東京一極集中の歴史
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この辺りについての信憑性を語りましょう
某掲示板より
今や日本は、わざと歴史を説明しない偏向報道のおかげで大阪経済が今日の日本経済のルーツである事すら知らない情弱だらけで、東北を含め日本のド田舎の人間まで、大阪を見下す対象の都市として
見た事もないのにイメージで叩き、ガチで大阪人は亀田一家や清原や吉本の芸人やテレビで見かける「大阪のおばちゃん」(偽大阪人、タレント)
みたいな人種ばかり生息している野蛮で下品で低俗な地域だと信じ込んでるからな。
まさに大宅壮一が言った「テレビによる日本人の一億総白痴化」が的中したかっこうだよ。
東京一極集中(文化、情報発信、経済)、関西経済衰退、地方疲弊は
自然に起こった事でも市場原理で起こった事でもなく全て戦後の官僚による国策
http://www.news.janjan.jp/government/0712/0711300518/1.php
http://www.news.janjan.jp/government/0711/0711260240/1.php
http://www.news.janjan.jp/movie/stream/sakaiya_071130.php
http://www.news.janjan.jp/movie/stream/sakaiya_071124.php
たまに大阪衰退と東京一極集中は自然発生的に市場原理で起きた現象だと勘違いしている
無知で恥ずかしい人種がいるけど、現実は正反対で完全な官僚による経済収奪行為だからな
もともと日本の富の7〜8割が集中していた大阪経済が衰退し、東京へ中心が移ったのは
官僚による強引な国策によるものだからな
サル(関東人)でも分かる一極集中の歴史
1930年まで、大阪圏の経済規模は、東京圏以上だった。
1931年の満州事変以降、中央集権が進んでいった。
1945年の東京裁判で連合国は、中央集権的な体制を残しておいたほうが民主化する上で有利である、と判断した。
1960年まで製造業の中心は阪神だったが、公害問題などに対処するために、東京、大阪の工場の設置に規制をかけた。
1960年代に、TVの全国放送の権利を東京のメディアだけに認めた(世界でも例の無い日本だけのキー局制度)。
2002年にようやく工場制限法を解除した。 >>335
何の犯罪に当たるのだろう…
専門的にはあのような言い方は「ばからしい」と思っていても、口に出すとちょいまずいから
口に出さなかったコトなんじゃないのかな?だから、地震学者全ての人に罪があるとなると
そうなる。
でも、今のアベノミクスも失敗がほぼ明らかだけど、それを口に出しにくい雰囲気は明らか
にあり、それを言った人は次のTVには呼ばれないだろうなあ… 京阪神奈大都市圏に
岩手県を重ねてみよう。
同じ県だ。
難波宮、ながら豊崎の宮
大阪は何度も都となり
難波津は世界の貿易港だ。
芸術家の才能も、埋もれている。
大阪に住んでもらおう。
首都圏と並んで、こ 首都圏と一緒に、
世界に、日本を売り込み
日本復活だ。 橋本元市長の評価はともかく
発言のなかに
私立の先生も、しっかり教師
をしている。
教師が、公務員である必要は
ない。公務員であるから
教師をしているやから
は辞めてください。 まさか熊本で地震がおこるなんて
思いませんでした。
いったい、いつ、どこで
なにが、おこるんだ。
日本列島。 首都東京に、官邸、メディアキー局
気象庁などなどが、集中してるが、
東京に、今回の熊本クラスの
地震がおきたとして(すみません)
東京在住の人々を迅速に
救助できるのでしょうか?
立川市の防災拠点では、近すぎ
だし。
縁あって、このような日本列島で、生活し
生きている我々運命共同体なのかやもわからないですね。 東京マスコミは運命共同体だとは思っていない
東京を頂点であるかの様に行動している ◆在日中国人
在日中国人(ざいにちちゅうごくじん、日籍華人)は、日本に在住している中国人である。
中華人民共和国または中華民国(台湾)の国籍を有する者は華僑であり、日本国籍を
取得したものは「華人」である。なお、中華民国(台湾)の国籍者は在日台湾人と呼ばれる。
広義には中華人民共和国(香港、マカオを含む)と中華民国(台湾)国籍者を指すが、
狭義には中華人民共和国国籍者のみを指し、中華民国(台湾)国籍者は在日台湾人と
呼ばれることが多い。
独立行政法人統計センターによると、2010年12月末時点では両地域合わせて687,156人が
外国人登録されており、これは565,989人の在日韓国・朝鮮人を超える規模である[1]。
既に2007年8月に人民網が、東京では100人に1人は在日中国人であると伝えている[2]。
2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する
神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、
兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。
このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が
顕著である[3]。
なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住していると
いわれる、[要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。 都道府県の作り方について
疑問を感じる
明治政府が、線引きする前は、
例えば摂津の国なら、大阪北摂
と神戸は同じ県だ。
各都道府県を県民性として
色づけしないでほしい。
まあ、お国自慢は、視聴率が
とれ、本もそれなりにうれるから
どのお国も、自慢できるところは
あるし。
大阪府の自慢できるところは
1歴史、世界3墳墓の一つ
前方後円墳や古墳群が多い。
天皇陛下の御墓である
2複数回首都になりれき すみません
2歴史と伝統
3元禄時代ファッションや流行の
中心は大阪
4大阪南部は自然の海外があり
マリンスポーツやビーチバレーの
大会が多い
5郊外は東京たかお山のように
自然豊か
やはり、昼間の人口一千数百万人超える人口が、多いことによる働き口があり、交通網や日常生活の利便性レジャー産業
琵琶湖、淡路島、南紀白浜伊勢志摩
日本海瀬戸内太平洋
京都奈良神戸姫路に近く
時間距離だと東京も近い。郊外は
環境もよい。川があり、水と
ふれあえる。、、どのお国も
そうだけど。それらに伴う
りす
まあ、 すみません
リスクも表裏一体だけど。
ちなみに、どのお国も
食べ物はおいしい。
味覚は個人によってちがうし。
問題はテレビキー局と、出版社
まあ、インターネットの更なる
普及によって、各地域から全国に
発信され
テレビ雑誌は衰退期に入った。
東京一極集中はおわる。
諸行無常、、時代は常に
変化している。
東京都心で、庭付き一戸建てに
住むことが、普通になる? >>347
幕末の摂津にも人物はいたが少数派の兵庫側なんだよ。
川本幸民は摂津三田、大阪側はスッカスカのカスカス。
@元禄以前の大阪文化
元禄以前の大阪の学問は誠につまらないものであったということになる。
学問のほうは商売とは反対に殆ど見るべきものがない。
@徳川時代の大坂町人
商売のことも判からず、もちろん学問もせず、使用人になにごとも任かせきりであったものだから、
文化の中心も使用人に集まり、経済の仕方もみな丁稚や番頭の手に移り、学問も使用人の学問となって終ったものである。
@明治以降の大阪の学問
徳川時代の大名を対手とするというような商売の仕方が亡び、新しい大阪となったが、まったく今の大阪は暗黒な時代である。
檀那衆すなわち今の言葉でいう資本家から大した学問のある人も出来ず、さりとて使用人の方からも大した学者も出ていない。
(内藤湖南・大正十年、大阪において講演)
BSプレミアム
『官か?民か?明治の快男児 五代友厚の真実』
政府には人材がそろっているが大阪(民間)には居ない
私(五代)が官を辞し民に下るしかないのだ 適塾や、のちに、慶応を
つくったのは、大阪で、
学んだ福沢諭吉
日本女子大学を、つくった
あさがきた、のヒロインは
ゆうまでもないだろう
問題は、インドなど、いろんな
国に、日本国が、つぎつぎ
追い抜かれていることだ。
すなわち、東京の終焉の
可能性が、現実味をおびてくる。 大坂画壇はなぜ忘れられたのか――岡倉天心から東アジア美術史の構想へ
http://www1.odn.ne.jp/daigo-shobo/contents/books/books02/osaka.html
http://plaza.rakuten.co.jp/kobayashitoshio/diary/201305020000/
イギリス、イタリア、アメリカでは大坂画壇の作品は非常に熱心に収集され高く評価されているそうだ。
日本だけが大坂画壇の絵をほとんど無視している。
その原因は岡倉天心が日本美術を体系付けその価値評価を行った際、大阪画壇の絵を無視したからだという。
天心自身が大坂画壇のことを知らず絵も見ていなかったからである。 大阪にミジメなものがあるとすれば、東京に対する
対立感が強すぎることだ。人生は己れの最善を
つくせば足るものであるが、東京はこうだ、東京に
負けまい、と考えることは二流人の自覚でしかない。
(坂口安吾・新潟県出身 1951年) 928 名前:もぐもぐ名無しさん :2016/05/19(木) 22:25:02.03
つるとんたん - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A4%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%9F%E3%82%93
つるとんたんは、大阪府と東京都で展開する関西風うどんの外食チェーンのひとつ。
運営している企業はカトープレジャーグループ。代表取締役 兼 CEOは加藤友康[1]。
もともと東京進出の予定はなかったが、大阪の店舗の常連であった夏木マリが「東京でも『つるとんたん』のうどんが食べたい」という一声がきっかけとなり、2005年に六本木店が開店した[3]。夏木はその際、BGMなどを手伝った[4]。
店舗
大阪府
宗右衛門町店
北新地店
本町楼
大国町店
琴しょう楼
TOPCHEEFS - コンセプトは新しい「おいしさ」の発見。また、併設の「CHEEFS DELI」ではテイクアウト商品を試食することが可能になっている。
東京都
六本木店 - コンセプトはうどんの高級割烹。
新宿店 - コンセプトは音VS食。
BIS TOKYO
琴しょう楼 楽精庵
羽田空港店 大久保利通が目先の容易さに囚われ、大阪遷都を選んでいたら東日本は荒廃していただろう
東京人が真の都会人たりえるには、まず日本全体のことに思慮を巡らす必要がある 英語は世界の共通語だから
日本人も英語のみにしろ
といわれたら納得できないよね。
でも将来の日本人が英語しか
使えないなら、海外の人々との
コミュニケーション、訪日客にも
便利。でもなんか、納得できないよね。アイデンティティー、歴史、文化
一方、関西人は標準語をはなせ
関西言葉を直さない図々しい奴ら
っていうのも、素直に従えないのです。 家康(三河人)が江戸を大規模開発して文明化したから、
関東の野蛮人アズマエビスどもが、カン違いして調子に
のったんだよな。それまでは、鎌倉がかろうじて 文明化
されたいたぐらいで。 東京一極集中は参勤交代から始まったんじゃないかな。 俺は天下に恐ろしい者を二人見た。横井小楠(肥後人)と西郷南洲(隆盛、薩摩人)だ。
佐久間象山(信州人)は物識りだったよ。学問も広し見識も多少持っていたよ。しかしどうも法螺吹きで困るよ。
藤田東湖(水戸人)は多少学問もあり剣術も達者で一廉役に立ちそうな男だったよ。しかしどうも軽率で困るよ。
木戸小菊(孝允、長州人)は西郷などに比べると非常に小さい。しかし綿密な男さ。
吉田松陰(長州人)、真面目な人だった。漢書は読めたし武士道は心得ているしなかなか偉者だった。
斉彬公(島津、江戸人)はえらい人だったよ。
坂本竜馬(土佐人)、あれは俺を殺しに来た奴だがなかなか人物さ。なんとなく冒しがたい威権があってよい男だったよ。
小栗上野介(江戸人)は精力が人に優れて計略に富み世界の大勢にほぼ通じて、しかも誠忠無二の徳川武士で。度量の狭かったのは惜しかった。
山岡鉄舟(江戸人)も大久保一翁(江戸人)も共に熱性で切迫の人だったから可哀想に早く死んだよ。俺はただずるいから長生きしてるのさ。
二宮尊徳(相州人)は至って正直な人だったよ。
鍋島閑叟公(江戸人)は名高い名君だがすこぶる陽明派の学問に達しておられたということだ。
山内容堂公(土佐人)は天資豪宕、襟懐洒落、真に英雄の資を具えて居られた。
江川太郎左衛門(伊豆人)もまたかなりの人物であった。この男は山の中で成長して常に遊猟などをして筋骨を練り明け暮れ武芸に余念がなかった。
渡辺崋山(江戸人)、温厚の人で何もかもよく出来た人さ。高野長英(陸奥人)はずっと人物が下がるが蘭書がよく読めたので人が機械的に用いたよ。
小関三英(出羽人)は泉州岸和田の家来で医者であるが蘭学がよくできた。
岩倉具視公(京都人)は度量が大きくて公卿の中では珍しい人物であったよ。
高島秋帆(長崎人)というのは日本で銃陣の鼻祖だ。
陸奥(宗光、紀州人)は幕僚となるに適した人物で、幕僚に長としてこれを統率するには不適当であった。
福澤(諭吉、豊後人)は学者だからね。俺などの通る道と道が違うよ。
松方(正義、薩摩人)は謹厚の性質だ。これだけは俺が保証する。
白井亨(江戸人)、この人の剣を使うやほとんど一種の神通力を具えて居た。その白刃を提げて立つや凛として犯すべからざる神気刀尖より迸りて向かいなどに立って居られなかった。
大久保(利通、薩摩人)という男はあんまり功名を急ぐ欠点があるから折々やり損ないがあったけれど、あの男のように思い切った果断に富んだ者はまあ珍しいんだよ。
蜀山人(大田、江戸人)、私の六歳七歳時分から伯父の家でよく遇ったが顔の真赤な面白い男だった。
泉州岸和田の小関三英は東北人
大阪はスッカスカ 東京圏への一極集中が止まらない原因の一つで、このスレでもほとんど指摘されない事なのだが
中京圏には文系を蔑む文化というのがある。
名工とか名大以外の理系も充実してるが文系には底の底の残りカスしか集まらない。
たまにいる文系の優秀層は関東や関西に逃げ出すという絶望っぷり。
スタッフのレベルでみても名大文系は酷いものがある。 217 : 名無しさん@お腹いっぱい。2016/07/13(水) 13:13:11.86 ID:vtvLiQ+A
トンキンは基本自分達が偉いとか特別だとか勘違いしてるからなトンキンだけでなんでもできると勘違いして地方を馬鹿にしている
お前らの口にしてるものや着るもの乗るもの住む家すべて東京以外の恩恵を受けているわけでデカい震災なんかあれば大笑いしてやろうと思う 十九世紀一の知識人 木村蒹葭堂 大阪北堀江
十九世紀一の農政家 中山久蔵 大阪南河内
十九世紀一の西洋医学者 伏屋素狄 大阪和泉
十九世紀一の天文学者 高橋至時 大阪浪速
十九世紀一の作家 上田秋成 大阪曾根崎 >>328
幕末維新明治スッカスカの大阪『ええじゃないか、ええじゃないか』←これ踊ってただけ 小栗上野介 ←元祖売国奴
渋沢栄一 ←ただの小役人
二宮尊徳 ←ゴリ押しタレント
勝安房守 ←法螺吹き土下座要員
葛飾北斎 ←大衆画家
平山子龍 ←実際の戦争では役立たず
男谷下総守 ←実際の戦争では役立たず
白井亨 ←実際の戦争では役立たず
岩瀬肥後守 ←開国家(笑) 特に実績はないってことね
蒲生君平 ←尊王家(笑) 特に実績はないってことね
山岡鉄舟 ←豪胆者(笑) 特に実績はないってことね
三遊亭円朝 ←大坂の岡本万作の弟子。二軍の江戸でオラついてただけの雑魚
滝沢馬琴 ←関西人に師事
塙保己一 ←荷田春満(京都伏見)の孫弟子
藤田東湖 ←朝鮮朱子学
中村正直 ←福澤諭吉に完敗の雑魚
海保青陵 京都宮津
渡辺崋山 愛知田原
杉田玄白 福井小浜
上杉治憲 宮崎高鍋
立見尚文 三重桑名
松浦清 長崎平戸
島津斉彬 鹿児島鹿児島
↑
他所のものをウリジナル認定する在日韓東人 江戸人「メーン!メーン!」
↓
江戸人「ごメーン!ごメーン!」
江戸人は土下座の練習をしてただけw 十九世紀一の陽明学者 頼山陽 大阪江戸堀
十九世紀一の陽明学実践者 大塩平八郎 大阪天満
ちなみに
吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、河井継之助、佐久間象山、岩崎弥太郎、広瀬武夫、東郷平八郎も陽明学徒 >>371
頼山陽は儒学の学識の浅い漢詩人で、陽明学なんて学んでないよ。同時代的には江戸の佐藤一斎が
第一人者で、大坂の大塩平八郎は独学で陽明学を学び、山陽から小陽明と称えられた。
山陽の学識については、一斎が「あれほど無知でないと美文は書けない」と評したレベルだ。
>>371
備中高梁の山田方谷や但馬聖人池田草庵、讃岐多度津の林良斎、京の春日潜庵あたりも挙げて
おきたいところ。 佐藤一斎 -wikipedia
だが「蛮社の獄」では、無実の罪で窮地に落ちいった渡辺崋山を擁護する毅然とした対応を取らなかったので、後々(特に明治以降)「言行不一致」と批判される事となった。
ぷ 松崎慊堂
肥後国益城郡木倉村(現・熊本県上益城郡御船町)に生まれる。
蛮社の獄により捕らえられていた、門人・渡辺崋山の身を案じて1840年(天保10年)に病をおして建白書を草し、老中・水野忠邦に提出する。
慊堂は建白書の中で、崋山の人となりを述べ、彼の『慎機論』が政治を誹謗した罪に問われているとのことだが、
元来政治誹謗の罪などは聖賢の世にあるべき道理がないということを、春秋戦国・唐・明・清の諸律を参照して証明し、
もし公にしない反古を証拠に罪を問うならば誰が犯罪者であることを免れようか、と痛論した。
この文書の迫力でまず水野忠邦が動かされ、崋山は死一等を減ぜられたという。
文政・天保年間で大儒と称せられたのは佐藤一斎と慊堂だったが、
実際の学力においては一斎は慊堂に及ばず、聡明で世事に練達していたから慊堂と同等の名声を維持することができたといわれた。
ファファファのファーwww >>374-375
実際、一斎は日和見っぽいところがあるんだけどね。大塩平八郎とは陽明学者同士、文通による
交流があったけど、歳は一斎が20歳くらい上で初めは大塩も最大限の敬意を払っていたのに、
大塩が昌平黌の儒者の古賀?庵などとの論争をおっぱじめようとしたときに火消し役になってしまった。
大塩は、老中たちをも巻き込んで切腹覚悟で意見表明をする覚悟だったというのに。
おかげで大塩は一斎を見限り、自分の意志表明を、幕政腐敗の果てに起こった大飢饉での決起という
形で行うしかなかった。
しかし、蛮社の獄での渡辺崋山の擁護に消極的だったことには裏事情もあってね。
一斎は美濃岩村藩の家老の嫡子として生まれ、藩主の嫡子から病弱による廃嫡を経て林大学頭家に
入った林述斎とは生まれながらの主従。
一斎は元服して間もなく不祥事を起こして浪人になっている。それを学者として拾ったのはほかならぬ述斎。
そして、蛮社の獄を引き起こした基地外朱子学徒の鳥居耀蔵は、生まれながらの主君にして大恩人である
述斎の実子。一斎にとっては頭の上がらない相手だった。
その上、一斎は浪人として大坂遊学なんかもして世事に長けている、というか武士として毅然と対応するよりも
庶民的な「長いものに巻かれろ」的な価値観で動く。それが松崎慊堂との好対照でうまく主君の述斎を
支えたのも事実だ。
慊堂はもちろん一斎と同じく述斎の家臣のポジションで、鳥居耀蔵の教育係も務めた。でも、どう見ても
耀蔵は自分の嫉妬心をもとに周囲の人物を罠にはめまくっていたというのに、慊堂は若様可愛さのために、
「周囲が若様をそそのかした結果に違いない」なんてことを日記に書いていたりする。一斎と比べて
世間知らずだったから耀蔵が増長しても諫言できず、「崋山の擁護だけは」ちゃんとやったって感じだな。
そして話は頼山陽に戻るけど、山陽はそんな一斎からさえ学識のなさをあげつらわれるほど無学な人間だった。
それだけの話。もちろん山陽はインテリだけど、インテリの中では無学な方という話だ。世事の長け方は
山陽がダントツ、一斎がそれに次ぎ、慊堂は世間知らずって感じだけどね。 >>374-375
ちなみにお前さんが妙にアゲてる頼山陽はといえば。
広島藩儒頼春水の息子として大坂に生まれる。父春水は大坂朱子学派の一人で松平定信に建言して
寛政異学の禁で幕府昌平黌を朱子学一色に染めた人物。
山陽も元服後に昌平黌で父の盟友の尾藤二洲などから朱子学を学ぶ。
しかし生まれながらの奔放な性格で、隙を見て脱藩するという主命に背く行為をして、朱子学者たる
春水の顔に泥を塗る。その後は大坂の混沌詩社を通じた春水の人脈で菅茶山の弟子になるが、
そこからも出奔。のちに周囲の働きで許されて師弟関係を続ける。
上方に出てからは、両親の仲人役を務めた懐徳堂の中井履軒からその素行を嫌われ、面会すら
してもらえなかった。
大坂には他に、春水の混沌詩社つながりの友人に篠崎三島がいて、三島が運営していた梅花社塾は
養子の篠崎小竹が継いでいた。この小竹は山陽の無二の親友となったが、上方でのお目付け役
そのもので、京の町で山陽が悪友の蘭方医小石玄瑞などと豪遊をするたびに、幅広い人脈を持つ
小竹がすかさず聞きつけて、諫言するとともに山陽の国元に逐一知らせていた。
なお、篠崎三島は大塩平八郎の師匠でもあり、小竹は大塩の兄弟子。その人脈もあって山陽は
大坂で清廉潔白な与力でありかつ新進気鋭の学者でもあった大塩と交流を持つことになる。
山陽が大塩をそそのかしただの、共謀して乱を起こす計画だったが山陽が早世したために
成らなかっただのという風説は当時にも流れたが、山陽にそんな気骨はない。大塩には気骨が
ありすぎ。山陽が大塩に贈った漢文には、むしろ気骨がありすぎる大塩を諫める文面がある。
山陽は人たらしの才能があったようで、狷介な大塩とも良好な関係を築いた。更に、京の都では
重鎮である折衷学者の老儒・猪飼敬所に取り入るが、他の学者にはその素行の悪さのために
総スカンを食う。猪飼の庇護がなければとても京では活動できなかったことだろう。ただし、
漢文の才を慕う者は多く、多くの門人ができた。
その後山陽は死病に倒れるが、猪飼が津藩校に出講するため暇の挨拶に訪れた折、南朝北朝正当論で
徹底した議論となり、そのせいで死期を速めて吐血しこの世を去りましたとさ。
どう見ても山陽は学問上は朱子学徒、実践上はアンチ朱子学の奔放な芸術家としか評しようがないし、
学識は一斎が評した通りだろう。
一斎の素行をあげつらって山陽をアゲようとしても、山陽の素行がこれではどうにもならないよね。 頼山陽がこれほどまでに名を高めたのは『日本外史』を著したため。
この著作はその後幕末の志士や明治期の若者の心を鼓舞したことで陽明学がどうのとかみたいな
勘違いの基になったのかもしれないが、この著作はむしろ国学の価値観に基づく尊王思想を
漢文体の美文で表現した作品だ。
大塩平八郎も山陽から『日本外史』を贈られたから熟読しただろうし、伊勢の国学者足代弘訓などと
交流して国学に傾倒していたし、決起の際の檄文にも当時としては斬新な尊王思想が濃厚に
反映されているけど、当然ながら陽明学と国学は別物だわな。 イラッと来たから付け加えておこう。
>ぷ
>ファファファのファーwww
バカめ。 >耀蔵が増長しても諫言できず、「崋山の擁護だけは」ちゃんとやったって感じだな。
耀蔵が増長しても諫言できず、「崋山の擁護すらも」ちゃんとやらなかったって感じだな。>一斎
そんな口だけ人間にdisられてもむしろ評価は上がるだけ >>380
一斎は古典籍の渉猟と整備に長けていて、中国の研究者が唸るほどの業績を残している。
慊堂は日本人の精神の本質を看て、当て舵として考証学を確立した。
この両極は今後も両極足り続けることだろうね。 学究の声がこれで、他には歴史的な処断の他に下の引き上げも並ぶ。 バカが犯罪を犯したとして、その親が非難されることは多い。
しかし、まことに残念ながら、前近代の師弟関係は違う。
バカが師匠に背いた時点で破門なんだよね。
師匠をマジギレさせた時点で弟子は行き場をなくして切腹。それが前近代だ。
ってことで。 幕末の摂津にも人物はいたが少数派の兵庫側なんだよ。
川本幸民は摂津三田、大阪側はスッカスカのカスカス。
@元禄以前の大阪文化
元禄以前の大阪の学問は誠につまらないものであったということになる。
学問のほうは商売とは反対に殆ど見るべきものがない。
@徳川時代の大坂町人
商売のことも判からず、もちろん学問もせず、使用人になにごとも任かせきりであったものだから、
文化の中心も使用人に集まり、経済の仕方もみな丁稚や番頭の手に移り、学問も使用人の学問となって終ったものである。
@明治以降の大阪の学問
徳川時代の大名を対手とするというような商売の仕方が亡び、新しい大阪となったが、まったく今の大阪は暗黒な時代である。
檀那衆すなわち今の言葉でいう資本家から大した学問のある人も出来ず、さりとて使用人の方からも大した学者も出ていない。
(内藤湖南・大正十年、大阪において講演)
BSプレミアム
『官か?民か?明治の快男児 五代友厚の真実』
政府には人材がそろっているが大阪(民間)には居ない
私(五代)が官を辞し民に下るしかないのだ >>373以降は、文化的に大坂朱子学派・混沌詩社の大きな流れが明治維新につながっていゆく
文化的な大潮流を解説したものなんだけど、野蛮人には理解できないんだよね。
東国のアズマエビス改めアズマキムチは、シナチョンにマスコミを支配されて中韓ブームを
いつまで続ける気だよ。
もう選挙ではお前ら道化そのものなんだけど。 >>385
元禄から維新までの大坂の学問は盛んだったってことなのに、厚かましくそこを省いて印象操作かよ。
内藤湖南自身、大坂懐徳堂の中井履軒のオリジナリティを称賛する論文を書いたりしてるしな。
ゲスはどこまでいってもゲスだな。糞虫め。 >政府には人材がそろっているが大阪(民間)には居ない
アホちゃうけ。
明治政府は、大坂商人が持ってる全国諸藩の債権を無効にして(徳政令)、その代わりに全国諸藩の徴税権(辞官納地)をゲットしただけ。
いわば全国諸藩出身の人材とやらは大阪人が大半食わせてやって育った連中、
明治政府の持ってる徴税権は本来大半大阪人のもの。 >@明治以降の大阪の学問
その時はたまたま無能どもの尻拭い(徳政令)に忙しくてそれどころじゃなかっただけやろ
以降の優秀さはノーベル賞受賞者一覧でも見てこいハゲ いや普通に就職活動などをしていた人間なら大企業の創業元が殆んど大阪や他近畿なことぐらいは把握してると思うけど?
大企業本場の大阪の街に興味が湧き、わざわざ出向いたことあるからね、俺は。 ほんでも、ほんまの商都大阪は戦争で滅んだんやって
親は言ってるよ 【イタリア経済の】ローマとミラノ【中心はどっち】
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/geo/1469978211/
イタリアの首都で政治の中心、主だった大企業の本社が軒を連ねる永遠の都ローマ
一国の株式市場を取り仕切る証券取引所があるファッションの都ミラノ 関東は縄文時代から人口が多い地域。
それが大陸から稲作が伝わり、西日本の人口が増えた。
今はまた関東。日本は昔から東日本が主流。
昔に戻っただけだから無問題 >>395
なんで野山を駆け巡ってシカやイノシシをウホウホ追いかけていた時代なんかを基準に語るんだ?
東国人ってバカなのか? >>395
正直そんなものがどこまで本当かすこぶる怪しいだろ
ゴッドハンド事件とかみてもさあ(笑) >>364
福沢諭吉「勝海舟は法螺吹き裏切り者」
福沢諭吉「岡部長職(大阪人)は行状宜敷人物」 >>392
大阪五綿の在華紡とか、ゴッソリ持って行かれたからな。 >>396
京都や奈良の歴史は中国のパクリから始まったけどな >>401
野蛮な東国人と差別化を図るためには必要なこと。
たとえば明治維新をそんな風に揶揄する奴がいたら、お前レベルのマヌケだろうね。 大和朝廷は大陸の文化を積極的に取り入れ、東国はその余波を受けて徐々に畿内の文明水準に
近付き、しかし野蛮人の修正は淘汰されなかったために親兄弟ですら殺し合う武士なる野蛮な
人殺し集団が誕生してしまったわけだな。 ★★★インパール作戦は、史上最良の作戦2
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history2/1360078828/より
556 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2016/06/04(土) 13:33:29.59 ID:hAGXeU480
せっかく西日本人が作った大日本帝国を東日本人が一億玉砕だといって潰してしまった
日本の10倍の国力を持ったアメリカと開戦した時の首相かつ陸軍大臣、東条英機=東京出身
東条の後を継いだ首相、小磯國昭=栃木出身
真珠湾攻撃を行った連合艦隊長官、山本五十六=新潟出身
開戦時の海軍大臣、嶋田繁太郎=東京出身
日本を泥沼の戦争に引き込んだ石原莞爾=山形出身
東京一極集中が始まったきっかけは戦時体制時の1940年体制から。
東京府と東京市がなくなって東京都が誕生したのも戦時体制時の1943年。
それまで政治は東京、経済は大阪と分けてたのが政治、経済も東京が中心になった。
そして東京主体の軍国日本は惨めに敗戦し米国の隷属国と化すことになる。
更に戦後の東京一極集中政策により日本の国際競争力は急速に劣化、世界史でも稀な国家衰退事例。
557 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2016/07/30(土) 17:37:28.00 ID:vb/6LWWn0
但し英国がインパールで勝利しないとノルマンディー上陸できない。Dデイが1944年6月6日ってのはそのせい。
ちなみにソ連軍は1943年夏以降は快進撃していて、ソ連からすれば西の奴らは何をもたついてるんだってとこ。
制空権の無い地上軍が快進撃するなんて有り得ないし、制海権抜きでレンドリースなんてのも有り得ない。
連合国はヨーロッパで制空権も制海権も保持しており、Dデイの遅れは対日戦争の影響でしかない。 国の東京への中央集権体制ゆえ、大阪が衰退したのは官僚がーとか
言うのも分からんでもない。
大阪の連中は、それに対して異議を唱えるだけじゃなく
具体的に動いた事あるの?
お前らが憂う今の大阪になるまでに、国と真剣勝負するくらいの
政治家とか財界人が大阪にいたのか?
全部他人任せで、やみ雲に国や東京のせいだけにするのはおかしいぞ。
そんなに中央集権を変えたかったら、大阪のお前らが国の体制を
変えるようにしたらいいだけの話。 むしろそういう努力をしている道府県に対して、東京が妨害していないか。
例えば、省庁の地方移転に対する拒否反応とか。
地方の努力を上回る妨害工作があるというのが現実だろう。 >>406
ふむふむ政治に力を入れなかった
大阪人が悪いというわけか。
でもまあまっとうな実業に力を注いできたので
2015年の地域別貿易収支は近畿黒字だな。
東京を含む関東は8兆円以上の赤字だが。
あと維新が連立与党になったら霞が関の官僚も
今迄みたいに好き放題できなくなるのじゃないかな。
まさに今現在進行形で、政治に力を入れているけどな。
そして、維新は少なくとも国と真剣勝負するぐらいの事はやっているが。
でも何故か、維新の退場を願う意見は(特に2chなど)ネットでは出てくるよね。 これだけ官僚システムに権限が集中してるってのに、なにが国と真剣勝負だよ。アホか。 >>408
>でも何故か、維新の退場を願う意見は(特に2chなど)ネットでは出てくるよね。
これは確かに感じるな。
「大阪は東京一極集中にブーブー文句言ってばかりで自分で何か努力してるのか?」
と、大阪の東京一極集中解消に向けた姿勢を疑問視したり認めなかったりするくせに
大阪を中心に東京一極集中打破を掲げる大阪維新の会が国政政党も立ち上げて
少しずつ勢力を持ち始めると途端に
「維新なんて所詮ローカル政党。全国の影響力なんて皆無。」「いつまで橋下に騙されてるんだ」
「大阪なんて全国から嫌われてる。」
とか言う奴ばっかり。
結局何だかかんだ尤もらしい意見並べてるけど、単に大阪が気に食わないだけだろうな。 東京のマスコミはこぞって大阪を叩いてるからな。
http://www.eonet.ne.jp/~0035/teratani.htm >>406
出生率最低の東京の努力不足は棚上げか? >>406
京都の明治天皇は国土の均衡的発展を成し遂げるために自ら身を削ったのに
東京人は自分は何もせずひたすら他人のせいか >>412
出生率なんて個人の努力でどうにかなるものと違うだろ
それに東京と大阪でそんなに違いはあるのか? 大阪には民間経営者がいても、政治的な策士がいないんだな。
策士というのは日本の政治の中枢を握る、
霞ヶ関の優秀な頭脳集団の事で、大阪の民間経営者は、
高度経済性長期から何十年とかけて、霞ヶ関の策士の
良いように翻弄され続けてきただろう。
彼らの成果は、今の東京と大阪の経済力の差を見れば
説明するまでもない。
大阪にも策士ならぬ、地元府議会や市議会議員はいただろうが
もっぱら陳情が精一杯で霞ヶ関の策士からは、
さぞ見透かされていただろう。
彼らは大阪の民間経営者や大阪の議員には思い付かない、
何通りも何歩も先を読んだ策略を持っている。
大阪にも霞ヶ関の策士に匹敵する集団が必要だ。
そして政財界を牽引しなくてならない。
もちろん大阪以外の各地域の主要都市にも。
日本を活気づけるには、東京だけではダメだ。
といいつつも、四年後の東京オリンピックが楽しみだったりする。 >>1
ちょっと引っ掛かるが、東北とかド田舎とか
見下したような表現はよろしくないな。
田舎といっても日本の郷土であって、そこに暮らす人々にも誇りがあるだろうし
安易に馬鹿にするものではないと思うぞ。
大阪を馬鹿にする輩がいても、
そいつらのレベルに合わせる必要はないよ。 >>416
単に権力の亡者の官僚組織が惰性で一極集中に突っ走ってるだけ。
組織自体に明確なリーダーはなく、組織の自己保存と異端の排除で運営されている。
橋下さえ否定するなら、大阪どころか日本全体でどこを取っても明確なリーダーなんか
おらんわな。 >>418
別に橋下否定してねーよ。
地域政党作ったのは良かったと思うよ。
この何十年と大阪の有り様を見てると、大阪自民党とか頼りないもんな。 >>419
日本を仕切る東京の官僚組織にリーダーなんざいねえって指摘に対する反論をスルーするのかね。
現実が見えてないのか?? 家康関東入封までは関八州とか何もなかったのにな・・・ >>420
?
リーダーがいるなんて一言もいってないよ。
集団は必要だと書いたけどさ。
現実が見えてないとかも意味が分からないよ。
早い話が大阪も政治力を発揮するよう頑張って欲しいと言いたいだけ。
うまいこと伝わらなかったら申し訳無い。
土曜だし、興味深いスレ見つけたから、東京と大阪の経済力
東京発のメディアを駆使した巧みな情報発信の手法、
地方から見た東京と大阪、
東京に住んで感じたこと、
時間を掛けて求心力が落ちる大阪、
その背景に何が起こっているのかなど
素人なりに数十年感じた持論を書こうと思ってたが、
面倒くさくなったのでやめときます。 >>422
官僚は国政を取り仕切るから、ルールを自分の都合のいいようにせっせと改変しながら
親の総取りをしている状態だ。
大阪が不甲斐ないんじゃなくて、クソ官僚機構が大阪にツケを回すようにルールを改変
しながら親の総取りを繰り返した結果が今のイカレた一極集中だよ。
バブルがはじけたのに、東京だけがその影響をなくしてツケをその他の都市や地方に
回した結果だからな。
策士とかどうとか全く関係がない。ルール改変の権限持ってりゃバカでも総取りできる。
具体的には、政府の消費に対する業者の選択なんかがそうだな。
国内の一番の消費者は政府だ。諸企業がその政府を顧客にするには東京に本社機能を
置かざるを得ず、バブルがはじけてからは特に大阪から大企業を軒並み引き抜いて
いきやがったからな。内需関連企業は政府の御用聞きをやるほど儲かるんだよ。
ちなみにマスコミは、東京発だと国民のニーズを無視した韓流だの左派思想推しだのと
訳の分からんコンテンツを並べまくっているが、大阪はスポンサーからの金が少なくて
苦労しながらも、もう少し現実的な番組作りをしている。
『そこまで言って委員会』一つ取っただけで、視聴者が求める物への適応は明らかだ。
左派押しマスコミの巣窟の東京の都知事選でさえ、左派の衰退はバカにも分かるほどの
体たらくだったってのにな。
出版も大半が東京に集中してしまっている。こんな状況でまともに言論が成り立つわけが
ないんだけどな。タコが自分の足を食うごとくに地方を食い物にしながら繁栄している東京に
出版社が集まっていて、東京批判なんてまともにできるわけがないだろうに。 東京に過剰に集まった富を地方に分配するのは当たり前。
それに反対するのは、東京を独立国か何かと勘違いしているバカくらいのものだろう。
ここまでいびつなことになれば、過去の再分配法が適さなくなるのは当たり前だから、
新しい方法が採用されるのも当たり前。
バカはその程度の話さえ理解できずに吠えているわけだな。 江戸は地方出身者に乗っ取られ、その地方出身者が東京人を自称しているだけ
官僚も地方出身者が多いと推測できる
国家公務員一種試験の合格者は東大と京大を合わせると過半数を超える
東大と京大の合格者、特に東大は日本全国に満遍なく分布している
故郷を捨てた者達だから地方に対しては非常に厳しくなるわな 大阪と東京の対立も茶番劇のように見える
戦後、大阪出身の東京都知事が誕生した事もある
生粋の江戸っ子はどこに行った?
標準語は江戸弁ではないし、抹殺されてるだろ? 都市住民たる関西人は山ほどいるけど、関東は東京横浜とか合わせても
都市住民はほぼ淘汰されつつある状態だからな。
東国のクソ農民が貨幣経済を理解できなかった結果が今の東京一極集中だ。
いい加減にしろ。 >>428
横浜は幕末期に100人足らずの村
明治以降に移民が寄せ集まって人口爆発を起しただけだから最初から淘汰もへったくれもない 神奈川が元々の町の中心部で、新たに商業地住宅地を拡張したようなものだからな。
神戸も二万人の町だった兵庫のすぐ東側が新規に開発されて、名前が神戸となった。
こういうパターンで町の連続性が否定されるなら、大阪も断絶してることになっちまうんだよな。
町の名前は濁音がある大坂(おおざか)から大阪(おおさか)に変わっているし、町の中心と
される梅田も難波も維新前は大坂三郷に供給する野菜なんかを作ってたような農村だった。
元々の大坂の町は、梅田と難波に挟まれる一帯だ。天王寺は大坂とは別の四天王寺門前町。
福岡も博多駅前は福岡城下町からも博多のからも外れた農村だし。
当たり前の話なんだよな。路面電車ならともかく、長距離鉄道を町の中に引くのは土地買収が
大変すぎるから、町のすぐ外側の農地に駅を作る。町がどんどん外側に拡張されているだけの話だ。
例外は江戸東京などの城下町で、維新で町の中心部に位置する武家町がゴーストタウンに
なったために再開発できたんだよな。それでも、関東大震災あたりでも品川や新宿北千住とかは
東京とは別の町だけどな。 江戸っ子は移民から三代目以降を指すというように、ある程度の基準はある。
維新どころか戦前に移住してれば余裕で三代目が社会に出てるだろう。 江戸弁のしゃべれない江戸っ子なんて認められんだろ。 大都市に馴染むには三代って話だよ。
京都は伝統文化に馴染む必要があるから十代必要らしいけど。 馴染んでるだけで江戸っ子とは言わんよな。
大阪については、それ江戸時代の事じゃない?
秀吉の時代の大阪城の範囲を調べてみるといいよ。 大坂は歴史があるから複雑
豊臣時代に城内に含まれていた区域が江戸期に村になってたりだな
それが明治時代に大坂に復帰してもいる
横浜は幕府が外国に開港する際に、寂れた漁村なら開放しても影響出ないだろ?ってな事で
選ばれたのがきっかけで人口が増えてったというだけ
元から人口80人程度の漁村だからな >>434
江戸っ子は江戸文化の伝統を支える人間であって、東京に住む都会人の定義とは全く別物。
豊臣時代の大坂城の範囲は、徳川期の二百年以上のブランクがあるから言及するのは無意味。
安土城下だった場所に住む農民が都会人を気取るってくらい滑稽な話。 >>435
大坂は江戸時代にも市街地の拡張はあって、町続在方(まちつづきざいかた)と呼ばれて
代官支配の在方ではなく大坂町奉行の管轄とされた。そういうのなら意味があるけど、
一旦農村に戻ったのならそこを大都市と主張するのは滑稽だよ。
>寂れた漁村なら開放しても影響出ないだろ?ってな事で
これはよく言われる話だけど、既に都市化しきった所ならともかく、周囲に田畑がいくらでも
あるような土地で西洋風の大規模な居留地を作るのに既存の町をぶっ壊すとか、明らかに
アホそのものの発想だから、主張してる奴はなんも考えてないんじゃね? って思うわ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています