いっその事、極端な話言えば公的な機関に対して「名前」なんていらないんだよ。
今の21世紀文明文化の管理社会は、人の識別の完全機械化、合理化を可能とした。
これは公の、個に対する完全な支配の達成と言えるだろうか?

むしろ逆だ。公に個は、つまり権力者は、個の名を持つ者は不要となったのだ。
戸籍、人別帳なんて古臭いものはパソコンデータベースの1チップにでもして、国会図書館の地下にぶち込んじまえ。
人が人として生きる名前なんて、その人個人にとってこそ必要なのだから。

家族としてファミリーネームを名乗りたい人達は姓を持とう。そうでないなら、つんく♂でも十分だよ。
そして自分の生まれの家系を大切にしたいなら、夫婦別姓で良い。
この文章は長文だろうか。いや、文字にしてしまえばこの程度の事だ。もっと短く出来てもこれ以上長くする必要ない事だ。