坂本龍馬のクズエピソード教えてください
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坂本が起こした悪質な当たり屋「いろは丸事件」。究極の歴史ファンタシードラマ
「龍馬伝」では全面的に被害者(紀州藩)の落ち度の様になっていたが、いろは丸
の方は夜間の走行上必要な装備(常夜灯)も充分にしていなかった上、積んでも居ない
荷物の損害賠償も請求してきた。 海援隊の水夫を斬殺。
あと、コジキを斬殺したとか2ちゃんねるに書いてあったけど本当? 坂本「この海の向こうにアメリカがあるぜよ。」
漁師「いや、この海の向こうにあるのはパプアニューギニアだから。」 >>9
相手が悪質だからペテンを掛けても良いような筋書きだったんじゃないか? >>1は何だw、坂本龍馬に嫉妬してんのか?????wwwwww
小さい頃は寝小便垂れだったとかかなぁ?w
しかしいい話もたくさんあるなw
(そこは人間だから当然完全無欠ではなく、欠点もあっただろうが。)
京都にいたころ、志士たちで集まっていて、そこの店の若い者が
龍馬に「悪いが煙草を買ってきてくれ」と土佐弁で頼まれて、感激してろくに返事も出来なかったとか。
しっかり者の姉に鍛えられはしたものの、小さい頃は泣き虫で勉強もいまいちだったんじゃなかったっけ?w
しかし英語で法律だか世のことわりを教える塾で聴講生みたいなのになって、
「あいつに解るのかよw」みたいな感じだったが、毎日後ろでじっと聞いていてある日、
教師が辻褄の合わないことを言うと「先生そこちがうぜよ」みたいに言って、
教師が改めて調べるとその通りだったとか。
(以上、激しくうろ覚え。w)
北海道の六花亭だかのチョコレートの包装紙の絵を描いたのは
龍馬の孫だか誰だかで、北海道に移住した人。 >>12
自閉つーか、完全にadhdじゃね?
信長もだが 【リベンジポルノ】 脅した容疑で坂本龍馬容疑者逮捕
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1386402713/
坂本龍馬が逮捕wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1386404233/
坂本龍馬容疑者逮捕wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1386403975/
坂本龍馬さん逮捕
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1386402669/
“リベンジポルノ” 脅した容疑で逮捕
交際相手の女性から別れ話を告げられたことに腹を立て、「交際時の写真や映像をばらまくぞ」などと脅し、
無理やり交際を続けさせようとしたとして、30歳の無職の男が強要未遂の疑いで警視庁に逮捕されました。
逮捕されたのは東京・青梅市の無職、坂本龍馬容疑者(30)です。
警視庁の青梅警察署によりますと、坂本容疑者は、数年間交際していた30代の女性から別れ話を告げられたことに腹を立て、
先月29日から今月4日までの間、4回にわたって「2人でいたときに撮った裸の写真や映像をばらまくぞ」などと女性を脅し、
無理やり交際を続けさせようとしたとして強要未遂の疑いが持たれています。
警視庁は、女性の相談内容から切迫性があると判断し、坂本容疑者を逮捕したということで、
調べに対し「間違いありません」と供述し、容疑を認めているということです。
元交際相手の写真などをばらまく行為はリベンジポルノと呼ばれ、警視庁で詳しいいきさつを調べています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131207/k10013656991000.html 坂本龍馬
さかもと りょうま
坂本 龍馬は、江戸時代末期の志士、土佐藩郷士。 諱は直陰、のちに直柔。通称は龍馬。 他に才谷 梅太郎などの変名がある 。
土佐郷士に生まれ、脱藩した後は志士として活動し、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中を結成した。薩長同盟の斡旋、
大政奉還の成立に尽力するなど倒幕および明治維新に影響を与えた。平成弐十五年りべんじぽるの嫌疑で新政府警視庁に捕縛され獄中死。
享年177歳。 俺のLIVEDOORブログ
http://blog.livedoor.jp/utsunomiya_marchen/archives/886868.html
ウサギの女の子「アリス」
ネコの女の子「ケイト」
キツネの男の子「ラッキー」
リスの男の子「パトリック」 >>17
坂本龍馬(1835〜2013)かよwwwwwwwwwwwww(大爆笑) こうしてみると
江戸無血開城のとき勝海舟が西郷隆盛と気が通じたみたいに
言い残しているが
幕府方で人物像が大きく美化されている性格の悪い
勝海舟と実は似たもの同士だったのかもと思ってしまった
西郷って見方かえるとあんまり男らしくないね 西郷が様々な美談でヨイショされてるほど大人物でなかったのは確かだろうね。
ただ突破力はあったし時代の中で活躍する策士的側面に自らの伝説を作り出す才も潜んでいたわけだな。
安藤先生や原口先生が斉彬や西郷が実際以上に過大評価されてることは仰ってたね。
意外なことに調所を評価してたね。奄美は怒るだろうが。
しかし奄美も調所時代より斉彬、さらに西郷の大島商社時代の方が搾取がひどい(税率や適用地域の拡大)事実が示され驚いた。 西郷隆盛 伝説一覧
伝説 : 「おいの体をあげもそ」と西南戦争を決起
史実 : 玉砕の数日前に自分だけ政府軍に助命嘆願 → 断られる
伝説 : 「晋ドン、もうここらでよか」と潔く自決
史実 : 玉砕当日城山から逃亡 → 桐野利秋に見つかり射殺された
伝説 : 西郷南洲翁遺訓 西郷の教え41条
史実 : 東北庄内人による創作
伝説 : 清貧、高潔、質素な食事
史実 : 政府からの月給が現在価値で2千万円 年俸2億4千万円
豚の霜降り肉の食べ過ぎで超肥満に
伝説 : 自宅は雨漏りするボロ屋
史実 : 千百坪の超大豪邸に暮らす。使用人20人、飼い犬20匹(食用か?)
伝説 : 「子孫の為に美田を買わず」西郷家家訓
史実 : 西郷一族で東京ドーム117個分の土地を買い漁った
666 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/23(土) 00:35:56.03 ID:7ZsfRUCI0
伝説 : 「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く」坂本龍馬による西郷評
史実 : 勝海舟の創作
伝説 : 江戸総攻撃を中止させ江戸百万人を救う
史実 : そもそも総攻撃を主張していたのが西郷本人だった
外人のパークスに中止するよう恫喝されて断念
伝説 : 敬天愛人思想で道義を貫きとおした巨星
史実 : 浪士を雇い、江戸で放火、強姦、卑劣の限りを尽くし幕府を挑発
伝説 : 征韓論「この西郷が一人朝鮮に渡り、殺されれば出兵の大義がたちもうそう」
史実 : 勝手に行けばいいのに、口だけで終わる
伝説 : 大久保利通の西郷暗殺指令
史実 : 政府の密偵を凄惨な拷問にかけ自白強要させており、信憑性無し
伝説 : 奄美人を大切にした西郷さん
史実 : 子供を二人産ませた奄美の妻を捨てる
旧知の奄美人たちを西南の役に強制従軍 → 死亡
伝説 : 鹿児島の民百姓に慕われた西郷どん
史実 : 西郷さんが死んだ日、百姓たちは木の上から見物、
全滅後西郷軍団の身ぐるみを剥ぎ、売る 元交際相手の女性を「交際を続けなければ写真をばらまく」などと脅したとして警視庁青梅署は7日、東京都青梅市沢井2、無職、坂本龍馬容疑者(30)を強要未遂容疑で逮捕した。同署によると容疑を認めている。
逮捕容疑は11月29日〜12月4日、元交際相手の30代の都内女性に対し「交際を継続しないと写真をばらまく」などとこの女性の裸の写真などを添付したメール4通を女性の携帯電話に送りつけ、脅したとしている。
女性が警察に相談し事件が発覚した。女性と坂本容疑者は数年間交際していたが、最近女性から別れ話を切り出したという。
復讐(ふくしゅう)(リベンジ)や脅しのため交際時に撮影した写真などをインターネットなどでさらす行為は「リベンジポルノ」と呼ばれ、国内外で社会問題化している。【岸達也】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131208-00000023-mai-soci 天の逆鉾を抜いたのは、なにげに酷くないかw
観光地で痛いことする中学生レベル。
まあ、逆鉾はその後噴火で紛失するのだが。 梅毒を持っていたよ
もっとも当時は梅毒持ちは男の勲章みたいな考えだったが 着るものに無頓着?
大坂かなんかで旧知な樋口某って人がボロボロなみてくれな龍馬を見かねて
お金を恵んであげたw
ちなみに亡くなる直前にどこか宿を手配してケロヨンと頼んだ相手も
その樋口さん 松平容保が禁門の時ビビって天皇の隣に逃げ込んだは知ってるな だってクズだし。まあ、坂本龍馬が桐野利秋とかと同じく西郷の走狗と考えれば納得だけど。 >>31
それは何故? クズって言えるほどキャラ立ってないし。ある意味褒め言葉だよな、乱世でクズ野郎って呼ばれうるってのは。 >>33
いやあ。西郷坂本組は明らかに犯罪者集団だよ。言葉通りの勝てば官軍だっただけで。
で、どっちも調子こいてるうちに死んじゃったけどな。
神保修理は無能な上役のせいで詰め腹切らされてるし山本覚馬はその後民官として貢献してるし。 >>35
グラバーがフリーメーソンって根拠のグラバー邸の石碑が出来たの息子の代だし その後 グラバー商会破産してますがな。
加治小説や副島本の読み過ぎではない? 宗教、歴史、武士道から政治経済、国際問題、在日韓国人問題まで
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本日の講義は『能生と所生』『新撰組の強さの秘密』です。
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/
http://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi > その後 グラバー商会破産してますがな。
グラバー商会を計画倒産させたのです。
日本人から妬まれ、憎悪されますので。
将来に天皇から受勲されたかったのでしょう。 >>38
勲章欲しさに計画倒産って
流石に馬鹿な話だな。
しかも同情買おうにもグラバーとか言う外人なんて誰も憶えてないし。 金稼ぎに飽きた奴は、名誉が欲しいのさ。
表向きは岩崎彌太郎の下に付いて居る振りで、
裏で三菱を操って居た。 >>40
三菱を操ったとか流石に妄想って言われる。 >>1
おりょうの証言
新選組が来ると恐れて逃げる
他の女の悪口をあることないこと言う(自分が二股かけてる場合は相手の淫乱のせいにする)
他にもいろいろあったな 高杉晋作や伊藤博文にくらべて、坂本が特に女癖悪かった
ってわけでもないんでしょ? まあ幕末の志士と称するのでも
だいたい女癖はみな似たようなものではないだろうか。
謹厳実直といえば、大久保くらいしかいないのでは? >>45
大久保さんのほかに、西郷さんもいるぞ。
>高杉晋作や伊藤博文にくらべて、坂本が特に女癖悪かった
ってわけでもないんでしょ
前者は芸者などの商売の人を抱いてたし、当時の社会通念で
お金で女性と遊ぶ=悪ではない(個人的には、あまりいい感じを受けないけど)
ところが坂本は素人の女をとっかえひっかえしてきた。
今も昔もオサレな男になびいて、捨てられる女は多いからねえ。 千葉さな子はブズのくせに俺に惚れて困るみたいなことも言ってたらしい
伊藤は別格として大久保や高杉は女に手を出しまくってたわけではない
あと亀山社中を仕切っていた上杉栄次郎と対立するようになり自刃に追い込んだのは龍馬ではとも言われてる
殺される直前に薩摩藩邸に来なさいと言われた時にお金出してくれてる土佐藩が気を悪くするからと言って断ってるほど小物 クズエピじゃないけど、
龍馬は海舟の門人になって攘夷の無謀を悟ったと言われるがこれ結構怪しい
海軍操練所を開く時に勝は龍馬をお礼の使者として越前藩邸に行かせてるが、
龍馬はこの席で越前藩士に破約攘夷を強行に主張し拒否されたら一戦しろと怒号
翌日もこんこんと諭されてやっと納得した。オツムは結構軽かったのが実情。 >>48
千葉さな子は美貌で知られ、「千葉の鬼小町」「小千葉小町」と呼ばれたという。
「左那ハ、容色モ、両御殿中、第一ニテ」(佐那は2つの伊達江戸屋敷に出入りする女性の中で一番美人である)
という宗城の感想も残っている (wikipedia)
どうやら同時代人による容姿の評価はとても高いようだ
別の女に気移りしたからって酷い言い草だな http://hideyo-noguchi-mri.com/council
あの神の手、福島孝徳脳外科医も野口英世支持者だ
http://m2.upup.be/j3GS6yJ1hv
野口英世と大隈重信
http://l2.upup.be/CfE8fOSdgr
野口英世と東郷平八郎
http://m2.upup.be/qH7YjpjAGW
日本人最初のカラー写真、野口英世(大正3年アメリカで撮影)
野口英世
学位は医学博士(京都大学)、理学博士(東京大学)。称号はブラウン大学名誉理学博士、イェール大学名誉理学博士、パリ大学名誉医学博士、サン・マルコス大学名誉教授・名誉医学博士、エクアドル共和国陸軍名誉軍医監・名誉大佐。
1907年(明治40年) - ペンシルベニア大学名誉修士
1918年(大正7年) - エクアドル陸軍名誉軍医監 名誉大佐、グアヤキル大学名誉教授、キトー大学名誉教授
1920年(大正9年) - サン・マルコス大学名誉教授 名誉医学博士
1921年(大正10年) - ブラウン大学名誉理学博士、エール大学名誉理学博士
1925年(大正14年) - パリ大学名誉医学博士
受賞歴
1913年(大正2年) - 勲三等(スペイン)、勲三等(デンマーク)
1914年(大正3年) - 勲三等(スウェーデン)
1915年(大正4年) - 勲四等旭日小綬章
1920年(大正9年) - ジョン・スコット・メダル名誉章(フィラデルフィア)
1924年(大正13年) - レジオンドヌール勲章(フランス)
1925年(大正14年) - 正五位、コーベル賞牌
1928年(昭和3年) - 勲二等旭日重光章、防疫功労金牌(フランス) http://hideyo-noguchi-mri.com/council
あの神の手、福島孝徳脳外科医も野口英世支持者だ
http://m2.upup.be/j3GS6yJ1hv
野口英世と大隈重信
http://l2.upup.be/CfE8fOSdgr
野口英世と東郷平八郎
http://m2.upup.be/qH7YjpjAGW
日本人最初のカラー写真、野口英世(大正3年アメリカで撮影)
野口英世
学位は医学博士(京都大学)、理学博士(東京大学)。称号はブラウン大学名誉理学博士、イェール大学名誉理学博士、パリ大学名誉医学博士、サン・マルコス大学名誉教授・名誉医学博士、エクアドル共和国陸軍名誉軍医監・名誉大佐。
1907年(明治40年) - ペンシルベニア大学名誉修士
1918年(大正7年) - エクアドル陸軍名誉軍医監 名誉大佐、グアヤキル大学名誉教授、キトー大学名誉教授
1920年(大正9年) - サン・マルコス大学名誉教授 名誉医学博士
1921年(大正10年) - ブラウン大学名誉理学博士、エール大学名誉理学博士
1925年(大正14年) - パリ大学名誉医学博士
受賞歴
1913年(大正2年) - 勲三等(スペイン)、勲三等(デンマーク)
1914年(大正3年) - 勲三等(スウェーデン)
1915年(大正4年) - 勲四等旭日小綬章
1920年(大正9年) - ジョン・スコット・メダル名誉章(フィラデルフィア)
1924年(大正13年) - レジオンドヌール勲章(フランス)
1925年(大正14年) - 正五位、コーベル賞牌
1928年(昭和3年) - 勲二等旭日重光章、防疫功労金牌(フランス) http://hideyo-noguchi-mri.com/council
あの神の手、福島孝徳脳外科医も野口英世支持者だ
http://m2.upup.be/j3GS6yJ1hv
野口英世と大隈重信
http://l2.upup.be/CfE8fOSdgr
野口英世と東郷平八郎
http://m2.upup.be/qH7YjpjAGW
日本人最初のカラー写真、野口英世(大正3年アメリカで撮影)
野口英世
学位は医学博士(京都大学)、理学博士(東京大学)。称号はブラウン大学名誉理学博士、イェール大学名誉理学博士、パリ大学名誉医学博士、サン・マルコス大学名誉教授・名誉医学博士、エクアドル共和国陸軍名誉軍医監・名誉大佐。
1907年(明治40年) - ペンシルベニア大学名誉修士
1918年(大正7年) - エクアドル陸軍名誉軍医監 名誉大佐、グアヤキル大学名誉教授、キトー大学名誉教授
1920年(大正9年) - サン・マルコス大学名誉教授 名誉医学博士
1921年(大正10年) - ブラウン大学名誉理学博士、エール大学名誉理学博士
1925年(大正14年) - パリ大学名誉医学博士
受賞歴
1913年(大正2年) - 勲三等(スペイン)、勲三等(デンマーク)
1914年(大正3年) - 勲三等(スウェーデン)
1915年(大正4年) - 勲四等旭日小綬章
1920年(大正9年) - ジョン・スコット・メダル名誉章(フィラデルフィア)
1924年(大正13年) - レジオンドヌール勲章(フランス)
1925年(大正14年) - 正五位、コーベル賞牌
1928年(昭和3年) - 勲二等旭日重光章、防疫功労金牌(フランス) >>48>>50
大河では、サナの片思いって事になっていたな・・・
あの道場はただの門弟に紋付きまで作ってあげるのか??って疑問は未だに残っている。 安倍晋三首相の施政方針演説のなかで、
安倍首相は、アフリカ各国への貢献実現と国会議員の姿勢を
示すために、野口博士を引き合いに出し、次のように述べました。
「アフリカの人々のため87年前、アフリカに渡った
一人の日本人がいました。 野口英世博士です。
「志を得ざれば再び此地を踏まず」
ふるさと・福島から世界に羽ばたき、黄熱病研究のため周囲の
反対を押し切ってガーナに渡り、そしてその地で黄熱病により殉死。
人生の最後の瞬間まで、医学に対する熱い初心を貫きました。」
(「第186通常国会 安倍首相の施政方針演説」より抜粋)
↑
http://l2.upup.be/4gKOo5pj82
アフリカに上陸する野口英世 使いパシリで、最後は邪魔になって飼い主に殺されたこと >>45
1番モテたのは土方歳三だろ
沖田は、盛られてる感あるからはっきりしないな
浮いた逸話も、写真も残ってないし まあ、歴史上の人物では、女がらみでは大石内蔵助が一番鬼畜だろうな。
なんせ討ち入りの当日に女二人、今の基準だと間違いなくロリコン(当時の基準でもまずいらしく、忠臣蔵では書かれていない) 南京大虐殺の嘘にも会津が絡んでいる!
南京大虐殺はアイリス・チャンだけの捏造ではなく
元日本軍兵士の会津人も荷担していた!!
http://aidu65.net/aboutme.html >>63
色々女買ってたらしいから早いんじゃないかなw金持ちだし ◆在日中国人
在日中国人(ざいにちちゅうごくじん、日籍華人)は、日本に在住している中国人である。
中華人民共和国または中華民国(台湾)の国籍を有する者は華僑であり、日本国籍を
取得したものは「華人」である。なお、中華民国(台湾)の国籍者は在日台湾人と呼ばれる。
広義には中華人民共和国(香港、マカオを含む)と中華民国(台湾)国籍者を指すが、
狭義には中華人民共和国国籍者のみを指し、中華民国(台湾)国籍者は在日台湾人と
呼ばれることが多い。
独立行政法人統計センターによると、2010年12月末時点では両地域合わせて687,156人が
外国人登録されており、これは565,989人の在日韓国・朝鮮人を超える規模である[1]。
既に2007年8月に人民網が、東京では100人に1人は在日中国人であると伝えている[2]。
2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する
神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、
兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。
このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が
顕著である[3]。
なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住していると
いわれる、[要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。 >>64
郷里で世話になった先輩に大阪?かなんかで「あまりにも見窄らしかった」んで
金を恵んでもらった話がありますがね? >>58
西郷隆盛が残したとされる
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るもの也」といった言葉
これは、【 坂本龍馬 】を指していった言葉とされる。
武力討伐の自分の意に沿わぬ坂本龍馬の扱いに困った西郷としても
坂本を殺すしか手が無かったのだろう。
龍馬暗殺の黒幕はズバリ、西郷南州である。 坂本龍馬ではないが海援隊は紀州藩とかの船に故意に追突させて
賠償金をふんだくる朝鮮ヤクザだった
海援隊が三菱になる
朝鮮天皇が日本女性を海外に売り飛ばす商売を行ったときに
船賃でたいそう儲けたのだ
三菱はその人身売買で儲けたお礼に、
朝鮮皇太子(後の昭和朝鮮天皇)の新居「花御殿」を
渋谷の第一御領地に建設してプレゼントした 龍馬は武器商人ですらない
薩長の下級武士に機関銃や大砲が買えるわけがない
英国が薩長を使って日本政府を転覆させるのに
英国人が薩長に武器を手渡したら後々まずい
だから坂本龍馬を介して武器を無料配布
そして日本政府を転覆した後に龍馬を消せば英国の関与は隠されるという寸法だ
英国に使われただけのバカチョンを、嘘てんこ盛りで英雄に仕立てあげた
あの作家も創価学会員のチョン >>72
マセソンやその部下のグラバー通して薩長にイギリスが武器売りたかったが、それだといろいろまずいからグラバーの代理として龍馬から買ったていにさせたらしいな
龍馬はイギリスからの現地伝令係だよ
戦後でいう児玉誉士夫とアメリカと自民党と同じ関係だと思う 悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/1ntWvZ
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ 福山市で坂本龍馬展[2017.7.19 11:55]rcc
鞆の浦が舞台となった「いろは丸事件」から今年で150年となるのに合わせ、
福山市で「坂本龍馬展」が開かれています。
会場の県立歴史博物館には龍馬の肖像画や写真など120点が展示されています。
龍馬は今から150年前、紀州藩の船と衝突して沈没した「いろは丸」の賠償金交渉のため
鞆の浦に滞在しました。こちらの脇差は龍馬が特に愛用したとされるものです。
長く所在が分からなくなっていましたが、おととし見つかり、86年ぶりに公開されました。
この書簡は、龍馬が暗殺される2日前、のちの外務大臣・陸奥宗光宛てに書いたもので、
交換を約束した刀のことについて記されています。
「中国地方初公開の手紙も展示しています。それらを見てもらい、
龍馬の人柄や思いを感じてもらえればと思います」(県立歴史博物館・岡野将士主任学芸員)
坂本龍馬展は9月10日まで開かれています。 坂本龍馬が紀州藩にやったことは、韓国人が世界中でやっている慰安婦問題と同じだよな。
悪評流しまくって自分達がいかに被害を受けたのかを広めまくって、謝罪せざるを得ない状況を作って謝罪させる。
謝罪したらその後は金を奪い取る作業に入る。
積み荷には金目の物は積んでもいなかったくせに、兵器や金が積まれてあったなどと捏造して数億円の賠償金を支払わせる。
坂本龍馬は朝鮮人と同じ。 薩長は京都御所に大砲を打ち込んでいたキチガイテロリストなのに、何故ここまで人気があるのか。
廃仏毀釈でこいつらが何をしたかすら知らないんだろうな。 偉そうなことを言ってても
腹の中は私利私欲
それが坂本龍馬信者ですw 日本人大虐殺をやった山口の朝鮮人に
英国から武器を渡すように言われて従った情けない奴が坂本龍馬だ
武器商人ということになっているが、単なる配布係だろ
長州の下級武士に最新の銃器を買う金なんか無いんだから
伊藤博文なんか足軽だぞ
最新の銃器とは言っても、アメリカ南北戦争のお下がりだが
何で英国は坂本龍馬経由で渡したかというと
最後に坂本を消せば、英国と長州の接点が消えるという計画だバカもん >>84
井上と伊藤が銃を買い付けた件に坂本絡んでたっけ?
