財閥の凄さについて教えてくれ
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今まで財閥についてあまり知らなかったが、wiki見ると戦前は凄かったみたいだな。
その凄さについて教えてくれ。 そりゃ、戦前は朝鮮人や中国人をただみたいな賃金で鉱山労働させて
たっかい価格で軍に売り払って莫大な利益をあげていたんだから、
社員は楽できるわなぁ。
そういう黒歴史を持ってなきゃ、余裕ある経営はできないってことよ。 八幡製鉄所を勉強しろとまではいわんから
経済の仕組みから勉強し直したらどうだ? >>15
成金をつ。
>>18
三菱鉛筆+財閥でググって! 西武グループ
堤財閥
「土日も休みがほしいという諸君はうちの会社にはいりません」 ニューディーラーは実は自国のロックフェラーとかの財閥もつぶしたかった ♪
公害なんて知らない
安全なんていらない
ただ儲かればいいよ
神様まじありがと
げと出来た奴隷を
♪ 戦前の日本はジニ係数が0.5を超えていた
蟹工船やタコ部屋労働なんて今の中国みたいじゃないか 昭和恐慌の時は資本家に対する殺人事件や暗殺事件が多発した
民間人が主催した「安倍を応援する会」で
安倍の熱烈な応援団で知られる田母神の発言
「人権救済法案が閣議決定されました
弱者が権力を握ろうとしています
国をつくってきたのは権力者と金持ち
言葉は悪いが
貧乏人はおすそ分けにあずかって生きてきた」と発言
参加者はドン引き
安倍も可笑しいけど 身内も 麻生と田母神
現代日本を代表する財閥は周防財閥です。
【松浦勝人】 バーニングの噂 80【イエローキャブ】(周防財閥のスレ)
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/uwasa/1341329182/ なにかと指弾されることが多かったせいか、避雷針にと
右翼に献金していた。
三井財閥は北一輝を支援してたんじゃなかったかな。 >>23
>>18に同意。三菱鉛筆と三菱財閥は無関係。
但し三菱鉛筆の現オーナー一族・数原家や三菱鉛筆の前身・真崎大和鉛筆の社長を輩出した近藤家は
三菱財閥の創業家・岩崎家の間接的な係累となっている。
三菱財閥の3代目総帥・岩崎久弥の長男が元三菱地所取締役の岩崎彦弥太だが、
彦弥太の三女・美智子が真崎大和鉛筆の社長を勤めた近藤賢二の外孫・高島孝之に嫁いでいる。
そして高島の姪(近藤の曾孫)が鉄鋼ビルディング・増岡組・ビル管財顧問の増岡隆一に嫁いでいるが、
増岡の従姉が三菱鉛筆の現社長・数原英一郎に嫁いでいる。
従って岩崎家は高島家を通じ近藤家と姻戚関係で結ばれる一方、
高島家・増岡家を通じて数原家とも姻戚関係で結ばれている。 日本軍の末端兵卒の生活
財閥の鉱山のたこ部屋生活
蟹工船
どこに行きたい? >>30
確かに周防郁雄は現代日本を代表する実業家だ。
>>32
>>23と>>18のレス間違ってない? 正しくは逆なのでは? 戦前の日本は共産主義を敵視していたが
これも財閥の影響か 戦後の冷戦で共産主義クローズアップされただけで、戦前の共産主義勢力は
カス同然の勢力だよ。戦前の日本が社会構造上目を配らなければいけなかったのは
生産の源であり兵士の供給源である農村だよ。
昭和の総力戦を一番妨害したのは地主勢力だよ(能動的なものではないが)。だからファシズム体制にして
農地改革を行う必要があった。 >>36
国内の共産主義じゃなくてソ連に対して
シベリア出兵ではアメリカに不信感抱かれるほど
強硬だった
松岡外相は別として /\
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/ (山口県) \
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/____/_____________________\ 旧財閥系企業に勤めていれば判るが、財閥なんてクズ同然だよ
中元歳暮のシーズンになればキリンから「協力して下さい」とギフトセット頼まれ
自分の車のエンジンがカスカス鳴ってても、同じスリーダイヤだからディーラーに
厳しく注意出来ない。こんな事だから、リコール隠しやるんだよ。
車ぶつけられたのにマリンの事故担当がこちらがグループ社員だと判ると
どうせ苦情言わないと思うんだろうな、何だかんだ言って来ないで3時間も立ち尽くしたり、
グループ内のナアナアが凄まじい。グループ内融通を本当に止めて欲しい。
馴れ合いになって、お互いのためによくない。
こんな事をしていたら、非財閥系に負けるのが当たり前。 戦前はホワイトカラーとブルーカラーの待遇格差が大きそうだな
大企業の課長クラスで今の価値で3千万とか4千万といった給料をもらっていたというはなしだから 「安倍総理は嘘つき」ポスターに“貼り紙”で逮捕
http://5.tvasahi.jp/000004173?a=news&b=nss …
←もっと大々的に報道して下さい!特に「不正選挙」の部分!
「未来の党に投票したのに....」の思いを引きずってきた数千万の人たちが、
朝日馬鹿テレビのおかげで、開眼します。今夜よりPCの前に座って「12・16不正選挙」を検索します。
ネット検索で真っ先に目に入るのは同名の書籍の情報です。書籍をすぐに買わないにしても、
ネットで情報を集めます。RK言説に触れます。数週間で、驚愕の覚醒を経験することになります。
覚醒者を一気に増やすには、テレ朝さんにはもっともっとオウンゴールしていただきたい。
その美味しいニュースを徹底的に反復してください!
http://リチャードコシミズ.at.webry.info/201304/article_161.html
ネット選挙:検閲口封じは、安倍晋太郎の秘書だった輩が運営する団体がやるそうです。
http://リチャードコシミズ.at.webry.info/201304/article_147.html
統一CIA麻薬密輸教会が半狂乱で削除しまくる「安倍晋三の統一教会祝電」動画。
消せば消すほど、世界中のサイトに有志が嬉々としてUPLOADする。
【安倍晋三】統一教会と自民党清和会の関係【福田赳夫】
http://www.dailymotion.com/video/xyj6xp_yyyy-yyyyyyyyyyyyyy-yyyy_news#.UVuusWSChUE
小泉進次郎の背後には凄まじい巨大な怨念の集積がある。
バックにいる暴力団稲川会は自民党戦後史の闇を作り出してきた。
作ったのは朝鮮人と曝露された児玉誉士夫。祖父の小泉純也も朝鮮人、
稲川会は朝鮮系暴力団だ。恐ろしい事件多数
小泉進次郎の朝鮮の血脈隠しが進んでいる。
泰道照山(曾祖父で元エスエス製薬会長)検索出来なくなっている。
小泉進次郎の父方の曾祖父(鮫島彌三衛門、小泉純也の父、
鹿児島の朝鮮部落出身、小泉純一郎の父)も検索出来なくなりました。
https://twitter.com/東海アマ 財閥関係者以外は人間じゃなく奴隷だったからな
日本軍は財閥を守るための軍隊だった 財閥の凄さがわかるのは「経団連」がなかったってことだな。
単独、もしくは、1つの財閥だけで、経団連くらいの力があったから、
徒党を組む必要がなかった。戦前は弱いから、徒党を組んでんだよ>財界
>>43
なわけないな。だって昭和の頃は、職業軍人になるのは東北の貧乏人ばっかで、
金持ち憎し思想がすごく、軍部の財閥憎しは相当なもんだったし。
226事件の主張みてみよ。 ×戦前は弱いから、徒党を組んでんだよ>財界
○戦後は弱いから、徒党を組んでんだよ>財界 >>44
>職業軍人になるのは東北の貧乏人ばっかで、
226の青年将校の期待を集めた荒木貞夫なんか東京出身だったけどな
総力戦体制のための仕組み作りのために企画院という役所を作ったら、軍部や財界が結託して
「アカ」攻撃を行って、関係者は逮捕されたし、
そんな軍部に忌避された近衛文麿は、軍部は共産主義者で、わざと敗戦に持ち込んで日本の革命を必然化しようとしてると、天皇やマッカーサーに直言してるし
戦前の日本の連中の言動を、ただそのまま素直に受け取っても、実状の理解には到らんは >226の青年将校の期待を集めた荒木貞夫なんか東京出身だったけどな
そんな例外出されてもねえ。
財閥の御曹司を二等兵でガンガン徴兵した軍部が何をいうって感じ。
ザイバツガーって言ってるがさ、軍需産業だけなんだろ。
軍需産業なんて当時の日本の財界の1割にもみたないよ。
軍部の言いなりにならない財界人はどんどん更迭してるしな。
電力国家管理法で、当時民間企業だった電力会社の経営陣で
それに反対する人間を失脚させまくったりなあ。
とにかく、軍部は自分たちの言いなりになるごく一部の財界(軍需産業)
と結託してただけで、全体の財界と仲が良かったわけじゃない。 戦中は、財閥は全然すごくない。
財閥については、戦中の社会主義から戦後の社会主義へ連続性がある。
財閥がすごかったのは、戦前だな。 意にそぐわない為政者に
刺客を依頼して葬った事
も有るんだろうか? ドル買い事件の時の政変の裏には財閥の息がかかってたとの話もあるし、帝人事件の発端となった
暴露記事を書いた武藤山治暗殺事件も背後関係不明のままだたな
古くは民権運動期に政府が板垣退助を買収する資金を三井が提供してた史料もあるし 戦前の一番の財閥は天皇だって知ってる?
三井家より何倍も金持ちだったんだよ。
「天皇財閥」って本を読んでみ。 >>51
知らんかった もっと詳しくよろ
天皇と軍閥と財閥が主導権争いをしていたのが敗戦前の日本の姿なのか? ついでに政党もだな。政党は主に財閥とつながっていたが。
政党同士も激しく対立していた。
軍部も陸軍海軍で主導権争いをして、それ以外の省庁も激しく対立していた。
陸軍なんて外務省の外交暗号解読していたからな。
天皇も天皇で皇室という一つの勢力の代表だ。
独裁者がおらず権益の代表者が意見を調整していたのが日本だ。
そしてそれは戦後も変わっておらんよ。権益者が変わっただけ。
日本人の国民性は変わらないのだから。 >>40
戦前はサラリーマンになる時点で既にエリートだったと思う
女学校卒の女子事務員も高学歴のキャリアウーマンで今のOLとは比べられないと思う >>52
皇室は特に主導権争いはしてないと思うけど。強いて言うなら国民とかな。
議会の権力、というよりは国民の政治的発言力を極小化して好き勝手できる
ようにする為に公有財産を皇室財産に編入しまくって、政府保有の株式も
ガンガン皇室に移していったんだから。戦後と違い皇室財産は全て非課税
だったので並ぶものはない。
あのままだったらそのうちに特権階級の本物の頂点が誰か知られて、戦争
がなくたってそのうち社会主義革命が起きて皇族は処刑されてただろうよ。 東京オリンピックまでに女性専用車の廃止させよう
<女性専用車両にはこんな女が生息しています>
http://www.youtube.com/watch?v=7QyHmAe2c-0&list=PLzeFCSP7xRziIIipBhtKgGQ-aCrLXq8Hi
男性を差別した悪質な女のわがままである女性専用車両をを廃止させよう >>40
まだ農家や中小自営業者が大半の時代
月給取りはステータスだった
卒業学校によって露骨に初任級が違ったらしいな 実家が児島湾に近いせいか藤田伝三郎について書き込みします。
藤田伝三郎は郷土では偉人扱いでした。小さいころの偉人史では岡山県令(高崎五六)の要請に対して国の承諾がもらえず、
やむなく高崎県令は民間企業の藤田伝三郎に「金を溝に捨ててほしい」と懇願し引き受けてもらう話を読みました。
成人してから調べてみるとこの事業は民間丸投げということもあり漁業補償は想定以上に難航したようで、
着工前にも関わらず数十万もの大金を費やされ事業が危うくなったようです。この際に岡山県や備前池田家は動かず、
無関係な長州毛利家が当時で約200万もの大金を出資してくれています。
紆余曲折を経て完成すると田を持たぬ地元民が移り住みました。
先述の偉人史では「貧しい百姓が救われてめでたし」でした。
しかし現実は後味悪いです。
ほどなく小作争議で契約を反故にされたり、農地改革で取り上げたりと
岡山のために頑張ってくれた藤田組は小作人や農水省に干拓地を取り上げられて大損をしています。 まったく縁もゆかりもない人に他力本願で干拓してもらったのに
取り上げて騙す形になって申し訳ないです。 財閥の凄さというより、今の大企業の創業当時の勤め人がすごいと思う。
工員とかも含めて。並みの勤勉さじゃない。 よお!!久し振り!!今度遊びにこいよ
ってノリで「自宅」に何人も呼んで今の金で100万単位使ったりしたとか 慎太郎・裕次郎の父親あたりが戦前のホワイトカラーなサラリーマンで、
由紀夫・邦夫のガキの頃とか財閥家の生活を微かに彷彿させる感じかな? ホワイトカラーの高待遇にたいして
ブルーカラー層は激務薄給だったようだ 三大財閥は血縁関係だろう 岩崎家と三井家と住友家は血縁関係。
「岩崎家 岩崎精一郎 住友家」
「岩崎家 三井十一家伊皿子家の三井高寛の泉」でくぐると 血筋でいえば江戸時代の天皇の男系子孫である住友の圧勝だな 旧財閥の子孫って、今どんなもん?
組織の幹部に食い込んでる? 今の東京三菱銀行の前身である三菱銀行も、元を辿れば
三菱鉛筆資金部が独立・分社してできたもの。
現在の三菱商事も、そもそもの淵源は三菱鉛筆販売部が
販路を世界に拡大するために分社化して設立された。
三菱倉庫は、三菱鉛筆が製品の鉛筆を保管しておくために
建てた一棟の倉庫がルーツとなっている。
三菱重工業も、三菱鉛筆が鉛筆製造の機械をドイツからの
輸入に頼っていたのを自社生産すべきだとなって社内に
設立した三菱鉛筆機械製作所が、他の機械の生産も手がける
ようになり、その後拡大に拡大を重ねて現在のような大企業にまで成長した。
また、日本光学(現ニコン)は三菱鉛筆が鉛筆を切断する際、より高速に
切断できるように非接触で長さを測れる測距儀を製作したのが始まりである。
三菱地所は、三菱鉛筆が将来の事業拡張に備えて確保して
おいた用地を自社で使う予定が変更になったため、ビルを
建設して賃貸に出し利益を上げようと設立した三菱鉛筆不動産部が発展したものだ。
また,三菱鉛筆は、早い段階から社員の福利厚生にも注力
していたが、特に力を入れていたのが社員の家庭を守る
ための生命保険制度で、この三菱鉛筆独特の生命保険制度が
今日の明治生命保険の母体となっていることは周知の事実であろう。
ある年の冬に倉庫が全焼して鉛筆10万本も焼失した。これを契機に損害保険業務子会社をつくり後に東京海上となった
三菱製紙は鉛筆製造時に発生する木屑を有効利用する事業として始まった。
三菱樹脂はシャープペンの芯に混ぜ込む樹脂の研究チームが独立した。
三菱マテリアル(旧三菱金属)はボールペンや消しゴム付き鉛筆に使う金属素材の調達部署であった。
三菱化学は鉛筆装着用消しをゴム開発することからスタートした。
麒麟ビールは鉛筆の芯に使用する黒鉛を製造する際の熱源として
当時使われていた麦わらの麦の有効利用のため創業された。 戦前、「大倉財閥」ってあったそうだね。
末裔はコリアンクラブで「アイゴー。」と遊ぶのが好きなのだ。
歌と酒と自動車とディスコが好きなのだ。 >71
財団の理事長だな
ttp://www.sumitomo.or.jp/ >>71
岩崎良美が結婚して一時「益田」姓だったけど、あの旦那って三井物産創業者の益田孝の玄孫の商社マンだったな
多分三井物産勤務だろうな
岩崎の方が三菱と無関係なのが悔やまれるが ヤマハの創業者は明治中期の浜松のオルガン修理技師の山葉さん。
修理だけでなく製造も行い、順調に業績は拡大していったんだが、
大正末期に当時の世相から組合に共産党が侵入し破滅的ストライキがあり
事実上の経営破綻。住友財閥から労働組合潰しの川上嘉吉が送り込まれて、
以後、川上嘉吉・源一・博の川上家3代がオーナー顔するようになった。
1982年にホンダにバイク戦争を仕掛け、完膚無きまでにホンダに敗北。
戦争を始めた「天皇」川上源一が引退、そのリゾート事業失敗などの責任追求で
川上博も1992年に事実上の追放。65年に渡る川上家による私物化時代が終了 >>71
今は個人情報保護法の関係で情報載せれない。
90年代の旧財閥系御曹司の集まりや二世議員の集まりなんかの本を見ると結構詳しく分かるんだけど。
財閥といっても三井・三菱・住友あたりの明治初年に政商だったとこは大正ぐらいで株式会社化した時に経営の一線から引いて別な路線にいってる。
今は戦後にできた巨大メーカーの創業家が…や…に資産を持って…したり実は…の黒幕…。
○○政権や○○年の選挙で大勝した○○党の○○が血縁でそのバックアップをしていたり、
アメリカの○○省のトップとつながって○○の紛争絡みで数百億ドル儲けたという話も。
怖いねえ >>71
じゃあ簡単に、
子孫の方々も相当にお金持ちみたいよ。
ウィキとかで辿れるのは数人だけど、相当の子孫がして、使用人やらじいやばあやねえやがいるような人もいる。
不動産や株もあって、豪奢な生活ができているみたいです。
三井は11家あったっけ?超名門幼稚園を西麻布で経営してたり、
バブル期に箱根の土地売って長者番付に載った人がいたり、それぞれ今でも金持ちでしょう。
住友家もすごいよ、財閥としては世界最古と言われ、現在でも住友家は続いております。
住友評議会なんつーのもまだあります。
他にも日本中にあった小規模財閥の子孫たちもお金持ちだと思うよ〜
麻生さんとこなんて九州でバリバリ事業展開してる
鳩山家も石橋家とつながるけど、石橋財閥と言われるほどの規模
石橋財団に個人に今でもタイヤメーカーの大株主で大富豪です
旧華族、財閥家同士、蜘蛛の巣のような家系図です 多くの財閥家族と旧華族は姻戚関係で強く結ばれているな >>82
昭和2年の十五銀行倒産、戦後の華族解散・農地解放・財閥解体・財産税、
平成に入ってからのバブル崩壊・金融危機・リーマンショックで
大半の財閥と華族は没落している。
ほとんどの華族や財閥の当主はリーマンや公務員をして細々と生きてる
絶えてしまった家も多い
今でも財閥当主らしい優雅な暮らしと地位を保全している家は数えるぐらい 武家公家勲功華族と財閥家じゃ資産の規模がだいぶ違うからね。
それこそ旧華族で現在でも裕福な生活をしているのはごくごく一部。
今でも有名なのは近衛、細川、尾張徳川、あと島津、水戸徳川、鍋島などかな、
お家重代の家宝を早々に財団名義にして、震災と戦後の混乱でも散逸を免れている。
ほかにも会社経営してたりね。
島津は十五銀行倒産のあおりで解雇した使用人200人といわれている。
昭和初期ごろになると富裕な公爵家でも昔のようにはいかなくなってて、とどめをうったのが華族銀行の倒産。
それでも島津は今でも会社経営していて裕福なんだな
財閥ファミリーは、そこまで詳しくないけど、結構資産家として残っているよ。
ただ戦前に比べれば資産は数百分の一規模かな、と思う。そして子孫みんなが裕福というわけでもない。
ごく一部スーパーリッチがいて、その人たちは本当に不思議なくらい表に出てこないんだよね。 旧大藩の大名華族は財閥家族並の資産を保有していた
戦後の資産課税などでかなりの財産を失ったようだが 大名華族で財閥並の資産を有していたのはそんなに多くない。前田、島津、細川、紀州徳川、蜂須賀、鍋島あたりが富裕で有名か
財閥家は明治以降、数も増え、どんどん資産は膨らみ、華族との財産差は大きくなる。
だが裕福な華族たちも大正期からは先細り、華族銀行の倒産や昭和恐慌でとどめをさされてる
公家華族なんかは資産税の対象にすらならなかった家もあったらしい
それでも一般から見れば相当な資産持ちだから広大な宅地を物納したりしているよね
1500万円以上の資産家は財産税90%課税とかで財閥家は数億クラスの資産所有だからすごいよね
天皇家は37億だけどwww 手元にある戦前の保有資産ランキングでは
旧国主クラスの大名はランキング上位に入っているな
公家華族は明治時代に受け取った債権の額が小さいので
それほど資産はもっていなかった 戦前って明治大正昭和?
昭和期にも入っているならたいしたもんだね。
前田、細川、尾張徳川あたりかな?
あとは阿部も裕福か。鍋島、山内、池田、結構あるね。
紀州と蜂須賀は没落。 昭和初めのものだよ
徳川宗家と御三家、細川島津毛利前田などがはいっている ありがとう
昭和初期か、すごいね、さすがは旧大藩大名家と御三家
どこも今でも資産家の家だ
徳川宗家の躍進もすごい
直轄領や江戸城は没収だけど、個人資産は温存を許されたのかな
それとも80万石としての金禄公債の運用がうまくいったのか
家達の代(明治)にはすでに大金持ちだったはず 神戸市の東、芦屋西宮の知的障害者施設で未成年利用者に性的な行為をして淫行条例で逮捕された三田谷学園元職員の堂垣直人(西宮市老松町)は、結局どういう罪になったの?
被害者家族のケアを芦屋市役所と兵庫県警はちゃんとやったのか?
差別や虐待は環境を選べない子供には関係ない。
http://www.youtube.com/watch?v=JxMzW3ZlV4g&sns=em >>90
>徳川宗家の躍進もすごい
明治政府には「徳川家を騙して政権を盗み取った」という後ろめたさがあった。
開港を強行に主張していたのは幕府であって、攘夷を旗印にした薩長が
天皇を利用してさんざん幕府に攘夷と横浜閉港を迫り、薩長が政権を獲るや
開港と文明開化に切換えた。幕府を倒す為の完全な騙しだった
明治初期に不平武士の騒乱が相次いだため、明治政府は徳川家達や徳川慶喜には
反政府的な事は言わないで現状に満足して静かに暮らして欲しかった。
徳川宗家や最後の将軍が不平士族の頭目に祭り上げられてしまったら
目も当てられない状況になる。
そのため政府予算から莫大な金額を、家達・慶喜に支払っていた
慶喜に払う金だけで静岡県の予算に匹敵するほどの巨額
その金で慶喜は多くの妾を蓄え子供を産ませまくり、趣味の写真や狩りなどで
遊びまくっていた。慶喜一行はよく狩りに牧ノ原台地にも行ったが
そこは幕臣達が帰農して死ぬような思いで荒野を開墾して茶畑にした土地。
幕臣達は鉄砲持って走る慶喜に土下座をしたが、慶喜は彼等に一瞥もしなかった
凄まじい大金持ちとして遊びまくっている旧主の慶喜を見て、帰農した旧幕臣達は
「貴人の情けの薄い事よ」と涙を流して悲しがった 太平洋戦争では多くの戦死者と損害があったにもかかわらず、
世界一の友好国、アメリカ
占領されたからとかチョコレートをくれたから好きになったのではない
これだけ悲惨な目にあったにもかかわらず、好きになる
とてつもないことがあった!!!それが
財閥解体
と農地解放(財閥と同種の搾取者からの解放)
今の韓国財閥をみれば、いかに国民からの搾取があるのかよくわかる
国民に戦勝国に対する恨みがないことを思えばいかにむごかったか
想像にあまりある >>94
戦後日本では一気に共産主義が盛り上がり、危機を感じたGHQが
日本の共産化を防ぐためにやったこと。アメリカの利益に繋がるから
韓国は反共が国是の国だから、逆に「反共」を隠れ蓑にして
財閥はやりたい放題 日本ではたとえGHQによる財閥解体がなくても、どっちみち財閥は自己改革せざるを得なかったからね。
財閥の「転向」策
昭和8年9月、三井合名社長高棟が引退して嗣子高公に後を譲るとともに、筆頭常務理事に三井銀行の
筆頭常務取締役だった池田成彬が就任した。この新しい高公・池田ラインが、次々と「転向」策を実施した。
第一に、三井同族を三井系企業の役員から引退させ、第二に、三井系企業の株式の一部を公開し、
第三に、財団法人三井報恩会(基金3000万円)の設立に代表される巨額の寄付を実施し、
第四に、営業第一主義と非難されていた三井物産の安川雄之助筆頭常務を解任した。
(森川英正 『日本財閥史』 教育社、1978年) >>96
それは前年に団琢磨が右翼団体に殺され、軍に睨まれている三井財閥が
軍からの嫌がらせを逸らす為に、表面的に改革している風に見せただけ
大正デモクラシー、そして昭和に入ってプロレタリア運動が起きて
いつも民衆の攻撃の的になっていたのは、当然ながら財閥だった。
民衆が「財閥解体!」を訴えても、その願いが実現する事はなかった。
さらに軍国主義の時代になり、軍は三井三菱とは犬猿の関係にあったから、
右翼に三井理事長の団琢磨が殺されたり、軍から財閥に露骨にさまざまな圧力を
かけられ存続が危うかった。しかし、そんな中でも財閥はしぶとく生き抜いた。
財閥は、殺されても死なないゴキブリのように生命力が強い連中だから
GHQの解体命令がなければ、絶対に解体なんて不可能だったろう、と
俺の爺さんが言っていたよ。韓国の財閥も、どんなに財閥の横暴が非難されても
韓国政治で解体するるのは不可能だろう >>97
戦前の日本で財閥が形成されたのは日露戦争後の財政立て直しのための増税による
社会の困窮が進んだ時期だ。1次大戦まで続いた不況の中で資本力の強い三井などが
資本力の弱い中小企業を吸収した。まさに戦前日本の政治によって財閥は形成された。
財閥の絢爛さと対局にあるのが小作農に見られる農村部の貧困だ。この貧困を自己責任と
したのが戦前の「良識」と言われる、高橋是清や斎藤隆夫だ。橘孝三郎のような右翼農業経営者
と交流した中堅軍人など戦前の精神風土前ではゴミ同然の力でしかない。そして戦時ファシズムこそが
財閥による日本経済の支配の完成形なのだからな。 東大安田講堂で知られる安田善次郎も暗殺されたんだよなあ。 財閥解体については日本政府はもちろんマッカーサーも何をしたらいいか分からなかったらしいな。
逆に農地解放のほうは日本の農水省も問題を把握していて
想像より厳しい形になったにせよ農林官僚が中心になって積極的に実施してる。 >>99
三井や三菱といった大財閥は、井上準之助のように欧米協調と均衡財政を
旨とした堅実な政治家に強い信頼を置いていたから、
軍が欲する拡大インフレ経済など当然ながら毛嫌いしていた。
満州事変が起きて関東軍が満州を占領しても、満州に行ったのは日産・日窒など
新興財閥ばかりで、三井三菱はほとんど行かなかったので軍との溝はますます開き、
戦時体制が進むと軍人が財閥工場に天下りして生産を催促し、
経理面でも軍が銀行に命じて無制限融資をするという無茶苦茶な行動に走った為、
財閥経営者と軍の亀裂は決定的になり、様々な権力争いの後、事実上財閥経営者が
経営から除外され、軍人が会社を経営するという非常事態となった。
そこまでして軍と戦い、会社を守ったのに、戦後は財閥解体という残酷な命令を
受けた為、岩崎小弥太などは憤死した。 私も財閥を絶対悪とまでは思ってないけどね。
財閥の戦争協力
財閥が「満州事変」以後の侵略戦争の張本人であるようにいう人がいる。
しかし、それはまったくの事実無根である。戦争の推進者は軍部、
とくに陸軍にほかならず、財閥は軍部に追随したにすぎない。
追随自体が悪であるであるという意見もあるが、天皇にも海軍にも
阻止できなかった陸軍の暴走を食い止める力が財閥にあろうはずがない。
いったん戦争が始まってしまえば、財閥としてはそれに順応した行動をとらざるを得ない。
財閥は、軍部の要請があり次第戦争に協力した。
膨大な軍需や占領地域の利権を活用して利益を得た。
しかし、財閥の本心は戦争の泥沼を避けることを望んでいた。
それは財閥が平和主義者であったからではない。
第一に、財閥は、資源・技術をドル・ポンド圏に頼る日本は、米、英を敵に回して勝ち目がないこと、
中国での戦争継続はその米、英との対立を不可避にすることをクールに計算していた。
第二に、財閥は、戦争の進展が経済統制や課税・出資強制の強化をもたらし、
自由企業システムとして財閥が存続し得なくなることを恐れた。
軍部や右翼団体の財閥敵視は強烈であった。
実際、昭和十八年に三井物産太原(中国)出張所の闇取引が軍律違反に問われた
山西事件では、三井物産という企業の存在が否定されようとさえしたのである。
そこまで行かなくても、昭和十三年の北支那開発、中支那振興設立の
ケースに代表されるような採算を無視した強引な出資強制が相次いだのである。
(『日本財閥史』) 人種が違いますんでね。人種が。
日本人 ← 日本人種
韓国人 ← 中央蒙古人種
北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人、フィリピン人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人 財閥の体制転換
財閥の「転向」や財閥解体をまたずとも、財閥はその本質的要因である同族的封鎖性を、
いずれは自らの手で取り除く必要に迫られたといえる。なぜならば、日本経済の成長と
それに応じた財閥の重化学工業経営の拡充は、財閥の資金需要を増大させ、ついには
同族的封鎖性の限界との衝突にいたることは必然的だったからである。
すでに第一次大戦後、三井、三菱までが、「転向」とは関係なく、傘下会社の株式の一部の
公開を開始していた。少なくとも三菱の場合、その公開は岩崎両家の資金供給力の限界との
関係で余儀なくされたものであることは明らかである。「転向」前に、傘下企業の資本の一部を
同族外からの供給に仰ぐという形で、封鎖性がやがては崩れてゆく傾向が表面化していたのである。
その後、「転向」が行われ、財閥自身が同族的封鎖性を正当な権利的慣行として主張することは
できなくなった。また、「転向」策の一環として実施した大規模な寄付と戦時経済下での税負担の重圧が
財閥同族の資本蓄積を大幅に減耗させた一方で、重化学工業の拡充のために膨大な増資資金が
必要になった。もはや、従来のような同族の富だけに依拠した封鎖的なシステムによって
多角的事業経営を続けていくことはできない。同族の封鎖的支配を犠牲にしてでも、社会的資金の
動員に適したシステムに移行しなければならなくなったのである。
こうして、各財閥の体制転換が進行した。転換は、事業会社の株式の公開だけに止まらず、
財閥本社の株式会社化と本社株式の公開にまで及んだ。 三井の場合
昭和15年、三井物産が三井合名を吸収合併し、三井財閥の本社は資本金約3億円の
三井物産株式会社に代わった。三井本社の経理がここで初めて公開された。
公開の理由は、資金的事情にあった。寄付と重税と子会社の相次ぐ増資によって、
三井合名の資金繰りは窮迫し、持株を処分してかろうじて資金を調整する状態であった。
税制面の対策としてだけでも、本社の株式会社改組が必要になった。
もちろん、それだけでなく、同族の持分に担保能力を付与するためにも、
株式公開の道を開くためにも、株式会社改組は必要であった。
ただ、三井財閥本社を合名会社から株式会社に切り替えるさい、三井合名を直接株式会社に
改組しなかったのは、そうすれば、三井合名をいったん解散することになり、その結果、
約3〜4億円の課税を受けるからである。また、傘下の事業会社と三井合名を合併させる
手段をとるにしても、なぜ、銀行や鉱山ではなく三井物産が選ばれたかというと、銀行も鉱山も
株式を公開していたからである。三井鉱山の株式の一部公開が実施されたのは、昭和13年である。
三井合名を合併して財閥本社となった三井物産の株式が公開されたのは、
合併から2年後の昭和17年であった。公開された株式は総株数の25%にあたる15万株。
公開の範囲は後述する三菱、住友より広く、14万株を三井系企業と同社員に分譲し、
残り1万株を取引所関係に文字通り公開したのである。これは同族共同所有の祖法の修正であり、
三井財閥の同族的封鎖性は大きくゆらいだ。
しかし、三井物産が貿易事業を営みながら三井財閥の本社を兼ねるというのは不自然であり、
実際に種々の不便が生じた。三井合名・物産の合併後、新しい本社設立の準備が進められ、
昭和19年、三井物産は株式会社三井本社と改称して純粋の持株会社=本社になり、
別に商事会社である三井物産が設立されるにいたった。 その他財閥の場合
三菱合資は、昭和12年に株式会社三菱社に改組された。資本金は従来通り1.2億円で、
株主も岩崎両家のメンバーに限られた。昭和15年、2.4億円に倍額増資したさい、
増資新株を公開した。そのさい、公開の対象が三菱系企業の大株主(岩崎同族を除く)と
社員・功労者に限られていたとはいえ、その数は2万人、しかも、三菱社における
岩崎同族の出資比率は50%に低下した。なお、昭和18年、三菱社は三菱本社と改称した。
住友合資も、昭和12年に株式会社住友本社に改組したが、同じ12年でも3月で、三菱の12月よりも早い。
だから、財閥本社の株式会社化は、本書の記述とは逆に、住友、三菱、三井の順で実現したことになる。
住友本社の資本金は従来通り1.5億円、株主も住友同族に限られていたが、昭和20年にいたって、
倍額増資を行ったさい、増資新株30万株中5万株を公開した。ただし、公開範囲は住友系企業、
それも銀行、信託、生命の3社に限られた。
安田保善社の株式会社改組は、戦争末期に構想されながらも実現しなかった。
金融財閥であり、社会的資金の導入が切実に必要とされていなかったことが理由として考えられる。
(『日本財閥史』) ■■■
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■■■ 藤田傳三郎の児島湾干拓事業って凄いな
一部は農林省や農地開発営団が継承しているとはいえ、国や県が税金ですべきことを民間企業に押し付けて
農地改革までに完成していた900ヘクタール以上を奪って入植者に与えるとは >>109
その藤田財閥から久原財閥が生まれ、さらに久原房之助の義兄にあたる
鮎川義介が久原の事業を受け継ぎ、日産を興した。 久原房之助は昭和になると超国粋主義政治家になり
226事件の黒幕になったり、日本を軍国主義の奈落へ突き落として
滅亡させた主犯の一人になっちまったけどな。
鮎川義介も同じく「満州ゴロ」になって、軍に利用された
韓国と一緒で、財閥当主なんて自分を「神」と勘違いしているバカも多いよ 新興コンツェルンは財閥ではない。日本産業コンツェルンは、崩壊寸前の久原財閥を
久原房之助の年下の義兄である鮎川義介が引き継ぎ、東京藤田、貝島、田村等の
親族の資金協力を得て再建した企業集団だから、財閥色豊かであった。
しかし、昭和3年、鮎川の手で、鉱業部門を新会社日本鉱業に分離した後、
持株会社に転換した久原鉱業=新社名日本産業は公開持株会社であり、
既成財閥のような同族的封鎖性を欠いていた。昭和3年当時、鮎川と親族の持株比率は約40%、
12年ごろにはそれが約5%に低下している。まして、日産以外の新興コンツェルン、
日本窒素肥料(社長野口遵)、日本曹達(社長中野友禮)、昭和電工(社長森矗昶)、
理化学興業(会長大河内正敏)、中島飛行機(創業者中島知久平)を中心とする、
主として重化学工業分野の企業集団群は明らかに財閥ではなかった。
新興コンツェルンは森以外のリーダーが技術者であり、技術的情熱をもって
新しい重化学工業分野にリスクをおかして進出する姿勢が強烈であった。
その点が保守的様相をぬぐえぬ既成財閥にあきたらなさを感じていた軍部・革新官僚に評価され、
その支持を得つつ、財閥のライバルとして急成長をとげた。森は技術者ではないが、
政党政治家として軍部・官僚との間にコネクションを保った。中島も同時に政治家であった。
長期的に見れば、新興コンツェルンは金融力を有する巨大財閥の敵ではなかった。
新興コンツェルンはとくに日本興業銀行からの融資に依存していたが、
経済統制が強化され始めた昭和15年ごろ以降、それまでの積極政策の行き詰まりから
経営悪化し、興銀の支配下に移るものも現れた。
(『日本財閥史』) 見事に水俣病関係者ばかりで驚いた
日本窒素肥料=水俣病
昭和電工=第二水俣病
日本曹達コンツェルンと第三水俣病を起こした日本曹達工業(トクヤマ・東ソー)は関係ある? かねてから、私は日本財閥史があまりにもゆがんだ政治やイデオロギーのフィルターを通して
見られている事実を何とかしなければと思っていた。小学6年生の息子に社会科の参考書を見せてもらったら、
「財閥は、国民の生活難をよそに、政党と結びついて、自分たちの利益ばかりを考えていました」と書いてある。
こういうゆがんだ財閥イメージが、日本国民に対し、子供の時から植えつけられているのである。これでは困る。
私は、財閥に対する身びいきでこういうことをいっているのではない。そもそも身びいきしなければならぬ
義理などない。ただ、歴史を学ぶ者として、歴史的事実がゆがめて伝えられることを黙認できないだけである。
同じことは、戦前日本の社会・労働運動をすべて共産主義者の策動から説明する「歴史観」についてもいえる。
自分の政治的立場が革新だから財閥イメージのゆがみを黙認し、保守派だから社会・労働運動イメージの
ゆがみを黙認するというような歴史家は、歴史家として一番大切な資格要件に欠けている、といわざるを得ない。
(『日本財閥史』) 学界の一部には財閥解体後も日本財閥は不死鳥のごとく生き続けたとか、
それは今日においても生きているとかいう意見を吐く人もいる。
しかし、財閥は財閥解体措置によって消滅したと見るのが妥当であろう。
なぜならば、財閥とはたんなる多角的事業経営体ではない。
富豪の同族が封鎖的に支配するそれでなければならない。
ところが、そのような富豪同族の封鎖的事業支配は、
財閥解体によって徹底的打撃を受けた。
今日、三菱グループ、住友グループというように、
旧財閥系大企業が集団を形成しているけれども、それは財閥ではない。
財閥とはあくまでも敗戦までの存在であることを確認しておいていただきたい。
さて、戦前日本の所得分布は、今日に比べていちじるしく不均等であった。
巨額な富を集中した財閥の同族・経営者層と低所得勤労者層との間には、
当然社会的摩擦が生じたであろう。また、巨大産業組織である財閥が、
今日の大企業がそうであるように、産業活動を通じて公共の利益を侵害し
社会的批判を招いたことも少なくなかったであろう。
しかし、そのような事実を認めることから飛躍して、
財閥を「民衆の敵」「侵略戦争の元凶」と
頭から決めてかかるようなことがあってはならない。
歴史学に政治的予断やイデオロギー的偏見を持ち込む愚もさることながら、
そのようなかたよった見方では、日本近代史において
財閥が果たした役割を見失ってしまうからである。
(『日本財閥史』) 人種が違いますんでね。人種が。
日本人 ← 日本人種
韓国人 ← 中央蒙古人種
北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人、フィリピン人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人 利用と被利用
政治と財閥の「癒着」という場合、とかく財閥が政府を利用する側面だけが
注目されがちである。たしかに、軍官需や航海・造船奨励法のように、
財閥が政府の施策の恩恵に浴したケースは少なくない。しかし、見落としてはならないのは、
巨大な資力を擁するがゆえに、財閥が政府の施策の補助者として利用され、
それも往々にして採算ベースを度外視した協力を求められることになった事実である。 最も典型的なケースとして、明治37年、安田家が政府・日本銀行の懇請を受けて、
大阪の百三十銀行の整理に協力した件を挙げることができる。同行は、
関西貿易、日本紡績を兼営し、大阪紡績、阪堺鉄道、朝日麦酒等に大株主として
出資参加している関西の小財閥松本重太郎の機関銀行であった。その破綻は
松本財閥の崩壊を意味していたので、松本重太郎頭取は、政府・日本銀行の救済を依頼した。
政府・日銀は、松本の養子松蔵の実父である枢密顧問官の松方正義の斡旋もあったうえ、
百三十銀行と松本財閥の破綻によって金融混乱が生じ、日露戦争中の国民生活を不安に
おとしいれることを恐れて次々救済措置を講じた。安田善次郎は、6月、松本の依頼を受けて、
百三十銀行の内容の調査を条件に援助に応じる旨内諾するが、松本の背後には松方、桂首相、
曾根蔵相、松尾日銀総裁がいて、善次郎の監督による経営整理を期待した。
しかし、百三十銀行が帳簿を提出せず、一方的に休業を発表するなどして
調査が不可能であったため、これを不満とした善次郎は、首相・蔵相・日銀総裁に
整理の見込みが立たないと報告し、救済への協力を拒否した。
ところが、元老井上馨、首相、蔵相の3人から「半ば強制的と思われるような懇請」を受け、
善次郎が軍用金として100万円を献納するから、救済だけはごめんこうむりたいと
謝絶すると、桂首相は「畏きあたりの仰せである」と、天皇の意思まで持ち出して、
善次郎を承服させてしまったのである。
政府首脳は、安田に協力を強要するとともに、国庫金600万円を安田善次郎に
保証人として百三十銀行に貸付け、また、この貸付の実行が遅れた間、
日本銀行が300万円を安田善次郎を通じ立替え貸付ける措置を講じた。
ところが後日、財閥の歓心を買うために桂首相が国家の財を私したとか、
安田が日銀からの低利借入金300万円を百三十銀行に高利で貸出したなどの
事実無根の非難が浴びせられることになった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています