昭和まで生きた江戸時代生まれの人物
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>>56
そういうのを踏まえると面白いよね
河本にわさんの前の長寿日本一だった梅田ミトさん(1863-1975)。
生まれたのは高杉晋作が「奇兵隊」をつくり、京都では「新撰組」が結成され、
アメリカでは奴隷解放宣言や「人民の人民による人民のための政治」とリンカーンが発言した年。
リアルで西部の荒野で保安官が銃を打ち合いしてたりインディアンを追い払っていた時代。
↓
死去したのは武田鉄也が「海援隊」で母に捧げるバラードをヒットさせた次の年、
あんたあの子のなんなのさとかつなぎ服きたバンドが世間をにぎわし、宇宙戦艦ヤマトが放映されていた時代。
アメリカだとベトナム戦争が終結し、アポロとソユーズが宇宙空間でドッキングした年。
この人、熊本市内出身ということで西南戦争の熊本攻防戦をリアルで
(満の14歳のときだから記憶もはっきり残ってるはず)体験してるんだよね。
西南戦争で燃える前の熊本城と、83年後に再建された今の熊本城の両方を見ているのはすごいw
その前の長寿日本一だったのが森本いとさん(1853-1970)
生まれたのがペリー来航の年。幕藩体制まっただ中で徳川将軍12代家慶の時代。
明治維新が1868年だからリアルで大名行列だの丁髷の刀持った武士だの飛脚だのを経験してる世代。
↓
死去したのが大阪万博の年。前年にアメリカがアポロで月へ行き、
国産初の人工衛星おおすみが打ち上げられ、新幹線高速道路も既に建設。
カー・クーラー・カラーテレビが普及しミニスカートからパンタロンがはやった時代。
「(アニメ)サザエさん」「笑点」「オールナイトニッポン」など
現在でも続いている番組がもう存在していた時代。
リアルで江戸時代を知ってる人からすれば昭和中・後期の時代劇なんてどう目に映ったんだろね。 >リアルで江戸時代を知ってる人からすれば昭和中・後期の時代劇なんてどう目に映ったんだろね
おれもすごく知りたい。
ちょっとスレちだが、実際に兵隊経験があったひとが、戦争映画のアクションをどう思ったか知りたい。
叔父がレイテの生き残り、祖父が関東軍満鉄警備隊だったが、別になにも言ってなかった。
どうでもよかったのか。 >「笑点」・・・現在でも続いている番組がもう存在している時代
ペリー来航のときに生まれリアル江戸時代を経験している人間と
スマホにパソコンにオンラインゲーム三昧の21世紀生まれの子供が
「笑点というテレビ番組に出演している落語家・桂歌丸」
という、共通の認識・実体験を持っているのはなにげに凄いことではないか? >>59
レイテの生き残りなら、ジャングルでの銃撃戦のシーンなんか、目を背けたくなるんじゃないかな。
何もしゃべる気になれないだろう。
満鉄警備隊なら激しい戦闘はなかったかもしれないが、シベリアでさぞや辛い思いをしたと思う。
やっぱり思い出したくないだろう。
あるいは、戦争映画というものは、けっこう正確に作られているのかもしれない。 http://www.pinterest.com/wingedpilgrim/1840-s-photography/
ここの住人はこういうのも好きだと思う。
日本に黒船が来る前から、ヨーロッパでは市井の人々も、あまり現代と変わらない姿で
写真を撮っていたかと思うと感慨深い。
ちなみに、重千代さんが1865年生まれでないとすれば、世界最後の江戸時代生まれは、
アメリカのファニー・トーマス(1867-1981)さんという人だと思う。 1840年代って、まだルイ・フィリップがフランス王だった時代か。
日本では水野忠邦が天保の改革やったり、遠山の金さんがお奉行さまだった時代。
そんな時代に、もうこんな写真があったなんて不思議な感じがする。 良レスの流れだ...
>>64
ダゲレオタイプは1840年以降はどんどん普及していったから、
そのルイ・フィリップも1850年に死んでるけど写真は残ってるし。
日本への本格的な写真導入・普及が遅かったのは残念。
将軍だと徳川家斉以降は写真技術に間に合ってることになるんだよね。
そういう意味で島津斉彬の銀板写真、あれはほんと奇跡的な一枚だと思う。 日本人で最初に写真に撮影されたのは、1851年で、浜田彦蔵(ジョセフヒコ)ら、
アメリカへの漂流民たちだったみたいね。
しかし、写真館ができて、庶民でもお金を払えば写真を撮影できるようになったのは1860年以降。
最後の将軍・徳川慶喜は写真好きで有名で、将軍就任前の京都時代から写真が残っているが、
徳川家茂も現存しないものの写真を撮影していたといわれる。
調査の際に、和宮のお墓から出てきた湿板写真で、大阪に出ずっぱりの家茂から、江戸城の和宮に、
西陣織などのお土産とともに届いた写真との説も。しかも届いたのは家茂の訃報のあと。
調査の際に、写真を赤外線にあてたら烏帽子姿の若い男子の像が移ったものの、
定着状況が悪く、翌日にはただのガラス板になっていたとか。
死の直前に和宮に唯一の写真を送った家茂も、その写真を墓まで持ち込んだ和宮も、
幕末の写真に関するエピソードでは、一番ロマンチックで好きなエピソードかな。
って、厳密にはスレチだね。 >>66
婚約者の有栖川宮の写真じゃないかとも言われているけどね 軍艦マーチ作曲者の瀬戸口藤吉は慶應4年6月29日生まれでギリギリ江戸時代。
没年は昭和16年11月8日で真珠湾の1か月前。
明治初期からピアノやクラリネットを学んだモダン日本の象徴。 日本以外の国ではどうかな。
辛亥革命(1911年〜1912年)とか。
清の王室は、革命以降もしばらくはずっとかつてのような、
旧態依然の生活様式を続けていたようなので、
その後の、社会の激変は日本以上に急激だったはず。
現在でも、まだ、若い頃に纏足をしていた人がお婆さんになって生きているよ。
20世紀前半の中国に生まれた人の激動はハンパないな。
あとは、台湾(20世紀初頭頃?)、ニューギニア(20世紀末頃?)
まで、首狩りの風習のあった、原住民の人達の生活の激変ぶりは
どうだろう。
ただ、むしろそういう原始的な形態を残していた人たちの方が、
近代的な生活への適応は、むしろ容易だったのかもしれないな。
ガチガチの中世封建制度の生活環境に晒されていた地域の人の方が、
社会の激変の中で感じたストレスは、相当なものであっただろう。 イシ 生涯の多くを欧米人社会から全く隔絶されて暮らした
生粋の「野生のインディアン」のひとりだった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B7 明治は慶應四年1月1日に遡っての改元だったから慶應四年生まれは明治人
江戸時代と呼べるのは慶應三年12月9日(王政復古)まで
王政復古以後の慶應三年年末は厳密には明治でも江戸時代でもないが
明治天皇の時代だから明治になるかも 河本にわ
文久3年(1863)〜昭和51年(1976)
1863 新撰組結成
1976 ゴレンジャー放映開始 若槻礼次郎(1866〜1949)大正天皇崩御時の首相。
>>75むしろ大政奉還だよ。欲を言えば太陽暦も慶応3年12月7日を明治元年元旦にすべき。だから鈴木貫太郎は違う。
本当の江戸生まれの最後の首相は平沼騏一郎だな。江戸生まれで戦後没した人、19世紀生まれで21世紀に没した人、
大正天皇崩御前に生まれていたが、天皇陛下崩御時にはまだ没してない人の方がもっとすごいだろう。 西園寺公望はあと五年生きてれば、歴史の大証人になったのに… そろそろ、明治生まれもカウントダウンぐらいかな。
さいごの明治生まれの人なんて大々的にとりあげて
ほしいけど、戸籍のいいかげんなことがこないだ
報道されちゃったしなぁ。 そのうち「22世紀まで生きた昭和生まれの人」のスレが立つ。
…22世紀や元号の概念があればだけど。 俺の家系は江戸時代に帯刀できる身分の商人で爺ちゃんは屋敷住まいだったが、戦争と創価学会に入信して没落した。
劣悪な家庭で育った母親は毒親となり、俺を育てストレスのはけ口にしやがった。
何という急落ぶり。創価恐るべし。江戸時代の末期は賭け事ばかりやる先祖がいて、かなり散財したらしいわ。 医療職をやっていて90代の高齢者と話をしているんだが、禁門の変を爺ちゃんによく聞かされていた。などと言ってるから面白い。
幕末なんて、つい最近の話なんだよな。
会話で「ついこないだ火災が遭ったでしょ?それで燃えたのよ」
何て事を言うから俺の感覚では、数年前の話でもしているのかと思ったら、長州が京都の寺社仏閣を焼き払った話だったりするから、京都の人の感性は面白いと思うわ。
90代の祖父母が江戸時代生まれがいたりするしね。 因みに90代で満州で育った人など戦時中の話もよく聞くのだけど、従軍慰安婦が存在したという話は全く聞かなくて
当時から普通に風俗店が存在していて、そこに朝鮮人が働いていたんだと。
現代のように借金して嫌々ながら働いた人もいただろうけど、日本政府や日本軍が無理矢理働かせたと言っている高齢者には未だに会ったことがない。 わしゃ、横浜で飲み屋の隣のお爺ちゃんから
「お爺ちゃんのお父さんは黒船見た」なんて話を
きかされたことがある。
ありゃ衝撃だったから子供の頃の
記憶を一生忘れずに話し続けたろうからね。
その頃の横浜の地形も知ってたから本当なんだろうな。
似たような話で、初めて岡蒸気見た、というのもたまにある。
あれだってどえりゃぁびっくりしたろうなぁ。 >>87
それは、応仁の乱、とかいうオチが有名だけど
禁門の変の時は、長州ではなく
会津が燃やした、と京雲雀は言ってた。
長州人はそれなりに大衆には人気あったのね。
ペリー以降の物価高に文句付けてくれる、という感じで。 つい最近燃えたというのが、応仁の乱。というのも実際聞いたことがある。 今の90歳が子どもの頃に90歳の老人と会ってる事を考えると面白いな。
それだけで180年か。 真珠養殖の御木本幸吉あたりが、幕末・明治維新の体験と、戦後復興を遂げつつある日本の姿とを生き身で繋いだ著名人の代表格かなと思ってる。 やっぱり医療職楽しくないわ。キチガイ患者のせいで評価落とされた。くたばって欲しい。 80才のばあさんだが、人生驚いたと言えば
初めての 水洗トイレの「轟音」にあわてて逃げ出した 明治元年(1868年)に戊辰戦争か。80歳の人が10歳の頃に当時高齢者の人に戊辰戦争の話を聞かされていたと言っていたが、計算上あり得るな。
そして今の高齢者の祖父母が江戸時代生まれも充分あり得るのか。
面白いな。 俺(四十代)の親父が子供の頃には幕末を覚えている人が
まだ結構いたかと思うと親父スゲー、昔の人じゃん 今の子ども達は長生きしたら、2100年まで生きるわけか。
大して今とは変わってはいないのだろうけど。 資源枯渇せず文明が普通に継続したとしても、今後80年で
明治10年代生まれの人が高度成長期までに遭遇したような変化を
体験することはないと思う。
逆、ヒャッハー化の激変ならあるかもw 戦争終わって70年経ったのか。俺が小さい頃は30代が戦争体験者だったとはね。 >>11
確かに
同じ100年でも1750年〜1850年とかめっちゃつまらなそう >>102
その期間だと文化文政あるから、江戸情緒を満喫するって点じゃ最強。
天明の飢饉とかあるから、つまらないってほどでもないと思うし。 明治生まれだけど
きんさん、ぎんさんって宮沢賢治より歳上だったんだな
成田きん(1892年8月1日-2000年1月23日)
蟹江ぎん(1892年8月1日-2001年2月28日)
宮澤 賢治
1896年8月27日−1933年9月21日(満37歳没) 今、火垂るの墓を書いた野坂の書籍読んでいるんだけど、内容は火垂るの墓についての懺悔したもの。
妹には実際はアニメのように優しくはしておらず両親や妹が亡くなってホッとした。などと書かれてあるんだが、
戦時中というのは1940年代なわけで、この時の高齢者は江戸時代生まれの人達なんだよな。
最期の最期にあのような死に方をするとはね。 気が付いてない人がほとんどだと思うが1965年から現在までの50年こそが
有史以来の激動期だと思う。50年で寿命が15歳延びるなど縄文どころか
人類誕生以来あり得ないことだからね。勿論医学頼みの人口寿命
この代償とてつもなく大きい計り知れない重度の病的社会へキリモミ式に落ちてゆく
遺伝子の劣化が進み老化が速くなり初潮が極端に速くなる
高齢主産不妊治療が拍車をかける。50年後国民の半数は障がい者やね 平均寿命伸びたのが有史以来の大変動?そうは思わない。 >>60さん、そんな歌丸さんが昔テレビで言ってましたが、歌丸さんがマダ子供の時に、元大奥の女中をしていた、おばあちゃんと話した事があるって、言ってましたよ。 当家(うち)の父親(おでいさん)は、先帝(昭和さん)と同い年だけど、
幼い頃の印象深い記憶と言えば、日露戦争勝利の提灯行列だと言っているぞ。
そのまた父親は、明治初頭の生まれだったけれど、俺が聞いた話の中では、
初めて正式な洋食を食した際に、無言で給仕(ボーイ)が皿を下げようとしたので、
「訳も無い!」と一喝して叱りつけたという一幕が、一等想い出深いものぢゃぞゑ。
母方の曾祖母(某大名家息女)は、輿(女乗物)に乗って入輿して来たが、母の思い出の中では
いつも床の間を背にし、香を焚いた手焙りを前に据えて端座していた姿しか印象に残らぬとのこと。
幕末維新当時の話も色々と聞いたが、とうていここには書き切れないぞ。 >>111
お父さんが昭和天皇と同じ年ってことは、おたくさんは天皇陛下と同じ世代ってこと?
スゴイねw 揚げ足だけは反応早くね?
つまらん野郎だが、「ここでは書ききれね。」とか気分が悪くなる事を最後に書くから反感もたれるのだろうな。
しかし、歌丸さんの反応ないのが寂しいわな。 アマゾン社のサイトに、
武光誠・監修の和書
『日本男色物語』
の新しくも正しいレビュウが
掲載されているぞ。
たいへん参考になるから一読の価値あり。 >>113
下郎めが!
地下にも劣る賎民風情は口を利くナッ!!!
向後、下種下賎の徒輩は一切無視するぞ!
穢多部落へ戻っておれーイッ! 最近の日本史近代史板は会津・南京・慰安婦ばかり
もううんざり 仙台市長で島野武という市長がいた。長くやっていた。死んで何者だろうと本屋で
立ち読みした。親は島野翠といい仙台藩士で17歳で額兵隊で戊辰の役を戦い日露戦争
では陸軍大佐で激戦を戦った男だった。その十何番めかの子が武市長だった。明治維新を
戦った男の子がつい最近まで市長だったことが驚きだった。 江戸から昭和など幼児死亡率を除いた当時の平均寿命で見ても誰でも到達できる
1868年から数えて55歳定年制の時代なので定年まで働けないということになる ◆在日中国人
在日中国人(ざいにちちゅうごくじん、日籍華人)は、日本に在住している中国人である。
中華人民共和国または中華民国(台湾)の国籍を有する者は華僑であり、日本国籍を
取得したものは「華人」である。なお、中華民国(台湾)の国籍者は在日台湾人と呼ばれる。
広義には中華人民共和国(香港、マカオを含む)と中華民国(台湾)国籍者を指すが、
狭義には中華人民共和国国籍者のみを指し、中華民国(台湾)国籍者は在日台湾人と
呼ばれることが多い。
独立行政法人統計センターによると、2010年12月末時点では両地域合わせて687,156人が
外国人登録されており、これは565,989人の在日韓国・朝鮮人を超える規模である[1]。
既に2007年8月に人民網が、東京では100人に1人は在日中国人であると伝えている[2]。
2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する
神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、
兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。
このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が
顕著である[3]。
なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住していると
いわれる、[要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。
日本国籍を取得した在日中国人の数は、平成12年から平成21年の10年間で4万人以上[4]である。 最期の江戸時代生まれの首相が終戦宰相鈴木貫太郎というのも何かの因果か >>88
その真実が真実として広まる日は来るのでしょうか・・・。 おじいちゃんが聞いた話 80年前
そのまたおじいちゃんが聞いた話 60年前
そのまたおじいちゃんが聞いた話 60年前
代々受け継がれていたら
簡単に200年にも遡れるわな >>75
明治改元を1868/10/23とすると、中山イサ(1868/6/15〜1977/5/25)が最後の江戸時代生まれとなるらしい。ソースはウィキペディア。
生1868年→戊辰戦争、明治維新
没1977年→コロコロコミック創刊、スターウォーズ公開 団塊だが、子どもの頃、ラジオニュースだか何だか覚えていないが、昭和27年に講和条約が発効して日本は独立国となったと聞いて驚いた憶えがある
昭和27年などほんの数年前のことだが、日本が独立国でなかったとは知らなかった
前後で世の中に何も変わりがあるように思えなかったのに >
>>57 へ〜そんな話が!
その隙の無い華麗なる剣さばきが、一番の話題になって、実は黒船の内部で語り継がれ、日本は敬遠され、白人連中も狼狽え、辟易して侵略されなかったのだとしたら…
その武士は神の仕事をしたと言えるだろうね。 だいたいこれ見よがしに銃を突き付けるヤツなんか、猟奇的趣向のサイコだったんじゃないのかな?
夜の黒船での会話】
船員A,『こいつらはちょっとヤバイかも…今迄侵略出来た連中とは何かが違うぞ…ノルマン少将の腕が切り落とされたかと思った矢先、ホント瞬きしてる間に、次の瞬間には首がボールが回転するみたいに吹っ飛んでたぜ。』
船員 B.『あんな剣術見たことねーよ!マジックだぜ!あっという間にあの嫌われもんのノルマン少将を切り刻んじまって大人しくさせちまったんだからな!』
船員C.『危ない、危ない…止めとこう、止めとこう。しかしあの侍とやら、表情も変えずに、あっという間に人をやっちまうんだからな…かなりクールなやつだったよ。アレで下級武士になる訳?』
その伊右衛門さん、そんな真似してどうなってしまわれたのか?…とても気になる。 >>121
1863年生まれとか光明天皇の時代から、山口百恵、ピンクレディーのデビューを見届けたのかよw 江戸時代から昭和時代までは59年
いまより平均寿命がみじかいとはいえ、昭和のはじめには江戸時代生まれがたくさんいた たまたま見たお宝鑑定団の長寿の回に出た95歳のおじいさんの宝が
嘉永3年(1850年)生まれの祖父から貰ったというエピソードで驚いた。
95歳で言葉も姿勢もハッキリしていてそれだけで凄いのに
江戸時代の人(それも親族に)に会っているという事実で更に衝撃だった
大政奉還で既に17歳で江戸の文化で育って確実に江戸の記憶がある人が身近にいたわけだ。
ゲストのアメリカ人のパックンが嘉永3年を1850年と即答で答えたのも驚いた。
良いもの見れた気がしたな。 >>135
パックンの凄いところは、95歳の人に対して自分から「おじいさんは何年生まれですか」って聞いてるところなんだよね
95歳が自分から「私のおじいさんは嘉永3年生まれです」って言ったわけじゃない
大正生まれのおじいさんなら江戸時代生まれの可能性は大いにある
パックンはそれに気付いて、自ら聞いて知識を披露したわけだ
頭良すぎるだろ
俺は平成一桁生まれだけど大正生まれの曾祖母とは関わりはある
それと同じように、大正〜昭和戦前生まれの人にとっても、当たり前のように江戸時代生まれの人と関わってきたんだろうな
昔は大家族が多かったし、祖父祖母と暮らしてた人も多いしな
Evaluation: Average. 今年24歳の俺も父方のひいおじいちゃんが大正9年でひいおばあちゃんが昭和2年生まれだった。
母方は祖父母の代で俺が生まれる前から既に故人だったので不明。
曾祖父母の家には記憶が合っていれば3代前の祖先の白黒の肖像画が飾ってあったのを覚えている。
幼稚園の時に
俺「あの写真の人誰?」
曾祖母「ばあちゃんのご先祖様だよ」
なんて会話したこともあった。
小学6年の時にひいおばあちゃんが亡くなって後を追うようにひいおじいちゃんが亡くなった。
今の頭脳のまま生きている頃に戻れればもっと昔の話と
江戸時代の人の話も聞けた可能性があるわけだな。
江戸って遠いような近いような不思議な時代とも言えるかな。 悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/1ntWvZ
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ 昭和28年(1953年)は
寛永通宝と現在の10円硬貨(ギザ10)が
一緒にお金として使えた年 もうすぐ平成も終わり、再来年には明治大正昭和平成??の五元号を生きた人のスレが立つのかなあ
あと親が江戸時代生まれの人って残っているんだろうか。母は難しいけど父ならまだいるかな
囲碁の藤沢秀行(1925〜2009)は父が69歳のとき生まれたって書いてあったし 2050年頃になると最後の戦前生まれは誰かって語られるんだろうな >>141
数年前に亡くなった森繁久彌の父親が江戸時代生まれだったね 昭和天皇が信頼していた
鈴木貫太郎も江戸時代生まれ。 >>142
2050年というと昭和生まれが全員還暦過ぎた頃か
「大日本帝国」に生まれた人は100歳以上
中国北東部、東南アジア、南洋に進行して
大東亜共栄圏を築き、
あのアメリカとドンパチやって本土が原爆や大空襲で焼け落ち、戦後高度経済成長とか
昭和という元号は激動過ぎてもう神話や伝説の世界みたいになってるだろうな
世界大戦と世界分断の冷戦がすっぽり入るインパクト絶大
あの昭和の時代生まれが100歳以上とは言え、
まだ存命で会話可能とか不思議な感覚だろう >>145
俺の祖父(ちな満州国出身)は107歳か
可能性はゼロではないかな
今でもグータラの寝てばかりだが
小泉純一郎の母方祖父の小泉又次郎(1865-1951/86歳没)
ヤクザのような政治家でかなり破天荒な生き様してる
西南戦争、戊辰戦争、第二次世界大戦まで体験。
純一郎が10歳の頃まで生きててインタビューで祖父のエピソードを語ったぐらい記憶があるというのが貴重で凄い。 慶応4年に生まれた人が還暦になれば昭和やないか
どこに希少性があるねん 御年98歳の祖父の曾祖母もこれまた長生きで
60年から63年(103歳)まで生きたらしいが琉球の記録ガバガバな農村で生きてたもんで怪しい
戦中は婆ながらフィリピンで開墾してて奇跡的に戦闘地域を避けながら帰国できたらしいが、兄弟その他一族全員死んでしまったらしく
以来幼少期の話はきけなかったと
まあ琉球だから日本人としての話ではないかもだが >>148
自分から数えて6代前の祖先か
そこまで家系を遡れるのも凄いな
あと1年生きてれば東京オリンピックと新幹線開通もみれたわけだ
ドラマチックだな 伊都ヨシギク(1856〜1966)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%83%BD%E3%83%A8%E3%82%B7%E3%82%AE%E3%82%AF
安政、万延、文久、元治、慶応、明治、大正、昭和と、8つの元号を経験し、110歳まで存命だったのが驚き。
110年間、世の中の激しい移り変わりを体験した事だろう。 伊都さんが生まれた1856年は、初代米国総領事のハリスが着任した年で、激動の幕末に突入したばかり。
生涯を終えた1966年は、ビートルズ来日、笑点の放送が開始され、高度成長の真っ只中。
比べ物にならないほどの変化に、伊都さんも度肝を抜いた事だろう。 鈴木 貫太郎(1868年1月18日(慶応3年12月24日) - 1948年(昭和23年)4月17日)
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Y98EH 今の90歳くらいの人なら1855年生まれくらいのリアル江戸時代生まれの生き残りの人から
直接生で話を聞いている可能性はあるよね? その90歳くらいの人からの伝聞で
何か聞いていることはないですかね?? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています