我先に南部仏印進駐すべしと中堅層がなっていったのは、派閥争いからかと思います。
どこが主導的な立場で作戦を行なっていくのか。
これが派閥の争い。利権争いの構図では大きな意味がありますし。

上層部にも利権や派閥争いの論理はあったとは思いますが、
プラスして中堅層の暴発は危惧してはいたと思います。
強硬派や右翼によるクーデターというのは当時ついてまわる懸念材料でしたし。
上層部には、保身と利権といったものも南部仏印進駐を決める判断材料になったと思います。