松菊木戸孝允(桂小五郎)について語ろう14
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骨董品好き、植木好き、世話好き殿好き恩師好き。
そんな木戸について引き続き語っちゃげて。
前スレ
松菊木戸孝允(桂小五郎)について語ろう13
http://c.2ch.net/test/-/history2/1313213894/
・sage推奨。荒らし、コピペ、脱糞君、age君は華麗にスルー。
・幕末明治に関する小説、TVやドラマの話題もOK。
・木戸周辺の人たちの話題も歓迎。
・ここ見て木戸が気になった人は松菊木戸公傳・木戸孝允日記・木戸孝允文書・木戸孝允遺文集・木戸孝允関係文書などを読んでみよう。
大きな図書館には大抵あるよ! >>747
木戸はタイムスリップした現代人
みたいなSFやったら面白そうだ 桂小五郎「いかん……、何度タイムスリップしても志士たちが池田屋で宴会を始めてしまう!」 やはり、そうなるか
何回もそこらへんへ飛んで来そうだな 大事なことに気がついた
「ただの現代人」では駄目だということだ あの時代の武士として文武備えながら
未来的な思考も持っていることが重要だからね
当たり前のように今の平和ボケに浸っているような人類ではダメだろう
やはり特殊な人だ 桂小五郎の最大の功績は大村益次郎を取り立てたことだと思っている自分は間違いですか?甘ちゃんですか? >>755
それも一つですね
他にもいろいろあると思いますが 五箇条の御誓文で、「列侯会議ヲ興シ」を「廣ク會議ヲ興シ」に変えたことだと思う >>757
それも大事ですね
他にもいろいろあると思いますが 個人的には漸次立憲政体樹立詔も凄いと思ってる。
民権運動を予測した上で漸新を主張する見識も偉いんだけど、どさくさに
紛れて詔として形に残しておく手腕も好きだ
起草したの伊藤だけど、当時の伊藤はあまりわかってないよね イメージ的には教育の人ですかね
近代的な教育を日本に広めるのに尽力したというような
昔授業で聞いた時は勉強や学校がそれほど楽しくなかったのであまり感銘を受けることもなく軽く聞き流していたけど
今考えると大事なことだったんだなあと感じます >>759>>760
それもとても大事ですね
本当にいろいろある人ですね 大久保と木戸はずっと前にも言ったけど天皇の家庭訪問が木戸のが先だから木戸の方が上。
これは絶対。 >>759
>立憲体制の詔
このへんは成り立ちのドラマっぽさも含めて
日本史の面白いところだとわかりました >763
あれは木戸慰留の手段だからと思ってたけど、実際のところどうなんだろう
あと、内閣顧問と参議だと一応顧問の方が上じゃなかったっけ?
もともと久光公引き留め用にこしらえた名誉職だし >>765
当時に書かれたものに偉い人の名が並んでる場合、大久保が木戸より前に書かれているのは見たことないと思う。
そういうのって今の宴会時の偉い人の座る順みたいなもんで、鉄板じゃないか?
薩摩で木戸の位置に匹敵するのは小松だったというのと、木戸が生きてる時代は西郷も生きてたし三郎公もいる。
大久保が薩摩を代表して一番前に出て行ける状況ではない。
そこから言っても木戸より前には数えられない位置だったと自分は思う。長州は木戸より上はいない。
実際に仕事をしてるのは大久保が一番だけど。
ただ、本人同士では大久保の方が年が上だし、お互いに敬ってる間柄だし、どっちもそんなことの上下に囚われるような二流の人間ではないよ。 >>734-735のエピソードとか見るに
木戸には新しい政府の上に立つだけの存在感があると思われていたのは確かなのではないでしょうか
それは容姿だったり外交の姿勢だったりしたのかもしれませんが
西郷や大久保にとってもそう思わせるだけのものはあったのだろうと 木戸さんのお墓がある霊山護国神社が
無性に恋しくなることがあります 憲政記念館にて
企画展示「明治国家建設の立役者」
(開催期間 平成28年7月1日(金)〜平成28年10月中旬まで)
これは行ってみるべきですかね?
