アジアの解放といい始めたのは誰か?
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どう考えてもアジアの一部地域のその中の一部の国の建国に
日本の一部の人たちが協力した程度にすぎないのに
アジアの解放と大げさで誇張させられた表現が用いられるのはなぜか
そしてアジアの解放だと言い始めたのはだれか
大げさで誇張された言い方にすぎないのに >>344
興奮のしすぎは体に毒だよ
矛盾バカさん♪
★バー・モウ博士 ビルマ(ミャンマー)初代首相
「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。
真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われた
のであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国
政府であった」
(バー・モウ博士著『ビルマの夜明け』より)
バーモウというのは、戦争中は独立義勇軍で戦い、独立後はビルマの初代首相になった人である。
バー・モウは、独立宣言文の中で、「イギリスに略奪目的で占領された時、ビルマは決死の抵抗を
行ったが結局殺されてしまった。ビルマはアジアのリーダーを待っていた。その時そこに日本が現
われた。ビルマはその感謝を忘れない。」と感謝の言葉を述べた。
ビルマは日本の援助で無事独立し、日本に感謝した。
馬鹿と在チョンは泣きながら否定するが。
ちなみにミャンマーでは3月27日の国軍記念日になると、全国の国軍を首都に集結して盛大
なパレードを繰り広げるのだが、そのパレードではなんと日本の“軍艦マーチ”から演奏が
始まるのだ。
そして“歩兵の本領”や“愛馬進軍歌”など日本の軍歌が次々と演奏される。
これは、日本と大東亜戦争への感謝の表れに他ならない。馬鹿にとって都合の
悪い事実が次々と明らかになるのは楽しいな。
ID:FBKCj+gs0
中卒携帯オヤジ、連続射精オーガズムに突入! お前、自分が矛盾している発言をしていることに気づいているのか?
歴史は政治家が決めることでは無い。だなんて言いながら
なんで政治家の発言を引用するんだよ。
本物のバカだなあんたは
>>344
>>解放する理由が無い。台湾も朝鮮も植民地ではないのだ。
総督府を設置して日本本土と同じ待遇にあわせないのだから
まんま植民地だろ
てめえの願望だけで植民地ではなかっただなんて
言い分は通らないんだよ
>>そういうニュアンスしか聞こえないが。
そりゃお前がつまみ食いしているだけだからだろ
不都合な意見は最初から無視して
都合のよい発言だけを集める
ただそれだけの話なんだが偏った歴史観では
歴史を語れる力などほとんど無いな
お前には歴史を語れる力はゼロだ >>311ですでに引用しているだろ
外務省の立場が植民地解放戦争ではない、と言うものなら
植民地解放戦争でないことを説明している
卑怯な愚か者が
外務省は植民地解放戦争ではないとの立場なんだぞ
>>バー・モウ
ようやくWikipediaで検索できそうな人物が現れたが
貴様の引用する発言なんてどこにも記されてなかったぞ
あんたは外務省の公式見解を否定してその上、
Wikipediaからは相手にもされず2ちゃんねる上で
コソコソ引用しているだけだ。
外務省の公式見解とWikipediaではなんの説明もされていないことに
関してどう考えているなんだよ
お前はバカなんだよ
外務省もwikipediaもまるで相手にされてない
どこをどう読んでも植民地解放戦争だと言うことには
行き着いていない
卑怯者は死ねよクズ >>347
北朝鮮の軍歌のメロディも皇軍のものが多いよ。 >>349
お前は本当に馬鹿だな。俺は何度も言っている。歴史は生き証人やその証言を引き継ぐもの、そして
それに基づいた史料によって作られると。生き証人やその証言を聞いて育った人間が、後に政治家に
なって発言した。
ただそれだけのことだ。俺は少しも矛盾していない。政治家であっても生き証人だったことに変わりは無いのだ。
馬鹿には何を言っても無駄かもしれないがな。
>>349
俺が言う「歴史は政治家が作るものではない」というのは、歴史を知らぬ後世の政治家が、歴史を
政治目的でゆがめ、政治に利用することを禁止したものだ。これは中国韓国が良くやる手段であって、南京事件、
従軍慰安婦問題、靖国問題等々、厄介な歴史外交問題になってしまっている。
史実がどこにあるのか知ろうと思ったら、政治目的で歴史を歪曲するのはやってはいけないことだ。
お前は馬鹿だから理解できないだろうが。
モハメッド・ナチール、ブン・トモ、ククリット・プラモード、ガザリー・シャーフェーやラジャー
・ダト・ノンチック。皆、生き証人や生き証人の証言を聞いて育った人間たちであり、嘘を言う理由は無い。
そして、彼らの大東亜戦争肯定論は、日本政府の立場と反しており、日本政府にとっては触れたくない
部分である。それでもあえて真実を言ってくれた彼らには感謝するべきだろう。
自虐史観に染まった馬鹿や在チョンは迷惑がるようだがな。はっはっは。
恥を知れ、クズw
>>350
WIKIに書かれていることはごくわずかだと、何度言ったら分かるんだ?
出典は書いてある。「バー・モウ博士著『ビルマの夜明け』」こういう出典
からWIKIに転載されていくんだよ。馬鹿には難しい話だろうが。
WIKIが全てだと思うお前は最低の馬鹿だ。馬鹿なお前に歴史を語る能力
など全く無い。今すぐ歴史板から消えろ。禿
外務省が1987年にアセアン(東南アジア諸国連合)各国で行った世論調査
大戦中の日本について「悪い面はあったが、今となっては気にしない」
インドネシア:48% マレーシア:43% フィリピン:37% シンガポール:47% タイ:46%
「悪い面を忘れることはできない」
インドネシア:33% マレーシア:32% フィリピン:36% シンガポール:41% タイ:24%
アジアの各国で被害を出した側が言う台詞ではありませんね。
インドネシア、マレーシア、シンガポール、タイ、ベトナム、カンボジア
それぞれの国で労務者・搾取、性的問題、餓え、色んな被害を出している
相手が気を使って気にするなと言ったとして、「では気にしない」「悪いなんて思わない」そんな態度を取るのは恥知らずだと思うのだが。
日本人の一般的な道徳や礼節からしたら考えられないことを言ってると思う。
どんな家庭で育ってきたんだか。
>>334
マレー人も亡くなってる。 >>355
引用されるのはよろしいんですがどのページから引用したのか
出典を明らかにして貰えませんか。 >>356
外務省のアセアンの世論調査って書いてるんだから、出典明らかにしていると思うが。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/asean/yoron.html
平成14年5月から9月にかけて、ASEAN6ヶ国(インドネシア、マレーシア、
フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナム)における対日世論調査を行った
ところ、主要ポイントは以下の通り。本件世論調査は過去5回(1978、83、
87、92及び97年)実施しているものである。なお、今次調査より、対象国と
してベトナムを追加した。
● 第二次世界大戦中の日本について、
「悪い面はあったが、今となっては気にしない」
インドネシア:44%(48, 52) マレーシア:50%(43, 33) フィリピン:51%(37, 37)
シンガポール:62%(47, 44) タイ:45%(46, 36)ベトナム:71%
「悪い面を忘れることはできない」
インドネシア:25%(33, 29) マレーシア:22%(32, 40) フィリピン:33%(36, 37)
シンガポール:31%(41, 31) タイ:18%(24, 18)ベトナム:12%
一応、カッコ内の最初の数値は、87年度だと思う。
後は、Webには無いかもしれないから、その時は何処で資料を閲覧できるか外務省に聞くなりしてみて。 なんか、アジアで迷惑を掛けたっていうのを自虐史観って思っている人いるんじゃないかな。
ここ見てるとそんな気がしてくるよ。
自虐史観を飛び越えて自慰史観にいってるだけだからね。
もし、こういう戦争に巻き込まれた国々の現地の人の声を知らずに、
「解放してやった」みたいなノリで戦争語る人がいたなら、
厚顔無恥すぎる発言してたことを理解しましょう >>360
よく分からないのですが、
わたしにレスをしたということは、
アジアで日本軍が迷惑を掛けたというのが他虐史観ということなんですよね?
それに何の意味があるかは分かりませんが。
アジアで日本軍が迷惑を掛けた。
これは一つの確立した史観になると思います。
何か否定する材料でもあれば別ですが。 >>361
他虐史観とは徹底して他のアジア人に迷惑をかけたことを言うんです。
自虐史観の自虐とは自分で自分を虐げることを言う。
ならば他虐史観とは他者を徹底して迫害することを言う
他のアジア人に徹底して迷惑をかけたと言うのなら
それでは自虐とはいえない。自虐とは自分で自分を虐げることを言うからだ。
でもこの他虐史観と言う言葉は俺一人が作って使用しているだけの言葉で
意味を知らなくても別に問題ないんです。 >>357
そのアンケートおかしいぜ。選択肢がその2つしかない。
「良い面もあった」という選択肢が全くない。
そのアンケートは恣意的に「日本は悪かった」と選ばせるもので信用できない。
外務省が自ら自虐するとは、自虐もここに極まれりだな。
自虐史観を信奉する奴らはこういう情報操作を平気で行う。
外務省も左翼か。信用できない連中だ。こんなあてにならないアンケートを自慢気に
見せびらかす奴は馬鹿丸出しだな。
>>358
「戦時中、東南アジア植民地にいた現地の人々の語る大東亜戦争」
これは自虐史観と対極にある。大東亜戦争の真の姿を示す貴重な証言だ。
彼らは、日本のために迷惑をこうむったとは一言も言っていない。この点
は重要だ。
つまり、日本は大東亜戦争で東南アジアに迷惑をかけたという左翼の言説は
大嘘なのである。植民地の人々は、逃げて行くイギリス軍やオランダ軍を見て
喝采したのだ。そして、喜んで日本軍を迎えた。
もし、その後の日本軍政が過酷なもので、現地人を虐待したり欧米並みに搾取
したりすれば、彼らは「宗主国が変わっただけだ」と評価し、大東亜戦争を
こき下ろしたはずだ。
実際には大東亜戦争を高く評価している。それをどうみるかね?バカサヨ諸君は?
悔しくて悔しくて仕方ないだろ?
はっはっは、ざまあみやがれ、バーカ
★ ジョイス・C・レブラ博士(米国コロラド大学歴史学部教授)
「民族主義者は、日本占領期間中に(日本軍により)身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地復帰に
対抗した。 そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということを
イギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。」
「 (中略)さらに日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。 日本軍敗走の跡には、二度と外国支配は許すまいと
いう自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。 東南アジアの人間は今や武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、
組織力を身につけ、独立を求める牢固たる意志に支えられていた。」
レブラ教授の分析によれば、日本軍政は東南アジアの独立心を振起し、民族意識を高揚させた。そして、民族自決への強い自信を
与えたのである。さらに政治力、組織力や武器を身に着けさせた。東南アジア諸民族は、独立を求める強い意志を手に入れたので
ある。そして、終戦後彼らは自らの力で独立を勝ち取っていった。
即ち、大東亜戦争が植民地解放戦争だったのは、疑いのない事実であると言える。
認めないのは馬鹿のみ。馬鹿は真実を見る目が無いのである。
政治目的で歴史を語る馬鹿は、真実の歴史を認めようとしない。シナ共産党と同じ発想のこいつらは人間のクズである。
スカルノなんて有名だな。
ジャカルタにいる友人は日本兵が独立に貢献した影響を賞賛していたっけ。
外人が認めるのだからそうなのだろう。
ま、非難も賞賛も紙一重なんだがな。 >>364
インドネシアでは、抗日運動が激化していたよ。
スカルノ、ハッタらは、日本軍に協力的だったから、終戦後にも非難を受けているし。
ベトナム・タイで餓死者だしている
ビルマでは、アウンサン将軍が反旗を翻している
フィリピンでは、抗日ゲリラから激しい抵抗受けている
現実を見ましょう >>352
日本語の勉強を幼稚園からやり直せ。
お前が変な言い方をするものだから
余計な誤解を与えているのだ。
英語の理解者かどうかは知らないが
矛盾バカは日本語すら満足に喋れないらしい。
>>353
>>政治目的で歴史を歪曲するのはやってはいけないことだ。
それは植民地解放というお前の主張にもあてはまるが?
矛盾バカは自分にもあてはまると言うことを理解できないのか?
大体、東南アジア諸国の中で先の大戦をアジア解放戦争だと位置づけ
公式に感謝を表明している国など一国も無い。
そういう国があれば教えてもらいたいくらいだ。
なぜこのような部分の説明はできないのか?
以前にも指摘されていたはずである
矛盾バカは歴史板に来るな。
>>354
>>WIKIが全てだと思うお前は最低の馬鹿だ。
wikipediaは今、多くの閲覧者と多くの書き込む者たちによって
構成されている。wikipediaのすべてに真実が書いてあるわけではないだろうが
大抵の戦争や政治問題はきちんと記されている。
そう言う訳でwikipediaで引用されて無いとさほど有名ではない、
あるいは影響力がないと考えられるのだ。
お前はwikipediaがどれだけ多くの人間に利用されているかわからんようだな
そんなサイトで引用が行なわれて無いとなると
信憑性は低くなる
歴史板から消えるべきはお前の方だ
と言うより死んでくれたまえ
さっさと死ね >>225
>>272
>>307
でも指摘されとる。
国家として正式に感謝している国はどことどこよ。
東南アジア諸国の政府で公式に感謝を表明している政府なんて
聞いたこともないし
★チャンドラ・ボース(インド独立指導者)
「東亜戦争開始以来、歴史に較べるもののない日本軍の勝利はアジアのインド人に感銘を与え、自由獲得の戦いに
参加することを可能にした。日本政府は単に自己防衛のために戦うだけでなく、英米帝国主義のアジアからの撲滅
を期し、さらにインドの完全な独立を援助するものである。」
「いまやインド国民軍は攻撃を開始し、日本軍の協力を得て、両軍は肩を並べ、共同の敵アメリカ・イギリスの連
合国に対し、共同戦線を進めている。外国の侵略の軍隊をインドから駆逐しない限り、インド民衆の自由はなく、
アジアの自由と安全もなく、英米帝国主義との戦争の終結もない。」
(1944.3.20自由インド放送より)
このボースの演説内容に驚かれる方も多いことでしょう。無理もありません。私たちの多くは、先の大戦をアメリカ
・イギリスなどの自由主義・民主主義陣営と、自由を抑圧するドイツ・日本のファシズム陣営の戦いであったと教え
られてきたからです。しかし、ボースはここではっきりと、アメリカとイギリスを「帝国主義者」と呼び、その
「侵略の軍隊」をアジアから追い出さなければ、アジアの自由はないのだと言っています。
大東亜戦争が侵略者との戦い、植民地を解放する戦いだったのは疑いのない事実なのです。
馬鹿と特別永住豚は泣きながら否定するが。
>>367
タイで餓死者を出した?タイは独立国であって日本統治など無い。馬鹿だねぇ。
お前の言ってることは殆ど嘘だよ。 >>372
日本統治なんて言ってないよ
強引に進駐して戦闘になった
泰麺鉄道の厳しい労働などで反感かってバンポーン事件が起こったり
死亡者だしたりで被害を出したことは問題だとは思っているけど おちんちんを解放する!!とか言われてパンツ下げられて嬉しいか?
嬉しい奴もいれば余計なお世話だと思う奴もいるだろう。
しかも解放した後は占領されるんだぞ?
ちんちん返せ!!!
★チャンドラ・ボース(インド独立指導者)
「親愛なるインドの友よ、今回の戦争(大東亜戦争)は、日本が自らの野望のために始めたのではなく、
アジアを英米の魔の手から解放して、各民族を独立させる共存共栄の精神によったものであります。
親愛なるインドの友よ、日本は諸君を助けに行きます」
(1942年6月1日、「インド人に訴う」より)
大東亜戦争とは、アジアを米英帝国主義の桎梏から解放する戦争だったのです。
この歴史的事実を否定するのは馬鹿と朝鮮人のみ
★ヘレン・ミアーズ(アメリカ女性歴史家)
「日本は現地住民に独立を約束した。それだけでなく、独立を保障する具体的行動を進めていた。1935年には
すでに、満州での治外法権を放棄していたし、1940年には中国に正式に約束し、1943年には中国政府に租
借地を返還した。大戦中日本は、実際に、占領した全ての地域に現地「独立」政府を樹立していった。」
「例えば、フィリピンは1943年10月14日に「独立」を獲得している。これは米国が二度目にフィリピンを
「解放」する数年前のことである。ビルマは1943年8月1日に独立した。マレー、インドネシア、インドシナ
に現地政権ができた。マレーではインドの代表的指導者、チャンドラ・ボース率いる自由インド臨時政府が樹立さ
れた。ボースは英国に宣戦布告し、インド人部隊を編成して日本軍と共にインド進撃を目指した。今日、インドの
代表的指導者の中には、英国の政治的撤退を早めたのは、真に平和を願う指導者の長く実りのない平和的手段では
なく、ボースの隠然たる脅威、「忠誠心のない」英印軍、そして日本軍だったという人もいる。」
「こうして各地で独立を宣言した植民地政権を、西洋列強は法的擬制と呼び傀儡と言う。しかし、フィリピンを例外
として、これらの政府に参画した現地の人々が、戦争の最中でさえ、過去のどこの同じような現地政権より権威をも
っていたことは事実である。」
大東亜戦争中に独立を宣言した東南アジアの諸政府を法的に無効と罵倒する人間のメンタリティーは、米英帝国主義者
達=侵略者のメンタリティーそのものである。日本はそこにくさびを打ち込み、独立を後押しした。まさしく、白馬の
騎士だったのである。そして、発足した独立政府は宗主国の植民地政権より遥かに権威を得ていた。現地人たちがいか
に独立を欲していたかよく分かる。大東亜戦争は植民地解放戦争に他ならないのだ。
汪兆銘と同レベルのボースを持ち上げているだけで知的レベルのほどが知れるよw
日本の宣撫工作のまずさを後世に向かって書き残すお仕事ご苦労様ですw >>378
インド独立の英雄として、その肖像画がインドの国会議事堂に飾られているのはたったの3人。
チャンドラ・ボース、ネルー、ガンジーの3人だ。とりわけインド国内でのボースの人気は高く、
ボースの名前を冠した国際空港や公園も存在する。ボースとインパール作戦抜きでインド独立を
語ることは出来ない。ボースと日本はインド独立のためにイギリスと戦ったのだ。
誰とも戦っていない汪兆銘と同レベルとは、無知も甚だしいね。というか、ボースを貶めるのに
なんでそんなに必死なんだ?インド人に嫌われたいのか?それとも、歴史の真実から目を背けたい
のか?ボースの功績が大きいことは、多くの歴史家の認めるところだ。馬鹿は認めないが。
そのボースを利用して邪魔になったら謀殺した日本陸軍・・・・ 大体、日本と言う国は日清戦争後の対応でわかるけど
領土の割譲を受けたり、賠償金を支払わせたりしているんだよな。
日露戦争や第一次大戦の後も権益を獲得しており
帝国主義に突っ走っていた当時の日本が突如、大義に目覚めて
アジアの解放のために戦い始めるなど考えにくい話であるんだな。
また当時は日本の台湾・朝鮮の領有を欧米諸国は黙認していた。
欧米諸国もまた植民地を保持していたわけだから
日本の台湾・朝鮮領有は互いに認め合っていたわけだな。
そうであるのにアジアの解放のために戦いましょうと言うのは
せっかく互いに黙認しあっていると言うのに真っ向から欧米諸国の植民地支配に
対抗することになってしまうんだな
欧米諸国の植民地支配が許せないのなら当然のこと
日本の台湾・朝鮮領有が認められなくなる。
なぜなら互いに認め合っていた以上、日本も欧米と同類と言うことになるからだ。
この辺を理解している人たちが実に少ない。
日本は朝鮮・台湾を領有するために欧米諸国の植民地支配を
認めていたわけだね。欧米もまた日本の領有を認めていた。 >>380
ボースを何に利用したって?謀殺の証拠は?
チャンドラ・ボース率いるINAと日本陸軍は、共同してインドのイギリス軍を攻めた。
これが、歴史に名の高いインパール作戦である。この作戦によってインド国内の独立機運
は一気に高まることになる。
日本にとってはメリットが薄く、厳しい作戦であったが、インド独立のため、東南アジア
の安定のために敢行した。被害は大きかったが、勝機はあった。現実には勝利目前だったの
である。
大東亜戦争は間違いなく植民地解放戦争であった。大東亜共栄圏を実現するための大戦争だったのだ。
不毛な歴史論争
A「日本はアジア各地独立の為に戦った。 ○○なる偉い人が言ってるんだ」
B「当時の状況は、朝鮮・台湾は併合、満州国は傀儡、東南アジア重要地は領土方針だったぞ」
A「うるさい。日本はアジア各地独立の為に戦った。 ○○なる偉い人が言ってるんだ」
Aは永久に主張を変えない。 >>384
朝鮮も台湾も植民地じゃなくて日本領土だからな。解放する理由が無い。常識だ。
そして、日本は、朝鮮と台湾に多額の投資をしてインフラを整備し学校や工場など社会基盤を整備した。
日本は将来の完全同化を視野に入れ、朝鮮や台湾を内地並みのレベルに引き上げようとしていたのだ。
何百年間も宗主国から搾取されまくった欧米植民地とは違うのだ。搾取されるだけの植民地を解放した
日本はたいしたものだ。そして東南アジアの人々は逃げる白人と日本軍の快進撃に拍手喝采した。
>>384
>東南アジア重要地は領土方針だったぞ
小磯のインドネシア独立容認により方針は完全に覆った。元々、東條英機は帝国領土化に
反対で、改訂しようとし、公開しなかった方針だからな。お蔵入りして空文化した方針に
何の意味がある?
★チャンドラ・ボース(インド独立指導者)
「今から約四十年前、私がようやく小学校に通い始めた頃、一東洋民族である日本が、世界の強大国のロシアと戦い、
これを大敗させました。このニュースが全インドに伝わり、昂奮の波がインドを覆いました。いたるところで旅順攻撃や、
奉天大会戦や日本海海戦の勇壮な話で持ちきりでした。私たちインドの子供たちは、東郷元帥や乃木大将を敬慕し尊敬し
ました。元帥や大将の写真を手に入れようとしてもそれができず、その代りに市場から日本の品物を買ってきて、日本の
シンボルとして家に飾ったものでした。」
「そして、インドの革命家たちは、なぜ日本が強大国をやっつけることができたのか、それを知ろうと日本に来ました。
また日本からは岡倉天心のような先覚者がインドを訪れ、全アジアを救うべき精神を説きました。実に岡倉こそ
「アジアは一つ」と断言した大先覚者でした。」(NHKラジオ放送)
日露戦争における日本の勝利は、植民地の独立運動家たちに大いなる勇気と希望を与えた。そして、日本はアジア植民地
解放運動の拠点となっていく。日本政府は列強の顔色を窺っていい顔をしなかったが、頭山満らアジア主義者たちは陰に
陽に彼らを助けた。中村屋の婿になったビハーリー・ボースもまたインド独立運動家であった。中村屋は、今も有名な
カレー店として残っている。
「アジアは一つ」これこそが大東亜共栄圏構想の底流に流れていた思想である。
大東亜戦争が植民地解放戦争であるのは疑いのない真実である。
★チャンドラ・ボース(インド独立指導者)
「日本はインドの仇敵イギリスに対して宣戦しました。日本は私たちインド人に対して、独立のための絶好の
機会を与えました。私たちはそれを自覚し感謝しています。一度この機会を逃せば、今後百年以上訪れることは
ないでしょう。勝利は我々のものであり、インドが独立することを確信しています(NHKラジオ放送)
ボース率いるインド国民軍と日本陸軍との共同作戦であるインパール作戦がインド独立を速めたのは疑いのない
真実である。大東亜戦争は侵略者・帝国主義者をアジアから駆逐するための大戦争だったのである。
馬鹿と在チョンは泣きながら否定するが。
>>386
インドネシア各地で反乱が起こった結果でしょ >>387
南京政府が日本政府を褒め称えるのと一緒 >>387
このNHK放送はボースが来日して間もないときのもの。
まだ自由インド仮政府主席に就任する前だ。
残念だったな、バーカ >>389
インドネシア各地で反乱がおきたという事実は無い。一部で反乱がおきたのは事実だが。
そして、補給線が絶たれ、日本軍政下で厳しい生活を強いられていたにもかかわらず、
インドネシア人は独立を信じて日本についてきた。スカルノもハッタもついてきたのだ。
それに対する答えが小磯声明だ。悔しいか? >>391
その頃から日本からお小遣いもらっていた良い傍証だろうが。
公的な地位に就かなければ関係がないと思っているのか、バーカ。
>>392
何を言っても今のインドネシアは日本の占領を肯定的に認めてはいません。
間接的な影響はあっても独立はインドネシア人によるものと言っています。
(小磯の「声明」など日本軍の戦略の一環に過ぎん。この手の「約束」が反古にされて
きたのは歴史を見れば簡単にわかるのに。)
ドヤ顔で日本が「解放者」なんて言っても誰も相手をしてくれないよw 日本領土というのならなぜ内地と外地の待遇を同じにしなかったのだろうか。
総督府なるものを設置して内地人と外地人の待遇に差をつけようとするのは
紛れも無く日本人が領土とは考えておらず
植民地と変わりないと考えていたから総督府の総督は現地人を採用せず
日本人しか就任できなかったのだ。
もし仮に台湾島民の視点で考えた場合、総督府の支配を受けるのなら
自分たちは植民地支配を受け解放を願い始めるのが自然だと言うものだ。
天皇の地位にしろ、首相にしろ、総督にしろ
台湾人や朝鮮人が就任したことは無い。
これでは新たに手に入った日本領土ではなく植民地ではないか。
仮にアメリカが戦後、日本に総督府を設置してアメリカ人ばかりが就任し続けたら
誰もがアメリカ人の支配から解放を願うだろうね。 新たに拡大された日本領土、なんて意識があったら
首相、総督の地位は新しく加わった新日本人でも
採用されてもいいはずだと思うぞ
それがなく総督府が設置されていたと言うのなら
新たに拡大され新日本人が加わった、なんて意識はどこにもなく
獲得した植民地程度の意識しかないだろ
日本人は新たに加入した新日本人となるはずの人々を
完全に区別して扱っていたのだ。
もし日本が新たに拡大された日本領土と言う意識が
曲りなりともあるはずなら
首相や総督の地位は朝鮮人や台湾人が採用されても
別におかしくはない。
だが現実には一切、採用されず旧日本人と新日本人との間で
待遇に違いを設けていたのだ。
だから第二次大戦が終結すると朝鮮と台湾は日本領土に
戻ることも無く完全に分離したままだ。
そう言う現実が植民地として扱われていた、と言うことだ。
今の台湾人に日本領土に戻りたいかと問われたら
嫌だと答えられるのがオチだろうね >>393
チャンドラ・ボースを馬鹿にしたりケチをつけようと思うなら「日本におこづかいをもらっていた」
とか、根拠の無い罵倒もできる。歴史音痴な馬鹿に特有の感情的罵倒であって、何の値打ちも無い。
日本政府がボースを支援していたのは事実だ。それは、インド独立のためであって、ボース個人の
ためではない。馬鹿にはその辺の区別がつかないようだ。
ボースが何のために日本に来たか、なぜ日本がボースを受け入れたか、よく勉強してから書き込みなさい。
>>393
客観的に見ると、インドネシア独立の上で日本軍政が果たした役割は極めて大きい。
白人の醜態、学校建設、民族教育の浸透、産業育成、PETAの設立、インフラ整備。
中でも、白人の醜態を見て、インドネシア人は独立の可能性を感じ、民族意識の浸透で
独立への渇望をつのらせることになる。
これらは、大東亜戦争が無ければ決してもたらされることのなかったものばかりだ。
日本がインドネシアを占領しなければ、インドネシアの独立は50年以上遅れたであろう。
馬鹿には理解できないらしい。
インドの国会議事堂の正面にチャンドラ・ボースの肖像画が掲げられており、右側にはインド独立の父と言われる
マハトマ・ガンジーの肖像画が、左側にはインド初代首相ジャワハルラール・ネルーの肖像画が掲げられている。
チャンドラ・ボースは、独立運動に一生を捧げた不屈の闘士として、インドでは 今なお非常に高い評価を受けて
いる。1993年に発行されたインド国民軍50年の記念切手では、国民軍兵士を閲兵するチャンドラ・ボースが描かれ
ている。
★ ジョイス・C・レブラ博士(米国コロラド大学歴史学部教授)
「民族主義者は、日本占領期間中に(日本軍により)身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地復帰に
対抗した。 そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということを
イギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。」
「 (中略)さらに日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。 日本軍敗走の跡には、二度と外国支配は許すまいと
いう自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。 東南アジアの人間は今や武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、
組織力を身につけ、独立を求める牢固たる意志に支えられていた。」
レブラ教授の分析によれば、日本軍政は東南アジアの独立心を振起し、民族意識を高揚させた。そして、民族自決への強い自信を
与えたのである。さらに政治力、組織力や武器を身に着けさせた。東南アジア諸民族は、独立を求める強力なツールを手に入れた
のである。そして、終戦後彼らは自らの力で独立を勝ち取っていった。
即ち、大東亜戦争が植民地解放戦争だったのは、疑いのない事実であると言える。
認めないのは馬鹿と在チョンのみ。馬鹿は真実を見る目が無い。在チョンは真実を認めたくないのだ。
★チャンドラ・ボースはなぜ日本に来たか?
「チャンドラ・ボースは、大東亜戦争のとき、密かにインドを脱出して、アフガニスタン経由でソ連に向かいました。
インド独立運動への支援を、革命を成功させたソ連に要請するためです。しかし彼は、スターリンにそれを断られて
います。スターリンの意思は、インドの「支配」にあり、自尊・独立にはなかったからです。」
「やむなくボースは、ナチス政権下のドイツに亡命して、ヒットラーや、ムッソリーニに独立運動への支援を要請し
ました。けれどヒトラーは、こう答えたそうです。「インドは、独立にあと150年はかかる」」
「スターリン、ヒットラー、ムッソリーニという名だたる指導者たちに支援を断られたボースは、ドイツでインド人
の仲間を集め、インド旅団(2,000人)を結成します。そしてベルリンから、反英ラジオ放送を開始しました。その
放送を聞いて、支援を決めたのが、東条英機でした。昭和16(1941)年のことです。そして東条英機は、同盟国で
あったドイツに要請し、チャンドラ・ボースを日本に招いたのです。」
「ボースは、ドイツ海軍の潜水艦Uボートでフランス大西洋岸のブレストを出航します。そしてインド洋で、日本の
伊号第二九潜水艦に乗り換え、来日した。ボーズは、日本の支援を得て、シンガポールで「自由インド仮政府」を結
成します。そして初代首班に就任しました。これがいまのインド政府の誕生です。」
東條英機は、純粋にボース支援を決めた。スターリンやヒトラーとは違う。東條には「アジア解放思想」があり、
アジア侵略者・帝国主義者を駆逐し、大東亜共栄圏を樹立することを目指していた。
大東亜解放戦争と言われるゆえんである。
だから誰が言い出したんだよ?
東條か?徳富か?小林か?
★インパール作戦とは?
「昭和19年、自由インド仮政府を立ち上げたボースは、日本にラングーン侵攻のためのインパール作戦を嘆願しました。
自由インド軍がインド領に姿を現せば、自由を求める各地のインド人が隆起すると信じたからです。しかし当時の日本は、
ボースの進言を受け入れるだけの軍事的余力がありませんでした。インド人の蜂起だって、実際にはあるかどうかわから
ない。」
「インパール作戦は、日本では功名にはやった牟田口中将の無謀な作戦などと言われているけれど、実際には、
チャンドラ・ボースのインド進行への熱意と、蒋介石ルートの遮断を狙った、大本営発の一大反抗作戦です。」
「成功すれば蒋介石ルートの遮断によってシナの国民党の軍備補給の一切を断つことができ、インドの独立を支援し、
イギリスに致命的な打撃をあたえることができる。決して無謀でバカな戦いではなかったのです。そして昭和19
(1944)年、ついにインパール作戦の実施命令が出されます。」
★チャンドラ・ボース(インド独立指導者)
「東亜戦争開始以来、歴史に較べるもののない日本軍の勝利はアジアのインド人に感銘を与え、自由獲得の戦いに
参加することを可能にした。日本政府は単に自己防衛のために戦うだけでなく、英米帝国主義のアジアからの撲滅
を期し、さらにインドの完全な独立を援助するものである。」
「いまやインド国民軍は攻撃を開始し、日本軍の協力を得て、両軍は肩を並べ、共同の敵アメリカ・イギリスの連
合国に対し、共同戦線を進めている。外国の侵略の軍隊をインドから駆逐しない限り、インド民衆の自由はなく、
アジアの自由と安全もなく、英米帝国主義との戦争の終結もない。」
(1944.3.20自由インド放送より)
このボースの演説内容に驚かれる方も多いことでしょう。無理もありません。私たちの多くは、先の大戦をアメリカ
・イギリスなどの自由主義・民主主義陣営と、自由を抑圧するドイツ・日本のファシズム陣営の戦いであったと教え
られてきたからです。しかし、ボースはここではっきりと、アメリカとイギリスを「帝国主義者」と呼び、その
「侵略の軍隊」をアジアから追い出さなければ、アジアの自由はないのだと言っています。
汪兆銘が利用できなければこういう祖国に帰れなかった奴を利用しようとするw
今持ち上げられているのはインドの都合でしかないのに日本の歴史修正主義者
はインドが大日本帝国の味方だと思っている間抜けなんだよなw
日本が西欧同様の強盗だという事実を認めず救世主ぶるのは滑稽のきわみだよw 台湾や朝鮮では民族教育なんて行われていたのか?
オレはこの辺だけが唯一、気になる。
台湾や朝鮮で民族教育なんて行えば矛盾が露呈して
日本から分離独立が発生すると思うのだが しなくても起きる。
朝鮮の3.1、台湾の霧社など教科書に載るものがあるように
日本政府の現地機関が朝鮮、台湾の住民の動向への注意は
神経質といっていいいレベルだよ。 >>395
併合後に国号を大韓帝国→朝鮮と変更させているから
内地と同格ではなく属国という扱いだった。
もし、敗戦がなくいまでも大日本帝国がつづいていたら
やっと今くらいで内鮮一体の総選挙が行われると思う。
スコットランドがイングランドと同じ地位を獲得するまで
長い年月がかかっている。
>>405
無知だねえ。ボースは祖国に帰れなかったのではなく、祖国を密かに脱出して、外国の援助を受けながら
インドを独立させる道を目指していたのだ。スターリンもヒトラーも援助を拒否したが、東條英機だけが
「アジア解放思想」「大東亜共栄圏思想」に基づいてボース支援を決めた。
東條は来日後のチャンドラ・ボースと何度か会談しているが、ボースのことを非常に高く評価した。そして、
「大日本帝国はインド独立を支援するべきである」という国会演説を行って日本国内をまとめ上げた。
日本はインド独立の純粋な支援者であり、大東亜戦争は植民地解放戦争に他ならなかったのである。
否定するのは無知な馬鹿と在チョンのみ。
そして、一番重要視しなければならないのは、インド国内での評価である。それはインド国会議事堂
内での3枚の肖像画の配置を見れば分かる。真ん中にあるのはネルーでもガンジーでもない。真ん中
に飾られているのはチャンドラ・ボースの肖像画なのである。
誰がインド独立の真の功労者であるか、それだけでよく分かる。そして、日本はボースを支援した。
大東亜戦争は植民地解放戦争に他ならなかった。言うまでもないことである。
インドには国際空港が幾つかあるが、ネルーやガンジーの名前を冠した国際空港は無い。
だが、ネータージー・スバース・チャンドラ・ボース国際空港は歴然と存在する。
この中の「ネータージー」とは「指導者」という敬称であって、インド国内での評価の高さ
が覗える。馬鹿と在チョンは必死でボースを貶めようとするが、無知を晒しているだけである。
F機関‐アジア解放を夢みた特務機関長の手記‐ 藤原岩市 (著) basilico社
ボースが出身地のベンガルでの有力者でその声望の高さから「国父」とされている
ことを知っていて書いているんだろうな上のレスをしている奴はw
ボースは社会主義者であり、第二大戦前は枢軸、ソビエトの支持(409でも言及するとおりである)
を求めているのに対して、ガンジー、ネルーがイギリスつまり西側との取引を通じて独立を目指していたように
インドの独立への渇望は「植民地解放戦争」なんていうのんきなプロパガンダを振りまく連中に
は到底理解できないだろうな。ボースが日本の敗戦が確実になるとソビエトへ行こうとしたことなど
独立のために日本を見限ろうとしたことも当然無視かねw
冷戦という2項対立でしか第二次大戦後(今もそうだが)を見れないものが第3世界を理解することなど
ないという良い証左だね。
★エリック・ホプスバウ博士(英国ロンドン大学教授)
「インドの独立は、ガンジーやネールが率いた国民会議派が展開した非暴力の独立運動に
依るものでは無く、日本軍とチャンドラ・ボースが率いるインド国民軍(INA)が協同して、
ビルマ(現ミャンマー)を経由し、インドへ進攻したインパール作戦に依ってもたらされた
ものである。」
(エリック・ホプスバウ『過激な世紀』)
日本軍は、ボース率いるINAと共同してインパール作戦を行い、勝利目前まで言ったが、
戦況を見誤って撤退の憂き目を見た。だが、この作戦によって、インド国民は「イギリスと
互角以上に戦える」「イギリス恐れるに足らず」「インドの独立は近い」との強い確信を
持つに至り、終戦後、独立を勝ち取っていくのである。
大東亜戦争が植民地解放戦争であったのは疑いのない事実である。
馬鹿と在チョンは泣きながら否定するが。
★チャンドラ・ボースの大東亜会議演説
「インドにとりましては、英帝国主義にたいする徹底抗戦以外に道はないのであります。
今我々は日本という無敵の友と各代表の支援を得、解放の日近きことを確信して戦場に
赴かんとするものであり、生き延びてインドの解放を目撃できるや否やは私の意に介する
ところではないのであります。
ここに岡倉天心、孫文ら先人の理想が実現されることを、大東亜共同宣言が全世界の
被抑圧国民の憲章たらんことを切に祈るものであります。」
東條英機が声明した「大東亜共同宣言」はそれだけ素晴らしいものだったのである。
大東亜共同宣言の精神は、帝国主義・植民地主義の否定であり、その目指すところは、
共存共栄・自主独立の尊重・伝統と民族性の尊重・互恵・人種差別主義の撤廃であった。
現代にも通じる素晴らしい精神である。馬鹿は認めないが。
朝鮮人や台湾人が総督に任命されなかったのは適当な人材が欠けていたからだ。
差別ではない。日本人が先に文明化して優秀な人材を抱えていた結果に過ぎない。 日本は朝鮮人、台湾人の福祉のためにこれら地域の統治を引き受けたのだ。
植民地支配ではない。 >>419
防衛戦略+ポスト・利権のため
朝鮮人、台湾人の福祉のためではないよ。
植民地支配というよりは、占領統治・国土拡大の方が合ってる気も。 日本軍は極悪で、世界支配を企んで云々してたのに
アジアの解放なんか笑止という幼稚なロジックを、>>1がチョンコ
ではなく日本人ならもうええ加減やめたら?w
大東亜戦争がどうであったかという議論なんか本質的にはどうでも
良くて、大きな声を出して、相手を黙らせて、自分の意見が通る場が欲しいだけ。
日本が負けただけに日本悪玉論を用いてるだけやん。
「平和が一番、お前その意見に反対するのか?」
で、相手を黙らせる事が出来るたから平和団体がオナニー覚えたサルのように
固まっていつまでも運動してる。
朝日新聞が良い例。戦前・戦中は、
「戦争に反対するのは非国民。あ?お前日本国を信用してないんか?」
戦後
「平和が一番、お前その意見に反対するのか?」
常に、相手を黙らせ易いポジションに居る。
「あ?戦前と言ってる事が違う?戦前は軍部に言わされてたから」
日本人に不足してるのは、考察への興味やな。日本だけではなく
日本を真似してるチョンコ、中国人もおんなじ。
考察への興味はなく、意見の主導権を握る事(派閥争い)に興味がある。
朝日が潰れないのは、声がでかい奴が有利な場所が社会の至る所にあるからと思う。
朝日のノリが国民のノリから乖離してたら、手のひら返した時点で潰れてる。
声がでかい奴が社会の上層に上がってしまうメカニズムにつて日本社会の課題として認識し、
それを考察した方がええんちゃうかな。
>>421
>日本軍は極悪で、世界支配を企んで云々してたのに
世界支配なんて企んでないと思うが。
利権・出世争いに目がくらんだ結果、他国との情勢を読み違えて大国の逆鱗に触れた結果始まったのが大東亜戦争。
またシナ事変では、保身で引き際を見誤った結果、ずるずると泥沼の戦争を続けてしまった。
日本は、世界を相手に戦う気はなかった。 世界支配を本気でたくらむ国なんてどこにもないよ
あのアメリカ合衆国ですら無理なんだから
★ジョイス・C・レブラ博士(米国コロラド大学歴史学部教授)
「太平洋戦争は、西欧資本主義流の帝国主義の単なる日本版では無く、それにもまして
西欧諸国の進出によって脅威を受けた日本が、(自国の)存亡に関わる権益を防衛する
為の戦いであったのである。更にアジアを包含しようとする大日本帝国の野望として
従来は見なされていた、大東亜共栄圏の理念も又再検討されて然るべきである。」
(ジョイス・C・レブラ『チャンドラ・ボースと日本』原書房、1969年)
日本は、米英に追い込まれてやむなく戦争に突入した。決して自ら望んだものではない。
戦争を起こす以上、新たな秩序を作る必要がある。それが大東亜共栄圏だ。これは、日本
が米英の植民地を奪い取って自らの植民地とするものではなく、米英の植民地を独立させ、
主権国家として互いに尊重し合う新たな共栄圏を作るものである。
馬鹿は大東亜共栄圏を侵略の象徴と見るが、大間違いである。
解放って言葉は左用語じゃないの
当時の日本の支配層が使う言葉とは思えないけど 日本人の一部にアジアの独立を考えた奴はいただろうが
日本と言う国がなにかしたかと言われれば
なにもしてないとしか答えようが無い。
またアジア諸国の独立は日本人を除いたアジア人の努力によるものだ
日本人を除いたアジア人の努力を無視して功績を奪おうとする考え方には
一切、共感できない。 ジョージ=ブッシュがアメリカのおかげで日本は民主化できたと
いっていたのを思い出すな。(最も本当にそう思い込んでいる連中が左右問わずいるがな。)
戦争も民主化も権力に引っ張ってもらいたがる駄目人間は日本にはなんと多いことよw )>>426 >>日本と言う国がなにかしたかと言われればなにもしてないとしか答えようが無い。
・・・インド、ビルマ、インドネシアに軍隊を作らせて軍事教練をしただろ。
それが日本撤退後の独立戦争を遂行する主体になっている。軍隊がなければ独立など不可能で今も植民地のままだった。
戦後舞い戻ってきた英仏蘭が植民地を回復できなかったのは日本が作った現地軍のお陰だ。 >アジアの解放といい始めた?
ヒント盛りだくさんで?遊びかよ>?
>>426,428
軍事教練が独立に役立ったのは確かだと思う
ただ、現地戦力に組み込むために育てたわけであって
アジア解放のために軍事教練したわけではない。
日本がアジア解放に協力してやった。という考えに共感できないのも同意 >>430 それは米国が黒人兵、イギリスがインド兵、フランスが外人部隊を訓練したのと同じことだ。
彼らも黒人解放やアジア解放のために訓練した訳ではない。日本も同じことをやった。
世界征服の実力があるのは米英+旧大英帝国諸国と次いで旧ソ連だけだ。
日本にできたことは朝鮮、台湾+東南アジア諸国だからせいぜいアジアの一部にすぎなかった。
仮に大東亜共栄圏を作ったとしても米国、ソ連より小さかった。 アジアの解放と主張する人はなんでアジア独立の功績を
日本人以外のアジア人から奪おうとするのだろうか
インドネシアの独立にはインドネシア人が、
ベトナムの独立にはベトナム人が貢献しただけで
日本人が独立させたと功績の横取りは見ていて目に余るものがある
インドネシアの独立がインドネシア人自身の力によったように
日本の貢献度なんてさして無いわけ
アジアの解放と主張する人の功績横取り論は見ていて眼に余る
インドネシア人やベトナム人が聞いたら怒りそうだ 大体、アメリカ人がアメリカのお陰で日本は民主化されたとか
アメリカのお陰で戦後の復興はうまく進んだなんて
日本人の功績を横取りするような論理展開になったらそれは違うでしょ、と思うでしょ
インドネシア人やベトナム人の努力や犠牲を無視して
日本人の力で独立したと言うのなら失礼な話だ アジアの盟主の座を失いそうだから過去を美化することで自分を慰めようとしているのさ。
中華思想と同類の優越感ももうもたないからまたルール無用のワルに戻るんじゃないの >>437 アジアの盟主の座? 戦後の日本がいつそんな地位にあったと思っているというんだ。
単に経済力アジア一と思っていただけだろう。
ルール無用のワルとは戦後のシナ・朝鮮のことだ。 >>439
ルール無用のワルとは常任理事国の特権である拒否権最大連発のアメリカだよ。
そのアメリカのに従うことで中国や朝鮮半島、東南アジアに居丈高にしてきたのだろうが。
肝心のアメリカがブッシュ政権後期から衰勢に入り、朝鮮や台湾で軍事衝突を避け始めたことで
均衡が崩れ東アジアが流動化してきたことを自覚できないものは尖閣の国有化に寄付金を
しちゃうんだろうな。
豚骨ラーメンおいしかですよ。紅ショウガがうまか!!
おいは具は焼き豚と海苔とキクラゲが好きよ。
薬味はネギと紅ショウガね。
マジうまかさ。スープのたまらんもん。あんにおいがよかね!
ああ〜また食いたくなってきた〜。
明日も食うけん!! ジョセフ・ナイという人が書いた『対日超党派報告書』というのを、読んでみるとこう書いてある。
「東シナ海、日本海近辺には未開発の石油天然ガスが眠っており、
その総量は世界最大の産油国サウジアラビアを凌駕する分量である。
米国はなんとしてもそのエネルギー資源を入手しなければならない」
アメリカがなんで日本の・・・ふざけるな!お前らのものじゃないだろうが!
日本のものだろうが!と叫びたくもなります。
「そのチャンスは台湾と中国が軍事衝突を起こすときである。
米軍は台湾側に立ち、中国と戦闘を開始する。
日米安保条約に基づき、日本の自衛隊もその戦闘に参加させる。
中国軍はアメリカ、日本軍の補給基地である日本の米軍基地、自衛隊基地を本土攻撃するであろう。
本土を攻撃された日本人は逆上し、本格的な日中戦争が開始される。」
ジョセフ・ナイがこういう戦争計画を練っているわけです、日本を戦争に巻き込むと。
http://www.youtube.com/watch?v=IsLexZkazf4
「米軍は戦争が進行するに伴い徐々に戦争から手を引き、
日本の自衛隊と中国軍の戦争が中心となるように誘導する。
日中戦争が激化したところで米国が和平交渉に介入し、
東シナ海、日本海でのPKOを米軍が中心となって行う。
東シナ海、日本海での軍事的、政治的主導権を米国が入手することで、
この地域での資源開発に圧倒的に米国エネルギー産業が開発に優位性を入手することができる。
この戦略の前提として日本の自衛隊が自由に海外で、
軍事活動ができるような状況を形成しておくことが重要である」
つまり日中に戦争させといて両方とも疲弊させといて、そこにアメリカがPKOの形で入ってきて、
資源を横取りするという計画だそうです、それでいいの?いいわけないだろが。
アメリカが泥棒しようとしてる、アメリカが我々の資源を泥棒するために、
日中に戦争させようとしてる、とジョセフ・ナイが自分で言ってるんだから間違いない。
http://www.youtube.com/watch?v=hoi7xO_5hcM
米英蘭が包囲網を作り、日本への資源を遮断し、圧迫していたのは事実。それは、1941年7月から急激
に強まり、日本政府は狼狽した。政府も統帥部も戦争回避のため近衛文麿−ルーズベルトトップ会談で事態
打開を図ろうとしたが、アメリカが非戦に協力的でなく、事態打開は出来なくなった。
そのころ大本営では、日英戦争勃発に備え、遅まきながら東南アジア工作を始めていた。その趣旨は、「東南
アジア植民地諸国の住民の民族意識を発露させ、自主独立の意識を高め、日本による恣意的な独立ではなく、
民族による真の独立を勝ち取らせる。日本は各国の独立を支援し、新たな共栄圏に参加するよう、説得する」
というもの。これには、イギリス・オランダの弱体化、東南アジアからの資源調達、大東亜共栄圏参加諸国全体
による米英帝国主義への抵抗という多くのメリットがあった。これらの工作を担当した特務機関がF機関である。
F機関の機関長は藤原岩市少佐であり、部下には「ハリマオ」こと谷豊らも含まれていた。藤原少佐は戦後陸自の
陸将まで登りつめ、自叙伝も残した。詳細は自叙伝「F機関」藤原岩市・バジリコ社を参照のこと。
日中戦争泥沼化に、米英も日本いい加減にしろよと文句ぶりぶり
資源欲しくて南方進出で、米英から顰蹙
経済制裁くらう
米が本気で怒り出した。
米との戦争回避しなきゃダメだよ
↓
野村っちなどが日米諒解案まとめ
政府、野村っちGJ
このまま進めちゃおうよ
↓
松岡激怒。
勝手にやるとか許さん。
日米諒解案潰しちゃえ。
そもそも日本はドイツと手を組むから
ドイツ進撃
バスに乗り遅れるなで強硬派が南部仏印進駐論押し捲り
もともと米英不可分論だったのに、都合よく米英可分論で反対意見封じ込め
米から、南部仏印進駐しちゃったら、石油とめちゃうよ。戦争する気なん?って怒られる
↓
日本、「大丈夫だって。結局、英と戦争になっても米は出てこないって。ガンガン行こうぜ。権益も出世も目の前にあんのに、おまえら黙って指咥えて見てるつもり?」と、南部仏印進駐
米、石油の輸出とめる
↓
日本大慌て。「まずいって、米と戦争になるの拙いって。なんとかとめなきゃ」
日本、日米諒解案ってまとまりそうだったじゃん?もう好き勝手しないから、アメリカさん交渉はじめようよー
↓
米「もう信用できん。許さん。どうしても許して欲しいなら、これ(ハルノート)のめよ」
↓
日本、「むりむり。中国から撤退したら、ぼくたち、軍部の急進派とか軍部OBの右翼とかに暗殺されちゃうよ。とりあえず首脳会談やろうよー」
↓
米「しらんがな」
↓
日本、「もう戦争するしかない。電撃戦で、有利な状態で早期に和解しかない」
開戦
日本、「ひゃっはー、無双だぜ!上の方は、早期和解したい?www冗談言うなってのw権益奪いまくったるでーw」
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