井上らが直に薩摩の小松に掛け合ってて、亀山社中は名義貸した程度という話を最近見たけど 坂本龍馬の志を受け継いだ人物が
山本五十六と笹川良一、児玉誉士夫だなw
いづれにしても、ろくなもんじゃないwww 市場原理主義者、マスコミらによって
美化、過大評価されてきた人物
・坂本龍馬
・勝海舟
・福沢諭吉
・伊藤博文
・夏目漱石
・山本五十六 近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
TYV47 いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
X88 大政奉還を坂本龍馬がした。とドヤ顔で言ってのける奴は教養が足りない。自分でテレビ情報を鵜呑みにする馬鹿だと主張しているだけだな。
あいつは何もしていない。 >>80
> 薩長は京都御所に大砲を打ち込んでいたキチガイテロリストなのに、
「薩摩が京都御所に大砲を打ち込んだ」
この件に関する証拠はありますか? >>87
福沢諭吉だけ某所で聞いたが、凄いよ、まんがの悪役みたいだ
そこでは元祖ヘイトスピーカーと言われてたんだが
完全にサイコパス朝鮮人だよ
とにかく弱者をこれでもかと罵る
身体障碍者、労働者、農民、老人、娼婦・・・
あらゆる汚い言葉を駆使して罵倒しまくる
で、日本の女子のを海外の売春宿に売って金儲けしましょうと天皇に進言
それが海外で好評で、船で運んだ三井・三菱が財閥になるほど売りまくった なにもしてない人間がこうまで史に残るわけないだろ
最近の司馬の小説によってとか言い出してるような浅い奴か? >>95
ケツ拭いた人が代わりに謝罪の手紙送ってるんだよね
それ以降坂本と勝の間で一切交流は途絶えてる 氷川清話でも勝海舟って西郷は激しく褒めてるけど
龍馬にはそれほど触れてないね >>93
過去の偉人のしたことを今の常識で非難していては、
ほぼ9割の人間が極悪非道の悪人だろう?
キリストだって、今なら器物破損で逮捕されるようなことをしでかしているのだし、
ガンジーだって、差別主義者認定されてアフリカでは銅像を撤去されているでは
ないか? 公武合体とかしたいのか、尊王の方なのか
あっちこっちいった人 正確にはそうでもないかも いや、尊王では一貫してるか ただ薩長同盟を仲介しておいて
自分は戦わず死なずに、弱体化してたのか慶喜を納得させている
体を張らなかったという点が男に不満を言われるところだな
頭が冴えてたとか、口がうまかったのか今風に戦わずに争いを終わらせてる点で
今の人に支持される第一人者なんだろうが、
まあ俺が嫌なのは教師がこの人間に似ているとちやほやされていたからだろうな 坂本竜馬事態は偉人と言う感じしか受けていなかった
>>99 >>94
司馬が書いた頃の龍馬はまだいいんだけど、
その後に人気出てから、「武力討幕を避けようと舌戦争嫌いの平和主義者」
みたいな味付けされてから変な事になっているんだよな
史実の龍馬って普通に武力討幕派だし、そっちの方が功績大きいのにね
新撰組や見廻組に「あいつ殺さないとヤバイ」って思われるの当然くらいに 坂本は一貫して長州贔屓だからね
長州の攘夷を皆で応援するんぜよ!って越前で激論してるし
勝とも金盗んで疎遠になったが横井小楠とも長州処分を巡り口論になり二度と会ってない 勝の日記に「◯月◯日、坂本達が来た。門人の岡田星之介に悪意ありて天誅を加えるよー!と言ってきた」とあり、当日その岡田が謎の死を遂げているのを龍馬信者はどう解釈するんだろう
当時の人間が日記に書いた第1級資料なのに何故かドラマでも小説でも一切触れられない案件 本居宣長とかの思想で動かされただけ・・・ まあ詐欺で動かされたわけじゃないから、
陰の操り人形の悪の笑みを感じることもないけど
平田篤胤 あっ!種(行動の元となる 種のような要素)に動かされただけのカス とか・・
地方の詐欺師の勝ったような顔に毒されてたんだろうな 悪いのは振り払わないと・・・ >>101
脱藩理由も昔は伏見での武装蜂起に参加するためとストレートに表現してたのが
平和主義者にされてからは脱藩しないとできないことがあるとか
フワフワした抽象論でごまかすようになってるしな 実際どこまで考えてたのかね
土佐に鉄砲送ってるし確実に武力討幕狙ってるけど、慶喜をトップに据えようとしてたのも事実っぽいし
なるべく戦火を少なくしようとしてたのかね もうそろそろコンビニ500円本で、本当はお痛だった坂本龍馬との本が出ても
よさそうだなww >>107
>慶喜をトップに据えようとしてたのも事実っぽい
って何か新証拠でも出たの? 龍馬の誤ったイメージ形成には、竜馬がゆくより
おーい竜馬の方が罪深いと思う 松浦玲の「坂本龍馬」案外面白かった。
漫画やドラマの龍馬より、史実の龍馬の方がよっぽど魅力的じゃん。 >>101
佐幕厨がミーハー龍馬人気をストレートに敵に回したくないからミスリードしてるんじゃねーの 死に方見る限りどう見ても剣の達人じゃないよね
襲われた状況を比較しても同様に暗殺された芹沢鴨や伊藤甲子太郎なんかだったら近江屋で襲われたとしても逃返り討ちに出来なくとも逃げられそう 現実と時代劇のチャンバラをごっちゃにして剣の達人がどうこう言う風潮も何とかならんかね
かといって龍馬が銃に詳しかったことにしたがる創作にも困るが >>101
慶応3年10月に企画されていた政変は将軍職を廃止するための政変なので、
「武力討幕派」などと言うものはない。
そして大政奉還後は坂本は土佐藩論に従った行動をとってるので
「武力討幕派」ではない。
坂本の行動を土佐藩以外のどこかのグループにひきつけて考えること自体誤り。 >>107
どこまで、というか土佐藩の藩論である公議方式での政体改革論に沿って動いてただけでしょ。
それが薩長両藩兵の上京を控えて慶喜に「自ら盟主とな」ることを認めたのが新政府綱領八策で、
公議の契機が衰退しているというのが松浦玲が改説した理由。 >>102
文久3年の長州藩の攘夷については有志諸藩の間で援兵が論じられていたし、
慶応2年の長州再征では肥後藩は推進ブロックに属しており幕閣や西国諸藩にも忌避論が強かったから、
その時その時で流行してる主張に乗ってる感じ
村田巳三郎との議論を見る限り理屈では村田のほうが圧倒的に分があり、
坂本に卓見があったようには見えない 松浦の文章って「けれども」の使い方が気持ち悪い
ネットで受け売りしてる奴を見分けやすくて重宝するが 慶喜は政権に参加させるけど、徳川は解体する気マンマンだぞ
徳川さんサイドからしてみれば無条件降伏も同然だから飲むわけが無い もともと武力討幕派というものは慶応3年10月時点で存在しないし、
大政奉還後の徳川家処分についても特段強硬だったわけでもない。
12月の長州藩の国元ですら「無条件降伏」的な辞官納地問題は否定的なのだから、
それを支持してるやつが10月から11月時点でそうそういるわけもない。
10月に財源問題や江戸の銀座の掌握を検討してはいるが、
12月の政変のような懲罰的な徴収を考えていたわけでもない。
丁卯日記を見ても、(朝廷改革に対して)「兵威」を否定してる点で、
後藤の立場、さらに言えば永井らの立場とさほど隔たるわけでもない。
その後の幕薩の深刻な対立については甘く見ていたというべきか。 坂本龍馬が武力討幕主義者だった論って、
要するに慶応3年秋に薩長芸が進めてた出兵協定を「武力討幕」とみなし、
それに加担してたんだから彼らと同一歩調だと強弁するんだけど、
こういう単純な論法だと、土佐藩や後藤象二郎も政変じたいは支持してたのだし、
尾張・越前両藩も反対はしてないので、これらのグループもすべて「武力倒幕」
を共謀してたと言えるのか?という大きな矛盾が生じる。
さらに大政奉還後も辞官納地問題では長州藩の国元は慎重姿勢を取っていることから、
長州藩が倒幕論から離脱したというとんでもない結論まで導かれかねない。 尾崎三良自叙略伝でも官制に「内大臣」があり、龍馬はこれに賛成してるのだし
新政府綱領八策でも「自ら」とある以上、公議でも推戴されるべき人が想定されてるのは間違いない
慶喜を重職から排除しようとしてる薩藩指導者のほうが少数派なんで、
別にナニナニ派でもなく、端的に土佐藩論建白に奔走した人とみればよい もし薩摩藩が大政奉還進めていいよ路線だったつんなら
何で土佐藩の建白を土壇場になって止めようとしたのか意味不明だしな。
両藩の立場は完全に分かれてる。 龍馬=討幕論者説って40年以上前からあるよね。
史料の引用が恣意的とか言われて少数説のままだけど。 >>129
当時の武士に平和主義者なんていないだろ。
慶喜ですら勅許が下りなければ切腹するが、配下が黙ってないとか言って
朝廷を脅してるんだから。
平和主義者ではない=討幕派 という論理は完全に飛躍してる。
そんな理屈を立ててるから40年たっても支持者が少数の説なんじゃね。 龍馬がいては武力倒幕ができないから暗殺された
だから龍馬は大物だってこじつけはさすがにウザイよな >>127
9月23日に福岡孝弟に対して西郷が建白をやめろと脅してるものね。
土佐藩は20日に永井尚志から建白を早く提出してくれと言われて、
22日には藩の会議で建白提出を決め、寺村左膳と後藤が板倉勝静に拝謁を願い出ている。
ところがその後に辻将曹や国元、京の薩摩藩邸内でも反対論が噴出して政変計画が崩壊したので、
仕方なく10月2日になって提出を認めた(「寺村左膳手記」)
後藤象二郎もそれをとっくに予期してたのか、土佐に帰郷する7月3日に永井尚志に会って
「討幕の動きがある」と事実上政変計画を教えてる(「伊達宗城在京日記」)。
後藤は武力行使を止めるため、西郷は武力行使に使うために土佐藩の建白を見てたのは明らか。
なお、薩摩藩内で後藤の提案に熱心だったのは調整感覚に富んだ小松帯刀だったようで、
西郷は「周旋には労れはてた」と嫌味を言ってたらしいから、人によって受け止めが異なる
(「故伯爵後藤象二郎君談話」)
西郷と土佐藩が同一路線だなんて曲解もはなはだしい。 >>131
龍馬が殺された理由は極めて明白。
最大の理由は、「慶応2年1月に同心を銃撃して逸走したる問罪のため」。
11月上旬に龍馬の所在が判明して捕り物となった。
龍馬自身も自虐してるが、もともと前科で追われてただけ。
なお、維新後に土佐藩の佐々木高行率いる刑部省もこの主張を認めた。 >>133
でも近江屋では坂本龍馬を捕縛せず斬りつけてるよな 寺田屋で短銃を持ってることが明らかなので討ち捨て許可が出ていたから。 というか10月13日に後藤象二郎宛てに書いた手紙の内容が
見廻組に漏れてる時点で、黒幕とは言わずとも
「坂本ってやつがいましてね…」などと喋った人物がいるかもしれない 「龍馬の遺言」とかいう妄想ドラマを信じてる奴がまたいた >>137
見廻組には坂本龍馬が将軍を襲撃する計画があったという情報も入っていたようなんだが。
お前さんの言ってる「龍馬の遺言」ってのが何だか知らないけど。 >>133
それだと中岡慎太郎が暗殺された理由にはなりえない >>139
坂本が1人になったと思って斬りこんだらもう1人いただけの話。
質問ばっかりしてないで少しは事件のこと調べたら? >>133
坂本は幕府の重役だった永井尚志と会ってるんだから、その場で取り押さえたほうが適切だろ
捕り物をするならな >>141
坂本龍馬が永井尚志を訪ねたのは襲撃の直前で、
見廻組が坂本龍馬の所在に関する情報を得て、
「幕吏」と協議したのは11月上旬。
つまり討伐計画はこの段階から動き出している。
密偵は坂本の潜伏先を見てるので、
永井邸を訪問するなんてのは知る由もない。
いずれにせよ政治的暗殺ではなく、見廻組の職務執行なのは間違いない。
刑部省の判決でも「捕縛に罷り越し討ちはたし」と認定されている。 あと「捕縛」と言っても相手が抵抗するのが分かってる場合、
「討ち捨てても苦しからず」という布達が出るのが一般的だからな。
背後関係を探る場合は生け捕りにして吐かせる必要があるが、
坂本の場合は殺人事件で追われてるんだから自供を取る必要はない
短銃持ってるのが分かってたら当然撃殺になる。 >>140
もう1人いただけ、
じゃなくて坂本龍馬の他に2人も殺されてるぞ
お前こそ事件のことちゃんと調べたら? 武力討幕やむなしだけど、なるべく戦争は起こしたくなかったというのが本音かな
まぁ有名な「日本を今一度洗濯いたし申し候」だって、その前文が「幕府の糞役人どもをぶっ殺し」ってのがくるからね
少なくとも文久の年の時点では平和主義者なわけがない 坂本龍馬=武力討幕論者という理解もあるにはあるけど一般的ではない。
坂本は後藤の周旋に期待してる面で、建白自体を妨害しようとした西郷や、
建白を茶番劇とみなしていた木戸とはやはり立ち位置が違う。
それに最近は「武力討幕派」というカテゴリ自体を使わなくなったので、
龍馬の立場を薩摩藩強硬派に引き付けて考える見解でも、武力討幕派とは言わない。 >>145
文久3年6月29日の手紙でいう「姦吏」は「右申すところの姦吏」つまり
「夷人と内通」する者に向けられたものだから、一般的な討幕論と読み替えるのは無理がありすぎる。
この当時の龍馬は越前藩邸でも攘夷論を吹っかけて歩くような人間だったが、
条約に勅許がおりて争点ではなくなった慶応3年になっても同じ意見を維持していたかは疑問。 >>144
中岡慎太郎も殺されてる。だから中岡も狙われたに違いない
↓
見廻組は坂本1人になったと信じていた。中岡の存在は想定外。
↓
藤吉もいたよ
争点は「中岡の存在を見廻組が認識していたかどうか」なのに、
藤吉の存在を持ち出しても反論になってねえだろ馬鹿。 >>148
だから見廻組が藤吉のことを知ってたんなら、もう1人いただけってことにならないだろ
論破されて悔しいからってしょうもない言い訳すんなよ
>>140のクソ馬鹿も、
坂本が1人になったと思って斬りこんだらもう1人いた、
って1人だけを馬鹿みたいに強調してるし 藤吉も二人が斬られているところに無我夢中でとびついて妨害したけど結局は無刀だからなますにされたとどこかで見た記憶がある
狙われてる主人に不審人物を先に案内しようとして斬られた間抜けではなかったかも
坂本も大刀が使えないとみるや中岡同様に小刀に切り替えてしばらく闘った説もあるんだよね
通説みたいにたった三撃でやられて去られた訳じゃなく、実際は30箇所以上傷があって、そのうち致命傷が頭部2箇所の傷だったのが正しいとか >>146
薩長も当初はガチで戦争したら幕府に負けるから
なるべく政治的に追いつめて徳川に譲歩させるのが基本路線だから
こいつらも武力討幕派というのは疑わしいんだよな
長州なんか最近の資料で大政奉還を一貫して支持していたの解っているし >>149
見廻組の討手は、当日近江屋を訪れた岡本健三郎と峯吉が
連れ立って出ていくのを確認して斬りこんだと思われる。
つまり坂本以外に余計な人物はいないと判断したところ、
二階に上がってみたら2人の人物がおり、どちらが坂本か判断しかねた。
藤吉の存在は最初から捨象されている。
お前は「中岡の存在を知っていたはずだ」と言っているが、
見廻組の討手にとっては中岡は「坂本ほか1名」つまり巻き添えに過ぎない。
判決文でもそういう認定。 >>150
藤吉は背中に大きな傷を負って苦しんでいた(林謙三談)
討手は藤吉を先に立てて二階にのぼらせ、抜き打ちに斬ったんだろう。
坂本、中岡の殺害もほんの一瞬の出来事だから、
乱闘に加わってる暇なんてなかったはず。 「渡辺家履歴書」によれば「従僕も相たおし即死す」とあるが、
6か所刀傷があるから、抜き打ちで大傷を負いながら逃げる藤吉を追ってさらに斬った。
格闘中に明かりが消えたようだから、暗闇の戦いになったのかもしれない。
「坂本がしばらく戦った」説ってどこの異説だろうね
土佐藩の人間が後日考え出した説かな?
一の太刀が致命傷になり、三の太刀を食らって悶絶
挨拶を受けた相手からの抜き打ちだから、三の太刀まで抵抗しただけでも精一杯
中岡も、おそらく渡辺吉太郎になますにされて、抵抗してる暇なんてない
中岡の証言を見ても、負傷して倒れながら刺客の様子をうかがってたのが分かる。
まあ正確な所は分からないけどね。 >>151
西郷が計画してた蜂起もよく目的が分からないからね。
8月14日に柏村数馬に西郷が告げた挙兵計画も、無謀・空論という評価をされたり、
越前や宇和島を同志に入れたり「討幕は仕らず」と言ってるから第一には政変が目的だとか、
当日朝の原市之進暗殺で気分が高揚してたので言っただけとか、
人によって解釈は色々ある。
薩摩藩が挙兵するという噂は5月下旬から広まり、要人に護衛が付けられてるから、
面目を失した薩摩藩強硬派は、目的がどうあれリアクションせざるを得ない状況だったのかもしれない。 >>152
まだごまかしてんのか
>>140のクソ馬鹿は、
坂本が1人になったと思って斬りこんだらもう1人いた、
って1人だけを馬鹿みたいに強調してたけど実際は2人もいただろうが
144に言われるまで気づかなかったんだろ 二人部屋に入ったら部屋に二人いたから両方に切りつける→ほぼ致命傷を負ったところに後から数人が参加してなますに→止めに入った藤吉もなます→歌歌いながら退散
言っちゃ悪いが二階の一番奥の間にいたくせに簡単にやられすぎなところを考えると、泥酔してたのかもね >>157
見廻組は訪問客を装って十津川郷士(または松代藩士)を名乗って名札を渡してるし、
「坂本先生しばらく」と言ってるので、坂本は抜き打ちにあうまで
訪問客だと信じてたのだろう。 >>158
中岡は「2人突然飛び込んできて先に自分に斬りつけてきた」って言ってるし、十津川云々は後から出てきた話じゃね? >>159
二人は名札を見ながら誰だろうと考えてるんだよ。
坂本先生しばらくと言ったので、床の間側に座ってた龍馬が顔を上げ、
その反応で今井が抜き打ちにする。
ところが、名札を持ってた中岡はそっちに気を取られて今井の動きが見えなかった。
そして続いて切り込んできたもう1人(渡辺吉太郎?)の斬撃を見て「いきなり賊が飛び込んで…」
と勘違いしてるの。今井は一応普通に入って挨拶してるので「いきなり飛び込んで」はいないから。
谷干城が中岡から聞いた話では
「その名刺はただ紙片に文字とも何とも読めぬことを記しありければ、
訝しきことなりとて二人とも行燈に差し向かい照らし見入る中…」とあって、
要するに名札には奇怪な記号みたいなのしか書いてなかった。
「これは何だいったい…」と坂本・中岡が額を寄せて行燈の火で考えてる所に、
今井が静かに入ってきてあいさつした。中岡が名札に気を取られてたのはそういう理由。 結城記者の記事だけなら、名札や「坂本先生しばらく」も創作の可能性があるが、
明治25年6月〜7月に、東京横浜毎日新聞「叢談」に「只三郎君小伝」を今井がペンネームで執筆した時も、
「即ち刺を通じ案内を乞う」「一番…二階に上り坂本先生久闊と呼ぶ。二番、抜刀にて進み忽ち叫号」とあり、
名札を先に渡して、一番太刀の人が坂本に挨拶し、二番太刀の人は刀を抜いて飛び込んだのが分かる。 >>161
25年も経ってから突然自分の手柄を吹聴し始めたDQNジジイの言説を鵜呑みにしてもねえ >>163
無知もいい所
幕臣仲間は今井がやったことを知っている
今井も特に隠していない
30何年もたってから騒ぎになったのは、
単に土佐派の人間が知らなかったから >>166
今井がやったのは幕府側も知ってたけど、肝心の役割がコロコロ変わってるじゃん
当初は見張りだったのが後から直接斬ったとか言ってるし >>167
今井は物堅い所があって、刑部省の取調で偽証した所は切り込みの実行くらいだよ。
その時は今井以外にも生きてる人間がいたから(渡辺篤か?)、切った人間は既に戦死した人間だとして、
生きてる人間には累が及ばないようにした。
これは当時、尊攘派の浪士でも捕まったらやることだからおかしなことではない。
しかし、それ以外の回想は明治40年代に至るまで変えてない。
近江屋の間取りの再現に至るまで正確。 >>163
>25年も経ってから突然自分の手柄を吹聴し始めた
本当に何も知らないんだな。今井は自分が近江屋討伐の実行者だということを隠してない。
函館幹部で降伏後、同じ部屋に閉じ込められた大鳥圭介も知っているし、
勝海舟も明治3年の段階で日記に書いてるから、旧知の幕臣はほぼ知ってると思って間違いない。
「明治25年になって初めて明かした」のではなく、普通にその手の話をしてて、
なおかつ、幕臣列伝の回想を書いてと旧幕臣の丸毛利恒が始めた毎日新聞に頼まれて、
上司の佐々木只三郎について3回連載の回想録を書いたというだけの話。
結城無二三の息子にもしゃべってるし、聞かれると普通に話してた。
谷干城が取り上げてからみんなにわかに今井のことを調べ始めたので、
その時期以降の証言しか注目されてないという極めて愚かな話。 今井は文筆家で、日記も残してるし、函館戦争を回想した「蝦夷之夢」や
衝蜂隊に関する著述もある。新聞も読んでるし自分でも記事書いてるし、
今井が村長やってた旧初倉村=島田市でも展示会みたいなのをやってた。
だから関心がある人は知ってる。
一切スルーして龍馬暗殺本書いちゃう人もいるけど 竜馬暗殺関連って、だいたいみんな結論ありきで研究するから
信じたくない資料を見つけるとほぼ確実にスルーされるのが特徴 桐野本なんて事件の解明より薩摩藩黒幕の攻撃ばっかりだもんな
おかげで重要史料ボロボロ落としてるし何のための龍馬本だか
あんな本に影響されて語ってる人がいて痛々しい限り かもしれないかもしれないと妄想を連発して
薩摩藩黒幕だと主張したい人が何か申しております >>173
は?誰が薩摩藩黒幕だと言った?
見廻組の公務執行に間違いない以上、黒幕論じたいが意味ないんだよ
お前みたいな陰謀脳がいるから桐野みたいな商売が成り立つのさ 桐野は本能寺の変でも朝廷黒幕説に乗っかって騒ぎ、
朝廷との関係悪くねえだろと言われたら四国説に走るという札付きの陰謀論者
本を売るにはヲタが喜びそうな謎解きをしないといけないのかな? >>174
言ってることのつじつまが合ってない
マウント取りたい一心で相手を勝手に陰謀脳に設定する思い込みの強い妄想癖のお方w >>176
龍馬殺害について
・職務執行説 → 見廻組の公務として行われたという説(=政治的暗殺ではない)
ほぼ通説 だからまともな学者はここで切り上げて黒幕論争に立ち入らない
・政治的暗殺説 → 公務ではなく政治的暗殺とする立場
見廻組単独犯行説、○○黒幕説など
ある黒幕説を叩くのはほかの黒幕説の支持なんだろうと思い込むのは
ろくに学説状況も知らない低学歴のすること 日本語読めない人が妄想で補完して何か申しておりますw 坂本龍馬の子孫が、子供放置して不貞行為した事知ってる? >>177
論文として黒幕の正体とか突っ返されるだけの話だよw 坂本龍馬についてのどうでもいいエピソードの探求
龍馬に限った話ではないが、幕末に黒船で移動した人たちは、その間は洋式トイレで用を足したのかな。
それとも、日本で使う黒船は和式に改装したのかな・・・などと思ってしまった。
ちなみに、小学生の時に観たNHK大河ドラマ「竜馬がゆく」では、船室に畳を敷いてある場面や龍馬がベッドで寝る場面もあったが、トイレは出てこなかった。 司馬遼太郎の妄想でヒーローに祭り上げられたクソ雑魚のスレはここですか? >>187
元は坂崎紫蘭って人が新聞に載せた原稿が始まりやが?
それに、幕末時代に活躍した人が評価しとるのは何かね?
松平春嶽公や井上馨とかね >>185
まあ、金を得る方法はいっばいあったみたいやね。
返してない借金もあったみたいやし。 >>184
龍馬には実子はおらんよ。
養子なら居るだけ。
その人らは北海道に居るはずやで) >>187
竜馬は司馬遼太郎以前から人気あった有名人よ
司馬遼太郎が作り上げたヒーローは土方歳三のほう
こっちは司馬遼太郎以前は不人気どころか悪役だった >>191
「竜馬」って変換しちゃう時点で司馬バイアスがひどいw >>151
軍隊揃える、時間稼ぎ
王政復興決行は、龍馬は知らない。
土佐藩が信用できないから、伝えていない。 最近の研究では、薩長盟約を仲介したのは坂本よりも中岡、田中光顕らで、薩摩藩側の代表者は西郷ではなく小松清廉(帯刀)、というのが定説
船中八策にしても、現物が存在しないから、歴史学的に事実か証明できない
剣豪説にしたって、ちゃんと記録がある木戸と違って、なんの証左も残ってない(女子供の手習いの薙刀の免状は残ってる)
つまり、坂本英雄説って、全部司馬遼太郎の妄想/でっち上げなんだよね 民間御用達歴史学者w の本郷和人w は「司馬遼太郎に発見された坂本龍馬」ってハッキリ書いてるしなあ
つまり司馬が妄想炸裂させてあーだこーだ言い出さなけりゃ、完全に埋もれた存在であり、忘れられた、誰も知らない存在だった そもそも(薩長同盟の)仲介をしたのがそんなに偉いか、ってのがある
同盟の主体者、薩長それぞれの代表者、リーダーたち(薩摩ならば小松、西郷、大久保ら、長州ならば木戸、広沢、高杉ら)のほうが数十倍偉くない?
実際に兵を動員、指揮できたのは彼らなんだから
中岡、田中光顕、坂本ら以外にも、間を繋ぐ小物はたくさんいただろうし、保険を打って、さまざまなルートからの、(今は忘れ去られた)無数の連絡役がいただろうことは想像に難くない
誰か1人に全面的に委ねるなんて、そんな危険を冒すわけがない 「決断」を任されることのない社員がコミュ力だけでデカいネゴ役果たしたっていうサラリーマン夢物語としてキャッチーだったんだろう
本来歴史に名を残すことはなかった感じもキャッチーw >>194
>>196
超亀訂正
中岡、田中光顕と土方久元ね
最近の研究では土方がメイン? 見廻組の公務執行なら殺害後に逃げる必要無いと思うんだけど、なんで見廻組は逃げたの? 坂本龍馬は教科書に必要か 大政奉還や薩長同盟、史実は
高校の歴史教科書から「坂本龍馬」が消えるかもしれない――。昨年11月に歴史教育の専門家らが示した用語の精選案について、「声」欄に賛否の意見が多数寄せられました。
史料を基に龍馬や吉田松陰らの実像に迫った「司馬遼太郎が描かなかった幕末」の著者、一坂太郎・萩博物館特別学芸員はこれをどう見るか、話を伺いました。
――龍馬は教科書に必要だ、という意見が多かったです。
今の教科書で龍馬がどう書かれているかというと、徳川慶喜が朝廷に政権を返還する「大政奉還」のところで出てきます。龍馬と土佐藩重役の後藤象二郎が、藩主を通して将軍慶喜に大政奉還を勧めたと。しかし、ここに龍馬を入れるのは正しくない。龍馬が大政奉還を唱えたという根拠になっていた文書「船中八策」は、後世に創作されたとの説が有力です。龍馬が提唱したことを示す証拠は出ていません。龍馬は大政奉還が実現した後、新政府綱領八策という文書を書いていますが、当時の知識人たちが他に何人も言っている内容で、これも新政府に影響を及ぼしたという証言が見つかっていません。
――薩長同盟はどうですか。薩摩藩と長州藩が軍事同盟を結ぶ際に「龍馬らが仲介した」と教科書に出てきます。
薩長の間で何らかの周旋をしたという史実はある。例えば、薩摩藩から頼まれて「幕府が2回目の長州征伐の命令を出しても薩摩は動かない」という文書を長州藩に届けている。しかし、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に出てくる、彼の一喝で両者がいきなり手を結んだとか、そういう分かりやすいものではありません。
――長州が薩摩名義で武器を購入した史実は? 「竜馬がゆく」では龍馬が発案、仲介して両者の軍事同盟のきっかけをつくったと。
発案は違います。長州の木戸孝允の回想録に「薩摩の名義で武器を買わせてくれと龍馬に言った」とある。木戸がお願いしますねと言ったと。龍馬はわかったと引き受けたが、何の返事もないので木戸がいらいらして、見切り発車みたいな形で伊藤俊輔(博文)と井上聞多(馨)を長崎に送り込む。ここは史料で確認できる。伊藤、井上の木戸への報告の中にも、薩摩が合意したとはあるが、龍馬は出てきません。
――龍馬が仲介しているなら、名前が出てきてもよさそうですね。
そうです。薩摩の要人が「ああ龍馬から聞いている」というような話にならないとおかしいのに、初めて聞くような言いぶりなのです。龍馬が仲介していたという史料は出てこない。
先ほどの、薩摩の西郷隆盛と長州の木戸がそっぽを向いていたのを龍馬が飛び込んできて手を結ばせたという話は、「維新土佐勤王史」という大正元年に出た本に出てきます。物語半分、史料半分みたいな本ですが、明治政府で窓際に置かれていた土佐閥が、維新の時に俺たちはこんなに頑張ったのに、ないがしろにするのは何事かとアピールするために書いた側面が強い。その意味でこのエピソードは都合がいいのですが、史料を読む限り、物語のような展開で歴史が動いたとは考えがたい。維新直後に出版された志士100人列伝のような本に、龍馬は出てこない。当時は幕末の志士として誰も龍馬を思い出さなかったのです。
――龍馬の功績は、判然としていないと。
https://www.asahi.com/articles/ASL174FXXL17UWPJ003.html
【悲報】坂本龍馬さん、教科書から削除される 学者「偉業の95割は司馬遼太郎の創作、西郷隆盛の”パシリ”でしかない」 [517459952]
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1622636631/ >>201
おお! 自分の知識不足で知らなかったんだけど、そういうところにきてるんだ
元々武田鉄矢みたいな司馬遼太郎フォロワーの龍馬ファンがなんかいけすかなくて、
いつかけちをつけてやろうと思ってたんだけど、司馬史観から外れた龍馬を自分で書いてみたくなったところだった
ありがたい情報 201さんが引用している新聞記事は、一坂太郎がインタビューで語ったものです。しかし、この人は高杉晋作や久坂玄瑞の研究者である一方、龍馬を恣意的に批判することの多い人で要注意です。維新史の第一人者の松浦玲氏も著作「検証・龍馬伝説」で一坂を批判的に取り上げてます。
龍馬の活躍は司馬さんの「竜馬がゆく」で創作されたものとして語られることが多いけど、今「竜馬がゆく」を読み返すと、薩長同盟に向けた慶應元年後半の龍馬の地道な努力がすっかり飛ばされていることに気づきます。つまり、エンターテインメントとして龍馬をスーパーヒーロー
として面白く描く反面、もっと語られなくてはいけない地味ではあるけど重要な功績は描かれていない訳です。勿論、史書ではなく娯楽小説なのですから批判の対象にはなりませんが。
ただ、「竜馬がゆく」の反動として龍馬を薩長間で使われた工作員の一人だと決めつけることも歴史の真相を見誤ることになると思います。そもそも本当にパシリだったら、なぜ薩長間での密約協議が行き詰まったのに、龍馬が遅れて参加したことで急転まとまったのか(松浦玲「坂本龍馬」99頁)説明がつきません。 204の補充
最近、薩長同盟のことを薩長和解と呼ぶ動きがあるが、薩長はすでに慶應元年時点(近藤長次郎が毛利敬親に拝謁して島津久光宛ての親書を受け取り、島津久光に拝謁して同親書を手渡した時点)で和解しており、慶応2年正月22日にまとまった方針を重ねて和解と呼ぶのは理屈に合わない。
では、薩長同盟とは何かというと、前年に和解した薩長が今後の方針を取り決めたということである。その交渉をするため木戸が京へ上り、小松、西郷ら薩摩の首脳と話し合った。
しかし、その際、小松、西郷らの「長州は、幕府の重ねての処分を受け入れて戦争(第2次長州征伐)を回避して欲しい。」とする主張と、木戸の「すでに長州への処分は済んでおり、幕府が重ねて処分を行うなら幕府との戦争を辞さない。その時は、薩摩は後方支援して欲しい。」とする主張が対立して交渉は行き詰まった。このため、木戸は京を去ることにし、薩摩側も送別会を行った。
そして21日、木戸が京を立って伏見まで来たところで遅れて上京してきた龍馬と会った(正確には、龍馬はいったん京に入り、すでに木戸が去ったと知って木戸を追いかけ、伏見で追いついた(この伏見の件は、山本栄一郎氏の綿密な考証による)。)。そして、龍馬は木戸から前記事情を聴いた上で(木戸覚書)、木戸に今一度京に戻るように説得し、さらに同日夜、小松、西郷に会って木戸の主張を受け入れるように説得し(ここは史料はないけど、これら前後の事実から明白)、翌22日、薩摩側も木戸の主張を受け入れることに方針を決定し、現在伝わる内容の薩長同盟が成立した訳である。
この取り決めがあったからこそ、長州は四境戦争に踏み切れたし、薩摩も公武合体から倒幕への路線変更に踏み切れた訳である。
そうしてみると、龍馬が薩長同盟(薩摩は飽くまで長州を後方から支援することまでを約束し、一緒に戦う約束をした訳ではないので、連合とは言えない。日英同盟を日英連合と言わないように。)に果たした功績は、やはり大きいと言わざるを得ない。
龍馬がいなくても、いずれはこういう形で薩長同盟は成立したという意見もあるだろうが、成立の遅れは政治の世界では致命傷になりかねず、龍馬があの時、あの場所にいたからこその薩長同盟と言えるのではないか。 坂本は長崎で白い袴を着て暴れていたチンピラであって
政治的な理念などカケラも持ってないし
武器商人ですらなかった
単に、英国が日本のマイノリティーに無料配布する銃器の仲介をさせられただけだ
坂本に銃器を配布させた後に坂本を殺せば、英国と日本の接点を消せる
英国は世界中に宣教師を派遣して、政府を倒すためのマイノリティーを探して
武器を与えて政府を倒している
その中の一つに過ぎないんだ英国が起こした明治維新は
英国は、というかロスチャやロックだが、世界中の政府を倒して
通貨発行権を握る、これが近代の新しい植民地支配の形だ
では、宣教師が探し出した山口県の朝鮮人の正体とは?
明治政府、日本軍を作った朝鮮人の正体とは?
北朝でも南朝でも無かった
新しく来た李氏朝鮮の連中だよ海援隊の武田鉄矢とかさ
英国にもらった機関銃を乱射しながら
日本人を強姦しながら、機関銃で日本人を滅多撃ちしながら、日本縦断って
そんなこと日本人はやらないよ
今の日本の李朝政府は大国の圧力もあって倒されるようだ
そしたらNHKの明治維新ドラマは戊辰戦争もきっちり描写されるだろう >>203
少しちゃうな、見廻組が幕府側だからこそ正当な理由での処断であっても
当時どっちつかずな土佐藩を刺激する事は避けた可能性 見廻組は、治安維持を本務とする新選組に対して今の警察でいうところの警備が本務であり、強固な組織である新選組と違って佐々木惟(只)三郎の個人商店のようなものだった。任務を与えられると、その都度周囲の腕利きに声を掛けて集まってもらい、仕事を行う仕組みだった。
龍馬暗殺に関しては、会津藩から実兄を通じて過激派の不逞活動家であり、伏見奉行の同心を殺害した凶状持ちである龍馬を捕縛する任務を与えられ、今井信郎らに声を掛けて任務を遂行した訳だ。
ただ、そうなると任務は捕縛であって暗殺ではない。しかし、近江屋から中岡が退去しないことから、寺田屋事件で捕縛に失敗した経緯も鑑み、佐々木の判断で暗殺に方針を変えたものと推認する。
しかし、それでは公務執行の適法性に疑義が生じることになり、しかも関係のない中岡まで殺害したことは完全な違法行為であるため、実行後ただちに逃走し、実行者としての名乗りもあげなかったのだと思う。 龍馬のクズエピソード 「亀山社中」の呼称について
亀山社中とは、西郷隆盛が勝海舟から預かった神戸勝塾の元塾生たちを薩摩藩家老小松帯刀が長崎に連れて行き、同藩のための武器や軍艦等を購入させたり運用させた団体のことである。今日の商社と船会社に似た団体ではあるが、きちんと組織化したものではなく、当事者たちは単に「社中」と呼んでいた。長崎の亀山に事務所を置いたので、後世「亀山社中」と呼ぶようになった。
ただ、だから亀山社中という名称は間違いだというのは的を得たものではないだろう。後世の呼び名というなら、江戸幕府だって後世の呼び名であり、江戸時代の人たちは単に公儀とか幕府と呼んでいた。だから、後世の私たちが他の社中と区別するため亀山社中と呼ぶことは問題ないだろう。
むしろ、問題は、亀山社中を作ったのは坂本龍馬だと考えることである。前記のとおり、亀山社中は小松が作った彼の個人的な団体であり、取引先や幕府との関係で何か問題が生じれば、「薩摩藩とは関係ない。」として切り捨て、最悪でも小松が引責すれば済むようにしていたと思われる。そもそも、亀山社中が作られた慶応元年に龍馬は一度も長崎に行っていない。そのことだけを取ってもの、彼が亀山社中設立には無関係だったと分かる。小松から「塾生たちの身が立つようにこういう仕事をさせる。」とは聞かされたではあろうが。龍馬は、薩長同盟仲介の仕事をし、鹿児島でおりょうと新婚旅行を楽しんだ後で社中の面々と合流したのであり、それ以前の亀山社中の業務にはほぼ無関係だった。ただ、購入したユニオン号の運用を巡って薩摩と長州が対立した際、その調整に龍馬が出て行かざるを得なかったのは塾生たちの統率者という龍馬の立場に拠るものだろう。それだけに、龍馬としては、「薩長の仲介に忙しいのに、こんなことで俺に迷惑をかけるな。」という気持ちはあったろう。だから、近藤がユニオン号の件で引責して切腹した時、彼のことを「術数余り有って至誠不足。上杉氏(近藤)
の身を亡ぼす所以なり。」と突き放した表現をしたものと思う。 脱藩って、違法じゃ無かったんですか?
龍馬が行った当時は 717 本当にあった怖い名無し (ワッチョイ d192-FUlb [106.73.34.192]) sage 2022/12/13(火) 23:27:00.30 ID:3NuiWMfk0
GOEM歴史部7
そこで後に、幕府と戦うJダヤの手先の武器商人・S本R馬に操船技術を仕込んで、幕府と戦争させています。
この結果、K海Sは追い詰められて、軍艦奉行を罷免され、神戸海軍操練所も閉鎖となりました。
KK舟が幕府側にいながら、Jダヤ金融悪魔の為に働いていた事がわかります。 931 名無しさん@そうだドライブへ行こう 2023/02/24(金) 00:27:16.69 ID:dULVN/YZ
>>914
薩長側には、最新鋭の軍艦に新型大砲もあったからな。
武器商人トーマスグラバーの手先が土佐藩の田舎侍の坂本龍馬 当たり屋
重婚
役人2人射殺(人殺し)
脱藩
テロリストに武器を斡旋して内戦勃発の幇助
嫁は皆から悪女と言われる女
海援隊はチンピラ集団で長崎では忌嫌われる
時計泥棒の逃亡幇助
土佐勤王党から自分だけ逃亡
武市や以蔵の仇後藤と勝手に和解
海兵隊の水夫惨殺
近藤長次郎を切腹させる
善悪の区別がつかないアスペルガー症候群 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています