薩長同盟は長州の復権のために薩摩は努力しますよという約束であってそれ以上ではない
小松西郷大久保など在京組が倒幕を考えるのは慶応三年の四侯会議の後
その後の鹿児島の説得工作では倒幕派が少数派で精忠組幹部ですら多くが反対してる状態

薩摩が兵制改革ぜんぶ終えて洋式に切替完了したのは中岡慎太郎によれば慶応三年半ばで
西郷は鳥羽伏見の前に幕府に負けた時の心配してるくらいなのでギリギリまで勝てる自信はなかった

薩摩が殺したとかいう説って慶応二年時点で薩摩が幕府に楽勝できると思ってなきゃ成立しないが
それって完全に現代人の目線だよね
しかも幕末ものフィクションでやたら薩摩を強大に描いてるのを鵜呑みにしちゃってる人の発想