探しても日本語版が見つからない。 またあの戦争は解放か侵略か以前に政治・軍事的には大失敗の戦争であった。 これは世界の軍事史家や政治家も認めそうだ。 国家運営の観点からも駒として扱われる兵士の観点からもあの戦争は 実利の観点からも日本の政治・軍事的な名目からも何一つも利益が無い意味の無い戦争なのだ。 不確かな発言程度で大喜びして戦争を肯定する幼稚な馬鹿は 国家運営や率いられる兵士の観点からも否定されるべき戦争なのだ 国を破滅に導いた、そして率いられる兵士からは犬死を強いられたに等しいあの戦争は 日本人ですらも共感できない無意味な大戦なのだ ちょっとお世辞が言われた程度で大喜びしているID:l4cz7oGz0は 政治と軍事の基本原則をまったく知らない政治と軍事の心得が無いただのバカ 名目的にも単純な損得勘定からも見事に失敗したあの戦争なんて 否定されてしかるべきなのだ。 占領されてあるいは植民地化されて感謝する馬鹿とかいるのかね? >>310 >普通の日本人は英語を知らないし英文も読めない。 普通の日本人は義務教育で英語を習うからある程度読み書きできる。 英語を知らず、英文も読めない低レベル馬鹿はお前だけだ、ウスノロw お前は英語力の乏しいクズだ。もう一度中学に入りなおせ、低能。 お前のような能無しに歴史を語る資格は無い。 >>309 >他者に理解を求めたいのならなぜ日本語版のページが >不足しているのか説明しろ それは、WIKIの文章を作成した人間に聞くべきことだ。お前はWIKIが大好きな くせに、そんなことも知らないのか?バッカジャネーノ >>311 >外務省の立場はこんなものだ。 外務省の立場など、真実の歴史を語る上で何の意味も無い。そもそも日本国は東京裁判を 受諾したと公式表明しているので、それに反することには触れない。馬鹿には分かるまい。 歴史は政治家が決めることでは無い。生き証人たちの証言や彼らの記した史料が決めるのだ。 馬鹿には分からないだろうが。お前は愚鈍だから、お前に歴史を語るのは無理だ。 分かったら、歴史版から出ていけ、バーカ。二度と来るな、低能! ★ブン・トモ (インドネシア 元情報相) 「我々アジア・アフリカの有色民族はヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが全部失敗した。 インドネシアの場合は、350年間も失敗が続いた。それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で 徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、独立は近い と知った。」 「一度持った自信は決して崩壊しない。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならな かった。そして実は我々の力でやりたかった。」 大東亜戦争は我々の戦争であり、我々の力でやりたかった、という言葉は重い。 どういうことかというと、大東亜戦争は侵略者と戦う解放戦争だ、と言っているに等しいのである。 Bung Tomo(October 3, 1920−October 7, 1981)は来日して、要人たちの前でこう言った。 恥じる必要はない。我々の先祖は偉大なる植民地解放戦争を戦ったのだ。そして全ての植民地は独立 した。馬鹿サヨと在チョンは涙目で否定するが、これが歴史の真実なのである。 ★ナイジェリア史入門書(ナイジェリアでの大学入試受験のための必須教材) 「第二次世界大戦に連合国の一員として従軍したナイジェリアの多数の兵士は、新しい思想を持ち帰った。 まず第一に、多くの兵士は読み書きを教わり、あるいは仕事を教わった。第二に、白人が無敵ではないこと、 たとえば極東のイギリス帝国における日本軍の占領をみてしまった。第三に、インドで、兵士たちは強烈な 民族主義感情と接触した。インドでは、アフリカ人よりもひどい生活をしている人々、そして独立が与え られる直前の人民を見た。それゆえに、多くの兵士たちが改革の思想をもってナイジェリアに帰ってきた のは、驚くべきことではなかった。基本的に、戦争は植民地権力の本質を問題にし、そして、白人優越の 間違った思想を打ち壊してしまった。イギリスの敗北、特に日本軍による敗北は、植民地権力が無敵である というイメージを弱めた。これらすべての諸要因が、植民地支配に対する民族主義的感情を昂揚させ、 イギリス植民地政府のナイジェリア支配を弱めた。」 これが、アフリカで西欧の植民地だった国からの、正当な大東亜戦争評価なのである。大東亜戦争で 欧米軍が敗走するのを見て、アフリカ植民地の人々も、白人不敗神話の崩壊を目の当たりにした。 そして帰国後、植民地からの脱却、自主独立への道を歩むことになるのである。 大東亜戦争は、アフリカ植民地の独立を早めた。これは、ナイジェリア国史の語るところである。 馬鹿と在チョンは泣きながら否定するが、大東亜戦争が植民地解放戦争であったのは疑いない事実なのである。 ★南アフリカ共和国のソエトで朝日新聞記者の伊藤正孝氏の会った黒人男性が語った言葉 「日本軍は、なぜ南アフリカを攻めなかったのか。インド洋をあと3500マイル進めば南アフリカを 占領し、黒人を解放できたんだ。」 「いまからだって日本は南アフリカを攻略できるだろう。やる気はないのか。」 (伊藤正孝「南ア共和国の内幕」中公新書) アフリカ諸国の人々にとって、日本軍は黒人を解放する白馬の騎士であり、 大東亜戦争は植民地解放の聖戦に他ならなかったのである。われわれの先祖は、 人種差別主義・植民地主義との対決という偉大な戦争を戦ったのだ。 ネルソン・マンデラが大東亜戦争に期待し、日本に憧れるのも当然といえる。 日本嫌いのクズ共にとって、都合の悪い事実が噴出するのは実に愉快だ。 ★ASEANセンターの中島慎三郎代表がインドネシアのバンドンで体験した 南アのネルソン・マンデラ一行との大東亜戦争に関する対話 「マンデラ使節団のメンバーの華僑が、我々に「華僑か。」と聞くので「我々は日本人だ。」と インドネシア語と英語で答えたら、使節団のインドネシア人とマレー人は非常に喜んで、 日露戦争と大東亜戦争を礼賛した」 「「日本軍がインド洋を越え、エジプトまで来てくれていたら、南アは10年早く1950年ごろには 独立していたに違いない。」と口々に言うので本当に驚いた。」 「また、「日本軍は大東亜戦争を途中で止めたから怪しからん。」と微笑を浮かべて力説する男がいた」 ★ネルソン・マンデラの側近の言葉 「マンデラ氏も我々と同意見である。マンデラ氏は、『日露戦争の日本、大東亜戦争の日本、 援助する日本、工業の日本に感動した。日本に行きたい。天皇陛下にお会いしたい。』と、 毎日語っている。」 ネルソン・マンデラ元大統領が憧れていたのは、日露戦争以降の日本の全てである。 馬鹿にはわからないようだが。当時のアフリカは欧米列強の植民地であり、独立を 欲してもどうしようもない状況であった。だから、彼らは欧米帝国主義を蹴散らした 日本に憧れ期待したのである。大東亜戦争は侵略者・帝国主義者との戦いだったのだ。 泣きながら否定するのは馬鹿と在チョンのみ。 >>315-316 >>歴史は政治家が決めることでは無い。 あんた政治家の発言ばかり引用しているくせに なぜ矛盾した言葉を言いやがるんだ? バカはてめえだろw wikipediaになんの引用もされてない時点で話にならない。 今の時代においてwikipediaでなんの説明もされていないだなんて 説得力が皆無だからな さっさと死ねよ矛盾バカ >>315-316 大体、お前はwikipedia英語版のページから引用することもせず 発言の真偽は不確かなままだ。 お前が英語を読み書きできるのかは知らないが wikipedia英語版にお前が引用する発言が記されているのならぜひ引用して欲しい。 そういうことも一切せずに信用されたいと願うのなら 卑怯な馬鹿者だ てめえは歴史を語る資格が無い。さっさと死にやがれ どの道てめえは英語の読み書きもできないだろうから wikipedia英語版から引用することもしない。 wikipedia日本語版ではページすらなく wikipedia英語版では多分に発言も書き込まれて無いだろうな。 wikipedia英語版から引用されることも無いみたいだから 発言の真偽は不確かなままだ。 英文の読み書きができるのかは知らないが wikipedia英語版から引用することも無いみたいだから 多分に読み書きもできないのだろう ID:lGogfclF0のような愚か者は日本人として存在して欲しくないからさっさと死になw 傲慢不遜で態度がでかく東南アジア諸国民に申し訳ないので 同じ日本人として生きても欲しくありません。死んでください。 吠えてる暇があったら、英語の勉強でもしたら?WIKIPEDIAの信奉者さんw WIKIPEDIAを根拠にして歴史を語るのは恥ずかしいことなんですよ。これは忠告。 誰が書いたかにもよりますが、WIKIに書かれていることは余りに少なく狭いのです。 wikipediaに一切、記事が存在しないのなら信憑性は低いのでは? >>315-316 の弁が確かなものならwikipediaにも記事が存在するはず 無視されている時点で信用できるものではない。 wikipediaに絶対性などないが 記事がないと言うのなら不確かなものだと見ても間違いは無い。 今の時代において相手にされてないというのなら それほど浸透した話ではない、と言うことになる。 Wikiが正しいかどうかは別として、ここは学問板で英語で文献を読める くらいの人を前提としてきた。ところが無学なブルーカラーやニートの人が 入ってきて床屋談義をインテリに仕掛けてくる。 それで「ブサヨを論破したぞ!!!!」と吠えているだけだ。 過去の歴史を書き換えることはだれにもできません。 また大戦の後に生まれた人たちに責任が生じるとも思えません。 だが過去の日本を正当化して美化するような不逞な輩は攻撃する義務は わたしたち日本人にあると思います。 東南アジア諸国民の過去の苦い体験を思うと実に心苦しく申し訳ない限りです。 大戦の後に生まれた者たちに責任が生じるわけではないだろうがな 好き勝手言いたい放題言ったり東南アジア諸国民を傷つける発言をするのは お間違いなことだ 過去の歴史を書き換えることができないのなら 不当な肯定は改めなければならない そして不逞な輩を排撃する義務はあると思う。 それが過去の歴史を書き換えられない日本人の 数少ない罪滅ぼしなのだ ある時、日本の政治家が、「過ぐる大戦において、わが国は貴国に対しご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」 という挨拶をした時、マレーシアの外務大臣はこう答えた。 ★ガザリー・シャフェー (マレーシア 元外相) 「どうしてそういう挨拶をなさるのですか。あの大戦で日本はよくやったではないですか。マレー人と同じ 小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を追い払ったではありませんか。その結果、マレーシアは独立でき たのです。大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考え られないんですよ?」 そろそろお気づきかもしれないが、アジアの英雄であるはずの日本人自身が持つ『自虐史観(悪いことをした という思い込み)』は、国際的にも不自然なのである。多くの日本人は学校の歴史教育で「自虐」を教え込まれ、 真実の歴史を知らぬまま自虐の海に溺れて行く。しかし、当時を知る東南アジアの人々は、日本人を恨むどころ か、大東亜戦争そのものを讃えるのである。 大東亜戦争は植民地を解放する戦争だった。これが真実の歴史である。 泣きながら詫びるのは無知な馬鹿のみ。 ★ラジャー・ダト・ノンチック(マレーシア 元上院議員) 「この国に来られた日本のある学校の先生は『日本軍はマレー人を虐殺したに違いない。 その事実を調べに来たのだ』と言っていました。私は驚きました。『日本軍はマレー人を 一人も殺していません。』と私は答えてやりました。日本軍が殺したのは、戦闘で闘った 英軍や、その英軍に協力した中国系の抗日ゲリラだけでした。」 日本軍は紳士の軍隊であった。だから、現地人を意味も無く殺したりはしていない。そして、 日本軍政は、占領地で徹底した民族主義教育を行った。これは、独立に向けた地ならしであり、 かつての宗主国にとっては不都合極まりないものであった。現地人は日本軍政を信頼し、困難 はあったものの、これが後の独立へ結びついていく。 ノンチックにとっては、こういう反日馬鹿教師の存在は信じられないことだったろう。そして、 真実を捻じ曲げる糞馬鹿のメンタリティーは>>332 に綿々と引き継がれている。 >>333-334 >>316 で「歴史は政治家が決めることでは無い。」と言いながら 政治家の発言を引用する貴様は途方も無い矛盾バカww ガザリー・シャフェー、ラジャー・ダト・ノンチックは wikipediaでは記事すら存在しない よって説得力は皆無に近い 矛盾バカは死ね ★エリック・ホプスバウ博士(英国ロンドン大学教授) 「インドの独立は、ガンジーやネールが率いた国民会議派が展開した非暴力の独立運動に 依るものでは無く、日本軍とチャンドラ・ボースが率いるインド国民軍(INA)が協同して、 ビルマ(現ミャンマー)を経由し、インドへ進攻したインパール作戦に依ってもたらされ たものである。」 日本は、自由インド仮政府主席のチャンドラ・ボースと手を組み、インド独立のために共同 作戦を行った。これが有名なインパール作戦である。日本軍にとってインドまで侵攻する メリットは大きくなかったが、インド独立と東南アジア防衛のためにインパール作戦を敢行 した。これは、インド人がイギリス人と独立のために戦った最大規模の戦いであり、民族の 誇りであるチャンドラ・ボースの功績は大きく讃えられ、その肖像画が国会議事堂入口正面 に飾られている。因みにその左右にネルーとガンジーの肖像画が飾られている。 大東亜戦争が植民地解放戦争と呼ばれるゆえんであり、今でもインドは日本の友好国 なのである。馬鹿と在チョンは泣きながら否定するが、これが歴史の真実なのである。 >>336 エリック・ホプスバウ著『過激な世紀』より引用 >>335 「歴史は政治家が決めることでは無い。生き証人たちの証言や彼らの記した史料が決めるのだ。」 と俺は言った。生き証人やその言葉を聞いた人間が、後に政治家になって発言したものであり、 その内容は信ぴょう性がある。なぜなら政治的な発言ではなく、史実を語るものだからである。 馬鹿にはそこが理解できず、鬼の首を取ったように大騒ぎだ。お前に歴史を語る能力は無い。 一生、中国・朝鮮・東南アジア諸国に謝罪し続け、自虐オナニーに励んでろ、クズw ★ジョージ・S・カナへレ博士(ハワイ・日本経済協議会事務局長) 「日本占領軍が、インドネシア民族主義の為に行った種々の訓練の中で、最も重要なものの一つは、インドネシアに 正規軍及び準軍事組織を創設して、それに訓練を与えた事であろう。この作業は、特にジャワ、バリ及びスマトラの 各島で推し進められた。 後に、インドネシア独立軍の将校や下士官となった者達は、殆ど全て、及び何万と言う兵士 達は、この訓練を経て、軍事技術を身に付け、日本の敗戦後に戻ってきたオランダ軍を相手に、独立戦争を戦ったので あった。 もし、この訓練が無かったなら、そして日本の降伏後、インドネシア人の手に入った日本軍の武器や軍需資 材が無かったなら、インドネシア独立戦争の行方は違った方向に進んでいたかも知れない。」 ジョージ・S・カナへレ『日本軍政とインドネシア独立』鳳出版社、1977年) 日本軍政は、インドネシアにPETAという民族軍事組織を作り、日本式の厳しい教練で鍛えた。その中には、若き日 のスハルト(後のインドネシア大統領)もいた。彼らは、「貴様らは将来のインドネシアの牽引役だ」とはっぱをかけ られ、歯を食いしばって耐えた。そして、PETAは、残留日本兵ととともに独立戦争を戦い、見事に独立を勝ち取っ たのである。 大東亜戦争が植民地解放戦争と呼ばれるゆえんである。 馬鹿と在チョンは泣きながら否定するが。 >>338 矛盾バカはまず小学生からやり直したほうがよい ■インドネシア『祖国防衛義勇軍(PETA=ペタ)マーチ』 “アジア、すでに敵に向かい、蜂起せり 己を捨てて全力を尽くす 連合国を粉砕せんと 玉散ることもいとわず 進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ 古きアジア 不幸に苦しむ 烈しき圧制に 幾世紀も忍ぶ 大日本 雄々しく立てり アジアを救い 我らを守る 進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ” 数百年の圧政からアジアを救う大日本。インドネシアの現地の人々に、戦争当時から半世紀以上もの間 歌い継がれてきた歌詞である。これは韓国人や中国人が言う「日本はアジアの嫌われ者」という主張が いかにいい加減なものであるかを象徴しているといえるだろう。 馬鹿>>340 はこの歌詞を100回読め。 >>340 マレーシアのガザリー・シャーフェーもラジャー・ダト・ノンチックも実在の人物である。 Ghazali Shafie http://en.wikipedia.org/wiki/Ghazali_Shafie Raja Dato Nong Chik http://en.wikipedia.org/wiki/Raja_Nong_Chik_Zainal_Abidin 幼稚な馬鹿は、「ウリは英語が読めないニダ、だから全部信用できないニダ」と言い張って 何もかもを否定する。こんな馬鹿に歴史を語る能力はゼロ。自虐史観に脳を侵されたゴミは、 知能指数が極めて低い低能児なのだ。いい加減目を覚ましたらどうだ?ウスノロw 史実に従うと日本は台湾・朝鮮を解放した事実は無い。 また日本は米英仏蘭との間に植民地を独立させる条約なんぞ 締結した事実なんてないから、現実には解放にまでは至ってない( だからインドネシア人やベトナム人は自らの力で独立を獲得する必要性に迫られた)。 大体、日本は資源を獲得したくて太平洋戦争を引き起こした。 自衛ならよく聞くが植民地解放戦争という話はまったく聞けない ID:FBKCj+gs0の歴史観はおいしいとこだけつまみ食いした 自分が気に入る発言だけを集めたつまみ食い論者 自分にとってお気にめす発言ばかりを引用するだけでは 歴史を語る能力はゼロ。 矛盾バカはいい加減に死ね >>343 >史実に従うと日本は台湾・朝鮮を解放した事実は無い。 馬鹿の精一杯の知識がこの程度か。俺が真実を教えてあげよう。台湾は日清戦争で日本に割譲された 日本領土だ。朝鮮は、大韓帝国の請願によって日本が併合してあげた日本領土だ。解放する理由が無い。 台湾も朝鮮も植民地ではないのだ。お前みたいなゴミも少し利口になったな。感謝しろ、低能! >植民地解放戦争という話はまったく聞けない 当時を生きた東南アジアの人々の言葉からはそういうニュアンスしか聞こえないが。馬鹿は自虐史観 に脳を侵されて完全に狂っているから真実が見えないらしい。お前に歴史を語る能力は全くない。 >自分にとってお気にめす発言ばかりを引用するだけでは ならば、お前のお気に召す発言も引用したらどうだ?愚かな負け犬君w そういうとシンガポール華僑の発言を出す馬鹿がいるんだよなw >>344 興奮のしすぎは体に毒だよ 矛盾バカさん♪ ★バー・モウ博士 ビルマ(ミャンマー)初代首相 「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。 真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われた のであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国 政府であった」 (バー・モウ博士著『ビルマの夜明け』より) バーモウというのは、戦争中は独立義勇軍で戦い、独立後はビルマの初代首相になった人である。 バー・モウは、独立宣言文の中で、「イギリスに略奪目的で占領された時、ビルマは決死の抵抗を 行ったが結局殺されてしまった。ビルマはアジアのリーダーを待っていた。その時そこに日本が現 われた。ビルマはその感謝を忘れない。」と感謝の言葉を述べた。 ビルマは日本の援助で無事独立し、日本に感謝した。 馬鹿と在チョンは泣きながら否定するが。 ちなみにミャンマーでは3月27日の国軍記念日になると、全国の国軍を首都に集結して盛大 なパレードを繰り広げるのだが、そのパレードではなんと日本の“軍艦マーチ”から演奏が 始まるのだ。 そして“歩兵の本領”や“愛馬進軍歌”など日本の軍歌が次々と演奏される。 これは、日本と大東亜戦争への感謝の表れに他ならない。馬鹿にとって都合の 悪い事実が次々と明らかになるのは楽しいな。 ID:FBKCj+gs0 中卒携帯オヤジ、連続射精オーガズムに突入! お前、自分が矛盾している発言をしていることに気づいているのか? 歴史は政治家が決めることでは無い。だなんて言いながら なんで政治家の発言を引用するんだよ。 本物のバカだなあんたは >>344 >>解放する理由が無い。台湾も朝鮮も植民地ではないのだ。 総督府を設置して日本本土と同じ待遇にあわせないのだから まんま植民地だろ てめえの願望だけで植民地ではなかっただなんて 言い分は通らないんだよ >>そういうニュアンスしか聞こえないが。 そりゃお前がつまみ食いしているだけだからだろ 不都合な意見は最初から無視して 都合のよい発言だけを集める ただそれだけの話なんだが偏った歴史観では 歴史を語れる力などほとんど無いな お前には歴史を語れる力はゼロだ >>311 ですでに引用しているだろ 外務省の立場が植民地解放戦争ではない、と言うものなら 植民地解放戦争でないことを説明している 卑怯な愚か者が 外務省は植民地解放戦争ではないとの立場なんだぞ >>バー・モウ ようやくWikipediaで検索できそうな人物が現れたが 貴様の引用する発言なんてどこにも記されてなかったぞ あんたは外務省の公式見解を否定してその上、 Wikipediaからは相手にもされず2ちゃんねる上で コソコソ引用しているだけだ。 外務省の公式見解とWikipediaではなんの説明もされていないことに 関してどう考えているなんだよ お前はバカなんだよ 外務省もwikipediaもまるで相手にされてない どこをどう読んでも植民地解放戦争だと言うことには 行き着いていない 卑怯者は死ねよクズ >>347 北朝鮮の軍歌のメロディも皇軍のものが多いよ。 >>349 お前は本当に馬鹿だな。俺は何度も言っている。歴史は生き証人やその証言を引き継ぐもの、そして それに基づいた史料によって作られると。生き証人やその証言を聞いて育った人間が、後に政治家に なって発言した。 ただそれだけのことだ。俺は少しも矛盾していない。政治家であっても生き証人だったことに変わりは無いのだ。 馬鹿には何を言っても無駄かもしれないがな。 >>349 俺が言う「歴史は政治家が作るものではない」というのは、歴史を知らぬ後世の政治家が、歴史を 政治目的でゆがめ、政治に利用することを禁止したものだ。これは中国韓国が良くやる手段であって、南京事件、 従軍慰安婦問題、靖国問題等々、厄介な歴史外交問題になってしまっている。 史実がどこにあるのか知ろうと思ったら、政治目的で歴史を歪曲するのはやってはいけないことだ。 お前は馬鹿だから理解できないだろうが。 モハメッド・ナチール、ブン・トモ、ククリット・プラモード、ガザリー・シャーフェーやラジャー ・ダト・ノンチック。皆、生き証人や生き証人の証言を聞いて育った人間たちであり、嘘を言う理由は無い。 そして、彼らの大東亜戦争肯定論は、日本政府の立場と反しており、日本政府にとっては触れたくない 部分である。それでもあえて真実を言ってくれた彼らには感謝するべきだろう。 自虐史観に染まった馬鹿や在チョンは迷惑がるようだがな。はっはっは。 恥を知れ、クズw >>350 WIKIに書かれていることはごくわずかだと、何度言ったら分かるんだ? 出典は書いてある。「バー・モウ博士著『ビルマの夜明け』」こういう出典 からWIKIに転載されていくんだよ。馬鹿には難しい話だろうが。 WIKIが全てだと思うお前は最低の馬鹿だ。馬鹿なお前に歴史を語る能力 など全く無い。今すぐ歴史板から消えろ。禿 外務省が1987年にアセアン(東南アジア諸国連合)各国で行った世論調査 大戦中の日本について「悪い面はあったが、今となっては気にしない」 インドネシア:48% マレーシア:43% フィリピン:37% シンガポール:47% タイ:46% 「悪い面を忘れることはできない」 インドネシア:33% マレーシア:32% フィリピン:36% シンガポール:41% タイ:24% アジアの各国で被害を出した側が言う台詞ではありませんね。 インドネシア、マレーシア、シンガポール、タイ、ベトナム、カンボジア それぞれの国で労務者・搾取、性的問題、餓え、色んな被害を出している 相手が気を使って気にするなと言ったとして、「では気にしない」「悪いなんて思わない」そんな態度を取るのは恥知らずだと思うのだが。 日本人の一般的な道徳や礼節からしたら考えられないことを言ってると思う。 どんな家庭で育ってきたんだか。 >>334 マレー人も亡くなってる。 >>355 引用されるのはよろしいんですがどのページから引用したのか 出典を明らかにして貰えませんか。 >>356 外務省のアセアンの世論調査って書いてるんだから、出典明らかにしていると思うが。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/asean/yoron.html 平成14年5月から9月にかけて、ASEAN6ヶ国(インドネシア、マレーシア、 フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナム)における対日世論調査を行った ところ、主要ポイントは以下の通り。本件世論調査は過去5回(1978、83、 87、92及び97年)実施しているものである。なお、今次調査より、対象国と してベトナムを追加した。 ● 第二次世界大戦中の日本について、 「悪い面はあったが、今となっては気にしない」 インドネシア:44%(48, 52) マレーシア:50%(43, 33) フィリピン:51%(37, 37) シンガポール:62%(47, 44) タイ:45%(46, 36)ベトナム:71% 「悪い面を忘れることはできない」 インドネシア:25%(33, 29) マレーシア:22%(32, 40) フィリピン:33%(36, 37) シンガポール:31%(41, 31) タイ:18%(24, 18)ベトナム:12% 一応、カッコ内の最初の数値は、87年度だと思う。 後は、Webには無いかもしれないから、その時は何処で資料を閲覧できるか外務省に聞くなりしてみて。 なんか、アジアで迷惑を掛けたっていうのを自虐史観って思っている人いるんじゃないかな。 ここ見てるとそんな気がしてくるよ。 自虐史観を飛び越えて自慰史観にいってるだけだからね。 もし、こういう戦争に巻き込まれた国々の現地の人の声を知らずに、 「解放してやった」みたいなノリで戦争語る人がいたなら、 厚顔無恥すぎる発言してたことを理解しましょう >>360 よく分からないのですが、 わたしにレスをしたということは、 アジアで日本軍が迷惑を掛けたというのが他虐史観ということなんですよね? それに何の意味があるかは分かりませんが。 アジアで日本軍が迷惑を掛けた。 これは一つの確立した史観になると思います。 何か否定する材料でもあれば別ですが。 >>361 他虐史観とは徹底して他のアジア人に迷惑をかけたことを言うんです。 自虐史観の自虐とは自分で自分を虐げることを言う。 ならば他虐史観とは他者を徹底して迫害することを言う 他のアジア人に徹底して迷惑をかけたと言うのなら それでは自虐とはいえない。自虐とは自分で自分を虐げることを言うからだ。 でもこの他虐史観と言う言葉は俺一人が作って使用しているだけの言葉で 意味を知らなくても別に問題ないんです。 >>357 そのアンケートおかしいぜ。選択肢がその2つしかない。 「良い面もあった」という選択肢が全くない。 そのアンケートは恣意的に「日本は悪かった」と選ばせるもので信用できない。 外務省が自ら自虐するとは、自虐もここに極まれりだな。 自虐史観を信奉する奴らはこういう情報操作を平気で行う。 外務省も左翼か。信用できない連中だ。こんなあてにならないアンケートを自慢気に 見せびらかす奴は馬鹿丸出しだな。 >>358 「戦時中、東南アジア植民地にいた現地の人々の語る大東亜戦争」 これは自虐史観と対極にある。大東亜戦争の真の姿を示す貴重な証言だ。 彼らは、日本のために迷惑をこうむったとは一言も言っていない。この点 は重要だ。 つまり、日本は大東亜戦争で東南アジアに迷惑をかけたという左翼の言説は 大嘘なのである。植民地の人々は、逃げて行くイギリス軍やオランダ軍を見て 喝采したのだ。そして、喜んで日本軍を迎えた。 もし、その後の日本軍政が過酷なもので、現地人を虐待したり欧米並みに搾取 したりすれば、彼らは「宗主国が変わっただけだ」と評価し、大東亜戦争を こき下ろしたはずだ。 実際には大東亜戦争を高く評価している。それをどうみるかね?バカサヨ諸君は? 悔しくて悔しくて仕方ないだろ? はっはっは、ざまあみやがれ、バーカ ★ ジョイス・C・レブラ博士(米国コロラド大学歴史学部教授) 「民族主義者は、日本占領期間中に(日本軍により)身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地復帰に 対抗した。 そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということを イギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。」 「 (中略)さらに日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。 日本軍敗走の跡には、二度と外国支配は許すまいと いう自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。 東南アジアの人間は今や武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、 組織力を身につけ、独立を求める牢固たる意志に支えられていた。」 レブラ教授の分析によれば、日本軍政は東南アジアの独立心を振起し、民族意識を高揚させた。そして、民族自決への強い自信を 与えたのである。さらに政治力、組織力や武器を身に着けさせた。東南アジア諸民族は、独立を求める強い意志を手に入れたので ある。そして、終戦後彼らは自らの力で独立を勝ち取っていった。 即ち、大東亜戦争が植民地解放戦争だったのは、疑いのない事実であると言える。 認めないのは馬鹿のみ。馬鹿は真実を見る目が無いのである。 政治目的で歴史を語る馬鹿は、真実の歴史を認めようとしない。シナ共産党と同じ発想のこいつらは人間のクズである。 スカルノなんて有名だな。 ジャカルタにいる友人は日本兵が独立に貢献した影響を賞賛していたっけ。 外人が認めるのだからそうなのだろう。 ま、非難も賞賛も紙一重なんだがな。 >>364 インドネシアでは、抗日運動が激化していたよ。 スカルノ、ハッタらは、日本軍に協力的だったから、終戦後にも非難を受けているし。 ベトナム・タイで餓死者だしている ビルマでは、アウンサン将軍が反旗を翻している フィリピンでは、抗日ゲリラから激しい抵抗受けている 現実を見ましょう >>352 日本語の勉強を幼稚園からやり直せ。 お前が変な言い方をするものだから 余計な誤解を与えているのだ。 英語の理解者かどうかは知らないが 矛盾バカは日本語すら満足に喋れないらしい。 >>353 >>政治目的で歴史を歪曲するのはやってはいけないことだ。 それは植民地解放というお前の主張にもあてはまるが? 矛盾バカは自分にもあてはまると言うことを理解できないのか? 大体、東南アジア諸国の中で先の大戦をアジア解放戦争だと位置づけ 公式に感謝を表明している国など一国も無い。 そういう国があれば教えてもらいたいくらいだ。 なぜこのような部分の説明はできないのか? 以前にも指摘されていたはずである 矛盾バカは歴史板に来るな。 >>354 >>WIKIが全てだと思うお前は最低の馬鹿だ。 wikipediaは今、多くの閲覧者と多くの書き込む者たちによって 構成されている。wikipediaのすべてに真実が書いてあるわけではないだろうが 大抵の戦争や政治問題はきちんと記されている。 そう言う訳でwikipediaで引用されて無いとさほど有名ではない、 あるいは影響力がないと考えられるのだ。 お前はwikipediaがどれだけ多くの人間に利用されているかわからんようだな そんなサイトで引用が行なわれて無いとなると 信憑性は低くなる 歴史板から消えるべきはお前の方だ と言うより死んでくれたまえ さっさと死ね >>225 >>272 >>307 でも指摘されとる。 国家として正式に感謝している国はどことどこよ。 東南アジア諸国の政府で公式に感謝を表明している政府なんて 聞いたこともないし ★チャンドラ・ボース(インド独立指導者) 「東亜戦争開始以来、歴史に較べるもののない日本軍の勝利はアジアのインド人に感銘を与え、自由獲得の戦いに 参加することを可能にした。日本政府は単に自己防衛のために戦うだけでなく、英米帝国主義のアジアからの撲滅 を期し、さらにインドの完全な独立を援助するものである。」 「いまやインド国民軍は攻撃を開始し、日本軍の協力を得て、両軍は肩を並べ、共同の敵アメリカ・イギリスの連 合国に対し、共同戦線を進めている。外国の侵略の軍隊をインドから駆逐しない限り、インド民衆の自由はなく、 アジアの自由と安全もなく、英米帝国主義との戦争の終結もない。」 (1944.3.20自由インド放送より) このボースの演説内容に驚かれる方も多いことでしょう。無理もありません。私たちの多くは、先の大戦をアメリカ ・イギリスなどの自由主義・民主主義陣営と、自由を抑圧するドイツ・日本のファシズム陣営の戦いであったと教え られてきたからです。しかし、ボースはここではっきりと、アメリカとイギリスを「帝国主義者」と呼び、その 「侵略の軍隊」をアジアから追い出さなければ、アジアの自由はないのだと言っています。 大東亜戦争が侵略者との戦い、植民地を解放する戦いだったのは疑いのない事実なのです。 馬鹿と特別永住豚は泣きながら否定するが。 >>367 タイで餓死者を出した?タイは独立国であって日本統治など無い。馬鹿だねぇ。 お前の言ってることは殆ど嘘だよ。 >>372 日本統治なんて言ってないよ 強引に進駐して戦闘になった 泰麺鉄道の厳しい労働などで反感かってバンポーン事件が起こったり 死亡者だしたりで被害を出したことは問題だとは思っているけど おちんちんを解放する!!とか言われてパンツ下げられて嬉しいか? 嬉しい奴もいれば余計なお世話だと思う奴もいるだろう。 しかも解放した後は占領されるんだぞ? ちんちん返せ!!! ★チャンドラ・ボース(インド独立指導者) 「親愛なるインドの友よ、今回の戦争(大東亜戦争)は、日本が自らの野望のために始めたのではなく、 アジアを英米の魔の手から解放して、各民族を独立させる共存共栄の精神によったものであります。 親愛なるインドの友よ、日本は諸君を助けに行きます」 (1942年6月1日、「インド人に訴う」より) 大東亜戦争とは、アジアを米英帝国主義の桎梏から解放する戦争だったのです。 この歴史的事実を否定するのは馬鹿と朝鮮人のみ ★ヘレン・ミアーズ(アメリカ女性歴史家) 「日本は現地住民に独立を約束した。それだけでなく、独立を保障する具体的行動を進めていた。1935年には すでに、満州での治外法権を放棄していたし、1940年には中国に正式に約束し、1943年には中国政府に租 借地を返還した。大戦中日本は、実際に、占領した全ての地域に現地「独立」政府を樹立していった。」 「例えば、フィリピンは1943年10月14日に「独立」を獲得している。これは米国が二度目にフィリピンを 「解放」する数年前のことである。ビルマは1943年8月1日に独立した。マレー、インドネシア、インドシナ に現地政権ができた。マレーではインドの代表的指導者、チャンドラ・ボース率いる自由インド臨時政府が樹立さ れた。ボースは英国に宣戦布告し、インド人部隊を編成して日本軍と共にインド進撃を目指した。今日、インドの 代表的指導者の中には、英国の政治的撤退を早めたのは、真に平和を願う指導者の長く実りのない平和的手段では なく、ボースの隠然たる脅威、「忠誠心のない」英印軍、そして日本軍だったという人もいる。」 「こうして各地で独立を宣言した植民地政権を、西洋列強は法的擬制と呼び傀儡と言う。しかし、フィリピンを例外 として、これらの政府に参画した現地の人々が、戦争の最中でさえ、過去のどこの同じような現地政権より権威をも っていたことは事実である。」 大東亜戦争中に独立を宣言した東南アジアの諸政府を法的に無効と罵倒する人間のメンタリティーは、米英帝国主義者 達=侵略者のメンタリティーそのものである。日本はそこにくさびを打ち込み、独立を後押しした。まさしく、白馬の 騎士だったのである。そして、発足した独立政府は宗主国の植民地政権より遥かに権威を得ていた。現地人たちがいか に独立を欲していたかよく分かる。大東亜戦争は植民地解放戦争に他ならないのだ。 汪兆銘と同レベルのボースを持ち上げているだけで知的レベルのほどが知れるよw 日本の宣撫工作のまずさを後世に向かって書き残すお仕事ご苦労様ですw >>378 インド独立の英雄として、その肖像画がインドの国会議事堂に飾られているのはたったの3人。 チャンドラ・ボース、ネルー、ガンジーの3人だ。とりわけインド国内でのボースの人気は高く、 ボースの名前を冠した国際空港や公園も存在する。ボースとインパール作戦抜きでインド独立を 語ることは出来ない。ボースと日本はインド独立のためにイギリスと戦ったのだ。 誰とも戦っていない汪兆銘と同レベルとは、無知も甚だしいね。というか、ボースを貶めるのに なんでそんなに必死なんだ?インド人に嫌われたいのか?それとも、歴史の真実から目を背けたい のか?ボースの功績が大きいことは、多くの歴史家の認めるところだ。馬鹿は認めないが。 そのボースを利用して邪魔になったら謀殺した日本陸軍・・・・ 大体、日本と言う国は日清戦争後の対応でわかるけど 領土の割譲を受けたり、賠償金を支払わせたりしているんだよな。 日露戦争や第一次大戦の後も権益を獲得しており 帝国主義に突っ走っていた当時の日本が突如、大義に目覚めて アジアの解放のために戦い始めるなど考えにくい話であるんだな。 また当時は日本の台湾・朝鮮の領有を欧米諸国は黙認していた。 欧米諸国もまた植民地を保持していたわけだから 日本の台湾・朝鮮領有は互いに認め合っていたわけだな。 そうであるのにアジアの解放のために戦いましょうと言うのは せっかく互いに黙認しあっていると言うのに真っ向から欧米諸国の植民地支配に 対抗することになってしまうんだな 欧米諸国の植民地支配が許せないのなら当然のこと 日本の台湾・朝鮮領有が認められなくなる。 なぜなら互いに認め合っていた以上、日本も欧米と同類と言うことになるからだ。 この辺を理解している人たちが実に少ない。 日本は朝鮮・台湾を領有するために欧米諸国の植民地支配を 認めていたわけだね。欧米もまた日本の領有を認めていた。 >>380 ボースを何に利用したって?謀殺の証拠は? チャンドラ・ボース率いるINAと日本陸軍は、共同してインドのイギリス軍を攻めた。 これが、歴史に名の高いインパール作戦である。この作戦によってインド国内の独立機運 は一気に高まることになる。 日本にとってはメリットが薄く、厳しい作戦であったが、インド独立のため、東南アジア の安定のために敢行した。被害は大きかったが、勝機はあった。現実には勝利目前だったの である。 大東亜戦争は間違いなく植民地解放戦争であった。大東亜共栄圏を実現するための大戦争だったのだ。 不毛な歴史論争 A「日本はアジア各地独立の為に戦った。 ○○なる偉い人が言ってるんだ」 B「当時の状況は、朝鮮・台湾は併合、満州国は傀儡、東南アジア重要地は領土方針だったぞ」 A「うるさい。日本はアジア各地独立の為に戦った。 ○○なる偉い人が言ってるんだ」 Aは永久に主張を変えない。 >>384 朝鮮も台湾も植民地じゃなくて日本領土だからな。解放する理由が無い。常識だ。 そして、日本は、朝鮮と台湾に多額の投資をしてインフラを整備し学校や工場など社会基盤を整備した。 日本は将来の完全同化を視野に入れ、朝鮮や台湾を内地並みのレベルに引き上げようとしていたのだ。 何百年間も宗主国から搾取されまくった欧米植民地とは違うのだ。搾取されるだけの植民地を解放した 日本はたいしたものだ。そして東南アジアの人々は逃げる白人と日本軍の快進撃に拍手喝采した。 >>384 >東南アジア重要地は領土方針だったぞ 小磯のインドネシア独立容認により方針は完全に覆った。元々、東條英機は帝国領土化に 反対で、改訂しようとし、公開しなかった方針だからな。お蔵入りして空文化した方針に 何の意味がある? ★チャンドラ・ボース(インド独立指導者) 「今から約四十年前、私がようやく小学校に通い始めた頃、一東洋民族である日本が、世界の強大国のロシアと戦い、 これを大敗させました。このニュースが全インドに伝わり、昂奮の波がインドを覆いました。いたるところで旅順攻撃や、 奉天大会戦や日本海海戦の勇壮な話で持ちきりでした。私たちインドの子供たちは、東郷元帥や乃木大将を敬慕し尊敬し ました。元帥や大将の写真を手に入れようとしてもそれができず、その代りに市場から日本の品物を買ってきて、日本の シンボルとして家に飾ったものでした。」 「そして、インドの革命家たちは、なぜ日本が強大国をやっつけることができたのか、それを知ろうと日本に来ました。 また日本からは岡倉天心のような先覚者がインドを訪れ、全アジアを救うべき精神を説きました。実に岡倉こそ 「アジアは一つ」と断言した大先覚者でした。」(NHKラジオ放送) 日露戦争における日本の勝利は、植民地の独立運動家たちに大いなる勇気と希望を与えた。そして、日本はアジア植民地 解放運動の拠点となっていく。日本政府は列強の顔色を窺っていい顔をしなかったが、頭山満らアジア主義者たちは陰に 陽に彼らを助けた。中村屋の婿になったビハーリー・ボースもまたインド独立運動家であった。中村屋は、今も有名な カレー店として残っている。 「アジアは一つ」これこそが大東亜共栄圏構想の底流に流れていた思想である。 大東亜戦争が植民地解放戦争であるのは疑いのない真実である。 ★チャンドラ・ボース(インド独立指導者) 「日本はインドの仇敵イギリスに対して宣戦しました。日本は私たちインド人に対して、独立のための絶好の 機会を与えました。私たちはそれを自覚し感謝しています。一度この機会を逃せば、今後百年以上訪れることは ないでしょう。勝利は我々のものであり、インドが独立することを確信しています(NHKラジオ放送) ボース率いるインド国民軍と日本陸軍との共同作戦であるインパール作戦がインド独立を速めたのは疑いのない 真実である。大東亜戦争は侵略者・帝国主義者をアジアから駆逐するための大戦争だったのである。 馬鹿と在チョンは泣きながら否定するが。 >>386 インドネシア各地で反乱が起こった結果でしょ >>387 南京政府が日本政府を褒め称えるのと一緒 >>387 このNHK放送はボースが来日して間もないときのもの。 まだ自由インド仮政府主席に就任する前だ。 残念だったな、バーカ >>389 インドネシア各地で反乱がおきたという事実は無い。一部で反乱がおきたのは事実だが。 そして、補給線が絶たれ、日本軍政下で厳しい生活を強いられていたにもかかわらず、 インドネシア人は独立を信じて日本についてきた。スカルノもハッタもついてきたのだ。 それに対する答えが小磯声明だ。悔しいか? >>391 その頃から日本からお小遣いもらっていた良い傍証だろうが。 公的な地位に就かなければ関係がないと思っているのか、バーカ。 >>392 何を言っても今のインドネシアは日本の占領を肯定的に認めてはいません。 間接的な影響はあっても独立はインドネシア人によるものと言っています。 (小磯の「声明」など日本軍の戦略の一環に過ぎん。この手の「約束」が反古にされて きたのは歴史を見れば簡単にわかるのに。) ドヤ顔で日本が「解放者」なんて言っても誰も相手をしてくれないよw 日本領土というのならなぜ内地と外地の待遇を同じにしなかったのだろうか。 総督府なるものを設置して内地人と外地人の待遇に差をつけようとするのは 紛れも無く日本人が領土とは考えておらず 植民地と変わりないと考えていたから総督府の総督は現地人を採用せず 日本人しか就任できなかったのだ。 もし仮に台湾島民の視点で考えた場合、総督府の支配を受けるのなら 自分たちは植民地支配を受け解放を願い始めるのが自然だと言うものだ。 天皇の地位にしろ、首相にしろ、総督にしろ 台湾人や朝鮮人が就任したことは無い。 これでは新たに手に入った日本領土ではなく植民地ではないか。 仮にアメリカが戦後、日本に総督府を設置してアメリカ人ばかりが就任し続けたら 誰もがアメリカ人の支配から解放を願うだろうね。 新たに拡大された日本領土、なんて意識があったら 首相、総督の地位は新しく加わった新日本人でも 採用されてもいいはずだと思うぞ それがなく総督府が設置されていたと言うのなら 新たに拡大され新日本人が加わった、なんて意識はどこにもなく 獲得した植民地程度の意識しかないだろ 日本人は新たに加入した新日本人となるはずの人々を 完全に区別して扱っていたのだ。 もし日本が新たに拡大された日本領土と言う意識が 曲りなりともあるはずなら 首相や総督の地位は朝鮮人や台湾人が採用されても 別におかしくはない。 だが現実には一切、採用されず旧日本人と新日本人との間で 待遇に違いを設けていたのだ。 だから第二次大戦が終結すると朝鮮と台湾は日本領土に 戻ることも無く完全に分離したままだ。 そう言う現実が植民地として扱われていた、と言うことだ。 今の台湾人に日本領土に戻りたいかと問われたら 嫌だと答えられるのがオチだろうね >>393 チャンドラ・ボースを馬鹿にしたりケチをつけようと思うなら「日本におこづかいをもらっていた」 とか、根拠の無い罵倒もできる。歴史音痴な馬鹿に特有の感情的罵倒であって、何の値打ちも無い。 日本政府がボースを支援していたのは事実だ。それは、インド独立のためであって、ボース個人の ためではない。馬鹿にはその辺の区別がつかないようだ。 ボースが何のために日本に来たか、なぜ日本がボースを受け入れたか、よく勉強してから書き込みなさい。 >>393 客観的に見ると、インドネシア独立の上で日本軍政が果たした役割は極めて大きい。 白人の醜態、学校建設、民族教育の浸透、産業育成、PETAの設立、インフラ整備。 中でも、白人の醜態を見て、インドネシア人は独立の可能性を感じ、民族意識の浸透で 独立への渇望をつのらせることになる。 これらは、大東亜戦争が無ければ決してもたらされることのなかったものばかりだ。 日本がインドネシアを占領しなければ、インドネシアの独立は50年以上遅れたであろう。 馬鹿には理解できないらしい。 インドの国会議事堂の正面にチャンドラ・ボースの肖像画が掲げられており、右側にはインド独立の父と言われる マハトマ・ガンジーの肖像画が、左側にはインド初代首相ジャワハルラール・ネルーの肖像画が掲げられている。 チャンドラ・ボースは、独立運動に一生を捧げた不屈の闘士として、インドでは 今なお非常に高い評価を受けて いる。1993年に発行されたインド国民軍50年の記念切手では、国民軍兵士を閲兵するチャンドラ・ボースが描かれ ている。 ★ ジョイス・C・レブラ博士(米国コロラド大学歴史学部教授) 「民族主義者は、日本占領期間中に(日本軍により)身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地復帰に 対抗した。 そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということを イギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。」 「 (中略)さらに日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。 日本軍敗走の跡には、二度と外国支配は許すまいと いう自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。 東南アジアの人間は今や武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、 組織力を身につけ、独立を求める牢固たる意志に支えられていた。」 レブラ教授の分析によれば、日本軍政は東南アジアの独立心を振起し、民族意識を高揚させた。そして、民族自決への強い自信を 与えたのである。さらに政治力、組織力や武器を身に着けさせた。東南アジア諸民族は、独立を求める強力なツールを手に入れた のである。そして、終戦後彼らは自らの力で独立を勝ち取っていった。 即ち、大東亜戦争が植民地解放戦争だったのは、疑いのない事実であると言える。 認めないのは馬鹿と在チョンのみ。馬鹿は真実を見る目が無い。在チョンは真実を認めたくないのだ。 ★チャンドラ・ボースはなぜ日本に来たか? 「チャンドラ・ボースは、大東亜戦争のとき、密かにインドを脱出して、アフガニスタン経由でソ連に向かいました。 インド独立運動への支援を、革命を成功させたソ連に要請するためです。しかし彼は、スターリンにそれを断られて います。スターリンの意思は、インドの「支配」にあり、自尊・独立にはなかったからです。」 「やむなくボースは、ナチス政権下のドイツに亡命して、ヒットラーや、ムッソリーニに独立運動への支援を要請し ました。けれどヒトラーは、こう答えたそうです。「インドは、独立にあと150年はかかる」」 「スターリン、ヒットラー、ムッソリーニという名だたる指導者たちに支援を断られたボースは、ドイツでインド人 の仲間を集め、インド旅団(2,000人)を結成します。そしてベルリンから、反英ラジオ放送を開始しました。その 放送を聞いて、支援を決めたのが、東条英機でした。昭和16(1941)年のことです。そして東条英機は、同盟国で あったドイツに要請し、チャンドラ・ボースを日本に招いたのです。」 「ボースは、ドイツ海軍の潜水艦Uボートでフランス大西洋岸のブレストを出航します。そしてインド洋で、日本の 伊号第二九潜水艦に乗り換え、来日した。ボーズは、日本の支援を得て、シンガポールで「自由インド仮政府」を結 成します。そして初代首班に就任しました。これがいまのインド政府の誕生です。」 東條英機は、純粋にボース支援を決めた。スターリンやヒトラーとは違う。東條には「アジア解放思想」があり、 アジア侵略者・帝国主義者を駆逐し、大東亜共栄圏を樹立することを目指していた。 大東亜解放戦争と言われるゆえんである。 だから誰が言い出したんだよ? 東條か?徳富か?小林か? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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