>>769
展示の説明文が微妙らしいけど、見に行こうとは思っている。
「近代日本の夜明け幕末維新遺墨展」(取手市取手ウェルネスプラザ)が
7月21日(木)までなのだが、可能ならこちらに行くのもお勧めする。 >>770
情報ありがとう
これは何が出てるのかうまくわかんなかったけど
個人のコレクションが多いみたい?
だとしたら見た方がいいよね。次いつ見られるかわからんし。
大洗の田中光顕の博物館?みたいなとこのかと思ったけど違うっぽい >>770
貴重な情報サンクス
でも公開期間短い…遠いし今回はこれは行けないですね
延長か、またどこかでやるかしてくれないかなあ 備忘録代わりに幕末・明治期あたりの展示を都内ですが(木戸さんの史料が無いのもあるかもしれませんが)
明治神宮 文化館宝物展示室
「明治の到来 ―明治天皇と近代化への道のり―」展
7月2日(土)〜9月25日(日)
ttp://www.meijijingu.or.jp/homotsuden/index.html
外交史料館別館展示室
特別展示「幕末へのいざない」
第1部(平成28年7月7日から9月30日まで):「黒船・開国・激動の幕末」
第2部(10月11日から12月27日まで):「西洋との出会い〜幕末うぉーく〜」
ttp://www.mofa.go.jp/mofaj/ms/da/page24_000679.html
JCIIフォトサロン
―幕末・明治の肖像写真―「海を渡った侍たち」
2016年8月2日(火)〜8月28日(日)
ttp://www.jcii-cameramuseum.jp/photosalon/photo-exhibition/2016/20160802.html
旧多摩聖蹟記念館
常設展「薩長同盟の時代−志士たちの墨跡から迫る−」
7月23日(土曜)〜10月10日(月曜・祝日)
ttp://www.city.tama.lg.jp/bunka/46/6247/023773.html >>773
ありがとうございます
遠征するとなると全部は無理で目標をしぼらないとだけど
どれが木戸さんを拝めるのかな >>776
自分が行ったのは明治神宮だけですが、木戸さんのは書が1点でしたが、幸一さんの展示もありました。
土曜日だったので宝物殿の方も見て、明治神宮内の庭園を巡ると全部で数時間かかりました。
JCIIフォトサロンと旧多摩聖蹟記念館は一応チラシや宣伝文中に名前があるので
何かしらの展示はあるかと思います。聖蹟はバスの時間とかチェックした方が良いかも。
外交史料館は平日のみだし、第1部は木戸さんのは余り期待でき無さそうですが、
>>769にある憲政記念館とは公共交通機関で20分程度、徒歩でも30分程度の
位置関係にあるので、掛け持ちはしやすいかと思います。どっちも入場無料だし。
参考になるかはわかりませんが。 >>777
おお、貴重な情報をありがとうございます 山口では何かやってないのかな
県立博物館は復活したみたいだけど周布政之助人形出てるのかしら >>781
わかる。来原人形もあるのか?とか思うよね
理由も謎だけど似てないのがまた謎w
特別精巧に作られてるようにも見えないし >>783
吉富家のおどろきというか嘆きというか、複雑な心境が表われているのでは?!
などとも思うの。
って、周布人形の来歴でもないかとぐぐったらお宝鑑定団に出たという書があった。
写真拡大できないけど宍戸と山県有朋を送別するときに贈ったとある。
それって有朋?誰かその放送見た?2014年だって。 京都国立博物館は龍馬展やるんだね。
国立博物館(もう国立ではないらしいが)でやるんだから
そのへんのよくわからん品物の展示とかではないんだろうと察するけど
どんなものが出るのかどなたかご存知? >>785
東京や長崎だったかでもやる巡回展のようなので
そのうち特設ページが出来ると思う。 JCIIフォトサロン、岩倉使節団のいつもの5人の写真と
もう1枚が同じタイミングで撮られた別バージョンの2枚でした。
でも、他の写真や説明も良かったと思います。
あと、歴博のシーボルト展を見に行ったら、購入し損ねてた
「侯爵家のアルバムー孝允から幸一にいたる木戸家写真資料ー」
が再販されててラッキーだった。 松子って後妻の様だけど先妻は誰?
ググっても全然出てこない [BSプレミアム]
2016年8月18日(木) 午後5:00〜午後6:00(60分)
幕末、雄藩と幕府の対立が高まる中で政局の行方を左右する存在として注目を浴びた佐賀藩主・鍋島閑叟。技術を開発し独力で作り上げた幕末最強の軍をどう使うか、葛藤する。
【司会】磯田道史,渡邊佐和子,【出演】岩下哲典,佐渡島庸平,中野信子,鈴木一義,【語り】松重豊 >>787
報告ありがとう!
侯爵家のアルバム、つい最近ヤフオクですごい値段で出てて自分も売ろうかと思ったw >>789
おお!ありがとう!
すぐ離縁してんやな NHKの2018年の大河が堤真一主演で西郷っぽいけど
おそらく木戸さんも出るな 西郷大河で木戸さん出ないのは斬新すぎだろぉ
でも薩長同盟のところ以外はモブ扱い……はあるかもしれない 良い部分や功績を奪われて嫌な部分全部押し付けられるよりモブ扱いの方が良かったりして >>785
京都はチラシが出来たもよう
ttp://www.kyohaku.go.jp/jp/special/pdf/2016_ryoma.pdf モブならまだいいけど、どうせまたろくな扱いじゃないんだろう。
幕末期はとにかく逃げ足が早く、明治以降はコチコチ頭で孤立とか
NHKのいつもの決め付けパターンと思っておけば間違いない。 NHKは木戸sage大家の司馬遼太郎フォロワーだからね
龍馬伝の時は本当に谷原が頑張ってくれたんだろうなって感じ 桂小五郎の土曜時代劇が見たいなぁ
架空の物語で
京都中心の幾松とのラブストーリーでいいから
新撰組に長州藩士もばんばん出てくる そういうのたまに考えるけど、一番幕末らしい年、たとえば新選組の面々やら坂本龍馬やらが集まってるのって何時のどこなんだろかな
やっぱ1863年の京都が一番かなって思うけど、吉田松陰出せないのよな。意外と1854年の江戸が良いかも 桂小五郎主役だとどうがんばっても松蔭先生は途中退場だしなあ……
一般ウケしそうなのは8.18以降の潜伏生活やってるあたりじゃない? >>803
一般的にはやっぱり、幾松とのロマンスとか薩長同盟あたりなんだろうね
でも個人的には、明治以降の方がある意味本領発揮してると思う
病気がちで多少愚痴っぽくなってても、国造りにおいての先見の明や考え方は本当に素晴らしい
現代にでも通ずるその考えとか国造りの基本の考えとか、もっとそっちの方も取り上げてほしいし、もっと知られるべき
壊すよりも創る方がはるかに難しい 会津は売国奴
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/images/2016/09/21/M16092112178/efc636fa3839ddca1fa39fdeffab7c06.jpg
戊辰戦争さなかの1868年(明治元年)、新政府軍(官軍)と戦っていた会津・庄内両藩が、プロイセン(ドイツ)から
資金を借りる担保として「蝦夷地(えぞち)の領地を99年間貸与すると申し出た」と記した駐日公使発本国向けの外交書簡を、
五百旗頭(いおきべ)薫東大教授らの研究チームがベルリンで発見した。内容通りなら、ドイツの蝦夷地租借構想が水面下で
具体化していたことになる。東大史料編纂(へんさん)所の箱石大(はこいしひろし)准教授は「戊辰戦争が長引いていれば
実現していた可能性がある」とみる。
これまでは、日大のアンドレアス・バウマン教授が1995年にドイツ連邦軍事文書館で見つけた文書から、1868年
7月に両藩から蝦夷地の土地売却の打診を受けたものの、10月に本国のビスマルク宰相が却下し、交渉は立ち消えになったと
みられていた。
その後、ボン大学の研究者と箱石准教授が同文書館で、宰相が3週間後に一転、交渉を認可していた文書を見つけ、本国側では
ゴーサインが出ていたことが明らかになっていた。
今回見つかった外交書簡を書いたのは、横浜にいた駐日プロイセン公使マックス・フォン・ブラント。貸与期間を具体的に盛り
込むなど、両藩との間で交渉妥結の下地が整っていたことがうかがえる。
とはいえ、ブラントが横浜から本国の宰相に新発見書簡を発信した日付は68年11月12日で、すでに会津藩の降伏から
6日、庄内藩主が降伏を申し出てから5日経過しており、現実には交渉そのものが意味をなさなくなっていた。
書簡の保管先はベルリンの連邦文書館。五百旗頭教授らが2013年に着手したドイツの史料発掘プロジェクトの中で、国立
歴史民俗博物館(千葉県)の福岡万里子准教授が読み解いた。
それによると「シュネル(当時東北にいたプロイセン人の仲介役)が、借り入れに対して蝦夷地の領地を99年間、担保として
与えるとする会津・庄内領主の(シュネルに対する)全権委任状を持ってきた。100平方ドイツマイル(5625平方キロ)の
土地を得るのに30万メキシコドルで十分だ」などと書かれているという。
幕末期の会津藩の領地は現在のオホーツク、根室管内の一部、庄内藩は留萌、上川管内の一部など。書簡には「会津・庄内藩の
蝦夷地の領地に良港はないが、ひとたび足がかりをつかめば他の地の購入が容易になるだろう」ともつづられており、海軍拠点
確保に向けた意図が読み取れる。
当時のプロイセンは2年前の1866年に対オーストリア戦争に勝利して北ドイツ連邦の盟主となっており、ドイツ帝国の
形成に向かう軍備拡張期だった。(報道センター編集委員 小坂洋右)
09/21 17:15 更新
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0317478.html 木戸さんは悲しんでたけど、結果的には板垣GJなのか 拾い物
やまぐち歴史講座2016 図書館薩長同盟 第三弾 講演会「桂小五郎 薩長同盟の目的」
開催場所・会場:山口情報芸術センター スタジオA
開催日・期間:10/1(土)※開場:13時(13時50分までに入場)
ttp://www.city.yamaguchi.lg.jp/cms-sypher/www/event/detail.jsp?id=18062
【薩長同盟150年企画】幕末維新ウォークラリー2016
〔開催日〕平成28年10月15日(土)
9:15〜 講演
テーマ「薩長同盟の研究最前線!木戸孝允と小松帯刀」
講師:町田明広(神田外語大学准教授)
10:00〜 ウォークラリースタート ※小雨決行
〔コース〕
・受付、開会式、スタート
ホテルルポール麹町3階マーブル(東京都千代田区平河町2-4-3)
・ゴール
本芝公園(東京都港区芝四丁目15番1号)
ttps://scontent.xx.fbcdn.net/t31.0-8/s960x960/14434823_694258390737329_5673808537723115429_o.jpg
ttps://www.shinsei.elg-front.jp/yamaguchi/uketsuke/dform.do?acs=walk 好子の母親マジで誰なのさ!?
何で特定されないの? 大河ドラマとかだと桂さんの一人称って「僕」なイメージなんだけど実際はどうだったんだろう…村塾生は僕使ってたとか聞いたけど…
あと手紙で松子さんの事を「おまつどの」って言ってたけど松子さんの事を、まつとか言ってたのかね…? >>812
文章では僕って使ってるね
でも話し言葉はどうだったんだろうね?
今度大河ドラマ西郷どんやるみたいだけど、西郷サイドの話で関わってくるなら、印象良くない役になるかもね
木戸さん単体で主役が難しいなら、時代を絞って、明治期の木戸さんvs大久保さんの戦いが見たい >>812
逸話での後輩たちの証言みてると「俺」っぽいけど
あれが本当に木戸さんの口調を再現しているかはわからないからなあ
お客さんとかが相手だと無難に「私」じゃないかな >>813
>>814
ありがとう!確かに書き言葉は僕だったな…弟とかも多めだけど
逸話で「俺」出てきてたのか…ちゃんと読まなきゃだな…私は確かに使いそう
>今度大河ドラマで西郷どんやる
再来年だっけ?出番が薩長同盟のみとかだったら嫌だな… >>815
今までのNHKの木戸さんの扱いからして、変に出番があるとぞんざいな設定の
キャラクターにされてしまうので、薩長同盟だけの方が幸せかもしれない・・・
>>814
横失
私は用法がちょっと違うから違うと思う
木戸日記では
余、予、僕、我を侍、私人、詩家、朝臣として使い分けてる
話し言葉でもこの辺をTPOに応じて使い分けてると思う
http://i.imgur.com/mD69CfT.jpg
久々ここに来たけど有為で嬉しいわ
戊辰役の裏で相当数の人と会ってるけど不思議に思うのは外国人と意思疎通が普通に図れてるのが面白い
双方通訳がいたんだろうが一応英語を習ってるし案外喋れたのかと妄想してしまう
連投すみません
個人的に西郷も確かに偉人だけど、岩倉、(三條)、大久保、木戸が凄まじい
松菊伝やってくれ犬HKは >>817
詩家は初めて聞いたわ…
木戸さん気になりだしたの最近で詳しく無いけど日記もちゃんと読まないとだな… >822
素直に「しか」では?
外務省のツイッターアカウントで、日本人で最初にアイルランドのビールを
飲んだのは岩倉使節団でアイルランドを訪れた木戸孝允の可能性がある
みたいなネタ呟いてたけど、木戸日記にそういう記述あったのかな? 岩倉使節より前にアイルランド行ってる人はいると思う
イギリスとアメリカ間の船はアイルランドに停まるんだよ 石黒賢のキャラが笑えて新選組ドラマは漫画にしか見えないw >>824
日本で初めてラーメンを食べたのは水戸黄門様みたいなものでしょう
実際はその前にいたかもしれないけどいなかったかもしれない >>823
明治5年11月3日の木戸の日記
「(上略)サー、アーサギストの麦酒製造所に至る其盛なる実に可驚
一周日に二万??樽??を出すと云使役のもの七百余人運搬の馬九十七疋あり
製造は総て巨大の器械を設ける(下略)」
岩倉使節団はいろんな国でビール工場視察してんだよね
飲料や菓子の製造業はどの国でも儲かってたから ビール美味しかったんだろうな
初めて飲んだらびっくりしただろうな ギネスなど老舗ブルワリーは当時すでにアジアに輸出していて
幕末の志士はイギリス式のエールを好んで飲んでいたらしいね
しかし岩倉使節団は各国をめぐってドイツ式のラガーの方が儲かると判断してそっちに力を入れることに決めた
ビールひとつにも明治政府のイギリス離れ政策が垣間見えて面白い 今年の松菊祭は行ってみたいなぁ
有給とって日帰り一人旅…いけるか ビールがドイツ式になったのは主に青木周蔵のせいじゃないっけ >>832
青木が岩倉使節団のドイツでの案内役で通訳だったんだから
一緒にビール工場行って説得したんだろうね 司馬って本当に害悪の塊だよな
松菊公に逃げの汚名着せて三流足軽阪本持ち上げたカスを崇めてるアホだらけなのが戦後日本そのものって感じがするなぁ 青木にビヤジョッキ送れって手紙なかったっけ?
絵が描いてあるやつ。青木じゃなかったか?逆か?
ビールを送る話もあったような。 悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/1ntWvZ
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ 来年の大河の原作小説の感想チラ見した感じだと、木戸さんはやっぱ薩長同盟あたりが初出っぽいね
実際西郷さん視点だとそうなるだろうけど 大河って主人公と主人公の持ち上げ役のどっちかしかないから出番ない方がいいんじゃないかな… 「大政奉還150」と書かれた特製ハンドタオルを頂きました すごい今更だが、毎年松菊祭が開催されることが本当に嬉しい
認めたくはないが木戸さんの人気や知名度は坂本や高杉に
比べると劣っていると言わざるを得ない
功績を考えると命日祭があることは当たり前なんだが、
木戸さんの素晴らしさは世間一般には認知されていないし
毎年きちんと偲ぶ場があることが幸せだ >>834
そこは元朝日新聞記者という時点でお察し ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています