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【憲政】立憲政友会vs立憲民政党 part3【翼賛】
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/06/06(水) 05:38:02.39ID:fVsoQBOu0
戦前の政党・政党政治家などを語る
往年の名スレ復活を望む

過去スレ
立憲政友会vs立憲民政党 その2
http://logsoku.com/thread/academy3.2ch.net/history/1087734726/
立憲政友会vs立憲民政党(憲政会)
http://logsoku.com/thread/academy.2ch.net/history/1007783170/

参考(戦前政党変遷図)
http://www.geocities.jp/since7903/senzen-seitou.htm
0286名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/16(月) 18:25:07.95ID:qJDi5iUp0
そんな時の土下座外交やるぐらいの強かさがあればな。
維新直後の大久保のような柔軟性がある政治家おらんけど。

清沢洌の本読んで改めて大久保の化け物ぶりに鳥肌立ったわw
0288名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/17(火) 00:39:02.07ID:CCle2jFl0
>>282
>281がどういう書籍で勉強したのか

>>274を一読して、日露戦争と日中戦争の点と点を結んだだけで大正時代の軍縮なんか始めて知ったんだろうなということと、
>>277を読んで、その間の日本や世界の社会情勢を全く知らないから、日本で革命が起きかねないトンデモ対案を夢想しているのだろうと、
読み取れる程度。

君のネタモトの歴史教師は未だに「日本の戦後復興は朝鮮戦争特需のおかげ」とノタマウ経済音痴なのだろうと推察もできる。
0289名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/17(火) 02:04:51.69ID:pf5ZsSST0
>>281
>まじめに論じたいなら、大正の軍縮についてまともな本を一冊でも読むべきだね。

では、あなたが読んできたのであろう「まともな本」の書名を一冊でも挙げてみてくださいな。

上から目線でモノを言う以上は、それなりの本を読んできたのでしょうから。


>最初に結論ありきのうえに 荒唐無稽な対案では、青臭い書生論でしかない。

それは
<277>での、「本当なら〜するくらいのことをしなけりゃならなかった」という
部分に対しての話でしょうか?

こちらの発言を「荒唐無稽な対案」とか言っている時点でトンチンカンな批判ですね。

あくまで「本当ならこうすべきだった」という話をしているだけで、それが当時の政治状況において
取りうる手段でなかったことくらいは承知していますよ。

だから「本当なら」という枕詞をつけたのだということくらい、普通に日本語の読解力があれば
理解可能だと思うのですが。

歴史事象を考察する際には、「本当なら、満州事変において大権干犯を犯した関東軍や
朝鮮軍は罰せられるべきだった」とか、「本当なら、サイパンが陥落して制空権を失い、
日本全土が空襲をうける状態になった昭和19年の後半の時点で講和を申し出るべきだった」とか、
その当時の政治状況を考えれば採用するのが難しかった選択肢だからこそ、
「本当なら」という枕詞をつけて発言することが多いのではないでしょうか。

それを頭っから「荒唐無稽な対案」とかいって難癖をつけていたのでは話にもなりませんよ。
0290名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/17(火) 02:23:24.67ID:pf5ZsSST0
>>282
元老(候補)の不在が招いた結果が昭和期以降の軍拡を招いた
>>283
元老格にゆくゆくはなるだろう原が暗殺されたのが痛かっただろうな。

元老というのは、単に年齢を重ねた政治家というのではなく、
「維新に功績のあった政治家」という意味あいの方が強いので、
原則的には補充が出来ない存在でした。


明治憲法体制では天皇が総ての大権を総攬するというタテマエの下に、
様々な政治勢力(貴族院・枢密院・内閣・陸海軍、その他)が並列的に存在しており、
それを制度外の存在である「元老」という存在が調整したり統合したりすることで
機能するという性質を持っていたから、いずれは「元老」に代わる政治の統合主体が
必要とされていました。

西園寺はその元老に代わる統合主体を「政党政治」に求めて、議会政治の発達と政権を
担える力を持つ政党の育成に賭けていたのでしょう。
だからこそ、自分を「最後の元老」と位置付けて、元老の後継者を作ろうとはしなかった。

明治憲法体制の制度外の存在である元老が、明文化されていない政治力を行使して
国政に関与するのではなく、衆議院において多数を占めた政治集団の首領が、
他の政治勢力を統御して国家を運営するという方向に持っていこうと考え、
実際それは原内閣や浜口内閣が目指していた方向性でした。

だからこそ、暗殺・テロという手段でこれらの内閣が瓦解してしまったのを
惜しいと思ってしまうんですよね。
0291名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/17(火) 02:40:40.37ID:pf5ZsSST0
>>285
>実際テロってなると政治家もビビるわね
>でもって国は借金で首回らん

>>286
>そんな時の土下座外交やるぐらいの強かさがあればな。

ここら辺が、それなりに安定した社会で育ってきた大正〜昭和期の政治家の
弱点でしょうね。

少なくとも、幕末維新の動乱をくぐってきた元老と呼ばれる政治家たちは、
テロや暗殺を実行したり、身内の跳ね返り分子を粛清したりといった形で
自分の手を血で汚すことを厭わなかった。
そして、因果が回り回っていつかは自分も暗殺されるかもしれない
という覚悟を持ったうえで国政の舵取りを行っていた。


だからこそリスク計算には慎重だったし、無謀な戦争を仕掛けたりしないように
自省もするし、勝てない戦争をする羽目になるくらいだったら恥を忍んで
相手国に土下座するようにして戦争を回避する選択を行いえた。
日清戦争後の三国干渉などがその良い例。

昭和の政治家は、軍人もふくめて、リスク計算をしたうえで結論を出したり、
対外折衝をする上でのリアルな感覚が欠落している人間が多すぎた。
0292名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/17(火) 06:50:09.82ID:RGrZI9RF0
>>287
横田と是清が勝っていれば問題なかったのにねえ。
床次でもよかった。しかし結果は加藤で構想が崩れた。。
0294名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/17(火) 13:27:08.38ID:k8YJsALu0
>君のネタモトの歴史教師は未だに「日本の戦後復興は朝鮮戦争特需のおかげ」とノタマウ経済音痴

何だネトウヨか
大東亜戦争はアジア解放の為だったーってかw
0295名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/17(火) 13:39:57.53ID:BoyyOlfN0
原と浜口が西園寺並に長生きしてればな。
0296名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/17(火) 15:26:42.00ID:zgfxFT+T0
軍からも元老入れないと編成含む予算の調整できんかと。

大正末〜昭和初期に陸海大臣経験して総理までやったのは斉藤、田中他だれだっけ?
まあ、田中は青島の件もあってまず元老扱い受けることはないだろうけど。
0298名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/17(火) 16:08:32.54ID:1H0x2VMN0
権兵衛は能力高いのにシーメンス・虎の門両事件のせいで…
シーメンスパージを受けなければ斎藤はもう少し早く総理候補になっていたかも
0300名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/17(火) 17:40:27.45ID:BoyyOlfN0
右翼は何せそんな政治家を暗殺するんだ?
0302名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/17(火) 18:56:11.76ID:pf5ZsSST0
>>293
>西園寺が元老後継者の育成を怠ったのが悪い

>>296
>軍からも元老入れないと編成含む予算の調整できんかと。

元老ってのは「明治維新の成功に功績があった」という政治資産によって
存在していた、いわば「既得権益」みたいなものなんだから、
新しく元老を作るとか入れるとかってことは出来ないんだって。

「元老に準ずる存在」として周囲が認めるような人間が調整力を発揮する
ことがあったとしても、それはあくまで「元老」ではない。
元老の政治力は「明治維新を主導した」という過去の経歴によって生じるもの。

だから、維新の動乱が収まった後の明治や大正の政界でどれだけ実績を積もうと、
元老クラスの政治力を獲得したり、周囲が元老並みに扱うということは起こらない。

制度外の力が意味を持ったのは、あくまで彼らが「建国の英雄」みたいな扱いを
受けていたからこその話であって、建国が終わった後の能吏がどれだけ実績を
上げても、その政治力は元老には及ばない。

その元老ですら、予算の編成に毎年苦労していて、安定した予算の成立と執行が
行われた期間なんて桂園内閣期くらいのものだ。


その経験があるからこそ、衆議院という「国民の負託」を受けた議会で
多数を占めた政党の代表が政治権力を握って予算の編成や調整を行う
というルールが新しく作り出されようとしていたんだ。

実際、原内閣も浜口内閣も閣僚をきちんと統制していて陸海軍の軍縮に向けて
舵を切る政策を執っていた。

言ってみれば、時を経ることで「建国の英雄」という威光が薄れたので、
「国民からの負託」という威光が政治において意味を持ち始めた時期だった
というのが一番近い。
0303名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/17(火) 21:35:10.01ID:OQx1wVYC0
呼びかたはともかく
明治憲法下では陸海軍を抑えられる
元老的ボジションが必須だったのはたしかだ
0305名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/17(火) 23:03:13.22ID:pf5ZsSST0
>>303

原や浜口はそれを抑えられるような政策を実行に移してただろ?


――――――――――――――――――――――――
加藤友三郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E5%8F%8B%E4%B8%89%E9%83%8E
ワシントン会議

1921年(大正10年)のワシントン会議には日本首席全権委員として出席。
会議に向けて出発する際、当時の原敬首相より「国内のことは自分がまとめるから、
あなたはワシントンで思う存分やってください」との確約を得た。

(略)

米国案の五・五・三の比率受諾を決意した加藤は、海軍省宛伝言を口述し、
堀悌吉中佐(当時)に次のように筆記させている。

「国防は軍人の専有物にあらず。戦争もまた軍人にてなし得べきものにあらず。
……仮に軍備は米国に拮抗するの力ありと仮定するも、日露戦争のときのごとき少額の金では戦争はできず。
しからばその金はどこよりこれを得べしやというに、米国以外に日本の外債に応じ得る国は見当たらず。
しかしてその米国が敵であるとすれば、この途は塞がるるが故に……結論として日米戦争は不可能ということになる。
国防は国力に相応ずる武力を備うると同時に、国力を涵養し、一方外交手段により戦争を避くることが、目下の時勢において国防の本義なりと信ず。」
――――――――――――――――――――――――

こういう認識を軍人に持たせ、軍縮へと舵を切らせたことそのものが
政党政治家である原の功績だと言える。
ロンドン軍縮会議で統帥権干犯との非難を受けても条約締結へと進んだ
浜口内閣にも同じことが言える。

この二人が暗殺されさえしなければ、この方向へと導いていただろうと想像できる。

陸海軍を抑えるってのは、組織的・制度的に従属させることではなく、
その組織のトップの同意や合意を得て、組織の改革や改変を受け入れ
させることによっても達成できる。
海軍が二度の軍縮条約を受け入れたのも、陸軍の田中義一や宇垣一成が
軍縮を受け入れたのも、政党政治の成立に伴って力を持つようになった
「国民の声」というものの存在にあらがえなくなったからだ。

現実的に国家予算と相談した時にこれ以上の軍備拡大は難しいという
現実を突き付けられた陸海軍は、それに抵抗するという選択をするのが
難しい状況となった。


そうした「政党政治優位・陸海軍の劣勢」という状況をひっくり返したのが
関東軍が起こした満州事変だった。

今上天皇が「満州事変に始まるこの戦争」と今年の新年のお言葉の中で
述べたように、昭和の戦争の始まりは満州事変に端を発している。

対外的な始まりであるのと同時に、国内的な始まりでもあった。
政党政治を破壊し、既存の帝国憲法体制を捻じ曲げる軍の暴走の
始まりだったという意味で。
0309名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/18(水) 00:12:25.21ID:yLl32jhZ0
>>306
幣原外交は堅実に行われており、米英を中心とした国際協調体制の
枠組みの保持を最優先としていた。
清朝崩壊後の中国国内での革命外交が進むことにより、
対中関係が行き詰まっていただけで、
全体としてみれば上々の首尾を遂げている。

加藤内閣-第一次若槻内閣で行われていた幣原の外交施策は上手くいっていたし、
憲政会が倒れたのはもっぱら国内事情によるもので外交の失敗ではない。

またその後を受けた田中内閣時の外交施策にしても、大きな施策変更は
対中関係のみであり、米英を中心とした国際協調体制を遵守するという
姿勢自体は幣原外交と何ら変わってはいない。

そして田中内閣が倒れたのは、張作霖爆殺事件の処理の拙さを天皇に
叱責されたためという、ある意味では外交失策に拠る原因だった。

その後の浜口内閣でもロンドン海軍軍縮条約の締結などを通じて、
国際協調体制の強化を推進しており、安全保障体制を確保することで
国際的な秩序の確立を優先課題としていた。

満州事変という関東軍の謀略行為さえなければ、この外交的な枠組みは
維持されていた可能性は相応に高い。


幣原外交が失敗したわけではない。
国民を騙す形で行われた軍の暴走がまず有り、その軍の暴走を暴走とは
知らされないで国民が支持してしまったゆえに、幣原外交が退場を
余儀なくされたというのが実情だ。
0310名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/18(水) 00:21:18.57ID:yLl32jhZ0
>>307
>暴走する中堅幕僚たちをおさえられる気がしない

浜口内閣が存続していて、宇垣が陸相として省内に睨みを利かせていたなら
中堅幕僚の暴走自体が無かったろう。

中堅の暴走は、浜口へのテロによって「自分が首相になれるかも」という
野心を抱いた宇垣が三月事件というクーデター計画に色気を見せたことと、
それが未発に終わった時にだれも処分を受けなかったという前例が
中堅の軍官僚たちを増長させたからこそ起こった事態。

さらに言えば、満州事変において陸軍上層部の不拡大方針を蹴とばした
関東軍の石原や板垣といった連中の暴走を、宇垣系の南次郎陸相の更迭後に
陸相に就任した荒木貞夫らが追認したことでさらにブーストが掛かった。

その意味で、総ての発端は浜口へのテロがスタートだったといえる。
0311名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/18(水) 01:54:48.80ID:O77YYJJq0
>加藤内閣-第一次若槻内閣で行われていた幣原の外交施策は上手くいっていたし、

南京事件の顛末を見ろよ上手く行ってない
0312名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/18(水) 02:27:43.67ID:yLl32jhZ0
>>311

<309>をちゃんと読め。

>幣原外交は堅実に行われており、米英を中心とした国際協調体制の
>枠組みの保持を最優先としていた。
>清朝崩壊後の中国国内での革命外交が進むことにより、
>対中関係が行き詰まっていただけで、
>全体としてみれば上々の首尾を遂げている。

1927年の南京事件は、あくまで中国サイドの暴走の結果として日本が若干の被害を受けただけのこと。
被害を受けたのは英米をはじめとして中国に権益を持っていた西欧諸国も同じであり、
事件後はこれらの国が中国側に対して賠償請求を求めるなどの姿勢を取ることになって、
むしろ中国サイドの失点となっている。

日本はこの事件への自制的な対応を取ったことを通じて、中国側に恩を売ることになり、
権益や経済的な利得を要求しやすい外交的立ち位置を手に入れた。

その有利な立場が毀損されたのは、出先で暴走した関東軍による張作霖爆殺事件によって
醸成された排日気運による。

あんなことをせずにうまく立ち回り、中国に恩を売って市場に食い込み、経済的利益を得て
食料資源や鉱物資源等の安定した輸入の確保をしていたなら、そもそも大陸へ軍事的な侵攻を
する必要も無かった。

中国への侵攻さえなければ、米英とも協調関係を保って経済的な成長を続けることも出来ていた。
当時の日本の貿易の全体額を考えれば、対英・対米貿易こそが日本の生命線であり、
対中貿易なんて補助的なものに過ぎなかったんだから、対英米協調さえ保っていれば
日本は安泰だった。
0313名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/18(水) 11:14:48.04ID:+RuCuYW/0
多くの政治家など日本の指導部は
米英や中国国民政府と協調して反共陣営の一員として
やっていこうと考えていたのに
一部の軍人などの過激派が中国と戦争はじめて
すべてがおかしくなった
0314名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/18(水) 17:44:03.41ID:Kq8P7RCbO
対支強硬派ってのは何の目的かさっぱりわからん
結局、予算獲得、利権
出世目的にしか思えない
0316名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/19(木) 17:35:43.25ID:lvlkZy5aO
そうなんかー
トラウマン工作見ると
ソ連に行かないように
つぶしたい勢力はいたみたいだけど
0318名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/19(木) 19:37:11.12ID:xhfRk0Or0
政党政治家が腐敗しきってたから真に国を憂える軍人が行動を起こさなければならなかったのだ。
命がけで国を守る軍人には私利私欲というものがないからね。
0319名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/19(木) 19:47:24.74ID:n8MmLDIG0
その軍人に政治的外交的大局観が欠如していたのが大問題だ
政治は動機より結果が何より大切
0320名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/19(木) 20:12:11.29ID:8GPI8GeE0
清廉潔白のように思われがちの軍人も、実際には芸者遊びにうつつをぬかし、
権勢欲と名誉欲に取り憑かれた俗物だらけだったわけだが
0321名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/19(木) 20:24:56.17ID:OYL3FhTI0
昭和新興財閥からかなり高額の裏金もらって遊んだり、アヘン購入して密売させたりの資金にしてたわけでw

まあ、政治家、軍人、起業家、現地の軍閥、女衒も含めて一味だわな。
気の毒なのはそういう人達が清廉潔白だと信じちゃってた国民やら後世の偏った歴史観持った人。

そういう人向けの綺麗事ばかり並べた本がそれなりの稼ぎになるんでそれに乗っかる出版社や著者。
0322名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/19(木) 21:31:33.12ID:nro/JxZT0
清廉潔白かどうかなどどうでもいい
政治リーダーに求められるのは
正しい現状認識と政治判断だ
大局的に間違わないことが何より大切
0323名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/19(木) 21:35:54.47ID:dvqZXDsu0
>>320
こういう場合は俗者よりも清廉潔白なやつのほうがかえってヤバくなるんだよな。
ポル・ポト然り
0326名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/19(木) 23:12:13.70ID:xhfRk0Or0
星亨が私的には金銭に綺麗だった。
0329名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/20(金) 18:20:44.90ID:u2WPSpKM0
なぜ内閣総辞職すると第二党に政権が渡ったのだろう。第一党が政権を担うのを「憲政の常道」にしとけば
政局の混乱はもうちょっとマシだったんじゃないかな。
0330名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/20(金) 19:22:37.77ID:4vMNVwC80
失策をやらかして政権を投げ出した政党が政権を持ったままだと、その失策をやらかした
政党党首より、さらに党内序列で格下の政治家が政権を持つことになり、またそいつが失策をやらかすと
さらにその下の政治家が政権に、ってことになるんで、それは筋が違うでしょってことなんじゃない?

こないだの民主党みたいに鳩山がやらかして辞任して、そのあとに菅が出てきてまた辞めて、
さらにそのあとに野田が、みたいなことになるのはちょっとねぇ、ってこともあるし。


そもそも、「第一党以外には首相になる権限が無い」という原則を厳密に運用しようとすると、
山本権兵衛や加藤友三郎のような軍出身の有力政治家を首相に選ぶことが出来なくなって、
政変が起こった時の選択肢が少なくなる。

あくまで政権っていうのは「天皇が任命する政府(官僚組織)のトップ」という位置づけあって、
議会とは別のものというのが明治憲法体制の建前だから。
0332名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/21(土) 23:29:33.44ID:eUdkZke4O
本来は第二党による解散→総選挙だろうね

この前の民主党の場合は、単にトップを変えただけだから
国民側からすると厭きられて、しかも消費税みたいな選挙公約破りをやらかして
しばらくはもう立ち直りはできないんじゃないかな

第一党での首班交代の成功例は
池田→佐藤→田中→三木と、見事だけど
かつての自民党は中選挙区下の
党内での疑似連合政権と思われてたからね
あんなのは小選挙区制ではできないでしょう
0333名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/22(日) 08:02:26.73ID:ib1ZPfgn0
政権担当に議会の信任を要しなかったのは戦前政党内閣の弱点だった。
0334名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/22(日) 09:58:05.56ID:qPStZrum0
>>333
逆に、議会の信任さえあれば政権を担当出来るという制度にすることの危険性もある。

民意のみで選ばれた政権が、必ずしも最適解となる政策を選ぶかどうかは分からないわけで。

とりわけ他国との関係を取り結ぶ際に国内世論にのみ目を向けて政策の策定をしまい、
相手国との関係を損なってしまう危険性を考えれば、そう簡単に政権を政党内閣に渡すのは
如何なものかという判断が出てきてしまう。

実際、議会で多数を取った護憲三派内閣のスタート時、加藤高明を首相に任命するかどうかを
西園寺が迷った時に一番ネックとなったのが、第二次大隈内閣時に加藤が外相として行った
対華21か条要求という政策で、「ああいう対外的強硬施策を取る人間に任せて大丈夫か?」って
心配がなされたことだったし。
0336名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/23(月) 07:34:00.21ID:sdq7kDoU0
小林道彦「政党内閣の崩壊と満州事変」ミネルヴァ書房
これいいね。
0337名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/23(月) 07:36:24.75ID:sdq7kDoU0
坂野潤治もいいけど一時期、二大政党交代論から民主党に肩入れしすぎたのはお愛嬌かなw
0338名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/23(月) 07:45:20.26ID:0uSVqX9c0
晩年の西園寺は加藤高明を大久保や伊藤と並ぶ逸材と評価を逆転させている
可哀相なのが大久保伊藤加藤、一段劣るが原と評された原敬
0339名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/23(月) 10:46:48.01ID:xxPKl2hN0
>>336
大正期の政党政治の伸長と、陸軍との相克に関して調べたい人にとっては基礎文献となると思う。

陸軍について研究した人や、政党政治について研究した人はそれぞれの分野でいるだろうけど、
この両者が相互にどのような位置関係を取っていたのかを調べた人はあまりいないから。


坂野潤治がこの辺に興味を持って調べてみてくれると、また新しい知見が出てくるんじゃないかな。
もっとも、著書を読んでいると、軍に対するアレルギーが強すぎてこの分野自体を敬遠していそうだけど。
0341名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/24(火) 00:14:41.13ID:MYsta6q00
>>340
筒井の著作は昭和の時代に入ってからの軍内部の動向と政党政治の流れに関しては極めて詳細だけど、
大正期の政党政治に関しては特定のキーマンのみを掘り下げていくのに留めていて、
この時期の政党内部の角逐とかにはあまり興味がなさそうな印象。

むしろ筒井の興味の対象は近衛文麿や木戸幸一、それに西園寺-原田を加えた「宮中グループ」の
動向の方にあるんじゃないかって気がする。
0342名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/24(火) 16:35:01.21ID:2QNXO4ai0
西園寺の原嫌いは角栄の竹下嫌いに通じるものがある
要するに自分の身辺地盤を脅かしかねない人物として見ていた
0343名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/26(木) 02:35:54.55ID:e3cYhl2hO
今の自民と民主の国会での政局に
国民はうんざりしているけど当時
の民政党と政友会の争いも似た様
な物だったのかな?
0344名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/26(木) 05:44:41.56ID:F1V2yFqa0
当時は貴族院や軍や枢密院が独自の動きをしたので今よりずっとも政局が複雑。天皇も
権力はなかったものの自立的なプレーヤーだった、
0345名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/26(木) 10:55:56.50ID:w30rcxMq0
戦前や民主党を見てると日本には二大政党制は合ってないな。
0346名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/26(木) 17:28:56.73ID:9/A6xSyc0
>>343

このころの政党政治の争いは、今の自民と民主の争いどころじゃないよ。
もっと豪快にぶっ飛んでる話がゴロゴロしてる。


筒井清忠の著作の中で中に面白い話が引用されてたんで、ちょっと長くなるけども貼り付けておく。

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B地域の政党化•分栴化と中立化•統合化欲求の昂進

 次に、「党弊」と言われた政党による官僚支配の問題がある。加藤高明護憲三派内閣では、
朝鮮総督府政務監、鉄道次官、内閣拓殖局長などのポストに政党員が就く「政党員の就官」
が行われ、湯浅倉平内務次官、太田政弘警視総監、川崎卓吉内務省警保局長等、憲政会官僚
の積極登用も実施されている。

 さらに加藤高明憲政会単独内閣になると、若槻内相を座長にして設置された行政調査会の報
告として、各省局長半数を詮衡任用にするという形で「政党員の就官」が大幅に加速化するこ
とが決められている。これは、加藤首相が病気で亡くなり結局頓挫するが、実現一歩手前だっ
たのである。

 また、中でもこの問題との関わりで重要であったのは、内務省と選挙の関係の問題であった。
1928年1月の議会冒頭解散の10日ほど前に田中内閣の鈴木内相が知事•警察署長等地
方官の大更迭を実施し、これが第一回普選における政府の選挙干渉を激化させたと見られ、1
930年の第二回普通選挙の際は、解散前に今度は浜ロ民政党内閣の安達内相により二県以外
のすベての警察トップを更迭し、全国警察署長一ニ〇〇名の中約半数を異動させたと見られて
いる(水谷三公氏は、政党の内務官僚への介入の画期を田中内閣の鈴密三郎内相就任としている。
『日本の近代13 官僚の風貌』205—20頁)。

 内務省を掌握すると選挙に勝つことができるということで、内務官僚の政党による掌握とい
うのが極端に進んでいったのである。この反省から、政党内閣が倒れた後の斎藤実挙国一致内
閣では、警視総監•内務省警保局長・衆参両院書記官長などは試験任用にするという文官任用
令の改定が行われ、官吏の身分保障が強化されることになったのであった。

 しかし、事態はもっと深刻であり、この程度のことで収まるようなものではなかったようだ。
この点あまり知られていないようなので、村田五郎という内務官僚が1935年に大分県の警
察部長になって体験したすさまじい実態を紹介しておこう。

(1)村田が警察部長として赴任すると、部下から「村の駐在所のどちらを使うか」という質問が
あり驚いて質してみると、大分県には村ごとに駐在所が政友会系・民政党系と二つあることが
わかった。政権が変わるたびに片方を閉じ、もう片方を開けて使用するというのである。

(2)結婚、医者、旅館、料亭等も政友会系・民政党系と二つに分かれていた。例えば、政友会の
者は政友会の者同士で結婚し、「反対党の医者にかかれば一服盛られる恐れがある」ので「反
対党系の医者には絶対にかかろうとはしない」「家人は同じ政党系の医者に診てもらうために
八キロであれ十キロであれ、病人を戸板に乗せて運ぶ」のである。

(3)結婚等は私行上のことなのでともかくとしても、道路•土木工事のような公共事業も知事が
政友会系・民政党系と変わるたびにそれぞれに前のものを打ち切って新たに行うので、二つ行
われていた。「したがって大分県では常に同じ方向に向かって延びる、同じ幅員の道路がニ本
並行して作られることになるのであった。それが内閣が代わるごとに操り返されるのであるか
ら、いつまで経つても工事は完了しない」。

(4)消防も系列化されていた。部下が起草した出初め式の訓示に(当時、消防は警察管下)「水は
公平にかけろ」とあつたので「こんな馬鹿な文句は削れ」と言ったところ「本県の消防組員に
はこの点が特に大事で、強く注意しておく必要があるのです」とのこと。聞くと火事の時「焼
けている家が政友会の党員の家であれば、民政党の消防員は水をかけずにただ焼けるのを傍観
しているだけで」その逆も然り。「だから『水は公平にかけろ』という文句が訓示のなかでも
一番大事なところで、これを抜いたら肝心な訓示が訓示にならなくなってしまうというのであ
った」。
0347名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/02/26(木) 17:30:06.15ID:9/A6xSyc0
(5)それぞれの党の県本部の下に各市町村ごとに下部組織が整然と出来上がっていて、常に党員
の獲得と離党阻止に異常な努力が払われていた。しかも各支部の幹部は、日頃から各党員の私
生活にまで立ち入って何くれとなく世話を焼いていたので、党員の団結は頗る強固で、隅々ま
で連絡網が張りめぐらされていた。

(6)このような強力な組織をもって、双方の政党は、野党時代には政権党の内閣の知事の下での
県職員の行動を厳重に監視し、一度政変により政権党になると、その度ごとに反対党の知事は
じめ職貝を一斉に退職させた。とくに警察官には徹底していたので、警察官は反対党内閣に馘
首されると自党政権ができるまで自党有カ者に生活を支えてもらっていた。

(7)斎藤内閣後は、政友会・民政党系署長をほぼ半分ずつ混ぜて配置し、署長の下には反対党の
署僚警官を配置していたが署長と署僚警官が牽制し合うことが危惧された。
そして、当時県の警察には、実際の県警察部長の村田以外に(職務上は別府警察署長等になっ
ている)政友会系・民政党系それぞれの「警察部長」がおり、「警察部長」が三人いると言わ
れていることがわかった。各警察官は自派の「警察部長」の意向を確かめてから動くのである。

(8)札付きの政党系列の署長などをやめさせることにしたが、自派政党幹部を頼りにしてなかな
か辞表を出さず、一旦了解した知事も両党幹事長に「今度の県会はただではすまないぞ」とす
ごまれて中止を言い出した。辞職をタテに説得して了解を得、上京する知事に関係者宛ての人
事書類を託したが返事がなかつた。上京して質してみると、内務省に各政党の手が回っていて
実現できないということなので、書類を自ら内務大臣に持っていき、ようやくそれを実現した。

(9)白昼、別府市の繁華街でやくざの組員が対立する組員に襲われて死亡する事件が発生。殺さ
れたのは民政党系、襲ったのは政友会系と判明。犬養内閣期に政友会系警察に無理やり捕まっ
ている間に民政党系に縄張りを奪われたので出所後報復した仕返しであつた。しかも縄張りの
取り返しのことで民政党系の別府警察署長に会いに行く途中であった。この件から、やくざも
政友会系・民政觉系に分かれており、政党を守る第一の城壁が警察、第二の城壁がやくざであ
ったことがわかった。警察は自党のやくざの犯罪は見逃し、反対派のやくざの犯罪の摘発には
力を入れていた。野党側は対抗上、与党側の犯罪を調べて隠しておき、警察が一件摘発すると
与党側の犯罪を一件持ち出すので、警察は両方を「チヤラにして見逃し」ていた。自宅前の県
道で通過料一〇銭を徴収しているやくざもいた。
(略)

(10)折から開かれた全国警察部長会議で、警保局長は「天皇陛下の警察官」という言葉を使って、
「日本の警察は政党に従属する警官ではなく、天皇陛下の政府に仕える警察官であるから、今
後警察官は真に政府の警察という本来の姿に立ち戻って出直すべきだということを強調した」。
「過去十四年間警察が政党に顎で使われ嫌な思いをしてきただけに、この言葉に全国の警察官
の士気は大いに上が」った。「警察官の稍神に大きな影響を与えた点において、この昭和十年
春の警察部長会議は、戦前の警察の歴史において非常に重要な意味を持つものであった」(以
上、『海鳴り――内務官僚村田五郎と昭和の群像』上165—91頁。なお、やくざの抗争に関しては
一部記憶違いの所もあるようだ。『大分県警察史』⑴755頁参照)。
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筒井清忠『昭和戦前期の政党政治』 ちくま新書(p272-279) 
0348名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/26(木) 17:39:41.41ID:9/A6xSyc0
「火事だ!」ってんで出動した消防隊員が、「あ、ここんちは政友会の家だから、このまま燃やしちまおう」とか、
「病人です!」ってんで往診した医者が、「ここの家は民政党か。んじゃ治療はテキトーにしてにしてやれ。
死んでくれたら民政党の票が減って儲けもんだ」みたいなことをやってたってんだから、いったいどこの未開の
国の話なんだかって思うくらいだ。

「こうした視点から見ると、「党利党略」に憂き身をやつす(と見られた)政党政治への「嫌悪
感」が「中立的」と考えられたもの(天皇・官僚・警察・軍部等)の台頭を必然化したのだと
も結論づけることが出来よう。」(p281)という筒井の発言も大いに頷けるものがあると感じる。
0350名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/02/28(土) 09:44:10.39ID:H3R5UuFQ0
同型の二大政党制だからダメダメなんだ。
しかし日本で政権取ろうとするとああなっちゃう。
0351名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/03/01(日) 17:01:33.35ID:PUESoWsP0
「男子の本懐」
「話せばわかる」
0352名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/03/03(火) 20:12:10.81ID:sPBMTj9E0
名言だが迷言扱いされがち>話せば分かる
御膝元の岡山県警が交通安全の標語に使ったりズレた事やってるけどw
0357名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/03/07(土) 12:00:43.97ID:3dn2bYsR0
帝人と帝銀は間違えやすさナンバーワンだな
0358名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/03/09(月) 10:20:59.77ID:cjC5MTdt0
アメリカってバカだから、平和好きの女が参政権を得れば日本は戦争をしないと考えてたらしいな
じゃあドイツはどうなんだというわけで
0359名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/03/09(月) 22:08:30.63ID:2cz9UI6s0
18歳以上に投票権が引き下げられるけど
戦前の様に段階的に男性だけにしとけよ。
0362名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/03/13(金) 00:32:54.75ID:WVOZAqi70
在郷の色んな団体はほぼ暴力団だったのが高度成長期までの日本…

業界利益、企業利益、地元利益誘導のためご都合主義の正義と権利と倫理を題目にw
0363名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/03/20(金) 19:39:09.12ID:tgnhZYHI0
国民は財閥と癒着した政党に失望し
軍部に期待したが皮肉にも軍部自体
が政党以上に財閥と癒着していたのだ
0366名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/03/28(土) 19:59:41.60ID:q8hxmNlB0
院外団の実態についての本とかないのかな?

支持基盤だった地域ボスもヤクザみたいなもんだろうし
暴力と政治は今よりずっと身近な関係だったのだろうね
0367名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/03/31(火) 01:36:24.38ID:K2QciEwS0
治安維持法の改正には
民政党は反対したのか?
0368名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/03/31(火) 01:57:00.75ID:uRCNtr9r0
>>366
自由民権運動絡みの本だと選挙の時に対立する候補者の支持者が火縄銃で銃撃戦した話とか、投票権を持った元庄屋の家に投票権を持たない自作農の人が鍬持って談判に行った話は出てたりする。

院外団というテーマでそういうのをまとめた本は知らんなぁ。
0370名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/04/14(火) 19:21:31.72ID:jozR1d290
治安維持法は普選と引き換えに必要だったしな。
アラブの春と一緒で、早すぎる民主化は害悪。
0371名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/04/18(土) 12:51:56.87ID:uPF4ksQ30
>368-369
院外団といった存在のみにテーマを絞ったものではないけど、
戦前の選挙の実相や選挙活動に関するあれこれを記述したものの一冊に、
こういう本がある。

季武嘉也『選挙違反の歴史―ウラからみた日本の一〇〇年』 吉川弘文館(歴史文化ライブラリー)

明治期の自由民権運動の流れを引いた第一回総選挙から、
明治中期の対外戦争を経て国民国家という仕組みが強固になっていく時期、
政党が力を持って政治を動かす主体的な力となっていく時期や、
その反動で政党が没落して官僚機構が前面に出てくる挙国一致内閣期など、
多様な背景や社会の変化がどのように選挙に影響していったのかを、
選挙違反の数や実態から読み解いて行こうとする内容のもの。

暴力的な政治団体の活動実態や、選挙戦を争う中での不祥事などについては、
あまりメインで取り上げられていないけど、選挙というシステムがどのように
日本人に受容されていったのか、候補者と有権者と非有権者のそれぞれの実像が
どのようなものだったのか、といった事柄を中心に取り扱っているので、
戦後憲法下での55年体制以降の選挙というものに対してしか実感を持っていない
者にとっては、なかなかに新鮮な知覚を与えてくれると思う。
0373名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/05/01(金) 11:24:37.38ID:h4WFVYfn0
ネパール地震『311』に発生・・・人工地震か!?

日本時間3時11分に発生した。地震波形が爆発型である。スパイクが2連発。
http://richardko shimizu.at.webry.info/201504/article_162.html



2015年5月11日に第2の『3・11人工地震』が計画されているという予測

世界のエリートと直接繋がりのある週刊エコノミストの表紙が気になります。
右下に11.3(3月11日)とその左横に11.5(5月11日)と書かれています。
左下の地球儀の中の日本地図が変だそうです。ふむ。近畿地方がない。
http://mizu8882.blog.fc2.com/blog-entry-457.html
0374名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/05/13(水) 02:32:03.04ID:rkengd2+0
最近イギリスの二大政党制がご臨終か、とテレビが騒いでいたな
結局たいした動きにはならなかったみたいだが

二大政党制にしてみたところで、べつに良いことばかりじゃないよな?
戦前日本の二大政党だってロクなことはなかったし
手本とされるイギリスでも国民がだいぶ飽き飽きしてることは良くわかった
0376名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/05/13(水) 21:28:08.18ID:PbR6+UFN0
敗因ってスコットランドで独立党に地盤奪われたから?
0377名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/05/19(火) 15:51:25.28ID:uHsxMec30
>>337
それは別にいいだろう
0378名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/05/23(土) 05:09:25.91ID:ZB/WNsyk0
この時代は首相が在任中に急に亡くなるというようなことが珍しくなかったが、
加藤高明も生きてれば(憲政会内閣での選挙なら)普選第一回はまた違う結果
だったんだろうなと思う
0379名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/06/09(火) 14:19:40.67ID:2rqNSDWy0
憲政会は背が高いな
0380名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/06/09(火) 19:20:36.66ID:OGmoL2ow0
>>378
そうかな?少数与党だったし。
多数を取ったのは政友会の不人気反動を利用した浜口まで待たなければならなかったし、
0381名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/07/11(土) 15:10:15.09ID:6Poh0KMn0
総理として推奏を受けるだけの人材が育てられない。
派閥争いには勝たなければならないが、、、
0382名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/07/14(火) 23:09:06.27ID:Amki+HCn0
>>188
>188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/14(日) 09:57:45.73 ID:07nRc52/0
>なってなくて総裁になる可能性があったのは、これぐらい?

>政友系:星享、横田千之助、床次竹二郎、森恪、鳩山一郎。

>民政系:桂太郎、宇垣一成、安達謙蔵、中野正剛。

昔あった書き込みをひっぱり出してしまったが
とくに満州事変の後には、政党の人材不足がひどいな。

1930年代に、軍にも政党にも受けの良い政治家は近衛くらい。
鈴木喜三郎や町田忠治では、詰みだわな。
かといって久原房之助や永井柳太郎でも、むつかしかろう。
軍から政党に入るケースが、もう少しあれば違ったのかもしれないが。
0383名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/07/14(火) 23:49:00.72ID:i25Paa2B0
宇垣が惜しいところまで行ってたけど
0384名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/07/15(水) 22:18:02.44ID:jSG+JqyC0
宇垣はたしかに惜しい。ただ宇垣本人は民政党党首の話には気乗り薄で、
政民両党の支持をうけた挙国一致内閣をやりたい希望があった。
だから昭和12年の大命降下は好機会だったが、拝辞に追い込まれたのは無念だったろう。

陸軍がノーと言えば政権もできないという前例を作った意味でも、宇垣内閣流産は一大痛恨事。
0385名無しさん@お腹いっぱい。
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2015/08/03(月) 05:09:49.43ID:KxA/WNV60
今更ながら小泉博が今年亡くなった事を知った
中高年世代にはクイズグランプリの人なのかも知れんが
このスレ的には小泉策太郎の息子
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