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【憲政】立憲政友会vs立憲民政党 part3【翼賛】
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/06/06(水) 05:38:02.39ID:fVsoQBOu0
戦前の政党・政党政治家などを語る
往年の名スレ復活を望む

過去スレ
立憲政友会vs立憲民政党 その2
http://logsoku.com/thread/academy3.2ch.net/history/1087734726/
立憲政友会vs立憲民政党(憲政会)
http://logsoku.com/thread/academy.2ch.net/history/1007783170/

参考(戦前政党変遷図)
http://www.geocities.jp/since7903/senzen-seitou.htm
0002名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/06/07(木) 14:53:24.23ID:OVqF1WZu0
kitai age
0003名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/06/08(金) 03:23:49.39ID:IGUDAWsEO
初代スレが立った当時は太平洋戦争関係以外の近代史スレがあまりなくて面白かったな。


話題はpart2の途中で尽きた感もあるが10年で人も変わっただろうし、新しい見解も出てくるかな。
0004名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/06/09(土) 20:04:52.15ID:RDJbgC4o0
ここ10年で出た、戦前の政党を知るのに適した本を知りたい(再刊でも可)
0005名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/06/15(金) 23:15:22.45ID:eVw6XkWr0
>>4
川田稔「満州事変と政党政治」(講談社選書メチエ) が、最近出たものでは面白かった。

浜口雄幸は立派な政治家で、若槻禮次郎も言われるほどのヘタレではなく、政党政治の基盤は強固だった。
なのに政党政治は、満州事変と陸軍(一夕会)の策謀で崩壊する。政党と軍の発想の違い、軍の台頭の過程がよく分かる。
0006名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/06/16(土) 06:37:07.78ID:fLvr0zcr0
どうも戦前の議会って富豪議会や名士議会のイメージが強いんだよね…
偏見なんだろうけどさ
0007名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/06/17(日) 23:07:28.55ID:oQU2WYmH0
そりゃ戦前の無産政党は弱小勢力だからな…
あれがイギリスの労働党みたいに育ってたら違っていたろうに
0008名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/06/26(火) 23:44:21.08ID:dwLDGtoZ0
農民労働党 労働農民党 日本農民党 社会民衆党 日本労農党 無産大衆党 日本大衆党 社会大衆党
これだけあって、影が薄いとは。。。無産政党あわれ。

安部磯雄とか赤松克麿はメジャー級かもしれないが、政治家として
どんなことをしたのかは、今ひとつ分からないな。
0009名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/06/29(金) 22:07:52.53ID:E1ysFh6n0
三井→立憲政友会
三菱→立憲民政党

政友会→旧田中系
民政党→旧福田系

あてはめてみれば、


0011名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/08/05(日) 13:44:32.94ID:aXGWBpac0
大政派と翼賛派
0013名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/08/13(月) 10:20:20.10ID:fowAW6RS0
濱口雄幸いいわー
もうちょっと長く首相やって欲しかった
0014名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/08/13(月) 10:44:03.48ID:Qa1wATW60
雨が強くなってきた今日は中止だ
0015名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/08/28(火) 02:24:51.10ID:kjynWWxy0
政友会:積極財政・大陸進出・陸軍・在郷軍人&民間右翼
犬養毅・森恪・高橋是清・鈴木喜三郎
民政党:緊縮派・国際協調・海軍(条約派)・都市部
若槻礼次郎・浜口雄幸・井上準之助
その他この二大政党時代の人
西園寺公望(元老)牧野伸顕(公家)、田中義一&宇垣一成&白川義則&荒木貞夫(陸軍)
斎藤實&岡田啓介&鈴木貫太郎&大角岑生(海軍)、幣原喜重郎・床次竹二郎・安達謙蔵
修正等あれば
0016名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/08/28(火) 02:40:10.66ID:kjynWWxy0
牧野は公家じゃなくて宮中派だ。
あと帝人事件の平沼・統帥権干犯問題の鳩山一郎も加えておくか
0017名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/08/30(木) 09:25:13.33ID:rXQDYE290
政友会:積極財政・大陸進出・陸軍(田中派)・海軍(艦隊派)・農村部(在郷軍人)&民間右翼
 犬養毅・森恪・高橋是清・鈴木喜三郎・鳩山一郎
民政党:緊縮財政・国際協調・陸軍(宇垣派)・海軍(条約派)・都市部&左翼知識人
 若槻礼次郎・浜口雄幸・井上準之助
その他この二大政党時代の人
 西園寺公望(元老)&牧野伸顕・木戸幸一(宮中)、田中義一&宇垣一成&白川義則&荒木貞夫(陸軍)
 斎藤實&岡田啓介&鈴木貫太郎&大角岑生(海軍)、幣原喜重郎・床次竹二郎・安達謙蔵
 平沼騏一郎&倉富勇三郎(枢密院)
ちょと修正してみた ほかにもあれば自由にどぞ
0019名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/08/31(金) 23:19:17.18ID:sOq6fy6e0
>>18
まったく、高橋はなんで政友会にいたのか分からんね。
山本内閣(与党が政友会)の蔵相になったのが、腐れ縁のはじまりかな?
民政党員だったとしても、やっぱり殺されてしまったかもしれないが。
0021名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/01(土) 10:34:25.30ID:Zr4zBwsB0
たしかにワシントン会議のときは高橋首相だ。
なぜ憲政会と政友会で、外交政策がひっくり返ったのか謎。
野党だと勇ましいことを叫ぶんかな?
0022名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/02(日) 00:17:37.26ID:dlp0ON2A0
>21
>なぜ憲政会と政友会で、外交政策がひっくり返ったのか謎。

田中義一が後継総裁として入ってきてからじゃない?
森恪あたりと連携して、それまでの政友会の方針とずれていったんじゃないかな。

まぁ、そもそも政党政治が未熟だったこともあって「敵対政党を攻撃するためには
外交問題を政争の具にしてもかまわない」ぐらいの感覚だったせいかもしれないけど。

今世紀の鳩山民主党が政権奪取のために「普天間問題を解決します」とか言い出して
外交という壁にぶち当たってしまったようなもんか。
0023名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/02(日) 08:03:39.90ID:YWO7YrYn0
高橋是清は政友会が敵視した岡田内閣の閣僚をやって暗殺された。
同じく元政友会総裁・首相の西園寺もこの時代の政友会を嫌ってた。
0024名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/02(日) 19:03:19.22ID:OydHNB6Q0
ttp://go2senkyo.com/elections/category/syuugiin
↑誰かこのサイトとか(何でもいい)から28〜42までの民政党議員・
政友会議員・その他をまとめてwikiに載せてくれないかなあ。
ってか歴史研究家・教授でこのあたりのを専門にしてる人って誰なの?
0026名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/04(火) 18:16:25.60ID:dUgcNZIL0
田中義一の陸軍機密費はほんとなの?
0027名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/12(水) 21:02:00.15ID:IGaxNefai
>>26
ほんとだろうな。政党の党首はカネがかかる。それも尋常な手段では作れないほど。
田中義一のような軍政の中心にいた人間なら、次官や会計担当官と組んで
機密費横領して蓄財するのが一番効率的なカネもうけだ。
0029名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/13(木) 22:03:17.78ID:n2SKuESt0
>28
それはあるかもしれないな。
この時期の陸軍は大正デモクラシーという大波の前に、かなり政党勢力に対して劣勢を強いられていたから、
陸軍の中枢にいた田中を政党の中に送り込むことで政党側を懐柔しようと考えるだけの動機を持っていたし。

総力戦という第一次世界大戦によって生じた新たな戦争概念を前にして、心情的には忌避感を強く抱いている
政党勢力と妥協してでも軍備拡張や組織・兵器の近代化を進めなければならないという考えも強かったから、
田中の政界に対する野心をバックアップしようとしたとしても不思議はない。
0032名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/15(土) 11:40:21.84ID:FdOMHqra0
>>9
亀レスだけれど前半は同意だが後半は滅茶苦茶。
自民党誕生後で8個師団でいえば
政友会→松村・三木派以外の7派に幅広く存在
民政党→殆どが旧日本民主党系の4派に存在
こんなところか。

個人的な主観で近世以前の日本人の姓(かばね)にたとえると:
政友会→平氏
民政党→源氏
というイメージが強いが。
0033名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/15(土) 18:11:55.18ID:eY4jXpbZ0
はじめてきたが良スレ発見
思想に犯されてないめずらしいスレだな
先人のまとめ活用させてもらいます
0034名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/15(土) 18:16:26.11ID:eY4jXpbZ0
陸軍機密費横領問題担当の検事石田基が鉄橋下で変死体で発見されその後事件はうやむやにされた
らしいけどなんで追求されなくなったの?余計に疑われる気がするけど
0035名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/18(火) 12:58:41.74ID:0AoT99L20
帳簿や領収書がきっちりと残される性格のものではないから
明らかにしようがない。残っていた文書も終戦時に焼却されただろう。
0036名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/22(土) 01:07:09.40ID:rxOI3pue0
>>18-23
田中義一の派兵(強硬外交)も英米と協調の範囲内ではあったようだがな
森恪あたりとは違って協調の範囲内に収めることを考えていた
張作霖爆殺事件の対応で軍に屈したし田中以降政友会は親軍色強くなったが
統帥権や天皇機関説やら政友会はどうも政局的過ぎる
0037名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/22(土) 01:12:05.92ID:rxOI3pue0
>>5
永田鉄山の対支一撃論や総力戦体制論は
英米との協調を破ってでも大陸に進出して
総力戦の準備を進めるという点で倒錯してるというか
英米と協調する側の努力を壊して自ら総力戦を招いてるように思えてしまう
0038名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/22(土) 01:23:15.64ID:rxOI3pue0
>>29
親英米の自由主義で進められればよかったんだろうが
特に田中以降政友会は自由主義色薄い
原の頃から満州で利権漁りしたりしててかなりあれだが
0039名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/22(土) 07:42:50.42ID:TshLHsJb0
田中外交はワシントン体制から抜け出すものではなくて、英との協調を重視していた。
協調外交の典型のように見られている幣原外交では寧ろ抜け駆け的に蒋介石との
接近が図られた。
0040名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/22(土) 14:38:51.97ID:rxOI3pue0
>>39
政友会内閣の外交官時代の吉田茂も満州への進出に
積極的だったがあくまで英米協調が前提だからな
森恪なんかは犬養にも危険視されていたようだが
この点で陸軍の特に統制派は先に開戦を前提として
その準備として資源のために満州を取るという点で倒錯してるように感じる
さらに資源のために太平洋にも進出してそれで英米と対立が深刻化するとか
開戦準備として満州を取っても逆に戦線が広がってるし対支一撃は泥沼化
絶対開戦するから資源を取って総力戦体制を構築せねばという頭が
先にあってそれに縛られ過ぎてるというか頭でっかちだったのかね
東條ではなく永田鉄山が生きて主導していたらどうなったんだろうな
0041名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/22(土) 15:30:17.29ID:BLnQ7WUn0
>36
>田中義一の派兵(強硬外交)も英米と協調の範囲内ではあったようだがな

国家の上層部としては英米との協調歩調を崩さずに外交を展開する一方で、
国民に対しては「支那に対して膝を屈するな!」みたいな強硬なポーズを
取っておく必要があると判断してたんじゃないか?

今の中国が、日本との関係を壊すと経済的な不利益が甚大だから穏便に
止めたいと本心では思っていても、経済的に困窮していたり政治的な不満を
持っている民衆が鬱憤晴らしをする対象として「反日」という反応を
起こしているように、当時の昭和恐慌のただ中で経済的に困窮している
貧農層や都市下層民が現状打開の方法の一つとして「満蒙を取れ」とか
「満州は生命線」とかのスローガンに引き寄せられたんでしょう。

政権を取って民衆の支持を得るためには、そうした「景気の良い話」に
引き寄せられる性質にアピールしたほうが「票を取れる」という判断を
政党がおこなったとしてもそう不思議はない。

そのうえで、政権を運営していく上では「英米との協調」という基本線を
崩すことの不利益は分かっているから、対外的にはそこそこ理解を得られるよ
うな線で物事を納めて、「国内向けには強硬姿勢を示す」という路線と、
「対外的には協調体勢を崩さない」という路線を両立するという
ある種の二枚舌を使い分けようとしたんだと思う。

問題は、そうした時に田中義一に足下の軍部内での中堅層の策動を抑えきれる
ような力が無かったことと、森恪あたりの働きも手伝って、民衆の中にある
支那に対する反発と、陸軍中堅層(双葉会〜一夕会)の満蒙の資源獲得への
策動が一つにまとまって大きな力となってしまったことだと思う。
0042名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/22(土) 15:50:17.15ID:BLnQ7WUn0

>37
>永田鉄山の対支一撃論や総力戦体制論

永田本人は総力戦体勢を作ることを指向してはいたけど、
対支一撃論には距離を取っていたと思う。

もともと永田と小畑の対立が表面化したのは、
対ソ戦を強く指向する荒木をはじめとした皇道派の考えに対して、
まずは満州国経営を堅固なものにしてこの地域において日本の
確固とした足場を築くことを優先すべきだ、というものだったし。

満州事変後に連盟脱退などを通じて悪化した欧米との協調路線は、
永田が軍務局の中枢に入った昭和9〜10年にかけてかなり回復しているし、
国民党の蒋介石との間でも、かなり宥和的な政策が進められていて
むしろ国際環境的には安定化傾向にあった。
0043名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/22(土) 15:59:00.72ID:BLnQ7WUn0
>38
>親英米の自由主義で進められればよかったんだろうが

その時期に政権にあった浜口雄幸の民政党政権が自由主義的で
親英米姿勢という路線を取っていたから、政権獲得のために
独自色を打ち出すことを求めたからだろうね。

本当に国益を考えるのであれば、外交に関しては民政党の路線に
賛同を示して、それ以外の政策で自党への支持を訴えれば良いのに、
安易で短絡的に幣原外務大臣の行う外交を「軟弱外交」として
非難する方向へと舵を切ってしまったのが間違いだったと思う。

井上蔵相の金解禁政策への批判に一本化していたらまた違った
展開もあったろうにね。

ロンドン軍縮条約問題にしても、軍事予算を減らして国民生活の
立て直しに充てるという意味では大変にまっとうな話しなのに、
予算を削られることに憤慨した軍部の後押しにのって「統帥権干犯」を
言い出して結果的には自分たちの首を絞めることになる方向へと
進んで行ってしまった。
0044名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/22(土) 16:15:04.09ID:BLnQ7WUn0
>39
>田中外交はワシントン体制から抜け出すものではなくて、英との協調を重視していた。
>協調外交の典型のように見られている幣原外交では寧ろ抜け駆け的に蒋介石との
>接近が図られた。

というよりも、実際には田中外交にしても幣原外交にしても
そこまで大きな路線の変更なんて出来なかったんだよ。

外交というのは基本的には外務省の官僚が基本的な路線を進めていくものだし、
相手のあるものだから日本の国内事情だけでそう簡単に路線転換などできるもんじゃない。

それは現今の民主党政権での鳩山の醜態を見ただけでも簡単に了解できる。

田中外交と幣原外交が相対立するものとして国民に受け取られたのは、
もっぱら国民に向けての外交政策を説明する過程でどのような口吻をするかに
よって違いが印象づけられているだけで、諸外国からの視点で見れば
それほど大きな違いなんて感じられなかったというのが実際の処だったみたい。

日本がワシントン体制に対して公然と背を向けたのはあくまで満州事変が原因で、
民政党や政友会といった政党政治家がそれを指向したわけではなかった。

石原完爾が事変前に作成した「満蒙問題私見」で述べているように、
「謀略により機会を作成し軍部主導となり国家を強引する」というのは
こうしたワシントン体制を基本的には守ろうとしていた政党政治をひっくり返そう
という意図の表れだった。
0045名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/22(土) 16:55:07.06ID:BLnQ7WUn0
>40
>この点で陸軍の特に統制派は先に開戦を前提として
>その準備として資源のために満州を取るという点で倒錯してるように感じる

陸軍は日露戦争くらいの頃から伝統的にロシアを仮想的に見立ててきたし、
反共思想の強い皇道派は取りわけ「ソ連」という共産主義国家に対して
警戒心を抱いていた。

そして第一次世界大戦以降、大規模な戦争が「総力戦になる」というのは
必ずしも間違いでも杞憂でもない以上は、それに備えておかなければという
考えを陸軍が持つというその動機自体は必ずしも否定するべきものではないと思う。

その際に支那との関係をどのように構築するのかというのが一番の焦点だった。

満州事変以後でも、必ずしも蒋介石との全面衝突は避けられないものではなかった。
出先軍部を統制して、余計な策謀をさせないようにし、軍事衝突を起こさないように
牽制することが可能であったなら、蒋介石との間に協力関係を構築して、
ソ連という共産主義勢力に対して共同戦線を張ることは不可能ではなかった。 

問題は、満州事変以降に習い性になってしまった出先陸軍の中央を無視した
拡大主義や謀略嗜好が抑えられなかった事だと思う。

太平洋戦争の開戦にしても、アメリカからの「中国からの撤兵を行い、
三国同盟を死文化してドイツと手を切れ」という要求を受け入れるかどうかが
開戦と避戦の分かれ道だった。

そしてその三国同盟を結んだ理由にしても、支那事変を有利に収束するために
というのが理由の一つにもなっているくらいだから、どこまで行っても、
元を正せば中国との戦争が泥沼化してしまっていて引き際を見つけられなく
なっていることにその原因がある。
0046名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/09/22(土) 17:03:05.71ID:BLnQ7WUn0
>東條ではなく永田鉄山が生きて主導していたらどうなったんだろうな

断言は出来ないけど、盧溝橋事件の時に、全面戦争化しないように
石原と一緒に陸軍省内で奔走したんじゃないかなという気がする。

永田の部下だった東條や武藤といった拡大派の盧溝橋事件時の言動から
生前の永田の思考を類推するのは無理なんじゃないかな。

「永田の前に永田無く、永田の後に永田無し」とまで云われたように、
永田の存在というのは陸軍の中ではかなり特異な存在で、東條や武藤は
永田と比べたら遙かに小粒で矮小な存在だった。

永田が構想していた陸軍の進むべき道というのは、陸軍のんかでは
実際には永田にしか見えてはいなかったし、その構想を実現するだけの
政治力や人脈も永田しか持っておらず、その後の陸軍の中で財閥や
重臣層や他省の官僚と共同歩調を取って物事を進めていくだけの
器量を持っている人間はいなかった。
0048名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/09/23(日) 22:43:27.90ID:GbixlNNA0
日本人や日本の工場が大陸で焼き討ちにあって、おびえて外にも出れない状況となった。
これがもし戦前の政党政治時代なら、田中外交が発動、帝国陸海軍の出番となって
上海や青島に旭日旗が翻るわけだ。一発で鎮火するのか、それとも火に油をそそぐのか。

あるいは発動するのは幣原外交かもしれん(確率50%?)が、その時は…
トヨタ・ホンダ・パナソニック・キャノン・イオン・セブンイレブン、
全部まとめて日本に帰ってこい!という無茶な方針で、これまたアテにならない。

当時は英米日の協調でシナを抑え込んで、ルールを守らせるしかなかったと思うが
今はそんな国際的な枠組みもなし。どうしたらよいのだろうかね。
0049名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/09/24(月) 15:47:28.70ID:s2iWJGDu0
幣原の無為無策が関東軍を柳条湖の謀略に走らせたのだ。
春秋の筆法を借りれば満州事変の主犯は幣原だ。
0050名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/09/24(月) 16:49:42.60ID:7+aRPyzv0
>49
>幣原の無為無策が関東軍を柳条湖の謀略に走らせたのだ。

多少の反日排日活動なんて、無視するか逆手にとって外交上の圧迫を加えていればそれで良い。

今の中国の反日暴動を受けて、自衛隊が「中国が先に仕掛けてきた」とか言い出して
自作自演で軍事行動を起こすようなもん。

連盟決議での42対1での否決ってのはそういうカラクリを見透かされてのもの。
関東軍の暴走のせいで日本がどれだけ国際的な信用を失い、対外的な損失を被ったことか。

>春秋の筆法を借りれば満州事変の主犯は幣原だ。

アホな出先機関の下っ端の暴走までトップの責任にされたらかなわん。

満州事変の主犯は石原であり、その行動の容認をした陸軍中央の責任であって、
外務省や政府首脳はなんとか暴走を食い止めようとした側だよ。

幣原の外交に反発するアホどもの暴走を抑える手立てを持っていなかったという意味では
政府にも責任の一端はあったとも云いうるが、それをもって「主犯」とする論理を用いるのは
明らかに間違い。
0052名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/09/25(火) 22:45:30.90ID:C/+w9gVe0
対中協調し英同盟廃止と九ヶ国条約締結したのも幣原外交らしいが。
わざわざ米に包囲網作らせ、その後に強者にした米英と協調とかかなりひどくね?
0053名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/09/27(木) 07:22:21.84ID:x8u36xNf0
幣原外交とは土井たか子か福島瑞穂が外務大臣になったようなものだ。
日本の権益も安全保障も放棄して中国と仲良くしましょうという外交。
危機感に駆られた関東軍が行動を起こしたのは当たり前だ。満州事変の
主犯は幣原。
0054名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/09/29(土) 10:17:25.65ID:su3z2Pp+0
>>50
日露戦争に勝って当初の目的を果たして一等国の仲間入りをしたはいいが
その後は大陸の扱いが難しくなってしまったな
統帥権による軍部と政府の二元化の危険性は1921年にすでに
近衛は演説で触れているが、結局維新の元勲の作った大日本帝国憲法に
欠陥があって陸軍の暴走や政党政治の破綻はどうにもならなかったのかね
その近衛が日中戦争を拡大して英米と対立のお膳立てして東條に継いだが
0055名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/09/29(土) 10:38:44.36ID:su3z2Pp+0
田中義一は万里の長城以南は蒋介石の統治を認めるが
満洲に限り張作霖を利用して統治させる方針

中華民国の主権は認めるが、日本の実権掌握下における
政権樹立による満蒙分離、吉田茂や森恪はこれだな

民政党は国民政府による満洲含む全中国の統一を容認
不干渉の上で中国との貿易推進

陸軍の統制派は中国の主権を完全否定の満蒙領有で
総力戦体制の構築と来たるべき対ソ戦への準備
0056名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/09/29(土) 12:48:53.61ID:nlNqJV/z0
>54
>結局維新の元勲の作った大日本帝国憲法に欠陥があって
>陸軍の暴走や政党政治の破綻はどうにもならなかったのかね

「統帥権の独立」という陸海軍側の振るった論難の剣は、
必ずしも万能の武器だった訳じゃあない。

現に、盧溝橋事件によって発生した軍事衝突が日中の全面戦争へと発展した際に、
統帥側の参謀本部の方が不拡大を指向して、政府や陸軍省側の方が強硬意見を
主張して戦火を拡大していった。

軍政(陸軍省・海軍省)と軍令(参謀本部・軍令部)のどちらが圧倒的な
優位を持っていたとかではなく、それぞれの組織や勢力が右往左往して
統一的な国家運営を行う主体を喪失してしまったことが破綻の原因だった。

それは憲法上の制約という以上に、統治を行う政治主体を上手く作り出せなかった
日本人の心性の問題であったり、強力な意志と政治力を持って国家を導いていこう
とする熱意と情熱を持った指導者が現れなかった(もしくは暗殺されてしまう)
この時代の人材の少なさに、より大きな原因だったと思うね。


明治期には薩長藩閥という政治主体が、政府・財界・文官官僚・陸海軍の中で
ヘゲモニーを握って強い指導力を保持していたから、それぞれの勢力の利害を
調整しながら大きな国家目標に向かって全体をまとめ上げることが出来ていた。

大正デモクラシーという大きなうねりの中で、「閥族打破」というスローガンが
掲げられて、政党勢力が力を付けて行く中で、権力を一部の人間が独占的に
継承していく事への反発が強まるなかでそれらの政治主体が解体されていった。

その後、政党政治家が政治を動かしていく主体となっていくのが理想ではあったけど、
いかんせん政党政治というものが定着するだけの下地や素養が出来上がっていない状態で
英国流の議会政治をスムーズに運営するのは難しかったから(当の英国ですら、
まともに議会政治が運営されるようになるまでは相当の年月を必要とした〉、
「この連中に政治を任せることは出来ん」とする反発が陸海軍の中に芽生え、
また国民の中のある程度の層もその感情を後押ししたのが、昭和前期の政治状況が
流動化した一番の原因だと思う。

「政党政治に任せちゃおれん」とか考えた陸海軍だって、実際の処は大した
政治的展望も無く、国民を統合するだけのビジョンを示すだけの度量を持った
人間はほとんどいない、ただの軍事官僚の集まりみたいなものだったからね。
軍事的な知識や経験は豊富でも、その軍事力を外交や国際政治の中で日本にとって
有益な方向で振るうというだけの見識や指導力を持った人間はほとんどいなかった。

西郷隆盛のいない桐野利秋というか、劉備元徳のいない張飛益徳みたいなのが
当時の陸軍の姿だったんじゃないかな。
0057名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/09/29(土) 14:46:31.21ID:su3z2Pp+0
永田鉄山の構想は来たるべき世界大戦に備えて国力を蓄積すること。
英米との対立を外交で回避しつつ満蒙や華北華中を
日本の経済圏に確保して総力戦に耐えうる工業力と資源を持つ。
それによって次の世界大戦でのフリーハンドを確保。
満洲事変は石原莞爾が決行する以前から一夕会で構想はされてきたこと。

それが永田が殺されて後は陸軍の統制派は中心を失った状態の中、
満洲事変による下剋上の風潮で日中戦争は拡大。泥沼化を予見して、
対ソ戦準備のため不拡大を唱えた石原は下剋上喰らって容れられず。
勝ちに驕った近衛は南京進駐を前に条件を厳しくして和平工作は失敗。
援蒋ルートために泥沼化しつつ戦線は伸び英米との関係は悪化。
陸軍はノモンハンでソ連陸軍と戦い対中和平を求めるようになるも失敗。

アメリカはドイツがイギリスを取って地理も工業力も手に入れるのを
アメリカの安全保障上避けるために、ドイツと交戦中のソ連を維持したい。
それを英米可分論で、早期の対ソ戦回避・援蒋ルート遮断のためにも、
自給自足経済圏の大東亜共栄圏構想で南進論を採って、イギリスの
物資供給を脅かして、フランス領インドシナ進駐でフリーハンドどころか
石油の六割を依存していたアメリカから全面禁輸を食らって石油不足に。
なし崩し的に実際には英米不可分のアメリカと開戦になだれ込むとか。
永田は持久戦構想だったが、実際の日米開戦のプランは初期に
アメリカに打撃を与えてドイツ・イタリアとの包囲網で戦意喪失を狙うもの。

状況頼みの構想は、状況が変われば、それに対応して新しい構想を
立てられる人間がいなくなってしまうとどうにもならないのかね。
しかし日米関係と大陸進出は果たして両立し得たのかね。
「油が欲しいからとて戦争を始める奴があるか」と日米開戦に反対した
石原の事態打開の策はハルノートとほぼ同じ内容だったらしいが。
0058名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/09/29(土) 19:12:14.29ID:nlNqJV/z0
>57
>満洲事変は石原莞爾が決行する以前から一夕会で構想はされてきたこと。

というか、満州を実質的に日本の支配下に置くという方策は陸軍中央も含めて
かなり大がかりに進められていた。

ただ、それはあくまで漸進的に1〜2年の時間を掛けて国内向けの地ならしをして、
対外的な理解なり協力なりを得られるめどを立ててから進めるというものだった。

関東軍にいた石原や板垣といった急進派と、それを気脈を通じていた桜会系の
橋本欣五郎や長勇といった十月事件を起こす連中はそれじゃダメだと思ったんだろう。

そういうやり方だと結局、政党勢力を中心とした既存の権力構造を破壊して
「自分たちの思うとおりの国策の進め方」というのが出来ないと判断した。

だからこそ「謀略により機会を作成し軍部主導となり国家を強引する」なんだろう。


一つには総力戦という新しい戦争に対応するための軍政改革や装備の刷新という
陸軍にとっての大目標を達成できないし、彼らにとって「唾棄すべき存在」として
映っていた政党政治家達に何時までも頭を押さえつけられ続けてしまう、とも
思っていた節がある。

昭和5年のロンドン軍縮条約の締結を見ても分かるとおり、経済的な苦境に
経たされていた民政党政権(浜口雄幸→若槻礼次郎)は大規模な軍縮に向けて
舵を切ろうとしていたから、そうした施策への反発心もかなりあったはずだし、
将校が制服を着て電車に乗ると「税金泥棒」として非難されるような屈辱的な
環境を何とか払拭したいという気持ちも決して小さくはなかったはず。

言ってみれば、天皇陛下からの預かりものである「武力・兵力」を使って
非合法な行動を行い、自分たちの要求を政府や国家に対して突きつけるという、
クーデター的な側面が満州事変にはあったし、それを横目に見ながら実際に
国内でクーデター騒ぎを起こそうとしたのが十月事件のメンバーたちだった。
0059名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/09/30(日) 01:00:35.99ID:wKYhGFE50
結局は外交よな、アメリカは自国の安全保障上イギリスの維持が
目的であるのに英米可分論で親独南進とか見えてなさすぎる

>>56>>58
大正デモクラシーの未成熟に経済の悪化や陸軍の急進化等
色々な要素が絡み合ってああなってしまったんですかねー
0060名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/30(日) 07:57:07.97ID:wKYhGFE50
永田の満洲・朝鮮に加えて華北・華中までを経済圏として取り込み
一種の自衛圏を作る対ソ持久戦構想は
やがて来ることになる冷戦のようなものまで見越していたのかね
思想としては山縣有朋の主権線・利益線の延長とも見れる
永田はルーテンドルフの政治支配や総力戦体制論に影響を受けているから、
生きていれば永田首相の軍事国家になっていたのかね
実際には永田亡きあと陸軍は迷走して日中戦争は泥沼化
敗戦で大陸の日本人はソ連対日参戦で殺されたり
引揚中の略奪暴行殺傷や戦犯として処刑される等悲惨な末路だったが
結局日米同盟でアメリカの庇護下に海洋国家として冷戦を過ごすことに

山縣は軍事に通じてる分対外協調の重要性も認識していて
対華21ヶ条要求みたいなのには批判的だったな
山縣は政党嫌いで有名だが、対外硬派が政党に多かったのも要因
軍部大臣現役武官制も政党が無謀な戦争に走ることを避けるためだったとか
0061名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/30(日) 08:11:13.64ID:wKYhGFE50
石原莞爾もルーデンドルフを研究していたらしいな
昭和陸軍に対する影響は相当大きかったというか焼き直しみたいなもんかね
0062名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/09/30(日) 13:45:15.89ID:53s6jfKY0
>60
>永田の満洲・朝鮮に加えて華北・華中までを経済圏として取り込み
>一種の自衛圏を作る対ソ持久戦構想は
>やがて来ることになる冷戦のようなものまで見越していたのかね

どうだろう?
当時のソ連を見ていて、あれほど強大な国家になることを予想出来たかどうか。

この頃はまだ欧州でナチスドイツが強大な勢力を張り出しはじめた時期だから、
その後の第二次大戦でヨーロッパ各国が焼け野原のようになって疲弊し、
ドイツとイタリアの軍事的・政治的脅威が取り除かれたエアポケットのような
状態になっての冷戦ってのは想像の範疇外だったろう。

欧州でドイツとフランスとイギリスの何処が優勢になるのかどうかも大事だけど、
日本としては第一次世界大戦と同様になるべく巻き込まれないようにして
国力を付けなければならないと思っていたんじゃないかな。

なにしろ第一次世界大戦終了の時点で、兵制・装備・兵器・産業力などの
全ての面で欧州のレベルに置いてけぼりを喰ったことを一番承知していたのが、
欧州に留学して総力戦の研究をした、永田をはじめとした陸軍の中堅将校だったから。

戦車や飛行機、機関銃や有線や無線の電信網を展開する技術力や生産力が
なければ欧州レベルの総力戦には対処できないという認識は持っていたと思う。

海軍に関してはこの時点ではまだ大鑑巨砲主義思想は生きていたし、
米・英に次ぐ世界第三位の海軍力を保持しているという事実もあったから、
それほど差し迫った問題ではないと判断していたろうし。
0063名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/09/30(日) 14:05:18.51ID:53s6jfKY0
>59
>大正デモクラシーの未成熟に経済の悪化や陸軍の急進化等
>色々な要素が絡み合ってああなってしまったんですかねー

最近出た北岡伸一の『官僚制としての日本陸軍』って本が
この辺の事情を掘り下げていて読み応えがあった。

明治期の建軍期から昭和期までを通史として叙述しながら、
それぞれの時期における政治との関係を説明しているから
読んでいて分かりやすい。

支那通と呼ばれた軍人たちの動向を、日本の大陸政策の推移と絡めて
解き明かした部分は、戸部良一の『日本陸軍と中国』と併せて読むと
その後の日中戦争の泥沼がどのようにして発生していったのかを
立体的に浮かび上がらせてくれる。


個人的にとりわけ面白かったのは第3章として収録された
「陸軍は閥対立の再検討」という論文。
近年の陸軍研究の中では革新的な先行研究として引用されることが
多かった論文だけど、30年前に出版された本に収録されただけで
まだ読むことが出来ていなかったから手軽に手に取れる形で収録して
くれたのがありがたかった。

この時代の陸軍内部の実相に興味がある人だったら、この部分を
読むためだけにでもこの本を手に取る価値が有ると思う。
0065名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/10/01(月) 22:23:47.88ID:26ffL9Ny0
結局日英同盟あれば米も日本を追い詰められなかったし、米側の妥協も引き出せたよね
譲れば相手も譲ると、日本国内の倫理感覚を外交にあてはめた
米との関係改善の戦略は良かったが、駆け引きの戦術で失敗し
むしろ米は思う壺と追い詰められ敗戦

中韓問題もODA援助やってたら、もっと貢物領土よこせやみたいなw
0066名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/10/14(日) 01:17:26.78ID:M4qqRqP2O
戦前の政友会と民政党も
現在のミンスと痔眠の
所業と全く変わらんなw


官僚(軍)、経団連(財閥)の下僕で政局優先中傷合戦w
0067名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/10/14(日) 09:40:53.87ID:Bf7cMamM0
>>66
ODAを慈善活動と思っているとは天使ですか?日本のODAが国内の公共事業同様
ハコモノ中心なことは周知の事実で資金は日本に還流しているよ。
政府がODAをやたらと増額するのを慈善、援助だと思っているとはあなたはこの世が
善意でできていると思っている幸せな人ですね。

>>66
それに加えて「維新」などど称する革新官僚(今はアメリカ直輸入の新自由主義者ね)の
全体主義志向勢力もね。

0069名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/10/14(日) 12:42:06.53ID:M4qqRqP2O
統帥権で軍部と結託し
濱口を陥れた鳩山爺と
挙げ足取りでマスゴミ
と結託し痔眠を陥れた
鳩山孫が被って思えるよ。

国家よりも目先の政局優先頭ポッポの血は争えんなw
0070名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/10/15(月) 13:37:17.74ID:leIOW1va0
戦前の政党政治は左翼からも右翼からも否定されてるので
2ちゃんのような場では論議しにくい。
0071名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/10/17(水) 21:10:48.34ID:dEAHEHk10
>>69
昭和恐慌を引き起こしたライオン浜口は自滅しただけだよ。
国民の所得を10年で100万も減らした自民も同じで自滅しただけだよ。
0072名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/10/19(金) 06:00:02.01ID:Awnhuj/80
外交もそうだけど、経済でも二大政党は正反対の政策だから
あれだけ頻繁に政権交代したら、混乱するのも当然か。

浜口の金解禁、井上の緊縮財政は致命的な選択だったが
経済界も金本位復帰を後押ししてた。金持ちが口出すとロクなことがない。
0073名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/11/03(土) 06:44:48.31ID:JOLJ/Smr0
筒井清忠『昭和戦前期の政党政治─二大政党制はなぜ挫折したのか 』
ttp://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480066879/

こんな本が出ていた。ちょっと本屋をのぞいてみるわ。
0074名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/11/09(金) 22:08:08.24ID:j5XwZl76O
今の痔眠&ミンスと
全く変わらないな!w
0075名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/11/17(土) 22:22:26.07ID:pbJEWUUD0
>73
今読み終わった。
けっこう面白い。

ロンドン海軍軍縮条約での統帥権干犯論議とか、満州事変後の若槻内閣倒閣から
犬養内閣へのゴタゴタとかはある程度知っていたんだけど、もっと長いスパンでの
政党内閣の成立からその終焉までの間の各政党の内部事情や派閥争いなんかを
丁寧に追いかけた本というのはあまりないから、著者の提示する視点はなかなか
新鮮なモノとして受け止められた。

政党政治の本質ってのはそうそう変わるものではないし、変わらない理由というのは
それなりに根が深いモノなんだというのがよく分かる。
0076名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/11/19(月) 05:27:53.23ID:sd7fi4Pa0
>>75
政党内閣のあった戦前の8年間ってのは、日本史上でも重要な時期だったように思う。
でも、その詳細はほとんど知られていないのが不思議。詳しく知ることで、
そのときの問題が派閥や党派、そしてマニフェストをめぐる争いであり、
今でも通じる部分がたくさんあることに驚かされる。やっぱ近代史は必修化すべきw
0077名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/11/20(火) 00:57:16.33ID:znxWgvLe0
>76
戦後教育の中で、「全ては軍部が悪かった。政党政治家も軍部以外の官僚もマスコミも民衆も、
みんな軍部と右翼に引きずられてやむを得ずあの戦争に巻き込まれてしまったんだ」式の言説が、
相当強固に日本中を覆っていたからね。

1920年代〜30年代の正確な日本の実相が明らかになると、上記の「ぜんぶ軍部が悪いんや」という
免罪の論理が使えなくなって、戦前から続く組織や集団が自分たちの非を見つめ直さなければ
ならなくなるというしんどさがあったから、かなりの部分であえて封印してしまったんだろうね。
0078名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/11/20(火) 21:07:52.00ID:reFN5Cnc0
しかし政党政治もグダグダではあったけど、大陸で勝手なことやったり
選挙を2・26でひっくり返して天皇に怒られたのが軍部であることも事実だけどね。
政党政治はともかく立憲君主制下における民主主義の否定はするべきではなかろう
0079名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/11/20(火) 21:25:05.94ID:reFN5Cnc0
救世主的なものにすがろうとして自らを助ける筈の権利・思考を放棄したがるというのは
日本人に(限らないのかもしれんが)見られる悪癖と言えるんでないかな。
戦前に政党政治に見切りをつけた国民がすがったのは五摂家筆頭という御家柄の近衛で、
その結果があれだ。今の政治でも妙な期待→暴発が起こらないといいんだがね
0081名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/11/23(金) 19:41:38.68ID:rMxAKQej0
>78
>政党政治はともかく立憲君主制下における民主主義の否定はするべきではなかろう

政党政治というものに対する理解が足りなかったというか、「政党のダメな部分というのは
自分たち国民のダメな部分を反映しているんだから、自分たちの方も律しないとダメだ」という
思考回路に結びつかずに、「あいつら(政党)はダメだ、軍部に期待しよう」という方向に
行ってしまったのがまずかったんだろうね。

陸軍も海軍も、所詮は官僚組織なんだから、自分トコの利益や予算獲得が最優先されるのであって、
「国民のための行動」をするかどうかなんて分かったもんじゃない。

そういう組織を民意の元にコントロールする目的で生まれたのが、国民の負託を受けたという
バックボーンを持つ「議会政治」というものなのに。
0082名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/11/23(金) 19:45:37.18ID:rMxAKQej0
>80
>テロに倒れた政治家が多いね

原敬や濱口雄幸がテロに倒れず、また病死した加藤高明あたりがもう少し長く政権の座に
留まっていたら、政党政治の消長はかなりの程度違ったものになっていたような気はする。

この時期の政党政治はそれなりに強固なものとしてその地盤が固まりつつあったから、
満州事変という出先の暴発さえなければ、そしてそれに陸軍全体が引っ張られるような
事がなければ、シビリアンコントロールは保たれ得ていた可能性はあったんじゃなかろうか。
0083名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/11/24(土) 10:57:58.44ID:EY1U52Wi0
大した差はないと思うが・・・

まず戦前の政党政治が今と比較にならないほど制約の多いものであることを
「軍部が全部悪いのは俗説」と主張している最近の論者は失念している。
言論統制は言うに及ばず、在郷軍人会の社会への浸透度を政党政治の根幹である
「世論」形成への前提条件に入れないようでは何を言っても空論にしかならないだろう。
(5・15の選挙により選ばれた「首相」殺人者に減刑嘆願が有権者から出されたことが
良い証左である。過去の「軍部元凶論者」はこの空気を吸ってきたのだから必然的な結論
になるだろう。近代史を必修化してもこのリアルすぎる「空気」を教えることができるかどうか・・・)

政党政治時代に統帥権干犯や尊氏賞賛による舌禍事件を政局に利用した政治家たちを
私利私欲の輩と批判するがそれが通用することこそが本質だろ。原を評価する向きも多いが
元老の山縣を権力亡者と軽蔑しながら手を結ぶなど、大正期の政党政治は議会政治と言うには
抜け道が多すぎる。これでイギリス、アメリカのような議会政治に発展するというのはあまりにも
甘い考えとしか言い様がない。
0084名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/11/24(土) 20:06:06.05ID:GCJqlAKo0
北岡伸一『官僚制としての日本陸軍』は読了した。

筒井清忠『昭和戦前期の政党政治─二大政党制はなぜ挫折したのか 』
 と
井上寿一『政友会と民政党 - 戦前の二大政党制に何を学ぶか』
 はどう?
0085名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/11/24(土) 23:52:21.08ID:VIwqV2mo0
>83
>「軍部が全部悪いのは俗説」と主張している最近の論者は失念している。

これについては、近年の研究でこれまで見落とされていた部分に光が当たりつつある
という要因が大きく働いているように思う。

戦後の社会風潮の中では当時の時代の空気を強く記憶している人々が多かったが為に
「軍部元凶論」が圧倒的な実感を持って多くの人々に支持されていたけれども、
近年は政党政治の実際の有りようや、国家運営上においてその占める地位が
それほど低いものではなかったという事が近年の研究によって明らかにされつつある。

それらはあくまで、過去の「軍部絶対悪」思考への揺り戻しなのであって、
実際には軍部の責任は責任として冷徹に捉えており、決して軍の責任を軽いものに
しようとする指向を持った言説ではないのだけれど、おっちょこちょいな「右寄りの論者」が
そうした実証研究を援用することで彼らが主張してもいない「軍部は悪くなかった」式の
デマを振りまこうとしている点に問題があるんだろう。

以下の数値はあくまで比喩として使うものであってとくに学問的な根拠があってのものでは
ないことを承知しておいていただきたいのですが、それまで軍部が99%悪いというのが
通説だったところに、実際には政党政治や他省の官僚たちにもいくらかは悪いところがあったのが
分かってきて、軍部が95%悪くて残り5%くらいはそれ以外の組織にも責任があった、
という見方が出てきた、というのが現在の状況。

圧倒的に責任が重く、国家を破綻に導いた諸悪の根源と言って差し支えないのは変わらないけど
評判の悪いやつの行動に「良い行動」があると必要以上にその「良い」部分が大きく見えて、
評判が良いヤツの行動に「悪い行動」があると必要以上にその「悪い」部分が大きく見えてしまう
という力学が働いてしまう点については、注意が必要なんだと思う。
0086名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/11/25(日) 00:12:38.74ID:2jeUr0Lh0
>84
>北岡伸一『官僚制としての日本陸軍』は読了した。

よかったら感想を聞かせて欲しい。

この本が面白かったんで、いま北岡氏の他の著作にも手を出しているところだから、
いろんな人の意見を聞いてみたいと思ってる。


>筒井清忠『昭和戦前期の政党政治─二大政党制はなぜ挫折したのか 』

これも面白かった。

政治や軍事に興味を持ってあれこれと読んでいると「統帥権干犯」という論点を
持ち出した政友会の犬養や鳩山の言動はすごく短絡的に見えてしまう。

でも、それ以前から政党政治という文化の中で、政権党を野党が批判するときに
「天皇の権威」という錦の御旗を掲げると国民が無条件に付いてくるという
現象に味を占めたが故の戦術だったというのが明らかにされてみると、
むしろ国家運営情のビジョンや政策といったものに関心を持たずに
天皇・皇族というシンボルに対して圧倒的な支持を寄せてしまう国民の
大雑把さの方にも大きな問題があったというのが分かってくる。

この辺は各政党の間で戦わされた政策論争と、醜聞の暴露や罵倒合戦を時系列に沿って
丹念に拾い集めて、政党内部の派閥対立や政党自体の合従連衡の動きを細かく
見ていくことで、この時期の政党政治の実態に光を当てようという著者の狙いが
かなりの程度で有効なものとして働いているように感じられた。

一次史料を丹念に当たり、通説では目が届かなかった部分に斬り込んでいくという、
この著者の指向性が遺憾なく発揮されていて、一読する価値は有る本だと思う。

題材は違うけど、2・26事件について扱った筒井氏のデビュー作、
『昭和期日本の構造−二・二六事件とその時代』も凄く面白い。
2・26事件に興味があったら絶対に読んでみた方が良い一冊。

>井上寿一『政友会と民政党 - 戦前の二大政党制に何を学ぶか』

こちらは未読です。
井上氏はこれまでにも何冊かの著作を興味深く読んできた方なので、
是非ともこの本も読んでみたい。
0087名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/11/26(月) 19:07:13.47ID:nNyxnB4w0
>>83
在郷軍人を票田として取り込んだ政友会の犬養首相を軍人が暗殺し、有権者が
減刑嘆願するというのは皮肉だね。まあ次の選挙では票を大きく減らすことになるが
0088名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/11/26(月) 21:07:44.35ID:QooEpG/80
>>86
では北岡本の感想というか粗筋。

このスレの主旨とは違うけど、ポイントは出世競争に走る官僚組織としての陸軍。
政党は腐って居るんだけど、それを無視・封殺して出世競争をするもんだから国のトップに「政治家」が不在となってしまった。
明治維新後に政治を主導した元老のような政治・調整をする存在が必要であったのではないか。
具体的には宇垣一成や南次郎の見識と歴史を比較している。ステーツマンの育たない官僚組織が政治を主導する弊害を描いているような感じってことで。
0089名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/11/29(木) 05:19:00.62ID:XW780J5D0
>88
ありがとう。

それではこちらも感想やらをつらつらと述べてみます。

官僚制というものに着目して、陸軍の消長を記述した内容に新鮮な感覚を覚えたのがまず大きい。
とりわけ印象に残った記述の一つとして以下のものを挙げてみます。

「第三章 陸軍派閥対立(1931−1935)の再検討」のなかで、南日記の記述を元に
以下のような解説をしている部分。(p199〜p200)

「中堅軍官僚の多数は南に近いが、彼らは陸軍の内情が多少変化してもその地位を脅かされる
わけではなく、結束力に乏しい。これに対し皇道派の運命は荒木・真崎の運命に直結しており、
結束して彼等を盛り立てようとしている。それゆえに多数派・主流派は容易に皇道派を圧倒できない、
というのである」

この指摘自体もかなり新鮮な指摘だったのですが、より面白かったのはそれに続く以下の記述。

(軍にとって重要なのはどちらの派閥から「誰が」トップに立つか云々ではなく、軍の予算を
確保できるのはどちらの側かである、という南の指摘を元にして)
「つまり、軍備充実のための予算−そして予算獲得能力−こそが決定的に重要であり、
したがって派閥関係を変化させるであろうことを南は予測していたといってよい。
皇道派の没落は一九三四〈昭和九)年一月の荒木の陸相辞職を契機として進行していくが、
それは就任以来の荒木の、予算獲得能力に対する疑惑の広がりを背景として生じるのである」
という部分。

ここでは、官僚組織が自己の組織の拡大・増殖を求めるという摂理が、この時期の派閥対立の
重要な要素としてクローズアップされており、これまで重視されてきた両派の政策対立であるとか
感情的対立とかとは別次元のメカニズムが存在していたことが指摘されています。

現代の官僚組織においても、現役時に有力なポストを新設したり外郭機構を作ったりして
組織を拡大したり、天下り先の確保や民間からの有形無形の利益の供与などが「組織の病理」として
問題視されることがあるけど、同じように当時の陸軍においても「予算の獲得・組織の拡大」といった
官僚機構としての要請が陸軍を突き動かしていたことが分かります。

それはそのホンの数年前まで国内に強く存在した「軍縮」への国民的要求や、それにともなう
宇垣軍縮による「同僚軍人の解雇」という形で顕在化した、自分の生活基盤を脅かされる恐怖と
表裏一体のものだったでしょう。

こうした組織の肥大化というのは、その組織にとっての「個別合理性」であって、国家全体にとっては
余り歓迎するべき事柄ではないというのが、昭和期の陸軍が「国家にとっての癌」と化してしまった
原因だったように思います。
0090名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/11/29(木) 05:19:37.74ID:XW780J5D0
続き。

来るべき総力戦に備えなければ、という危機意識を持つのは軍人としては当然なのでしょうが、
彼等軍官僚は、それが「日本という国の経済規模や国際環境において可能であるのかどうか」
という視点を持ち合わせていなかった。

そうした「国家全体にとって」という視点を持つことが「政治家」にとって要求されるものであり、
かつての山縣−桂−田中あたりまでの陸軍トップはこうした視点を持っていたからこそ
バランスの取れた陸軍の統治が可能だったのに、昭和期に入ってから様々な要因によって
それが揺らいでしまったことがこの国に大きな不幸をもたらしたのだというのを
本書を通じて再確認しました。

この辺のことをふまえて「第一章 政治と軍事の病理学」の末尾の文章を読むと、腑に落ちるというか
非常に分かりやすいし、問題の所在が明確になるような気がします。

p86−p93の、「2・26事件と粛軍」から「おわりに」のあたり。

この書き込みを書くために本文をあちこちめくってみたけど、書きたいことや言及したいことが
余りにも多くってちょっと呆然としてしまうくらいに、個人的には密度の高い本だった。

薩長閥という派閥の存在意義についても、これまで漠然としてあった「必要悪」といった印象の
マイナスイメージがかなり払拭され、明治期の陸軍にとってはかなりの部分でプラスに働く
有益な存在だったという指摘についても目を開かされた思いです。
「権力核」という言葉で国家機構を束ねる必要性を説く主張に対しては、歴史学者としての
視点を超えた「政治学者」としての氏の力量を感じさせられました。
0091名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/12/02(日) 08:51:08.62ID:CTUV3Tft0
昭和戦前期になると、陸海軍は「軍部」という用語でくくられて、
なにか特殊な霊力をもっているような、エタイの知れないものとして
語られてきたのだが、その本来の性質は「軍務官僚」なんだよな。
ずっと以前から思っていたのだが、そのように叙述してくれる本はまれだった。

北岡氏の著作はまだ読んでいないが、『官僚制としての日本陸軍』という
視点はすごく大切だと思う。じっくり読んでみたい。
0092名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/12/03(月) 12:29:36.53ID:Q7x3Estl0
>91
これまで支配的だった「戦後空間の言説」では、<85>みたいに「軍部」という言葉で
旧軍人達を括って、彼等に全ての責任を押しつけるような形で「あの戦争」の受容が
行われてきたからね。

実際には軍部以外の官僚やマスコミや労働団体なども戦争に協力しようとした側面もあるし、
戦争を熱烈に支持していた国民も少なからず居た。
そういう「都合の悪い記憶」を封印するために、「軍部」という言葉に必要以上に重い位置付けを与え
現実以上に強力な存在だったというストーリーが生み出されたという側面があると思う。

もちろん、強力な「武力」を保持していた陸海軍に対して、他の組織や機構が無力だったのは事実だし、
憲兵や特高警察を使った強圧的な政治が行われた側面は無視できないモノだけれども、それだけであれほど
大規模に国家そのものを総動員する大戦争が4年間も(支那事変から数えれば8年も)行い続けられる筈がない。
0093名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/12/05(水) 07:42:24.09ID:iKjtH0Po0
>>92
>強力な「武力」を保持していた陸海軍に対して、他の組織や機構が無力だった

問題はここだよな。スレの趣旨に戻ると、あの時代の二大政党には
陸軍の統制など、とても出来ない。他の官僚の統制はどうか知らないが
お互いに殴り合って政権を争うだけの存在のようにみえる。

だが、田中とか宇垣ら陸軍指導者(とくに田中は政党総裁・首相にまでなった)が
政党政治に理解を示していた。にもかかわらず、軍を統制できなかったのは何故なのか。
あるいは、官僚制の外部に出た者は、たとえ元指導者であっても
官僚組織の心理を理解できなくなるのだろうか。外部からの統制に
服さないのが官僚制の宿痾だとすれば、これは現代の問題にも通じるかもしれない。
0094名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/12/05(水) 12:58:21.35ID:y7HQsSBs0
>93
>だが、田中とか宇垣ら陸軍指導者(とくに田中は政党総裁・首相にまでなった)が
>政党政治に理解を示していた。にもかかわらず、軍を統制できなかったのは何故なのか。

一番の出発点は、田中内閣時に起こった「張作霖爆殺閥殺事件」だったように思う。
あの時は首相であり、陸軍出身の田中が厳罰を下すために陸軍部内を統制してしようとしていたのに
陸軍内部からの突き上げと、他の閣僚からの反対などがあってその意志を貫けなかった。

石原完爾の行った満州事変が、河本の行為を基本的になぞってブラッシュアップさせたもの
であることを考えれば、あの時点で河本を死刑にしておければ満州事変を防げたかもしれない。
石原や板垣のように現場レベルで腹をくくっている人間は突っ走ったかもしれないが、
本庄繁や林銑十郎のような現地軍のトップは二の足を踏んでいた可能性が高い。

彼等が石原らの謀略を半ば疑いつつもそのレールに乗ったのは、河本への処分が大したものに
ならなかったという記憶が強く残っていたこともあるんじゃないだろうか。

その後、上官や陸軍トップの意向に逆らっても、「戦果を上げればこっちのモノ」という
いわゆる「下克上」の気風が強くなり、上司の命令や指示よりも自分の手柄を優先するような
規律の緩みが生じてしまい、陸軍自体が内部の軍人たちを統制できなくなっていった。

日中戦争勃発時に不拡大を主張した石原に対して、部下だった武藤章が「閣下のやったことを
やっているだけですよ」と言い返したという逸話もあるくらい、上司を上司とも思わない
人間が多くなり、戦争を拡大して「手柄を立てる」機会を増やす方に熱中してしまった。

そうやって個々の軍人が勝手な行動を取ってトップの考えに従わなくなっていった結果、
「船頭多くして船山をのぼる」という状態になっていったんだろう。

この辺は、内部の人事の問題や派閥闘争なども絡んでいるからスッキリとキレイに説明できる
自信はない。

コンパクトにまとまった解説としては去年放送された全四回シリーズのNHKの番組
『日本人はなぜ戦争へと向かったのか』を書籍化したモノがあります。
上巻収録の「巨大組織“陸軍” 暴走のメカニズム」は一読の価値有り。
0095名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/12/05(水) 12:59:31.10ID:y7HQsSBs0
>93
>官僚制の外部に出た者は、たとえ元指導者であっても官僚組織の心理を理解できなくなるのだろうか。

これは側面として二つの問題があると思う。

一つは、官僚制の中にいたモノが外に出て行ったとき、内部にインフィーマルな繋がりを持つ人脈を
保持しているかどうか。官僚を操縦するときには書類や書面によって指示下達される訓令や辞令よりも、
この「人的な結合」を有しているかどうかというのが時に決定的な役割を果たすことがある。

かつての自民党政権時代にも、各省庁はその時の大臣の命令や指示で動くと言うよりも、
その大臣を出した「道路族」「建設族」などの族議員集団の意向を忖度していた。
それら族議員は、官僚の権力保持や予算配分においてその省の利益になることを志向する
からこそ官僚側も族議員の存在を保持し守るという相互関係が出来ていた。

田中の時には宇垣という後継者を残して「インフォーマルな繋がり」に期待していたけれども、
宇垣の方は必ずしも「田中の手下」というようなつもりを持っていなかったようだし、
張作霖爆殺事件の時には陸相の地位にはいなかった。
あのときに宇垣が陸相であったならば部内を統制し得ていたような気もする。

宇垣が外に出た後に陸軍への影響力を行使できなかったのは、「三月事件」での行動時に
部下である小磯や建川の計画に乗るそぶりを見せてから直前に回避したことで、
部下からは「裏切り者」という目で見られ、それ以外の軍人からは「クーデター指導者」として
忌避されたというところがあるのと、やはり宇垣の行った軍縮に対する反発心が軍の中に
根強く残っていたからと言うのがあると思う。


もう一つの問題というのが、陸軍の外に出た元陸軍トップが影響力を行使するには
陸軍以外の足場というものが必要だったということ。

山縣−桂−寺内といった面々は、強力な長州閥(山縣系官僚閥)という存在によって
その地位と影響力を確保し得ていたし、田中はその末席に連なりつつ「政友会総裁」という
政党政治の勢いに乗っかることで影響力を保持しようとしていた。

宇垣の方は、山縣の死によって既に長州閥が衰退して以降のこともあって他の省庁の
官僚との連携は出来なかったものの、民政党という官僚出身者の多い政党と提携する事で
影響力を保持しようとしていた。実際に宇垣が首相になろうとして民政党の総裁に就任
しようとしたことは何度か有る。

陸軍にとって、予備役となって退役した人間は、現役時にどれだけ高い地位にいようと
所詮は「他所の人」という扱いになる。部内に対する影響力というのはその人間がどれだけ
「陸軍という組織にとって役に立つ力を持っているかどうか」という点で測られるので、
「予算を引っ張ってこれる」「省の権益を保持してくれる」などの政治力を期待できない者に
従おうとはしなくなる。

そして、「省にとっての利益」と「国家にとっての利益」が対立したときに、省の方を
優先する人間には協力するが、国家の方を取る人間には協力しないという事態が起こってくる。

その意味では、これは本当に今に続く現代の問題でもあると思う。
0096名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/12/20(木) 10:16:58.52ID:IpYBRE/X0
軍部の暴走は何だったのかという理由で、議論されているが
原因論の一つとして陸軍の採用制度自体に目を向けるべきだと思う

士官学校などの士官採用制度は何度か改定されてきたけど
欧米と決定的に違う所は基本的に能力主義で入学を決めた所
もちろん、欧米の学校でも試験はあったわけだが
あちらの採用基準として上流層出身というのが重要な要素であり続けて
中流層が大半を占めるという自体は少なかった

大正時代になると将校は能力主義で決めているのに、
日本全体は民主化(=大衆化)が進んでいなかったことが悲劇
田舎の中流層が立身出世の登竜門として士官学校に入るも
大正時代は軍縮で人員削減と出世も出来ないという不安感

軍縮で退役しても仕事が無い←これが最大の問題だね
中流層が将校の中核を占めてしまい、予備役編入時の生活が不安定化
また、一般官吏と軍人の官位でのランクの差が、逆に退役時の再就職を困難にさせた
0097名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/12/24(月) 00:06:48.18ID:0h2sCBAL0
>96
>原因論の一つとして陸軍の採用制度自体に目を向けるべきだと思う

同感。
もうちょっと軍人の地位を保証し、生活が安定するように配慮する姿勢が政府にあったなら、
あそこまで激烈な「軍の暴走」ってのも無かったんじゃないかと思う。

西園寺公望もこんなことを言っている。

「(ヨーロッパ諸国の、軍人がきちんと評価され活動する環境を確保した状態と比べて)
しかるにわが国の如きは、国土狭小にして、かかる植民地のあるなく、軍人功業の活動舞台
皆無なるに加えて、近年軍縮の機運さかんとなり、ひたすらに経費節約をはかりて、
やや軍人を抑圧し過ぎたるきらいなきにしもあらず。
〈略)
社会組織の構成上、すでに軍人の存在ある以上、軍人の心裡省察もまた大切の事項なるに、
やや等閑に附し過ぎたる憾みなきにあらず。」
筒井清忠『昭和戦前期の政党政治─二大政党制はなぜ挫折したのか 』 p261−262


軍縮軍縮とやかましく言い過ぎずに、彼等軍人の感情を余り傷付けないように配慮しながら
徐々に軍備縮小を図っていっていればもうすこし違った結果が生じていたいように思う。

また、軍人が予備役に回された後にでもその受け皿となる組織を作るなり、再就職が出来るように
軍内部での意識改革を進めたり、一般社会で役に立つような将校への教育を行っておくよう、
軍自体に協力を求めるなりしていくべきだったろう。
0098名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/01/13(日) 09:00:04.03ID:WObTKA200
「不正選挙」を糾弾し始めたら、創価学会のヤクザから恫喝を受けました。
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201212/article_359.html

2012年12月16日(日) 19時27分15秒 出口調査 三原じゅん子 自由民主党参議院議員
出口調査の結果があちこちから流れてきます。自民党、、、厳しいです。
マスコミの流した情報はなんだったのでしょう、、、、というくらい。全然違う(;゜0゜)
まだ、あと30分。どんな結果が出るのでしょうか。http://ameblo.jp/juncomihara/page-7.html#main

今度の不正選挙で一番ビビっているのは、当の自民党議員であると思います。
彼らは、国家丸ごとのとんでもない不正が行われたのを知ってしまいました。
出口調査ではどう考えても大敗だったのに、なぜか、大差で勝ったことにされてしまった....
ほかの同僚も同じことを言っている....こんな大規模な不正が日本で行われ、自分も当事者だなんて....。
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201212/article_200.html
0099名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/01/16(水) 14:08:04.67ID:Ft20wUvF0
>>92
特高警察など内務省の戦争責任がほとんど追及されなかったのがいけないとおもう。
内政面で戦争遂行をささえてきたのはたしかなのだし。

内務省が戦争遂行をささえてきたのは反共産主義が動機なのだろうけど、そのほかにも
財閥とのつながりがあったのかもしれない。
0100名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/01/18(金) 22:26:14.21ID:2AKVM8YkO
>>69
禿げしく同意
0101名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/01/20(日) 12:31:40.78ID:NG/S9zy60
>99
>特高警察など内務省の戦争責任がほとんど追及されなかった

特高警察はともかく、内務省に関しては警察行政という国政の要となる重要な部局を抱えていたから、
その戦争責任を追及しようとすると官僚による行政が麻痺しかねないというジレンマがGHQに
有ったことも原因の一つのような気がする。

公職追放でめぼしい人間は一時的に退けられたけど、やっぱりこれらの官僚による行政ってのは
専門知識やノウハウが絶対的に必要になるし、それなしに荒廃した日本の国土を整備して、
共産主義への防波堤としての役割を担わせることはむずかしかった。
結局のところ、「前科は不問にして、有能な人間は追放を解く」という現実的な判断が
求められたってことなんじゃないかな。

正力松太郎や岸信介なんかは、そうした象徴的な存在なんじゃなかろうか。
0102名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/02/03(日) 18:31:57.99ID:QjP2vsFS0
>>101
1970年代までは警察権力への反発が強かったわりには
元特高関係者の責任を追及しようという動きが民間レベルで
みれらなかったのが不思議なのだよね。
0104名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/02/03(日) 22:28:07.53ID:QjP2vsFS0
>>103
東京大学の法学部を解体しないとだめなのでは。
0108名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/02/11(月) 17:44:05.08ID:oSY319ID0
>106
井上寿一 『政友会と民政党 - 戦前の二大政党制に何を学ぶか』
筒井清忠 『昭和戦前期の政党政治: 二大政党制はなぜ挫折したのか』
坂野潤治 『自由と平等の昭和史 一九三〇年代の日本政治』

この辺がお勧め。

それぞれの著者によって推してる政党は違うけど、「軍部に圧倒されるだけだった戦前の政党と
愚かな選挙民」という理解の仕方に変更を迫るだけの力を持った著作だと思う。

戦前の日本が、それなりに複雑で重層的な政治体制と国家の統治機構を持っていたことが
理解出来ると思う。
0109名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/02/17(日) 06:01:36.97ID:Df3RTBf70
民政党は二年ちょっとの政権で総理二人。
寄り合い所帯で成立して空中分解するところなんかは民主党と色々かぶるよね?
0111名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/02/19(火) 12:01:56.51ID:NvK+EBBV0
民政党の総理は、片っぽは暗殺された浜口雄幸だし、もう片っぽは満州事変と10月事件との
軍の謀略で倒されたも同然の若槻礼次郎だからねぇ。

少なくとも陸海軍の過激な連中が暗躍しなければ、どちらも長続きした政権だと思うが。
0113名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/02/23(土) 00:27:25.22ID:COvM5Rj/0
自民党清和会、日本維新の会、みんなの党の思想のルーツはなんだろう。
0115名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/02/23(土) 20:08:54.89ID:X2Qtmvlx0
結束力や調整力で党を統率できたのは原、浜口ぐらい?
あとは中間的だったり派閥的でまとまりがつかなかった。
0116名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/02/26(火) 21:56:03.87ID:kNmmPlm60
>115
逆に考えると、そういう強い力と意志を持った政治家はテロで殺されちゃうんだよね。
原しかり、浜口しかり。

「軍にとって都合の悪い人間は殺してしまえ」ってなノリが許容されてしまう空気が醸成されてしまったのが、
昭和初期の混沌とした世相を生み出した原因とも言える。
0118名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/03/02(土) 22:20:14.44ID:rW0wNfg90
>117
「政治家の能力」ってのは基本的には調整能力があるか無いかにかかってくるモノだと思ってる。

官僚・財界・民衆などと言った集団の、それぞれが求める施策や政策の調整をしながら、
いかにバランスを取って国家の進む道筋を指し示すかというのが政治家の仕事であり、
そこでは各方面各層の要望や欲求を最大限汲み上げながら、
それぞれの持つ不満を最小限に抑えた最適解を探す必要が有る。

そこで力量を見せることが出来た人間こそが力を持つことが出来るし、
そういう面倒くさくてしんどい仕事をこなしていくためには
強い意志がなければなかなか出来るこっちゃない。

というか、ゴチャゴチャ言う人間を黙らせるぐらいの気迫や根性が無けりゃ無理だし、
ゴチャゴチャ言う人間をも最終的には納得して従わせるってのはさらに難しい仕事だからね。
0120名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/03/05(火) 11:13:57.73ID:m8cHOIos0
>119
その派閥が一枚岩のようにガッチリと結束しているというのが重要。

原にしても浜口にしても、党内をしっかり固めて揺るぎのない体制を作っていたからこそ
「強い総理大臣」として名を残すことが出来た。

明治以来の歴代の総理大臣は、基本的には藩閥のバックアップを受けて官僚や軍部の
統制が可能だったからこそ強権を振るうことが出来た。

対して原敬以降から徐々に始まった政党内閣制では、そういった後ろ盾が無い分だけ
「国民の負託を受けた代議士」という議場にいる「個々の議員」の一人一人が持つ
存在価値が重くなった。

だからこそ、その「国会議員が何人か集まった集団」として政党の存在が重くなるし、
その政党の中の「派閥(政党内政党と言い代えてもいい)」の意味も重くなる。

政党政治においては、「頭数を揃えている」が「力を持っている」と同義になるから、
集団をまとめる結束力が弱くて、離合集散を繰り返すようでは強い力を持ち得ない。
最強派閥と最大派閥というのは、意味が被るところもあればそのままイコールとはならない
場合もあるね。

200人くらいの国会議員が在籍する政党があるとしよう。
その中で、50人程度しか束ねられていない比較的小さな派閥があったとして、
その集団がリーダーを中心に強固に束ねられていて、
どんな場面であっても結束して事に当たる場合は最強派閥となりうる。
逆に100人くらいを擁する最大の派閥があったとしても、
その中に20〜30人程度の小リーダーを持つ複数のグループが存在していて、
何かあるとすぐにバラバラな方向に行こうとするようなまとまりのない集団だったら
最大ではあっても最強の政党とはなり得ない。

この場合は、200人の政党の中で50人の派閥が最強となり、残りは30〜20程度の小派閥と、
それよりさらに小さい10人〜5人程度の集まりや一匹狼が存在しているだけということになる。
0121名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/03/05(火) 11:17:44.60ID:m8cHOIos0
誤字があった。

下から三行目。

×最大ではあっても最強の政党とはなり得ない。
○最大ではあっても最強の派閥とはなり得ない。
0122名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/03/12(火) 05:05:15.59ID:/UoQComp0
>>120
たとえ政権党内で最強の派閥でも、他派閥の支持を得られなかったり
他党や官僚と交渉する能力がなければ、安定政権は作れないのではないだろうか。
最近では、小沢某とかいたじゃない。自分の派閥は鉄の結束で固めても
他の領袖から総スカンを喰えば、けっきょく何もできない。

原の党内統率力は言わずもがな。「浜口中心主義」と言われた民政党も
派閥はいくつかありながら、リーダーが健在なときは党全体が結束を誇った。
このあたりに、政党内閣の真価がある気がするのだが。
0123名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/03/17(日) 08:09:35.44ID:gbKLN+nh0
戦前のリーダーに必要なのは「能力」でも「人徳」でもなく「金」だよ。
今の選挙違反が優しいほどの金権選挙が展開されたんだから
角栄がうじゃうじゃいたようなものだよ。
0124名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/03/17(日) 10:14:58.18ID:oYGENI5J0
>122
>たとえ政権党内で最強の派閥でも、他派閥の支持を得られなかったり
>他党や官僚と交渉する能力がなければ、安定政権は作れないのではないだろうか。

これはもちろんその通り。
>118で書いたように、官僚・財界・民衆などの、それぞれ利害の違う集団の
意見を吸い上げてバランスを取った方針を打ち出すことが出来なければ
安定政権たり得ない。

官僚と言っても、大蔵省・外務省・農林省・商工省などでは、
それぞれ意見や立場も違うし、軍部と総称されがちな陸軍と海軍でも
激しい対立がある。

財界にしても、金融業と製造業とでは要求する政策が違うし、
財閥と呼ばれる巨大企業群と普通の大企業とでも違ってくる。
大企業と中小零細企業とでも大きな違いがある。

民衆という単位にしても、地方における地主層とそれに使われている
小作農や零細な自作農とでは置かれている立場がまったく違うし、
都市における企業経営者と工場労働者などのいわゆる「無産大衆」とでは
真っ向から対立すると言っても良い。


大正期まではこれらの利害対立は、山縣を頂点に置いた長州閥という
権力機構が存在していたが為に官僚や財閥という集団に関しては調整が可能だったし、
納税額が一定以上無ければ選挙権がないという選挙制度だったために
大地主や大企業の意向にさえ気を配っていればよかった。

大正デモクラシーの高潮の結果、選挙制度が変わって行き、男子普通選挙が
実施されることで小作農や都市労働者の発言力が強くなった。
「小作争議」「労働争議」という言葉が一般化するのもこの頃。
それと同時期に、山縣の死によって長州閥という存在が解消に向かい、
権力を集約する核と言える存在が居なくなってしまった。

この二つの要因によって、上記のような各階各層の個々の集団の利害対立が激しくなり、
その調整をするのが一気に難しくなった。
大正から昭和に入るあたりから、政治が一気に流動化して混沌とした様相を
呈してくるのはこの辺が理由だと思ってる。
0125名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/03/17(日) 10:15:34.18ID:oYGENI5J0
続き。

代議士というのはこれらのそれぞれ相対立する集団の利害を調整するために
存在していると言っても過言ではない。財閥の利益を重視する立場で
財界の後援を受ける政治家も居るし、地方の地主層からの支援を受けている
者は当然そうした層の利益を代弁せざるを得ない。また、官僚から転身して
政界に身を投じた人間は出身官庁の利害を重視する傾向がある。

浜口内閣で言えば、首相の浜口は大蔵省出身、外務大臣の幣原は外務省出身、
大蔵大臣の井上は日銀出身、商工大臣の俵・鉄道大臣の江木・法制局長官の
川崎は内務省出身。農林大臣の町田や拓務大臣の松田なんかは民政党での長い
党務歴を重視されて任命されてる。

党内・党外に存在する様々な意見を集約し、閣議というそれぞれの政策集団の
長が集まる場所でその利害調節して政策を決定することが内閣の仕事であり、
政党政治の果たすべき役割なんだろう。


そうした様々な背景を持った人間が寄り集まって政党を作り、その中で派閥を作る。
だからこそ、その個々の議員が持つ背景事情に考慮を払いながら調整をしていって
政策を決めていかなければならないし、対立する利害を調整するためには
対立している双方の意見を聞いた上で双方がある程度の納得を出来るだけの
政策を提示して双方の協力を求めなければならない。

口で言うのは簡単だけど、それがどれだけ難しいことか。
昨今の政党政治の迷走ぶりが如実に物語っている。
0126名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/03/17(日) 10:51:41.05ID:oYGENI5J0
>123
>戦前のリーダーに必要なのは「能力」でも「人徳」でもなく「金」だよ。
>今の選挙違反が優しいほどの金権選挙が展開されたんだから

一面では正しいけど、必ずしもそれだけとも言えない。
実際、浜口雄幸なんかはろくに金を持っておらず、その清廉さこそが
国民の信望を招いたという部分があるくらい。

金を持っている人間が選挙で当選しやすいという構造は確かにあったけど、
じゃあそうやって国会に登壇した人間が、上記のような他者との交渉や
利害調整・折衝能力を持っていたかというと必ずしもそうではないわけで。

>角栄がうじゃうじゃいたようなものだよ。

角栄クラスの力量を持った人間が居たのならば良かったのだけれども。

角栄があれほどの存在感を提示し得たのは、金をバラまくことのみに
よっていたわけではなくて、各省の官僚が提案する政策をきちんと理解し、
その調整を行いつつ全体を統御できる大きな政策指針を打ち出すことが
出来たが故のことでもあるので。

ある大企業から巨額の金を貰ってそれを身内にばらまくことで身内からの
結束を得られても、その大企業を優遇する政策が、大蔵省や通産省の
役人の指向することと相反していた場合には官僚からの協力は得られない。
逆に、官僚の協力を得ることを目指しているだけでは、特定企業の利益や
その企業の後援を受けた政治家の協力は得られない。

そのバランスを取るのが上手かったというのが田中角栄という政治家の
真骨頂であり、戦後政治に名を残した理由でもある。

田中の部下の政治家(誰だったか失念)の語った逸話の中に、
あちこちの省庁を回って新しい政策への協力を求めた時に、
ほとんどの省庁の実力者が「この政策は角サンの了解を得ているのか?」
という質問をしてきて、「そうだ」と答えると「わかった、協力しよう」
と言ってきた、というのがある。

誇張も入ってはいるだろうが、田中角栄という政治家がいかに上手く官僚を操縦し、
彼等にその手腕を振るわせる環境を整えることで彼等からの信頼を引き出し、
自己の力としていったのかを伺わせる逸話だと思う。
0127名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/03/18(月) 10:36:09.26ID:cFXNRLvE0
石油ショックであっという間に退陣に追い込まれた角栄こそ過大評価の最たる政治家だろう。
角栄に限らず戦前戦後ともに首相の在任期間は極めて短い。ここで言いたいのは内閣が短命だろうが
政府が機能停止状態になることはないことだろ。どうも戦前(戦後も)の政党政治をイギリスやフランスとの対比で
評価したがる向きが多いようだが、ヒトラーのようなクーデタ的な議会政治の破壊もなく政党政治が衰退というより
軍部をはじめとする官僚機構に擦り寄った日本の場合は議会を朝廷、官僚を武士に見立てて権門体制論的
に見たほうがしっくりくるよ。
0128名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/03/18(月) 10:46:15.47ID:838Z0Ub30
大陸各地に毛沢東廟や関羽廟があるように

角栄廟を作って神格化しよう!

若者は永田町にてデモをやって、角栄の肖像画を掲げよう!
角栄の時代はよかった! なにもかも懐古だ
0132名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/03/30(土) 10:12:29.28ID:ld+xEhvu0
西園寺の発言がいつのものなのかよくわからないのだが
軍部への社会の浸透は在郷軍人会や最近の体罰問題の起源で有名なように
学校教育の現場への起用など大正以後の世論を軍部よりにした要因になるほど
のものだよ。ロンドン軍縮会議で海軍の反対派は東郷を旗にして抵抗して
最後は天皇が抑えたように元老というジョーカーの存在が薄らぐと同時にそれと結びつくことの多かった
内閣、政党政治も後退に進むのも必然だよ。
0133名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/04/03(水) 22:01:38.49ID:v1lCGRvC0
>130
>やはり責任をもって決める主体というのを作れなかったのが大きいのかね

権力の担い手が分散してしまったことが一番の原因だったような気がしてる。

現在の日本では内閣を組織する総理大臣が一番強い権限を持っていて、
首相の方針に逆らったり従わない閣僚はクビにすることが出来る。

そして内閣を構成する閣僚は大臣として省庁のトップに座っていて、
従わない官僚のクビをすげ替えることが出来る。


対して、戦前の日本は徳川政権という「幕府」が、「日本古来の皇室をないがしろにしている」
というのを大義名分にして権力を奪い返した薩長藩閥が主体となった政権だったものだから、
「天皇が最終的な決定権を持つ」という名目を打ち出さなければならなかった。

そうはいっても、実態としては薩長の実力者が主体となって権力を握る体制でスタートしたから、
明治期までの薩長藩閥の他に対する圧倒的優位が保たれている間は「責任主体」という点では
大きな問題は生じなかった。


それが明治期の自由民権運動や大正デモクラシーといった社会の下層構造の変化によって
徐々にその優位性が崩れて行き、様々なプレイヤーが権力を分散して担い持つようになっていく。

政党政治家しかり、高等文官試験をクリアして官僚となり実務を積んだ知的エリート達しかり、
陸軍や海軍といった勢力を背景に持つモノ、枢密院や貴族院といった藩閥と官僚の集合体や、
西園寺−牧野伸顕を中心として徐々に形成された宮中勢力など、様々な出自を持つ人間が、
様々な背景の元に国政に参画するようになった。

当然、官僚出身の政治家や、藩閥出身の宮中勢力なんていう複雑な出自を持つものも出てくるので、
利害関係は錯綜するし、それぞれの政治上の選択も変わってくる。


一方、憲法の解釈やその運用が進む過程で「君主無答責」という考えが強くなってきて、
建前上の「天皇主権」という制度との乖離も無視しえなくなってきてしまった。
大きな失政があったときに、その責任が天皇に向けられて民衆の怨嗟の感情が皇室に
向けられるのを避けなければならないから。
シベリア出兵時に起こった米騒動なんて、内乱一歩手前までいったし。

天皇は責任を取らない、その一方で権力が一人の人間に集まるのではなく多数の勢力が分散して
分かち持つという体制なモノだから、強力なリーダーが責任を取って政治を進めるという状況が
出現しないと、あっというまに「船頭多くして船山に上る」という状態が現出する。

日中戦争の泥沼化と太平洋戦争の開戦は、まさにそうした「無責任の体系」が行き着いたものだった。
0134名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/04/04(木) 00:05:11.47ID:zfuJEjOg0
>132
>西園寺の発言がいつのものなのかよくわからないのだが

<97>での「やや軍人を抑圧し過ぎたるきらいなきにしもあらず。」
というヤツのことでしょうか?

この発言は、5・15事件時に犬養毅暗殺を受けての次の政権首班を
だれにするか、という時期のモノです。
『西園寺公と政局』に記載された発言ではなくて、『小山完吾日記』の
1932年5月25日の記述だそうです。


>学校教育の現場への起用など大正以後の世論を軍部よりにした要因になるほどのものだよ。

世論が軍部寄りになった理由はいくつかあるけど、学校教育に軍人を派遣したのが
主要因とは言えないと思う。

むしろ大正から昭和初期においては、シベリア出兵の失敗による戦費の損失や、
第一次大戦後の不況と関東大震災の復興予算による財政の逼迫を背景とした、
「税金泥棒」的な批判の方が大きかった。軍服を着て市電に乗っていた将校が、
「マントや拍車が邪魔だ」といって苦情を言われて通勤時には私服を着るように
したなんて話が残っているのもこの頃のこと。

また、第一次大戦後にヨーロッパを中心にして起こった軍縮気運も、軍人に対する
世論の風当たりを強くするのに一役買っていた。


そうした批判を受ける形で行われたのが山梨軍縮と宇垣軍縮という二つの軍縮政策で、
学校現場への軍人の派遣は、その軍縮で職場を失う将校の為の「再就職先」みたいな
意味合いが強い。
軍が政治的・宣伝的な意味合いで影響力強化を図った結果として学校現場に軍人が
派遣されたのではなく、世論の反発で人員整理を行わざるを得なくなった軍が
クビにする人間への配慮・温情として職場を用意したというのが実態に近かった。


このとき宇垣によってクビを切られた年代の人間達が、後に満州事変や支那事変を
起こして暴走していった中堅幕僚と呼ばれた一群の人間達とほぼ同年代というのを
考えれば、やはりそこになにがしかの因果関係を見いだしたくもなるというもの。

陸軍軍人その全員が、陸軍士官学校という全寮制の学校で十代後半の多感な時期を
「軍人になって国家に尽くす」ことを目指しながら同じ釜の飯を食って育つわけで、
同期生同士の繋がり・先輩と後輩の繋がりの深さや強さは並大抵のモノじゃない。
そうやって20年近く過ごしてきた仲間がクビにされて路頭に迷うような状況を
目の当たりにして、「運が悪ければ自分がそうなっていたかも」ってプレッシャーを
感じた軍人は相当多かったし、そんな状況を作り出した社会の軍人軽視の風潮に
憤懣を抱えていたのも間違い無いと思う。
0135名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/04/04(木) 22:18:42.56ID:zfuJEjOg0
>132
>軍部への社会の浸透は在郷軍人会や

それから、在郷軍人会の成立の経緯とその影響についてもちょっと発言しておきたい。

もともと在郷軍人会という組織が作られたのは、日露戦争後に戦場から帰ってきた
退役軍人たちの窮状を何とかしたい、せめてその戦場での行為が一定の評価をなされ、
地域社会の中で除隊した元兵士たちが受け入れられるような足場を作りたい、という
考えのもとに行われたモノ。

当時の徴兵された兵士の大多数を占めたのは、農民の次男や三男といった人々であり、
そうした人たちは地域社会に戻ってきても「兵隊上がり」といった偏見の目にさらされ
あまり積極的に地域社会からは歓迎されなかった。
表面的には「武勲を挙げた郷土の勇士」と賞賛されても、農村の一般常識とは
かけ離れた価値観や世界観を持つ軍隊という隔絶した社会で数年間を過ごした
元兵士達は、なかなか農村社会に溶け込めないし、農村の方も異分子として
彼等を排除する傾向にあった。

戦場において、同じ釜のメシを食った部隊の戦友の死に直面するという凄惨な体験をし、
朝鮮や満州で国土を蹂躙されている他国人の惨状などを目の当たりにするなどの
かなりキツイ精神状態で戻ってきた彼等は、地元でこれまで通りにのほほんと農業に
いそしんでいる親兄弟の生活実感と、自分の内面にあるそれとの乖離に苦しむという、
ベトナム戦争後のアメリカが直面した「帰還兵問題」に似た状態に置かれてしまった。

日露戦争で敢闘をした兵士に贈られる勲章を持ち、年金資格を持ってそれなりに
賞賛されるべき存在として陸軍が考えていたその元兵士達が、郷里に帰ってから
問題行動を起こして勲章を剥奪されるような事件を起こしている(といっても
割合的には勲章持ちの内の数パーセントだそうだけど)という調査結果が出て、
軍中央は愕然とした。

こういう実情に直面した軍中央が「何とかしなければ」という考えを持ち、
田中義一あたりが中心になって「良民良兵運動」をはじめたというのが
在郷軍人会の成立起源。

農村社会で尊重されるような良民こそが良い兵士となり、戦場で役に立つ
上官の命令に良く服して積極果敢に戦う良兵こそが除隊した後に良民になる、
という考えを進めて教育令や軍隊内務規律などを改革していった。

この辺は『在郷軍人会−良兵良民から赤紙・玉砕へ』藤井忠俊(岩波書店)を
読んでほしい。
ググったらけっこう上の方に出てきた大学教授のブログにけっこう詳しい
書評が載ってる。
http://booklog.kinokuniya.co.jp/hayase/archives/2010/03/post_165.html
0136名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/04/04(木) 22:20:23.38ID:zfuJEjOg0
その過程の中で、除隊して郷里に戻った彼等がそれぞれの村落内で孤立した
存在として分散するのではなく、何かの行事の度に「元軍人」として
集まって日頃の不満や愚痴を言い合って互いの情報交換をおこなったりする
場所を提供したり、戦死した戦友達の墓標となる忠魂碑の設立を行政に
働きかけて自分たちの存在を公的に認めて貰いたいという感情の受け皿に
なったのが在郷軍人会だった。

大正時代に入ってから大正デモクラシーの高揚の中で、一つの社会集団として
それなりに力を持つようになってきたこの在郷軍人たちが政治勢力として
力を増してきた。
田中義一が政友会加入時に「オラの後ろには在郷軍人会三百万人がいる」
と言ったのは有名な話。政党政治によって首相が選ばれるという慣例が
確立しはじめたこの時期に、この票田が持つ意味は大きい。

戦争が無くったって徴兵と除隊という行政行為は常に行われ続けているから、
在郷軍人という存在が一度組織化されはじめればその人数は常に増加し続ける。

軍隊に入隊していたときのことを記憶から抹消して忌避する人も中には
いたろうけど、多くの人にとっては人生の中で(それも若い頃の)数年間を
過ごした場所のことを悪くは思いたくないし、同じ経験をした人々と
話し合い語り合う場所があることはありがたいことだからね。



昭和に入ってから一気に日本が軍国主義に傾いていく原動力の一つとして
機能したことは間違いないけど、その設立からして軍国主義化を目的とした
陸軍の施策の一つとして考えるのは必ずしも正解ではない。

民衆の側にとっても、在郷軍人会の設立を望み、歓迎する動機があった。
それは国民皆兵という制度を採り、一定年齢になった国民全てが徴兵検査を
受けるというその当時の日本という国家のありようと密接に結びついたもの
だったことは記憶されるべきだと思っている。
0138名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/07/19(金) NY:AN:NY.ANID:vOIr7hNL0
Wikiの衆院選の項見たら戦前のも全選挙区&全議員の名前が出てて驚いた。
リンク先(もっと詳しく区割等が出てる)共々労作超乙。これは見てて飽きない。
当時の有名な議員がどこの選出とかが面白い。
0139名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/08/02(金) NY:AN:NY.ANID:DjzMGpWz0
最近は帝国議会の議事録も全てWebで読めるし面白い。
デジタルアーカイブが充実して、良い時代になったものだ。
0140名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/08/03(土) NY:AN:NY.ANID:fD2YJEk10
若槻の次は犬養じゃなくて斎藤か岡田の挙国一致内閣が
よかったんじゃないか。少数派の政友会は下野できない。
0141名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/08/04(日) NY:AN:NY.ANID:AfL69TmL0
「憲政常道」への西園寺の固執が決定的な瞬間に日本の進路を誤らせたんだ。
政党主導の協力内閣ができないなら軍人首相で良かったんだ。その後、
西園寺は衆議院の過半数を制する政友会に政権を組織させずに政友会の
憤怒を煮え滾らせた。
0142名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/08/06(火) NY:AN:NY.ANID:V3ELuXSo0
>>140
岡田啓介は大命降下した時点でもダークホースだったから
若槻の次は厳しいだろう。海軍なら斎藤実、陸軍では宇垣一成あたりか。
三月事件がなければ、宇垣でもありだったかもしれない。
0143名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/08/06(火) NY:AN:NY.ANID:3XjssaeM0
犬養を首相に就けて政友会に過半数を取らせたのが西園寺の
致命的な過ちだ。若槻総辞職の時点では少数派の政友会は
政権を強請できなかった。挙国一致内閣で入閣できればそれで
満足するしかなかった。
0144名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/08/08(木) NY:AN:NY.ANID:bocKJqV+0
関東軍を抑えるには天皇を引き出すしかなかった。浜口なら
それぐらいやったかもしれない。とにかく若槻のヘタレぶりは・・・
0145名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/08/08(木) NY:AN:NY.ANID:bocKJqV+0
衆議院議員で首相になったのは原、浜口、犬養の三人だけ。
三人とも殺されちゃった。衆議院の多数をバックにして
自分の意思を通そうとすれば殺されちゃうシステムだったんだね。
0146名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/08/11(日) NY:AN:NY.ANID:wdkTD2eK0
>>139
明治期の施政方針演説の記録はありますか?
0147名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/08/14(水) NY:AN:NY.ANID:Y8PsPxws0
>>146
あるよ。山縣の主権線・利益線演説なども読める。
0149名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/12(木) 04:29:27.57ID:MPxXVDkX0
正直、世界恐慌があと10年遅ければもう少し議会政治は力をつけたと思うけどね。
そもそも若槻内閣までは少なくとも陸軍中央は従っていたし、
シベリア出兵時を止められなかった大正初期と比較すると議会政治は
官僚機構に対して影響力をつけて権力移行が進んでいると解釈出来る。
実際、あと数年でもしかしたらシビリアンコントロールに関する法律も作ることが
出来ていたかもしれない。
そう思うと政党政治が政権を担っていた時に発生した世界恐慌は本当に不幸だった。
政党政治にとって最も大切である「信用」を一気に失ってしまったし
満州事変にしても支持を得る大きな原動力を生んでしまった。
個人的には憲政の常道が始まって5回しか首相は変わっていないんだから、
幾ら汚職が目立ったとしても国民の経済環境があそこまで悪くならない限り、
信用は失わなかったんじゃないかなと考えている。
0150名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/12(木) 07:25:08.52ID:3xAG92Bl0
>>143
憲政常道論的には少数与党は普通にあり得たシステムでしょ?
実績でも、政権移行時に少数、その後の選挙で多数を取るスタイルが多かったんだし…

原と浜口はともかく、犬養は少数派閥の亜流長老。鈴木と床次の分裂を防ぐための御輿であって、我意を通すのは困難な状況。
0151名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/13(金) 10:41:24.81ID:2hjYoIp90
元老西園寺の指名を得るために無理の多い組閣ばかりやるから
運営に困難をきたすことになる。結局普通選挙後も議会が軽い存在だったのは
この元老の推薦が必要な制度というより慣習がガンになった。
大正時代の議会政治をイギリスの議会政治に比定したり、元老を評価する向きが多いが
原が首相になるために結託した山縣を内心軽蔑していたことからも
元老はそんなに良い制度ではない、政党政治をゆがめてその信用を毀損し続けた
元凶と言っていい。
0153名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/14(土) 14:31:54.66ID:MbrqsUjT0
>>152
組閣と書いたが政権構想ね。
元老の推薦以前に政党人との交渉があったのは西園寺の秘書の
原田熊雄の日記から分かる。
0154名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/15(日) 04:08:31.03ID:wDdh+y2G0
>>151
元老(まぁ厳密には元老という制度というより首相の決定方法が憲法に書いてないという状態)
が政党政治のためにはならないことは、作った伊藤なんかも知ってた。
それは勿論、井上毅がドイツ憲法型の国家を目指しただとか、伊藤が前代的な人間だったって
こともあるんだろうけど、それ以前に明治初期の政党の主義主張が現代の政党も真っ青な
めちゃくちゃもので、とてもじゃないが政権任せたらヤバイっていう
ある種当然な事情があったからだと思う。
実際、他の国でもアメリカも最初から今の選挙の形だったわけではないし、国民の権利を制限した憲法と
散々言われたプロイセン型の憲法ですら議会が原因で政権運営はスムーズにいかなかった。
じゃあ慣習化する前に何とか制度を変えるべきだったって言うんだろうけど
大隈板垣が政権に握ったら、ポストを巡って行政めちゃくちゃにしたり、
アメリカと外交問題を引き起こしかけるとかで予想以上に政党の信用を失ったので、
政権能力がついても政権を政党が握ることが難しくなってしまった。
正直、政党政治をゆがめていたのは政党政治自身にも原因があると思うね。
0155名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/15(日) 10:50:08.03ID:aez3Husd0
>>154
そんな国会開設期の混乱で大正期以後の政治混迷を正当化させるのは
無理筋だろ。弱い議会はそのまま内閣の弱さにつながり、満州事変後の
軍部の独走を抑止できない事態に苦慮した西園寺や宮中の牧野伸顕
などは天皇親政や準元老や重臣会議の創設による政府の統治能力の回復
を画したことからも制度設計の段階での失敗は明らかだろ。

原敬が首相になるために元老の山縣と組んだが原が本音では山縣を軽蔑
していたように戦前の日本の政党政治の歪みはここに集約されているだろう。
0156名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/09/15(日) 21:58:16.30ID:6L6Nd9Eo0
>>155
いやだから明治において元老の存在が必要だったのは否定できないだろ?
それを大正以後問題視した西園寺は元老の後継者を入れてない。
言いたいことは解るが、だからといってどこでどうすれば良かった等の対策を思いつくのか?

あと君の大好きな原敬だが、彼自身が普通選挙導入を反対するなど
「国民はまだそこまで成熟していない」と国民を馬鹿にした節がある。
確かに原は山縣の権力亡者のような振る舞いは嫌がったが、
だからといって果たして本当に議会や政党や国民を信じていたと言えるのかな。
むしろ原敬自身も政党政治や議会の歪みを肯定していた部分はあるんじゃないかね。
いっとくが原敬は性格悪いし、「俺が居るから政党政治は正しくなる」とか考えていても
不思議じゃないぞ
0157名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/16(月) 06:56:40.30ID:m+omrZ/z0
>>156
いや、実際に馬鹿にされた国民は民主的に未熟=馬鹿であったろ。
昔より多少マシかもしれぬが、今でも充分に怪しい感じだ。
前々回の政権交代の時にゃそう思ったね。
0158名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/09/20(金) 01:02:21.87ID:L9sg72E90
国民が成熟していなかったというのはその通りだと思うし、その反映としての政党政治も
まだまだ未熟なものだったというのは否定出来ないと思う。

ただ、原内閣あたりから徐々に政党政治が軌道に乗ってきて、昭和初年代あたりの時期には
相応の成熟を見せていたようにも思う。

政党政治が行き詰まってしまい、軍部が台頭してきてしまうという現実に起こった史実の流れは
制度的な必然とか政治の担い手の未熟さとかだけではなくて、様々な要因が複合的に連鎖していった
結果として招来されたものだったんじゃなかろうか。
0159名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/21(土) 01:03:11.07ID:8EucJs0V0
あと全く話変わるけど、戦前の純粋な政党政治家で
戦後に首相になったのは鳩山一郎と三木武夫だけで
主要な役職すらも吉田、岸みたいな官僚組や石橋や緒方みたいな新聞記者組み
が占めちゃってあんまり活躍出来てない傾向にあるよな。
だから三木武吉が生きている間はともかく、そのあとは
政党政治って面ではレベルが下がった部分もあると思う。
アメリカは日本に民主主義を教えてやったとドヤ顔しているけど、
政党政治に関しては確実に停滞したんじゃないかとGHQの豚どもに言ってやりたいわ
0160名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/22(日) 13:48:17.93ID:tc2hKJAQ0
>>159
それはアメリカのせいではないだろう。選挙のためにアメリカがくれたのは言論の自由と
内務省の選挙妨害の根絶だけだよ、そしてそれで十分だろ。政党政治というより議員の質が低いのは議席配分が
地盤看板カバンがあるものが勝つ農村部優遇のせいで、政党内部で候補者の選定における
競争原理が働かないせいだろ。国会が行政の監視役を果たせないのは議会自体や選挙制度の不備が
問題で別に日本人が低脳とかそういう話ではない。
0161名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/10/20(日) 13:05:36.68ID:5N5YpKPF0
総理になれなかった総裁は

立憲政友会: 鈴木喜三郎-中島知久平・久原房之助(鳩山一郎)

立憲民政党: 町田忠治
0163名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/11/23(土) 10:58:57.66ID:JCxP4dER0
戦犯として巣鴨に入った岸が首相になったことを見ればさほどのことでもないが
結局戦前(というより戦時体制)の残党をアメリカは存続させただけの話だ。
0164名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/11/28(木) 15:58:13.12ID:8gwleLl/0
アメリカとしては現実問題として行政実務に長けた人を残さないといけなかったのだろう
政治経済が停滞して、共産化するのを恐れたのだろう。
0165名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/11/30(土) 19:37:52.55ID:7DINWcv40
鳩山・石橋が首相になったときはアメリカも焦ったようだけどね
日本が占領政策を批判して、憲法改正とか親ソ親中路線に傾くのは困る
岸がピンチヒッターで登板したときは喜んだだろうな
0166名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/01(日) 11:52:29.59ID:iAQxjwgU0
歴代内閣総理大臣の通信簿

【AA+】伊藤博文(トップ)、原敬(2位)、吉田茂、池田勇人
【AA】山県有朋、桂太郎、鈴木貫太郎、幣原喜重郎、岸信介、小渕恵三
【A+】西園寺公望、山本権兵衛、加藤友三郎、加藤高明、東久邇宮稔彦王、鳩山一郎、福田赳夫、大平正芳
【A】黒田清隆、松方正義、高橋是清、犬養毅、石橋湛山、佐藤栄作、田中角栄、竹下登
【B+】若槻礼次郎、田中義一、浜口雄幸、斎藤実、岡田啓介、三木武夫、細川護熙、橋本龍太郎
【B】寺内正毅、米内光政、片山哲、芦田均、鈴木善幸、中曽根康弘、安倍晋三、麻生太郎
【C+】清浦奎吾、東条英機、宇野宗佑、海部俊樹、宮沢喜一、羽田孜、福田康夫、野田佳彦
【C】広田弘毅、林銑十郎、平沼騏一郎、阿部信行、小磯国昭、森喜朗、小泉純一郎
【不可】大隈重信、近衛文麿、村山富市、鳩山由紀夫、菅直人

※安倍氏に関しては第1次政権のみ評価し、再登板後は未評価。
※異論は大いに認める。

http://i.imgur.com/6jm64bQ.jpg
0168名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/10(火) 13:55:13.62ID:5KycWTBc0
岸も自主憲法制定、再軍備、対米自主派だった。
鳩山が日ソ国交回復して国連加盟を実現したから
それを受けて対米関係の調整に乗り出した。
0169名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/12/11(水) 18:38:16.70ID:VclgKO1N0
晴耕雨読 13/12/10
自由人権協会の藤原弁護士曰く
「憲法を理解していない人たちが作っているとしか思えない法律」と批判。
「一番の問題は立法目的がないこと。何のために作るのか、という質問に答えられない」。
米国に背中を押され、ズルズルと軍事属国化してゆく。そのための秘密保護法制なのだけれど、
まさか、立法目的として、そうは主張できない。かといって、対立利益も示せない。

「日本政府の中枢に米国の諜報員がいるが、彼らが罰せられることはない。」海渡氏インタビュー
http://ustre.am/:2OhQp
米国内に「日本に長く求め続けてきたことがようやく実現した」と歓迎の声
info/201312/article_42.html

今すぐに武装した自衛隊を派遣しなければ、日本は経済的に大変な被害を被ると必ず宣伝します。
日本にその道を作ることで、安倍政権はアメリカから長期政権の存続を保障してもらうつもりです。
過去に中曽根首相や小泉首相のやったようにです。
http://www.kamiura.com/remail/continues_744.html

中曽根首相時代に、アメリカには武器技術に限って解禁した。そして小泉時代に
日米が新型の対弾道ミサイルを迎撃できる新型ミサイルの共同開発を2度目の例外として解禁した。
http://www.kamiura.com/whatsnew/continues_2401.html

安倍政権は先日の日本版NSCの強行採決に次いで、今日は特定防衛秘密保護法を制定させた。
次は今月(12月)中に防衛大綱の見直しと、武器輸出3原則を解禁をするだろう。
さらには集団的自衛権の容認に転換させて、
自衛隊が世界で米軍の戦争に参戦できる体制作りを行うことは必至だ。
安倍政権は何としても、国民が正しい軍事知識に基づいた認識が出来る前に、
今回の特定秘密保護法で国民の目と耳を塞ぎたかったようだ。
http://www.kamiura.com/whatsnew/continues_2403.html

自民党は言葉遊びをしている。軍事は冷徹な論理に世界である。
いままでの「動的防衛力」と「統合機動防衛力」の違いについて倫理的な説明が必要。
http://www.kamiura.com/whatsnew/continues_2412.html
0170名無しさん@お腹いっぱい。
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2014/01/24(金) 10:57:38.71ID:hN2abHSO0
新年age
0171名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/01/25(土) 10:24:40.05ID:Xr3KAh2m0
官僚派 対 党人派
0172名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/01/26(日) 18:19:46.73ID:KaGEo4gM0
>>171
政友会
(官僚)  (党人)
伊藤
西園寺


()

会: 鈴木喜三郎-中島知久平・久原房之助(鳩山一郎)

民政系
町田忠治
0173名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/01/26(日) 18:23:09.08ID:KaGEo4gM0
>>171
元老も官僚に入れてしまったけど色分けはこんな感じ?

政友会
(官僚)  (党人)
伊藤
西園寺

高橋
田中
       犬養
鈴木
       中島
       久原
       (鳩山)


民政系
(官僚)  (党人)
大隅
(桂)
加藤
若槻
浜口
若槻
(井上)
       町田
0174名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/01/27(月) 16:13:22.50ID:p+CnllxM0
原は官僚歴はあるけど党人派だろ。犬養にも官僚歴はある。
西園寺を官僚派に入れるのは無理すぎる。原、浜口、犬養は
三人共元官僚だが衆議院議員だったことがもっと重要。
0175名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/01/27(月) 18:49:33.41ID:hwCdoS+Z0
>174
前歴が官僚だった人間は大勢いたから、元官僚かそうでないかだけで色分けするのは確かに無理だね。

党人派か官僚派かの区分けをするには、選挙という「民意の付託」を受けているか否かという
区分けの方がスッキリする。

貴族院も枢密院も、選挙で選ばれた政治勢力ではないから、その意味で衆議院とは一線を画している。

大正期に起こった二度の護憲運動が含み持っていたパワーやうねりといったものは
コレでなかなか侮りがたいものだったようだし。
0180名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/06/03(火) 09:51:47.65ID:/g+1Q+aH0
いま中公新書の「政友会と民政党」を読んでます。
戦前の政党について書いたもので、ここまで詳しい本はなかったのでは?
ほかにも良書があれば教えてください。
0181名無しさん@お腹いっぱい。
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2014/07/27(日) 02:36:02.97ID:vjt7V0J00
服部之総の政治家10人をまとめた新書とか有斐閣文庫とかであったけど、書名忘れたな。

今はいずれも絶版だし。
大学の近くにあるような昔ながらの古本屋とかに行けばたまーに見かける。
ただ絶版になってから年数経ってるんで価格は高めで1冊1000円〜2000円。

有斐閣文庫は近世〜戦後の政治、経済、企業史を丁寧にまとめたものが多いので興味ある分野のものは買って損はないと思う。
参考文献で出てくるものは恐らく絶版ばかりで、大学図書館の地下や教授たちの研究室に行かねばまず匂いすら嗅げないもんばかりだけど。
0182名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/07/27(日) 02:45:15.39ID:vjt7V0J00
>>174
原は星亨が進むはずだったキャリアを継いだという印象が強いな。

マスコミとの繋がり、元勲と実はパイプを持っていたり。
犬飼も比較的近いバックグラウンドを持ってたけど、良いカッコしいな演者過ぎた。

そして演者としてのパフォーマンスに夢中になってしまった。
まだ揺りかごに守られてないと詰んでしまう議会を統帥権を持ち出して陸海軍の政治介入を呼び込んだ。

パフォーマンス政治は選挙とマスコミという二つの要素と切り離せないが、政策と予算という立法府の仕事に壊滅的なダメージを与えるのを忘れてはいかんだろうな。
0183名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/07/28(月) 12:07:28.83ID:kbe0CBFy0
『首相になれなかった男たち -井上馨・床次竹二郎・河野一郎-』
村瀬信一著 吉川弘文館 2014/08/20


どうかな?
0185名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/09/08(月) 23:40:04.22ID:sHQuLlsq0
>127
角栄は高等小学校卒で総理になったということが
大きく評価される理由だろう
戦前の中等以上の学校は公立の学校でも高かったので
高学歴者は裕福な家庭の子供ばかりだったからな
0186185
垢版 |
2014/09/08(月) 23:47:27.09ID:sHQuLlsq0
×公立の学校でも高かったので
○公立の学校でも学費が高かったので
0187名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/09/08(月) 23:58:51.09ID:ea8xfuZa0
雇われ人の家ではまず行かなかったみたいだな。
大規模ではなくても商家や酒蔵、海運事業者のような固定資産のある家。
持ち家プラス事業不動産や準不動産があるような。

今で言うと持ち家4000万、事業資産4000万、金融資産2000万の1億ぐらいの資産。
日銭稼ぐような飲食関係の商売では学歴より経験重視。
チェーンという発想もまだ生まれてないんで単純に料理の腕、客あしらい、簡単な出納仕入れで十分でそれは学歴が必要ではなかった。
0188名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/09/14(日) 09:57:45.73ID:07nRc52/0
なってなくて総裁になる可能性があったのは、これぐらい?

政友系:星享、横田千之助、床次竹二郎、森恪、鳩山一郎。

民政系:桂太郎、宇垣一成、安達謙蔵、中野正剛。


前田とか伊沢とか松岡は違いそう。
0190名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/09/14(日) 23:20:20.26ID:ppdXC/2s0
>187
雇われでいくのは当時超エリートだった
大卒サラリーマンの子ぐらいだったらしい
当時の大卒リーマンは非常に待遇がよかったそうだ
0193名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/09/15(月) 22:16:38.16ID:45sxsPL20
>>188
桂太郎は立憲同志会総裁じゃなかったっけ?
0196名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/09/28(日) 11:48:26.60ID:D3RL3Zqb0
そう、陸軍だけは宇垣の軍縮が予算削減、人員整理、戦力低下になると考え陸軍大臣出さないから!って流産した。
0201名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/09/30(火) 18:23:44.28ID:2JJkYX5Q0
石原はそんな言い訳やらが多過ぎる。
だから部下を心服させることができなかったんだろう。
自分が賢いと思っているアホの典型やでw
0204名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/12/12(金) 05:48:37.46ID:3sZHbzjz0
>>188
民政系だと永井柳太郎と京成疑獄が無ければ大穴で三木武吉
0205名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/12/17(水) 19:41:01.96ID:1YZlBLPC0
今回の選挙で、立憲政友会党首の鈴木喜三郎が落選したのをなんとなく思いだした
片山哲以来ということらしいが
0206名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/12/23(火) 08:56:18.72ID:YVhS8hew0
>>159
とはいえ、戦前以来の官僚出身総理の流れは中曽根で途切れたといえる。
その後は叩き上げの政党政治家(竹下、宇野、海部)が続き、一時、宮沢で復活したものの、
その後は東大→官僚コースの典型的官僚出身総理は登場していない。

官僚出身が消えて、二世、三世の世襲のボンボンだらけになったのが現在。
0209名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/12/27(土) 21:29:21.90ID:JdJY+XfHO
当時は漢字の間違いや
掛け蕎麦の値段を聞いて
与党の閣僚を攻撃する事
は無かったのか?
0210名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/12/27(土) 22:38:24.52ID:KAnE+MN30
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0216名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/12/30(火) 03:52:37.85ID:aIc1eDyZ0
>>209
明治時代なら第三議会で
自由党の長谷川泰が「矛盾」を「ホコトン」と読んだなんてのが有名だね

もっとも高島俊男だったか
ホコタテならともかく盾をトンと読める人ならギャグに決まってると言ってた

だとすると吉田茂の銭形平次と同じで真に受けたほうがバカってことになる
0217名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/01(木) 00:17:37.75ID:4TvrUrF3O
今の自民と民主の様な政局
と似た様な物だったわけか
0219名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/11(日) 18:36:13.32ID:3OCmmQa70
確かに、戦後の55年体制が終焉して、現在の民主・自民の政局は戦前の政民両党の時代に戻ったといえる
0220名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/20(火) 23:13:23.45ID:zoHNi2iL0
その二党の差がでかすぎる上に憲政の常道のように政権交代が断続的にでも行われていないのが問題なんだけどな。

役人も財界人も民主党にそっぽ向いてる上に細かい分裂繰り返し先細りしている民主党では話にならん。
0223名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/21(水) 21:21:39.61ID:pnRfVDzG0
じゃあそろそろ自民に戻るのかw
0226名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/21(水) 22:18:09.43ID:pnRfVDzG0
安達といったら協力内閣構想だけど
小沢は福田政権で大連立構想蹴ったから逆だな
0227名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/21(水) 22:23:03.26ID:0FyvQu830
小沢も最初は乗り気だったけど党内で猛反対されてオジャンになった>大連立
そこが似てる

小沢が乗り気じゃなかったというのは小沢周辺が撒いている話
小沢も一方のナベツネ・森元も狸だから事実がどうか決め手はないけど
0228名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/21(水) 23:54:12.41ID:BJV91R4V0
政権交替した頃やたら三木小沢の比較論が出てたけど
鳩山関係で比較対象するなら森恪でしょ
0230名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/22(木) 10:38:38.95ID:2ecivAkm0
>役人も財界人も民主党にそっぽ向いてる上に細かい分裂繰り返し先細りしている民主党では話にならん。

その線で考えると原亡き後の政友会に近似している様にも思える
まぁあの頃は元老の西園寺が加藤高明を嫌って対立党の憲政会に中々政権を渡さず
加藤友山本清浦で政権を回したから憲政会も冷や飯を食い続けた訳だが
0231名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/22(木) 11:17:42.18ID:cGDbxUsB0
原は政治家として色んな面で傑出してるからなぁ。
だからこそ原死後の政友会は低迷した。

じゃあ民主党はどうだったか?
資金工作でそれなりの力を持っていた小沢
若手としては政策プレゼンテーションが上手かった前原
個人資産とそれに群がる人脈は持っていた鳩山兄弟
取り敢えず世間的に知名度は高い菅
バランス感覚と責任感はあるけど他には何もない岡田

誰もが一部秀でた面あるけど、全体をまとめ政権とって何かやれるような人間が1人もいない。
0233名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/22(木) 12:56:12.36ID:YwK6fspE0
政権交代した事で民主の役割は終わったと言える
今の民主の体制で政権が転がり込んでくる事はもうないだろ
0235名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/22(木) 20:54:56.15ID:L1NC+qSb0
男子の本懐って何で金解禁を正義みたいに書いてるの?
あんなん日本を外国の食い物にする政策以外の何物でもないだろ。
0236名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/22(木) 22:28:12.02ID:7egE8WKd0
政友会と民政党は明治の自由党・改進党の時代から培ってきた地盤看板カバンがあったけど
自民党と民主党じゃ党の歴史が違いすぎる
日本で自民党並みの政党作るのは難しいだろうな
0238名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/23(金) 00:16:19.55ID:fgTh0rSJ0
戦後に大々的な公職追放が無ければ社会党や官僚派が台頭せずに
戦前の政民両党(戦後でいう自由党と進歩党)が拮抗して二大政党制が定着してたかもしらん
0239名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/23(金) 18:42:48.03ID:QwG2ZbtR0
米民主党も米労働党も支援母体は労組系だしそこは別にいい
でも意外に民主党ってそこの取り込みも甘いんだよなぁ
まだ社民党が形の上だけでも残ってて支援が分散しているせいもあるかも
0240名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/23(金) 20:26:42.28ID:xwI7Ni6c0
この30年ぐらいでできた企業では労組そのものがない場合もおおいしな。

60年代ぐらいまでは100人以上所属する企業で労組がないなんてことはまず考えられなかったけど、今では上場している企業で従業員数500人以上いても労組がないなんていうのはザラ。

地方の農家でも40代ぐらいの現役世代はドブ板選挙に駆り出されるの嫌って選挙や政治に絡んだ活動さする人はおらんし。

選ぶ側も50年前に比べると政治と向き会う機会が圧倒的に少ない。
低い投票率はこの影響があるんじゃなかろうか?

民主党の体たらくはそれを言い訳にはできんけどw
0241名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/23(金) 20:42:10.52ID:0We54EdU0
あの頃の政治家の殺されっぷりは清清しいな。

管や野田、安倍、白川・黒田なんかは
是非にも襲われて欲しいわ。
0242名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/23(金) 21:30:03.21ID:Sz7t+Ppq0

危険人物

ただ、戦後はアメリカでは相変わらず暗殺多いけど日本ではめっきり無くなったのは
不思議ではある。
銃器の規制が関係してるのかな
戦前の暗殺もほとんど拳銃だし
0243名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/23(金) 21:44:03.62ID:QwG2ZbtR0
銃器というとゴルゴ的な遠距離からの狙撃(暗殺)が想定されるけど
戦前の銃器を用いた政治家の暗殺の殆どは近距離からの狙撃
斎藤実とか40発以上ぶち込まれて蜂の巣状態だったというし
0244名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/23(金) 22:48:54.30ID:Sz7t+Ppq0
226は暗殺ってレベルじゃないw
0245名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/23(金) 23:58:47.69ID:qWSIoMAj0
226は規模が違い過ぎてあれだけど
山本宣治を殺した奴は数年で社会復帰(後の消息は不明)
井上準之助を殺した血盟団の小沼も直ぐに出所してきて懲りずにウヨ活動

何か理不尽だ
0246名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/24(土) 11:40:47.53ID:wOr7mkbo0
右翼団体が政府要人を暗殺しすぎだろ。
治安維持法をもって潰すべきだった。
0247名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/24(土) 15:57:13.65ID:xHmL5Y5O0
星亨が暗殺されなければ原敬の台頭は恐らく無かっただろうね
その原も暗殺されちゃうのも皮肉な話
0248名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/24(土) 16:12:03.69ID:H200Ppdq0
浜口・井上VS犬養・高橋

全員暗殺されてる
幣原が無事だったのが不思議
0250名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/24(土) 16:25:15.82ID:H200Ppdq0
若槻はヘタレで助かった
協力内閣推進してたら確実に殺されてた
0251名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/24(土) 16:26:50.50ID:wOr7mkbo0
戦前の右翼は戦後の左翼のようだな
0254名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/24(土) 22:53:37.92ID:jw1205kn0
なってない。
226の時点ですでに過去の人状態>若槻
0255名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/25(日) 00:01:57.42ID:rJoiqV5C0
矢次一夫だったかが書いてたけど、戦前には「重臣暗殺未遂業」と揶揄されるような
連中がいたとかいないとか。

実際に暗殺をしなくとも、暗殺を計画して警察に検挙されて留置所に入れられたり監獄に送られたりして釈放されると、
娑婆に出てから周囲から「あいつは大物だ」みたいに持ち上げられて、あちこちで「話を聞かせろ」とか呼ばれて、
そこに顔を出すといくらか金を包んでくれるから、それでけっこう食って行けるような感じになるらしい。
0256名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/25(日) 00:08:56.72ID:AddyJ1S50
左翼社会主義から国粋主義に転向した奴も多いからな
社会大衆党も保守二大政党より軍部シンパになったし
0258名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/25(日) 01:29:11.77ID:Q8m1lfDA0
血盟団が恩赦ってひどいよなw
0259名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/25(日) 12:04:40.37ID:A/L5fKji0
やる夫自民党スレを見てると戦前からの議会人が思ったよりも戦後も活躍してるんだよな。
0262名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/25(日) 19:50:53.16ID:Z+HAminb0
中谷元が小泉政権で就任するまで退役した身であっても
元軍人自衛官は防衛庁長官にしちゃいけない
不文律みたいなのがあったしね。
源田だってなってないし
0263名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/26(月) 18:50:11.18ID:GHiez+UNO
確かに野村や源田のように開戦時は現役ではないし
協調派の加藤や浜口内閣では良いけど
近衛内閣は汚点になるから
大臣となると微妙な感じですわな

但し、防衛庁長官はさすがに防衛官僚が大反対して無理だわ
制服組みを刺激するからね

他にあるかと言っても爺さんができるポストがないわね
0264名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/26(月) 19:38:30.93ID:P2qwDmZ20
憲法の文民規定を、「一度でも軍人やってたやつはアウト」だと勘違いしてるやつが多かった50年代と60年代でそれは無理
冗談みたいだが、本当の話だ
0265名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/26(月) 21:19:18.73ID:9yiY0M3O0
>>259
三木武吉より年上なのに、議会で後輩だったというだけで遅れを取った松村謙三が
戦後に自民党の派閥の長になったりな
0266名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/01/26(月) 23:32:27.86ID:ejh+8jRf0
松村は岸政権以降反主流を貫いたおかげで
党人派の上がりポストといえる議長には結局なれなかった
0267名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/02(月) 02:44:39.76ID:MgI4Y2V40
井上・浜口の断行した金解禁って世界恐慌後に
ユダヤどもが安全資産の金を保有しやすくする
ためのものだったんだろ?
井上はモルガン=ユダヤ金融の手下だ。
男子の本懐とかその辺分かってて書いてるのだろうか?
0268名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/02(月) 10:51:23.24ID:fWPbAUkE0
>>267
日露戦争でどれだせユダヤから金を借りたと思ってるんだ?
0269名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/02(月) 23:37:26.87ID:MgI4Y2V40
日本を借金漬けにしたのは高橋是清だな。
井上とは違う路線だが売国奴であることは同じ。
白川と黒田みたいなもんだ。
0272名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/15(日) 04:58:12.71ID:2tdFtlz40
日露戦争のころでいえば、軍事費の膨張の大部分は海軍だぞ

軍隊に何万人か集めるよりも、軍艦を何隻か購入する方が高くつくんだから
0273名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/15(日) 06:10:18.22ID:0xrDcUur0
なぜ高橋財政の話をしているのに日露時代の話に?w

主戦場が海の時期と陸の時期があって、その時期によってどこに重点的に予算配分するかは変わるんだからお前さんの言う話は間違ってはないけどズレてるよw

その時期の話をしたいんだろうけど、少し我慢しなちゃい
0274名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/15(日) 12:17:47.77ID:2tdFtlz40
>273
>なぜ高橋財政の話をしているのに日露時代の話に?

>>268が「日露戦争でどれだせユダヤから金を借りたと思ってるんだ? 」という発言を行っているからだが?

日本が借金に苦しむようになったのは日露戦争の戦費支払いに苦しむようになってからだし、
その時に増えてしまった陸海軍費の圧縮を行えなかったからだ。

その意味で、井上が緊縮財政に舵を切ったのも、高橋が借金の増額を行う羽目になったのも、
陸軍と海軍のせいだよ。

それから、昭和期の高橋財政において軍事費が膨張したのは陸軍が行った満州事変に始まる大陸侵出に原因があるのは間違いないが、
海軍もまた「陸軍の予算がそれだけ増えたなら、海軍の予算も同じくらい増やせ」という形で乗っかっていったので、
軍事費の増加という点では従犯と言っていい。
0275名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/15(日) 19:47:15.56ID:ZStOvrQl0
横だが、
陸軍悪玉海軍善玉は俺も辟易しているが
大正の軍縮を素っ飛ばして為にする論では誰も納得しないんじゃねぃ?
0276名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/15(日) 20:38:23.23ID:ExYicl/o0
海軍艦隊派と一緒になって統帥権を俎上に上げた
犬養政友会の例を見るまでもなく政治家の側も大概腐ってた
0277名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/15(日) 22:46:14.46ID:2tdFtlz40
>>275
大正の軍縮って山梨軍縮と宇垣軍縮が有名だけど、海軍の方もワシントン条約に調印するという形で
軍縮をしようとはしてる。

ただ、それにしたって積み重なった借金の額に比べて、軍縮で浮かした金額があまりにも低すぎた。

日露戦争は外交面や軍事面では一応の成果を出したけど、戦費の調達とその財源の穴埋めという面では
敗戦したのに近かった。なんたって賠償金が取れなかったんだから。
費やした戦費が丸々国家にとっての損失となり、増税で賄えなかった分は借金となった。

本当なら日露戦争で「勝った」って浮かれていないで、金をドブに捨てる結果を生んだことを
為政者が国民に対して詫びて、陸海軍のトップは引責辞任したり、戦地から戻ってきた将官たちは
クビにしたうえで恩給もカットするくらいのことをしなけりゃならなかったんだよ。

それを浮かれて爵位を授与したり勲章をばら蒔いたりしたのが間違いだった。


>>276

昭和に入って軍が暴走したのも、その軍の暴走に国民が一定の支持を与えたのにも、
政治家と政党政治の駄目っぷりが半端なかったからってのも抑えておくべきだわな。

軍人のアホさ加減も相当だったが、政党政治家のスカタンぶりも負けてなかった。
0278名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/15(日) 23:41:32.24ID:ExYicl/o0
統帥権の問題を政治の側できっちり管理できる仕組み造りを
日露戦争以後構築しなかった出来なかった問題は大きいよね
特定の人物に頼った元老制度じゃ遠からず破綻してしまうのは目に見えていたわけだしね
0279名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/16(月) 00:02:48.48ID:LAEDr/LH0
明治維新という動乱期を潜り抜けた政治家たちが明治天皇を支えつつ、
明治天皇もその政治家たちを「元老」という位置づけを与えることで
国政のかじ取りをさせていたという形で安定していた明治時代の政治構造が、
大正天皇の時代に完全に壊れてしまったのは痛かった。

その統治構造の代替をするはずだった政党政治があまり健全な発達を遂げずに
私利私欲むき出しの政治闘争に明け暮れるばかりだったからねぇ。

原敬が暗殺されずにもう少し長く政友会を率いていたら、
あるいは浜口雄幸がテロに倒れずに民政党内閣が続いていたなら、
またちょっと別の展開があったかもしれないとも思うけど。

この二人はどちらも軍部を統制して政治がイニシアチブを取る体制を作り上げようと考えていた。
原に関しては田中義一・加藤友三郎と連携を取れる体制が出来ていたし、
浜口の方は、宇垣一成・財部彪とどちらも軍縮を実行する陸相・海相に抱えていた。

原にしても浜口にしても、それぞれに問題があって一長一短という部分はあるけれども
軍を政治のコントロール下に置こうという意思と気迫を持っていた点は、評価していい。

その後の歴史の流れを見ても、軍が政治のコントロールから外れてしまったことが昭和という
時代の悲劇をもたらした最大の原因だったから。
0280名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/16(月) 02:06:28.18ID:CjZOJFpR0
原・濱口両氏に言える事は互いに官僚歴がありながらも衆議院議員だった事か
加藤はパトロンの三菱岩崎家の財力にモノを言わせて成り上がった口だが
原濱口は裸一貫で立身出世した人物でもある
0281名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/16(月) 03:17:50.02ID:+KsEigP+0
>>277
まじめに論じたいなら、大正の軍縮についてまともな本を一冊でも読むべきだね。
多分高校生ぐらいで社会経験が全くないのだろうが、最初に結論ありきのうえに
荒唐無稽な対案では、青臭い書生論でしかない。議論の叩き台にもならない。
0282名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/16(月) 03:54:58.68ID:CjZOJFpR0
元老(候補)の不在が招いた結果が昭和期以降の軍拡を招いたという説は通説としてあるけどね
281がどういう書籍で勉強したのか気になる
0283名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/16(月) 08:26:42.31ID:pQymdXU20
その元老格にゆくゆくはなるだろう原が暗殺されたのが痛かっただろうな。

バランス感覚があって天皇からの信頼も厚く、敵もいない牧野伸顕だけでは実際の政治やら極端な強権発動してでも陸海大臣を罷免できず結局内閣制と憲法を悪用されてしまう。
0284名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/16(月) 10:55:13.82ID:3TUb9tXe0
玄洋社や黒龍会をしょっぴけなかったのが大きいな。
0286名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/16(月) 18:25:07.95ID:qJDi5iUp0
そんな時の土下座外交やるぐらいの強かさがあればな。
維新直後の大久保のような柔軟性がある政治家おらんけど。

清沢洌の本読んで改めて大久保の化け物ぶりに鳥肌立ったわw
0288名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/17(火) 00:39:02.07ID:CCle2jFl0
>>282
>281がどういう書籍で勉強したのか

>>274を一読して、日露戦争と日中戦争の点と点を結んだだけで大正時代の軍縮なんか始めて知ったんだろうなということと、
>>277を読んで、その間の日本や世界の社会情勢を全く知らないから、日本で革命が起きかねないトンデモ対案を夢想しているのだろうと、
読み取れる程度。

君のネタモトの歴史教師は未だに「日本の戦後復興は朝鮮戦争特需のおかげ」とノタマウ経済音痴なのだろうと推察もできる。
0289名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/17(火) 02:04:51.69ID:pf5ZsSST0
>>281
>まじめに論じたいなら、大正の軍縮についてまともな本を一冊でも読むべきだね。

では、あなたが読んできたのであろう「まともな本」の書名を一冊でも挙げてみてくださいな。

上から目線でモノを言う以上は、それなりの本を読んできたのでしょうから。


>最初に結論ありきのうえに 荒唐無稽な対案では、青臭い書生論でしかない。

それは
<277>での、「本当なら〜するくらいのことをしなけりゃならなかった」という
部分に対しての話でしょうか?

こちらの発言を「荒唐無稽な対案」とか言っている時点でトンチンカンな批判ですね。

あくまで「本当ならこうすべきだった」という話をしているだけで、それが当時の政治状況において
取りうる手段でなかったことくらいは承知していますよ。

だから「本当なら」という枕詞をつけたのだということくらい、普通に日本語の読解力があれば
理解可能だと思うのですが。

歴史事象を考察する際には、「本当なら、満州事変において大権干犯を犯した関東軍や
朝鮮軍は罰せられるべきだった」とか、「本当なら、サイパンが陥落して制空権を失い、
日本全土が空襲をうける状態になった昭和19年の後半の時点で講和を申し出るべきだった」とか、
その当時の政治状況を考えれば採用するのが難しかった選択肢だからこそ、
「本当なら」という枕詞をつけて発言することが多いのではないでしょうか。

それを頭っから「荒唐無稽な対案」とかいって難癖をつけていたのでは話にもなりませんよ。
0290名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/17(火) 02:23:24.67ID:pf5ZsSST0
>>282
元老(候補)の不在が招いた結果が昭和期以降の軍拡を招いた
>>283
元老格にゆくゆくはなるだろう原が暗殺されたのが痛かっただろうな。

元老というのは、単に年齢を重ねた政治家というのではなく、
「維新に功績のあった政治家」という意味あいの方が強いので、
原則的には補充が出来ない存在でした。


明治憲法体制では天皇が総ての大権を総攬するというタテマエの下に、
様々な政治勢力(貴族院・枢密院・内閣・陸海軍、その他)が並列的に存在しており、
それを制度外の存在である「元老」という存在が調整したり統合したりすることで
機能するという性質を持っていたから、いずれは「元老」に代わる政治の統合主体が
必要とされていました。

西園寺はその元老に代わる統合主体を「政党政治」に求めて、議会政治の発達と政権を
担える力を持つ政党の育成に賭けていたのでしょう。
だからこそ、自分を「最後の元老」と位置付けて、元老の後継者を作ろうとはしなかった。

明治憲法体制の制度外の存在である元老が、明文化されていない政治力を行使して
国政に関与するのではなく、衆議院において多数を占めた政治集団の首領が、
他の政治勢力を統御して国家を運営するという方向に持っていこうと考え、
実際それは原内閣や浜口内閣が目指していた方向性でした。

だからこそ、暗殺・テロという手段でこれらの内閣が瓦解してしまったのを
惜しいと思ってしまうんですよね。
0291名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/17(火) 02:40:40.37ID:pf5ZsSST0
>>285
>実際テロってなると政治家もビビるわね
>でもって国は借金で首回らん

>>286
>そんな時の土下座外交やるぐらいの強かさがあればな。

ここら辺が、それなりに安定した社会で育ってきた大正〜昭和期の政治家の
弱点でしょうね。

少なくとも、幕末維新の動乱をくぐってきた元老と呼ばれる政治家たちは、
テロや暗殺を実行したり、身内の跳ね返り分子を粛清したりといった形で
自分の手を血で汚すことを厭わなかった。
そして、因果が回り回っていつかは自分も暗殺されるかもしれない
という覚悟を持ったうえで国政の舵取りを行っていた。


だからこそリスク計算には慎重だったし、無謀な戦争を仕掛けたりしないように
自省もするし、勝てない戦争をする羽目になるくらいだったら恥を忍んで
相手国に土下座するようにして戦争を回避する選択を行いえた。
日清戦争後の三国干渉などがその良い例。

昭和の政治家は、軍人もふくめて、リスク計算をしたうえで結論を出したり、
対外折衝をする上でのリアルな感覚が欠落している人間が多すぎた。
0292名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/17(火) 06:50:09.82ID:RGrZI9RF0
>>287
横田と是清が勝っていれば問題なかったのにねえ。
床次でもよかった。しかし結果は加藤で構想が崩れた。。
0294名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/17(火) 13:27:08.38ID:k8YJsALu0
>君のネタモトの歴史教師は未だに「日本の戦後復興は朝鮮戦争特需のおかげ」とノタマウ経済音痴

何だネトウヨか
大東亜戦争はアジア解放の為だったーってかw
0295名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/17(火) 13:39:57.53ID:BoyyOlfN0
原と浜口が西園寺並に長生きしてればな。
0296名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/17(火) 15:26:42.00ID:zgfxFT+T0
軍からも元老入れないと編成含む予算の調整できんかと。

大正末〜昭和初期に陸海大臣経験して総理までやったのは斉藤、田中他だれだっけ?
まあ、田中は青島の件もあってまず元老扱い受けることはないだろうけど。
0298名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/17(火) 16:08:32.54ID:1H0x2VMN0
権兵衛は能力高いのにシーメンス・虎の門両事件のせいで…
シーメンスパージを受けなければ斎藤はもう少し早く総理候補になっていたかも
0300名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/17(火) 17:40:27.45ID:BoyyOlfN0
右翼は何せそんな政治家を暗殺するんだ?
0302名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/17(火) 18:56:11.76ID:pf5ZsSST0
>>293
>西園寺が元老後継者の育成を怠ったのが悪い

>>296
>軍からも元老入れないと編成含む予算の調整できんかと。

元老ってのは「明治維新の成功に功績があった」という政治資産によって
存在していた、いわば「既得権益」みたいなものなんだから、
新しく元老を作るとか入れるとかってことは出来ないんだって。

「元老に準ずる存在」として周囲が認めるような人間が調整力を発揮する
ことがあったとしても、それはあくまで「元老」ではない。
元老の政治力は「明治維新を主導した」という過去の経歴によって生じるもの。

だから、維新の動乱が収まった後の明治や大正の政界でどれだけ実績を積もうと、
元老クラスの政治力を獲得したり、周囲が元老並みに扱うということは起こらない。

制度外の力が意味を持ったのは、あくまで彼らが「建国の英雄」みたいな扱いを
受けていたからこその話であって、建国が終わった後の能吏がどれだけ実績を
上げても、その政治力は元老には及ばない。

その元老ですら、予算の編成に毎年苦労していて、安定した予算の成立と執行が
行われた期間なんて桂園内閣期くらいのものだ。


その経験があるからこそ、衆議院という「国民の負託」を受けた議会で
多数を占めた政党の代表が政治権力を握って予算の編成や調整を行う
というルールが新しく作り出されようとしていたんだ。

実際、原内閣も浜口内閣も閣僚をきちんと統制していて陸海軍の軍縮に向けて
舵を切る政策を執っていた。

言ってみれば、時を経ることで「建国の英雄」という威光が薄れたので、
「国民からの負託」という威光が政治において意味を持ち始めた時期だった
というのが一番近い。
0303名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/17(火) 21:35:10.01ID:OQx1wVYC0
呼びかたはともかく
明治憲法下では陸海軍を抑えられる
元老的ボジションが必須だったのはたしかだ
0305名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/17(火) 23:03:13.22ID:pf5ZsSST0
>>303

原や浜口はそれを抑えられるような政策を実行に移してただろ?


――――――――――――――――――――――――
加藤友三郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E5%8F%8B%E4%B8%89%E9%83%8E
ワシントン会議

1921年(大正10年)のワシントン会議には日本首席全権委員として出席。
会議に向けて出発する際、当時の原敬首相より「国内のことは自分がまとめるから、
あなたはワシントンで思う存分やってください」との確約を得た。

(略)

米国案の五・五・三の比率受諾を決意した加藤は、海軍省宛伝言を口述し、
堀悌吉中佐(当時)に次のように筆記させている。

「国防は軍人の専有物にあらず。戦争もまた軍人にてなし得べきものにあらず。
……仮に軍備は米国に拮抗するの力ありと仮定するも、日露戦争のときのごとき少額の金では戦争はできず。
しからばその金はどこよりこれを得べしやというに、米国以外に日本の外債に応じ得る国は見当たらず。
しかしてその米国が敵であるとすれば、この途は塞がるるが故に……結論として日米戦争は不可能ということになる。
国防は国力に相応ずる武力を備うると同時に、国力を涵養し、一方外交手段により戦争を避くることが、目下の時勢において国防の本義なりと信ず。」
――――――――――――――――――――――――

こういう認識を軍人に持たせ、軍縮へと舵を切らせたことそのものが
政党政治家である原の功績だと言える。
ロンドン軍縮会議で統帥権干犯との非難を受けても条約締結へと進んだ
浜口内閣にも同じことが言える。

この二人が暗殺されさえしなければ、この方向へと導いていただろうと想像できる。

陸海軍を抑えるってのは、組織的・制度的に従属させることではなく、
その組織のトップの同意や合意を得て、組織の改革や改変を受け入れ
させることによっても達成できる。
海軍が二度の軍縮条約を受け入れたのも、陸軍の田中義一や宇垣一成が
軍縮を受け入れたのも、政党政治の成立に伴って力を持つようになった
「国民の声」というものの存在にあらがえなくなったからだ。

現実的に国家予算と相談した時にこれ以上の軍備拡大は難しいという
現実を突き付けられた陸海軍は、それに抵抗するという選択をするのが
難しい状況となった。


そうした「政党政治優位・陸海軍の劣勢」という状況をひっくり返したのが
関東軍が起こした満州事変だった。

今上天皇が「満州事変に始まるこの戦争」と今年の新年のお言葉の中で
述べたように、昭和の戦争の始まりは満州事変に端を発している。

対外的な始まりであるのと同時に、国内的な始まりでもあった。
政党政治を破壊し、既存の帝国憲法体制を捻じ曲げる軍の暴走の
始まりだったという意味で。
0309名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/18(水) 00:12:25.21ID:yLl32jhZ0
>>306
幣原外交は堅実に行われており、米英を中心とした国際協調体制の
枠組みの保持を最優先としていた。
清朝崩壊後の中国国内での革命外交が進むことにより、
対中関係が行き詰まっていただけで、
全体としてみれば上々の首尾を遂げている。

加藤内閣-第一次若槻内閣で行われていた幣原の外交施策は上手くいっていたし、
憲政会が倒れたのはもっぱら国内事情によるもので外交の失敗ではない。

またその後を受けた田中内閣時の外交施策にしても、大きな施策変更は
対中関係のみであり、米英を中心とした国際協調体制を遵守するという
姿勢自体は幣原外交と何ら変わってはいない。

そして田中内閣が倒れたのは、張作霖爆殺事件の処理の拙さを天皇に
叱責されたためという、ある意味では外交失策に拠る原因だった。

その後の浜口内閣でもロンドン海軍軍縮条約の締結などを通じて、
国際協調体制の強化を推進しており、安全保障体制を確保することで
国際的な秩序の確立を優先課題としていた。

満州事変という関東軍の謀略行為さえなければ、この外交的な枠組みは
維持されていた可能性は相応に高い。


幣原外交が失敗したわけではない。
国民を騙す形で行われた軍の暴走がまず有り、その軍の暴走を暴走とは
知らされないで国民が支持してしまったゆえに、幣原外交が退場を
余儀なくされたというのが実情だ。
0310名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/18(水) 00:21:18.57ID:yLl32jhZ0
>>307
>暴走する中堅幕僚たちをおさえられる気がしない

浜口内閣が存続していて、宇垣が陸相として省内に睨みを利かせていたなら
中堅幕僚の暴走自体が無かったろう。

中堅の暴走は、浜口へのテロによって「自分が首相になれるかも」という
野心を抱いた宇垣が三月事件というクーデター計画に色気を見せたことと、
それが未発に終わった時にだれも処分を受けなかったという前例が
中堅の軍官僚たちを増長させたからこそ起こった事態。

さらに言えば、満州事変において陸軍上層部の不拡大方針を蹴とばした
関東軍の石原や板垣といった連中の暴走を、宇垣系の南次郎陸相の更迭後に
陸相に就任した荒木貞夫らが追認したことでさらにブーストが掛かった。

その意味で、総ての発端は浜口へのテロがスタートだったといえる。
0311名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/18(水) 01:54:48.80ID:O77YYJJq0
>加藤内閣-第一次若槻内閣で行われていた幣原の外交施策は上手くいっていたし、

南京事件の顛末を見ろよ上手く行ってない
0312名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/18(水) 02:27:43.67ID:yLl32jhZ0
>>311

<309>をちゃんと読め。

>幣原外交は堅実に行われており、米英を中心とした国際協調体制の
>枠組みの保持を最優先としていた。
>清朝崩壊後の中国国内での革命外交が進むことにより、
>対中関係が行き詰まっていただけで、
>全体としてみれば上々の首尾を遂げている。

1927年の南京事件は、あくまで中国サイドの暴走の結果として日本が若干の被害を受けただけのこと。
被害を受けたのは英米をはじめとして中国に権益を持っていた西欧諸国も同じであり、
事件後はこれらの国が中国側に対して賠償請求を求めるなどの姿勢を取ることになって、
むしろ中国サイドの失点となっている。

日本はこの事件への自制的な対応を取ったことを通じて、中国側に恩を売ることになり、
権益や経済的な利得を要求しやすい外交的立ち位置を手に入れた。

その有利な立場が毀損されたのは、出先で暴走した関東軍による張作霖爆殺事件によって
醸成された排日気運による。

あんなことをせずにうまく立ち回り、中国に恩を売って市場に食い込み、経済的利益を得て
食料資源や鉱物資源等の安定した輸入の確保をしていたなら、そもそも大陸へ軍事的な侵攻を
する必要も無かった。

中国への侵攻さえなければ、米英とも協調関係を保って経済的な成長を続けることも出来ていた。
当時の日本の貿易の全体額を考えれば、対英・対米貿易こそが日本の生命線であり、
対中貿易なんて補助的なものに過ぎなかったんだから、対英米協調さえ保っていれば
日本は安泰だった。
0313名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/18(水) 11:14:48.04ID:+RuCuYW/0
多くの政治家など日本の指導部は
米英や中国国民政府と協調して反共陣営の一員として
やっていこうと考えていたのに
一部の軍人などの過激派が中国と戦争はじめて
すべてがおかしくなった
0314名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/18(水) 17:44:03.41ID:Kq8P7RCbO
対支強硬派ってのは何の目的かさっぱりわからん
結局、予算獲得、利権
出世目的にしか思えない
0316名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/19(木) 17:35:43.25ID:lvlkZy5aO
そうなんかー
トラウマン工作見ると
ソ連に行かないように
つぶしたい勢力はいたみたいだけど
0318名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/19(木) 19:37:11.12ID:xhfRk0Or0
政党政治家が腐敗しきってたから真に国を憂える軍人が行動を起こさなければならなかったのだ。
命がけで国を守る軍人には私利私欲というものがないからね。
0319名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/19(木) 19:47:24.74ID:n8MmLDIG0
その軍人に政治的外交的大局観が欠如していたのが大問題だ
政治は動機より結果が何より大切
0320名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/19(木) 20:12:11.29ID:8GPI8GeE0
清廉潔白のように思われがちの軍人も、実際には芸者遊びにうつつをぬかし、
権勢欲と名誉欲に取り憑かれた俗物だらけだったわけだが
0321名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/19(木) 20:24:56.17ID:OYL3FhTI0
昭和新興財閥からかなり高額の裏金もらって遊んだり、アヘン購入して密売させたりの資金にしてたわけでw

まあ、政治家、軍人、起業家、現地の軍閥、女衒も含めて一味だわな。
気の毒なのはそういう人達が清廉潔白だと信じちゃってた国民やら後世の偏った歴史観持った人。

そういう人向けの綺麗事ばかり並べた本がそれなりの稼ぎになるんでそれに乗っかる出版社や著者。
0322名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/19(木) 21:31:33.12ID:nro/JxZT0
清廉潔白かどうかなどどうでもいい
政治リーダーに求められるのは
正しい現状認識と政治判断だ
大局的に間違わないことが何より大切
0323名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/19(木) 21:35:54.47ID:dvqZXDsu0
>>320
こういう場合は俗者よりも清廉潔白なやつのほうがかえってヤバくなるんだよな。
ポル・ポト然り
0326名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/19(木) 23:12:13.70ID:xhfRk0Or0
星亨が私的には金銭に綺麗だった。
0329名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/20(金) 18:20:44.90ID:u2WPSpKM0
なぜ内閣総辞職すると第二党に政権が渡ったのだろう。第一党が政権を担うのを「憲政の常道」にしとけば
政局の混乱はもうちょっとマシだったんじゃないかな。
0330名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/20(金) 19:22:37.77ID:4vMNVwC80
失策をやらかして政権を投げ出した政党が政権を持ったままだと、その失策をやらかした
政党党首より、さらに党内序列で格下の政治家が政権を持つことになり、またそいつが失策をやらかすと
さらにその下の政治家が政権に、ってことになるんで、それは筋が違うでしょってことなんじゃない?

こないだの民主党みたいに鳩山がやらかして辞任して、そのあとに菅が出てきてまた辞めて、
さらにそのあとに野田が、みたいなことになるのはちょっとねぇ、ってこともあるし。


そもそも、「第一党以外には首相になる権限が無い」という原則を厳密に運用しようとすると、
山本権兵衛や加藤友三郎のような軍出身の有力政治家を首相に選ぶことが出来なくなって、
政変が起こった時の選択肢が少なくなる。

あくまで政権っていうのは「天皇が任命する政府(官僚組織)のトップ」という位置づけあって、
議会とは別のものというのが明治憲法体制の建前だから。
0332名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/21(土) 23:29:33.44ID:eUdkZke4O
本来は第二党による解散→総選挙だろうね

この前の民主党の場合は、単にトップを変えただけだから
国民側からすると厭きられて、しかも消費税みたいな選挙公約破りをやらかして
しばらくはもう立ち直りはできないんじゃないかな

第一党での首班交代の成功例は
池田→佐藤→田中→三木と、見事だけど
かつての自民党は中選挙区下の
党内での疑似連合政権と思われてたからね
あんなのは小選挙区制ではできないでしょう
0333名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/22(日) 08:02:26.73ID:ib1ZPfgn0
政権担当に議会の信任を要しなかったのは戦前政党内閣の弱点だった。
0334名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/22(日) 09:58:05.56ID:qPStZrum0
>>333
逆に、議会の信任さえあれば政権を担当出来るという制度にすることの危険性もある。

民意のみで選ばれた政権が、必ずしも最適解となる政策を選ぶかどうかは分からないわけで。

とりわけ他国との関係を取り結ぶ際に国内世論にのみ目を向けて政策の策定をしまい、
相手国との関係を損なってしまう危険性を考えれば、そう簡単に政権を政党内閣に渡すのは
如何なものかという判断が出てきてしまう。

実際、議会で多数を取った護憲三派内閣のスタート時、加藤高明を首相に任命するかどうかを
西園寺が迷った時に一番ネックとなったのが、第二次大隈内閣時に加藤が外相として行った
対華21か条要求という政策で、「ああいう対外的強硬施策を取る人間に任せて大丈夫か?」って
心配がなされたことだったし。
0336名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/23(月) 07:34:00.21ID:sdq7kDoU0
小林道彦「政党内閣の崩壊と満州事変」ミネルヴァ書房
これいいね。
0337名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/23(月) 07:36:24.75ID:sdq7kDoU0
坂野潤治もいいけど一時期、二大政党交代論から民主党に肩入れしすぎたのはお愛嬌かなw
0338名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/23(月) 07:45:20.26ID:0uSVqX9c0
晩年の西園寺は加藤高明を大久保や伊藤と並ぶ逸材と評価を逆転させている
可哀相なのが大久保伊藤加藤、一段劣るが原と評された原敬
0339名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/23(月) 10:46:48.01ID:xxPKl2hN0
>>336
大正期の政党政治の伸長と、陸軍との相克に関して調べたい人にとっては基礎文献となると思う。

陸軍について研究した人や、政党政治について研究した人はそれぞれの分野でいるだろうけど、
この両者が相互にどのような位置関係を取っていたのかを調べた人はあまりいないから。


坂野潤治がこの辺に興味を持って調べてみてくれると、また新しい知見が出てくるんじゃないかな。
もっとも、著書を読んでいると、軍に対するアレルギーが強すぎてこの分野自体を敬遠していそうだけど。
0341名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/24(火) 00:14:41.13ID:MYsta6q00
>>340
筒井の著作は昭和の時代に入ってからの軍内部の動向と政党政治の流れに関しては極めて詳細だけど、
大正期の政党政治に関しては特定のキーマンのみを掘り下げていくのに留めていて、
この時期の政党内部の角逐とかにはあまり興味がなさそうな印象。

むしろ筒井の興味の対象は近衛文麿や木戸幸一、それに西園寺-原田を加えた「宮中グループ」の
動向の方にあるんじゃないかって気がする。
0342名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/24(火) 16:35:01.21ID:2QNXO4ai0
西園寺の原嫌いは角栄の竹下嫌いに通じるものがある
要するに自分の身辺地盤を脅かしかねない人物として見ていた
0343名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/26(木) 02:35:54.55ID:e3cYhl2hO
今の自民と民主の国会での政局に
国民はうんざりしているけど当時
の民政党と政友会の争いも似た様
な物だったのかな?
0344名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/26(木) 05:44:41.56ID:F1V2yFqa0
当時は貴族院や軍や枢密院が独自の動きをしたので今よりずっとも政局が複雑。天皇も
権力はなかったものの自立的なプレーヤーだった、
0345名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/26(木) 10:55:56.50ID:w30rcxMq0
戦前や民主党を見てると日本には二大政党制は合ってないな。
0346名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/26(木) 17:28:56.73ID:9/A6xSyc0
>>343

このころの政党政治の争いは、今の自民と民主の争いどころじゃないよ。
もっと豪快にぶっ飛んでる話がゴロゴロしてる。


筒井清忠の著作の中で中に面白い話が引用されてたんで、ちょっと長くなるけども貼り付けておく。

―――――――――――――――――――――――――――
B地域の政党化&#8226;分栴化と中立化&#8226;統合化欲求の昂進

 次に、「党弊」と言われた政党による官僚支配の問題がある。加藤高明護憲三派内閣では、
朝鮮総督府政務監、鉄道次官、内閣拓殖局長などのポストに政党員が就く「政党員の就官」
が行われ、湯浅倉平内務次官、太田政弘警視総監、川崎卓吉内務省警保局長等、憲政会官僚
の積極登用も実施されている。

 さらに加藤高明憲政会単独内閣になると、若槻内相を座長にして設置された行政調査会の報
告として、各省局長半数を詮衡任用にするという形で「政党員の就官」が大幅に加速化するこ
とが決められている。これは、加藤首相が病気で亡くなり結局頓挫するが、実現一歩手前だっ
たのである。

 また、中でもこの問題との関わりで重要であったのは、内務省と選挙の関係の問題であった。
1928年1月の議会冒頭解散の10日ほど前に田中内閣の鈴木内相が知事&#8226;警察署長等地
方官の大更迭を実施し、これが第一回普選における政府の選挙干渉を激化させたと見られ、1
930年の第二回普通選挙の際は、解散前に今度は浜ロ民政党内閣の安達内相により二県以外
のすベての警察トップを更迭し、全国警察署長一ニ〇〇名の中約半数を異動させたと見られて
いる(水谷三公氏は、政党の内務官僚への介入の画期を田中内閣の鈴密三郎内相就任としている。
『日本の近代13 官僚の風貌』205&#8212;20頁)。

 内務省を掌握すると選挙に勝つことができるということで、内務官僚の政党による掌握とい
うのが極端に進んでいったのである。この反省から、政党内閣が倒れた後の斎藤実挙国一致内
閣では、警視総監&#8226;内務省警保局長・衆参両院書記官長などは試験任用にするという文官任用
令の改定が行われ、官吏の身分保障が強化されることになったのであった。

 しかし、事態はもっと深刻であり、この程度のことで収まるようなものではなかったようだ。
この点あまり知られていないようなので、村田五郎という内務官僚が1935年に大分県の警
察部長になって体験したすさまじい実態を紹介しておこう。

(1)村田が警察部長として赴任すると、部下から「村の駐在所のどちらを使うか」という質問が
あり驚いて質してみると、大分県には村ごとに駐在所が政友会系・民政党系と二つあることが
わかった。政権が変わるたびに片方を閉じ、もう片方を開けて使用するというのである。

(2)結婚、医者、旅館、料亭等も政友会系・民政党系と二つに分かれていた。例えば、政友会の
者は政友会の者同士で結婚し、「反対党の医者にかかれば一服盛られる恐れがある」ので「反
対党系の医者には絶対にかかろうとはしない」「家人は同じ政党系の医者に診てもらうために
八キロであれ十キロであれ、病人を戸板に乗せて運ぶ」のである。

(3)結婚等は私行上のことなのでともかくとしても、道路&#8226;土木工事のような公共事業も知事が
政友会系・民政党系と変わるたびにそれぞれに前のものを打ち切って新たに行うので、二つ行
われていた。「したがって大分県では常に同じ方向に向かって延びる、同じ幅員の道路がニ本
並行して作られることになるのであった。それが内閣が代わるごとに操り返されるのであるか
ら、いつまで経つても工事は完了しない」。

(4)消防も系列化されていた。部下が起草した出初め式の訓示に(当時、消防は警察管下)「水は
公平にかけろ」とあつたので「こんな馬鹿な文句は削れ」と言ったところ「本県の消防組員に
はこの点が特に大事で、強く注意しておく必要があるのです」とのこと。聞くと火事の時「焼
けている家が政友会の党員の家であれば、民政党の消防員は水をかけずにただ焼けるのを傍観
しているだけで」その逆も然り。「だから『水は公平にかけろ』という文句が訓示のなかでも
一番大事なところで、これを抜いたら肝心な訓示が訓示にならなくなってしまうというのであ
った」。
0347名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/26(木) 17:30:06.15ID:9/A6xSyc0
(5)それぞれの党の県本部の下に各市町村ごとに下部組織が整然と出来上がっていて、常に党員
の獲得と離党阻止に異常な努力が払われていた。しかも各支部の幹部は、日頃から各党員の私
生活にまで立ち入って何くれとなく世話を焼いていたので、党員の団結は頗る強固で、隅々ま
で連絡網が張りめぐらされていた。

(6)このような強力な組織をもって、双方の政党は、野党時代には政権党の内閣の知事の下での
県職員の行動を厳重に監視し、一度政変により政権党になると、その度ごとに反対党の知事は
じめ職貝を一斉に退職させた。とくに警察官には徹底していたので、警察官は反対党内閣に馘
首されると自党政権ができるまで自党有カ者に生活を支えてもらっていた。

(7)斎藤内閣後は、政友会・民政党系署長をほぼ半分ずつ混ぜて配置し、署長の下には反対党の
署僚警官を配置していたが署長と署僚警官が牽制し合うことが危惧された。
そして、当時県の警察には、実際の県警察部長の村田以外に(職務上は別府警察署長等になっ
ている)政友会系・民政党系それぞれの「警察部長」がおり、「警察部長」が三人いると言わ
れていることがわかった。各警察官は自派の「警察部長」の意向を確かめてから動くのである。

(8)札付きの政党系列の署長などをやめさせることにしたが、自派政党幹部を頼りにしてなかな
か辞表を出さず、一旦了解した知事も両党幹事長に「今度の県会はただではすまないぞ」とす
ごまれて中止を言い出した。辞職をタテに説得して了解を得、上京する知事に関係者宛ての人
事書類を託したが返事がなかつた。上京して質してみると、内務省に各政党の手が回っていて
実現できないということなので、書類を自ら内務大臣に持っていき、ようやくそれを実現した。

(9)白昼、別府市の繁華街でやくざの組員が対立する組員に襲われて死亡する事件が発生。殺さ
れたのは民政党系、襲ったのは政友会系と判明。犬養内閣期に政友会系警察に無理やり捕まっ
ている間に民政党系に縄張りを奪われたので出所後報復した仕返しであつた。しかも縄張りの
取り返しのことで民政党系の別府警察署長に会いに行く途中であった。この件から、やくざも
政友会系・民政&#35273;系に分かれており、政党を守る第一の城壁が警察、第二の城壁がやくざであ
ったことがわかった。警察は自党のやくざの犯罪は見逃し、反対派のやくざの犯罪の摘発には
力を入れていた。野党側は対抗上、与党側の犯罪を調べて隠しておき、警察が一件摘発すると
与党側の犯罪を一件持ち出すので、警察は両方を「チヤラにして見逃し」ていた。自宅前の県
道で通過料一〇銭を徴収しているやくざもいた。
(略)

(10)折から開かれた全国警察部長会議で、警保局長は「天皇陛下の警察官」という言葉を使って、
「日本の警察は政党に従属する警官ではなく、天皇陛下の政府に仕える警察官であるから、今
後警察官は真に政府の警察という本来の姿に立ち戻って出直すべきだということを強調した」。
「過去十四年間警察が政党に顎で使われ嫌な思いをしてきただけに、この言葉に全国の警察官
の士気は大いに上が」った。「警察官の稍神に大きな影響を与えた点において、この昭和十年
春の警察部長会議は、戦前の警察の歴史において非常に重要な意味を持つものであった」(以
上、『海鳴り――内務官僚村田五郎と昭和の群像』上165&#8212;91頁。なお、やくざの抗争に関しては
一部記憶違いの所もあるようだ。『大分県警察史』&#9332;755頁参照)。
―――――――――――――――――――――――――――
筒井清忠『昭和戦前期の政党政治』 ちくま新書(p272-279) 
0348名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/26(木) 17:39:41.41ID:9/A6xSyc0
「火事だ!」ってんで出動した消防隊員が、「あ、ここんちは政友会の家だから、このまま燃やしちまおう」とか、
「病人です!」ってんで往診した医者が、「ここの家は民政党か。んじゃ治療はテキトーにしてにしてやれ。
死んでくれたら民政党の票が減って儲けもんだ」みたいなことをやってたってんだから、いったいどこの未開の
国の話なんだかって思うくらいだ。

「こうした視点から見ると、「党利党略」に憂き身をやつす(と見られた)政党政治への「嫌悪
感」が「中立的」と考えられたもの(天皇・官僚・警察・軍部等)の台頭を必然化したのだと
も結論づけることが出来よう。」(p281)という筒井の発言も大いに頷けるものがあると感じる。
0350名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/28(土) 09:44:10.39ID:H3R5UuFQ0
同型の二大政党制だからダメダメなんだ。
しかし日本で政権取ろうとするとああなっちゃう。
0351名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/03/01(日) 17:01:33.35ID:PUESoWsP0
「男子の本懐」
「話せばわかる」
0352名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/03/03(火) 20:12:10.81ID:sPBMTj9E0
名言だが迷言扱いされがち>話せば分かる
御膝元の岡山県警が交通安全の標語に使ったりズレた事やってるけどw
0357名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/03/07(土) 12:00:43.97ID:3dn2bYsR0
帝人と帝銀は間違えやすさナンバーワンだな
0358名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/03/09(月) 10:20:59.77ID:cjC5MTdt0
アメリカってバカだから、平和好きの女が参政権を得れば日本は戦争をしないと考えてたらしいな
じゃあドイツはどうなんだというわけで
0359名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/03/09(月) 22:08:30.63ID:2cz9UI6s0
18歳以上に投票権が引き下げられるけど
戦前の様に段階的に男性だけにしとけよ。
0362名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/03/13(金) 00:32:54.75ID:WVOZAqi70
在郷の色んな団体はほぼ暴力団だったのが高度成長期までの日本…

業界利益、企業利益、地元利益誘導のためご都合主義の正義と権利と倫理を題目にw
0363名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/03/20(金) 19:39:09.12ID:tgnhZYHI0
国民は財閥と癒着した政党に失望し
軍部に期待したが皮肉にも軍部自体
が政党以上に財閥と癒着していたのだ
0366名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/03/28(土) 19:59:41.60ID:q8hxmNlB0
院外団の実態についての本とかないのかな?

支持基盤だった地域ボスもヤクザみたいなもんだろうし
暴力と政治は今よりずっと身近な関係だったのだろうね
0367名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/03/31(火) 01:36:24.38ID:K2QciEwS0
治安維持法の改正には
民政党は反対したのか?
0368名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/03/31(火) 01:57:00.75ID:uRCNtr9r0
>>366
自由民権運動絡みの本だと選挙の時に対立する候補者の支持者が火縄銃で銃撃戦した話とか、投票権を持った元庄屋の家に投票権を持たない自作農の人が鍬持って談判に行った話は出てたりする。

院外団というテーマでそういうのをまとめた本は知らんなぁ。
0370名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/04/14(火) 19:21:31.72ID:jozR1d290
治安維持法は普選と引き換えに必要だったしな。
アラブの春と一緒で、早すぎる民主化は害悪。
0371名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/04/18(土) 12:51:56.87ID:uPF4ksQ30
>368-369
院外団といった存在のみにテーマを絞ったものではないけど、
戦前の選挙の実相や選挙活動に関するあれこれを記述したものの一冊に、
こういう本がある。

季武嘉也『選挙違反の歴史―ウラからみた日本の一〇〇年』 吉川弘文館(歴史文化ライブラリー)

明治期の自由民権運動の流れを引いた第一回総選挙から、
明治中期の対外戦争を経て国民国家という仕組みが強固になっていく時期、
政党が力を持って政治を動かす主体的な力となっていく時期や、
その反動で政党が没落して官僚機構が前面に出てくる挙国一致内閣期など、
多様な背景や社会の変化がどのように選挙に影響していったのかを、
選挙違反の数や実態から読み解いて行こうとする内容のもの。

暴力的な政治団体の活動実態や、選挙戦を争う中での不祥事などについては、
あまりメインで取り上げられていないけど、選挙というシステムがどのように
日本人に受容されていったのか、候補者と有権者と非有権者のそれぞれの実像が
どのようなものだったのか、といった事柄を中心に取り扱っているので、
戦後憲法下での55年体制以降の選挙というものに対してしか実感を持っていない
者にとっては、なかなかに新鮮な知覚を与えてくれると思う。
0373名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/05/01(金) 11:24:37.38ID:h4WFVYfn0
ネパール地震『311』に発生・・・人工地震か!?

日本時間3時11分に発生した。地震波形が爆発型である。スパイクが2連発。
http://richardko shimizu.at.webry.info/201504/article_162.html



2015年5月11日に第2の『3・11人工地震』が計画されているという予測

世界のエリートと直接繋がりのある週刊エコノミストの表紙が気になります。
右下に11.3(3月11日)とその左横に11.5(5月11日)と書かれています。
左下の地球儀の中の日本地図が変だそうです。ふむ。近畿地方がない。
http://mizu8882.blog.fc2.com/blog-entry-457.html
0374名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/05/13(水) 02:32:03.04ID:rkengd2+0
最近イギリスの二大政党制がご臨終か、とテレビが騒いでいたな
結局たいした動きにはならなかったみたいだが

二大政党制にしてみたところで、べつに良いことばかりじゃないよな?
戦前日本の二大政党だってロクなことはなかったし
手本とされるイギリスでも国民がだいぶ飽き飽きしてることは良くわかった
0376名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/05/13(水) 21:28:08.18ID:PbR6+UFN0
敗因ってスコットランドで独立党に地盤奪われたから?
0377名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/05/19(火) 15:51:25.28ID:uHsxMec30
>>337
それは別にいいだろう
0378名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/05/23(土) 05:09:25.91ID:ZB/WNsyk0
この時代は首相が在任中に急に亡くなるというようなことが珍しくなかったが、
加藤高明も生きてれば(憲政会内閣での選挙なら)普選第一回はまた違う結果
だったんだろうなと思う
0379名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/06/09(火) 14:19:40.67ID:2rqNSDWy0
憲政会は背が高いな
0380名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/06/09(火) 19:20:36.66ID:OGmoL2ow0
>>378
そうかな?少数与党だったし。
多数を取ったのは政友会の不人気反動を利用した浜口まで待たなければならなかったし、
0381名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/07/11(土) 15:10:15.09ID:6Poh0KMn0
総理として推奏を受けるだけの人材が育てられない。
派閥争いには勝たなければならないが、、、
0382名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/07/14(火) 23:09:06.27ID:Amki+HCn0
>>188
>188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/14(日) 09:57:45.73 ID:07nRc52/0
>なってなくて総裁になる可能性があったのは、これぐらい?

>政友系:星享、横田千之助、床次竹二郎、森恪、鳩山一郎。

>民政系:桂太郎、宇垣一成、安達謙蔵、中野正剛。

昔あった書き込みをひっぱり出してしまったが
とくに満州事変の後には、政党の人材不足がひどいな。

1930年代に、軍にも政党にも受けの良い政治家は近衛くらい。
鈴木喜三郎や町田忠治では、詰みだわな。
かといって久原房之助や永井柳太郎でも、むつかしかろう。
軍から政党に入るケースが、もう少しあれば違ったのかもしれないが。
0383名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/07/14(火) 23:49:00.72ID:i25Paa2B0
宇垣が惜しいところまで行ってたけど
0384名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/07/15(水) 22:18:02.44ID:jSG+JqyC0
宇垣はたしかに惜しい。ただ宇垣本人は民政党党首の話には気乗り薄で、
政民両党の支持をうけた挙国一致内閣をやりたい希望があった。
だから昭和12年の大命降下は好機会だったが、拝辞に追い込まれたのは無念だったろう。

陸軍がノーと言えば政権もできないという前例を作った意味でも、宇垣内閣流産は一大痛恨事。
0385名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/08/03(月) 05:09:49.43ID:KxA/WNV60
今更ながら小泉博が今年亡くなった事を知った
中高年世代にはクイズグランプリの人なのかも知れんが
このスレ的には小泉策太郎の息子
0387名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/10/06(火) 16:25:46.48ID:PR5mjKnD0
政友会や民政党のような戦前の政党って党章やロゴのようなシンボルマーク的な物はあったんだろうか
ナチのハーケンクロイツ始め同時代の海外の政党にはあったワケだが
日本でも、政党とはちょっと違うが後の大政翼賛会や満州国協和会(厳密には日本じゃ無いけど)にはロゴや会章があったようだし
0388名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/10/10(土) 08:12:00.19ID:GGYtVNi10
町田忠治と江木翼はどっちがチビなんだ。?
0390名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/10/10(土) 23:12:57.72ID:BqpHbdC+0
>>389
そういう部分もあったろうけど、排斥された一番の原因は3月事件での去就だったみたいだよ。

部下の企てたクーデター計画を耳にしても、あいまいな態度ながらも焚き付けるような姿勢を見せているのに、
風向きが悪いと見るやそいつらを二階に上げてから梯子を外すような真似をしたってのが反感を買った理由っぽい。

2・26事件が収まったばかりのところだったし、派閥対立を利用しながらクーデター計画に色目を使うような
人間が出戻ってきたら纏まるものも纏まらなくなるってのが宇垣排斥に動いた連中の本音だったんじゃないかね。
0391名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/10/11(日) 12:21:12.38ID:OfX92ENv0
安達謙蔵→中野正剛、永井柳太郎
加藤高明→三木武吉
町田忠治→松村謙三、大麻唯男、野田武夫
井上準之助→一万田尚登
0392名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/10/25(日) 08:30:12.78ID:mRorDULr0
維新の党臨時党大会で執行部が選出されたことで、残留組と大阪系で二人の代表、二つの執行部が存在することに
久原派と中島派に分裂した政友会みたいだ。まあ左右に分裂した社会党に例えることも出来るけど
0393名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/11/08(日) 11:42:14.54ID:2A8/C5xZ0
維新ごとき雑魚政党は社会大衆党に例えるのすら憚られるわ
0394名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/11/30(月) 09:01:32.14ID:emFrm26/0
>>346-348
それが本当なら実に愚かだ!ああ、なんたる間抜けな有権者達よ!
肝心の政治家自身は結構両方の系統を行き来してんだぜ!完全に与野党で分かれてる訳じゃない
おバカな庶民は国会プロレスをマジに受け取ってんじゃねえよ
0395名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/12/03(木) 20:52:09.91ID:RrpjIRSnO
>>360
YES
そもそも政友会が党と名乗らなかったのは党という言葉の私的で悪いイメージを避けるためだからね。
0397名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/12/25(金) 11:41:29.43ID:XO0sd/x/0
最近の日本史近代史板は会津・南京・慰安婦ばかり
もううんざり
0398名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/12/29(火) 15:33:22.27ID:0VSwIbETO
戦前の政党政治が
話題にならないのは
GHQ史観に汚染された連中が主力だからだろう。
戦前の日本は天皇と
軍部による独裁国家で
民主主義的政治である
政党政治なぞ存在しなかった
ことにしたいのだと思う。
0399名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/01/05(火) 23:25:02.34ID:qTC57XsM0
>>393
でもさ社会大衆党って敗戦革命狙ってたんでしょ?
それってクズじゃないのかな。

維新でもおおさかの場合は社会大衆党よりは
マシだと思うけどね。
0400名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/01/23(土) 10:29:08.70ID:GNsRF7vZ0
>>399
社会大衆党は財閥を敵視するだけで天皇大権は容認している。
軍部に融和的なのは敵の敵は味方の論法でしかない。全体主義を共産主義
の擬制だと思ったから進んで翼賛体制に協力した。

社会党はここの残党が多く、冷戦後その体質がモロに出て自爆した。まさに歴史は繰り返すだ。
0401名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/02/23(火) 00:14:51.95ID:YCUnPmT60
民主が立憲民主党と改名するとか?
0402名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/02/23(火) 00:46:54.90ID:tyE+7KXV0
>>400
そういえば浅沼稲次郎は天皇崇拝者で、本来なら右翼に殺されるようなタイプではなかったというね。
0403名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/03/15(火) 23:06:32.38ID:G21CAsch0
三木武吉やる夫スレを読んでいても、三木武吉が進歩党に入党しなかった理由がよくわからん
斎藤隆夫は入党したのに
0404名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/03/28(月) 23:41:33.57ID:UGBEno0/0
>>403
鳩山との関係があったし後進歩党は松村や大麻と町田派が指揮をとってて加藤浜口派の武吉に居場所がなかったんだろう。
0406名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/04/03(日) 01:00:00.17ID:L9Y1E9vW0
@『昭和戦前期の政党政治』 筒井清忠著 ちくま新書
A『政友会と民政党』 井上寿一著 中公新書

@が第一次加藤高明内閣から犬養毅内閣までを個別に解説してるのに対して
Aは政友会と民政党の特色を党派別に解説している本だったと記憶している
0408名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/04/03(日) 10:13:16.16ID:dDLaWBwr0
             【バカウヨの政策】   竹槍訓練 神風テロ 九条破棄   【センソー儲かる】



                 【日本の金正恩】      安倍寛信      【安倍晋三の兄】

       三菱商事の核ミサイル担当重役は安倍晋三の実兄、安倍寛信 三菱重工の重役でもあるらしい
     これがフクイチで核弾頭ミサイルを製造していた疑惑がある 書けばツイッターで速攻削除されている
                 https://twitter.com/toka iamada/status/664017453324726272

   どうも日本人のレベルの低さというのは、第2次大戦において、ドイツはUFOテクノロジーを完成させていたのに、
    日本は戦艦大和で喜んでいたという感じなのです。核兵器自体が今の世界では使いものにならないのです。

  宇宙人側からの申し入れは、核の利用と戦争をやめ、宇宙人の存在を公表しなさい、60年の猶予を与えましよう。
     ロシアという大国の首相がね、あれは冗談だよでは済まないですね、しかも2回も言ってるんだからね。
                     https://www.youtube.com/watch?v=FIRXKetUkq8

     火星の人々は地球人よりも小さく、火星には実際、私たちの惑星よりも多くの人々がいます(90億人)。
  NASAは、無用な組織とされることを恐れています。マイトレーヤが公に現れるにつれて、UFOが姿を表すでしょう。



      【天才!志村どうぶつ園】   なぜハイジは動物と話せるのか?   【マイトレーヤの世界演説】

                     テレパシーによる世界演説は英国BBCが放送
                    https://www.youtube.com/watch?v=6cOvo6n7NOk

マイトレーヤが世界に向かって話をする準備は良好に進行している。この時、初めての本当の身分を明らかにされます。
   25分か35分くらいかもしれませんが、歴史上で初めて、世界的規模のテレパシーによる接触が起こるのです。
0411名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/04/10(日) 08:26:18.23ID:oY2Ex9Sb0
憲政の常道と呼ばれる時代の首班指名は全て元老西園寺公望の意思によって行われていたんですよね?
選挙による政権交代は一度もなかったわけですし。
議会制民主主義が漸く育ち始めた時期ではあるけど、
元老主権という体質は変わらなかった。
議会の弱さが軍部や官僚といった勢力の台頭を許した。
0412名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/04/10(日) 10:59:55.01ID:9NTUGKnx0
大正15年の選挙で誕生した加藤高明護憲三派内閣は選挙による政権交代だったな
次の若槻礼次郎憲政会内閣の時に若槻首相は解散総選挙に打って出ようとしたけど
例の3党妥協でやめてしまった。あの時に総選挙で政権選択していたら選挙による
政権交代がある程度定着したかもしれない
0413名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/04/10(日) 11:02:35.98ID:9NTUGKnx0
訂正

誤 大正15年の選挙
正 大正13年の選挙
0414名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/04/10(日) 11:38:09.86ID:mybBdSth0
本当はそんときに議会政治を強化するように憲法を改正するべきだったな。
0415名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/04/10(日) 15:29:51.99ID:9NTUGKnx0
若槻の妥協政治で憲政擁護の機運が沈んで既成政党は藩閥元老や財閥と結託した
腐敗イメージが定着してしまった。
以後の政党内閣は元老西園寺の顔色を伺って政争に明け暮れ、政権獲得後に実力者
(民政党の安達内相、政友会の鈴木内相)に内務省を支配させて地方官吏や警察を
総動員して総選挙を有利に戦って政権基盤を安定させるやり方が定番になり、本来の
民主主義とは程遠いものになってしまった。
0416名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/04/10(日) 18:04:48.31ID:UONmQRox0
単に妥協政治というだけでなく、若槻自身のイメージも悪かったのでは?
松島遊郭疑獄事件で取り調べを受けたほどだから。
0417名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/04/10(日) 20:01:40.35ID:VBM8oRkB0
◆在日中国人


在日中国人(ざいにちちゅうごくじん、日籍華人)は、日本に在住している中国人である。
中華人民共和国または中華民国(台湾)の国籍を有する者は華僑であり、日本国籍を
取得したものは「華人」である。なお、中華民国(台湾)の国籍者は在日台湾人と呼ばれる。
広義には中華人民共和国(香港、マカオを含む)と中華民国(台湾)国籍者を指すが、
狭義には中華人民共和国国籍者のみを指し、中華民国(台湾)国籍者は在日台湾人と
呼ばれることが多い。

独立行政法人統計センターによると、2010年12月末時点では両地域合わせて687,156人が
外国人登録されており、これは565,989人の在日韓国・朝鮮人を超える規模である[1]。
既に2007年8月に人民網が、東京では100人に1人は在日中国人であると伝えている[2]。

2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する
神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、
兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。
このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が
顕著である[3]。

なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住していると
いわれる、[要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。
0419名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/06/29(水) 15:51:48.36ID:RO9s4GjQ0
【ゲスウヨ】  ハイ、予告通り、欧米から経済崩壊、最後のトドメは、バカウヨの望む中国からの・・・ではなく、日本からの株式大暴落www(笑)  【カスウヨ】



マイト レーヤの出現のタイミング

近い将来、欧米で株式市場が破綻すれば、マイト レーヤは直ちに出て来られるでしょう。崩壊によって生じる現実感覚が、マイト レーヤが待っておられる要素の一つです。


最初になくなるのは世界の株式市場でしょう。

差し迫る株式市場の暴落は、他の人々が飢えている間にお金を儲けることの結果です。かれらは自分の財産を隠し、犯罪的雰囲気さえも創出しています。
彼らはただ座って待っているだけです。世界を餌にして生きており、何も還元しません。 来るべき株式市場の崩壊は必然的に多くの失業者を出すでしょう。


日本から始まる世界的株式市場の大暴落

ウォールストリートの大暴落(1997年)につながったプロセスが、いま日本におけるプロセスの中に写し出されており、再び株式市場の暴落につながるでしょう。
終いには政府にも支えることができなくなり、どん底に落ちていきます。日本がアメリカ国債の25%を引き出すと世界経済が破綻し、マイト レーヤは出現するでしょう。
彼は日本人ではありませんが、日本語で話すでしょう。彼は、非常に物静かなやり方で話します。彼の最初の控えめな態度に混乱してはなりません。
非常に間もなくマイト レーヤを、テレビで見るでしょう。マイト レーヤは毎日テレビに現れ、質問に答えるでしょう。彼は「匿名」で働いております。
マイト レーヤが公に現れるにつれてUFOが、とてつもない数で姿を表すでしょう。


日本国民はどう対処すればいいのか。

新しい政権は民意を反映し、適切な食糧、住宅の供給、健康管理、教育が最も重要な責任となるでしょう。そして最後に防衛です。
抑制のない成長に基づく現在の経済の終焉を見るでしょう。自由貿易はよくありません。物は需要がある場所で生産されるべきだからです。
民衆の指導者は職業的政治家ではない人々から見つかるのです。国民の意志を裏切ることは、極端な場合、自殺や殺人にまでつながります。(安倍ちゃんサヨナラ笑)
0421名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/02/17(金) 00:30:24.65ID:tpD9PFO80
立憲民進党にすれば良かった。
0424名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/11/17(金) 13:16:56.39ID:MeRT9sZ90
民政党の総務委員について詳しい論文や書籍ってありますか
0425名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/11/17(金) 20:12:56.62ID:E4uSs/rX0
立憲政友会の関係者らは満鉄関連利権をほとんど独占し、
満州で彼らはボロ儲けをしていたと言われている。
それが当事の政党政治

戦後の通説では政党政治はなにもかも良くて
軍部はなにもかも悪いと洗脳されてきた。

そのようにウソを宣伝する汚いマスゴミに
だまされてはいけない
0426名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/11/17(金) 21:52:30.25ID:0QSmIDFm0
民政党の浜口内閣は
総選挙の結果に基づくものですよね
0427名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/11/20(月) 20:08:16.78ID:vcfMulT30
>>425
民政党憎しで、政権奪回のため
軍官僚がしくんだ謀略に乗っかったのが
政友会。
統帥権干犯問題、天皇機関説問題、
軍官僚が仕組んで政友会が実行した。
0428名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/11/22(水) 21:32:12.95ID:8tJmJ7ch0
鳩山一郎は議会人のくせに議会制民主主義を葬り去った極悪人
デモクラシー国家日本が1930年以降の暗黒時代に突入する原因つくったA級戦犯
0430名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/07(日) 13:35:35.21ID:AIhf2XeR0
このスレのパート1てもう17年も前だったんだな
読み返して自分の書き込み見てこれを書いたのって24歳かぁとおっさん臭く思ってしまったわw
0432名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/11(木) 11:21:18.29ID:Df2he8ML0
>>431
当時の俺より今の君の方がまだ若いw
当時は近代史とそれ以前の板が未分化で板の様相も全然違って煽りとかも面白かったけど今はつまらんヘイトコピペばかりで退屈、邪魔でしかない

軍関係のスレも研究者の人が初学者向けの本を丁寧に紹介してくれたりネットモラル結構高い板じゃった
0433名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/27(土) 02:55:00.17ID:RCezcsRk0
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
0434名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/31(水) 12:40:39.04ID:I/Y5AjPQ0
近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

UWPG3
0435名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/07/13(金) 06:52:02.80ID:pegqJS3X0
いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

TW8
0436名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/07/28(土) 22:31:32.21ID:13i7vB670
早稲田大学って、あの当時はどんな扱いだったんですか?
やっぱり民政党員養成機関だったんですかね?
0437名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2019/08/09(金) 20:41:54.83ID:tvNNM3qk0
桜田会ってのが民政党の政務調査館の資料を引き継いでるんだな
0439名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2020/08/20(木) 00:09:42.48ID:nlLRsy2a0
戦前の人はなぜ近衛なんかに期待したり、散々グダった第一次政権後に再登板の機会が
与えられて更に酷いことになるのを許したのか?というのが疑問だった
この8年でなんとなくわかったよ(当時の世相や庶民の気持ちも実感・共感できた)
0440名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2021/06/21(月) 00:18:46.69ID:MWWbDqyc0
東大出身の官僚や官僚出身議員が主導していて
それのアンチ運動をしているのも東大ってのが病理だな
大して性能に違いはないというか大きな問題ではないが戦前も戦後も変えられない
0441名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2021/07/07(水) 03:17:53.93ID:b7K5kzJG0
今の政界は東大卒官僚系より、世襲のぼんぼん達が主導しているな
0442名無しさん@お腹いっぱい。
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2021/07/07(水) 21:58:18.28ID:UdTqHWAJ0
国賊・山本五十六と海軍の大罪

@岡田首相(海軍大将)とともに予備交渉を破綻させ
日本を海軍軍縮条約から脱退させた

Aアメリカを仮想敵国に見立てて予算を要求し、対米兵力を拡大させ
アメリカから経済制裁を受ける原因を作った。(マル3計画・マル4計画)


B自作自演の大山事件を図り日中交渉を妨害
年無差別爆撃を強行して日中戦争を計画的に勃発、泥沼化させた。
海軍は無差別爆撃によって、意図的に戦争を泥沼化させた

このの都市無差別爆撃が原因で、日本は世界を敵に回す結果を招く

C三国同盟を認める代わりに、陸軍に南進を要求(豊田海軍次官)

D日米交渉を妨害するため南部仏印進駐を強行(豊田外相)


E真珠湾をだまし討ちで攻撃するため、野村大使と結託し
偽りの外交を実施。
海軍と外務省は、アメリカだけでなく日本政府と陸軍をもあざむく。

図上演習で真珠湾奇襲は無通告でなければ失敗することが明らかになり
海軍は当初から無通告で攻撃する気だった。
0443名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2021/07/07(水) 23:31:03.23ID:7juzb7NC0
生田勇人(39)
高知市朝倉中学校卒業
恐喝と暴行、偽証、傷害により逮捕、起訴。
https://pbs.twimg.com/media/DbUOGw1VQAAqJcx.jpg:large

https://i.imgur.com/tuUldwv.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=UyNXI8usCrM
取り調べで「事実無根」と容疑を否認。
卓球所に松岡学(39)と出入りし賭け試合を被害者に強要、一回ミスったら1000円払えというルールを強要。
2万円を取ろうとした。親にチクったらただじゃ済まんぞと被害者の胸倉をつかみ2000円を脅し取り、後日腹を殴った疑い。
生田勇人の両親も被害者の親にたかっており親子でたかっていた疑惑がある。
0444名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2021/11/09(火) 03:03:37.13ID:EejXxsW20
立憲民政党と違い立憲民主党は支持されない
0445名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2021/11/18(木) 17:31:06.50ID:EW1A7zlj0
維新と国民民主が連携して、戦前の立憲民政党のようになるべき
0446名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2021/11/18(木) 23:37:41.02ID:EW1A7zlj0
立憲民主は戦前の社会大衆党のような小政党でよい
0447名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2021/11/30(火) 00:39:05.63ID:cZ75avRM0
藩閥は軍の抑え役として非常に重要だった。
藩閥が力を失ってから、張作霖爆殺事件やら満州事変、
その後テロ事件が起きて、現実的外交安全保障政策から逸脱してしまった。
0448名無しさん@お腹いっぱい。
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2021/12/08(水) 15:26:14.30ID:PiJsQiF70
育ちの悪い成り上がり野蛮人のキチガイバカ右翼とバカ左翼が英米仏に戦争しかけて
300万人の日本人が犠牲になってしまった。
良識があり正しい外交判断をしていた西園寺さんが絶対的権力を握って
育ちの悪い、野蛮人のバカウヨバカサヨ連中を全員抹殺して
新英米仏路線の臨時独裁体制で第二次大戦をのりきるべきだったな
0449名無しさん@お腹いっぱい。
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2021/12/11(土) 01:01:11.65ID:grmI581i0
現実的判断ができない、バカウヨとバカサヨはいつの時代でも不要
0450名無しさん@お腹いっぱい。
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2021/12/12(日) 16:38:47.83ID:xhhS+BPx0
昭和初期の立憲民政党政権は不況下で緊縮財政と金融引き締めをするというとんでもない
悪行をやっているな
立憲民政党政権の大失策が、軍部の怒りと買ったと考えられる
0451名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2021/12/13(月) 16:59:26.70ID:1+b/n27u0
リベラルが無能なのは昭和初期も平成も同じだったな
0452名無しさん@お腹いっぱい。
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2021/12/30(木) 18:57:30.59ID:dohz/6Z20
反米キチガイはいつの時代でも最大の悪
そういう連中は抹殺されるのもやむおえない。
0453名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/22(金) 01:00:21.28ID:0vKQk7mc0
反米キ〇ガイの某国の独裁者がまた戦争を引き起こしたな
歴史は繰り返す
0454名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/22(金) 01:02:38.01ID:0vKQk7mc0
元老の西園寺公望は欧州での第二次大戦開戦後も
英米仏に付けと断言している
そのような現実的判断ができる元老
が力を失ってから日本はおかしくなった
0455名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/22(金) 02:15:40.97ID:0vKQk7mc0
維新と国民民主とファーストの会とその他の保守系地域政党が
連携して、自民公明に対抗する勢力となるべき
反米左翼政党は小政党でよい
0456名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/23(土) 21:37:15.07ID:kdMSb4p60
台湾銀行救済勅令否決による第一次若槻政府退陣について
枢密顧問官荒井賢太郎が台湾銀行救済だけではだめで、モラトリウムをする旨に出しなおしたほうがいいとアドバイスしたが、
若槻がかえって意固地になったために否決されたというのは真実ですか?
0457名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2022/04/25(月) 04:49:32.08ID:YphRrtin0
立憲民政党と立憲民主党はよく似ているな
立憲民主政権だけは絶対に駄目
0458名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/26(火) 17:40:37.06ID:shpGEsE20
立憲民政党の大規模な軍縮政策や緊縮政策、金融引き締めが
軍部や国民の怒りを買い、満州事変以降の政権の不安定化につながった
立憲民政党の政策は酷すぎたといえる
0459名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2022/04/29(金) 02:08:53.61ID:hay9JxJW0
不況下で金融引き締めと緊縮財政を行った立憲民政党政権は最悪だった
0460名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2022/05/21(土) 01:36:47.88ID:AWCP0Ycd0
>436
庄屋の倅など金持ちのボンボンがいくところだった
0462名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/07/19(水) 14:15:29.77ID:ZoMNr4bn0
>460
戦前の大学は早稲田に限らず、裕福な家庭の子供がいくところだった。
0463名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/07/19(水) 21:36:57.50ID:ZoMNr4bn0
軍を抑えられる元老がいなくなってから、日本はおかしくなった。
0465名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/08/19(土) 16:32:08.78ID:AmL9/oPV0
>>449
まあそうだ
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