★チャンドラ・ボース(インド独立指導者)

「今から約四十年前、私がようやく小学校に通い始めた頃、一東洋民族である日本が、世界の強大国のロシアと戦い、
これを大敗させました。このニュースが全インドに伝わり、昂奮の波がインドを覆いました。いたるところで旅順攻撃や、
奉天大会戦や日本海海戦の勇壮な話で持ちきりでした。私たちインドの子供たちは、東郷元帥や乃木大将を敬慕し尊敬し
ました。元帥や大将の写真を手に入れようとしてもそれができず、その代りに市場から日本の品物を買ってきて、日本の
シンボルとして家に飾ったものでした。」

「そして、インドの革命家たちは、なぜ日本が強大国をやっつけることができたのか、それを知ろうと日本に来ました。
また日本からは岡倉天心のような先覚者がインドを訪れ、全アジアを救うべき精神を説きました。実に岡倉こそ
「アジアは一つ」と断言した大先覚者でした。」(NHKラジオ放送)


日露戦争における日本の勝利は、植民地の独立運動家たちに大いなる勇気と希望を与えた。そして、日本はアジア植民地
解放運動の拠点となっていく。日本政府は列強の顔色を窺っていい顔をしなかったが、頭山満らアジア主義者たちは陰に
陽に彼らを助けた。中村屋の婿になったビハーリー・ボースもまたインド独立運動家であった。中村屋は、今も有名な
カレー店として残っている。

「アジアは一つ」これこそが大東亜共栄圏構想の底流に流れていた思想である。
大東亜戦争が植民地解放戦争であるのは疑いのない真実である。